『マッドサイエンティストの手帳』569
●マッドサイエンティスト日記(2013年12月後半)
主な事件
・忘年的SF検討会(17日)
・ハナシをノベル@繁盛亭(20日)
・播州龍野いたりきたり
・青空書房見納め(27日)
・ラスカルズ聴き納め(28日)
・株主総会的忘年会(29日)
12月16日(月) 穴蔵
寒いのであった。
午前6時、室温16℃、外は8℃である。
終日穴蔵。雑事色々。
エアコンは使用せず、防寒着+足温器で机に向かう。
体を動かさず机に向かっている分には、このスタイルがアタマの働きはいちばんいいようである。
たちまち夕刻となる。
専属料理人に、鮭ホイル焼き、サラダ、穴子のなんたらなど並べてもらって晩酌。
なんといっても、スグキを刻んだので湯割りがいちばんであるなあ。
北朝鮮報道は相変わらずの憶測ばかり。
明日は少しは面白い映像が見られるか。
早寝するのである。
12月17日(火) 穴蔵/忘年的SF検討会
終日穴蔵。
年末で、SF以外の雑事が(タイムマシン関係など/経営者だからなあ)多くなった。
穴蔵の大掃除も行う。
専属料理人専属掃除婦が見かねて、掃除機持って押しかけてきたから、致し方なし。
しかし、まあ、少しはスッキリした。空気も清浄化されたような。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
定員2名内容非公開の忘年会的SF検討会を開催する。
スグキで湯割りをチビチビ飲みつつ、テーマは当然ながら北朝鮮関係がメインとなる。
憶測による議論にしかならないが、かの国情を理解するのに新しい切り口を発見した。
これは共有の新発見で、とても公開できるものではないが、多くの疑問が氷解した。
物事はあまり複雑に考えてはいかんのである。というか、論じている対象が、それほど複雑な思考の上で動いているのではないのである。
あっという間に3時間経過。
議論は来年に持ち越しだな。
12月18日(水) 穴蔵
朝だ。雨が降っている。久しぶりの浅田飴。
終日穴蔵にて粛々と雑事。外出はヤマト運輸の営業所往復のみである。
たちまち夕刻となる。
夜は集合住宅の理事会。
またややこしくなりそうな議案が発生、気が重くなってくるなあ。
半年前の1件、おれは「身から出た錆」と思ってきたが、集合住宅からのストレスであるような気がしてきた。
まだ1年半つづく。嗚呼。
21時前から遅めの夕食。
デザートに某様からいただいたシュトーレンを一切れ。これで白のグラスワイン。
これから1週間ほどの楽しみである。
12月19日(木) 穴蔵
定刻午前4時に起きる。
朝刊トップが猪瀬直樹の辞任表明。本日、緊急記者会見を行うそうな。
11月22日夕刻にとつぜん5000万報道が始まって、おれは即座に「とるべき行動はひとつしかない」と思った。
「どこまで悪あがきして醜態をさらすのかが、楽しみといえば楽しみ」などと書いたが、まあずいぶん粘ったものである。恥に恥を重ねて。
結果として「東電病院に関わる収賄容疑」まであぶり出されたということか。
水に落ちたイノシシは当分打たれつづけそうな。
穴蔵にて粛々と雑事。
昼前に、辞任会見でも見ようかとニュースを見たら、「餃子の王将」の社長が銃撃されて死亡。
まさか****か?! 骨肉という言葉を思い出すが、ありゃ昔のことだしなあ。
……と余計な憶測は書かんとこ。
12月20日(金) ハナシをノベル@繁盛亭
終日穴蔵……のつもりだったが、またも集合住宅で「違法行為」の連絡あり、手間のかかることよ。
時間的には10分ほどのことでも、嫌な気分と怒りが尾を引くから、仕事にならない。
夕刻這い出て、地下鉄で南森町へ。
繁盛亭にて「ハナシをノベル!!」の年末会。
・月亭天使「こぶ弁慶」のサワリ
・月亭文都「襲名落語」(田中啓文作)
・林家笑丸「ほうじの茶」
・月亭文都「馬賊の清吉」(福田和代作)
中入り
・「トークでノベル」北野勇作、牧野修、田中啓文、我孫子武丸、田中哲弥氏のウダウダ
・月亭文都「虫女房」(牧野修作)
林家笑丸を初めて見たが、危ういというか、ちょっと危険な雰囲気が漂っているところが魅力である。
「襲名落語」は、なぜか大御所師匠が弟子やら呑み友だちまで20人に自分の名を襲名させる不条理系、「馬賊の清吉」は老刑事が蟄居している老ヤクザを訪ねる人情噺、「虫女房」は例によって人体がゼリー化してジュルジュルになる牧野節で、それぞれの個性がうまく出ていて面白かった。
本日は専属料理人が地域のなんとかの忘年会というので、おれもちょっと飲んで帰ることにする。
天神橋筋商店街を天五まで歩いて、マーガレットに寄る。
ここでも「ご近所」の忘年会たけなわであった。
あと、久しぶりにワイルドバンチへ。
おや、庄内さん不在である。ちょっと体調がナニらしいが、来週には復帰されるらしい。
また覗くことにしよう。
青空書房が閉店すると、本に囲まれた空間が貴重になるからなあ。
深夜に近い時間、天六から歩いて帰館。
雪かもしれんという予報だったが、結局降らず。
本日は16,268歩。
12月21日(土) 穴蔵
終日穴蔵。
産経の花田凱喜「週刊誌ウォッチング」に、佐野眞一「猪瀬直樹君への手紙」について「よくぞ書かせた、よくぞ書いた」「必読」とあるので、近所のコンビニで週刊ポストを買ってくる。
立ち読みしようと思ったのだが、あまりにも恥ずかしいので(まるでエロ本!)買ってきたのである。買うのもかなり恥ずかしいが、エロ本立ち読み場面を近所の人に見られるよりましだからである。
佐野眞一氏は猪瀬と二十代の「駆け出し時代」は同志的な仲だった。佐野氏は1年前のハシシタ事件以来、「生ける屍」状態であったという。都知事になった猪瀬はツイッターで佐野氏の悪口を書きまくったという(おれは読んでない)。しかし、佐野氏は今回の猪瀬の醜態を見て、(多くの編集者がいうように)「バチが当たった」「ザマー見ろ」とは思わず、当時からの性格と行動を分析して、初心に戻るべしとメッセージを送っている。
これこそが『カリスマ』作者の筆法であり、復帰が近いということであろう。
佐野と猪瀬の「分岐点」はどこにあったのか。
『てっぺん野郎』の著者と石原都政時代の副知事が“同志”であろうはずはないのだが。
それにしても週刊ポスト、他に読む記事ほとんどなし。これが440円とはひどいものである。
週刊ポストと週刊現代は「全共闘向け」エロ雑誌という確信を得たが、これを説明するのはしんどいので、個人的メモにとどめる。
12月22日(日) 穴蔵/ウロウロ
早寝するつもりが、22時からエンジンの重低音が響いて眠れたものではない。
そうか、土曜夜から日曜未明にかけて、隣のビルの空調工事が行われるのだった。
パジャマの上に防寒服を着込んで見物に行く。
*
横の道は朝まで交通遮断。50tラスタークレーンが来て機器の上げ下ろしをやっておる。
工事の届けも出ているから、しょうがねえなあ。
結局、朝6時まで続く。
やっと静かになったので、ビール1缶飲んで、午前中3時間ほど眠る。
終日穴蔵、年末の雑事の処理……のつもりが、アタマまるで働かず。
午後、梅田散歩。
3連休の中日で、えげつない人出である。
年末の慌ただしい時期に競馬があったらしく(有馬記念とあとでわかる)、ヨドバシ北側、身動きとれないほど。
紀伊国屋を覗いて引き返す。
ゆず湯に入ってからビール。
早寝する。
12月23日(水) 穴蔵
終日穴蔵にて雑事。
年末の恒例行事的な雑事あれこれ。主には片づけ仕事。
色々な意味で「整理モード」である。
物理的には本とCDを必要分に縮小し、社会的な諸々のしがらみも整理していくことにする。
年内に一挙に整理するのは無理だから、来年前半を目途にするか。
まずは集合住宅の理事長を辞任したいところだが、これだけは難しいなあ。
12月24日(火) 穴蔵
終日穴蔵にて雑事。
年末の恒例行事的な雑事あれこれ。片づけたいことが増える。
半世紀以上つづけてきた習慣も今回で終わりとする。
たちまち夕刻。
クリスマス・イブ。
長年の習慣で鶏の丸焼きでワイン。
もたれるなあ。
来年からはヤキトリ2、3串でビールの方がいい。
早寝。
12月25日(水) 大阪←→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
夜の長い時期である。明石を過ぎてやっと明るくなる。
午前8時過ぎに実家書斎に着く。室温6℃。真冬にはまだ少しか。
暖房する間もなく、雑事色々。
タイムマシン格納庫にて年度末の作業を行う。
昼前にクルマで姫路の某教会へ行く。クリスマスでミサの最中であった。
隣接する修道院なる浮世離れした施設を訪問する。
浮世離れした雑談を1時間ほど。
たまにはこういうこともいいか。
トラピストのクッキーを貰って帰る。
と、専属料理人からメール。急用が発生して、しばらく実家へ帰るという。
こちらは気楽でいいのだが、あまり喜んで送り出すと、いない方がいいという本音を察知されそうで、返事がむつかしいね。
こちらの方はあまり気にせず、そちらの事情優先でと返信。
午後の電車で帰阪する。
途中、三宮で途中下車。
センタープラザ西館地下の某店で、遅めの昼飯というか早めの夕食というか、カツ丼をいただく。
昼は行列が途絶えない店だが、この時間はカウンターに客数人であった。
夕刻帰館。
深夜に近い時刻に冷蔵庫にあった数皿ならべてビール。
ひとり酒は気楽でいいなあ。
12月26日(木) 穴蔵
小雨が降りつづく。
終日穴蔵。
たいして仕事はできないのであった。
夕刻には本降り。
出歩く気分にならず、近くのコンビニ往復のみ。
3食コンビニメニューというのもわびしいものである。
12月27日(金) 穴蔵/ウロウロ
終日穴蔵。
数少ない「平日の午前」なので、『ゼロ・グラビティ』を観に行こうかと思っていたのだが、調べてみると、どうも適当な上映館がない。さる映画関係者から、あれだけは「吹替」の方がいいと教えられた。普通なら「字幕」を選ぶが、ゼログラの場合は、字幕を観ると現実の空間に引き戻されるのだそうである。もっともな意見だが、梅田の上映館はすべて「字幕」。近郊の田舎まで行くのは面倒だし、迷うところだ。いずれにしても来年だな。
運動不足なので、夕刻、暗くなってから這い出る。
青空書房へ。
*
閉店まであと4日。
本棚はそんなに減っているように見えない。
坂本さんに聞くと、残った本はできる限り自宅に詰め込むとか。寝床だけ確保できればいいらしい。
1月から営業はやめるが、しばらくは本の移動などで、シャッター開けたり閉めたり状態のようである。
天五中崎町商店街をこんな時間(午後7時前後)に歩くのは初めてのような気がする。
たいてい明け方か昼間だものなあ。
シャッター商店街化しているのではなく、立ち飲み屋(バル風の店も含む)がやたら増えているのだった。
老舗の「イナダ酒店」は満員。天五の「七福神」には行列、天五一帯の飲み屋は大盛況である。
仕事納めのあと一杯やってる人が多いのであろう。
外呑みはやめて、天八のライフでひとり用の鍋を買って帰る。
ビール飲みつつ、20時〜BSの紀行番組。
コウケンというタレントがウズベキスタンの家庭料理を食べ歩く番組。
タシケントには11年前に行ったが、トルコ料理とそう変わらない印象だった。
麺類が意外に多くてうまそうである。今から食べに行く元気はないけど。やっぱり旅先ではウロウロしないといかんのだなあ。
12月28日(土) 聴き納め
終日穴蔵。
粛々と年末(期末)業務を行う。
夕刻這い出て、歩いてニューサンへ。
ラスカルズの出演日。本年度のジャズ聴き納めである。
大盛況だが、ひとりだったから、美女3人席に相席にしてもらった。
ラストステージでは少し空いてきたが、なんといっても最終ステージがいちばんいい。
*
河合さんと福田さんとの2ホーンによるバーガンディ・ストリート・ブルースは感涙ものであった。
今年の最後は定番「世界は日の出を待っている」
気分よく帰館、深夜の就眠となる。
12月29日(日) 株主総会的忘年会
終日穴蔵。
粛々と年末(期末)業務を行う。
夕刻這い出て、歩いて阪急石橋へ。
海鮮居酒屋にて、年末恒例の謎の忘年会、というほど謎めいたことではないか、要するに、わがタイムマシン業の決算報告会兼株主総会兼忘年会である。
正式に会社を立ち上げたのは12年前だが、それよりもずっと前から水面下で作業は続けてきた。
阿呆としかいいようのない経営者に事業部門のリストラを命じられた時(1993年末)であり、少人数で水面下の組織を作り、「外注先」を迂回して、すべての作業を自分たちで継続するシステムを作ったのである。こちらの仕事はすべて土日に行った。よくやれたと思うし、体力もあったなあ。
詳しい顛末は、あと2年ほどすれば、記録として残しておこうと思う(まだ若干支障あり)。
あれからちょうど20年である。
当時の阿呆経営者を嘲りつつ、こういうものをいただく。他に、ゆびき、テッサ、白子どっさり。
気分よく帰館。
専属料理人が実家から帰ってきた。
正月もアチラで過ごせばいいというのだが、あまり実家行きを奨励するのも面白くないらしい。
難しいものである。
12月30日(月) 穴蔵
年末なのであった。
終日穴蔵。
今年中に片づけておくつもりのことが色々あるのに、ほとんど手つかず。
来年に送るか……となると、またすぐつぎの年末で、結局は死ぬまで片づきそうにないが。
年末でゴミ収集日が不規則になっている。
ふだんは月曜は普通ゴミの日だが、もう年内の収集は終わっており、くどいほど掲示で告知しているのに、平気でゴミを出すのが数名。
どうでもいい気分になるが、困るのは苦情が理事長たるおれに来ることである。
防犯カメラの1台をゴミ置き場に向けて、各戸でモニタリングできるようにすればいいのであろうか。
先日は、デリ**らしいのが○○○号室に入ったとか、ややこしいタレコミまであったし……どこでも人の目はありまんのやで、○○○号のおっさん。
……ったく、仕事にならんよ。
つぎの年末年始は播州龍野で過ごすことにするか。
12月31日(火) さらば2013
穴蔵にて雑事。
未明に小雨が降ったが、朝にはやみ、昼前には晴れた。
穴蔵のベランタと網戸、廊下側の窓などの拭き掃除。
年末行事は終了とする。
梅田散歩。
人出はそう多くなく、かっぱ横丁やNU茶屋町はシャッターを下ろしている。
大阪ステーションシティ「風の広場」へ。1年前にもここに来ている。
貨物駅の建造物はすべて撤去されてしまった。
* *
南側の事務棟も解体されて、ほとんど更地化。
ここを「第2砲兵工廠」にするのは難しくなった。
現実の貨物駅跡とは別の設定にするしかないようだ。
こうなると、現実の開発計画としては、商業施設のない緑地(その名は「梅田三角公園」)にしてほしいが、無理であろうなあ。
貨物駅南側を歩いてホテルプラザ跡を訪問。
年末でひとつ区切りをつけたことがあるので、小松師匠への報告と年末の挨拶である。
*
本来なら箕面の墓地へ伺うべきなのだが、小松事務所跡でかえさせていただく。
今年も(6月にちょっと災難があったものの)無為に過ごしてしまった。
反省。
貨物駅跡を一周して、中津側から帰館。
夜は筑前煮(重箱に詰める前のオセチというべきか)や湯豆腐で軽くビール。蕎麦で呉春を一献。
国民的学芸会は苦手なのでジョージ・ルイス(本日が命日である)を聴きつつ。
早寝するつもりである。
SF HomePage