『マッドサイエンティストの手帳』249
●マッドサイエンティスト日記(2002年9月前半)
主な事件
・北野勇作と山下清(1日)
・穴蔵改造(6日)
・ニューオリンズ・ラスカルズ、豊中教会コンサート(8日)
・『桂米朝コレクション』1(13日)
・「草上仁・作家生活二十周年を祝う会」(15日)
2002年
9月1日(日)
猛暑復活。終日穴蔵。
北野勇作『イカ星人』……乗っているなあ。
こまかい感想は別項で……といいつつ、感想アップすべき作品が30を越えてしまった。ライブのことなら気楽に書けるが、SFとなると多少「職業意識」が働いていけない。
で、驚いたのが、森下一仁さんの8月22日の日記。なんと、北野勇作と山下清の「文体の類似」を指摘したメールが紹介してあるのだ。これは思いも寄らなかったなあ。……じつは、ぼくは北野勇作と田中小実昌の文体の類似を感じていたのである。北野文体はコミさんの思考の堂々巡りに通じるのではないか、と。ただし、北野勇作は基本的には理系の思考と思うのだが。
ここに山下清が登場して、文体とか思考なんてものがぶっ飛んでしまった。
風体の類似である。半ズボンにリュックでうろうろしている姿は、3氏、文体以上に類似しているのである。あ、生きているのは勇作さんだけか。
ここでも北野勇作は世界を拡大している。山下清は線路を歩き、コミさんはバスで移動し、北野勇作はどこかわからないけど現在フランス放浪中。
文体は風体と行動から規定されるのであろう。
夜、20時過ぎたとたんに、長野知事選「田中康夫当選確実」のテロップ。出口調査の結果であるらしいが、面白みのないことよ。
1時間もしないうちに「圧勝」報道。
ヤッシー辛勝といったおれの予想は外れた。
詫びるに躊躇しないおれとしては、素直に予想外れを認めて、このページの読者の皆様にお詫び申し上げます。
田中康夫はしたたかであった。おれは、「顔を見ただけでゲロが出そうな」五十嵐敬喜とか、東京方面からの「ドサ回り電波芸者」が応援に現れるのではないかと予想していたのである。徹底して個人的遊説であった。立派である。よその県のことだから、関係ないけど、もう県政に悪党面を頼むことはないぜ。
9月2日(月)
昨夜、テレビを見すぎたので、早朝から昼まで、きちんと机に向かう。
午後、某所から呼び出しあって、ネクタイを締めて出かける。
タイムマシンとは別に、ロボットの仕事もすることになりそうな。
本町まで出たついでに、夕刻、かんべ事務所訪問。北朝鮮情勢についてレクチャーを受ける。むむむ。恐っろしい予想である。
9月3日(火)
終日穴蔵。
専属料理人、本日より年末まで、年末の大イベントに備えて、火曜の夜は出かけることになるという。ボンクラ息子は遅いのとバイトで不在。夕食はひとりである。難波弘之がアコーステッック・ピアノを弾く『A.P.J』を聴きながら、作り置きの料理でひとりビール。……本音をいう。「この方が、気楽でいいなあ」
9月4日(水)
穴蔵の一室をロボット業務に備えて模様替えする必要が生じて、事務機器など手配に出かける。
野田阪神を通るついであり、ちょうど昼だったので、阪神・野田駅の改札前の立ち食いうどん「戎屋」……とこりゃなかなかの店である。立ち食いうどんランキングを変更する。
9月5日(木)
終日穴蔵。
夜、BSの『悪い奴ほどよく眠る』、途中まで。田中邦衛の殺し屋を確認、やっぱり当時としても大時代だなあ。『おとし穴』の怪演があっての起用だったんだろうけど。名優がゾロゾロと悪党で出てくるが、山茶花究が抜群であるなあ。
9月6日(金)
発注していた事務機器到着。書籍を含む穴蔵改造。一室を模様替え。専属料理人を一時的に専属掃除婦として働かせる。汗ダラダラ。昼前から4時間ほどかかる。
夕方、たぶん三ヶ月ぶりに入浴。(いつもはシャワーだけである、念のため)
ビールがうまい。
9月7日(土)
わ、寝過ぎてしまった。
6時起床。ちょっと新聞。またうつらうつら。肉体労働はすべきだなあ。
昼まで寝ていたいところを、集合住宅関係の用事で、電話で起こされてしまう。嗚呼……。
終日穴蔵。
夕刻、かんべむさし来穴蔵。別に事務所開きというわけでもないのだが、ビール飲みながら、また北朝鮮情勢についてレクチャーを受ける。
ワクワクしてくるなあ。
小泉訪朝の予想も書きたいところだが、さすがに差し障りがありそうでパス。
9月8日(日)
午後、専属料理人と阪急豊中へ。
日本キリスト教団・豊中教会で豊中教会創立80周年記念で「ニューオリンズ・ラスカルズ」コンサート。
礼拝堂、約200人で満員。半分ほどが教会関係者らしい。亡くなられた協会関係者に熱心なラスカルズ・ファンがおられたことで実現したコンサートということである。
ラスカルズは教会でのコンサートと縁が深い。
LP化された神戸バプチスト教会での『古い十字架』を初め、島之内教会、五月山教会、東京山手教会など、多くのCDが残されている。
また新しい教会録音が加わることだろう。
会場、ODJCのなじみの顔ぶれ、ほとんど揃っている。
賛美歌やマーチ、カントリー(ジャンバラヤ)、ゴスペルなど、ジャズのルーツ周辺から、ポピューラーな曲((35年前から演奏しているという)「おじいさんの古時計」や(はじめての海外ツアーで演奏した)「浜辺の歌」、それに「私の青空」など)まで多彩。マニア向けでなく、はじめてジャズを聴く教会関係者への配慮でもあるが、ぼくは、こんなポピュラー・ナンバーが好きで、できればこういうのを集めたCDも出してほしいと願っている。
豊中教会は天井が高くて響きがいいが、壁がコンクリート打ちっ放しみたいで、音質はちょっと固い印象。ドラムとヴォーカルの木村陽一さんが元気いっぱいの大活躍であった。
15時30分頃まで。風が涼しくなって、気分のいいコンサートであった。
9月9日(月)
久しぶりにスーツにネクタイ、通勤ラッシュの時間帯に地下鉄に乗る。
別に体力衰えてもおらず、汗もかかず、頭脳の働きもまあまあのようである。
やはり精神状態は服装で決まるのだなあ。
夜、素麺が数束残っているのに「ぶっかけ」のつゆが店頭からなくなった。専属料理人に頼んで、韓国冷麺風に調理してくれるように依頼。キムチどばどばで、結構それらしいのを作ってくれた。焼酎水割りをがぶ飲み。しばらく人と会わないからいいのである。
9月10日(火)
終日穴蔵……のつもりが、穴蔵の模様替えの残務あり、ヨドバシへ。
必要あってパソコンデスクを発注。
プリンターの新型がほしくなるが、これはがまん。
午後5時過ぎからテレビの前、H2Aの打ち上げ中継を……とアチコチ調べるが、中継なしである。NHKは取材班が現地入りしているのに、である。貴乃花なんかどうでもいいんだよ……と嫌々相撲中継。結局、18時のニュースで録画放映である。
今回も宇宙作家クラブのニュース掲示板がやっぱりいちばん早く正確であった。
9月11日(水)
終日穴蔵。
宇宙から海へ。午後、不審船引き上げのニュースを見ていたら仕事に手がつかなくなる。
4スクリューというのはなかなか壮観である。
夜、集合住宅の理事会。悪質なリフォーム業者の跋扈が色々と報告される。ウチも老人の一人暮らしが増えてきたから困ったことだ。任期中に悪徳業者とやりあわねばならぬような、嫌な予感がするなあ。……まあ、五十嵐敬喜とやりあったのに較べればちょろいものだろうけど。
9月12日(木)
朝5時から、昨夜の議事録や某所への「警告書」など含めて、猛烈な勢いで4種類の文書作成、ついでにロボット関係の契約書と、その間にちょっとした原稿も書いて、気がつけばまだ午前9時であった。
いつもこれくらいのスピードで書ければと、遅い朝飯を食べたら、急に脱力状態。
あとは夕方まで雑読雑聴の一日と相成る。嗚呼……。
9月13日(金)
朝から天五の部品屋までタイムマシンの部品を受け取りに行く。
「パルサー」である。……タイムマシン制御のために、宇宙空間ではパルサーの振動数を宇宙時計として使用するのである。これを自転車で運ぶというのが凄い。凄くないか。
ちくま文庫から『桂米朝コレクション』1<四季折々>篇が出た。この巻の解説は小松左京さん。
中野晴行氏が企画・編集のシリーズで、あと<奇想天外篇><愛憎模様篇><商売繁盛篇>と続く。
じつは来月出る<奇想天外篇>には「地獄八景亡者戯」をはじめ、SF的な作品が集められていて、この解説を僭越ながら書かせていただいております。緊張するなあ。
創元社から出た「桂米朝落語全集」を底本としているが、なんと米朝師匠が、各題目に新たに解説的コメントをつけられている。かなりの力の入れようである。すでに全集をお持ちの方にもお薦めである。
中野晴行氏は中学時代、桂吉朝さんと同級という仲である。吉朝がサンケイホール独演会を引き継ぎ、同級生が選集の編集を担当するというのも不思議な縁である。なんだか高座も活字も、師匠と弟子で固めたという印象だな。
9月14日(土)
パソコンデスクが届いたので組み立てて、穴蔵の一室にセット。
わが穴蔵、じつは3室あって、実際に使っているのは1.5室なのである。もったいないといえばその通りだが、色々と事情と制約がある上、撤去も考えておかねばならぬので、極力荷物を増やさない方針。本も大半は実家の書庫で、最終的に仕事場はそちらに移す可能性もある。
したがって、かんべむさし氏しか入ったことがない。別に秘密にするようなことはないのだが、ともかく本棚が「きたない」からである。系統だった書籍は大部分が実家の書庫で、穴蔵には、辞典類を除けば、読み散らかした雑多な本や雑誌、コピー類、それにビデオとCDであって、やっぱりこれが「今のおれのアタマの中身」であるから、眺められるのがちと嫌なのである。
だが、これまた「諸般の事情」から、玄関横の一室を「応接室」として使うことにしたのである。これなら「奥」の本棚は見えない。
むろん最小限の道具しか入れない。椅子なんて一脚2千円のである。尻が痛くなって誰も長居しないであろう。
あまりに殺風景なので、ニューオリンズ(ジャクソンスクエア)のスケッチ画を飾る。これだけがおれの趣味である。
事務所開きはやらないけど。
夕刻、来客1号。まあ、気心知れたわがパートナーのひとりである。「パルサー」の受け渡し。次は「ブラックホール」か「クェーサー」を取引するか。
9月15日(日)
午後、歩いて梅田へ。阪急東通り商店街へ。ルン吉くん、いないなあ。どうしているのだろう。
ペンギンバー・SQUAREで「草上仁・作家生活二十周年を祝う会」
15周年記念が5年前の1977年6月29日であった。「酒鬼薔薇」が捕まった直後であったから、そろそろ「出所」してくるかもしれんとかいう話を聞くと、やっぱり月日の経つのははやいなあ。
参集メンバーも谷甲州が都合で来られなくなった以外は、森岡浩之、林譲治など前回とだいたい似た顔ぶれ。北野勇作は律儀にフランス放浪から帰ってきた。時差ボケ中という。その他、高井信さんや秋山完さん、西秋生さん、大迫夫妻、あ、なんと芦辺拓さんも。東京からは阿部毅さんやS澤編集長も。なかなかの盛会である。
草上さんは82年5月デビューで、その年4月入社。つまり入社1月でデビュー、その後、サラリーマン生活も20年である。この記録は貴重だ。ぼくは、まあ、ポツリポツリの執筆だから比較するのはいけないのだが、デビュー作掲載は入社の翌年。この1年の差は縮めることはできない。わしゃ勤続31年で「二足のワラジ」記録は途絶えた。まあ、この分野では野田昌宏さんみたいな大先輩がいるけど、草上さんには40年以上の記録を作ってほしいものだ。
一方、大迫さんからは、海外作家関係で色々心配な話も聞く。
まあ、本日の顔ぶれを見ると、日本は「因果と達者」なメンバーばかりのようで安心だ。
高校同級生だった友人の挨拶が凄い。当時から何でも原稿用紙を使用。草上さんは絵も描いていて、ブリッシュに触発された作品が展示されていた。
出典は、見ればわかりますね。
これも原稿用紙に描かれたというのが、さすがでありますね。
敬老の日で、明日が実家方面という事情もあって2次会は遠慮して、歩いて帰宅。
HomePage