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Q&A

滝川雅弘さんに100の質問


日頃は寡黙で素顔が見えにくい滝川さんに、ぶしつけな質問100連発!


《JAZZ篇》

Q01:好きなプレイヤーは?……当然
A:バディ・デ・フランコです。

Q02:クラリネット以外の奏者では?
A:ドナルド・ハリソンとかケニー・ギャレットなど……どちらもアルト・サックスですが。

Q03:愛聴盤は?
A:うーん、むつかしいですね。時期によって変わりますから。ヴァーブ時代のデ・フランコ(30代前半)は全部好きです。

Q04:いちばん好きな曲は?
A:大阪ブルーノートの流れで来日ミュージシャンとセッションをやる時に、連中が好んで取り上げるのが、チェロキー、モーメント・ノーティス、ジャイアント・ステップスなどが多かったですね。これが演れないと仲間入りできない雰囲気があって……

Q05:使用楽器は?
A:楽器はヤマハ SE-V。マウスピースは長松正明さんのセラミック製で6-21。セラミックを使っている人は少ないですね。リードはグロタン。

Q06:クラリネット以外の楽器は演奏されますか?
A:ピアノは子供の頃から弾きましたから、遊びで弾けます。アルトサックスは持ってますが、仕事に行けるレベルではないです。

Q07:これからの演奏目標は?
A:うーん、性格診断したところでは「百年一日のごとく生きる」と出ましたね。谷口君みたいに次から次と企画を出していくというのはできそうにないですから……。
 先日の東京では客席にクラリネットを持っておられる方がたくさんいましたし、おそらく何人かはクラシック奏者かもしれませんので、いつかは谷口君とのライブやコンサートの中で、2clでクラシックの曲もやってみたいと思います。


《私生活篇》

Q08:生年月日は?
A:1960年10月22日

Q09:というと星座は?
A:天秤座です。

Q10:血液型は?
A:O型

Q11:独身ですか?
A:電話に出た女性は妻です。

Q12:ご家族は?
A:ふたりで住んでます。

Q13:奥様はどんな方なんですか?
A:ピアノの弾き語りをやってます。

Q14:ええっと、いつどのように知り合われたのですか?
A:まあ一種の職場結婚ですかね……。

Q15:共演されるんですか?
A:いっしょに仕事することはありますが、ジャズは相方がアドリブを勉強してませんから……この場合、ライブ情報には載せてません。

Q16:お互い、どう呼ばれるんですか?
A:特別決まってないです。色々変わりますから。たとえば最近ちょっと太ったきたから「おい、ダルマ」とか(笑)
  「なに、ハゲ」とか返ってきます。
  (インタビュアーの註:ちと信じがたい。滝川夫人にはSUBでお会いしたが、びっくりするくらい若くてきれいな人である。これはぜひ裏をとりたい。)

Q17:奥様も音楽関係のご出身ですか?
A:短大の音楽科ですね。クラシック音楽一筋という経歴ではないです。

Q18:趣味は?
A:釣り……くらいですかね。海釣りで、これは親父といっしょに子供の頃から始めて、道具は一通り揃ってます。

Q19:スポーツは?
A:アマチュアのグループに誘われて山登りに行く程度……本格的な登山ではないです。

Q20:観戦で好きなスポーツとか競技は?
A:必死で観るというのはありませんね。ちょっと好きだったのは格闘技で、「プライド」シリーズなどはビデオを撮って観たことがありますけど。グレイシーとか、ですね。

Q21:好きな野球チームは?
A:まあ、大阪ですから、一応、阪神ファンということになりますかね。消極的ファンで、甲子園に行ったりはしないです。

Q22:競馬とかパチンコとか、ギャンブルは?
A:ええっと、昔、2年間ほど競馬に熱中した時期があります。……阪神競馬場でイベントの仕事があったのに、寝坊してアナあけてしまったんです。デキシーで開幕の景気づけだったんですね。遅れていって、間に合わなくて、当然ギャラなしですよ。……で、ついでだから馬券を買ったら、これが当たって、ギャラよりよかった(笑)。よく覚えてますよ。ダービーの時で、武豊かが全盛の時。勝った馬は「ウィナーズサークル」というやつです。……それから2年ほど熱中して、気がつけば負け続けて、トータル160万円くらいの負け(笑)。あ、これはやばいと思って、これ以来ギャンブルはまったくやりません。

Q23:平均的な毎日の生活パターンは?
A:朝は10時頃に起床、なにか食べて、まあブランチですか。午後2時頃から練習、仕事のある日は夕方から夜中まで、ですね。

Q24:練習はどうされているんですか?
A:クラリネットは自宅で練習可能です。ピアノはご近所もありますので、電気楽器で、ヨメさんはヘッドホンつけて弾いてます。……ピアノは、初めての曲の場合に弾いてみることがある程度ですね。

Q25:行ってみたいところは?
A:仕事であちこち行きますから、旅行という感覚では特別にはないですね。ツアーで北海道一周したことがあって、これはいい印象でした。ひと頃、デキシーの仕事では、旅は多かったですね。四国とか日本海方面とか。

Q26:海外へは行かれたことがありますか?
A:上海へ演奏で行ったことがあります。和平飯店で演奏しました。
  −−例の上海バンドが出演しているホテルですね。15年以上前、話題になる前ですけど、聴いたことがあります。
  行ったのは2年前です。向こうの若手グループが60歳くらいで、その上は平均年齢幾つですかね(笑)……そのグループと交互に演奏しました。
 あと、ジャズ関係で聞いたところでは、シカゴの雰囲気がいいということで、ちょっと興味がありますね。

Q27:クルマは運転されますか?
A:しません。夜遅い時間は不自由ですけど、まあ、帰れなかったことはないから(笑)。神戸はまあまあですけど、京都から帰るのは最終が早いので困りますね。ヨメはんは運転できるんですけど、いつも運転手というわけにはいかず……。


《嗜好篇》

Q28:お酒は強いんですか?
A:弱いですね(笑)。ビール1本が限度です。

Q29:好きな食べ物は?
A:カレーとか明太子……あまり関連性がないか(笑)。刺身はなんでも好きです。

Q30:好きな女優は?
A:映画は全然といっていいほど観ませんので……。

Q31:喧嘩は強いんですか?
A:したことないです(笑)。からまれることもないですね。

Q32:好きな色は?
A:持っている衣類では茶系統が多いですが……あまり自覚的ではないですね。

Q33:好きなブランドは?
A:皆目わからんですね(笑)。

Q34:好きなテレビ番組は?
A:あまり見ませんけと゜……「たけしのテレビタックル」というのはちょっと面白いですね。

Q35:大阪について一言?
A:夜中に旨いものが食べられるのがいいですね。野田駅のガード下とか……。
  (:滝川さんご贔屓の店は、環状線野田駅ガード下の「さぬきや」)


《経歴篇》

Q36:ご出身は?
A:大阪生まれで、本籍は日本橋。育ったのは西区立売堀です。

Q37:ご両親は?
A:父は大阪で、サラリーマン。西区にある機械卸会社に勤めていました。母は和歌山出身。母がクラシック好きで、色々音楽を聴いていました。ギターがあったのは覚えてますが、弾いているのは記憶にないです。

Q38:最初に接した音楽は?
A:やはり母が掛けていたレコードで、小学時代に聴いたボルザーク「新世界より」はよく覚えています。

Q39:小学時代はどんな生徒だったんですか?
A:立売堀の明治小学校ですね。普通の生徒だったと思いますけど、学校で死んだ金魚を窓から投げ捨てたことがありまして、親が呼び出しを食らいました。「情緒不安定だ」と言われたそうです(笑)……生きた金魚を投げ捨てたのならともかくねえ(笑)

Q40:楽器に接したきっかけは?
A:中学でブラスバンドに入ってクラリネットを吹いた時でしょうね。

Q41:音楽の成績は?
A:まあ良かったと思います。天才とか騒がれるレベルでは全然なし(笑)

Q42:中学、高校は?
A:中学は西区の花乃井中学校、高校は旭区の旭高校。高校は第3学区で、地下鉄谷町線で通いましたけど50分ほどかかりました。高校はブラバンがなくて、クラを吹くのは自宅でだけでした。
  −−あ、SF作家の谷甲州が花乃井じゃなかったかな。
  へえ、たいした中学じゃないですよ(笑)

Q43:得意な学科は?
A:英語の成績が良かったくらいかな。あとはダメです。

Q44:苦手なのは?
A:数学はまるでダメでした。
  −−まるでダメで大阪教育大へ進学できるわけないでしょ?
  いや、ぼくの時は共通一次元年で、数学の問題は例題そのままみたいなので、すごく簡単だったんです。今は難しいですもんね。

Q45:音楽方面に進まれるという気持ちが固まったのはいつ頃?
A:高校時代の2年目くらいでしょうかね。クラリネットを続けたいという気持ちはありました。ただ、高校ではブラバンがなくて、特に音楽をやっていたわけではないんです。自宅では楽譜を買ってきてクラシックの曲を吹いていましたが。

Q46:大阪教育大時代はどんな学生でしたか?
A:学校は池田学舎で、学科は「特設音楽課程管打楽器科」です。周囲はだいたい先生希望でしたね。演奏家志望者は少数です。

Q47:学生時代で想い出に残っていることは?
A:先輩の影響というか紹介というか、千日前にあったキャバレー「サン」でアルトを吹いたことありますが……ジャズを始めたのが大学時代です。

Q48:当時の演奏活動は?
A:高校にはブラバンがなくて、大学にはオーケストラがなし(笑)……弦がいないですからね。定期演奏会では助っ人を頼むという……。
  千日前の「サン」がメインですね。ピアノを弾いたこともあります。ジャズのスタートがここというか。大学3年の時ですね。

Q49:当時の目標というか、将来をどう考えてられましたか?
A:周囲の雰囲気がそうでしたけど、まあ漠然と教職かなとは思っていたようですね。

Q50:就職されたのは?
A:就職というか……正規に教員として採用されるのではなくて、常勤講師として登録して、産休の教師などがいると講師として行くわけです。上野芝中学で2年、つぎに高校で港南高校、西成高校……最後は半年で辞めましたから、3年半ですね。

Q51:どんな先生だったんですか?
A:講師として登録しておいて買い手がつけば行くわけですから、気分はバンドマンと同じですよ(笑)。中学は合唱の指導、高校ではグループ発表の指導とか、演奏してる生徒が逃げ出さないように監視しているとか(笑)……楽理を講義するなんてものではないです。1対40で音楽を教えるってのは、もともと無理なんですね。

Q52:ジャズに接したのは?
A:前に言ったように、大学時代ですけど、先輩の竹下清志さん(ピアノ)や佐藤健さん(ドラム)に連れて行かれて、ライブで演奏を聴いてですね。レコードより先にライブだと思います。学園祭にきて貰ったりもしました。
 
Q53:最初にジャズを演奏したのは?
A:前に言いました「サン」ですね。大学3年の時です。ここに出ていた「神影孝夫とブルーナイツ・オーケストラ」で時々吹きました。……当時の編成は、ピアノ、ベース、ドラム、サックス4、トロンボーン2、トランペット4の編成で、そのうち9人編成になりましたけど。……神影さんはアルトで、クラもうまかったです。譜面を渡されて、その通りに演奏するわけで、アドリブは禁止されてました。たまにやると注意されまして……理由は、意外に耳の肥えた客がいるからということでした。
  半年くらい演奏しました。その後もトラで時々吹きましたけど。

Q54:ジャズでの公式的なデビューというのは?
A:講師を辞めてからというか、講師時代の終わり頃というか……。井出正雄さんというトロンボーン……サウスサイドのトロンボーンだった方ですね、こちらからデキシーやスイングの仕事が色々きて。グランビア(当時は大阪ターミナルホテル)のディナーショーなどでも演奏しました。プロとしての仕事はその頃からだと思いますが、きちんとした「デビュー」が何月何日だったかというのはよくわかりませんね。
  ともかく1988、9年。28歳か29歳の頃です。

Q55:ジャズに専念されるきっかけは?
A:講師の登録するより演奏の仕事が多かったということですかねえ。……クラリネットは少数でしたから。

Q56:今のモダン・クラというか、バップ主体の演奏に変わられたのは?
A:バディ・デ・フランコはレコードで学生時代から聴いていました。
  あとは、北村英治さんのコピーを演ってた時期があります。ロイヤルホースのライブを聴いていて……コピーから脱却しなきゃと思い出したのが、やはり28、9歳の頃ですかねえ。

Q57:共演されたジャズメンで印象に残っているのは?
A:ピアノの竹下清志さんの影響が大きいです。竹下さんから北村英治さんを紹介していただいて、神戸の「グッドマン」で一緒に吹かせていただいたことがあります。あと、ジャズ・ストリートでとか。
  −−谷口英治さんとは?
  95年に新宿の「J」で2クラ・ライブを演りましたが、これは平井常哉さん(日本クラリネット協会/ジャズ・クラリネット研究の第一人者)の尽力でした。谷口さんとは、その1年ほど前に、大阪の「ドン・ショップ」で会って演奏したことがあります。

Q58:平井さんは、滝川さんの最大の理解者ですね。このページでもぜひお話をうかがいたいと思ってます。で、北村英治さん、谷口英治さんとの3クラ・セッションは?
A:「J」の後しばらくしてからNHKからの話がありました。1995年11月25日にNHK−FMで放送された「セッション95」ですね。これも北村英治さんの企画だと思います。

Q59:自己のグループは?
A:今のカルテットは1994年頃からですね。SUBでの定期ライブは97年頃からです。

Q60:肝心のデ・フランコとは?
A:89年頃に北村英治さんの紹介で会いました。一緒に吹いたのは「ニューサントリー・ファイブ」でのライブでですね。
  −−おお、あの伝説的ライブ。ファイブには今も写真が飾ってあります。では、このあたりは、次回にお訊きすることにしましょう。


100問まで、また引き続きお訊きしますので、よろしくお願いいたします。

 ※現在60問。まだ続きます。ご質問は堀晃まで。


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