『マッドサイエンティストの手帳』425
●マッドサイエンティスト日記(2008年4月前半)
主な事件
・花見(3〜6日)
・滝川・鈴木2clセッション(9日)
4月1日(火) 播州龍野の日常
相変わらずの下男仕事。飽きてきたなあ……。
合間にタイムマシン関係の業務も。
某取引先から「環境マネジメントシステム」や「RoHS」についての問い合わせ文書がくる。
煩わしいことである。
わがタイムマシン社はエネルギーはすべて「未来」から吸い上げ、赤外線を「未来」に放出して、クリーンな製品だけを「現在」に売って生命を維持しているのである。
が、この詳細を明かすわけにはいかんからなあ。
ISO14001とかなんとか「外部認証」などもってのほかである……などと、本気にしないように→エシュロンくん(というフレーズも久しぶりだな。エシュロン、稼働しとるんだろうね)。
午後、運動不足なので散歩。
「ガレリア」でコーヒー。
あと、揖保川沿い上流へ30分ほど歩く。
祇園橋上流、2月に大がかりにやってた「国土交通省」の工事が終わったらしく、石造りの河岸が完成している。
なんとも殺風景な。
去年3月には水辺まで歩けたのだが……。
また懐かしき風景が失われた。
ということで、本日も、夜は老母が寝たあと、キムチドバドバの盛岡冷麺で「神の河」。
そろそろ早寝。
明日は大阪に帰れそうである。
4月2日(水) 播州龍野→大阪
朝から慌ただしく下男仕事を遂行する。
昼の電車で大阪へ移動。
大阪の某社へ行ってタイムマシン制御部に関しての打ち合わせ。
新型の納期が繰り上がったために色々無理をお願いせねばならぬ。
これひとえに神様仏様ゼンジー北京様のおかげあるね。
わがマシンの息の長さ(完成度が高い証左でもある)に較べて、周辺部品のモデルチェンジの早さを改めて実感する。
携帯電話関係などロットごとに生産中止になるらしい。
「名器」が生まれにくい時代になったのだなあ……。
夕刻帰館。
夜は居住している集合住宅の大規模修繕委員会。
案件多し。
22時過ぎてやっと晩酌。
と、東京のボンクラ息子その1からモーニングコール依頼メール。
うーん、おれがきちんと起床できるか心配になってくる。
4月3日(木) 穴蔵/ウロウロ
朝寝坊してしまった。ふだんより1時間遅く、午前5時に目が覚める。
6時にボンクラ息子その1にモーニングコール。
4月に「昇進」したために、早朝会議があるのだとか。
おれの若い時よりがんばっているような。
ということで、おれも山積している雑事の消化。
午後、自転車で、銀行関係などで出かけたついでに、ハチに寄ってヒーコ、「ジャズの専門店ミムラ」に寄ってアラン・バッシェの新譜1枚、天神橋筋を北上、ワイルドバンチに寄ってバーボンのロックを1杯。
ま、しばらくごぶさたの挨拶回りである。
天気がいいので、帰路、毛馬橋を渡り、毛馬堤、毛馬閘門を経由して、淀川河川敷を走って帰る。
毛馬周辺、桜が満開である。
柴島浄水場もそうだが、明治の「水」関係近代遺産の周辺には、桜の古木と赤レンガという組み合わせが多く残っている。紡績工場もそうだったのだが、赤レンガの工場は都心にはもう残ってないなあ。
ということで、夜は専属料理人に色々並べてもらってビール、湯割り。
早寝するのである。
4月4日(金) 穴蔵/「花見」見物
終日穴蔵、少しは仕事もする……つもりであったが、午後、青空書房の坂本さんから電話あり、自転車でちょっと遊びに行く。
すぐ近くの喫茶店店主がつい先日急逝、たいへんだったらしい。時々利用した店である。
年齢はおれとさほど変わらず。それでも商店街では「若手」であったらしい。
トラディショナル・ジャズの世界に似ているなあ。
帰館して雑用片づけていたら、大学同級のKくんから電話。すぐ近所の公園にいるという。
近くの居酒屋で、これから花見兼ねた宴会という。20分ほど立ち話。
うちの近所の「豊崎西公園」、べつに桜の名所ではないのだが、十数本ある桜の下、早くもシートがあちこちに敷かれている。
今夜が花見のピークらしい。
ということで、晩酌の後、公園を見物に行ってみる。
午後8時頃……2、30人のグループが4ヶ所ほどで宴会中。
さらに凄いのは、東側、子供用の砂場……白い柵の向こう側に、びっしりと推定100人近くが地面に座っている!
公園全体で150〜200人はいるのではないか?
N本酒店は大喜び、この十年近く定住しているホームレス諸君は大迷惑であろうなあ。
おれ? 早寝である。
そろそろ就眠と思ったところに、宮崎のテリーくんから電話。宮崎特産「タコが混じっている可能性の高い」ちりめんを送ったからねという連絡である。
うれしいことである。
そういえば先日、確定申告による還付金が振り込まれたばかり。
この夏には森山威男クインテット追っかけで宮崎のジャズフェスに行く。その費用が確保できたわけである。
テリーくん、お礼はその時だ。明日は冷酒でいくか白ワインでいくか……。
4月5日(土) 穴蔵/「花見跡」見物/ちりめんタコ
宴のあと……。
朝9時半に公園に出てみる。
昨夜の大宴会のあと、きれいなものである。
残飯散乱、野良諸君大喜びと予想していたのだが、近くの会社の諸君、マナーはいいのであった。
それどころか、一角ではもう花見宴会が始まっている。昨夜の砂場東側ではバーベキューの準備も進行中である。
天気がよく、おれも花見に出かけてみたい気分なきにしもあらずだが、たぶん、どこへ行っても酔客見物にしかならないだろう。
結局、終日穴蔵。
宮崎のテリーくんから「ちりめん」が届いた。
これがなんと浜で天日干ししただけみたいな「荒っぽい」もの。
夜はこれで一献。
大小不揃いで、噛みしめると、磯の香がただよってくる。
しかも、小鉢にひとつまみ盛ったらちりめんタコが1、2匹入っている!という逸品なのである。
ちりめんタコは昨年3月以来、1年ぶりである。
そんなに好きならと、おれの小鉢に小タコ諸君に集まってもらった。
他に和風の数皿並べてもらって、ビール、「やたがらす」冷酒。
ちりめんは宮崎に限るなあ……。
4月6日(日) 穴蔵/「花見客」見
本日も好天なり。
朝から少しは仕事もするのであった。
11時前、少し体を動かしたくなり、専属料理人に「お弁当」を作ってもらって、自転車で花見(「花見のアホ」見物というか、最後の花見というか…そんな気分になって)に行くことにする。
専属料理人も同行したい気配なきにしもあらずであったが、修繕工事関係とか明日のボランティアのなんとかの準備があるらしいので、おれひとりである。
本日は、わが徘徊地図では東回り+Xのコースをとることにする。
淀川堤を上流に走り、毛馬閘門を渡る。
ここから大川の東岸を南下。
大阪拘置所というか喜多哲士さんちというか似たようなものというか、その近くにくると、盛大なバーベキュー大会が始まり、これが延々と天満橋までつづく、また凄まじからずや。
環状線・桜宮の南あたりがいちばん盛んである。
安全のため、自転車は押して歩かねばならぬほど。
お、どこからか水陸両用バスが出現、ザッパーンと進水式を行った。
進水前に車内で席の配置に注意していたような。バランスのためであろう。
残念ながら転覆はしなかった。
天満から京橋口経由で大阪城へ。
ボンクラ息子その1が小学校上級の時に自転車で来たことを思い出した。
20年は経ってないか。
内堀より中はラッシュ並みの混雑で、ここで引き返す。
天満橋から梅田経由で帰館。
せっかく「お弁当」を持っていたのだが、周囲はすべて大宴会で、近くでひとり弁当を広げる気分にはならず。
……孤独な旅をつづけて異星にたどり着いたら見知らぬ種族が宴会の最中であった……という設定を思いつく。なんとか作品にできないかと自転車で走りつつ考えたら、なんと『虚無回廊』がそうではないか!
何をやっても小松ワールドの内部なり。
缶ビールを買って帰り、穴蔵にて少し遅めの「孤独なる昼宴会」を行う。
ちょっと仮眠。
夜はちりめん入り和風グラタン+天然酵母のパン(テリー夫人節ちゃん謹製)などでワイン。
春の休暇は終わった。
明日からは少しは仕事もするのである。
4月7日(月) 穴蔵
曇天が昼前から雨となる。
花散らしの雨ならんや。今年の桜は長命過ぎたのである。
終日穴蔵。
ともかくほとんどの時間、机に向かって過ごす。
仕事が進んだかとどうかは別の話である。
夕刻、川内康範死去のニュース。ほほう。
進ちゃん、どう出る。法的には歌えてもなあ。「おやじさん」なる曲を誰かが作るか。
早寝するのである。
4月8日(火) 穴蔵
定刻午前4時に起床。
少しは仕事もするつもりで、机に向かって過ごす。
仕事が進んだかとどうかは別の話である。
昼、ハチ・ランチ。自転車で往復である。
午後も穴蔵。
息抜きで、2時間ほど、「SOLITON STUDIO」で、ジョージ・ルイス『JASS AT OHIO UNION』のCD化を行う。
この箱入り2枚組4000円を買ったのは70年代半ばだと思う。
20年ほど聴いてなかったのだが、久しぶりに取り出すと、なんと解説書の表紙写真が今高英一さん撮影であった。
『ジョージ・ルイス』の表紙写真の撮影者である(撮影日時も同じ)。
奥ゆかしい方で、自分の業績をなかなか自分からは話されないのである。
30年ほど気づかなかった。
ということで、夜はルイスのクラ、マレロのバンジョーを聴きながら、「消音画面」でアニキの2000本目不発を眺めつつ、ビール、ワイン。
早寝するのである。
明日こそは、少しは仕事をしなければ。
4月9日(水) 穴蔵/滝川・鈴木2clセッション
曇天なり。
朝刊1面に「くいだおれ」閉店のニュース。7月で店じまいとなるらしい。
看板は有名だが、入ったことない。大阪に限らず、名所なるところには入場したことがないなあ。通天閣にも登ったことがないし、大阪城の天守閣には海外からに客の案内を命じられて一度だけ登ったことがあるが、自分の意志からではない。連れて行った「客」もつまらなそうで、どこに興味があると訊けば「日本橋」であった。
名所だけど客が入らなければ閉店やむなしであろう。
ひとつだけ心残りなのは……開高健の初期のルポ『日本人の遊び場』に出てくるメニューである。この中の「食いだおれ」の章に「今夜まにあう金玉料理」というメニューが出てくる。気になって、一度、人形の奥にある見本ケースをチェックしてみたが、残念ながら見当たらなかった。1963年のルポだから、メニューから消えてしまったのだろう。
して、その「金玉料理」の正体は? 原典に当たってくだされい……キンタマとは読まないようである。
終日穴蔵。
夜に這い出て、地下鉄で難波へ。
「845」で滝川雅弘さんと鈴木孝紀さんの2clセッション。
大野綾子(p)中村尚美(b)高阪照雄(ds)。
このおふたりのセッションは時々あるのだが、タイミングが悪くて、本当に久しぶり。
レパートリーが増えていて、初めて聴く曲が多い。鈴木さん急成長である。
デフランコとトニー・スコットのデュオがベースという超絶的アレンジの「After You've Gone」を聴いたが……この出典?はあるのだろうか。
調べてみるべきことまたひとつ発生である。
4月10日(木) 穴蔵
雨である。
終日穴蔵。
少しは仕事もする……つもりであったが、今ひとつ気合いが入らず、断続的に読んだり聴いたりテレビを見たり。
色々なニュースを断片的に見る。
青い軍団が聖火を囲み人目を避けてアメリカ国土を走るというシュールな光景があれば、いちばんくだらないのは朝青龍の(精神的)包茎手術をしたホーケー医師が婚約解消されていたというニュース。
ったく、そんなことはどうでもええやないかないか道頓堀の角座(←というのは、3Paulsくんの晒すな日記に時々出てくるフレーズだけど)。
むちゃくちゃで五座りまするがな、あほらしさに呆然寺横丁。
4月11日(金) 穴蔵
昨夜、夕食時に「ごはん」(パーティ・サイズのミニ・カレーだが)を食べたら、胃にもたれて早寝できず、ごろ寝して本を読んだり机に向かったりしているうちに夜が明けてしまった。
「自宅」へ行って、午前5時に朝刊を読み、昨夜の残り物でビールを飲む。
午前11時過ぎまで睡眠。
昼前に起きて、しばらくして昼飯。
これは絶対に陥ってはならぬと固く禁じてきた生活パターンである。
好きなときに寝て気が向けば起きるという生活は(若い頃から自由業の人ならともかく、根が怠惰なおれの場合)たちまち自堕落な生活に陥るに決まっている。
ということで、ともかく早寝早起きのパターンに戻さねばならぬ。
夜、重い食事はせず、ビール、ワインはたくさん飲み、そろそろ早寝する。
4月12日(土) 穴蔵/ウロウロ
朝6時30分まで熟睡、おれとしてはかなりの朝寝坊である。
かぐやが撮った「満地球」の映像、14インチ画面で見てもちょっと感動……市立科学館のオムニマックスで見てみたいものだ。
将来、月のニアサイドの別荘では、地球の満ち欠けや雲の変化を眺めて過ごすわけで、なるほど富士山の見える別荘が好まれるのはこういう理由かと納得。ちょっとちがうか。
終日穴蔵……のつもりであったが、集合住宅の大規模修繕工事で、穴蔵の玄関扉の塗装(下塗り)、しばらく乾燥させる必要あるが、窓を全開にして風を通すと花粉が舞い込むし、閉じたままだと溶剤の臭いがたちこめるし、困ったものである。
最小限の換気状態にして、午後は出かける。
夏のDAICON7の企画のひとつに「梅田地下オデッセイ・ツアー」というのが組み込まれるという(メインの企画ではなく、ある企画の1コーナーみたいなもの……詳しくは、正規発表後に紹介)。
ジュンク堂へ行くついでに、ロケハンを兼ねて、梅田地下街を北端からほぼ南端まで歩く。
30年間で梅地下は大変貌しており、モデルにしたポイント数ヶ所、昔のままのは数えるほど。まるで遺跡巡りである。
……しかし、やはり現場は歩いてみるもの。アイデアは色々出てくる。
帰路は地上、JR西側から北ヤードの工事現場に沿って歩く。
大阪駅から200メートルほどの場所にまだこんな長屋が残っているとは、今まで気づかなかった。
ということで、夜はサンテレで『遠い空のむこうに』を見ながらビール。
8年前に見て以来だが、やはり泣けるねえ。
4月13日(日) 穴蔵
定刻午前4時に起床。普通の生活パターンに戻った。
5時過ぎから朝刊読みつつ、NHK「日本の話芸」の再放送……桂歌丸『お茶汲み』。……女郎買いの噺である。マクラで、自分の生家が遊郭であった話から、子供の頃の記憶、当時(昭和)の女郎屋のしきたりなどを話してから噺に入るから、妙に生々しく、笑うに笑えない。朝から聞く噺ではないなあ。
終日穴蔵。
明日から播州龍野行きである。
それまでに色々片づけるはずが……結局、資料など色々持っていく他ないようである。
4月14日(月) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
龍野はまだ桜がだいぶ残っている。
庭には牡丹が開花しはじめ、紫木蓮が咲いている。その向こうにはおれに似合いのボケの花。さらに名前不明の花色々。にぎやかなことである。
が、花なんぞ眺めている時ではない。
こういう陽気になるとS字型に用心しなければ。
次の忌避剤散布は連休明けか。
ということで下男(おとこし)仕事モード入り、また楽しからずや。
4月15日(火) 播州龍野の日常
晴天である。
放射冷却で朝の室内は肌寒い。朝は老母がしばらくストーブをつける。
築100年の陋屋、内部にいる限りうすら寒い日が続く。5月になっても連休明けまでストーブは片づけないものなあ。
下男仕事色々の後、本日よりタイムマシン格納庫にて某国へ送る予定のマシン組立作業に入る。
これみなゼンジー北京師匠の御利益あるね。
午後、スレートの格納庫は温度急上昇。
14時には31℃になった。
朝はストーブ、午後はシャツ1枚、家屋の構造でこうもちがうか。
ということで、夜のビールのうまいこと。肉体労働はするものだ。
龍野の夜は早い。18時過ぎ、老母の夕食につきあって、冷や奴、みりん干しでビール一杯。
老母就眠後(といっても20時頃から)、恒例のキムチ・トマト・たまご・ハム・カイワレをドバドバの盛岡冷麺で「神の河」水割り。たまらんなあ。
といっても、晩酌終了21時前である。
早寝する。
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