『マッドサイエンティストの手帳』422

●マッドサイエンティスト日記(2008年2月後半)


主な事件
 ・梅林/モラスキーさん(21日)
 ・宇宙作家クラブ/創サポ(23日)
 ・「親友交歓」(24日)


2月16日(土) 大阪→播州龍野
 午前5時、未明の空は晴れ。放射冷却+寒波で寒そうである。
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 USBターンテーブル「TTUSB10」を下げて移動。かさばるが軽いので助かる。
 姫新線、本竜野の手前、欅坂トンネルを抜けるとゴミ処理場だった。
 
 正確には「一般廃棄物最終処分場」というらしい。
 しばらく来ないうちに高い塀が作られている。いつからどのようなゴミが搬入されるのやら。
 下男仕事色々。

2月17日(日) 播州龍野の日常
 大阪から運んできた
USBターンテーブル「TTUSB10」をパソコンに接続、LPのデジタル化を試みる。
 付属しているのはAudacityという音声処理のフリーソフトである。
 オーディオ機器は大阪のが高性能、パソコンは龍野がXP(大阪はWin98)とネジレているために、こういうややこしいことになる。
 
 WAVEへの変換はごく簡単にできる。あとこれを音楽用CD-Rに書き込み。
 40分ほどのLPが1時間ほどでCD化できたが……。
 音質はどなんものか。
 ・もとのLP。
 ・デジタル化したCD。
 ・市販のCD。
 この3種類をハチで聴き比べて判定することになっているのだが……ハチの装置を使うまでもなく、携帯プレイヤーでも違いは歴然。カートリッジの変更で音質が上げられるのか、ソフトの問題なのか。泥沼に入らないよう注意しなければ。
 夕刻、「R−1ぐらんぷり2008」を見る。
 この種の番組は久しぶりだが、「年1回」では売り出しにくいだろうなあ。
 昔の「お笑いスター誕生」は週1。これを勝ち抜く過程で芸域の広さが判定できたが(イッセー尾形の初登場から5、6回分のビデオは残してある。シティボーイズの大竹まこともあるはずだ)、年1回ではかわいそうな気がする。  芋洗坂係長は面白いが、他のネタがやれるのか、2、3週続けて見たいところだし、中山功太という人もいいが冬樹蛉さんのネタなどを使えば面白いんじゃないかと愚考する。全体に「道具」に頼る人が多い印象だが、これも時代であろうか。

2月18日(月) 播州龍野の日常
 下男仕事色々。
 午後、やっと落ち着いて机に向かったところへ、またも某社が来た。
 「いらん、去(い)ね!」と、もう数十回も繰りかえしている対応をしなければならぬ。
 春になれば、今度は新入社員の訓練を兼ねて、また頻繁にやられかねない。
 バットを振り回して追い返したくなるが、これをやるとやっぱりまずいだろうなあ。世間体もあるし。
 
 ということで、プレートを作って門扉に取りつける。
 傷害でお縄頂戴とならないために、こちらも自衛しなければならないのである。

2月19日(火) 播州龍野の日常
 下男仕事色々。天気がいいので洗濯もする。
 老母の「確定申告」、2時間ほどで書類を作って税務署へ提出。追加納税も還付もなし。わずかな不動産関係があるために、毎年めんどうなことである。
 午後はタイムマシン格納庫にて作業。
 またも新規案件発生、堀川戎におけるゼンジー北京師匠の神通力は本物のようである。
 夜。
 肉体労働のあとなので、久しぶりに入浴。4日ぶり?かな。
 龍野で料理人をやってる限り「湯上がりで一杯」は不可能である。酔っぱらって入浴は危険だし、もともと風呂には入らないし(大阪でもシャワーのみ)、寒くて面倒だし、ま、入浴も苦行である。
 夕食はビール1缶のみ老母とつきあい、老母の就眠後、入浴、湯上がりで本格的に晩酌開始。
 「完全国産材料」で粕汁を作り、これで「龍力」の熱燗。たまらんなあ。
 ざる蕎麦で蕎麦焼酎、干しぶどうでワイン、とうもろこしでバーボン、人肉で生き血をすするような気分である。
 ちと飲み過ぎ。

2月20日(水) 播州龍野の日常
 ああ、田舎ストレスが限界である。
 老母を近所の医院へ定期検診に連れて行く。
 数値は覚悟していた……昨日午後、おれの留守中に和菓子を持って訪ねてきた客があったのである……ほどではなかった。
 ま、これで明日には「出所」できる。
 午後、揖保川沿いに散歩。
 上流の河川敷?工事、川底がえぐられ、テトラポットみたいなものが並べられている。
 
 想像以上に大がかりな工事である。
 おれは「たつの」市民ではないけど、あまり「必要な工事」とは思えんなあ。

2月21日(木) 梅園/播州龍野→大阪/モラスキーさん
 春の陽気である。
 老母が「梅を見たい」というので、昼前に御津の
綾部山梅林へ行く。
 初めて来たのだが、広大な梅林……ようするに山全体が梅林で、駐車場は麓、老母が杖をついて登るは不可能である。梅林は遠望のみ。周囲一面の菜の花を観賞して去る。
 せっかくなので「海も見よう」と室津へ向かう。
 「七曲がり」の途中で休憩。瀬戸内海を眺める。
 
 老母の顔を隠すこともないのだが。
 魚の直販所で買い物し、峠を越えて、帰館。1時間半ほどの外出であった。
 昼の電車で帰阪。
 自転車で「ワイルドバンチ」へ行く。
 マイク・モラスキーさんが来ていて、マスターの庄内さんにインタビュー中である。
 2〜3日、大阪〜神戸の「ジャズ喫茶」調査というので、本日付き合うことにする。
 マイクさん、天六の「登良や旅館」にチェックイン。よく通る場所なのに今まで知らなかった。中庭もある和風旅館でともかく安い。沖至さんや白石かずこさんもここを利用したのだとか。うちから徒歩10分だから、おれは泊まることはないのだが、隠れ家にしたいような雰囲気だ。
 ここに自転車をおいて、地下鉄で天王寺へ。
 夕刻「トップシンバル」へ。
 場所は知っていたのだが、入るのは初めて。
 ここは18時までの喫茶タイムは「おしゃべり禁止」で、実に「硬派のジャズ喫茶」スタイルを守っている。
 フラナガンやガレスピーの音が素晴らしい。
 18時のバータイムになって、モラさんがマスター・植田淳一さんにインタビューするのをそばで聞く。
 ともかくゴリゴリのハードバップ派で(その主張はホームページに詳しい)、この頑固一徹な姿勢には嬉しくなった。
 夕刻訪問、1時間ほど聴いて、あと一杯やりながらジャズ談義というのがいいようだ。
 ここから天王寺公園横を抜けて新世界へ向かう。
 と、動物園と美術館の間の通路をたぬきが横切って、美術館方面へ入っていった。
 よく太った、なかなか愛嬌のあるたぬきである。まさか動物園から逃げ出したのではあるまい。茶臼山にでも住んでいるのだろうか。
 じゃんじゃん横丁を抜けて、奴寿司で一杯。
 モラスキーさんはこういう居酒屋(安くてうまい)が好きで、たぶん気に入ってくれるだろうと思っていたら、やはり「湯豆腐」から最後の「ばってら」にいたるまで、大いに賞賛してくれた。
 難波へ移動。
 ひっかけ橋で記念撮影。
 
 あ、オートに設定していたらストロボが発光しない。それほど明るいのである。
 この近くの「bird56」へ。
 ここは何度か来ているが、マスター・名取峰男さんと話すのは初めてである。
 店名の通り、ここもハードバップ主体で、バー営業だが、「硬派のジャズ喫茶」の雰囲気を濃厚に残している。
 どうもジャズ喫茶の客層はマスターとともに歳をとっていく傾向にあるようだ。
 22時前まで。
 日本橋から天六に移動。モラさんはまたバンチの庄内さんと会うというので、おれは「とぅるるん」の沖縄そばで仕上げとする。
 と、帰りかけたところへ、庄内さんとモラスキーさんが来て、またも顔合わせ。
 ジャズ、読書、映画から食べ物まで、よくよく好みが似ているんだなあ。
 ということで、酒気帯び自転車で深夜近くに帰館。
 よく動いた1日であった。

2月22日(金) 穴蔵
 わ、午前8時まで寝てしまった。気分すっきり。
 疲れていたし、遮光カーテンとどんより天気のおかげであろう。
 わが集合住宅、大規模修繕工事が始まり、久しぶりに帰館したら、全館、足場とネットで覆われている。
 このネットのおかげで、晴れていても曇天ムード。
 落ち着いていいのである。
 終日穴蔵。
 色々とたまっている雑用を粛々と処理するのであった。
 夕刻、かんべむさしくん来穴蔵。
 久しぶりに定員2名の「SF検討会」を開催する。
 ビール、湯割りなど飲みつつ、色々なテーマについて検討する。
 メインは太宰治論で、これは熱っぽい討論となった。
 「田舎者」議論からの発展だが、これは重要テーマなので、明後日にでも太宰の短編集を再読することにする。
 結論めいたことは、吉行淳之介は凄い、ということかな。
 あと、久しぶりに専属料理人とアサリ酒蒸しでワイン少し。
 早寝するのである。

2月23日(土) 穴蔵/宇宙作家クラブ/創サポ
 穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
 夕刻に近い午後、自転車で中之島の某所へ。
 風が強く寒い。木枯らしのようである。が、あとの移動の都合で、自転車でなければならぬのである。
 
宇宙作家クラブの有志の集まり。
 Yさんがビデオカメラにデジカメ用のニコン魚眼レンズを装着して撮影した「かぐや」打ち上げのハイビジョン画像をドーム状巨大スクリーンに投影してみるという企画である。
 
 ハンディ・タイプのカメラだがなかなかの解像度。
 噴煙を引いて中天に昇っていくアングルに臨場感あり、(行ったことはないので遠近感など現地と比較したわけではないのだが)種子島まで行かずに済むような気分になる。
 これは正規の「番組」にしていいのではないかと思う。
 あとの懇親会は残念ながら失礼して、自転車で中之島を東へ10分。
 天満橋のエルおおさかへ。
 創作サポートセンターの講義である。
 課題を出して、短い文章を提出してもらっていたのだが、傾向が多様(SF、ファンタジーから異常心理、動物小説まで)で、ひとつずつコメントしていったら大幅に時間超過、20時40分頃までかかってしまった。
 遠方からの生徒には迷惑であったかもしれない。
 自転車なので、長い長い天神橋筋商店街を南端から北上。
 雪がちらついてきた。
 天六でワイルドバンチに寄り、湯割りを一杯。
 日活の『黒い太陽』のサウンドトラック盤? なんと演奏はマックス・ローチのグループで、アビー・リンカーンが参加している。シナリオは読んだが、映画は見逃したままである。
 ワイルドバンチに出入りしだしてから、60年代の映画が気になってしかたがない。
 ぼちぼちDVDを探すことにしよう。

2月24日(日) 穴蔵/「親友交歓」
 ライブなどで出かけるつもりだったが、どうも体がだるい。外は時々雪が舞う寒さ。
 本日は終日穴蔵で完全休養とする。
 少しも仕事をしないのであった。
 先日のかんべむさし氏との「検討会」でテーマのひとつとなった太宰治の短編を再読する。
 40年以上前、学生時代のこと。
 おれは大学のすぐそばに下宿していた。通学路のそばなので、とつぜん同級生が訪ねてくることが多かった。
 ひとり、嫌なのがいた。寮に住んでいて、バイトの帰路などに訪ねてくることがあった。
 小説にも映画にも興味ない男だから(おれにとっては)共通の話題はまったくない。話などしたくないのである。
 この男、何が好きかというと「説教」めいた話を延々とぶつことで、おれはうんざりして適当に相づちを打つだけ。何度かこんなことがあるうち、その男が「高度な論陣を張って言い負かしている」快感に浸っているらしいことがわかってきた。自己陶酔もいいところ。
 何ら発展的議論にもならんので、おれは聞き流していたのだが。
 ただ、困るのは、この間に、テーブルの上にあるウイスキー(白ラベルかレッド程度)やピーナッツを勝手に「片づけて」いくことだった。
 別におれはケチではない。が、なぜつまらん「説教」されながら飲み食いされんなんのよ。追い返せなかったのはおれの生来の気の弱さ故である。
 で、ビンが空になり、まだピーナッツが残っていた。
 と、その男はこういった。
 「おれは、あるものは片づける主義やからな」
 ピーナッツをボリボリ食べるのに、なぜ「主義」まで持ち出なければならぬのか不思議であった。
 あ、他の友人と間違われては迷惑がかかるから、実名を書いておく。宮本謙三という男である。
 それからしばらくして読んだのが太宰治の短編『親友交歓』であった。
 驚いたのなんの!
 これは、とつぜん訪ねてきた「親友」を自称する百姓の男に、さんざん飲み食いされ説教され秘蔵のウイスキーを瓶ごと巻き上げられる話である。ラストの1行には打ちのめされた。
 これや、これやーーーーっ!と叫びたくなったほど。
 この時の気分……「おれほど太宰の作品が理解できる読者はいまい」であった。
 その後、太宰作品や評論を色々読んだが、「おれが一番の理解者」という読者感覚は、太宰ファンの多くに共通するものであることがわかってきた。
 その秘密がどこにあるのか……それが「検討会」のテーマであったのだ。
 結論はまだ出ず。
 テーマによるのではないはず。
 おれは『親友交歓』で太宰ウィルスに感染したわけだが、「田舎者のエゴと無神経さ」を普遍化したことに共感したのではないと思う。
 テーマより、その語り口(文体)にあるのは確かだが、作者の体質なのかテクニックによるものなのか、見極めがつかないのである。
 『親友交歓』を久しぶりに再読、やはりこれは太宰の最高傑作であろう。

2月25日(月) 穴蔵
 6時15分に
『朝ミラ』を聞こうとしたら、ラジオ大阪、ノイズでほとんど聞き取れない。もともと電波の死角になるところへ、わが穴蔵、大規模修繕工事で足場とネットで囲われてしまったからである。むさしくん、しばしの別れである(播州龍野では受信可)。
 終日穴蔵……のつもりで少しは仕事をしていたら、ベランダにとつぜんヘルメット・作業服が出現、ガラス戸隔てた1メートルのところで壁をコンコンち叩き始めた。落ち着かんなあ。
 午後、散歩を兼ねて「ジャズの専門店ミムラ」へ。
 エヴァン・クリストファー1枚。
 おっ、高瀬進『ぼくの昭和ジャズ喫茶』(展望社)という本がある。
 売り物ではないそうなのでお借りすることに。
 
 先日来、モラスキーさんとウロウロしているジャズ喫茶の多くが紹介されている。
 主に70年代に出入りしたジャズ喫茶を写真とエッセイで巡るセンチメンタル・ジャーニイの雰囲気である。
 著者は映画関係の方で八尾在住、ピアニスト・高瀬アキの弟さんらしい。
 慌ててワイルドバンチの庄内さんに電話で問い合わせたら、昨日来店されていたらしい。
 世間は狭いなあ。
 たぶんお目にかかる機会はあるだろう。

2月26日(火) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 播磨路は氷雨である。
 午前9時の書斎室温は7℃。嗚呼、春は遠い。
 下男仕事の合間にハロゲン・ヒーターでキンタマを温めつつ、少しは仕事もするのであった。

2月27日(水) 播州龍野→大阪
 朝も早よから下男仕事色々。
 タイムマシン関係も朗報あり、東の方向に向かってゼンジー北京師匠に感謝の意を表す。
 慌ただしきことなり。
 午後の電車で大阪へ移動。
 わ、大阪、ミゾレが降っているではないか。播州龍野よりも遙かに寒い。
 夕刻から、居住している集合住宅の大規模修繕委員会があるため、一晩のみの帰阪である。
 
 わが居住する集合住宅、足場とネットですっぽり覆われてしまった。4ヶ月ほどこの状態が続く。
 委員会……ややこしき議題多く、集会室は寒くて、キンタマはむろんのこと、膝からつま先までが冷え切ってしまった。
 21時過ぎにやっと晩酌……が、なんだこのメニューは。
 湯豆腐のみかろうじて食べられたが、ナスのなんとかなんて苦行である。今から外食にというわけにもいかず、嗚呼。
 急に帰ってきたから嫌がらせされているのであろうか。
 明日はまた早朝から播州龍野行きである。
 何のために生きていることやら……

2月28日(木) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 車中、週刊文春。三浦和義のサイパンでの逮捕を受けて、「疑惑の銃弾」四半世紀ぶりの連載再開である。張り切っとるなあ。
 とはいえ「新情報」らしきものは見当たらず。週刊文春、これから頑張ってほしい。
 おれはただ三浦のヘアスタイルの変貌に歳月を感じるのみである。
 まったく他人事じゃないぜ。嗚呼。

2月29日(金) 播州龍野の日常
 天気晴朗なれど古屋敷の室内は寒々としている。
 下男仕事の合間に、ハロゲンヒーターでキンタマ暖めつつ、ボケーっと庭を眺めて過ごす。
 少しは仕事もしなければいかんのだが。
 夜、老母が寝てから、龍力の熱燗を飲みながら、NHK「かんさい特集」を見る。
 南光・文珍の司会による落語特集で、桂歌之助さんと桂春菜さんがゲスト。
 襲名以来、新人賞系で3冠達成の歌之助さん、明るく滑舌よく溌剌としている。
 春菜さんの「昭和任侠伝」……最後に「高倉健」と警官演じる「萬田銀次郎」との対決になるくだりが趣向だが、まだちょっとぎこちない感じ。
 しかしまあ、いい企画であった。
 如月は終わる。

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