『マッドサイエンティストの手帳』614
●マッドサイエンティスト日記(2015年10月前半)
主な事件
・SF検討会(2日)
・西秋生氏の訃報(3日)
・白石幸司@ニューサン(6日)
・筒井康隆氏の生地(聖地)探訪(8日)
・ジャズ同好会@放出(11日)
・播州龍野いたりきたり
・砥峰高原(14日)
10月1日(木) 穴蔵
天気予報どおり、曇天から雨天となる。
終日穴蔵。
やらねばならぬことがあるのだが、不調である。
10月1日では手遅れなのであった。
週刊新潮(10月8日号)のトップ記事、五輪エンブレム騒動の「『インチキ選考』仰天の真実」が面白い。
おれはサノケンのデザイン見た時、即座に町中でみかける長谷工のマークを連想した。円と直線の組み合わせは類似デザインが多いから、叩かれ出した時も、ちと気の毒な印象であった。だが、選考委員に無断で修正が行われたというあたりから怪しいと思いはじめた。……新たに募集が決まったのだから、もういいと思ってたら(もっとも、おれは東京五輪返上派だが)、そうではなかった。
インチキ選考でサノケンに決めた手口が詳細に暴かれている。募集要項のトリック、似ても似つかぬものに変貌したパラリンピック・エンブレム修正、2位、3位の候補作(モノクロだが掲載)、選考委員会での巧妙な誘導など、いやはや。
サノケンはデザイナー生命を(たぶん)断たれたが、出来レースを仕組んだ側にはお咎めなしか? 新潮はこの黒幕をはっきりと名指ししている。電通の高橋卓馬と槙英俊である。雑誌を出してる出版社が具体名をあげての電通糾弾は、なかなかできることではない。久々に週刊誌ジャーナリズムの気骨を見る。高橋卓馬と槙英俊の反論が待たれる。
※上記の電通社員名に誤記があり訂正しました。ついでに週刊新潮9月17日号に「『エンブレム』審査を『佐野研』出来レースにした電通のワル」という記事があるのを知り、図書館で確認してきました。高橋卓馬はサノケンのパクリ(トートバッグのデザイン)が問題になった、サントリー「オールフリー」の広告担当者でもあったのだ。(2015.10.2 13:40)
※※東京五輪の大会組織委員会は10月2日、マーケティング長・槙英俊とクリエイティブディレクター・高崎卓馬の退任を発表。ともに電通から出向していたが、事実上の更迭という。週刊新潮が糾弾したのはこの出向者2匹であって、電通本体ではなかったようだ。もっとも、こんなワルを飼ってる電通もろくな会社ではないけどね。(2015.10.3)
10月2日(金) 穴蔵/ウロウロ/SF検討会
分別ゴミ(プラ、紙、衣類など)収集日であり、思い立って、スーツ6着、カッターシャツ10枚ほどを処分する。
古いのは20年ほど前のもあり、体型は変わってないから今でも着られるのだが、ボンサラやめて以来10年以上、ほとんど着用していない。
夏冬2着ずつ(大阪と播州龍野用)、礼服を残して全部捨てる。
今後、もし晴れがましい場があるとすれば、その時に買えばいいのである。
紐で括ってゴミ置き場に出しておいたら、1時間もしないうちに持ち去られていた。
いい気分はしない。古着として売れるとも思えないが。
(管理人に聞けば、市が収集しても、行き先は似たようなものらしいが)
朝から市内うろうろ。
部品調達の必要が生じて日本橋のナニワネジに寄る。
ついでに歩いて黒門市場へ。
*
昼前。中国人いっぱいあるよ。半分以上。フードコーナーみたいな場所が増えていて、店先で買ったものをそこで食べられるのだが、黒門もだんだんとトンボリ化していくような気がする。
丹波できらさぎ漬けを買って帰館。
午後は穴蔵にて雑事。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵、久しぶりに定員2名内容非公開のSF検討会を開催する。
焼酎湯割り飲みつつ、雑多なテーマをあれやこれや論じていたら、4時間経過。
内容はほとんど覚えていない。ボケがテーマのひとつであり、その症例を列挙していったのは確かだが、結果としてボケを実践しているのであろう。嗚呼。
10月3日(土) 穴蔵/ウロウロ/西秋生氏の訃報
ネットに西秋生氏の訃報。まだ60歳ちょっとではないか。
西さんは寡作だが、デビューはネオヌル掲載作だから、キャリアはかんべさんとそう変わらないはず。
きわめて質の高いファンタジーを書き続けられており、近年の神戸を舞台にした短編は独特の世界を切りひらいていた。
昨年夏の大手前大での講演で「阪神間SF」について話したが、その時に中心的な作家のひとりとして紹介したのが西秋生氏である。稲垣足穂の世界を神戸に蘇らせようとする試みで、これらが一冊にまとまっていないのが惜しい。西秋生『ハイカラ神戸幻視行』は神戸文学の紹介だが、明らかに足穂が中心に置かれていて、神戸SF創成の基礎作業であったことが伺える。
最後の作品は神戸を舞台にした『怪異居留地』に掲載された「帰還」ということになるのだろうか。
*
レトロな神戸が丹念に描写された秀作である。
『怪異居留地』についてはこちらの2015年6月末あたりをご参照。色々なスタイルの神戸小説の佳品揃いである。
秋晴れ。
昼前に大阪駅まで歩く。
ボンサラ時代の同僚と会ってコーヒー。ビールでないのが珍しい。
これから別グループの同窓会とかで、愛媛産の栗「銀寄」をいただく。
愛媛が茨城、熊本に次ぐ栗生産3位の県であることをはじめて知った。おれ、丹波しか知らなかったものね。つうか、昔から栗はそこらに落ちてるのを拾ってくるものであった。
午後は穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
10月4日(日) 穴蔵/ウロウロ
秋晴れである。荷風散人なら「秋の空澄渡りて風静なり」と書くところ。
昨日の短い原稿、再度チェックして送稿。
日曜だが、数時間後に返信あり、好意的な評価をいただく。
日記文学について、『腹立半分日記』〜『断腸亭日乗』のつながりを体験的に書いたもの。収録されたのがかたちになれば、またここで紹介いたします。
昼過ぎに散歩に出る。
湾岸区を歩こうか迷ったが、本日は人の少なそうな「西回り」コース。
梅田貨物駅の外周を西回り、南の某地点から定点撮影。
*
雑草(芝生?)は早くも冬枯れの色で、来春までこんな雰囲気なのだろう。
6,000歩ほど歩いて帰館。
夜は専属料理人に、つくねのなんたら、茄子のかんたら、サラダなど並べてもらって晩酌。
*
おれには、イワシの煮たのがいちばんいい。
これで、先日むさしくんがぶら下げてきた麦焼酎「ごりょんはん」を湯割りでチビチビ。
渋いところでモンク師匠のソロを流しつつ。
秋の夜は更けゆく。
10月5日(月) 穴蔵/ウロウロ/記念日
昼前に出て、地下鉄で西長堀へ向かう。
珍しくも専属料理人がついてくる。あとでホームセンターに寄るという。ポーターを務めなければならぬらしい。
中央図書館にて40分ほど。
あと、ドーム前の方へ歩く途中、専属料理人が、本日は特別な記念日だという。
そんなことは何年も前から忘れていた。
まあ、それならと、千代崎橋から少し西へ歩いたところにあるうなぎ屋へ行く。
*
うな重。秋味もひとくち。
ここは関西焼きだが、なかなか。
ドーム前のホームセンターへ。ベランダ用の花の苗などが目的だったらしいが、目当てのはほとんどなし。聞けば土日で多くが売れてしまったのだとか。おれとしてはホッ。
インコの餌を持たされて先に帰館。
夜は、ローストビーフ、サラダなどでプレミアムビール。
*
夏にヨーロッパに演奏旅行した演奏家からいただいた缶詰を開け、ブルディガラのパン。ワインを飲む。
昼はうなぎ、夜はフォアグラ、こんな贅沢をしていいのだろうか。よくありません。
年に1、2度のことである。
10月6日(火) 穴蔵/白石幸司@ニューサン
朝のニュース。読売の福田という投手が野球賭博やったという。「謹慎させる」とかいうが、読売はクライマックス・シリーズとかを辞退するのが筋ではないか。球団解散も視野に入れるべき。ナベツネ、なんとかいわんかい、まだ生きとるのならよ。
午前5時、外は19℃、室温25℃。寒くなってきたなあ。
終日穴蔵。
これといった仕事はできぬまま。
夕刻のニュース。梶田隆章氏にノーベル物理学賞。
何よりもめでたい。大村智氏とちがって本命だから、予定稿を読み上げるような報道(大村氏の場合はダークホースだったから、にわか仕込みの知識であたふた報道だったからな)。
しかし、戸塚洋二氏の名がほとんど出てこないのはどうしたことか。
小柴昌俊氏の受賞時、受賞理由が「天体物理学、特に宇宙ニュートリノ検出の開拓に貢献」であったから、実際に観測した業績は戸塚洋二氏のために残されていると誰もが思った(いや、同時受賞でないのが不思議であった)。
と、梶田氏は会見で最初に、小柴・戸塚両氏の名を挙げられた。
しかし、その後の解説は手抜きの感あり。むろん梶田氏の受賞にケチをつける気は毛頭ありません。
人間、生きなきゃいかんなあ。ナベツネほどしぶとくではないにしろさ。
夜、20時過ぎてから出て、地下鉄で梅田、ニューサンへ。
キッチン・ファイブの出演日。
が、本日、加藤平祐さんの都合がつかなくなったという。代わりに(というのもおかしいか)たまたま来阪の白石幸司さんが出演。池本さんも来て3管編成となった。
*
白石フィーチャーのバーガンディが泣かせるぜ。
23時過ぎに帰館。
10月7日(水) 穴蔵
午前5時に目覚める。
ちと二日酔いである。久しぶりだな。
終日穴蔵。
たいして生産的な仕事はできぬまま、たちまち夕刻となる。
*
専属料理人の並べた、ピーマンのなんたら、ボンゴレのかんたらなどでビール、豊崎西公園南側の中本酒店推奨の格安バカうまワインを少しばかり。
うまっ。
早寝するのである。
明日こそホリは羽ばたく……つもり。
10月8日(木) 穴蔵/西区/大正区/ノーベル文学賞
定刻午前4時に目覚める。
体調回復。やはり夜遊びはいかんなあ。
少しは仕事もするのであった。
ちょっと確認したいことがあって、地下鉄で西長堀へ。
図書館で1時間、あと周辺うろうろ、あみだ池筋をだらだら南下する。
汐見橋まで来たところで「鶴町四丁目」行きのバスが来たので、これに乗る。南恩賀島あたりへ行ってみるつもりが、大正通よりも西の通りを走るバスであった。
千歳橋の手前で降り、大正内港の防潮堤沿いに千島方向へ歩く。
*
このあたりの眺めもいいなあ。
千島まで歩き、「よしや」で沖縄そばを食す。
大正通に出たら大阪駅行きのバスが来たので、これで45分かけて大阪駅へ。幹線道路でないコースなので面白い。
夜のニュース。
ノーベル文学賞の発表。「春樹をめぐる暴言」じゃないけど、毎年のこの騒ぎはなんであろうか。
過去の事例でも、こんなに騒がれての受賞はないだろう。ひいきのひき倒しにならないか。作者も迷惑なことであろうし。
昔、井上靖が毎年このシーズンになると騒がれた。候補であったのかどうか、いまだに不明である。
おれは、日本作家の受賞があるなら、村上春樹より先に別の作家が受賞すると予想している。
名はあげない。ただ、この予想が当たった時に自慢できないから、「おれはコーシン予言に同意する」とだけ書いておこう。
筒井康隆氏の生家跡
『腹立半分日記』を再読していて、ちょっと気になる記述があった。
筒井さんの生誕地は北堀江にあった父君の実家「筒井藍商店」であったが、この場所がはっきりしない。
1976年10月14日〜18日の記述によると、オール読物のグラビアで「生まれた場所に立つ写真」の企画があり、ご父君に地図を書いてもらうが、写真はいいが出鱈目はいうなといわれ、引き裂いてしまったという。撮影もなし。
八橋一郎『評伝 筒井康隆』によれば、藍問屋「筒井商店」は西区北堀江通5丁目24番地にあったとされる(この表記もちょっと曖昧である)
八橋氏は「土地の古老」にたずねるが筒井商店の記憶はなく「大阪市立中央図書館の西南百メートルあたりだろうか」と書かれている。
気になって大正以降の地図その他を調べるうち、「なつかしの昭和 堀江戦前住宅地図」(2007新風社)に筒井家を発見した。
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これは昭和15年の地図と昭和12年の電話帳をもとに住所・氏名・屋号を照合し、できるかぎり関係者に調査して作成されたもの。
北堀江通五丁目の北側に「筒井嘉隆」の表記が認められる。
この位置はどこか。
当時と場所の変わらない「土佐稲荷」と「あみだ池(和光寺)」を起点にすると、三角法を使うまでもなく特定できる。
この地図の縮尺は正確で、今の地図と重ねると、埋められた堀江川や道路の拡張・変更もよくわかる。
ほぼ1メートルの精度で特定された「筒井商店」跡の位置は「大阪市立中央図書館の東南百メートルあたり」である。
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詳しくは、新なにわ筋「中央図書館前」交差点の北東角。三木産業ビルの南側の駐車場で、新なにわ筋から東に30メートル。三昭パーキングビルの西隣。上の写真で白いセダンが停まっている位置である。
ここに間口5メートル、奥行き40メートルの筒井商店があった。
今の地番は西区北堀江3丁目13?(番地は未確認)。
ちなみに三木産業の前身は上の地図にある三木商店(藍染料)である。
将来の筒井研究の一助として記録しておく次第。
10月9日(金) 穴蔵
秋晴れである。
終日穴蔵。
専属料理人は「お誕生会」を兼ねたランチ会とかでリッツ・カールトンへ出かけた。
昼は、ネギざく切り、鶏肉、水菜、たまごなどぶち込みの鍋焼きうどんを作ってビールを少しばかり。
リッツのランチよりこちらの方がうまいはず。
2時間ほど午睡。
夕刻に近い午後、散歩を兼ねてジュンクドー往復。2,246歩。
夜は粗食にて黒糖焼酎の湯割り。
これからは、これが生活の標準的パターンとなろのだろうか。
10月10日(土) 穴蔵
世間は今日から3連休らしい。
終日穴蔵。
午後、散歩に出るが、梅田方面は人出が多そうで、ジュンクドーから中崎町方面に変更する。
あ、そういえば今日からワイルドバンチが営業再開である。
何時からなのか? 午後3時前なので判断に迷う。
来週にでも覗いてみることにしよう。
10月11日(日) ジャズ同好会@放出
定刻午前4時に目が覚める。
あまり気合いは入らず。
6時からニュース見てたら、引き続きNHKの「うまいッ!」という番組で静岡の「黒はん」特集。
うまそうなと思ってたら、9時過ぎに、専属料理人の実家から黒はんが届いた。
不思議なことである。
昼過ぎに出て、片町線の放出へ。
ちょっと早く着いたので30分ほど放出界隈を散策。線路の南北で、寂れた商店街と集合住宅群の対比が面白い。
近くの阿遅速雄神社に参拝。
*
あちはやお。由緒ある神社なのである……らしい。
駅前のディア・ロードにて大阪ジャズ同好会の例会。
愛好家諸氏、ゲテモノ・珍品ふくめて、よくこんなのを見つけてくるなあと感心するのを持ってきはる。
マーロン・プランドのヴォーカルなんて初めて聴く。
特集はサッチモで、おれは「真夏の夜のジャズ」サントラ盤の「聖者の行進」(ピーナッツ・ハッコーが入っている)。61年に「黒いオルフェ」との二本立てで見た、おれのジャズ原点である。サッチモからモンク(竹のメガネがたまらん)、ドルフィーだから、ニューオリンズ・ジャズからフリー・ジャズまで、すべて好きになるわなあ。オルフェでボサノバも好きになったわけだし。
たそがれに帰る。
夜は専属料理人に少量多品種並べてもらってビール、湯割り。
*
黒はんの焼いたんを生姜醤油でいただく。
まだたくさんあり、明日はおでんであろうか。
10月12日(月) 穴蔵
朝、タイムマシン業の相棒の某くんから連絡あり、午前9時前に来る。
穴蔵前の路上にて10分間ほど物品・伝票の受け渡しと打ち合わせ。
今週の行動予定を相談する。そうアタフタするほどではなし。
世間の連休にあわせて、本日は何もしないことにする。動くのは明日からだ。
ということで、終日ボケーーーーツと本を読んで過ごす。
これではいかんので、夕刻に近い午後に4000歩ほど散歩。
夜、専属料理人の並べたるは、おれの予想どおり「おでん」であった。
*
関西風で、静岡みたいに出汁が黒くなく、魚粉や青のりのトッピングもなし。
静岡メニューのタタミイワシも。
これで黒糖焼酎の湯割り。よろしいなあ。
早寝。
10月13日(火) 大阪→播州龍野
通勤ラッシュの終わった頃に出て、播州龍野へ移動する。
秋晴れの播州路、気分よろしいぜ。
タイムマシン格納庫にて見張り番を務める。
コスモスの季節である。
*
昼は「味三昧」でミニ弁当を買って、揖保川町馬場地区のコスモス畑へ行き、車中にて食す。
龍野の夜は早い。17時は明るいが18時には暗もう暗い。
実家に戻ると、居間の室温20℃。コタツを出すか迷うところだ。
ま、本日は厚着でしのぐか。
とうことで、夜は大阪から持ってきたおでん(昨夜の残り)その他を並べてビール、龍力熱燗。鴨居にセットしたスピーカーから降り注ぐデフランコ師匠など聴きつつ。播州龍野では音量に気遣いしないで済むからいい。
楽しきかな独酌。
早寝するのである。
10月14日(水) 砥峰高原/播州龍野→大阪
タイムマシン格納庫にて雑用あれこれ。
基本的には開店休業状態である。
天気がいいので、発作的に砥峰高原へ行ってみることにする。
この前行ったのは7年前で、西側からの細い県道コースだったが、この道は狭いので、本日は東側から。
播但自動車道利用、11時に出て、ちょうど1時間で着いた。
平日で、それほどの人出はなし。
*
「ノルウェイの森」ロケ地の看板が目立つ。
ノーベル文学賞受賞ならもっと混み合っていたはず。
1時間ほど散策、同じコースを戻る。
午後2時頃に帰着。
夕刻の電車で帰阪。
体調はいいが、アタマの働きが弱くなったなあ。
電車での移動中に本があまり読めなくなった。アタマよりメガネが悪いのかも。
10月15日(木) 穴蔵/黒枝豆
朝、近所の某医院にて定期検診。数字はきわめて良好。衰弱しているのはアタマだけのような。嗚呼。
終日穴蔵。
生産的な仕事はできないのであった。
秋の夕暮れは早く、たちまち晩酌の時刻となる。
町内会の某さんが丹波篠山の黒枝豆をどさっと届けてくださった……と専属料理人のいふ。
ありがたきことなり。少しずついただくことに。
*
初夏の台湾産枝豆から始まって、夏場はほぼ毎日、まず枝豆でビールだが、秋の黒枝豆(黒豆枝豆)で今シーズンも終わるなあ。
おれはボンサラ時代、池田市伏尾(北摂の山麓というか、谷間にあった事業所)勤務がいちばん長かった。
事業所近くに砂利の集積場があり、ダンプがよく出入りしてたが、その運ちゃんが「丹波で買うてきたで」と枝豆を茎ごとどさっとくれたことがある。30年以上前のことだが。
これがうまいのうまくないの……うまかったのでございます。
以来、夏の終わり(つうか秋のはじまり)はこれに決めている。ダンプ運ちゃんとのつき合いは3年ほど続いたが、その後はデパートで少量を。近年は専属料理人と地域のなんとかをやってる某さんが届けてくださるパターン。
秋の夜は更けゆく。
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