『マッドサイエンティストの手帳』565
●マッドサイエンティスト日記(2013年10月後半)
主な事件
・Mitch@ニューサン(16日)
・某セミナー(19日)
・播州龍野いたりきたり
・さらば赤川仮橋(27日)
・New Orleans Kitchen Five @ニューサン(29日)
10月16日(水) 台風一過/Mitch@ニューサン
台風26号が接近かもしれず、眠り浅し。
定刻午前4時に起きてニュースを見る。
「10年に1度の大型」台風26号は伊豆大島あたりらしい。
未明まで雨音がやみ、5時には霧雨状態。風もなく、静かなもの。
この時すでに伊豆大島で土砂災害による大惨事が起きていようとは……
終日穴蔵。
午後には晴れてきた。
それにしても、午後のテレビの報道番組。各局とも大島から中継しているが、まだ行方不明者が40人以上で、重機も入れないという状態を、テレビ局がわんさか押しかけて似たような中継するのには、ちょっと耐えられない。
立派な仕事をしているつもりかもしれんが、代表取材にとどめて、インフラは救助活動に明け渡すべきじゃないのかねえ。中国じゃあるまいし、マスコミの監視がなければ救助に手抜きするなんてことはあるまい。
どこも報道しないようだが「報道による迷惑行為」を報道するメディアはないものか。
……と無根拠にいってるのではないよ。おれは阪神大震災の時に(被災地の人ほどではないにしろ)体験している。「温泉キャスター」なんてのがいたことを忘れてはおらんからね。
夜は集合住宅の理事会。
議題は多いのだが、テキパキと片づける。そのために時間をかけて資料を準備しておいたのである。
20時30分に終了、ただちに梅田へ。
21時前にニューサンに着く。
Mitchのグループを2ステージ目から聴く。
Mitch(tp) 武井努(ts) 杉山悟史(p) 時安吉宏(b) 永田充康(ds)
*
↑ベースは飛び入りのなんとか氏。
Mitchグループはトラディショナル・ジャズに分類してあるのだが、先端のニューオリンズ・スタイルで、関西ではいちばん生きのいいグループである。モダンスイングがバップの洗礼を受けた世代のスイングスタイルなら、こちらはロックの洗礼を受けたN.O.ジャズか。
「南部の夕陽」や「バーボン・ストリート・パレード」など、ノリがいいねえ。
永田くんのNO歴は長いけど、武井努の器用さに驚く。色んなスタイルがやれるんだなあ。
薄い水割り飲みつつ最終ステージ、22時30まで。
10月17日(木) 穴蔵
ちょっと夜更かししたら、午前5時まで寝てしまった。
室温25℃、外は15℃。涼しいというよりも肌寒い。
終日穴蔵。
仕事がはかどるはずが、アタマがボケーーーッとして気力がわかず。
いわゆる「かくれ不眠」かと気になって、ネットで調べて「チェックシート」を試したら「眠りが浅いタイプ」と出た。
自覚どおりだから「かくれ」不眠とはいえまい。
単に眠りが浅いのである。
クスリは飲みたくなし、寝る前の読書はやめる気なし、寝る前の飲食は6月以降してないから、打つ手なし。
このままでいいか。
10月18日(金) 穴蔵
曇天なり。
アタマも曇天。
相変わらず眠り不規則、穴蔵にてボケーーーッと過ごす。
いかん、最近まとまった仕事をしていない。
明日こそホリは羽ばたく……ことにして、夕刻に近い午後、散歩に出る。
豊崎神社から淀川堤へと、久しぶりに北東方向に歩き出したら、近所にホテルが出現してた。
マンション工事と思ってたら東横インか。「梅田中津U」先週オープンしたばかりでキャンペーン中。
3年ほど前まで船井総研があった東側で、北側は阪和線につながる貨物線。「はるか」が通過していく。
*
ここは昔は印刷所だったのかな。記憶がはっきりしない。
東横はラマダホテルの近くに1棟あるのに2棟目。躍進しておるのだ。一方、ラマダ(旧東洋ホテル)は年内で営業終了。栄枯盛衰であるなあ。
東横の社長は調子のいいおっさんに見えたが(不始末の会見時)、ホテルのコンセプトはいいと思う。
老母の入院中に相生駅前に泊まっただけだが、おれみたいに、寝るだけ・朝は軽く・パソコンは使いたいというタイプには、ありがたいスタイルである。
ぶんきちくん、来阪の時はここにしなはれ。
夜はサンマの塩焼きに松茸ごはん。うーん、呉春が飲みたい。
10月19日(土) 穴蔵/住宅セミナー
定刻午前4時に起きる。
室温24℃、外は18℃。室内でも靴下をはかないと寒くなった。
少しはマジメに机に向かう。
成果は別だけど。
午後、天六まで歩く。
天六交差点南東に「大阪市立住まい情報センター」という立派なハコモノがあって、ここは以前は北区民会館だったはず。歌やんが落語会をやろうとしたら、前の路面がガス爆発で吹っ飛んで中止になった。70年のことである。
爆発にビクビクしつつ「マンション給排水設備の大規模改修工事」というセミナーを聴講。
集合住宅の理事長という立場上、近い将来立ち向かわねばならぬテーマなのである。
聞けば聞くほど気が重くなってくる。
「人間の体にたとえれば……」と講師が説明するが(確かに古い給排水管の内部写真は閉塞した血管に似ている)、それなら「手術拒否」という手もあるか。
おれの寿命より先の問題に居住者を代表して立ち向かうことはないわなあ。
播州龍野に居を移したくなる。
10月20日(日) 穴蔵
昨夜来の小雨が降りつづく。
朝から集合住宅の工事。各戸2時間程度だが、本日はわが穴蔵を挟んで4戸を同時進行でやってるから、午前中は在室しておらねばならぬ。音はたいしたことないが、落ち着かず。仕事にはならず。
昼過ぎに終了。
本日はジャズ関係のイベントが重なっている。
・大阪ジャズ同好会の例会
・鴻池ジャズストリート・プレイベント(鈴木孝紀さんが出ている)
・吹田Jazz Gospel Live(滝川雅弘さんが出ている)
時間的には、吹田に間に合いそうだが、1ステージだけになりそうだしで、結局いずれも断念。
夕刻近くになって雨があがる。
散歩をかねて梅田のチケットショップ往復。明日から播州龍野行きである。
つまらん1日であった。
10月21日(月) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
快晴。午前9時に龍野書斎に着く。室温22℃で予想外に快適である。
書斎と居間を冬モードに変更しようかと思っていたが、まだ必要ないようである。
雑事は色々あり。
タイムマシン格納庫で打合せと作業。
金融関係と役所ウロウロ。
たちまち昼になる。
昼は、鶏籠山がいちばんきれいに見えるカフェ「ガレリア」でドライカレーのランチをいただく。
* *
鶏籠山を眺めつつヒーコ。
11月には「刻の記憶」という美術イベントが開かれるということで、ガレリアも事務局機能をになっているらしい。
醤油蔵などが会場になるそうで、11月にまた来ることにしよう。
龍野文化の中心地・ガレリアに栄光あれ。
雑事やってたら、たちまち夕刻となる。
18時には真っ暗になる。田舎の夜は早い。
大阪から持ってきた食材にてビールを少しばかり。
CDだけは近所に遠慮せず聴ける。
ジョージ・ルイス〜エドモンド・ホール〜尾田悟と、濁音系を2曲ずつ聴いて、早寝するのである。
10月22日(火) 播州龍野→大阪
わ、目覚めれば午前6時である。8時間近く眠ったのではないか。
静かなせいであろう。
張り切って下男(おとこし)仕事。ただし屋内作業のみ。庭仕事(植木)はシルバー人材センターに依頼、外側の雑草は当面放置。近所から苦情が出ない限り、どう変化するのか観察することにする。
昼、揖西町のヤマト運輸へ荷物を運んだあと、久しぶりに相生まで行ってみる。
3年前の今ごろ、毎日のように往復した道である。
懐かしきIHI播磨病院前を通過。
室津方面への海沿いの道を走る。
野瀬埠頭に巨大なクレーンが接岸しているので見物に寄る。
何を吊り上げるのか、ともかくでかい。
*
てふてふくれ〜んさんによれば、「金剛」は2050t吊で、まだまだ上があるようである。
室津にも寄る。牡蠣の直販所が多いが、本日は見合わせる。大阪へ持ち帰る荷物が多いため。
道の駅みつにも寄る。
ああ播磨灘。
*
「魚菜屋(ととなや)」であなご丼。1,100円。
うーん、正直いって価格に見合うほどのものではなかった。生野菜トッピングがすべてを台なしにしている。
龍野「よこた」の穴子寿司の折を買ってくればよかった。
いったん帰館。
週末まで龍野にいてもいいのだが、明日から雨らしく、野外の作業はできない。
夕刻の電車で帰阪する。
10月23日(水) 穴蔵
曇天、朝8時過ぎから小雨になり、終日降りつづく。
終日穴蔵。
少しは仕事……のつもりが、9時過ぎから重低音が聞こえてきて鳴りやまず。
道路工事の車両か発電装置かと偵察に出る。
通りを隔てた北側のビルはかつて印刷工場であった。町工場が並ぶ一角で、その向こうには鍍金工場があった。
もう操業を終えたものと思ってたら、過去形ではなかった。何かの特需か、とつぜんフル操業を始めたらしい。
屋上の排気ファン1基がフル回転しているのだった。
わが穴蔵のベランダからは50メートルほど先だが、ビルの隙間がスピーカーみたいに作用するのか、窓を閉めていても防ぎきれない。
今までこんな音はしなかったはずだが。
夕刻17:15まで、重苦しい気分で過ごす。
連日つづくようなら、対策を考えざるを得まい。むろんこちらが逃げ出すわけだが(何しろ、工場はこちらが住みつく以前からあったのだからなあ)。
もっと近くにいるクレーマーに期待か。
頼むから「理事長、代表して抗議にいってください」などとはいわんでくれよな。
10月24日(木) 穴蔵/ウロウロ
定刻4時に目覚める。
普通のパターンに戻った。
曇天なり。
台風27号の動きが遅く、昨日と同じような報道をしている。
本日もメッキ工場の騒音がつづく。
仕事の能率は悪く、午後、散歩に出る。
ジュンク堂〜梅田ウロウロ。
新聞によれば、グランフロント大阪は開業5ヶ月で来場者数が2,700万人で、スカイツリーに匹敵する人気らしい。ただし客単価は740円だとか。
どこで来場者をカウントしているのであろうか。
大阪駅から南館へ入る2階通路なら、おれもよく通る。客ではなく通路利用。ただの通行人で客単価はゼロ。
おれも来場者にカウントされてたら、客単価低減に大いに貢献しているはずだ。
大阪駅から帰るとき、3度に1度は、2階通路を北館〜ナレッジキャピタル北から1階に降り、北端の「雑木林」を通って、済生会病院横からうめきたを抜ける。
本日もそうする。
*
水辺には誰もいない。雨滴が落ちはじめたからである。
一度は北館6階でビールくらい飲まないと申し訳ないかな。
10月25日(金) 穴蔵/梅田レコードCD市
定刻4時に起床。
雨ぞ降る。台風27号が秋雨前線に影響しているとかで、風はないが、近畿にも大雨警報がやたら出る。
こんな日は穴蔵に閉じこもっているに限る……つもりだが、雨にも負けず、メッキ屋の騒音あり。
雨音に紛れて少しはましだが。
午後、雨が一時的にやんだので散歩にでる。
堂山町のACTV2階のホール(JAZZ ON TOPの上の階である)で本日「第1回梅田レコードCD市」開催である(10/25〜27の3日間)。
全国から24店が集結。
15時オープンだったらしく、開場1時間後に入店、なかなかの熱気である。
*
LPが8割、ジャズはその4割くらいかな。ジャズLPファンはまだ多いんだなあ。
おれはLPはもう卒業だが。
CDは少ない。エディ・ダニエルズと大井貴司を購入しただけ。
もう所有欲はなくなったからなあ。
10月26日(土) 穴蔵
2時頃に目が覚めて、眠れず。朝まで本を読む。
午前3時頃に雨音やむ。台風の影響はなくなったらしい。
本日は某メッキ工場は休みで静かなもの。
終日穴蔵。
仕事に集中……とはいかず、3週間ほどかかった集合住宅の工事が本日で終了(仮設の倉庫撤去のみ来週)というで、点検に立ち会い。
まあ、これでしばらくは集合住宅関係の雑務からは解放される……はずである。
午後、「みのもんたの降板」が大ニュースのごとく流れるが、大騒ぎするほどのことか。
ハシシタ降板なら騒ぎにもなろうが、もんたが消えたところで誰にも何も影響しないではないか。
10月27日(日) さらば赤川仮橋
快晴、秋晴れである。
運動不足なので本日は歩くことにする。
赤川鉄橋へ行くといったら専属料理人も同行するという。
ひょっとしておれと歩くのが楽しいのだろうか。
(いや、おれより1歳上の知人。いっつも奥さんといっしょ。仄聞するに「女性関係」を疑われてだとか。とうていそうは見えないおっさんだけどね)
往路はバス。守口車庫前行きで赤川3丁目に10時過ぎに着く。
赤川鉄橋へ。
赤川仮橋(歩行者用の人道)が10月31日で閉鎖される。
最後の日曜日で快晴とあって、人出は多いだろうと思っていたが、予想以上。欄干にずらーーーーっと並んでいる。
500人以上1,000人以下、700人くらいか(50歩からの推計)。
にわか撮り鉄が大半で、本格的なデジ1+三脚は10人もいない。
* *
おれは「にわか撮り鉄」ではない。
ここから徒歩5分の工場に勤務したのは1970年で、対岸(東淀川)にOニット染工(今はホームセンター)という関連会社があったから、時々自転車でこの橋を通った。
84年の歴史のうち43年前からの利用者だから、年期が入っている方である。
ぶらぶらと渡り納め。
ニワ鉄諸君は10時40分頃の貨物列車を期待して来たのであろうが(おれもそうなんだけど)、11時過ぎても来ず、残念ながら本日は欠便だったようである。
毛馬堤を下流に歩き、毛馬閘門を渡る。ここは淀川マラソンのコースで、そういえば本日は大阪マラソンの日であった。好天でなによりである。
天八経由、天六へ。
昼は玉一で焼肉定食。生中を一杯いただく。たまらんなあ。
天八のスーパーに寄り、荷物を持たされて、歩いて帰館。
11,920歩になった。
10月28日(月) 某院/石飛(似)氏帰る
快晴、秋晴れである。
朝、うめきたを歩いて桜橋の某院へ行く。
6月以来、色々あったのだが、結論としてはすべて良好で、普通の生活パターンに戻って問題なしとなった。
晴れて出所の気分。
といっても、盛大に飲むのを推奨されているわけではなし。
野菜摂取と体脂肪率16%維持は体質になってしまったから、元の食生活に戻ることはあるまい。
足取り軽く、昼前に帰館。
と……近所の公園に懐かしき姿。
そういえば先日、専属料理人が「石飛さんと会った」といってた。
むろん石飛卓美(似)氏のことである。そっくりさんともいう。
近所の路上ですれ違ったらしい。
戻ってきはったのだ。
定位置で物思いにふけってはる。秋だからなあ。
*
8月28日の通り魔事件以来、姿を消してはったが、2ヶ月ぶりに復帰である。
やはりトイレや水道の事情などから、住み慣れた場所がいいのであろう。
歓迎はしないが、誰に迷惑かける人ではなし、嫌がらせすることなどないからね。
10月29日(火) 穴蔵/New Orleans Kitchen Five @ニューサン
曇天なり。
穴蔵にておとなしく過ごす。
近所の某メッキ工場は当面の受注分が終わったらしく、排気ファンは停止して静か。
ありがたいことである。
夜、専属料理人と歩いてニューサンへ。
Heisuke & Junichi Jazz Band 改めNew Orleans Kitchen Fiveのニューサン・デビューである。
*
加藤平祐(cl)秋定暢(tb)川合純一(bj)脇本総一郎(b)梁瀬文博(ds)
Heisuke & Junichi Band は、この1年あまり、New Year Jazz Party に出たりガゼボでライブを続けてきたが、このたびバンド名を「Kitchen Five」に改めることになった。
ジョージ・ルイスが最初にバーガンディ・ストリート・ブルースを演奏したのが1944年7月27日。
セント・フィリップ・ストリート829の自宅の台所で、ビル・ラッセルのテープレコーダーで録音された。
マレロ(bj)パバジョー(b)とのトリオで、これはわが愛聴盤「ジョージ・ルイス1943〜1945」に納められている。
「台所5人組」の命名は、43〜45年当時のルイスのスタイル、その頃の素朴なニューオリンズ・スタイルを追究しようという意思表明である。
うれしいではないか。
(ちなみに、おれがこの録音に愛着があるのは、わが誕生のほぼ1月後だからであって、おれはバーガンディ・ストリート・ブルースとともに生まれたのである)
2管、ピアノレスの編成、このメンバーで独特のアンサンブルが出来上がりつつあり、しかもニューサンは音響がいいから、それぞれの個性が聞き分けられる。
3ステージ目の最初には、トリオ編成(ルイスと同じ)でバーガンディを演ってくれた。
感涙。
永くつづいてほしいバンドである。
10月30日(水) 穴蔵
終日穴蔵にて静かに過ごす。
夕刻のニュースで野沢のおっさん川上哲治の訃報。93歳。まあ大往生であろう。
川上は「プロ野球をラジオで聞く」時代のスーパースターで、その「弾丸ライナー」がどんなに凄いのか、アナウンサーの絶叫から想像するしかなかった。
当時(わが小学時代)は、映像は映画館のニュース映画で見る他なく、2、3度見たように思うが、中継ではないから、実感がわかなかった。
だから、おれの場合、川上といえば「哲のカーテン」を敷設した管理野球の創始者という印象が強く残っている。
ダイナミックな動きがテレビで中継された長嶋との決定的な違いであろうなあ。
そして、川上野球を見るにつれ、おれは、単純な巨人ファンという少年から、アンチ巨人という、ひねくれた大人に成長?していった。さらに後年、ナベツネを見て職業野球に興味を失うことになる。うーん、世間智は職業野球から学んだということか。
10月31日(木) 穴蔵/ウロウロ/ああ貨物駅(6)
少し雲がかかっているが、秋晴れといっていい日。
終日穴蔵……ともいかず、月末の諸事あり、昼を挟んで梅田ウロウロ。
ステーションシティから貨物駅跡を見る。1月前からに較べると、レールがほとんど撤去され、南端のビルの解体が始まっている。
*
西端の貨物線を「はるか」が行く。
「はるか」の車窓から貨物駅跡を眺めたいが、新大阪から天王寺の間で検札は来るのだろうか。
ICOCAで乗って「発車間際に降りそこねまして」という言い訳が通用するだろうか……「鉄」がやりそうだから、難しいかな、などと愚考するのであった。
近所の酒屋で「入ったばっかりでんねん」というワインを買って帰館。
ボルドーのなんとか金賞受賞とかの。ここのニイちゃんは、なかなかの勉強家で、まず外れがない。
ということで、夜は専属料理人に、カジキのソテーとかナスのなんたらのあと、秋パスタ(松茸ではなくマッシュルームだけど)を作ってもらって金賞ワイン、いと少なしを。
なかなか。
豊崎西公園南側の中本酒店に栄光あれ。
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