『マッドサイエンティストの手帳』214
●マッドサイエンティスト日記(2001年10月前半)
主な事件
・第2回小松左京賞授賞式(1日)
・上山高史公式ホームページ開設!(2日)
・ニューオリンズ・ラスカルズ40周年記念ジャズパーティ(8日)
・タイムマシン展(8〜13日)
2001年
10月1日(月)
毎年のことだが、10月1日では遅すぎるのであった。
まあ、来年があるさ。締切関係のことだけど。
朝5時に朝刊を読む。スポーツ記事でいちばん面白いのは王ダイエーのローズ「敬遠」である。高橋尚子、イチロー、長嶋引退よりも面白い。日本野球であるなあ。ワン公、どない思てはりますねんな。コーチがやったこととはいえ、やっぱり記録守りたいのかなあ。
午後のひかりで上京。第2回小松左京賞授賞式に出る。帰宅は日付が変わってからであった。
10月2日(火)
タイムマシンの設計図を保管している某銀行へ自転車で行く。
貸金庫の方式が変わったというので「引っ越し」である。
新しい貸金庫、なんとカードと「自動倉庫システム」である。狭いコーナー(個室)に「金庫」が搬送されてくる方式。むむむ。なんだか恐ろしいなあ。
あと、かんべ事務所へ。1時間ほど雑談。ボブ・グリーン『DUTY』(光文社)これは広島に原爆投下した「エラノ・ゲイ」の飛行士インタビューである。この本に出てくる「タブチ・ショージ」のことを聞く。タブチの妹とかんべは高校同級なのである。タブチ君といっても、いしいひさいちのタブチ君ではない。その昔、「大学対抗バンド合戦」というラジオ番組があった。そこに登場した桃山学院大のカントリー・ウェスタン・バンドのフィードルがタブチ君なのであった。これは確かに凄かった。超絶的テクニックの持ち主であった。その後渡米、今はレストラン経営で成功とは聞いていた。……『DUTY』の最終章に出てくるのが、このタブチ君である。しかし、原爆発言は正確なところが理解できない。「この方たちは、ぼくたちの国を救ってくれました」というのだが……半ばリップサービスなのではないかと思う。「わが国」が日米どっちなのか(アメリカ国籍を取得している)、やっぱりわからない。……かんべはこの本の存在を知らなかったので、それ以上の情報は得られず。
注目のジャズ・ヴォーカリスト、上山高史さんから、公式ホームページ開設のメールが届く。
Swinging for Comfortと銘打たれた上山高史公式ホームページがそれ。
あか抜けたデザインである。
ライブ録音の新CDの予告も出ている。……じつはこれに拙文を寄せているのだが、発売されたら改めて紹介したい。
リンクを更新。……が上山高史さんの旧ページも残っているのだなあ。こちらもいい雰囲気であるる
10月3日(水)
タイムマシンを見本市に出展することになった。
打ち合わせ色々。
10月4日(木)
夏物衣料を大量にクリーニングに出したのであった。
10月5日(金)
見本市に出展するためのタイムマシン整備のために朝から西の方向へ移動。
山電・姫路を降りて、ちょっと時間があったので、早朝開店の新興書房を覗く。
JR姫路駅へ向かうところで、宇宙作家クラブというかサイパーというか、イーハトーブというか、要するに天文学専門の山田竜也氏とばったり。
「なんですねん、こんなところで」
「今日から日本天文学会ですよ」
あ、あああっ、そうだったのだ。3日間、新しくできた姫路城の前の会館で天文学会開催なのだ。地元だし、注目のブラックホール形成理論が発表されるなど、話題は多い。天文関係の知り合いが集結だろうし、参加資格ありだから行きたいのだが、むむむ、タイムマシンの整備があるしなあ。時間と空間を秤にかけて、時間を選ぶ。
明日から神戸ではジャズ・ストリートだし、イベントが多いなあ。
10月6日(土)
早朝に某トラックが到着。見本市に出展するタイムマシンを積み込み、大阪に向かう。
会場の南港・インテックス大阪に10時過ぎに到着。
が、ブースはまだ装飾工事中である。
タイムマシンの「待ち時間」が多いとは困ったものだ。
夕刻、やっと準備終了である。
血が騒ぐなあ。
↑これがタイムマシンである。(カバーをかけて非公開。あ、野尻抱介氏は見たことがあるなあ。)
10月7日(日)
終日ボケーっとしているのであった。
神戸ではジャズ・ストリートの2日であるが、動く気分にならないのであった。
10月8日(月)
アフガン空爆開始らしい。現地の朝の映像が気になるが……
昼、専属料理人と本町の綿業会館へ行く。
「ニューオリンズ・ラスカルズ40年記念ジャズパーティ」である。
綿業会館というのは、昔勤務していた会社のすぐそばにある、昭和初期に作られたルネサンス調の建築。村野藤吾が参画しているから、ぼくにとっては、梅田地下街の排気塔と並ぶ大阪の名建築のひとつである。
ここの大ホールと大会場(パーティ用)を借り切っての大パーティである。ニューオリンズが綿の積み出し港として栄えていたことを考えると、この会館使用は大正解。
重厚な造りのロビーでトリオによるウェルカム演奏。これもいい雰囲気である。
12時から7階ホールでビュッフェ・スタイルのパーティ。
13時からメインホールでコンサート。
なにしろ、出演バンドが、ラスカルズを含めて、9バンド。東京からの参加も。これにブッチ・トンプソン(p)、トム・シャープスティン(cl)、ジェフ・ブル(tp)、キャロル・リー(vo)など、欧米豪から来日のゲストプレイヤーが22人!
したがってプレイヤーの総数は60人を超えるはずである。聴衆は推定400人。あちこちにおなじみの顔。まあ全体に高齢化していて、ぼくでもここでは若造に近い。
出演者の多くは神戸ジャズストリートからの流れでもあり、2日間がまんしていたのが、全部ここで聴けるわけだ。
最初と最後がラスカルズ。
ここへ海外プレイヤーが続々入場して「史上最強のマーチングバンド」ができあがったり、なんとも豪華なものである。
延々6時間に及ぶコンサートだが、むろん、これだけ腕に覚えのあるメンバーが集結しているのだから、自分の出番だけで気の済むはずがない。パーテイ会場の方にはアルコール類もあって、ここでも発作的セッションあり、記念撮影をお願いしたり、チャールストン踊り出す人がいたり……わしゃ水割りのあるこちらの方が性に合ってるなあ。
5クラ、4トロンボーン、4ペットの大マーチングバンドが誕生したり、楽しい限りであった。
CD売場でラスカルズのディスコグラフィーを発見、ただちに購入。
これは、このパーティに合わせて発行されたもので、富山の西田賢一郎氏と松戸の柳澤安信氏の製作。……帰宅後熟読。 LPやビデオ含めてこんなに多くのアルバムがあったのかと今さらながら驚くとともに、ディスコグラフィーとしての出来の良さにも驚嘆。書誌学的研究の苦労はある程度わかっているつもだが、様々な形式の工夫(コンサートの曲別メンバー表など)、各種のインデックスなど、素晴らしい出来映えだ。こんな凄い資料が富山と関東のファンの手で作られたとは、大阪のファンとしては……むむむむ。
ちなみに、ぼくはレッドアローで録音された南里文雄との共演盤は持っている。これは自慢できるなあ。
10月9日(火)
アフガン空爆が気になるが、地下鉄で南港のインテックス大阪へ。
第7回OTEMASという見本市。Osaka International Time-machine Show の略で、4年に一度。今年で7回目になるが、どうやら今回で最後というのがタイムマシン業界の定説である。
2年前にパリで開催されたITMA99という同様の見本市に行ったが、ヨーロッパ勢が来週、シンガポールで同様の見本市を開催する。東南アジア以西の関係者の多くはそちらに行くようで、日本への来場者は激減らしい。
そこへ同時多発テロだからなあ。
中央アジアへ持っていけば戦況ががらりと変わるのだがなあ。(←あまりマジメにとらないように、エシュロンくん)
じっと立っているのは疲れる。
10月10日(水)
終日ボケーっとしているつもりが、集合住宅の理事会。排水の詰まりがどうの、近所の騒音がこうの、ゴミ捨て状態がああの、気の重いことである。
10月11日(木)
インテックス大阪でタイムマシンの展示。
人出が多く、なんと「学友」3人と会う。そのひとりS野くんとは、たぶん卒業以来で30年ぶりではないか。それが人で混雑しているなかで、一目でわかるのだからたいしたものだ。
韓国から「身代わり」でウズベキスタンへ行ってくれたCさん来場、先週またもタシュケントへ向かおうとしたら飛行機欠航だという。
夕方から本町の居酒屋でビールを飲みながら生々しい話を色々聞く。
10月12日(金)
インテックス大阪。そろそろ飽きてきたなあ。
が、なんとパキスタンから来た某社ディレクターが、値段さえ折り合えば買うぞという。政府系か反政府系か訊きにくいしなあ。だいたい行けるのかどうか。部品の持ち込みも難しそうだしなあ……。(←あまりマジメにとらないように、エシュロンくん)
夕方、肥後橋で開かれている「小松左京を囲む会」の懇親会にビジター参加。
小松左京マガジンの某企画の相談である。
20時過ぎまで。肉料理が多く、困ったね。
高田公理氏と久しぶりに会う。帰路、淀屋橋まで雑談。情報経済学に関して、「小説家という職業は20世紀で実質的に滅びた」「学者はサラリーマンである」と妙に話が合う。情報を金に換えるのは難しい時代になった。世間が利口になったわけではない。デフレである。
10月13日(土)
インテックス大阪。最終日。
世間は休日だが、まあまあの人出。むしろ熱心な質問者が多い。
はっきり書いておこう。見本市では、外人以外、平日の来客というのは、権限を持つごく少数(これを見分ける能力が問われる)を除けば、往々にしてヒマなのが勤務中に来る。日頃忙しくかつ研究熱心な技術系社員は休日に来るというパターンが多い。
いや「外人」もわからんぞ。海外へ行くポンジンの場合。……2年前のパリで経験したことだが、私的に行った俺と往路同じ飛行機だった某部長(おれがエコノミークラスに乗っているとは知らない)、到着してから2日間会場に現れないという「珍事件」があったのだからなあ。未だに謎である。だいたいはわかっとるけどね、F部長さんよ。
自前のタイムマシンさえ持っておれば、おかしなアリバイ工作しなくてもいいのにねえ……と、これはタイムマシン開発者の自慢である。
夕方撤去。
そのままトラックの助手席に載って西の方向に「夜を走る」のであった。
10月14日(日)
気がつけば実家で寝ていた。
涼しく……というより寒いほどで、くしゃみ連発。
足腰ガタガタで、昼まで寝る。
夕刻帰阪……姫路から山電特急に乗ったらすごく混んでいる。白浜の宮に臨時停車するという。「喧嘩祭り」の日であるらしい。ほとんどの乗客がここで降りる。……そうか、ふんどし一丁の男たちが神木?だったかを奪いあう喧嘩祭りは、ここであったのか。
妻鹿というのは昔の漁師町で、気性の荒い土地である。見物してもいいのだが、まだ時間がありそうだし、人混みは苦手なのでそのまま通過である。
※「ふんどし」は勘違いである。御輿をぶつけ合う「灘の喧嘩まつり」であった。16日の新聞によれば、今年は御輿が転倒して、観客ひとりが死亡している。やっぱり途中下車しなくてよかったのだ。
10月15日(月)
わ、疲れて早寝したら午前2時に起床してしまう。アタマは働かず体だけが動き出す最悪パターン。
新聞休刊である。戦況はとテレビを見ると、雨の球場ばかり映している。
寝たり起きたり。
昼間はタイムマシンに関する残務処理が色々。いかんなあ、何も進まぬ感じだ。
ウズベク方面も長期戦となるか……。
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