『マッドサイエンティストの手帳』701

●マッドサイエンティスト日記(2019年3月後半)


主な事件
 ・播州龍野いたりきたり
 ・おおさか東線(25日)
 ・石花楽会@浜屋敷(30日)
 ・天ちゃん@九州会(30日)


3月16日(土) 穴蔵
 日の出には晴れてたのが、午前7時頃から雲が立ちこめ、一時雷雨、あとは青空が見えたりする。ややこしい天気だ。
・本日は、おおさか東線開通の日。半世紀ほど前に住んでいた毛馬・赤川あたり(当時は城東貨物線であった)が複線化されて、新駅が開業。
 行ってみたいが、しばらくはラーメン屋開店同様、一見のアホで混雑しているだろう。やめ。
・アパホテルが曽根崎に1500室超(ロイヤルを抜いて大阪1)のホテルを建設するというニュース。新御堂西側の駐車場地帯であろう。
 行ってみたいが、よく考えれば、ハチへ行く時にいつも通る場所だ。やめ。
・淀川堤で水管橋撤去工事と現代「セブリ」諸君とが「激突」間近ではないか?
 行ってみたいが、寒そうだし、明日でもいいか。やめ。
 ということで、終日穴蔵。
 ボケーーーーッと過ごしてしまう。嗚呼。

3月17日(日) 穴蔵
 朝から天候不安定、曇天で晴れ間も見えるのに雨が降ったりで、出歩く気分にならず。
 穴蔵にて痴呆状態で過ごす。
 いかん、気力が沸いてこない。
 夕刻に近い午後に晴れてきたので、淀川堤まで散歩。
 水管橋撤去工事の南端。
  *
 クレーンがだんだん堤に接近してきた。
 右側クレーンと堤の間に「セブリ」諸君の住居がある。
 高水敷への接近は月末あたりか。
 こんなことしか楽しみがない。
 事情があって本日は飲まず、早寝する。

3月18日(月) 穴蔵
 眠りが浅く……というより、ほとんど眠れないまま朝になる。
 朝食は抜き。
 近所の某医院へ行って、年に一度の健康診断を受ける(バリウム飲むわけではないので、朝食は抜かなくてもいいのだが、ボンサラ時代の諸数値と比較するため、一応朝は水だけ)。
 血液検査の結果は後日、その他はいたって正常であった。
 10時半頃に豪華ブランチ。ちょっと水分も補給したら、たちまち眠くなり、午後3時頃まで昼寝。
 夜は集合住宅の理事会。もう3月で、4月には理事の引継ぎ(半数交替)、いよいよややこしい役職が回ってきそうな。
 だらだらやっているばかりで、重要案件はまるで進行していないのである。
 来期を思うと気が滅入ってくる。
 21時頃からやっと晩酌。
 食事、睡眠、不規則になりそうな……

平谷美樹『柳は萌ゆる』(実業之日本社)
 アブラが乗り切っているというか、文庫の連作シリーズが数本同時進行中、たいへんな勢いの平谷さんだが、岩手日報にも連載しておられたのだ。
 その連載に大幅に加筆修正された長篇。
  *
 盛岡藩の家老の子として生まれた楢山茂太(のちの佐渡)は、文武に秀でていたが、百姓の子に交じって遊ぶことが多かった。幼少期に見た百姓の子の水死体が記憶にあり、農民の男が告げた、侍も百姓も「どちらも切れば赤い血が出る」という言葉があとあとまで残っている。
 当時多発していた一揆を治めるのに腐心し、何度も謹慎の処分を受けつつも改革を進めていく。農民たちの支持を得はじめた頃に、桜田門外の変。時代は風雲急を告げる。
 戊辰戦争の波は鳥羽伏見から北上し、やがて東北に押し寄せる。
 家老・楢山佐渡は悩む。薩長は奥羽越列藩同盟を切り崩そうとさまざまな謀略を仕掛けてくる。尊皇か佐幕か。盛岡藩内も支持は二分し、態度が決められない。佐渡の意志は尊皇であるが、官軍の兵たちが、農地を踏み荒らし農民を人と扱わぬのを見て、薩長支配に警戒感を強める。そして盛岡藩は秋田戦争に巻き込まれていく……
 楢山佐渡は歴史上ではあまり知られていない(というか、おれはまったく知らなかった)が、盛岡藩家老の視点で戊辰戦争を描く。
 平谷作品らしく、佐渡の造形が素晴らしいが、配置された多くの周辺人物も隅々まで描写が行き届いている(佐渡を慕い、その教えを生かそうと誓う少年・原健太郎(のちの原敬)が印象に残る)。
 平谷美樹さんの代表作のひとつであろう。

『チヤチャヤング・ショートショート・マガジン 第7号』
 チャチャヤンの第7号が出た。コンスタントに発行されているファン出版では極めて高いレベルにある。
  *
 和田宜久さんや深田亨さんは名人といっていい。深田さんの「ランチ十景」は、けったいなランチが次々出てくるが、これらは全部別テーマで書けるのをわざとランチテーマにした印象も受ける。噛み切れないパスタなんて、そのまま「出て」きてメビウス状になる展開もあるのではないか。
 雫石鉄也さんの「海神」シリーズもあり、柊たんぽぽさんの「りんご百書」はリンゴ作品のコラージュで見事なもの。
 ショートショート・マガジンだが、後半は短篇集。
 深田亨「猫の家出」は垂水のバーで微妙な関係の父娘が出会うちょっといい短篇。篁はるかさんの「念仏バイト」は、工業団地へ連れて行かれて、納期に合わせて電材加工やおにぎりの材料作りなどにタライ回しされる現代版タコ部屋が描写されるが、主人公の感じ方がちとわかりにくい。
 同窓会がらみ作品が2編。和田宜久「蔦の家」は、同窓会で訪れた故郷の街で、小学生時代に「蔦の家」で出会った少女を思いだし、その家を訪ねる。その時の記憶が、だんだんと変わりはじめる。少女はうそつきだったのか、継母に虐待されていたのか、その女性が血まみれで倒れていた記憶は本当なのか……。甘美な記憶と恐怖感が混じり合っている。……大熊俊宏「反故郷 −とおきにありて−」は対称的な雰囲気の作品。廃村・廃校になった中学の同窓会が唯一残っている公民館で開かれるというので大阪から友人と出かける。宴席は乱れ、トイレでよからぬことをはじめるものまで。そこに校庭にあった樫の枝からぶら下がった同級生が出現する。成長とともに故郷は「分離されて認識され」るが、切り捨てられた「混沌」部分はいわば「反故郷」として廃村にあり、それが同窓会に出現する。アイデアは秀逸。故郷にしっぺがえしされるためとはいえ、同窓会はいささか羽目を外しすぎの感も。
 岡本俊弥「二〇三八年から来た兵士」は凄みのある短篇。朝のホームに突然出現した、小銃を持つ迷彩服の男が乱射しはじめる。1時間後に狙撃犯が肩を撃ち抜き取り押さえる。その男は初老に見えるが、言動がおかしい。その取り調べが、防犯カメラのSF映像分析、現場検証の報告、身体分析、精神分析、銃器の分析、自供など、多角的に語られる。SF的アイデアはタイトル通りで新しいものではない。重要なのは、ここで語られる近未来像とその語り口である。生命福祉党が「姥捨て山」を作っていく「近未来史」といい、蜂起に至る経過といい、他人事とは思えぬ凄みがある。
 入手はこちらから。

3月19日(火) 穴蔵
 案の定、睡眠不規則。眠り浅く、きちんと目覚めたのが7時、3時間の寝坊である。
 雨が降っている。
 播州龍野へ行くか迷うが、昨夜からの気分を引きずっていて、明日に送ることにする。
 終日穴蔵にて痴呆状態で過ごす。
 たちまち夕刻となる。
 専属料理人の並べたバランスのいいメニュー(豚肉、厚揚げ大根煮、筑前煮、ごちゃごちゃ野菜のサラダなど)で一杯飲んで早寝。
 明日こそホリは羽ばたく……つもり。

福田和代『梟の一族』(集英社)
 サイエンス×忍者?! 戦国の世より暗躍し続けた梟の一族とは……
  *
 滋賀県犬上郡多賀町。8軒13人の限界集落にひっそりと住む「梟の一族」。ある夜、何者かに村が襲われる。唯一の「若者」榊史奈は「風穴」と呼ばれる鍾乳洞に身を潜めるが、一夜明けて村に戻ると、村は焼かれ、老人ひとりが銃で撃たれて死に、祖母を含むあとの一族は全員が姿を消していた……。
 史奈の孤独な逃亡と闘いが始まる。
 これは福田版「ヒ一族」か?
 梟の一族とは、甲賀集の末裔ともいうべき一族で、特異な身体能力を持つが、最大の特徴は「眠らない」ことだった。それ故に常人に倍する「学習時間」もある。今も一族の血を引く組織は社会のどこかに根を張っているらしいが、史奈は聞かされていない。一族の村で「純粋培養」されてきたからである。
 だが、助けてくれるもの、追ってくるものが入り組み、誰が敵か味方か、様々な謀略に巻き込まれる。
 やがて明らかになる一族の姿は……
 意外にも、梟の一族は、歴史の裏側で暗躍する「伝奇的」存在ではなく、むしろ「哀しい」一族なのである。
 その読後感は『産霊山秘録』よりも『継ぐのは誰か?』に近いというべきか。
 福田さんの異色のSFである。

3月20日(水) 大阪←→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。8時36分に到着。
 タイムマシン格納庫にて相棒の某くんと組立作業。ほとんど仕上げ段階である。
 しばらく試運転して完了、4月上旬には梱包作業になりそうな。
 おれの出番は一区切り。
 昼、実家にも寄る。
 故郷は花に囲まれていた。紅梅、釣鐘草、水仙……
  *
 一昨年に枝を落とされた白木蓮もそこそこ咲き始めた。再来年くらいには4年前よりも成長するであろう。
 夕刻に近い午後に帰阪。

3月21日(木) 穴蔵
 朝だ。雨が降っているが、浅田飴を舐める気分にはならず。
 終日穴蔵。
 机に向かって過ごす。マジメな態度である。
 ただし非SF系の仕事。タイムマシン関係のマニュアル作成に没頭する。
 据付のために現地(海外)へ行かず、マニュアルで済ませることになったため。
 基本は「図解」マニュアル。得意なんす。最悪、ネット中継でなんとかなるであろう。
 たちまち夕刻。一杯飲んで寝る。

3月22日(金) 穴蔵/ウロウロ
 早朝からマジメに机に向かう。マニュアル作成の続き。
 タイムマシン系の仕事になると、おれは集中力を発揮するのである。
 昼前に一区切り。
 専属料理人と出かける。
 昨日、墓参りに行けなかったというので、ルクア地下のフードホールにある某店へ行くことにする。
 「海鮮が安いだけの店」で、店名が義母と同じなので、墓参代わりにいいだろう。
 が、えげつない行列。しかも12時少し前というのに「定食は売り切れ」の表示。こりゃあかんわ。
 方針変更。
  *
 10階に上がって、こういうものをいただく。
 明太子やちゃんぼんもついて、まずまずであった(しかし博多・春吉の「なかむら」に及ぶ店ではない)。
 水分補給も怠りなし。午前中がんばったのだから、いいであろう。
 いい供養になった。

3月23日(土) 穴蔵
 土曜日で、世間は一応休日。穴蔵で過ごすことにする。
 早くも集合住宅関係のややこしい用事がくる。
 過去の事例など調べていたら、半日経過してしまった。
 昼は信州蕎麦を茹でてもらってザルを食す。
 午後、近所を散歩……つうか、ジュンクドー往復のみ。
  *
 14時半というのに「麦と麺助」前に長い列。40人近いのではないか。平日はこの半分くらい。
 13席しかないという。
 1時間待ちは確実だが……イラチのおれには、その心理がわからん。
 昨日のルクアの行列といい、大阪人のメンタリティは「並んで待って食べるのがおいしい」に変化してしまったのだろうか。

3月24日(日) 穴蔵
 日曜である。街にはアホが多そうで、出歩く気分にならず。
 旧東洋ホテル跡に建築中のタワーマンション、工事部分が(たぶん)43階くらいまで迫り上がった。
  *
 あと10階ほど積み上げられるはず。
 ちなみに4年前は"こんな眺めであった。
 今年11月に竣工予定。ウチのリビングからの視界の西南は遮られることになる。
 だんだんと谷底に沈んでいく感じだ。

3月25日(月) 穴蔵/おおさか東線
 晴れて温暖な日。
 朝から集合住宅のつまらん雑事を行う。
 マナーの悪い住民対策だが、こんなに非生産的な作業はないな。
 息抜きが必要である。運動不足でもある。
 昼過ぎ、思い立って「おおさか東線」に乗ることにする。3月16日に開通、もう空いているだろう。
 地下鉄で新大阪へ行き、始発に乗る。
 つまらん路線であった。
 南吹田、淡路と、ゴミゴミした住宅街。
 淀川を渡るが、トラスがジャマして、景観はいまひとつ。
 赤川鉄橋は、たとえば6年前に見たように、外から眺める方がいい。
 大東町の、昔住んでいたあたりを通るが、これまたつまらん。町並みもつまらんが、防音壁で視界の下半分は遮られている。
 「城北公園通」で降りる。
 改札が「蕪村口」とあって笑わせる。
 駅周辺をうろうろ、ますます汚くなった印象である。
 大東商店街(今は蕪村通り商店街)……ますます寂れてしまった。駅ができて、どうなるものでもあるまい。
  *
 70年代はじめ、このちょっと先にあった大東劇場で『トルコ風呂王将戦』を観たのが懐かしい。
 城北公園通りに出て、毛馬橋を渡り、天八経由で40分ほど歩いて帰る。
 春風や(公園)通り長うして家遠し

3月26日(火) 大阪←→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 9時前にタイムマシン格納庫へ。
 相棒の某くんとタイムマシンの仕上げ作業。
 相手国の事情があって、梱包作業はひと月ほどずれ込みそうである。
 その間に大地震が起こるとどうなるのか、ちと心配になる。
 昼飯のついでに揖保川沿いに出る。何やら工事が始まっている。
  *
 楠のある景観が破壊されないことを願うばかりだ。
 データを持って、夕刻に近い午後に帰阪。
 穴蔵のPCで集中的加工作業。相棒の某くんにメールで送る(「宅ふぁいる便」が使えないので、5メールに分けて送る。不便なことである)。
 一応完了。次の肉体労働まで、しばらくは痴呆状態で過ごすか。
 ちと遅めの晩酌。

3月27日(水) 穴蔵/新淀川大橋
 晴れて暖。穴蔵にてボケーーーーッと過ごす。
 15時頃に淀川堤へ散歩に出る。
 と、消防車や救急車が駆けつけ、「セブリ」諸君居留地の上流(新御堂の東側)が大騒ぎとなる。
  *  *
 消防車6台、救急車1台、アクアラングを用意したレスキュー隊員が来て、20人くらいが高水敷に待機する。
 ヘリが上空を飛び、ボートが3隻、川面をいたりきたり。淀川大橋の上にも消防車が止まる。
 森永ひさしじゃないけど、何があったの?といいたくなる。
 10人ほど集まった野次馬(おれも含む)。「橋から誰かが転落したんちがうか」「水管橋の撤去工事の誰かが流されたんやろ」「土左衛門は時々あがるからなあ」と諸説出るが、隊員に訊きに行く度胸の持ち主はいない。
 30分ほど見てたが、ボートが動き回るだけで進展なし。
 明日のニュースに期待するしかない。
 教訓。食い詰めても、淀川に飛び込むのは大いなる税金のムダ遣いになる。

3月28日(木) 穴蔵/淀川堤ふたたび
 昨日のつづき。
 昼過ぎに淀川堤まで行ってみる。
 誰もいない。静かなもの。
 昨日の捜索はどう決着がついたのだろう。ニュースは何もなし。
 水辺まで降りてみるが、川は濁っていて、死体が沈んでいてもわからんなあ。
  *
 水管橋の撤去作業、クレーンはまた「沖」に移動して、鉄柱の撤去を行っている。
 河川敷部分の2連(というのかな)の解体には、たぶん別に重機を持ってくるのだろう。
 左手にある「セブリ」住居との「衝突」はまだ先のようである。
 飼い猫2匹がどうなるか気がかりだ。

3月29日(金) 穴蔵
 薄曇りで穏やかな日である。
 終日穴蔵にあり。外出はジュンクドー往復のみ。
 公園の桜はまだ二分咲以下か。
 近所の花がきれいである。
  *
 野々村竜太郎の生家近くにもボケは咲くのであった。

片山杜秀『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』(講談社)
 書評を読んでその本に飛びつくことはあまりないので、これは例外的か。
 週刊文春で新垣隆氏の書評を読み、それがあまりにも素晴らしいので、翌朝ジュンクドーに走った次第。
  *
 この新垣書評は、一字一句が緊密に結びついていて、一部を抜き出しても論旨の紹介にはならないのだが、強いていうならば……明治(山田耕筰)から昭和ひと桁世代(三善晃)まで十四人の作曲家を取り上げて、「日本の西洋クラシック音楽」として文明開化以来「脈々と、現在では細々と続いている」その「創作通史」を縦横無尽に論じる。それは「対象となる当人達さえ『そういう亊なのか……』と恐らくは唸らせてしまうだろう」……というもの。
 本書の冒頭。鬼子(鬼っ子)の定義から始まる。引かれるのは天知茂の「昭和ブルース」。生まれた時が悪いのか、それとも俺が悪いのか。……いいねえ。クラシック偏重ではなく、日本近代の精神史であり、ドキュメントでもあるのだ。
 新垣氏は、(自分の領域でないなら)黛敏郎あたりから読めば十分に楽しめるという。そして、むろんおれは伊福部昭、黛敏郎の「師弟コンビ」から読み出したが(ちなみに、本書は第一章が三善晃と、編年体ではない)、驚くべき情報量と語り口。伊福部昭が北大の林学科出身で、戦時中、木材の改良(航空機への利用)を研究していたが、日本は原爆に破れた。戦後に病に冒されるが、それを放射線の影響と思いこんでいた節がある。木材改良に放射線も試したことがあるからだ。それが「ゴジラ」主題曲に影響している……こんなのが序の口である。
 別宮貞雄(翻訳家・別宮貞徳は弟とはじめて知った。『誤訳迷訳欠陥翻訳』は愛読したものである)の章が面白い。東大・物理の出身だが、最初に取り上げられる作品は『マタンゴ』である。その前段として論じられるSF映画史の部分だけでもスリリングだ。そして『マタンゴ』が本テーマというわけでもないのである。
 じつは、まだ全部読んでない。とても一気読みはできる本ではない。しばらく楽しみたいと思う。興奮してここまで書いた次第。
 付記。
 新垣さんの書評の最後の部分だけ引用しておきたい。今後他では読めそうにないからである。ご容赦を。
「附記――最後に唐突だが片山杜秀と、かの佐村河内守は共に一九六三年生まれで、私にとってこの二人は両極であり、「日本のクラシック音楽」は全てこの枠内に存在すると考えている。なおこのことは一度だけ、ここでしか言わない。」

3月30日(土) 石花楽会@浜屋敷/天ちゃん@九州会
 昼前に吹田の浜屋敷へ行く。
 春恒例の石花楽会(石毛先生主催の花見会)である。
 ここ数年、浜屋敷が会場だが、ソメイヨシノはなく、しだれ桜が2本あるだけで、いつもほとんど咲いてない。
 今年は1本が満開であった。
  *
 庭はうちの実家よりすこしまし程度か。
 一般客も通るので、できるだけ障子を閉めて、座敷で目立たないように飲む。
 本来の「貧乏花見」から「百年目」の雰囲気になってきた。
 だんだんと昔からのメンバーが来なくなるのも寂しい。程さんとか小吟さんとか田中会長とか。
 晴れてたのが、13時過ぎから小雨になった。
 14時頃で失礼する。
 いったん帰宅して、しばらく昼寝。
 夕刻這い出て、芝田の「がんこ」へ。
 九州会。2月に一度「九州」という小さい居酒屋で、ゲストを招いての飲み会。時々参加している。
 本日のゲストは『百怪一首』の天羽孔明さんである。
 となると、希望者が急増して30人ほど。店には入りきれず、別会場での拡大版となった。初めてのことである。
  *
 天羽孔明さんの話術は妖怪よりも落語に向いているのだが、妖怪の定義(虹や蜃気楼も妖怪とされてきた)や百人一首と狂歌の関連などから始めて、「妖怪狂歌カルタ」の制作秘話(10年がかりである)を披露、最後はカルタを一枚引いてもらって、その狂歌にこめられた趣向を解説する……ともかく全首が頭に入っていて、即座にそのアイデアと趣向、創作上の苦心などが出てくるのである。王が全ホームランの球種やバットの感触まで思い出せるのに似ている。想像以上に深い世界なのであった。改めて一枚ずつ鑑賞することにしよう。
 22時前に帰館。
 宴会の連続で飲み過ぎを覚悟していたが、ごく気分よく就眠。

3月31日(日) 穴蔵
 定刻午前4時に気分よく目覚めた。
 終日穴蔵にて本を読んで過ごす。
 たちまち夕刻。
 専属料理人の並べた数皿で晩酌。
  *
 大根と鶏の煮込み、ごちゃごちゃサラダ、鯛の昆布〆、春パスタなどでビール、中本酒店の格安バカうまワイン。
 昨日の色々より数段うまい。かつ大分安いはず。
 早寝する……つもり。無為に過ごした3月が終わる。嗚呼。



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