『マッドサイエンティストの手帳』305
●マッドサイエンティスト日記(2004年6月後半)
主な事件
・播州龍野の日々(先月よりつづく)
・怪奇エレベーター男(19〜20日)
・久しぶりに上京(23〜25日)
・熊谷守一美術館(24日)
・角川春樹「復活の日」祝宴会(24日)
2004年
6月16日(水)
播州龍野の標準的1日(在宅バージョン)である。
快晴が続く。早朝は肌寒い。トレーナーでもじっとしていると寒い。こちらにいると終日同じ格好でボケーとしていられないのが面倒であるなあ。
郵便局、介護支援センター、ホームセンター、スーパーをウロウロの後、午後は「書斎」でボケーと過ごす。
机に向かったまま、窓から庭の草木を眺める。
それは薊でなければならなかった……。
んなアホな。庭の手入れをしていないから雑草が生え、塀のそばにドクダミが白い花を咲かせているのである。それがなぜアザミにしか見えないのか。思考力が低下しているのである。
40年以上前、受験勉強をしているふりをして原稿を書いていたのとまったく同じ位置に座っているのだが、ろくな思考しか湧いてこない。夕食のメニューはどうしようかとか。嗚呼……。
ということで、夜はオーブンでカレイを焼く。これが抜群の焼き上がり。老母が誉めてくれたからたいしたものだ。思考力は落ちたが調理の腕は上がっているのである。
白ワインを飲みながらテレビで読売棒振団の惨敗を見る。
このずっこけぶりが素晴らしく、敗戦処理に出てきた好漢・河原がメッタ打ちされるに至ってはもう感涙ものである。多村仁くん、ファンになるよ。
6月17日(木)
播州龍野の標準的1日(在宅バージョン)である。
少しは仕事もするのであった。
6月18日(金)
播州龍野の標準的半日(在宅バージョン)である。
昼に妹が到着、午後帰阪。
溜まった郵便物の処理。
専属料理人の作ったイカ・パスタとサラダでワインを飲む。
読売棒振団が負けないという最悪のゲームをボケーと眺める。
アタマがまるで働かない。
6月19日(土)
わ、午前3時に目が覚める。体がだるい……というよりも、なぜか節々が痛い。
終日穴蔵。
夕刻這い出て、天満のエル大阪へ。
シナリオ学校の講座。「SFの書き方その2」だが、課題を出してのゼミ形式。『帰郷』場面で短い文章を提出してもらったが、個性的なのが多くて面白い。
ついでながら、長崎・小6少女の『バトル・ロワイヤル 囁き』についてもコメント。前回、「おそらく数年以内に小説創作ソフトが出てくるだろうし、それに好みの設定を入力していけば59点の作品が作れるようになるだろう。ただ、たぶんその生成作品は個性的ではなくオリジナリティもないはず」と述べた。その続き。『囁き』は換骨奪胎以前の「トレース」であって(半透明の紙を敷いてマンガをなぞる描き方の小説版ね)、別にびっくりするレベルではないのである。大事なのは個性でありオリジナリティ。
……よく考えてみると、眼高手低であったが、おれの中学時代の習作の方が『囁き』より遙かに上(なんて比べるのはおかしいが)、今は「手低」のレベルがパソコンのおかげで「手中」くらいに上がっているのだろう。
終了後、久しぶりに安い中華屋でビール。ガヤガヤ。
大原まり子さんによく似た女性がいて記念撮影。
もっとも前のとり・みきそっくりさんほどは似てないけどね。
大原まり子さんそっくりといえば、わがボンクラ・サラリーマン時代に見た大和銀行(現りそな)勤務の人がいて、これは一瞬本人かと見間違うほど似ていた。
いずれも共通項はキャリア・ウーマンである。
キャリアが表情を作るのであるなあ……などと考えながら22時過ぎに帰宅。
と、わが集合住宅のエレベーター、各階停止状態でなかなか降りてこない。
エレベーターのボタンを全部押したアホがいるのである。
外部から来るアホガキが時々やるのはわかっている。
他に「ええ年こいた大人」が時々こういうことをやるのである。
これが誰かは判明している。防犯カメラに記録されているのだもの。
ところが「本人」は居住者でありながら、防犯カメラの存在を失念しているらしいのである。
この扱いについては理事の間でも意見がわかれた。おれは本人に「証拠」を見せて抗議すべき派である。が、地域社会だからそこまではという穏健派もいる。一般論で貼り紙しても意味なかろう。
アホがバレてないだろうと「エレベーター全ボタン押し」しているのを、「何も知らずにあのアホが」と眺めているのも、面白いといえば面白い。しれーっとした顔で生活しているのだからなあ、アホが。だが、イラチのおれとしては、こういう軽犯罪は氏名公開して恥をさらしてやるべきと思う。
手鏡持ってホームをウロウロしている植草某を見張っているようなものかな。
ま、被害者としては、明日、ビデオ記録を「手配書」に加工することにしよう。
その扱いは未定だが、このアホ、なんならこのページに公開しようか。
乞ご期待。
6月20日(日)
台風接近というが晴れた朝である。
5時過ぎ、「日本の話芸」は笑福亭福笑が出てきた。それなりに風格が出てきているなあ。
休日であるが集合住宅の管理人と理事長、副理事長立ち会いのもと、防犯カメラの記録で昨夜の「エレベーター全ボタン押し」犯人を特定する。……まったくエエ年こいたおっさんが! おれは犯人公開派だが、意見まとまらず。現理事のほとんどが女性で、「この人、怖そう」とも。
ま、おれの判断で一部公開。
降りる直前にボタンを押しまくるアホの後ろ姿である。ちょっと暗くしたが、乗ってくる時の顔面の映像もありまっせ、ボタンのおっさんよ。
困ったおっさんだ。
昼前に紀伊国屋書店へ。
喜多哲士さん(喜多さんは「S年F組」の先輩だから、この世界では「哲士兄さん」と呼ばなければいかんのだが)と会って借りていた資料の返却。ちょっと立ち話。コンコースのビール・スタンドで一杯やりたいところだが、それぞれ移動の途中なので後日ということにする。
播州龍野へ移動。
妹と「見張り番」交替である。
夜は姫路のジュンクドーでやっと見つけた長谷邦夫『漫画に愛を叫んだ男たち』(清流出版)を読む。ついでに『東海道戦争』(漫画版)も。
6月21日(月)
台風6号接近というが静かなものである。
朝6時過ぎにやっと雨が降り出す。少し風が吹くが、庭木が少し揺れる程度。
テレビで進路を見ると、やや、なんとこちら直撃コースではないか。
どうなることかと緊張していたら、正午に雨がやみ、ほとんど無風状態になってしまう。
13時頃に明石付近再上陸という。進路の西側は風速が進行速度と相殺されてこんなものか。自転車で買い物に行く。
複数のメールで本日が誕生日であったことを思い出す。
それも節目というか、あまり公開したくない年齢である。
老母がお誕生日だからと「おこづかい」をくれた。幾つになっても嬉しいねえ。
ワインを買ってきて、ひとり酒盛り。
テレビは台風ニュースばかり。人殺しはないのかいな。つまらないので、老母就眠後、LPでジョージ・ルイス、鈴木章治、ハンプトンのスターダストなど聴きながらワインを飲むのであった。
6月22日(火)
わ、ワイン飲みすぎで、朝7時まで寝てしまった。
老母が台所でゴソゴソする物音で目が覚める。
そろそろ「自立」状態ということで、まあ喜ばしいことである。
昼過ぎに妹が来る。
交替して、夕刻帰阪。
さあ、明日から久しぶりに上京である。
6月23日(水)
久しぶりに上京である。
7時10分発の高速バス「東海道昼特急」に乗る。
昨年秋、とくに今年になってから、新幹線が怖くてしかたがない。
3月に利用したのを最後に、時間があれば在来線かバス、急ぐ場合は覚悟を決めて飛行機ということにしたのである。
それもこれもブッシュのケツ舐めポチ公が「危機」を呼び込んでしまったおかげ。そこまで怖がらなくてもといわれるが、怖いものは怖い。別の理由で山陽新幹線は10年以上利用してないし、一生乗らないけどね。
ということで2C席で半分眠りながら上京。
ボンクラ息子その1が部屋の鍵を送ってくれたので、そちらに転がり込むことにする。
江東区某所。
近くにある「銀座通り商店街」のうらぶれた雰囲気が素晴らしい。
いったん荷物を放り込んだあと、近所のスーパーへ行って、冷蔵庫の中身、ビール、バーボンなどを補給しておく。
夜は岩本町まで出て、日本橋室町の鰻屋「亀とみ」へ。ボンクラ・サラリーマン時代に上京のたびに寄った店である。
ここでボンクラ息子その1と合流、久しぶりにウナギを堪能。ウナギだけは関東、それもこの店に限るなあ。
帰路、コンビニで氷を買って、夜中まで親子酒。
6月24日(木)
ボンクラ息子その1が出勤したあと、ボケーと本を読んで過ごす。ちょっと「隠れ家」みたいな場所にある部屋で、意外に静か。大阪の穴蔵よりも静かに思える。
今回はパソコンを持ってこなかったが、これならウィークリー・マンション代わりに使えそうである。食費の負担だけで済むしねえ。
昼過ぎに出て、地下鉄を乗り継いで豊島区千早の熊谷守一美術館へ行く。
森山威男さんが熊谷守一の文章の愛読者で、その関係から興味を持ったという、変則的ファンである。絵も見たいが、60歳を過ぎてから「正門から外へは、三十年間出たことはないんです。でも八年ぐらい前一度だけ垣根づたいに勝手口まで散歩したんです。あとにも先にもそれ一度なんです」という千早の自宅が、どんな場所なのか確認したかったからである。
垣根も勝手口も今はなく、小さな美術館が建てられているのであった。
おれも「誰が相手にしてくれなくても、石ころ一つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。監獄にはいっていちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かもしれません」という心境に至りたいものである。
地下鉄で銀座へ。
山野楽器。鈴木直樹のCDを見つけて購入。
夕刻、ホテル・ニューオータニ「鳳凰の間」へ。
角川春樹「復活の日」祝宴会。
発起人代表は森村誠一さんである。一昨年の小松左京賞の時に、「真の祝賀会を会費10万円でやろう」と話されており、もし森村さんが本当にやられるなら必ず参加すると決めていたのである。まあ、それくらいおれは森村ファンになってしまったのである。(ちなみに角川春樹氏と直接話したことはない)
会場前で井上雅彦氏に会う。母上が交通事故でこの数ヶ月、世話がたいへんだったという。大腿骨骨折も含む大けがらしい。お互い似たような事情なんだなあ。
会費は10万円よりは桁違いに安かった。
入り口廊下に長い行列。春樹氏自身が森村さんと並んでの出迎えで、挨拶する人が多いのであった。
司会がなんと三遊亭円窓師匠。俳句の縁らしい。こういう人なんだよ。『御乱心』の愛読者としてはなぜかおかしいのであった。
最初に「親代わり」の後見人・瀬島隆三登場、92歳のはず。源義氏に同郷のよしみで「遺言」として頼まれたのだとか。
「不良性」側の友人代表として北方謙三氏が挨拶。
そして角川春樹氏本人の挨拶。「2年5ヶ月と3日」この間に練り上げた戦略で、これから社員「四十七士」とともに世界制覇に乗り出すという。いったい何が始まるのか、この構想の一端も語られた。
こりゃ熊谷守一とは対極のメンタリティ。まさに風雲児の「復活日」である。
広い会場、超満員といっていい盛会。
小松左京さん、筒井康隆さん、眉村卓さんが揃っているというのも久しぶりではないかなあ。
他に会ったのは、覚えているだけで、山田正紀、田中光二、野田昌宏、南山宏、朝松健、大多和伴彦、荒俣宏、機本伸司、新井素子、今野敏の各氏……他にもまだまだ色々な人に会ったと思う。
写真は初対面(というか初めてしゃべった)朝松健さん、樋口明雄さんら。それに機本さんと荒俣さんという組み合わせも珍しい。
会場、さすがにえらい人があちこちに。大林宣彦氏や津川雅彦氏の顔も。
ジョー山中が登場して2曲。久しぶりであるなあ。
あとでなんとユーミンも登場(ここでは撮影禁止のアナウンスがあった)。
なんやかやで21時半頃にお開きとなった。
森村さんの挨拶で終わり、また出口でお見送り。
ミーハー的に森村ファンとして記念写真をお願いした。快く応じていただいた。
わが森村ファン度、ますます上昇である。
二次会はしんどいので、まっすぐ隠れ家に帰る。
23時頃に帰るというボンクラ息子その1のために食事の用意。居候としては、これくらいのサービスをしておかなくては。
6月25日(金)
早朝に隠れ家を抜け出して東京駅へ。
7時10分発の高速バスに乗る。
1C席。つまり2階最前列である。
見晴らしのいい席だが、曇天。箱根あたりから本格的な雨になる。
客の大部分は寝ていて静か。
雨中の走行、おれは角川春樹の句集『檻』を少しずつ読みながら移動するのであった。
イカロスのごとく地に落つ晩夏光
そこにあるすすきが遠し檻の中
この先に冬の海あり鉄格子
獄を出て時雨の中を帰りけり
……延べ11年の歳月、そしてその最後の「2年5ヶ月と3日」の時間がここにある。
夕刻帰宅。
さあ、明日からまた播州龍野行きである。
6月26日(土)
朝から激しい雨である。
近所の医院で血圧測定……とやや高くなっている。テロ恐怖によるストレスか。
播州龍野へ移動。
午後から「播州龍野の標準的1日(在宅バージョン)」に復帰。
6月27日(日)
典型的な梅雨空である。
朝5時、「日本の話芸」は講談で、宝井琴桜という女性講釈士の『与謝野晶子物語』……聞かせますなあ。芦辺拓さんが書いている旭堂南湖のシリーズものをここで演ってくれないものか。
播州龍野の標準的1日。
梅雨空で心配していたら、案の定、老母が「気分が悪く食欲なし」状態。低気圧・高湿度の時によくなる状態である。
昼には回復、夕方には予想外の健啖ぶりを示す。
おれが新じゃがで作ったオムレツをきれいに平らげた。
わしゃワインを飲みながらジョージ・ルイスを聴く。
こちらはアンテナを立てないことにはFMが入らず、セッション505が聴けない。これだけは不満である。
6月28日(月)
播州龍野の標準的1日である。
馬場錬成『中国ニセモノ商品』(中公新書ラクレ)を読む。
10年前は「お笑い商品」であった中国製コピー商品のレベルアップ事情がよくわかる。
わしゃ天安門事件のずっと前から中国相手の仕事(マーケットを失う可能性はむろんあるが)はやらないと決めてきた。数年前(この頃)、アドバイザーとして某工場を見に行ったことがあるが、業務提携の話は断った方がいいという判断であった。これはやはり正解であった。
コンシューマ商品でなくてもコピーされる事例が紹介してあって(田中科学機器製作の事例がまさにそう)、これはいちばん危惧したところであるのだ。
わがタイムマシン、いずれは「中国製タイムマシン」とアフリカあたりで競合か……。
6月29日(火)
播州龍野の標準的1日である。
老母は自分の味覚にあうものが食べたいらしく、調理の頻度が増えてきた。
夜は野菜系を母が、タンパク系をおれが担当する。
だんだん腕があがってきたなあ。
6月30日(水)
播州龍野の標準的1日。
真夏の日照りである。
昼、静岡で大雨、新幹線が止まっているというニュースが流れる。
横浜から兄がこちらに向かっているはず。兄貴は足止め状態でないかとメールしたら、別件あって朝から大阪まで来ているらしい。
その兄が夕刻到着、しばらく交替することになる。
夜、帰阪。
シャワーを浴びて、ビールを飲みながら、さあナベツネ棒振団が逆転されるところを見ようかと思ったところで中継終わり。困ったものだ。
今年の前半の終わりにふさわしいしまりのなさよなあ……。
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