『マッドサイエンティストの手帳』479

●マッドサイエンティスト日記(2010年5月後半)


主な事件
 ・(東京)井の頭公園/マグナス・ヨルト・トリオ(17日)
 ・(東京)自由が丘/星新一展/谷中/スカイツリー/眠庵(18日)
 ・SF検討会(21日)
 ・『SF幼年期と神戸』展(22日)
 ・創サポ講義(29日)


5月16日(日) 穴蔵/ウロウロ
 本日も快晴である。
 終日穴蔵にて粛々と雑事を片づける。
 天気がいいし、ちょっと出かけたいこと(神戸方面)もあったのだが、明日から出かける予定があって、諸事項は本日中に処理しておかねばならぬのである。
 夕刻に近い午後、一区切りついたので、自転車で出かける。
 「外回りコース」で、淀川堤防を毛馬閘門へ。
 秋の淀川市民マラソンでは、淀川大堰の上の通路(通常は通行禁止)を渡れる……これは先日の新聞で初めて知った。
   *
 前から渡ってみたかった通路だ。
 観客として歩くのは無理かなあ? ランナーとして登録する体力はないし。
 ま、時間はあるから調べてみることに。
 旧閘門の遺跡をウロウロした後、大川沿いに都島橋まで。
 天満経由で中之島のバラ園へ行くか迷ったが、本日は快晴、天気がよすぎて花の写真を撮るには適さないのである。
 梅田の書店を回って帰館。
 夜は、和風ハンバーグ、イカのなんとかでビール。
 あと、専属料理人が作った「グリッシーニ」に明太子入りチーズとかサラダでワインをダラダラと飲む。
 
 BGMはデフランコ師匠・トミフラ師匠・ロリンズ師匠。たまらんなあ。
 わ、2時間近い晩酌になってしまった。
 早寝。明日からちょっと出かけるのである。

5月17日(月) 大阪→東京/吉祥寺/マグナス・ヨルト
 なかば発作的に上京することにした。
 色々なことが重なっていたのだが、きっかけはジャズ・ライブ。
 東京に着いたものの、ちょっと見たい美術展(三菱1号館とか)は月曜で休館である。
 秋葉原の某ホテル(再オープン記念で1泊料金で2泊の格安プランがあった)にチェックインのあと、石丸3号館(は閉鎖でJAZZ関係は向いのソフト館に移っている)、山野楽器、ディスクユニオンなど回って、夕刻に近い午後吉祥寺へ。
 井の頭公園が近いことがわかって1時間ほど散策する。
 
 池や雑木林があって新緑がきれいである。
 吉村昭氏邸は公園に面していたはず。杉浦茂先生のお宅(20年以上前にインタビューでお伺いした)もこの公園に近かった。ともに「三鷹」の方が近いはずだが。
 尊敬するふたりの先生があるかれた公園を謹んで散策する。
 駅に近い繁華街の「まぐろ函」という店でビール……「浜焼き」というコンロで色々焼く趣向の居酒屋だが、外れであった。
 駅の北側、「SOMETIME」へ。
 今回の主目的、マグナス・ヨルトのジャパンツアー最終日である。
 マグナス・ヨルト(p)ペーター・エルド(b)池長一美(ds)
 ヨルトは去年に初来日したデンマークの新鋭ピアニストである。
 スタンダード(モンクの曲や「ボディ&ソウル」「酒とバラの日々」など)中心だが、その解釈は新鮮……知的にして変幻自在、特にエルドのベースとのからみが素晴らしい。
 ここに池長一美のドラムが加わるから、なんだかラファーロとモチアンのいたエバンス・トリオの新世代バージョンが 誕生したような印象だ。
 ピアノ、ベース、ともに27歳の俊英。ヨーロッパ限定でなく、これからのジャズを発展させていくことになるのだろう。
 23時まで。
 と、終演後10分ほどして夢枕獏さんが現れた。
 獏さんは、このライブのプロデューサーY.Yさんの旦那という立場にあるらしい。2ステージに間に合うつもりが、NHKの収録が2時間近く遅れてしまったのだという。
  *
 ということでヨルトと記念撮影。後ろの青年はエルドではありません。おれの横にいたファン。
 深夜の総武線で帰館。

 5月18日(火) 東京/ウロウロ
 都内をウロウロする日である。
 本日は「追悼」行脚である。
 まず、東横線の自由が丘へ。
 恩人の墓参である。
 諸般の事情で葬儀その他に参列できず、気になっていたのである。
 
 墓は閑静な住宅街にある寺にあった。
 渋谷に戻り、京王で芦花公園へ。
 世田谷文学館へ。
 「星新一展」が開催中である。
 充実した展示……特に「作品の下書き」の実物を初めて見たが、老眼の進んだおれには、読みとるのに苦労する。しかし、その密度(文字の密度と思考の密度)は圧倒的だ。
  *
 館内は撮影禁止。唯一撮影OKのコーナーで星さんと記念撮影する。
 人はほとんどいないので、セルフタイマーで撮影したものである。
 横に星さんが立っているような気分になる。
 午後、日暮里へ。
 ここからは吉村昭氏の散歩コースをたどることにする。
 先日来再読した吉村エッセイの影響である。
 吉村氏の生地は日暮里である。
 日暮里銀座……観光地になってるなあ。目当ての「立ち食いうどん」店は片づけ開始していたる。
 
 谷中霊園を抜ける。
 ここから、上野公園へ。
 緑が多い。東京芸大があり、博物館があり美術館があり、上野駅はよく通ったが、こちら側(文化的エリア)は初めてである。
 吉村氏は若い頃は上野から浅草まで歩いているが、暑いのと歩き疲れたので、上野〜浅草間は地下鉄利用。
 このエリアは荷風散人の散歩コースとも重なる。
 浅草から吾妻橋を渡って東京スカイツリーへ。
  *
 北十間川の橋3つから色々撮ってみるが、源森橋がいちばんの撮影スポットのような。
 完成時を想定すると、28oで撮るには、ここが限界であろう。
 業平橋の工事現場まで行く。本日は379メートルである。
 業平橋から東武で浅草に戻り、いったん帰館。
 歩数計を持ってこなかったが、ここまでたぶん12000歩くらい。
 19時過ぎに神田まで歩き、ボンクラ息子その1と合流。
 なんとか水産という鮮魚居酒屋でビール。たいした店ではなかった。
 近況を色々聞く。
 蕎麦を食いに行こうかという話になり、近くに「尾張屋」(浅草の荷風ちゃん愛好店の支店?)があるのを思い出したのだが、ボンクラ息子その1が、もっといい店があるという。
 電話で問い合わせたら、2名なら相席で可とか。
 
 須田町交差点近くの「隠れ家」的そば屋で、看板らしきものもなし。細い路地の奥にある。普通にはわからんよ。
 「眠庵」という店である。
 相席のおっさん(おれより少し下)が話好きで、その薦めに従って注文。
 冷酒、わさび漬け、そばがき、2種盛り……いずれも絶品、バカうま。
 しかも勘定はボンクラ息子その1が持ってくれた。
 秋葉原まで歩いて帰館。ボンクラ息子その1改メ酔っぱらい親父の息子その1は、おれをホテルに送り届けた後、地下鉄岩本町方向に去る。
 寝るのである。

5月19日(水) 東京→大阪
 早朝にホテルを出て東京駅へ。
 東京駅周辺のビル、ガラス壁のビルばかりで、大阪駅のせせこましさに較べて開放感があるが、いまひとつ面白みもないなあ。
 
 大阪駅周辺みたいにビルが密集していてこそガラス壁が面白いはず。
 帰路はJR昼特急バス。2階最前列の1A席で、東海道を眺めつつ帰る……つもりであったが、箱根あたりから雨が断続的に降り、眺めはいまひとつ。
 
 しかし、伊勢湾の湾岸道から見る製鉄所はたまらんなあ。
 朝刊などで、訃報を色々と知る。
・ハンク・ジョーンズ。91歳。老母の少し上である。偶然ファイブで聞いたのが4年前で、今年も現役であった。すごいピアニストである。
・週刊新潮が世紀の誤報をやった朝日新聞襲撃ニセ実行犯の鳥村征憲(66歳)が富良野で自殺しているのが発見されたという。不思議な人生だ。
・高槻で死体が発見された宇津由子さんの「養父」(豊能町/39歳)が舞鶴でレンタン自殺……豊能町希望ヶ丘は昔の勤務先から山奥へクルマで10分ほどの造成地(おれの勤務中はまだ造成されてないと思う)。マスコミが押しかけても、宿は池田か伏尾温泉しかない。「義父」が失踪するのをマスゴミもチェックできなかったのだろうな。池田署も。見物に行ってみたい場所だが、クルマがなければどうしようもない。希望ヶ丘の状況やいかに。
 夕刻帰館。
 充実した上京であった。
 明日からは穴蔵にこもる。

5月20日(木) 穴蔵
 曇天なり。
 終日穴蔵にこもる。
 寝転がって本を読んでいたら、たちまち眠くなる。
 長距離バスで疲れているのであろう。
 ちょっと起きて、東京で買ってきたCDを聴く。
 オーストリアのクラリネット奏者Stephane Chausseがなかなかいい。
 一杯飲んで早寝。

5月21日(金) 穴蔵/SF検討会
 午前4時に目覚めた。
 昨日はたぶん15/24時間ほど寝たのではないかと思う。
 元気になった。
 張り切って雑事を片づける。SF関係はまるで進行せず。ま、そういうものだ。
 朝のニュース。
・6:58に「あかつき」搭載のH2A打ち上げ中継を見る。成功。おれは「イカロス」の方が気になる。
・韓国の哨戒艦の沈没事故は北朝鮮の魚雷攻撃と発表。残骸の分析はきわめて説得力あり。理由は諸説入り乱れている。これはかんべむさし氏の見解を聞きたいところだ。
 ということで、雑事をあれこれやっていたら、夕刻にかんべむさし氏が焼酎ひと瓶ぶらさげて来穴蔵。
 久しぶりに定員2名・内容非公開のSF検討会なるものを開催する。
 北朝鮮関係については、今回さすがのむさしくんも即断しかねるらしい。
 主な話題は(非公開だからキーワードのみ書くと)
 ・天下り館長の弊害
 ・文章力(レトリックではなく杭打ち)
 ・小説の書き出しと半村作品
 ・米朝師匠の眼力
 ・評伝のお国柄
 ・その他色々……話題は錯綜して、関連あるようなないような。
 メモはとらないし、すぐ忘れてしまうことも多い。
 これは35年以上続けているパターンで、ま、そういうものだ。
 ということで、アホな話を3時間ほど。
 枕頭に面白そうな本を積んで、そろそろ寝るのである。

5月22日(土) 穴蔵/神戸文学館
 天気予報では「下り坂」だったが、朝から快晴である。
 穴蔵にて雑事を片づけていたが、来週からまた田舎行きなので、本日、ちょっと出かけることにする。
 専属料理人と神戸へ行くことにする。
 阪急王子公園から歩いて神戸文学館へ。
 企画展『SF幼年期と神戸』を見るためである。
  
 入口で記帳しようとしてびっくり。
 本日の来館者「芳名録」のいちばん上に「名古屋市 高井信」とあるではないか。
 おれは5番目。
 会場を見回すが、信ちゃんの姿はない。メール入れてみたら「夕刻まで神戸で某講座」ということである。
 早めに来て見ていったらしく、30分くらいのすれ違いらしい。
 展示は……コーナーの展示で(決して嫌みでいうわけではないが、おれの場合はほとんど体験していることばかりで)ちょっと懐かしいなという印象。小松さんの「日本沈没」の生原稿を初めて見たのが珍しいかな。
 「SF幼年期」を60年代と定義してあって、これは正しい。
 拙著やかんべさんとの写真も展示してあったが、これは70年代後半〜80年代で、もう「幼年期」ではない。
 (決して嫌みでいうわけではないが)おれにいってくれれば、もう少し「幼年期」の展示物を出せたのに。
 たとえば、旧NULLは3号1冊だけ。おれはもっと持ってるよ。
 星さんのハガキが展示してあるが、それならおれは、NULL合評会の案内のハガキ(筒井さんの手書き/手書きの地図/ヌルスタジオのゴム印も)を保存している(展示するのがいいかどうかは別だが)。
 写真なら旧NULLの数点がある(展示するのがいいかどうかは別だが)。
 同人誌もOKなら60年代末に出した「パラノイア」(発行は御影の田路氏で神戸である)もあるし。
 おれの所蔵するいちばんの「お宝」は、手塚治虫さんに描いていただいたアセチレン・ランプである。
 これはムック『ある日の手塚治虫』(別冊コミック・ボックス 1999)に経緯とともに公開している。
   *
 1963年6月22日(土)梅田での「SF同人誌『NULL』3周年を祝う会」で、眉村卓さんの『燃える傾斜』出版祝いも兼ねていた。手塚さんも出席されていたのである。
 この「原画」の凄いところは、ケント紙であり、「受付」看板の裏面に描いてもらったのである。したがって表面には、定規をあてたきちんとした文字で「受付」と書かれている。書いたのはヌルスタジオの筒井康隆氏である。
 まさにSF幼年期でなければあり得ないお宝である。
 SHINCONの展示は多いが肝心の「幼年期」旧NULL時代のがほとんどないのが寂しい。筒井さんの協力が得られなかったということか。
 ……などと、色々思いつつ30分ほどで辞す。
 熊内通りを西へぶらぶらと歩き、異人館通りへ。
 土曜だが、人出はさほどでもなし。
 北野坂をくだって、神戸でいちばんうまい中華店「燕京」で遅めのランチ。
 あとは西村珈琲店でコーヒーを買い、イスズ・ベーカリーでパンを買い、センター街少し南の雑貨店を覗くという専属料理人の定番コースにつきあう。
 夕刻よりは早い午後に帰館。
 夜、夕食のために「自宅」へ行く途中、廊下にインコがいるのを見つける。
 はぐれインコで、周囲がよく見えないらしい。
 館内だからいいが、外へ行って野良猫とかカラスに襲われるのも可哀想なので、ダンボール箱ぶっかぶせ(おれの得意な野良猫捕獲方式)で捕まえる。
 
 洗濯用のネットをかぶせて反転、天井がネットの「仮設鳥かご」とする。
 ダンボールに割り箸を通した止まり木を作り、水とパン粉を入れてやる。
 一晩保護、あとで「迷いインコ」表示を貼り出すことにしよう。

5月23日(日) 穴蔵/インコの行方
 雨が降り続くのであった。
 風も強い。
 終日穴蔵にて仕事……のつもりであったが。
 昨日保護したインコについて、貼り紙をしたものの飼い主からの連絡はなし。
 インコについて調べてみたら、エサを含めて、飼い方は難しいような。
 エサはパン粉ではだめなのである。
 昼、傘差して阪急デパートまで行くが、今はペット関係の売り場はないという。
 引き返し、傘差し自転車で天八近くのスーパーへ行って「バードフード・殻つき」を買ってくる。
 苦労するぜ。
 そもそも、わが集合住宅はペット禁止である。ここでいうペットは犬と猫だが、数年前にペットの定義が問題になって、カゴに入れた鳥とか熱帯魚は「免責」という意見が多数だった。ただ、世の中には、おかしな生き物を飼育する輩がいるから、境界はあいまいなままである。
 場合によっては、このインコも殺処分するか公園に放つか……「野生の呼び声」とはちがう問題であるなあ。
 ヤキトリにしても旨いとは思えない。
 専属料理人が感情移入しかけている気配もあり、インコの反応を観察していると、その気持ちわからぬでもなし。
 明日から田舎行き。
 その間の処置事項を専属料理人に申し伝える。
 「飼い主不明ならうちで飼いたい」という申し出があっても理事会決議にするように(殺処分も理事会決議/裁判員制度よね)……等々。
 一杯飲んで早寝するのである。

5月24日(月) 大阪→播州龍野/豪雨の余波
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 大阪は雨は降っておらず、傘を持たずに歩く。
 6時始発の阪神〜山陽電車の特急で姫路、7時40分にJR姫路駅へ行ったら、妙に人が少ない。
 なんと、姫新線・播但線は始発から運転見合わせである。
 昨夜の豪雨のせいらしい。
 播州龍野にいる身内に電話……結局、クルマで姫路まで来て、駅で交替ということにする。
 山陽線下りは市川(姫路の少し東)の水位が上がって遅延……しばらくして運転見合わせとなる。
 山陽線上りは到着が20分遅れ。
 新幹線は正常運転。
 JR神戸・大阪方面へは山陽電車への振り替えをアナウンスしはじめた。
 テレビカメラが取材にきて、「駅員に詰め寄る」場面を撮りたいのだろうけど、皆さん冷静なものである。
 
 むしろ……まだコンコースを自転車で走り抜けるアホがおる。こんなのを撮ってくれよ。
 1時間ほどで身内到着、身内は新幹線で帰る。
 姫新線・播但線の諸君のクルマで渋滞するかと思ったが、スムースに25分で実家に着いた。
 おれは野次馬であるから、さっそく揖保川の増水状況を見に行く。
 
 いつも散歩する用水路沿いの通路は濁流に沈んでいる。
 水位は下の堤防のギリギリで、下流の河川敷までの冠水はない。
 揖保川に関してはたいしたことなし。
 しばらく下男(おとこし)生活に入る。

5月25日(火) 播州龍野の日常
 相も変わらず下男仕事。
 合間に、今頃だが、斎藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』(新人物文庫)を読む。
 傑作。最後の最後まで「犯人」がほとんど出てこないという構成が見事で、宮部みゆき『火車』を思い出すが、小説ではなく、「起きた出来事を時系列で」書いたらこんな構成になったというところが凄い。
 
 昨年6月から、ウチの敷地内に咲く花を観察してきたが、ほぼ1年。
 雑草含めて55種類である。
 4月の開花が15種類で圧倒的に多く、その反動か、5月の開花はほとんどない。
 ドクダミだけかと思っていたら、庭石の横に変な形状のを発見。
 「ユキノシタ」らしい。
 その気で探さなければ一生知らないままであっただろう。
 知ったところでどうってことはないんだけど。

5月26日(水) 播州龍野の日常
 相も変わらず下男仕事。
 合間に書斎からボケーーーーッと庭を眺めて過ごす。
 雲の動きが急で、晴れたり曇ったり。
 運動不足なので、夕刻に近い午後、1時間ほど散歩する。
 揖保川、濃緑色に見える川面は静かだが水量は多い。
  *
 堀邸の土塀に沿って東へ、金輪山小宅寺まで。
  *
 姫新線の踏切で、アンテナ群を戴く新緑の金輪山(片山)を背景に姫路方面に走り去るキハ127系車両を見る。
 センチメンタルになるぜ。
 ということで、日が落ちる。
 老母の夕食につき合って軽くビール。
 20時過ぎ、老母就眠の後、盛岡冷麺(キムチ・トマト・ハム・カイワレどばどば)を作って「神の河」ロック。
 ニューヨークから常盤武彦さんがジョー・ザヴィヌルの写真を送ってくださった。
 『ジャズでめぐるニューヨーク』のなかで、おれがいちばん好きな1枚。ありがたやかたじけなや。
 
 パソコンの待ち受け画面に飾る。
 ザヴィヌルの晩年……2005、6年かな(※)。おれはできれば5年後にはこんな雰囲気()になりたいなあと憧れる。
 ということで、久しぶりに「ウェザー・リポート」を流しながら「神の河」ロックをチビチビ。
 この頃のザヴィヌル(の容貌)はちょっと怖い感じだったなあ……

 ※この写真は常盤氏が1997年に撮影されたものであると教えていただいた。ということは、ザヴィヌルは今のおれと同年である。このダンディズムには逆立ちしても到底かなわない。

5月27日(木) 播州龍野の日常
 相も変わらず下男仕事。厭きてきたなあ。
 合間に週末の講座用の資料を読む。
 書斎からボケーーーーッと庭を眺めていたら、モズが来て石灯籠の先端にとまった。
 
 鳥はじっとしていることがないから、花に較べて、撮るのが難しい。
 見つけから5秒間ほどの勝負で、ガラス窓越しだからピントも甘い。
 3脚立てて狙うほどでもなし。
 ただヤキトリで一杯やりたくなるのであった。
 播州龍野では煙たちこめるヤキトリ屋は望むべくもなく、夜は老母の夕食につきあって、肉じゃが、ヤッコ、白和えなどでビール、20時過ぎに老母が就眠後、明太子パンを囓りつつハーフワイン。
 明日は仮出所。
 早寝するのである。

5月28日(金) 播州龍野→大阪/ウロウロ
 朝も早よから張り切って下男仕事。
 書斎の暖房器具を片づけたのは失敗であった(居間は老母用にまだコタツを使用中)。
 寒いから体を動かすに限るのである。
 午前中の電車で大阪へ移動する。
 昼前に本町の某所へ。
 貿易管理令の最新版を入手するためである。
 貿易管理令と外為令(役務取引許可)の違いを知ったのは10年前で、タイムマシンの輸出でこれだから、ロボットの場合はたいへんで、ロボット(アンドロイド)を乗客として海外に送るアイデア(輸出でなく出張扱い)を思いついたが、法律がややこしくてまだ成功していない。←本気にしないように、エシュロンくん。あくまでもSFの話だから。
 久しぶりに昔の勤務先周辺をぶらぶら。
 また店舗が様変わりしていて、チェーン店が増え、なじみの店は数店になってしまった。
 数少ない1店、安土町の「ふる里」で刺身と天ぷらどっさりの日替わり弁当。
 
 12時半だが空いている。
 900円のランチは高級店の部類なのであろう。
 午後は穴蔵に戻り雑事の処理。
 鳩が福島を罷免のニュース。コメントする気にもならんなあ。
 社民党という政党がまだあるというのも不思議。

5月29日(土) 穴蔵/中之島/創サポ
 快晴である。
 穴蔵にこもって雑事の処理。
 天気がいいので、夕刻に近い午後に這い出て、中之島公園まで歩く。
 バラ園へ。
 満開である。何枚か写真を撮ってみるが、いまひとつである。
 太陽がまぶしすぎるせいだ。
 中之島の東端……17時30分に噴水が吹き上がり、屋形船が来て飛沫の中をくぐり抜けていく。
 少し虹も見える。
  *
 屋形船の中では宴会中。優雅なものだ。
 おや、次兵衛さんも乗ってはる……ような気もしたのであった。
 18時からエルおおさかで創作サポートセンター専科の講義。
 面白い作品があり、非常に高いレベルでの難しい(おそらくベテラン編集者でも答えが出しにくい)質問や議論も出て、20分ほど超過してしまった。
 内容については、特許出願前の明細書みたいな事情もあってマル秘とする。
 先日のニュースでは蓮見恭子さんが横溝正史ミステリ大賞の優秀賞を受賞、これは出版されるらしくデビュー作となるようだ。
 以前から期待されていた人だけに嬉しいことである。

5月30日(日) 穴蔵
 快晴である。
 終日、穴蔵にこもって雑事の処理。
 参院選関係で急に騒がしくなった。
 2時間周期でスピーカーで何やらがなるやつがやって来る。近所の○営住宅の住民相手らしい。
 対抗上、コンポの音量を少し上げて、ベン・ウェブスターの「SEE YOU AT THE FAIR」や雀さんの「くやみ」など流しつつ……後者の場合は仕事にならんけど……少しは仕事もするのであった。
 夕刻に近い午後、(播州龍野用に)韓国冷麺を買いに行くことにする。
 鶴橋まで行くか……自転車で天五の食材店へ行くか……と迷ってたら、専属料理人が徒歩圏にある某商店にあるという。
 許永中氏の生家近くにある店まで散歩を兼ねて行ってみる。
 あった。ちょっとよさそうな。3セット購入。味は食べてみてから報告することに。
 ということで、夜は洋風メニューでダラダラ晩酌。
 明日から田舎行きなので早寝する。

5月31日(月) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 しばらく下男(おとこし/語源は「男衆」であるが)生活に入る。
 周辺の花を観察。
 ザクロが開花している。
 
 5月最後の花である。
年収150万円一家のモリカワが新連載を開始、おれの期待していたレシピ集である。
 パンの耳は入手しにくいけど、色々と参考にさせていただくことに。
・ニュースは社民の政権離脱ばっかり。政治的なことには極力発言しないことにしてるけど、間男内閣がどうしようもないことは昨秋の秋分の頃からわかっていたではないか。夏至近くになってやっと離脱かよ。辻元の泣き顔なんて反吐が出るぜ、前科者めが。
 それにしても、下男と間男、一字違いで大違いだなあ。
 間男を総理に戴く国民の恥ずかしさ……嗚呼。
 と、イライラしつつ、ふて寝。

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