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『マッドサイエンティストの手帳』381

●マッドサイエンティスト日記(2006年9月前半)


主な事件
 ・播州龍野の日常(〜2日)
 ・穴蔵の日々(3〜4日)
 ・播州龍野の日常(5〜8日)
 ・穴蔵の日々(9〜10日)
 ・ハンク・ジョーンズ!(9日)
 ・播州龍野の日常(11日〜)



9月1日(金) 播州龍野の日常/複眼の映像
 早寝したら2時前に「寒くて」目が覚めた。
 室温28℃。そういえばもう9月である。
 おれはもう「セプテンバー・ソング」の年齢はとっくに過ぎている。キンタマが収縮する冬の到来を予感して憂鬱になるのであった。
 本日もタイムマシン格納庫で仕事。
 その間、入歯破損の老母を歯科へ連れて行ったり、補聴器の調子がおかしいのでチェックにいったり、サイボーグのメンテナンスもたいへんである。
 タイムマシン格納庫とサイボーグ格納庫を4往復。
 橋本忍『複眼の映像――私と黒澤明』(文芸春秋)。
 橋本忍の体験的黒沢論。というよりも、きわめて生々しいシナリオ執筆の現場報告である。
 前半は「羅生門」「生きる」「七人の侍」を中心に橋本忍が脚本家として成長する過程が語られる。多くは黒沢明と旅館にこもっての議論と執筆である。
 これはこれで面白いが、こちらが知りたいのは具体的な執筆作業である。ひとつの机を囲んで、いったいどんな手順で執筆するのか……。
 これが後半で明かされる。
 へえ〜〜っ、共同執筆(あくまでも黒沢映画に限る)の実態とはこういうことなのかと感嘆。要点だけ書けば「朝から夕方まで、同室で、それぞれが同じ場面を個別に執筆する。それを回し読みして、いいのを採用する。あるいはいいところを組み合わせる。」これが数十日つづけられる。
 毎日がコンテストなのである。
 タイトルの「複眼の映像」の意味はここにある。共同執筆のシステムが変化したあたりから黒沢作品も変わっていく。特に「一字も書かない“司令塔”小國英雄」の存在感がすごい。
 黒澤作品は何度も見ているけど、また見方が変わりそうな……。

9月2日(土) 播州龍野→大阪
 晴れた空にすじ雲がかかり、秋の気配。センチメンタルになるぜ、イヒヒ……と殿山泰司気分である。
 本日出所、大阪(シャバ)へ戻れる日であるが、午前中に届くはずの荷物の到着が遅い。
 昼過ぎにやっと某社からモデムが届く。
 さっそく接続、無事ADSLは復帰した。
 ただしソフトはなーーーーんもなし。来週インストールすることにして、午後の電車で大阪に移動。
 久しぶりに「自分で作らない食事」。
 イタ系メニューで谷口英治の新CD聴きながらワイン。
 やっぱりこういう生活がいいなあ。
 調理について専属料理人に色々教えてもらいたいことがあるのだが、いったん帰宅してしまうと、横で見ているのすら面倒になる。
 それに、料理をほめられたりすると怖い。
 ハリー・クレッシング『料理人』を読んで以来、厨房に入ると家を乗っ取られるという強迫観念が消えないのである。

9月3日(日) 穴蔵
 終日穴蔵。
 たまっている雑用を粛々と処理。
 近所のマンション工事も日曜は休みで静かなもの。窓を開けて扇風機で風を通しているだけできわめて快適である。
 が、また明日からしばらく田舎に「収監」である。
 しばしの別れに刺身で一杯やりたいと専属料理人にメール連絡したら、すでにそのような用意を調えつつあった。以心伝心なりや。
 ということで、夜は刺身中心の和風メニューで、某所からいただいた秋田の酒「刈穂」大吟醸を一献。
 
 辛口でまろやか……ちとやばい酒である。つい飲み過ぎそうな。
 そして案の定飲み過ぎてしまった。

9月4日(月) 大阪→播州龍野
 岐阜県庁が裏金500万円を焼却したという事件に関して「実は一部が飲み食いに使われていた」という報道。
 焼却なんて誰も信じとらんだろ?
 ネコババに決まっている。
 死体は焼けても札束は焼けないよ。経験したわけじゃないけど。
 昔の『七人の刑事』の一話に、吝嗇な婆さんが殺人犯というのがあった。偽装工作で死体のそばに紙幣を捨てるのだが、千円札が惜しくなって五百円札に取り替える、そのため目撃証言に食い違いが生じて足がつくという設定のがあったと思う。おれはおそろしいリアリティを感じたね。
 ネコババ役人、吐け、吐いて楽になれ……。
 というわけで『朝ミラ』のアタマを10分ほど聞いたあと、早朝の電車で播州龍野へ移動。
 タイムマシン格納庫にこもる。
 明らかに涼しくなっており、格納庫の室温、ピークの午後2時でも40℃までしかあがらない。これなら肉体労働もできる温度である。
 夜は盛大にビール。
 午後10時からNHKで渥美清の特集があるようだが、とても起きてられない。大阪に録画依頼して9時前に就眠である。

9月5日(火) 播州龍野の日常
 タイムマシン格納庫にこもる。
 涼しくなって、作業で汗をかかないのはいいが、その分、夜のビールがうまくない……というのは贅沢か。
 平野貞夫『ロッキード事件 葬られた真実』(講談社)。
 長年、前尾繁三郎の秘書をつとめ、その後参議院議員という経歴から、おれだけが絶対公正という臭いが鼻につくが、終章で幾つか秘密の暴露がある。
 特に児玉誉士夫の喚問拒否事情。児玉を「児玉様」と呼ぶ主治医・東京女子医大の喜多村孝一が国会医師団の診察の前に「セルシン・フェノバール」を注射して意識障害状態にした。これを指示できたのは「限りなく黒に近い灰色」の中曽根康弘以外にありえないというのがすごい。
 丸紅ルートが冤罪とは思わないが、児玉ルートは逃げ切ったのは確か。
 大勲位が今ものうのうと生きているのがおそろしいね。

9月6日(水) 播州龍野の日常
 タイムマシン格納庫にこもる。
 某国からメール。英語圏ではなく、共通語が英語しかないアジア圏から。
 タイムマシンのトラブルについてらしい。「instruments」が「same question」を持っていて「place 2~3 days」で「stop work」するらしく「detail circuit drawing」を「supply」してくれというのだが……うーん、どうしたものか。
 よくわからないので、こちらもいくつかの質問を送る。同レベルのやりとりになりそうで、さらに混迷の度を深めそうな。
 次のメールが来るまでにYES/NOで答えてもらう「問診票」を試作する。
 「Trouble shooting」のための「FAQ」は用意しておくべきなのだが、ふだん「Question」自体が少ないものだから、体系的にまとめられないのである。
 故障が少ないからか、顧客が少ないからか、判断に迷うところだ。
 寒くなって、夜はおれだけキムチ鍋。
 キムチを食べて、ああそうだ、冬季の代用冷麺用に「そうめんぶっかけつゆ」を買いだめしておかねばならぬことを思い出す。まだ売り場にあるか。
 冷たいそうめんの季節は終わった。
 そろそろ暖房器具の点検を始めねばならぬ。

9月7日(木) 播州龍野の日常
 小雨が降り続くのであった。
 終日タイムマシン格納庫にこもる……というわけにもいかず。
 途中、老母を定期検診のため某医院へ連れて行く。
 昼前に終了。
 老母がそうめんを希望するので「はりま路」へ行って昼食。近所にありながら、老母を連れてくるのは初めてであった。梅おろしそうめん。……ここのメニューは観光コースになっている「そうめんの里」のレストランより充実している。
 ついでに買い物に回る。
 「ぶっかけつゆ」の確保を思い出して棚を探すが、店頭からは見事に消えている。寄せ鍋のつゆなど、秋冬ものばかり。
 代用冷麺用には鶴橋あたりで本格的冷麺スープを探すしかないか。
 「出所」したら鶴橋へ行くことにしよう。

9月8日(金) 播州龍野→大阪
 朝3時に目が覚めた。
 龍野にいるとどうしても早寝早起きが過剰に進行する。
 朝刊が届くまで、麻生幾『瀕死のライオン』上巻。「敵側」の動きが遅い感じだ。
 タイムマシン格納庫にて見張り番。
 夕方に近い午後、店じまいとする。
 1週間のミッション終了、夕刻の電車で帰阪。
 遅めの晩酌となる。
 播州龍野では(おれが作るわけだから)シンプルなメニューで盛大にビールを飲むパターンだが、大阪に戻ると、専属料理人のメニュー、隠し味とかトッピングが複雑で戸惑う。ビールがぶ飲みメニューではなく、冷酒じっくりメニューとでもいうか。
 タイクン(?とでもいうのか……スモークサーモンの鯛版)で「刈穂」大吟醸をチビチビ。酔っぱらって早寝。

9月9日(土) 穴蔵/ファイブ/ハンク
 穴蔵にこもる。
 たまっている雑件を粛々と処理……のつもりであったが、ちょっと寝転がって新聞や雑誌を読んでいたら、たちまち眠ってしまう。
 気がつけば夕刻に近い。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
 久しぶりにビール飲みながら「SF検討会」を開催。といっても夏枯れか、本日はこれといった中心テーマはなし。来週オープンする「繁盛亭」についておれなりの意見を申し述べたところ、それは某大家とほぼ同意見なのだという。やはり前途多難か。
 21時前。
 雑件はまったく片づいてないが、しばらくライブから遠ざかっているので、自転車で久しぶりにニュー・サントリー5へ行く。ニューオリンズ・ラスカルズの出演日。
 2ndステージから聴く。
 トランペットはレッドビーンズの池本さん。ゲストもいろいろ。摂南大で永田充康さんといっしょだった(確かAlgiers Superiorsの)クラとバンジョーなど。ヴォーカルの森“TonTon”朋子さんも。
 と、途中……ふらっと入ってきたうちのひとり、どこかで見たような風貌、まさか、いややっぱり……なんとハンク・ジョーンズである。
 案内してきたのは名盤「You Rascal You」をプロデュースした伊藤さんである。
 なんでも「明日神戸の歯医者へ行くため」の前入りなんだそうな。
 ハンク・ジョーンズ氏、TonTonの歌う「In The Garden」を聴いて、「子供の頃、教会へ通っていた頃を思い出して、とてもよかった」と、2ndステージの最後2曲に参加、「サヴォイ・ブルース」「アヴァロン」。
 まさかファイブでハンク・ジョーンズとラスカルズのセッションが聴けるとは想像もしていなかった。
  
 記念撮影にも快く応じてくれた。福田さんとともに記念的1枚。
 Kさん、「おれは参加アルバムも含めると3、40枚は持っているのに……」と、予想もしないことだから、サイン用のLPやCDを持っているもの皆無。木村さんがスネアを持っていってサインを貰っているのが印象的であった。
 3rdステージ、最後にソロで「メモリーズ・オブ・ユー」、そしてトランペットとドラムとのトリオで「ボディ・アンド・ソウル」。
 ハンクは1918年生まれで88歳……調べてみると、わが老母よりも3ヶ月ほど「年長」ではないか。
 指はよく動くし歌心はあるし近日新CDも出るらしいし、ともかく元気だ。
 こんなことがあると、やっぱり生きててよかったと思うなあ。

9月10日(日) 穴蔵
 終日穴蔵にこもる。
 明日からまた田舎行きなので、雑事を粛々と片づけるのであった。
 昨夜のハンク・ジョーンズ感激が尾を引いていて、ちょっと気になってCDを調べてみると、たちまち10枚ほど出てきた。Kさんが数十枚は持っているというのは大げさではなく、ちょっとしたジャズ・ファンなら意識せずとも参加アルバムを2、30枚は所蔵しているのではないか。
 おれは「サトリズム」はじめ、尾田悟関係のがメインだけど、ナベサダや、ペギー葉山の「よさこいインJAZZ」なんてのまで出てきた。
 ただ、テディ・ウィルソン、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ビル・エバンス、トミー・フラナガンと並べてみると、ハンクのリーダー・アルバムは「グレート・ジャズ・トリオ」1枚だけ。申し訳ない気分になる。反省して、来週からリーダー・アルバム中心に聴くことにする。
 夜は専属料理人に色々並べてもらって、ビール、ワイン飲みながら「SOMETHIN' ELSE」……軽々しくスタイル云々とはいえないけど、昨夜の雰囲気と変わらないことに驚く。
 酩酊。

9月11日(月) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 JR姫路駅、昨日(9月10日)から姫新線ホームが旧山陽線ホーム西半分に移ったということで、駅員総出(でもないか)で案内している。
 
 正面改札を入ったところだったのが、いったん地下道をくぐらねばならぬ。
 このホーム間を「埋め立て」てコンコース化する計画らしい。
 駅員氏に訊けば、仮歩道が今月26日にでき、姫新線の高架化は2年後ですと教えてくれた。
 案外早いではないか。おれは5、6年先かと思っていた。
 9時前に本竜野着。
 夕刻までタイムマシン格納庫にこもる。
 『瀕死のライオン』読了……肝心の終盤、明らかに書き急ぎである。

9月12日(火) 播州龍野の日常/列島縦断・東の旅
 タイムマシン格納庫にて見張り番。
 曇天にして時に小雨。秋雨前線が停滞して、しばらくはこんな天気がつづくらしい。
 天気図を見ると、秋晴れは北海道だけらしい。
 この時刻、北海道・宗谷岬の「日本北端」から「ぶんきちくん」(←これはK夫妻の合成名称である)が千葉目指して歩き始めたようである。
 「ぶんきちくん」は一昨年、千葉から故郷鹿児島(内之浦)までを徒歩で旅したご夫妻で、その記録は『千葉から鹿児島へ 夫婦歩き旅』にまとめられている。
 こうなると日本縦断をやりたくなり、今度は東日本篇。宗谷岬から千葉までにチャレンジする。本日スタートである。
 つい先日この計画を聞いて、それなら携帯でも書き込めるからブログを開設して中継したらどうかと提案したら、なんと、出発前日にブログが開設された。
 「ぶんきち夫婦歩き旅」がそれである。
 お嬢さんふたりがブログ支援しているらしい。
 前回の「歩き旅」の最中に泥棒に入られる事件があって、ブログでの道中公開はちょっと迷ったらしい。
 が、前回の泥棒はそんな事情は知らずに入ったわけだし、むしろブログで千葉方面に支援者が増える方が安全ではないか。
 新聞でも大きく報道されたようだし。
 ということで、こちらからもリンクを張って応援。
 日本列島を徒歩で縦断は過去にも例があるが、夫婦で踏破となると史上はじめての記録ではないかな。
 ぶんきちくんの健脚を祈る。

9月13日(水) 播州龍野の日常
 秋雨前線が停滞、終日小雨が降り続く。
 室温23℃でおれにはつらい。
 キンタマの収縮する冬の到来を予感して気が重くなるのであった。
 本日もタイムマシン格納庫にこもる。
 老母が「皇室関係の記事を読みたい」というので、昨日、週刊朝日を買った。
 新宮関係よりも面白いのが、嵐山光三郎「コンセント抜いたか」の『ぼくらの仲間、県庁裏金隊』……岐阜県庁の裏金事件についてである。
 この件については、9月4日に書いた。
 おれ「焼却のはずがない。ネコババに決まってる」
 と、コメントがついて、
 北野「焼却というのは符丁でしょう」
 三村「償却といったのかもしれない」
 で、さすが不良オヤジ、まさに同じ文脈である。
 ただし、冒頭に紹介してあるエピソードがすごい。
 嵐山氏は40年ほど前、ラブミー牧場で深沢七郎が50万円を前の川にばらまいたのを見たという。
 深沢七郎が某出版社に対して怒って、そこの社長が持参した印税50万円(1万円札50枚)を川にばらまいたというのである。
 40年前の50万だから、岐阜の役人が焼いたという額と実感としてはほぼ同じ。
 ゲンナマを捨てることでは同じだが、深沢七郎は自分で稼いだ金、岐阜県庁は税金と、まったく違う。
 そして「小役人に現金を焼く度胸はない」と。ここから、ネコババ→焼却は符丁で、償却に通ずと展開されて、赤胴鈴之助の替え歌(これがタイトル)まで作っている。
 で、最後に50万バラマキのつづきが紹介される。
 出版社社長が帰ったあと、嵐山氏と当時いた料理人のふたりで一万円札を拾い集めた。翌朝も含めて、回収できたのは42枚だったという。
 すごい話だが、名手・光三郎はんにしては、これでは画竜点睛を欠く。
 その42万円がどうなったのかを書いてくれなくては。
 @深沢七郎が受け取った。
 Aふたりで分けろとポンとくれた。
 B拾得物として交番に届けた。
 Cネコババした。
 書いてないってことは、まさかCではあるまいな。

9月14日(木) 播州龍野の日常
 タイムマシン格納庫にこもる。
 明日は「出所」、その後には森山威男コンサートが控えているかと思うと嬉しくなって、思わず歌が出ちゃうね。
 カモメ〜の水兵さんっ……と、これは杉浦茂先生のフレーズ。
 夕刻からは冷蔵庫整理モードに入る。
 母がナスを焼きおれがサンマを焼く、また楽しからずや。
 これに枝豆、湯豆腐、鰊の昆布巻き、筍土佐煮、カイワレに辛明太子など並べて盛大にビール。
 片づけが面倒になるが、きちんと洗い物もこなすのであった。
 もう寝るのである。

9月15日(金) 播州龍野→大阪
 秋である。
 タイムマシン格納庫にて雑務。午前中で店じまいとする。世間は3連休らしいので、それに倣う。
 昼前に身内到着、見張り交替して、おれは昼間の電車で帰阪。
 大阪駅。
 ヨジバシ西側、工事中の北ヤードの空。
 田舎の空よりもこちらに懐かしさを感じるなあ。
 
 こういう写真に一句添えるのは永瀬唯氏が意外にうまいのだが、元気なんだろうか。
 穴蔵に戻る。
 早寝。

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