HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』145

●マッドサイエンティスト日記(2000年3月後半)


主な事件
 ・『文源庫』発足記念パーティ(17日)
 ・ソリトンの名物男「孔黎」大阪に現る。(20日)
 ・エロタコの末路哀れにはあらず(11日)
 ・湯豆腐の「上川屋」はすっかり高級店である(23日)
 ・森山研のぶるさんと専務殿、結婚おめでとう。

2000年

3月16日(木)
 風邪か鼻炎か不明の症状がつづく。アタマがボンクラ化してしまうのでクスリは飲まずに出社、やっぱり終日ボンクラ仕事。

3月17日(金)
 早朝のひかりで上京、都内ウロウロ。
 夕方から、お茶の水でSFアドベンチャーの編集長だった石井紀男氏と元徳間の今井鎮夫氏がスタートさせた「文源庫」発足のパーティ。80人ほど。……ベースは森詠さんたちが組織していた会社「マルコポーロ」で、編集工房からいずれは出版もという。
 その、森詠氏、それに「文源庫」の名付け親、田中良樹氏が挨拶。山田正紀氏が乾杯の発声。

 off off
 今井氏と石井氏。かんべむさし氏や森下一仁氏の顔も。
 午後8時過ぎから、近くの「ワインも飲める純喫茶」(ここは、アサヒネットで『フィクション錬磨峡』をスタートさせる頃に何度か集まった店である。5年前のままである。)で、山田正紀、森下一仁氏と喋る。ほとんどSFの話。話題の中心はイーガンで、「順列都市」の「塵理論」の理解が正しいのかどうかの検証作業である。……イーガンは小説がうまいのかどうかという話にもなる。ぼくは「小説をよく知っているが不器用」と、他人ごととはいえない評価だが、山田さんは、「ちらっとだがもの凄いことが書いてある部分が散見するので判定できない」という。山田さんは付箋を付けながら再読しているというから、こちらも見習わねばならない。気がつけばかなり遅い時間である。
 小説の方法論を突き詰めて議論するとなると、やっぱり年齢の近いメンバーになってしまうのかなあ。……ぼくがだいぶ歳を食ってるのだけど。

3月18日(土)
 午前中、都内でちょっと仕事関係。
 午後のひかりで帰阪。新幹線、結構混み合っている。3連休の初日で動民が多い。
 車中、往路から読んでいた、中野晴行「球団消滅」(筑摩書房)を読了。労作であり、中野さんが「手塚治虫」ワールドから外部へ踏み出して世界を拡げた意欲作でもある。

3月19日(日)
 終日ごろ寝……のつもりが、出張中の雑件が気になって、午前中会社。
 午後、ちとややこしいメールをアチコチ。


3月20日(月)
 春分の日で休日。朝8時過ぎに出て梅田へ。
 「ソリトン」の名物男・孔黎さんが、朝から梅田に出現するらしいのである。
 関東在住だが実家が徳島。帰省した帰路に大阪に寄るということらしいのだが、この人らしく(といってもソリトンの同人しかわからないだろうけど)ネット上の書き込みだけでは、本当に出現するのかどうかわからない。何しろ、大阪への行き方がわからないから誰か教えてくれと「書き置き」したままである。しかも夕方までには東京へ帰らねばならぬ。この日の午前中しか時間はない。……調べてみると、徳島→大阪は早朝の高速バスしかない。しかし淡路花博が始まったばかりで、混み方が見当つかない。どうなるのかと思っていたら、孔黎さん、本当に午前9時に梅田に出現した。予告どおり「TKO負けしたボクサー」のような風貌である。
 出迎えたのは、北野勇作、桓崎由梨、小生の3人。……11時過ぎのひかりに乗るということで、新阪急ホテルの喫茶店で1時間半ほど。こんな変則的なオフも珍しいなあ。
 off

 1時間あまり、孔黎さんの独演会。野間宏、埴谷雄高、ドストエフスキーから始まって、小松左京、バラードあたりは「撫で切り」。堀晃は少し誉めてくれた。
 孔黎さんの「パーキュパイン」(SOLITON7号)の原体験は「夢の島」にあるという。造成中の夢の島で、死体まで見た、しかも「対岸」の近代ビルから「飛ばされ」ての体験という。……これは確かに凄いのだが、だんだんと言いにくいことをいえる雰囲気になってきて、「それじぁ『パーキュパイン』はその体験が昇華されているとはいえんじゃないか」。と、孔黎さん「いや、改稿していて、400枚を過ぎてから凄くなってきた」うーん、さすがである。
 孔黎さん、疾風のごとく去り、残った3人、毒気にしばし呆然。「わしらも書かなきゃいかんなあ」と軽く昼食のあと解散となった。

3月21日(火)
 連休明けの初日は血圧上昇というジンクスがあって、案の定、ジンクスどおり、高騰案件3つ重なる。
 昼の裁判で、横山ノックがセクハラを全面的に認めたニュース、夕刊は大々的だがテレビは案外おとなしい。……「真っ赤なウソや」と真っ赤になって吠えた演技力を考えると、殊勝な発言しても「擬態」に決まっているから、2,3発蹴りを入れた方がいいだろう、と血圧が高いと同情する気もさらさら生じない。……まだ「市会議員からでも」と政治に未練があるらしいが、市会議員が聞いたら怒るぜ。エロタコのたつきは「ポルノ男優」だけ。これは人気でまっせ。

3月22日(水)
 ボンサラ仕事をしていたら、夕方、「文源庫」の石井さんから電話。
 「今、大阪に来ておりまして、かんべさんと一緒なのでありますが……ええ、トーフの件でして」「え?」
 某誌の「豆腐」特集の取材ということらしい。天六の「上川屋」へ行くという。湯豆腐が名物の居酒屋で、むろんぼくはよく知っている。自宅から自転車で10分ちょっとのところ。20年以上前から時々行く店である。
 久しぶりに行った上川屋、立派な割烹に建て替えられている。
 ちと高級すぎる店になってしまったなあ。ここの湯豆腐は出汁といっしょに丼に入っている。吸い物を兼ねた湯豆腐。あと、イワシの天ぷらとか、大衆的な食べ物がうまい店だった。豆腐は変わらない。
 ご主人から豆腐の蘊蓄を承り、午後8時頃まで。石井さんは帰京。……豆腐となると、いつか、米朝師匠、米二師匠と3人でゆくつり食べたいものである。

3月23日(木)
 ボンサラ、誠実に手抜き仕事。つまらん日である。

3月24日(金)
 ああ、本日も血圧高騰である。

3月25日(土)
 終日ごろ寝。……夕方から、某講座で小森健太朗の「トリック」に関する講義があって、行きたかったのだが、どうもこの一週間の反動か、自宅どころか布団から出る気がしない。
 ごろ寝のまま、昨日買ってきたCD「ジョージ・ルイス・イン・オオサカ」2枚組を聴く。1963年来日の時の演奏。63年東京でのものと重なっている曲が多いが、演奏は大阪でのほうが数段いい。

3月26日(日)
 終日書斎。ごろ寝。

3月27日(月)
 自宅に籠もっていると「早起き」体質が進行する。午前2時に起床、朝まで「新入社員用の事業説明」の資料作り。こんなの会社で片づけるべき仕事だが、原稿を書くというのがひとりでないと進まない体質だからしかたがない。ぼくの場合、午前7〜9時が勤務時間(頭脳労働)であって、9時を過ぎると頭はボンクラ化してしまうのである。
 7時出社、夕方までボンクラ仕事。

3月28日(火)
 夕方、来阪の兄と梅田で会う。
 例によって居酒屋からサントリー・ファイブ。最終火曜日でサウスサイド・ジャズバンドの出演日。22時前まで。例によって色々な話をしたが、葬式音楽はジョージ・ルイスに尽きるということで意見が一致。「George Lewis plays hymns」がベストである。……ぼくは結婚と同じく、葬儀も密葬だから、このCDを流してくれるよう、家族には申し伝えてある。

3月29日(水)
 朝、ネットを覗くと著八怪が「ぶるとのりこりの結婚」を暴露……というほどでもないか。公式発表ではないが。「ぶるとのりこり」とは、森山威男研究会の「ぶる」さんと「専務」のこと。森山研総会の記念写真右端のふたりである。……同じ森山研でもかかる事態を知ったのはそれほど前のことではない。たしか昨日ぶるが引越し、専務は大阪の住居を畳んで、明日上京のはずである。フライング発表ではないかと気になる。
 結婚の発表のタイミングというのは難しいものである。
 ぼくの場合、式も披露もしなかった。SFと会社と学校と、と考えると、披露宴など考えるだけでも煩わしくなる。「無精猫原理」にしたがって、なにもなし(さすがに親兄弟で食事はしたが)である。ただし、休暇はほしいので(なにしろ100枚の中編を書きたいからねえ)上司に休みの申請だけはした。「あまり大げさにはいわないで下さい」と念押ししたのであるか……この人が、会社でもいちばんのしゃべりというか金棒引きというか、「社内拡声器」といわれる人物に漏らしてしまったからたまらない。会社の全フロアを歩き、地方の工場まで電話をかけまくったというから、ヒマというか経費の無駄遣いというか……。こちらは郊外の事業所勤務だから、そんな事情は知らない。その内容たるや、「相手は10歳年上」で「東京にいるデザイナー」であって「東京と大阪に別居したまま」の結婚であるという。どこからこんなことを考えたのであろう。後日、心配した(そりゃそうだ。これで家族手当を受け取るとおかしなことになる)同僚が問い合わせてきたりで、大いに迷惑したのだが、いちばんの迷惑は、「新婚旅行」と称して自宅に籠もり原稿を書いている最中にその金棒引きが電話してきて、へんな噂が流れているぞと「忠告」してきたことであった。
 ああ、思い出すだけでもムカムカしてくるぜ。
 あ、さらに思い出した。「秘密結婚」というか、手順について相談したのは笑犬楼・筒井康隆氏であって、熱海(SF作家クラブの旅行)からの帰路、新幹線の中であった。「煩わしいからこういう形にしようと思っている」というと、「小松さんと星さんには話しておきなさい。星さんは結婚式が好きだから……」とアドバイス。これは本当であった。後日、星新一さんが「おい、費用は出してやるから結婚式をやろうよ」と声をかけて下さったことがある。半分はジョークであろうが。……なにがいいたいかといえば、SFの世界の粋な対応に比べて、「会社」はやっぱり日本的ムラ社会であるなあということ。
 当時すでにインターネット時代であれば、ネット上の挨拶だけで済んだのであるが。
 午後、姫路方面へいったついでに実家に帰る。
 花粉かハウスダストか不明だが、たちまちくしゃみと鼻水。

3月30日(木)
 午前中、姫路方面の仕事のあと、午後大阪。
 夕方までボンクラ仕事。
 帰りに梅田で『遠い空のむこうに』を観る。「ロケットボーイス」の映画化で、『October Sky』という原題もいい。宇宙を目指したNASA技術者のハイスクール時代を描いた自伝。主人公がぼくとほとんど同年だけに、はじめてスプートニクが飛んだときの興奮や、挿入されているアメリカン・ポップスがたまらない。SFでも宇宙映画でもなく、純然たる「青春映画」である。が、親父の勤務する炭坑と宇宙空間の対比が見事だし、打ち上げ場面などつい涙腺が緩みかける。この映画の親父の年齢になっているからだろうなあ。……と、ぶらぶら歩いて帰宅。ボケーッとゲームをやっているボンクラ息子を見たら、涙腺など瞬時に乾いてしまいますがな。嗚呼……。

3月31日(金)
 終日ボンクラ仕事。期末の雑用ばかり。
 帰宅してネットを覗くと、「ぶる・専務」の正式結婚発表の書き込みあり、無事、東京へ着いたのだ。「森山研」の活動は東京中心になってしまうなあ。
 帰りに、自分の葬儀の準備というわけではないが、「ジョージ・ルイス・イン・トウキョー 1965」を買ってきたので、CDセットをつづけて聴く。1963年の東京、大阪。1965年の東京。

 off

 1965年の演奏は、さすがに年齢を感じさせるが、賛美歌6曲(ダニーホーイとかサマータイムも入っている)の連続演奏が素晴らしい。「リンゴの樹の下で」と「アリス・ブルー・ガウン」の「混演」という珍しい演奏も「歴史的価値」から収録されている。1965年は最後の来日で、この3年後にルイスは亡くなっている。最後の来日のコンサートは行けないではなかったのだが、経済的事情で断念したのだった。これだけは今も悔いが残る。


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