HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』240

●マッドサイエンティスト日記(2002年6月前半)


主な事件
 ・久しぶりにラスカルズ(1日)
 ・米朝師匠を追うNHKスペシャル(2日)
 ・副島輝人『日本フリージャズ史』を読む(5日)
 ・「荒野のダッチワイフ」と「毛の生えた拳銃」(6日)
 ・久しぶりに中村誠一を聴く(6日)
 ・「のーてんき通信」立ち読み(11日)
 ・ルン吉くんと5月ぶりに再会(12日)
 ・「香箱を作る」(13日)

2002年

6月1日(土)
 前夜から某創作講座の原稿添削など。
 気がつけば午前5時。……6時過ぎに久しぶりに自転車で天五「与太呂」へ。
 ビール一杯。と、……カウンター隣に大迫公成氏そっくりなタバコ男がいて、これが気味悪いほどよく飲む。すでにビール大瓶2本がカラになっていて、おれが横に座ってからさらにビール大瓶1本、刺身、納豆その他。さらに中ごはん、鰺塩焼き、はまぐり汁、白菜の浅漬け。締めて3200円! 大迫さん、大丈夫か?
 こちらはなんとなく徹夜なので、帰宅後、昼まで寝る。
 終日穴蔵。
 夜、21時前に自転車でサントリー5へ。
 森マスターは眉村さん夫人のお通夜に行ってたのだという。ちょっと伝言なども。
 久しぶりにニューオリンズ・ラスカルズ。2ステージから最後まで。
 6月には土曜以外にも、東京からのゲスト参加でライブがあるらしい。

6月2日(日)
 二日酔いと真夏日が重なってアタマが働かない。何する気力もない。嗚呼……。
 夜、NHKスベシャル『桂米朝 最後の大舞台』を見る。歌舞伎座での独演会、「百年目」と「一文笛」。「百年目」が「完璧な舞台」(米朝師匠の自己評価だろうけど)に終わらないところがドラマチックであり感動的である。
 歌之助師匠への言及あり、またずっと吉朝さんが付いているのもいい。
 はっきりいえば「代替わり」を意識しておられるのであろう。
 サンケイホールの第1回が71年7月で「地獄八景」と「市川堤」。この組み合わせはこの時だけのはず。米朝師匠46歳、客席にいた上田少年は16歳。上田少年は3年後に弟子入り。この会は「至福の時間」だったと後日述懐していた。
 上田くんは吉朝という名になって、あれから31年目、米朝師匠が大ホールでの独演会終了を宣言した年の7月、サンケイ独演会に「地獄八景」と「市川堤」をかける。吉朝47歳。これはもう、師匠の意志と弟子の覚悟が一致してのことだろうな。

6月3日(月)
 またも集合住宅関係で半日がつぶれる。
 半日つぶれると、残り半日は、あまり生産的でなく、雑読雑パソコンで過ごしてしまうからいかんのよね。

6月4日(火)
 早朝から播州龍野のタイムマシン格納庫へ。
 真夏日である。まあ、わがタイムマシンは保管している分には-40℃〜+50℃は平気なのであるが。
 実家にも寄り、夕方帰阪。
 梅田のターミナルなどに人だかり。何かと思えばW杯、日本〜ベルギー戦をやっているのであった。ちょうど電車で移動中に試合があったらしい。
 20時過ぎに帰宅。
 ビール飲みながらナイターでもと思ったら、なんと本日、プロ野球のゲームは皆無なのだという! そんなバカな。わしゃ特別に野球ファンではない。ビール飲みながらなら、ジャズを聴いているのがいちばんいい。ただ、家族が嫌がる場合はテレビでナイターでもかまわないという程度である。本日、なんとプロ野球の試合が組まれていないことを知って愕然。誰が決めたのだ? こんな弱気なことでいいのか。わしゃ、巨人がボロ負けしているなら、日本チームのサッカーよりそちらの方がいいぜ。……それとも、プロ野球の選手もサッカーが見たいのだろうか。
 こんなマス・ヒステリー状態、嫌でっせ。
 穴蔵に戻って、買ってきたばかりの副島輝人『日本フリージャズ史』(青土社)を読み始める。……ん? はじめの方にちょっと気になる部分。森山威男の山下カルテットへの参加が67年の豊住芳三郎渡欧のあと交替、その後11月に映画「荒野のダッチワイフ」のための録音とある。「荒野のダッチワイフ」でドラムを叩いているのは豊住芳三郎か森山威男か? ビデオ化されていたかなあ。学生時代に上映されたのは知ってたが見ていない。たぶん豊住と思うんだがなあ。もし森山ドラムなら、ディスコグラフィを変更しなければならない。
 サッカーどころじゃないぜ、これは。

6月5日(水)
 終日穴蔵……ともいかず、朝から市内を自転車で移動。
 暑いことでございます。
 午後穴蔵に戻る。……東側がベランダの穴蔵、午前中が最高気温で、午後のほうが涼しい。
 副島輝人『日本フリージャズ史』(青土社)読了。……まったく独自に発展をとげた日本のフリージャス、1962年からの40年が書かれているが、やはりピーク(というか、試行錯誤も含めて密度の高かったのは)70年だったのだなと思う。
 副島さんとは一度だけお目にかかったことがある。ピットイン近くの喫茶店で坂田明さんが紹介してくれた。ごく穏やかで常識的な方の印象だった。文章しかり、フリージャズの記述はどうしても観念的な文章になりがちだが、本書の描写は平明かつ淡々としていて、これだけ個性の強いプレイヤーが入れ替わり立ち替わり登場するのだから、これがいちばん正しい描写だと思う。同時に、よほどの情熱がないとフリージャズのプロデューサーなんて務まらないのだなと、改めて感嘆する。
 テレビのニュース、昨日のサッカーの話題ばかり。朝から論告求刑やってた和歌山地裁、18時過ぎにやっと林真須美に死刑求刑。
 今夜もプロ野球なく、京都放送の『座頭市物語』を観る。やっぱり天知茂にほれぼれするなあ。映画は脚本で決まる。「脚本は凡庸には書けない」は犬塚稔『映画は陽炎の如く』における主張だが、それをまさに証明しているなあ。サッカーよりやはり面白い。
 ……早寝のつもりが、近くの路上で女の悲鳴と男のどなり声。ベランダから覗くと、白い上下の安岡力也みたいなのとオミズ風の酔っぱらい女が何やら揉めている。力也が女の腕をねじりあげているように見える。あちこちの窓から野次馬。10分ほどして、通報あったらしくパトカーが来て連れていったが、なんだったんだろうな。
 深夜、豊崎路上の出来事。

6月6日(木)
 集合住宅理事長として、あまりやりたくないのだが、「現金」の移動をせねばならぬ。郵便局から銀行への送金が出来ないため、1千万円の札束を、郵便局から銀行まで、約100メートル運ぶことになる。
 郵便局も心得ていて、カウンターの内側へそっと案内して、目立たぬ場所で渡してくれる。
 現ナマを持った新記録かな。いままでは600万が最高額であった。
 あとは終日穴蔵。雑用片づかない。
 夜、9時に自転車で出かける。
 ミスター・ケリーズに、久しぶりに中村誠一グループ出演である。
 中村誠一(as,ts)金子雄太(org)竹田達彦(ds)のトリオ。誠一さん、珍しくもアルトを吹いている。アルトは初めて聴く。あと、オルガンというか、キーボード、ハモンドオルガンと紹介されているが、「KORG CX-3」という楽器である。ハンク・モブレーや、最後は「セント・ジェームス病院」……前にニューオリンズに行った時以来気に入っての演奏とか。スタイルはむろんデキシーと関係なし。
 終演後に、なんだかドヤドヤと客が増える。音楽関係がそれぞれ別個に2グループ? 誠一さんに挨拶する人も。恰幅のいいのが、後で聞くと、仙波清彦氏であったらしい。
 隣のテーブルの藤井信幸さん……なんと「黄金虫」を聴いて以来のファンなのだという。「黄金虫」は中村さんが山下トリオを離れて、ゲスマイファインズ結成までの、数ヶ月間のグループではなかったか。年齢から推察、藤井さん高校生の時と思う。これまた不思議な縁のファンである。
 off off
 中村誠一さん、藤井さんと3人でドン・ショップへ。ここにもジャズ関係多い。が、中村さんはサックスは片づけていて演奏なし。
 気になっていた『荒野のダッチワイフ』について訊く。
 ……「荒野のダッチワイフ」のドラムは豊住芳三郎である。67年秋に豊住渡欧(ミッキー・カーチスのバンド「サムライ」のヨーロッパ公演メンバーとして加入したため)で、交替で森山さんが加入。翌68年の大和屋竺第3作「毛の生えた拳銃」の音楽も担当。これは森山さんが叩いているという。
 「毛の生えた拳銃」は今やカルト的映画で、アングラ系の映画会で上映されるくらい。大和屋竺は寡作で「裏切りの季節(66)」「荒野のダッチワイフ(67)」「毛の生えた拳銃(68)」「愛欲の罠(73)」「発見への旅立ち(74)」の5作。「荒野のダッチワイフ」以外は入手不可能ではないか。森山威男ディスコグラフィーに追加すべきかと思うが、【森山研】の趣旨からは、まず「現物」に当たってみないことには……。
 中村誠一さんは10代からプロ活動やってて(この辺、16歳からSFに首を突っ込んでいたぼくと似てないことはない。ぼくはプロではないけど、創生期に立ち合っているということで)当時の細かい事情をよく覚えているのが凄い。
 自転車で帰宅1時過ぎ。

6月7日(金)
 真夏日である。東向きの穴蔵、朝8時に31℃、これは昨年7月の気温。……ただし、31℃は、ぼくにとっては「適温」なので、むろんクーラーをつける必要なし。
 やや二日酔いである。
 昼、キムチドバドバの韓国冷麺が食べたくなり、自転車で明月館へ。ついでにツタヤで『毛の生えた拳銃』を探すが、やはりビデオはない。若松孝二は割合揃っているのだが……。
 衛星放送で美空ひばりの特集をやっている。が、サッカーを観るとかで拒絶される。ビデオに録画しようかと思ったら、バイト中のボンクラ息子その2が、やっぱりサッカーの録画セットしている。特別に美空ひばりが好きなのではない。「小説すばる」の「ひばりと田岡」に関する西木正明氏の連載が面白いく、それに派生しての興味である。
 サッカー狂騒状態には困ったものだ。
 ひばりは諦めて、穴蔵でエディ・ダニエルズを聴く。中村誠一評価では、今いちばんうまいのはダニエルズということである。

6月8日(土)
 朝5時のニュースで東京〜横浜での中国人同士(らしい)男児誘拐の逮捕・身柄確保のニュース。未明に逮捕劇があったらしい。サッカー以外のニュースが流れるとほっとするなあ。逮捕を目撃した住人のコメントがいい。「髪の短い男と、もうひとりどうでもいいような若いのだった」
 カンカン照りの昼間、自転車でかんべむさし氏の仕事場へ。資料の返却。
 夜、NHK教育で米朝師匠「最後の歌舞伎座の独演会」で「百年目」を見る。

6月9日(日)
 終日穴蔵。
 夜、BSで『にっぽんのジャズ大全集』……最初のスイング・バンド、五十嵐明要や西条孝之介に並んで右近ちゃん(右近茂)が吹いているのがいいなあ。日野皓正や山下洋輔4Gユニットも登場、気分がよくなってきたところで家族がサッカーを見るという。BSは自宅リビングのしか受信できず、ビデオはすでにバイト中のボンクラ息子その2がサッカーを予約してしまっている。W杯にも困ったものだ。
 日本が出る試合だからしかたないか。
 ふてくされて穴蔵に戻る。……時々「近所」それも複数からギャーッとかウォーッという声が響いてくる。
 落ち着かないことであるなあ。

6月10日(月)
 終日穴蔵。
 テレビのニュース、やはりサッカーばっかり。ナンバでは道頓堀に140人くらいが飛び込んだのだという。阪神優勝どころじゃないな。死者が出ないのが寂しい。
 夕刻、大学時代の友人S野くんから電話があり梅田で会う。この3月からフリーという。午後5時前で、あまり店が開いてない。新梅田食堂街「2階」の居酒屋でビール。サッカーの日はヒマになるらしい。2時間ほど飲んだが、外はまだ明るい。午後7時前に帰宅して仮眠。

6月11日(火)
 早寝したから夜中2時過ぎに目が覚めてしまった。
 昨夕、S野くんとの話である「俳句」が気になり、本棚の歳時記を探していたら、スチール製書架の一部が「決壊」。掛け金の一部が外れて、2段分が崩れ落ちた。下階に響いたかな。足に本の角が当たってかなり痛い。……崩れたうちから、必要なのだけ戻す。もう残りの本は捨てることを決意。
 雨だが、所用あって歩いて梅田へ。
 ジュンクドーへ寄ったついでに武田康廣『のーてんき通信』を立ち読み。……本当は「座り読み」しようと思ったのだが、この店の席は常連みたいなのでいつもふさがっている。が、まあ、立ち読みでもたいした負担にはならない。30分ほどで読めてしまうからである。著者名からの印象とは正反対で、まったくオタク度希薄、これではメモ書きレベルではないか。あまりにも淡泊。もっともっと書き込まないと。
 一例を挙げれば『愛國戦隊大日本』の一件。これでは『日本SF論争史』の短い記述にも及ばない。「フジヤマ将軍」で出演した小生について、あとで出演場面を削除してほしいと「根性のない依頼があった」と注釈がある。これについては、今まで公言していないが、おれなりの事情があったので、この際書いておくことにする。
 1982年8月『愛國戦隊大日本』が上映されたTOKON8、わしゃ事情があって会場に1時間ちょっといただけでトンボ帰り、この時に観ていない。で、その後しばらくしてから(秋頃だったか)騒ぎになりだした。おれが驚いたのは、『愛國戦隊大日本』批判記事がおれを除くかなりの数のSF作家に読売新聞社から速達で送られたことである。友人が知らせてくれてこの事実を知った。
 正直いって「また読売が相手かいな」と憂鬱になったものである。
 前年の「太陽風交点」事件についての読売報道は明らかに原告に肩入れしている。筆者は文化部の宮部修記者(宮部くんはその後、出版部門に移り、今は退職して、どっかの文章教室講師だったかな。新書にまとめたのを立ち読みしたが、勉強になりそうにないと判断して買わなかったけど。が、昔の記事に対する批判はこれからネチネチやるからね)である。
 その裁判は証人尋問の段階にあって、82年5月と7月に今岡清、10月に細井恵津子が出廷、12月におれの主尋問と反対尋問があり、これで終わらず83年3月に再度おれに対する反対尋問……。つまりいちばん注力しなければならぬ時期だったのである。
 この段階で、おれは、別件で読売新聞と事を構えたくはない。根性なしといわれればそれまでだが、読売の取材力のなさは実感していたから(宮部くんは、明らかに予断で書いている。あくまでも体験的に判断してだが)、何を書かれてどんな影響があるやもしれない。
 まあ、今から考えれば「担当記者」は違うわけだし、出演者は「訴外」だろうけどね。結果として、読売は記事にしなかったが、人騒がせな話でもあるなあ。
 ……と、まあ、書きたいことはまだまだあるが、要するに『のーてんき通信』はこの5倍の分量は書いてほしいということである。

6月12日(水)
 朝刊にナンシー関の死亡記事。心不全か。体格がなあ。メディア批判の分野が寂しくなるなあ。先日の「湯の町」キャスター・筑紫哲也をバッサリ斬った記事なんて余人に替えられない切れ味だったものなあ。おれはテレビをほとんど見ないけど、それでも(だからこそか)ナンシー関のコラムは面白かった。
 午後、古いビデオを探す必要あって自転車で梅田へ。
 と、泉の広場上の路地にルン吉くん、いた! なんと1月23日に見かけて以来、ほぼ5月ぶりである。じっと立っている。ここが定位置になったということか。赤い防寒服はだいぶ汚れたが、これで3年目。2冬を過ごして、今、2度目の夏である。暑そうだがなあ。元気でいてくれるだけで嬉しい。
 off
 You'd be so nice come to home to ……などと歌いつつ帰宅。
 帰って調べると、1月23日は雪印食品の事件発覚の日である。今や雪印食品は消滅している。ルン吉くんだけが変わらないのである。

 終日穴蔵。
 先日会ったS野くんからFAX。
 猫が「香箱を作る」の語源がわからないと話したのに対して資料を送ってくれたのであった。
 一般に(猫好きサイトなどでも)これは「猫ずわり」で「前足を懐手にして」座っている状態という。
 だが、どうしても「香箱」とイメージがつながらない。わしゃ北陸地方では「未熟卵を孕んだ雌のズワイガニ」を香箱というから、カニの脚の形が似ているからかと想像したほどである。
 香箱を作るは「(香箱に形に似ていることから)猫が背をまるめてうずくまっているさま」なのであった。香箱=香箱、香盒、香匣であって、「盒」は蓋の付いた容器、つまり、四角の箱ではなかったのである。……ま、この時、前足は「懐手」状態なんだけど、主に後ろ姿からの言葉なのであった。
 off
 実家の老母にFAX。直ちに電話が来た。長年の疑問氷解でうれしいという。
 夕方、かんべむさし氏来穴蔵。ビール飲みながら雑談。資料の「処分」について。近年深刻な問題になるテーマである。

6月14日(金)
 終日穴蔵。
 真夏日であり、今年はじめてクーラーを作動させる。
 夕刻、夕刊を取りに「自宅」の方に行くと、日本チームが出ているサッカーのクライマックスらしい。……そういえば、同じ集合住宅内に「テレビでサッカー観戦」のために会社を休んでいる人までいるという。その割には、本日は「ギャーッ」「ウォーッ」の歓声は聞こえなかったが。昼間はもともと騒音が多いからか。

6月15日(土)
 5時朝刊。ニュースは昨日のサッカーばっかり。ムネオとか人殺しとかないのかね。
 テレビニュースでは「道頓堀ダイブ」朝までに900人だったらしい。誰がカウントしているのであろうか。
 夕刻、阪急池田へ。
 以前勤務していた事業所関係……取引先メンバーも含む、しかし利害関係もはやゼロの超党派的メンバー……の「カラオケ大会」。カラオケなんてここに勤務していた時しかやることなかったから、たぶん4年ぶりか。まあ、わしゃ焼酎専門でマイクは持たないのだが。深夜フラフラで帰宅。おれとしては珍しい日である。


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