『マッドサイエンティストの手帳』250
● MORIYAMA JAZZ NIGHT 2002
2002年9月21日(土) 可児市文化創造センター
9月21日(土)
可児市でのMORIYAMA JAZZ NIGHT 2001からちょうど1年。前に建築中だった可児市文化創造センター「ala」が竣工、オープニングプログラムのひとつとして、「魂を打ち抜くジャズドラマー」(←昨年のコンサートの名コピー)森山威男4のコンサート、「MORIYAMA JAZZ NIGHT 2002」開催である。
ともかくゲストに山下洋輔、坂田明とあるから、こりゃ前夜から眠れませんですね。
昨年が同時多発テロの直後、今年が拉致問題の最中と、ややこしいことが多いけど、こんな時こそ「魂を打ち抜」いてもらわねば……。
昼過ぎに、今回は専属料理人といっしょに出かける。
名古屋で、伏見の名古屋市美術館へ。
マグリット展開催中である。
エッシャー、ダリと並ぶSFファンには3巨匠のひとり。
ま、森山さんの前座としては、ちょうどいいのではないか。
列が出来ていて、相当混み合っている。落ち着いて鑑賞できる雰囲気ではないな。休日の午後だからしかたないか。
夕刻、犬山のホテルにチェックインしてから、日本ライン・今渡へ。
可児市文化創造センター「ala」へ。いよいよ「MORIYAMA JAZZ NIGHT 2002」である。
ロビーに宮崎から税田夫妻、大分から松浦夫妻。ともに九州の「森山威男保存会」。旦那同士、節ちゃん和ちゃんコンビと、それぞれ別々には会う機会があったが、全員揃っては初めてかな。うちの専属料理人はたぶん20年ぶりのはずである。
ロビーでは塩之谷ページの掲示板でおなじみの皆さんが、揃いのTシャツでCD販売中である。焼きもの好きの専属料理人、さっそく小皿セットを購入。
alaは本格的な音楽ホールで、3階まである。これが満員。席は最前列である。ここにCD販売・森山親衛隊の面々が揃いのTシャツでずらり。その横に並ばせていただいた。
コンサートは3部構成。
司会は昨年と同じく小川もこさん。
第1部 近藤房之助(g,vo)+ケイコ・リー(vo)、野力奏一(p)、金澤英明(b)+森山威男(ds)
最初に近藤房之助とケイコ・リーのデュオ2曲。ラブリー30周年コンサートで聴いて以来で、この呼吸は見事だ。3曲目から森山さんが加わってそれぞれのナンバー。ええっと、はじめの曲名失念、近藤房之助「上を向いて歩こう」とケイコ・リーは「アフロ・ブルー」
ともに愛知県出身で、昔から森山さんを敬愛している。近藤さんが、ピットインで森山さんのトップ・シンパルの下で聴いたというのはぼくの70年代初めの聴き方に近いが、ケイコ・リーが森山さんを「お父さん」と呼ぶのには、こちらも歳を感じますなあ。
第2部 山下洋輔(p)、坂田明(cl,as)、森山威男(ds)
山下・森山のデュオで「ミナのセカンドテーマ」と「キアズマ」。一曲目で森山さんが右のタムタムのスキンを叩き破ってしまった。いつも以上に激しいブラシワークによるもの。(森山さんが山下さんに)「貴方のせいよ」というのがおかしい。……デュオは一昨年ラブリーでも聴いていているが、今回、山下さんが、森山さんの最高のプレイを引き出そうとする気配が感じられた。つまり「貴方のせいよ」は、その通りなのである。
ここに坂田明さんが加入、「伝説の山下トリオ」再現である。……これは6年前の浜松ジャズウィーク以来だが、当然ながら「懐メロ」をやろうなんて気配は皆無で、坂田さんはクラリネットを持って登場、新曲(このホールに捧げるということで「アラミテ」。小川もこ「曲名の由来は聞きませんでした」)を演奏、ジャズクラリネット・ファンのおれには、これは嬉しかった。つづいてアルトに持ち替えて「ケイコタン」……70年代前半の雰囲気にいちばん近いのはこの曲だった。
第3部 森山威男カルテット。音川英二(ts)田中信正(p)望月英明(b)
「Marching Seventh」「Gratitude」「 Sunrise」
森山グループの演奏については、たぶん森山Gページに香さんの熱血レポートが載るはずである。
このメンバー、ますます充実していているなあ。
最後は出演者全員が再登場してのジャムセッション。確か「Straight No Chaser」だったな。
出演者は小川もこさんを含めて11人である。……もしこのメンバーがある日行方不明になって、探し回っていたら突然異国から「4人しか生きていない」なんていわれたらどんな気分になるか……。拉致被害者の家族の心痛はそれよりも桁違いに大きい。あ、話題がそれた。ともかく、またこれからも、何度も、このメンバーの演奏が聴きたいということをいいたい訳である。
ラストは森山カルテットで、これを聴かなければ拍手が鳴りやまない、逆に最後にこれさえ聴けば納得できるという名曲「Good Bye」。最後のフレーズで紙吹雪が舞う中、3時間近く叩きっ放しであった森山さんの最後の一打。感動的……いや感動そのものであった。
ロビーで色々な知人に挨拶。
さて……各務原の「高木食堂」でウチアゲという。せっかく遠方からということで、九州組といっしょに、ご好意に甘えて同席させていただいた。
この高木食堂(先日、この名称になったライブハウス兼レストラン)
各務原市鵜沼各務原町5-286 ペタルビル
0583-79-2162
イタリア系がメインのようだけど、本当においしい。
藤井先生、内田修先生、alaの篭橋さん(昨年の「魂を打ち抜くジャズドラマー」の名コピー考案者である)など関係者諸氏。専属料理人は山下夫人洋子様と久しぶりに同席させていただいて感激しておる。
「破れたタムタム」は大分の和ちゃんにプレゼントされた。
ええっと、ここから先、ちょっと迷うのである。
ウチアゲは本来、出演者とスタッフ、主催者のための会であって、部外者がそれについて書くのはどうかな、何よりもコンサートがすべてなのだから……と思うものの、あまりにも面白いことが多かったものだから、ちょっとワルノリで……。
まず……。
・坂田さんの「Fisherman's.com」が凄いという話が出た。ナベサダ氏が「ニューヨークのジャズメンが『別れの一本杉』を演奏しているのを聴いたが、ありゃどういうことなんだ」と驚いたのだそうである。
このCDに比較的早く注目した(4月5日の日記参照)おれは鼻高々である。
・ひととおりビールが行き渡ったところで、山下さんが鍵盤をちょっと撫でた。この時のフレーズがなんと「マンハッタン」である。これ、もの凄く好きな曲なので、ぜひともとリクエスト。ここに藤井先生のドラムが加わって(この入り方に拍手が沸いた)「スイングしなけりゃ意味はない」
スイングナイトであるなあ。
・ここに先ほどの話題の続きで、坂田さんのぜひとも正調「別れの一本杉」をという話になった。
・と、演歌ならおれだと森山さんが登場。「今夜は中秋の名月ですから」という小川もこさんのリクエストに応えて、なんと久々の「月がとっても青いから」……これ、何年ぶりだろう。コンサートも伝説的なら、これまた伝説の森山節である。
・当然の流れで、坂田さんのむちゃくちゃ童謡に期待集中。「病み上がりだから」といつつ、チョウチョチョウチョから「角栄の弾き語り」まで、もうこの辺になると、店中抱腹絶倒である。
・ここで山下さんがマイクを持って、これだけはぜひとも訊きたいと「拉致問題について一言」と越山に意見を求める。「……う、アアーううー、わしゃもうこちらの人間ではないのだが……」とヨイヨイ時代の口調に時々「ハングル」が混じる不思議なコメント。これが途中から、だんだんと若返ってきて、「山下洋輔をどう思うか」という質問に、「あ、なんですか、ヤマシタというのは……あ、むろんわたしゃ存じております……」とだんだんテンションが上がってくる。いやあ、角栄没後、政治というのが(いい悪いは別にして)面白くなくなったのは確かだなあ。坂田さん、ともかく健在である。
・さらには節ちゃん和ちゃんの元スッチーコンビによる「救命胴衣の付け方」アナウンス……こんなのハチ以来、20数年ぶり。これ、今では飛行機に乗ってもこれがビデオ化されてしまっていて寂しい限りだ。
気がつけば午前1時に近い時刻。
記念写真をということで、スタッフ諸氏が森山さん中心にどっと集合した。
※(上の記念写真、ちょっと大きいのをここにアップしておきますから引き落としてください、スタッフの皆さん)
しまった……「写りたがり」のおれとしたことが、今回、写り損なってしまった。
ま、今回はいいか。遠距離の女房組のみトリオとの記念写真をお願いする。
夜は雲が懸かって名月は隠れている。遠回りせず、犬山へタクシーでまっすぐ帰館したのであった。
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