『マッドサイエンティストの手帳』274
●マッドサイエンティスト日記(2003年5月前半)
主な事件
・連休は穴蔵で過ごすのであった(3-5日)
・OSAKA ビッグリバー・ジャズ・フェスティバル2003(11日)
・『私の好きな兵庫の風景100選』(13日)
・CD『ニューシネマ・パラダイス』(15日)
2003年
5月1日(木)
早朝の電車で播州龍野のタイムマシ格納庫へ移動……のつもりが、ふだんは昼まで寝ているボンクラ息子その2が同行すると起きてくる。
今や孫の中で唯一の学生であるので、たまには祖母に顔を見せにいくということらしい。意外に感心なやつである。
龍野はまだ少し肌寒い。
5月に入ると、クシャミと鼻水はピタリととまる。これだけはありがたい。
ボンクラ息子その2に老母の相手をさせて、こちらはタイムマシンの整備。
ボンクラ息子その2、実家近くにある「ゴミ屋敷」にいたく感心した様子。
ゴミ屋敷も新緑で包まれているのであった。
こんなゴミを詰め込まれたクルマが7、8台。木を切らない限り移動できないのである。
このクルマが置かれて、横に木が植えられて5年以上かな? いや、もっと経っている雰囲気だな。
これからどうなるのであろうか。
夕刻帰阪。
甲子園で阪神・巨人戦があるので、帰路はJRを利用。阪神が連勝しているだけに、今日もアホが詰めかけるだろうと、阪神は敬遠である。
帰宅すると、連休で東京からボンクラ息子その1が帰ってきている。
フィアットを受け取って、そのまま徹夜で走ってきたらしい。
久しぶりに家族が揃ったということで、専属料理人、まあ張り切ること。枝つきの枝豆に中トロ、鰺のタタキ、さらに大量の肉料理とサラダ、筑前煮にヒジキまで、こういうメニューは小出しにしてもらう方がありがたいのだが。
5月2日(晴)
ネクタイをしめて仕事をするのであった。
製造業でない限り、大部分の会社は休んでいない。
中国がああなれば、日本の工場も休まなくなるかもしれんぞ。
午後帰宅。
ボンクラ息子その1が乗って帰ってきたクルマを見る。
FIATのUNOである。何年前のだ。昔のファミリアくらいのサイズか。ファミリアがまねたのか? 左ハンドルで、マニュアル5速。扱いが面倒な感じだがなあ。故障は多そうだし、トラックにぶつけられたら即ペシャンコだろうし、また心配のタネが増えた感じ。嗚呼……。
夜、デフランコを聴きながらビール。切れ目に、偶然テレビをつけたら、NHKのロボット番組最後の方。15分間に知り合い4人(森政弘先生、川人光男さん、司会の松尾貴史、石黒浩教授)立て続けに登場したのにびっくり。ロボ業界は狭いというか。最初から見ていたらよかった。
5月3日(土)
快晴、初夏の陽気である。
終日穴蔵。
高槻ジャズストリートの日であり、穐吉敏子、日野皓正、ハリー・アレンなどが来ていて、ともかく「無料」というのが魅力だが、プログラムがよくわからない。HPもあるが、うまく機能していないようだ。
豪華メンバーで「無料」だから、あまり宣伝すると、京都・大阪から市民以外のファンが押しかけるので、制限しているのかな。
ボンクラ息子その1はFIATで出かけてしまい、予定わからず。……午後、どうやら甲子園へ行ったらしいと判明。どうなっておるのだ。
高槻ジャズストリートには滝川雅弘さんも出るが、22時からと、これまた変則的な時間。
結局、夕方まで穴蔵。
夜は専属料理人とワイン。
CDはケン・ペプロフスキー、ケニー・ダーヴァン、ルディ・バリュウと渋いところを聴いて、最後に滝川雅弘。
5月4日(日)
快晴、初夏の陽気。
高槻ジャズストリートの日。行こうか迷うが、ボンクラ息子その1が本日夕方までで帰京するというから、その前に買い物につきあわねばならぬかもしれぬ。
阪神快勝であとは明け方まで遊んでいたらしい。
起きるまで待っていることにしたら、なんと、夕方5時頃まで寝ている。
こちらは待機モードで夕方まで穴蔵。
結局、家族揃っての夕食のあと、徹夜で走るからとボンクラ息子その1、FIATで東に去る。
5月5日(月)
早寝したら2時過ぎに目が覚めてしまった。
暖かく、花粉も終わったので、久しぶりに「早朝グルメ」にと自転車で午前3時前の梅田に出かける。
大阪駅、コンコースにホームレス諸君多し。ルン吉くんは見あたらない。元気なのだろうか。
馴染みの店はさすがに全部休業である。しかたないか。
阪急東通りのみ、黒服の客引きが多い。
天五から天六、こちらも全部休み。
梅田に戻り、ツタヤでCD4枚借りる。大滝詠一監修の小林旭『アキラ1〜4』、聴こうと思いながら忘れていたのである。
午前4時帰館。
朝8時過ぎに、ボンクラ息子その1から「無事に帰着した」と連絡。ほっ。
あとは終日穴蔵。
本日は一切仕事せず、アキラのCDと雑読である。
5月6日
朝、穴蔵の応接室に来客。
タイムマシンの打ち合わせをするのであった。
上海方面の話が途絶えてしまったのが不気味である。事情を知りたくもあり、知りたくもなし。電話かメールならいいが、「上海から帰りましたのでお伺いしてご説明を」といわれたら、正直なところ困るよなあ。
連休明けで近くの医院へ。血圧は140-80。血液検査の結果も特に異常はない。
穴蔵の室温28℃。ベランダのドアを開けて、シャツ1枚でパソコン。
集合住宅関係の雑用重なる。理事長、ともかくあと1週間である。
5月7日(水)
曇天で異様に蒸し暑い日である。
気分がさえない。
鬱気分である。
まったく仕事をせず、CDを聴く気分にもなれず。終日、寝転がって雑読。
終日穴蔵。
ネットで注文していた『小林旭読本』が届く。
映画関係の方はだいたい読んでいたことが多いが、大瀧詠一の詳細な「アキラ節」解説には驚嘆。ハマクラ〜守屋浩との関係など初めて知った。勉強になるなあ。
5月8日(木)
朝、急にどしゃぶり。外を見ると、出勤途上のボンクラサラリーマン諸君がずぶ濡れになっているのが見える。
少し鬱状態が晴れてくるのであった。
午前中穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
午後、雨があがったので、外出。
少しはネクタイしての仕事もするのであった。
5月9日(金)
3時に目が覚める。
天候とともに気分も回復。少しは仕事もするのであった。
朝、来週に予定している某講座の配布資料を届けるために、自転車で天満へ向かう。
途中、天神橋筋商店街を走っていると、なんと、シャッターを下ろした商店の前にルン吉くんが寝ているではないか!
心配させやがって。こんなところにいたのか。
天神橋筋4丁目付近である。
1月30日以来、3月ぶりだ。
相変わらずの赤い防寒服。元気でいたのだ。しかし、なんとこんな所まで来ていたのか。かめくんから、扇町公園で寝てはりましたでと聞いたことはあるが、こんな場所が寝床だと、わからないはずだ。
ルン吉くんがわが穴蔵の近所を寝床にしていたのは2000年11月半ばからである。この赤い防寒服、ともかく3冬を越したわけである。
3年半で中津から天四まで、遙けくも来たものであるなあ……。
天満の大阪シナリオ学校事務局の前まで行くと、山崎事務局長とばったり会う。
せっかくだからと、新事務所で雑談1時間。
15、6人なら会議ができるスペースがあり、何かと利用できそうである。
天気がいいので、中之島のバラ園を通過。
本町近くで会社時代の知人と昼飯。
靱公園、桜よりも新緑の今がいちばん雰囲気がいい。
午後、かんべむさし氏の事務所に寄って、ここでも雑談1時間。
靱公園のすぐ近くにTakeuchiという、その筋では有名なパン屋があり、専属料理人についでがあればと頼まれていたので、わからないなりに焼き立てを数個。
ついでに近くの「酒の篁」で白ワインも。
これで夜のメニュー、だいたいの線が決まる。
夜は、ホタテのなんとかにアサリの酒蒸し、トマトサラダその他を並べて白ワイン。
CDはバド・パウエル、エリック・ドルフィーなど。
音を消してナイター、阪神圧勝、巨人が中日に逆転負けという、最高のパターンである。
鬱は完全解消。
クリント・イーストウッド『目撃』はビデオ録画にセットして、定刻10時就眠である。
5月10日(土)
朝、集合住宅関係の会計チェックに立ち会ったのであった。
理事長としての業務の引継もやったのであった。
昼間は少しは仕事もしたのであった。
夕方から近所の会館で集合住宅関係の定期総会が開催されたのであった。
規約により議長を務めたのであった。
終わったのであった。
これで一応、理事長職から解放されたのであった。
まだ残務は残っているのだが、ともかく終わったのであった。
ビールを飲んだのであった。
専属料理人がご苦労様でしたといってくれたのであった。
CDはロリンズのオン・インパルスなどカリプソ系なのであった。
ビールが旨かったのであった。
5月11日(日)
昼過ぎに出て、天満OAPへ行く。
11時から始まっているOSAKA ビッグリバー・ジャズ・フェスティバル2003である。
あいにくの雨で、芝生広場での企画が中止、38Fスカイラウンジに統合されたらしい。
したがって、予定バンドが30分刻みで、7時間にわたって演奏する。順序も構成もかなり入れ替えあり。しかし、会場に熱気があり、結果としては、滝川雅弘さんが2ステージ聴けたから儲けものというべきか。
13時に到着、ニューオーリンズから帰ってきたばかりのマホガニーホール・ストンパーズは、出番がトップになり、もう演奏は終わったという。ピンカラ聴けず、これだけは残念。
会場にはニューサントリー5で顔馴染みの人たちたくさん。
ODJCの口羽事務局長に事務局へ連れてかれて、末廣光夫ご夫妻に挨拶。
神戸ジャズストリートのHPのリニューアルを計画中だそうで、リンク関係など色々相談。ODJCのHPも進めなければいかんなあ。
38階ラウンジで、
ロイヤル・フラッシュ・ジャズバント
つづいて、
多田恵美子トリオ+滝川雅弘で「A列車で行こう」
滝川さん、やっぱりいいなあ。
あと、ヴォーカルで森朋子さんが加わる。
つづけて、ニューオリンズ・レッドビーンズ
また事務局へ行って、ちょっとビールを飲み、滝川さんたちと雑談。
演奏会場に戻って、
元気いっぱいのブリッツ・アンド・スカッシュ
今のニューオリンズの雰囲気を伝える若手ブラス。晴天の芝生で演らせたかったなあ。
ふたたび滝川さん登場! 若江敏樹トリオ+滝川雅弘、「星影のステラ」が泣かせる。
あと矢萩典代さんのヴォーカルが加わる。
そして最後に、ニューオリンズ・ラスカルズ+ジェフ・ブル!
滝川さんにつづいてラスカルズが聴けるとは、なんともうれしいことである。
……が、来た時から、ともかく目障りなのがほとんどステージ中央まで出てきて「バッタ踊り」をやってる連中。
こいつらには今年始めのジャズパーティでも往生した。ここでもちょっと批判的なことも書いている。春のニューオリンズ・ジャズ・カーニバルにはこなかったからほっとしたいたのだが、またも来さらした。嗚呼…
デキシーで踊るな、などと野暮はいわない。
この連中、堂々と演奏者も演奏も無視するかのごとく正面に出てきて「バッタ踊り」…ジルバみたいなの踊っておるから jitter-bug、まあバッタみたいなものだろ? いずれにしても「害虫」であることは間違いない。
ともかく目障りでたまらない。
おれは温厚な性格だからめったなことでは怒らないが、こいつらだけには辛抱できない。
途中で司会者が余計な紹介をしたものだから、歯止めが効かなくなってしまったようだ。(主催側が最初から許容していたのならしかたがないが、もし勝手に乱入してきたのだったら、おれはこの害虫どもに一方的だがケンカを売る。それくらい腹が立っているのである)
↑名手・福田恒民氏の前でバッタやってるこいつが主犯。おれには福田さんが迷惑がっているとしか見えない。
福田さん本人に確認すれば、紳士だから苦笑するだけかもしれない。が、スライド・トロンボーンの奏者の前をウロチョロするなどもってのほか。ジャズファンならずとも当然の常識ではないか。
ダンサーにしてはスタイル悪いやつだぞ。チビ、短足。体型池乃めだか顔は出川哲朗。汚いケツを福田さんに向けやがって。
ライブ会場で我慢ならないということではピットインでカメラ持った迷惑オバハン以来だ。
ハッピー・デキシーで踊るのは、まだ我慢できる。
滝川雅弘のアドリブの時でも、志賀奎太郎とジェフ・ブルが絶妙のゴスペル・デュオを歌っている前でも、同じようにバッタ踊りできるってことは、音楽的には何の意味もない証左だろ?
とくに短足ニイちゃんに漂っている「自己陶酔」の気配が鼻持ちならない。
まだ若いんだろ? 一生こんなこと続けるつもりなのか? やめときなよ。
失せろ! ジャズの害虫・バッタ野郎!
我慢の限界を超えてしまった。
ラスカルズの演奏途中なのだが、気分が悪くなって席を立つ。
バッタ、ともかくニューサントリー5にだけは来るなよ。おれの家族が迷惑するからな。なんとなれば、おれがバッタ野郎にグラスを投げつけて、傷害で逮捕、縄付きになること必至だからである。ボンクラ息子とはいえ「前科者の子供」にはしたくない。
ラスカルズの残り数曲、それに全員のジャムセッションを聴けないまま、ひとり寂しく雨の与力町を歩いて帰るのであった。
こうなると、いい日だったのか悪い日だったのか、わからなくなるなあ。
無料のコンサートだからしたかないか。
夜は親子3人ネコいらずで「手巻き寿司」にビール。
気分、やっと回復。
しかしなあ……バッタ野郎めが。
※追記
ビールを飲み過ぎて、今夜午後10時〜放送のセッション505「森山威男カルテット」聴くのを忘れてしまった。予定表にきちんとメモしていたのによ。
ま、金曜に再放送があるから、5日間の辛抱だが。
恨むぜ、バッタ野郎。
(追記は23:10……ああ眠い)
5月12日(月)
早朝の電車で播州龍野のタイムマシン格納庫へ移動。
珍しくも専属料理人が同行。こちらは、前日が「母の日」であったから、わが実家の老母の相手をしてくれるということらしい。
終日、タイムマシンの整備。
夕方の姫新線で姫路へ出る。
姫路駅で上田満治・早夕里夫妻と会い、近くのヤキトリ屋でビール。
上田卍さんは筒井康隆コレクションでは五指に入るツワモノ、上田早夕里さんはソリトンの桓崎由梨さんでもあって、前回の小松左京賞に『ゼリーフィッシュ・ガーデン』が最終候補3篇に入っていた人。本日は別に残念会というわけでなく、次の作品を含めて、最近のSFの話題色々。いちばん期待できる作家は平谷美樹さんである(これは日本のSFの状況論でもあるが)ということで意見が一致。盛大にビールを……おれだけが飲むのであった。
卍さんはアルコールがダメ、早夕里さんは影響を受けてか、ずいぶん弱くなった印象である。
地方都市の夜は早く、9時半頃に解散となる。
姫新線で龍野に戻る。実家泊。
5月13日(火)
4時に目が覚めてしまった。
朝5時からタイムマシン格納庫でタイムマシンの整備。
昨日から久しぶりに力仕事なので、筋肉が痛い。歳であるなあ……。
昼までで区切りをつける。
午後は実家書庫の整理を少し。全然片づかない。
兵庫県庁からとつぜん実家に電話。
揖保川流域委員会の機関誌に提供していた揖保川べりの写真を展示用に貸してほしいという依頼である。
『私の好きな兵庫の風景100選』という企画があって、揖保川の畳堤が100選に入っているのだが、適当な写真がないのだという。
わが実家から近い堤防である。
こちらのノートパソコンにも保管していたのでメール送信。
送ったのはこの写真。
「畳堤」というのは、水位が極端に上がった場合、堤防の上部に畳を差し込むことで堤防の高さを上げられる構造。ふだんは川面が眺められるよう、景観に配慮している……という謳い文句。
右側のような構造だが、畳のサイズが小さくなっているから、洪水の時に、河岸全部に差し込める枚数が揃うかどうか……。
まあ、子供の頃から約50年、ここまで水位が上がったことは皆無であるが。
5月14日〜27日、兵庫県公館ロビーで写真展。間に合うかなあ。
夕刻の電車で専属料理人と帰阪。
5月14日(水)
ぐぐっ……体の節々が痛む。
終日穴蔵。
先日の総会で理事長職は終わったものの「規約改訂」が議決されたので、管理規約の改訂。7年ぶりの改訂版作製、前回の原稿もおれが作ったので、乗りかかった船でいたしかたなし。7年分の議事録をチェックしながらの改訂、夕方までかかってまだ終わらず。
調べてみると、4年前の怪文書騒動があった時期の議事録が、意図的にか不注意でか、ファイルに綴じてないのである。困ったものだ。
管理会社に連絡してコピーを届けてもらう。
……ったく、いつまでも騒動が尾を引くなあ。
5月15日(木)
終日小雨。終日穴蔵。
昼過ぎに管理規約の改訂やっと終了、チェックのために別理事に原稿を回す。
あ、仕事もしなければならないのであった。
某コラムに「百円均一ショップ」のことを書く。……ヒャッキンを見て、80代半ばになる母が「これは昔のテンセンストアやね」といった。
十銭均一をテンセンと呼んだのである。
テンセンストアは龍野のような田舎町でも昭和初期には人気店だったらしい。
十仙店(テンセンストア)は『オリンポスの果実』に出てきたのを覚えているのだが、これはホノルルの10セント店。日本のテンセンがアメリカのをまねたのは間違いない。……ただし、田中英光が買ったセーム皮ノートは50セントだったはずで、アメリカのテンセンが10セント均一だったのかどうかが不明のままだ。
短いコラムなので、この点は調べがつかないまま送稿(と、言い訳を先に書いてどうなる)
夕方に近い午後、紀伊国屋で田中啓文さんと会う。
ユナイテッド・ジャズ・オーケストラが出した初CD『ニューシネマ・パラダイス』を受け取る。
少しでも話題になって1枚でも売上げが伸びるとうれしいので、↑ここんとこ、ぜひご一読を。
田中啓文氏、もうパソコンのバッテリーがあがってしまった(つまり、本日はもう原稿は書かないの意)という。こちらも「長編」(←管理規約だってちゃんと「一冊」に製本されるんだからな)が終わったところなので、かっぱ横丁の「いちばん安い」串カツ屋でビール。
話題はとうぜんジャズと落語である。
限りなく夜に近い夕方までビール4杯半だったかな。
歩いて帰宅。
夜は専属料理人と、カツオのタタキ、イカと小芋の煮たのとか、和風小鉢を並べて、またもビール、焼酎湯割り。『ニューシネマ・パラダイス』を聴きながらで、こりゃ回りますなあ。
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