HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』225

●マッドサイエンティスト日記(2002年1月前半)


主な事件
 ・桂歌之助師匠逝去(2日)
 ・サンケイ最後の米朝独演会(3日)
 ・生まれて初めて「商売繁盛」祈願(11日)
 ・北野勇作『かめくん』祝賀会(12日)
 ・高津宮とんど祭で滝川雅弘4+1を聴く(13日)
 ・滝川雅弘4、月例ライブ(15日)

2002年

1月1日(火)
 惰性で新年を迎える。
 やっぱり午前4時に目が覚めてしまい、自転車で早朝の梅田散策。
 9時にやっと起きた専属料理人と朝祝い。雑煮でモチひとつ。これで本年度のモチは食べ納め……年に1個しか喰わんからね。
 9時半に年賀状が届いたので、それを眺めつつ朝酒。
 終日ボケーーーッと過ごす。
 夕食はもはや通常メニュー。ボンクラ息子その1は遊びに出かけ、ボンクラ息子その2は、近所の焼き肉屋でバイト……「年中無休」をうたっていたからホンマかいなと思っていたら、ちゃんと元旦営業しているのだった。オモテから見物すると、アホ面した若いのが結構入っている。行くところがないのだろうな。
 ワイン飲みつつ衛星放送のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート、21時過ぎで眠くなり、休憩時間あたりで穴蔵に戻る。

1月2日(水)
 昨年片づかなかった雑用の続きを始めたところで、朝から電話とFAXが続く。
 桂歌々志さんからの電話で未明に桂歌之助さんの死去を知る。
 仕事手につかず、またも終日ボケーーーッと過ごす。
 歌やん、早いで。

1月3日(木)
 大雪で全国的に交通機関が混乱しているらしい。
 わが自転車は影響を受けないので、午後、自転車でサンケイホールへ走る。
 第60回「最後の」米朝独演会。
 演目。
 桂出丸「餅屋問答」/桂米平「つる」/桂雀々「花ねじ」/桂米朝「帯久」/中入/桂米八「曲独楽」/桂米朝「厄払い」
 米朝師匠が二席以上を語るこのホールでの「独演会」は一応これが最後ということになる。
 「帯久」はほろっとくる噺で、本日の雰囲気に相応しかった。
 わが席は2階の前の方である。記念的な会というのに、2階後方に関係なしに「わっはっはっは」とやたら声を上げるおっさんがいて、耳障りなことこの上ない。米朝師匠がひとこと「何がおもろいんですかな」で場内(1階席も)どっと沸いた。あとで一門若手に聞いたところでは、2階の咳払いでも舞台までまる聞こえらしい。……あのおっさん、あきらかにアタマがおかしいのである。(酔っぱらいの声ではなかった)
 ぶっ殺してやりたいよな、ったく。……と書いても、これはおそらくどこからも異論あるまい。
 出口で天羽孔明氏と会って新年の挨拶。
 直ちに帰宅、黒っぽいスーツに着替えて桃山台の千里会館へ。
 歌之助師匠の通夜へ。18時〜。色々な人が来ている。
 桂三枝、仁鶴師匠、むろん米朝一門、小佐田定雄、歯医者のハラダ、歯医者の晴彦、守口の階を世話していたままよさん、なんと田中三蔵記者まで。その他歌やんの会でおなじみメンバー、こんなところで久しぶりというのが辛い。
 19時頃までいて、ファン代表ともいうべき小牟田さんが「顔」も見ていってくださいということで、焼香の列がとぎれたところで対面。
 ……なんとなくひとりで部屋に籠もる気分にもならず、かんべむさし氏とわが「穴蔵」へ戻ることにする。専属料理人に電話しておいて30分後に帰ると、部屋に暖房を入れて熱い料理が置いてあった。なかなかの配慮である。22時過ぎまでかんべとビール飲みながら雑談。

1月4日(金)
 世間は仕事始め……でもないか。本日も休業多し。
 9時に銀行関係の所用を済ませて、10時半頃に千里会館。
 歌之助師匠の告別式
 帰路、またかんべむさしと「穴蔵」でビール。
 昨日の残りが数本あったので、本日は「乾きもの」をつまみつつ、これを片づけておひらきとする。

1月5日(土)
 早朝、播州龍野の実家へ移動、車内ガラガラである。
 駅を降りたとたんに雨である。ああ寒い、情けない。
 年末から持ち越していた気の思い交渉ごとあり、老母では難しい点もあり立ち会いである。
 昼過ぎまで。
 ……どうも今年はろくなことがないなあ。
 夕方帰阪。
 ボンクラ息子その2、本日も焼き肉屋でバイトで、大晦日から「皆勤」である。お年玉を含めてガッチリ貯め込み型で、どちらに似た訳でもなさそうだが、頼もしい限りである。早川浩くんを見習ってくれたまえ。ウチは「無記名金融なんたら」にして残すほどのものは何もないけど。

1月6日(日)
 午前3時頃に目が覚めてしまう。正月、不規則に過ごしたつもりなのに、生活のパターンが変わらんなあ。
 とつぜん某大学の某教授から「お詫び」のメールが届く。何かと思ったら、30年以上前にわが下宿から持っていった本(『エロ事師たち』初版)の件であった。1年半ほど前に書いたことについての「お詫び」であって、なんでも、SFファンの研究生が教えてくれたのだという。うーん、指名手配したわけでもなかったのだが。……ということで、前の書き込みを訂正して註を加えた。

1月7日(月)
 始動である。
 正月、原稿はあまり書けなかったが……。
 自転車で梅田〜北浜〜本町をウロウロ。かんべ事務所にも寄ろうか迷うが、電話してみると、年末にくも膜下出血で倒れた友人が亡くなったとかでゴタゴタしているという。今年はたいへんであるなあ。
 午後、「穴蔵」で「執務」。電話、FAX多し。
 本日の晩酌メニュー。
 あんかけ豆腐、中トロ刺身、蓮根挟み揚げ、湯葉と京野菜の煮浸し、これに加えてオセチの在庫一掃セール。
 正月の残りというが、ボンクラ息子が揃っているとメニューが豪華になる。ったくもう、本日は七草がゆで済ますべき日ではなかったのか。……といいつつビール、焼酎湯割り。

1月8日(火)
 午後、自転車で天六から大川を渡って都島本通の「市立総合医療センター」へ。こんな場所にこんな施設があるとは知らなかった。新しい大型総合病院である。
 2月に某ミッションで中央アジアへ行くメンバーで予防接種を受けるために、1階ロビーに全員集合。……インターネットで調べた結果、ここの「感染症センター」に相談するのがいいらしいと判明したのである。
 メンバー揃って担当医と相談、結局「ジフテリア」「破傷風」「肝炎」の予防接種を受けることにする。健康保険はきかないのであった。……まさかの時はヨーロッパへ空輸されることになるらしい。
 まあ社会科学のフィールドワークではなく、まして女郎買いでもなく、行き先は某大学であるし、真冬でもあるから、水に注意すれば大丈夫であろう……と覚悟を決めるしかない。「危険度1」の地域であるし。
 夕方、ボンクラ息子その1から助けてくれと連絡。今週中に提出予定の「卒論」の、昨夜から10時間以上入力してきた文章が「消えてしまった」という。Wordがフリーズしたらしい。エディターか一太郎のわしにはわからん、ましてWin Meはよくしらんぞ……といいつつ、知人に連絡、たぶん自動バックアップファイルはあるはずと判明。日付で検索したら確かに出てきた。が、今度は拡張子書き換えがわからず、結局フロッピーにコピー、わがW98で書き換え。まあ、オヤジの面目は保ったというところか。MeにしろXPにしろ、バカ親切になりすぎて、よけいなお世話が多すぎるなあ。MS-DOSが懐かしい。
 ついでに「卒論」のさわりを読んだが、「……やや長くなるが、この該当個所を以下に引用する」など、水増しテクニックが目につくええ加減なものである。

1月9日(水)
 またも早朝の電車で播州龍野へ移動。
 姫路で句会があるという母を駅まで送る。
 あとは先日の交渉ごとのケリ。
 ついでにタイムマシン格納庫でちょっと作業。
 夜、居住する集合住宅の理事会があるので、夕方帰阪。
 ……ああ、ジャズ・ライブが聴きたいなあ。

1月10日(木)
 朝6時、ひとりわびしくトーストを焼いてミククティを飲んでいたら、ボンクラ息子その1が「元わが書斎」から出てきて、目の前で缶ビールのフタをプシューと開けて飲みだした。
 「朝から何じゃ?!」「さっき、やっと卒論が完成した」
 わしが原稿書き終えた時の行動を幼児の時に見ていたのだろうか。
 まだ審査があるんじゃろが……。
 プリントアウトしたのをパラパラと見るが、まあコメントは差し控えておこう。
 昼、自転車で某「医局」へ行って、海外携行用のクスリを貰い、ついでに血圧測定。165-80……うーん。冬で、自転車で走ってきたばかりだからということにするが、減塩徹底しなければならぬか。

1月11日(金)
 朝、えらい勢いの通り雨。出勤途中のボンクラ・サラリーマンども、ずぶ濡れではないか?
 資源ゴミ回収日で、先日来のビールを空き缶を持って20メートルほど「外出」したわしでさえタオルで頭を拭いたほどだものなあ。
 が、その後晴れて、南風、なんだか春一番みたいな感じの陽気になる。
 戎っさんの「最終日」なので、昼、専属料理人と堀川戎へ「商売繁盛」を祈願しに出かけることにする。……われながら信じがたい挙動である。
 お初天神からハチ横、旧関テレ前の参道を堀川戎まで歩く。……30年来、この界隈を飲み歩いてきたが、10日戎の時にハチより東に足を踏み入れたのは初めてである。
 堀川戎へ行ったら、賽銭箱のすぐ横になんと桂米八師匠……じゃなかった、「桂米八師」が鎮座して福男?というのかね、笹を売ってお払いする役、あれをやっている。ちなみに「師」(←と垂れ幕にちゃんと書いてある)は「カミ」であって、これは「神」「守」から「女将」「おかみさん」まで、同じ語源である……ということを『卑彌呼と日本書紀』で学んだばかり。米八「神」は、前にロボットコンテストの司会をやっていたり、「神」出鬼没の男である。3日にはサンケイで曲独楽を見たばかり。……米八「師」、高価な笹を「超格安」でくれて有り難いお払いをしてくれる。悪いので某紙幣を賽銭箱に。ありがたみ、ひとしおである。が、御利益、本当にあるのだろうか。
 off off
 帰りにインタープレイ・ハチに寄る。
 ハチママ「堀ちゃん、なんで福笹なんか持ってるねん」と驚く。そりゃそうだろう。30年間、お参りもせずここで飲んだくれていた。「信心」なんてしたことないものなあ。……「まあ、立場上、縁起でもかつがなしゃあないねん」
 にわか信心ではタイムマシンでのボロ儲け、期待できそうにないなあ。
 帰りにお初天神の瓢亭で夕霧そば。冷酒を一杯。

1月12日(土)
 夕刻、阪急で京都へ。
 河原町近く「薬研堀」という居酒屋で、北野勇作『かめくん』のSF大賞受賞……内輪の祝賀飲み会。
 なぜ京都でかというと、直前まで、別に昨年のSFを総括する座談会が近くであったらしい。……つまり、昨年の日本SF、傑作を書いたメンバーの大部分が関西に住んでいる(らしい)のである。
 「SFは関西に限る」が本当になってしまったようである。
 内輪といいながら、メンバーは、
 我孫子武丸、北野勇作+モリカワ、喜多哲士、小林泰三、塩澤編集長、菅浩江、田中哲弥、田中啓文、谷口裕貴、野尻抱介、林譲治、藤原ヨウコウ、冬樹蛉、堀晃、牧野修(敬称略)
 ……たいしたものではないか。半数近く(以上か?)が1962年生まれという恐ろしい集まりである。
 off
 ふたつのテーブルに別れていて、こちらはちょっと遅れてきた田中哲弥の独演会。「友人のなんとかのかんとかの子供とその一族がいて、これがアホもアホ、どうしようもないアホで、モチのまるめ方、料理のねだり方、親の与え方、カラアゲの喰い方など、もうどうしようもない」というようなことが静かに細々と延々と語られて、一同ゲラゲラと笑いっぱなしであるが、今冷静になってこんなことを書いてみても、なぜそれがそんなに面白かったのか、まったくわからない。なんとも不思議な話術である。あとは北野勇作が「『ハワイの寿司職人』というのは、ストイックなのかお気楽なのか、その社会的ポジションがよくわからん」といい出す。職人気質の持ち主なのか若大将みたいなものなのか……。もうひとつのテーブルでは小林泰三が「田中麗奈」を連発し、我孫子武丸が賞金の使い道について講釈、まあそれらが本日の話題のすべてであった……ような気がする。田中麗奈の「眼間距離」は異様に広いらしい。王貞治がそうだったのではないか。選球眼のいい選手は原理的に目玉間距離は大きい。田中麗奈というのはパラサイトを演じた妖怪女優らしい。ヘビ女優の毛利なんとかとか、ゴケミドロの高英男(←「雪の降る街を」を歌ったシャンソン歌手でもある)みたいなものか。田中麗奈に限らず、最近のアイドルや人気タレントの顔は、なぜか不気味である。誰も指摘しないから書くが、「藤原紀香」という女優の顔は「森喜朗」そっくりと思うのだが、おれの錯覚だろうか。でかい顔の真ん中に目鼻が集中していて、親子以上によく似ていると思うのだがなあ。アイドル妖怪顔の時代である。……あ、あとはわが憧れの「真実と正義の人」三鷹ういさんが最近活躍されているという話を聞く。旧姓三枝旧名貴代様は前記の麗奈とか紀香みたいな妖怪顔ではないらしい。わしの質問に「とてもその比ではない」「指が震えてシャッターが押せなかったほど」と誰か(F樹氏か?)がいったから、おそらくすごい美貌の闘士なのであろう。どきどきするなあ。邪悪の代表・某キン討伐のためにがんばってほしいものである。……なんだかたいへんな会であった。
 谷口さんとは初対面。和歌山からという。驚かれたのではないか。
 ……酔って遠距離を帰るのはしんどいので、1次会のみで失礼して帰阪。明日も遊びにいくつもりなのだ。

1月13日(日)
 昼、地下鉄で谷九の高津宮へ。「高津の富」でおなじみの高津宮で「とんど祭」というのがあるという。
 正月の飾り物などを燃やす儀式だが、ここでの付録行事が落語にジャズに日本酒・ビール・ワインの利き酒大会、さらに(自称)日本一の屋台が集結するという。嫌いなものが何もないではないか。これにSFを加えると、わが愛好するものすべてといっていい。
 落語は文枝一門の「くろもん寄席」で、桂文枝、桂文福、桂つく枝、桂ちゃん好……これは有料。
 ジャズは、滝川雅弘クインテット+1で無料!
 ということで、ジャズライブ「末広の間」に居座る。
 正午〜午後4時まで3ステージ
 メンバーは、滝川雅弘(cl),八木隆幸(p),山口裕之(b),橋本裕(g),佐藤英宣(ds)
 神社社務所の大広間だが、客層はよく、いい雰囲気である。
 休憩時間に「利き酒大会」残りの吟醸酒を貰ってきたりして。まさに極楽である。……神社で極楽はおかしいか。
 off off
 SUBでおなじみの池田さんとか、後ろの方には滝川夫人も見える。
 美穂夫人を見ると、やっぱり滝川さんのQ&Aの16番が信用できなくなる。
 演奏は、ジョイ・スプリング、四月の想い出……などから、最後のアンコール曲、二百万円のベースを買ったばかりという山口さんフィーチャーで「ミスティ」まで、たっぷり楽しませてもらった。
 本年度のライブ聴き初めは滝川グループであった……。
 じつはこの日、ニューオリンズ系のニューイヤー・パーティもあったのだが、ほとんど時間が重なってしまった。
 今年は、落語は米朝師匠から、ジャズは滝川さんからのスタートである。

1月14日(月)
 終日ボケーーーーッとして過ごすのであった。
 午後のOBCの「九雀のワイワイ・ジャーナル」で歌之助追悼特集。桂米輔さんがゲストで歌やんのことをしゃべる。1時間ほど。……「善光寺骨寄せ」で遣う手製の「骸骨」、あの骸骨を葬儀の時に並べたらというアイデアはあったらしい。
 あと、「ファミコン丁稚」という新作があったことも思い出す。

1月15日(火)
 小雨が断続的、気温は3月下旬並とかで、まさに春雨である。
 朝、雨がやんだ間に自転車で梅田。銀行のあと、ヨドバシを覗く。MDデッキが壊れたので買い替えようと思うが、専用機はすべて3万以上、今の装置とではバランスしない。2MD装備のミニコンポが5万以下である。衝動的にこれを買って、自転車でそのまま持ち帰り。……ビクターのFS−1は小さいスピーカーだが気に入っているので、穴蔵のもう1室の方に置くことにする。
 夕方まで、編集できないままだったMDの整理をしつつ机に向かう。
 軽い夕食の後、地下鉄で谷九の「SUB」へ。
 滝川雅弘カルテットの月例ライブ。
 off
 1ステージ5曲。グルービン・ハイから珍しくもハンコックの「ワン・フィンガー・スナップ」(これはなかなか斬新だ!)など。
 が……途中から入ってきたブラウンのなめし革ジャンパーのおっさん(といってもわしより若い)、葉巻を吹かしながらの入場で臭いが凄く、たちまちわが血管が萎縮して血圧暴騰するのがわかる。これはやばい。今年になってから、ほとんど副流煙を吸わずに生活してきたから、もの凄くこたえる。1ステージで退散である。禁煙の店ではないからいたしかたなし。葉巻は1本の燃焼時間が長く、4曲中2本だから、ほとんど、いぶされ続けの感じ。
 帰宅後も臭いがまだ染みついた感じがするのでシャワー。それでも頭痛が続く。
 しばらくは人混みには出ないで過ごすことにする。……月末に「『モリ・ミノル漫画全集』発刊を祝う会」があるのだが、これでは行けそうにないなあ。


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