『マッドサイエンティストの手帳』310
●マッドサイエンティスト日記(2004年9月前半)
主な事件
・滝川雅弘 & 畑ひろし ライブ(1日)
・ルン吉くん live & well !!(2日)
・播州龍野の日々(3日〜)
・地震と台風(5〜7日)
2004年
9月1日(水)
セプテンバー・ソングの季節である。
おれの人生は、9月はとっくに過ぎているような気がするが。
本日も雑用あって、昼過ぎに梅田へ。
と、梅田のディスクピアに「閉店セール」の表示。本当に閉店(梅田新道にある「店じまい」という名の靴屋とはちがう)するらしく、CDを半額処分している。1週間ほど前からやっているらしく、ジャズの棚はふだんの1/10くらいに縮小して別フロアに移っている。
もっと早く気づけばよかった。……もうCDは増やすまいと思っていたものの、持ってなかった名盤中心にコルトレーン、ロリンズ、バド・パウエルなど10枚ほど衝動買いしてしまう。本当に半額。駅のコンコースで千円で売ってるのと同等の値段で買えるのだから、まあありがたいことである。
夜は地下鉄でナンバへ。
19時過ぎに、千日前の「Musicraft」(06-4396-2027)へ。
ここはグローリーランド・ジャズバンドのトロンボーン・林さんの経営する「レコード・CD・カフェ」の店。トラッド系音源の宝庫であり、夜は「立ち飲み価格」のジャズ飲み屋にもなる。
本日は「Benny Goodman & Charlie Christian」と題して、滝川雅弘さんと畑ひろしさんが巨匠共演ナンバーを中心に演奏する企画。バックは中村尚美さん(b)と佐藤英宜さん(ds)。狭い店に約30人と、ここでは大盛況である。
グッドマンのナンバー中心に、久しぶりにスイングを堪能。
滝川さんのクラと畑ひろしのギターのからみはきわめて心地よい。
9月2日(木)
明け方から雨である。
明日からまた播州龍野行きなので、雑用色々。
午後、雨がやんだので、自転車でハチへ。
秘蔵品ともいえる「デフランコ、1954年録音の幻の名盤」というのをマスターから借りていたので、返却に行く。確かに「幻の名盤」で分厚い評伝のどこにも録音の記載はなく、ディスコグラフィーにも載っていない。色々あるものだなあ。
珍しくコーヒーを飲んでの帰路……。
泉の広場付近を通りかかると、「定位置」に、なんとルン吉くんがいるではないか!
なんと昨年11月13日以来、ほぼ10ヶ月ぶりではないか。今年初めての遭遇である。
まったく心配かけやがって! 3月以来、実家との往復が多くて、このあたりを通る機会が減ったとはいえ、1年近く見かけなかったのだから、「最悪」の事態まで想像して心配していたのである。
コートが新しく(あまりきれいな色ではないが)変わっている……というよりも、例のピンクの防寒服がボロボロになって、その上にもう1枚着ている様子である。
これで無事4回目の冬を乗り越え、今年7月下旬の記録的猛暑も乗り切ったわけだ。いや、よかったよかった。
ルン吉くん、おれの心配と安堵をよそに、雨上がりのペーブメントにたたずみ瞑想的雰囲気で紫煙をくゆらせているのであった。
9月3日(金)
早朝の電車で播州龍野へ移動。
またしばらく田舎暮らしである。
毎年秋に行う庭木の剪定を、今年は台風で多少痛んだこともあって、昨日から植木屋職人3人が作業中。
むろん長年のおなじみで、実直な人たちなのであるが、2階のわが定位置、窓際の机に座ると数メートル先で脚立に乗って作業中……これは落ち着かない。向こうも監視されているようで嫌だろう。
ということで、奥の部屋に寝転がって雑読。
夕刻、久しぶりにクッキング。
またメニューが増えた。喜んでいいのかどうか複雑な気分だ。
涼しくなったので、豆腐は本日より湯豆腐となる。
ビールを飲み出したところに、ロシアの学校占拠事件、ロシア特殊部隊の突入のニュース、中継画像が流れる。
NHKの安間という記者、現場が混乱しているのはわかるが、物事を整理して伝える能力に欠けるようであるなあ。質問に対して答えにならない言葉の羅列ばかりである。
9月4日(土)
播州龍野の日常。
ロシアの学校占拠報道、人質の人数が500人〜2000人とおおざっぱなら、犠牲者の数もずいぶん変わるなあ。人質の人数の「桁」が変わるというのが謎だ。
本日も庭木の剪定、夕方やっと終了。
「松の木1本にひとり1日」というのは本当であるなあ。QBハウスみたいに10分間で1000円というわけにいかんのだろうか。
それにしても、松の木というのはおれの趣味ではないなあ。
こんなややこしい形状の樹木を眺めていてもなあ……。
その点、近所にある「ゴミ屋敷」の庭の雑木……鳥の糞から成長したとしか思えないのだが(名前はなんという木か、奥のはねむの木)、そして手入れなどされたことがないのだが、こちらの方に風情を感じるなあ。
9月5日(日)
播州龍野の日常。
19時過ぎ、ビールを飲んでいたら、かなりの揺れの地震。
大阪とメール、電話。こちらよりも集合住宅中層のウチの方が揺れはひどかったらしい。
専属料理人に命じて「穴蔵」もチェックしてもらう。本棚は無事だが、微妙な均衡で積み上げていた本とビデオが崩れたらしい。
NHKのニュースを見ていたら、地震の被害として、室内で老人が転んだのと、誰かが「傘の骨を折った」というのにわが耳を疑う。……地震とか台風の報道では、被害状況を必ず伝えねばならぬ義務と責任があるのかいな。確かに震源地で起きた地球規模の現象と「傘の骨がおれた」ことの因果関係はあるのだろうが、これがすべてではないはずだからなあ。
……で、わが耳を疑ったのは正解で「肩の骨が折れた」らしい。ま、それで救急車を呼んだから地震被害として報道されたのであろう。
しかしなあ……小惑星が地球に接近というニュースの時に「大きな被害は今のところない模様ですが、驚いた杢兵衛さんがヤカンをひっくり返してヤケドをしたと伝えられております」なんて報道されてもなあ。
ビールを飲んで早寝。
と、夜中にまた地震。今度の方が揺れが長い感じだ。2階にいるから揺れで大きいのかな。居間に降りてテレビ。震源と規模は夕刻の同様のようである。
幸い、老母は熟睡。
9月6日(月)
播州龍野の日常。
天候不順、奄美大島あたりの台風18号の影響らしい。
ニュースは地震に続いて台風報道ばかり。今度は「傘の骨が折れる」場面がやたら出てくる。……台風報道の場合、こんな映像ばかり狙うから、地震の時にも「傘の骨が折れる」と聞き間違えてしまうのである。
老母「あの人たち、壊れるのがわかっているのに、なぜあんな強い風のなかで傘をさすのやろ」
もっともな疑問である。ひょっとしたらヤラセかなとまで思ってしまう。
こちらは明日が荒天らしいので、予定を繰り上げて病院往復。
夕刻、雨がやんだのを見計らって自転車で買い物に行く。が、帰路、とつぜんの土砂降り。やっぱり傘を持っているべきだったか。5分ほどの距離だが、最後の2分間でずぶ濡れである。嗚呼。
が、まあ、シャワー後のビールがうまい。
9月7日(火)
播州龍野の日常。
朝から南風が強い。
テレビは台風18号のニュースばかりで、ほとんど中継状態。
と思ったら、朝からまた地震。一昨日ほどではないが、2階はかなり揺れる。居間のテレビで震源と規模を確認……と階下へ行くと、老母は食後の仮眠中であった。階下はたいした揺れではなかったのか。
午後からさらに風が強まり、姫路で風速37メートル記録とか。
15時頃から雨が降り出し、暴風雨となる。
16号の時はこちらにいなかったのだが、母のいうには、今度の方が凄いという。
……ただし、詳細を聞くに、台風16号の時は夕刻から夜にかけて暴風雨で、補聴器を外して寝たら熟睡できるのだという。
ちなみに、この家は築百年を越えている。老母はその家に80年以上住んでいるのだから、少々の地震台風に動じることはない。おれも見習わねば。
ただ、今回は昼間の台風で、一杯飲んで寝てしまうわけにもいかず。
2階定位置に座っていても暴風の音が気になって落ち着かず、寝転がって本も読むにも、家が風で揺れるような気がして、ひょっとしたら地震か思ったりする。
停電の心配もあるので、早めに夕食の調理。
居間からは「庭の植木」は見えず、裏庭の塀越しに「ゴミ屋敷」の雑木が風で大きく撓うのが見えるのであった。……と、ねむの木の幹がバキッと折れるのが見える。なかなかの迫力だぜ。
覚悟を決めて、早めにビールを飲み始める。
と、ニュースでは近畿圏これから本格的に暴風雨というのだが、17時を過ぎると風は急に弱まり、18時にはほとんど無風。ガラス戸を開ければ心地よい風が入ってきた。
通り過ぎればあっけないものである。
9月8日(水)
播州龍野の日常。
3時に目が覚めたので机に向かっていたら、3時36分にまたも地震。
震源地を確認しようとしばらくテレビを見るが報道なし。
大阪にいる専属料理人からのメールでは、微震は何度も起きているらしい。
明るくなったから台風被害の確認。
特別のダメージはなし。裏のゴミ屋敷の木が折れているのが目立つくらい。この折れた枝も朽ち果てるまで放置なんだろうなあ。
タイムマシン格納庫もチェック。こちらも無事である。
田舎にいても海外からのメールはくるのであった。むしろ海外関係の方が多い印象。大阪の留守電メッセージからたどってわざわざこちらに連絡をとるほどの用件はないということでもある。
こうして社会から退場していくのだなあ。
……などと思いつつ、タイムマシン格納庫で雑用も片づけるのであった。
9月9日(木)
播州龍野の日常。
妹が来たのでタイムマシンの整備などに時間をかける。
龍野市では唯一本格的な中華料理店「八宝閣」という店があり、ここは確かに旨いのであるが、中華は月1食くらいで十分……で、この店のすぐ横に小さい焼き鳥屋があり、はやっているとは思えないのだが、いつの間にか看板が「とりよしのだいどころ」に変わっている。「年寄りの台所」と勘違いしていたのであった。日替わりランチ840円を試みる。と、これが意外にいけるのであった。
店内、レトロ調(マジンガーとか山口百恵とか寅さんとか)に作ってあって、まあある種のこだわりを感じさせるのであるが、こんな田舎で支持されるかなあ。
なじみになるとちとしんどいので、時々そっと食べる程度にしておこうっと。
9月10日(金)
播州龍野の日常。
老母の骨折事故(3月10日)からちょうど半年である。診察の結果は異常なし、通院回数もこれからは減ることになる。
ただ、どの状態を「全快」とするかは決めようがないらしい。年齢からいっても、杖はもう離せないようであるし。それなら、もう快気祝いをやってもいい雰囲気である。
一杯やるかと誘うが、老母はもうビールは飲まない。(10年ほど前だと、何かの機会にはコップ半分ほどは飲んだ気がするが)
ということで、夜は一尾100円の生サンマをオーブンで焼く。皮目に切れ目を入れて塩を振るなど、われながらなかなかの焼き上がり。だんだん腕が上がってくるのが恐ろしい。どこかに「早くヤモメになりたい」気分があるのだろうか、などと考えつつビールを飲むのであった。
9月11日(土)
播州龍野の日常。
介護保険は半年ごとに更新する必要があるのであった。
市役所まで行って、土曜で休みと気づく。ボケはじめか。土曜であることは知っていたが、役所が休みとは知らなかった。ロビーのATM機は稼働している。ただカウンターの中だけが暗いという不思議な光景であった。
9月12日(日)
播州龍野の日常。
2時過ぎに目が覚めた。
鎌田慧『自動車絶望工場』再読。
文藝春秋9月号の「日本を震撼させた57冊」という特集(半分くらいは読んでない、タイトルすら知らなかった本が7冊ある)の中で、面白いと思ったのが本書についての日垣隆のコメント。季節工の工場での日常を記録するのに成功したが、批判すると決めていた取材対象から報酬を得た点が問題という。
最初に読んだ時のわが印象は、この方法は一度だけのものだろうと思ったのと、季節工の「生活全体が描かれていない」ことであった。(作者は労働時間以外は疲労でほとんど寝ているしかないと再三記述しているが、結構本も読んでいる気配だし、文章も書いている、「取材」もしている様子である)……本書が書かれたのは、季節工と同時に、他の「構造不況業種からの出向」が始まった時期でもあった。そして、その実態を多少は知っている。その上で、やはり「企業批判」優先で、「日常全体」は描かれていないと感じたのである。
再読、やっぱりこれは「一回しか通用しない方法で書かれた潜入ルポ」であり、これが話題になったところで鎌田慧は終わったのだと思う。その後の、たとえば『アジア絶望工場』など、人を介して堂々と工場見学しているのであり、取材の世話をした人(海外に住む知人)を知っているが、あとでずいぶん迷惑したと聞いた。最初からフレームが決まっているから、素朴な好奇心で全体を見ることができないのである。
現場の労働者としてのルポと「工場見学」で書かれた記事の、どちらの質が高いかいうまでもない。ぼくは「取材対象から報酬を得た」といっても、正当な労働に対する対価なのだから(ホンカツみたいに接待を受けたわけではない)、何の問題もないと考える。むしろきわめて潔い姿勢であり、たとえば潤沢な番組制作費の副産物?として書かれたNHK職員によるノンフィクションと対極にあるものだろう。
この作品で得た「名声」がその後の仕事の質を落とした(同じ方法がもう通用しなくなった)ところが問題なのであろう。
9月13日(月)
播州龍野の日常。
早朝に目が覚めるが、本日は新聞休刊日。
秋である。早朝散歩に出る。午前5時でもまだ暗い。犬の散歩をしている人が意外に目につく。大阪市内よりも遙かに絶対数が多い。しかも大型犬が多いなあ。……そう裕福な人が多いとは思えないのだが。いや、年金食い逃げ世代の余裕なのかな。
役所関係はじめ、雑用の多い日である。
いとこのNさんの事務所で「介護」の実態を聞く。こちらは92歳。ごく近所に独居なのだが、いろいろたいへんなんだなあ。
夜、ビールを飲みながら(この時刻、ボンクラ・サラリーマン時代ならまだ仕事の最中である。田舎の夜は早い)『子連れ狼』(北大路欣也版)の最終回を見る。拝一刀と柳生烈堂の「最後の対決」……「ゴジインが原」?という決闘の定番みたいな原っぱでの対決になるが、このロケーションが「マンション建設用の更地」みたいで、こりゃいかんわ。せっかく原作の設定を変えるのなら、「姿三四郎」の右京ヶ原は望むべくもないとして、せめて座頭市でカツシンと兄貴の富三郎(当時は城健三朗であったか)が斬り合ったススキの茂る原っぱくらいでなければ。……結末についてはノーコメント。
9月14日(火)
播州龍野の日常。
回覧でご近所の訃報。
老母よりも三歳ほど若い人らしく、また落ち込む様子。おれとしてはモリシゲの女性版になってくれればいいのであるが。
香典用に新札がほしいとかで、川沿いの道を自転車で銀行へ。
秋なのか夏なのか、すじ雲と積雷雲が混在する異様な空である。
かすかに遠雷も。
銀行に寄り、ついでにスーパーに寄って買い物……と、30分ほど、出てみると雷雨である。
しかたなくスーパー内の休憩所で待機。
テレビでカツシンの『酔いどれ波止場』をやっている。
第1作は三隅研次で面白かったが、これは何作目だったか。気乗りしない演出である。新藤兼人の脚本とは知らなかった。殿山泰司が出てきたところで、雨があがったので帰宅。
冷蔵庫内の雑野菜整理のために八宝菜を作るが、そして出来映えは悪くないが、老母の口には合わない様子。おれもそう好きなメニューではない。野菜整理用の和風メニューを考えなければ…。
9月15日(水)
播州龍野の日常。
老母、ご近所……といっても200メートル以上離れているが……弔問に行くという。
いっしょに往復500メートルほどを歩く。
これだけ歩ければ、もう回復といってよさそうである。
ということで、明日、助っ人が来るのだが、1日繰り上げて、夕刻帰阪。
うへっ、郵便物山積である。
夜は専属料理人の作ったイタリアンで白ワイン。
郵便物を整理しているうちにたちまち眠くなる。
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