HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』228

●ウズベキスタン極秘ミッション


 あるミッションに参加してウズベキスタンへ行く。
 アフガンの北隣というから、なにやら物騒な気配なきにしもあらずだが……


2002年

2月8日(金)〜16日(土)

●某ミッション
 あるミッションに加わってウズベキスタンへ行くことになった。
 事情あって内容は伏せる。まあ、タイムマシンの講義……みたいなことである。タイムマシンのノウハウを持ち出したとしたらココムの規制とかうるさいかもしれないなあ。SFの集中講義みたいなことである。……あまり本気にしないように、エシュロンくん。
 行き先はウスベキスタンの首都タシケントにある某大学。タシケント大ではない。工科大である、といったら、明記したのも同然か。TASHKENT INSTITUTE OF なんとかかんとかで、東京でいえば東大に対する東京工大みたいな存在。
 かなり大がかりなミッションで関西から7、8人。成田からも同様で、現地では15、6人になるらしい。

●往路
 2月8日(金)
 部屋の清掃。『まさかの時にのみ開封するファイル』を穴蔵に残して、朝9半頃に家を出たのであった。
 出で立ちは防寒肌着にシャツ、セーター、その上に防寒コート。…背広はやめて、競馬場に行く見たいな格好でという申し合わせだが、一応ネクタイだけは一本持っていくことにする。
 寒さの見当がつかないので、大阪では暑い程度の格好。ほとんど機内で、だが、到着が現地では深夜だからなあ。
 関空で某社の某氏、某某氏らと合流、5人になる。
 1名がわが義弟と同姓同名なので驚く。……ミッションとは何の関係もないことだけど。
 アシアナ航空の搭乗ゲート近くの売店、もう文芸春秋3月号がもう並んでいる。長嶋有氏の芥川賞受賞作『猛スピードで母は』が乗っているので購入。消費税なしであるからありがたい。
 アシアナOZ111・B777機、13時離陸で仁川の新空港に15時着陸。トランジットに2時間。
 タシケント行き、アシアナOZ573・B767、17時頃から搭乗開始だが、韓国系やら色々な人種が、そう広くない機内に、もう嫌というほど荷物を運び込んでくる。昔の闇屋を思い出すなあ。中学時代の通学列車・姫新線(SLであった)で闇米運んでいたのはこんな雰囲気であったなあ……と、この連想は、現地でバザールを見て、正しかったと知ることになるのだが。
 17時20分定刻に離陸、8時間の飛行である。もう周囲は暗い。嫌になるほど長い「夕方」の飛行である。
 文芸春秋で『猛スピードで母は』(傑作である!)を読み、立花論文を読み、機内食・パサパサステーキ、ワインがグラスでしか飲めないのが辛い、映画『ジュラシックパーク3』を見て、日本時間の9日1時20分、やっとタシケントに着陸。ほっ。
 パスポートコントロールの列が長くて手間取るが、通関はあっさりしたもの。2時間を覚悟していたのが、1時間かからなかったから早いものだ。東京からのメンバー5、6人と合流、10人ちょっとで迎えのバスに乗ったのが2時40分である。
 で、宿泊のオルズ・ホテルまで7分。あの……クルマで7分でっせ。市街地にある空港なのであった。
 気温は2、3℃か。別に寒くもない。
 重装備の大半は無駄になりそうな。
 時計を4時間戻して、チェックイン午後11時、就眠0時である。

●初日
 2月9日(土)
 鶏鳴で目が覚めた。のどかなものである。オルズホテルはトラム(路面電車)の走る通りからちょっと入った場所にある2階建て50室ほどの小さなホテル。市街地にあって、農村ではない。が、鶏は終日鳴いていた。
 迎えのマイクロバス(フロントグラスに盛大にヒビが入ったヘビーデューティカーである)に10数人乗り込んでT大学へ。
 クルマで10分ほどである。
 土曜だが、学生も半分くらいは出てきているらしい。
 暖かくて、防寒服は不要。防寒肌着の下半身(要するにパッチ)を穿いていたらキンタマが蒸れて汗ばむほどである。
 構内は古びた建物が多いが、落ち着いた雰囲気である。
 学生の代表的なスタイルは黒皮のハーフコートに細身のパンツ。ジーンズも多い。女性も似たような格好で、全体にスタイルがいい。
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 構内に学生は多いが、近くの公園に行くと、ほとんど人気がない。
 静かなものである。
 ぼくが「お世話」になることになった校舎は2階建て、地下1階。地下はちょっとした工場(試作設備というには大きい)である。さらに聞くと、試作したものは「製品」として出ていき、まあ研究費なのかなんとかになるのらしい。
 たいへんなんだなあ。
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 1時間ほど某商社の担当者中心にうち合わせをやるが、問題山積のようである。
 それぞれのメンバーが「色々なこと」をやるための場所がまだ設定それていないらしい。特にわがスペースは、まだ空調工事が未完成で、屋外のダクト工事が進行中の段階。ある研究室にいたっては、装置を入れるドアの寸法が違っていて、壁をぶち抜く工事がこれから必要らしい。
 まあ、ある程度覚悟はしてきたことである。
 気楽に行こうぜ諸君……と大がかりな装置と関係ないおれは気楽にいうのであった。
 仕切っている某商社のS沼氏は誠実かつ精力的な人である。まことに尊敬すべき人だと感嘆する。
 長年、中近東からソ連にかけて仕事してこられたらしい。
 官僚……じゃなかった、教授連相手に、ねばり強く議論して着地点を決める。イラチの関西人にはとても真似できない。
 初日午後はこちらの出番はなしと判明、注意事項のみ聞いて、帰館することにする。
 土曜の午後、30分ほどブラブラ歩いてホテルまで帰る。
 春の陽気である。

●注意事項
 一般的な注意事項とは(支障ない範囲でいえば)こなんことである。
 ・外貨について……入国時の申請用紙控えより出国時の申請額が多くてはいけない。
 ・パスポートよりホテルの「滞在証」を持ち歩け。(某原理主義者は結構いて、尋問もあるらしい。その場合、国籍より住居の確認が重要になるらしい。
 出国時にはホテルの滞在証明(レジストツィーア)が必要である。
 ・大学構内では「仕事証」を付けておくように。それなら自由にウロウロしてもいい。(まあ設備も見学できるのはありがたい)
 ・トイレは専用のを廊下の奥に作ってもらった。鍵あり。学生用のはドアなしで……これは見ない方がいいらしい。見てきたのがいて、やっぱりあの注意事項は正しかったと証言した。
 ・日本語通訳は4人いるが、限られているから、できれば「英語」で直接話してほしい(公用語はロシア語だが、学生は英語の話せるのが多いらしい)。
 ・日本語通訳は東洋大(日本の東洋大の提携校である。タシケントにある)の日本語学科出が多く、美人通訳のジーナさんもそうであった。

●通貨
 ウズベクの通貨単位はスム。公定レートは1ドル約1000スムだが、市中の両替では1300〜1500スムくらい。
 1週間なら50ドルで足りるだろうとアドバイスを受けた。(これはまさに「正解」であった)
 ちなみに写真は200ドルを替えた某氏。
 カウンターに札束が積み上げられた。手前のだけで1千万以上あるように見えるが、こんな束が3個である。
 持ち運ぶだけでたいへんである。
 ちなみに、50ドルを替えたぼくは、最高額紙幣500スムを150枚貰って、これでも驚いた。
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 感覚的には1円=10スム。
 地下鉄やトラムの料金が60スム。10円以下である。食料品や飲料も同様の感じである。

●食事
 朝と夜はホテルのレストラン。昼は韓国料理の店が特製弁当を配達してくれることになった。
 したがって、朝はバイキング形式で、コンチネンタル・スタイル。
 夜は、サラダ、スープ、あとシシカバブかチキンかビーフ・ストロガノフかそれらを数人でシェアするか。これにビー、ワインとなるので、ほとんど変わり映えしない。
 「韓国館」(割り箸の袋には「漢国館」と間違って印刷されている)が配達してくれる5500スムの弁当が「焼肉」「天ぷら」「豚カツ」「カレー」の日替わりで、これだけが楽しみとなる。
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 値段も味もちょっと豪華な「ホカ弁」である。
 途中、一日、腹具合がおかしくなった。
 この時は、ホテルでヌードル入りのチキンスープを2杯注文。立ち食いそばの感覚である。
 今回のミッションでは、上記のうち、酒代のみ個人負担ということなので、使わないはずだ。

●市街地
 日曜が1日あったので、4人で市内を散策することにした。
 近くの地下鉄の駅コスモナウトラルまで10分ほど歩き、そこから地下鉄で旧市街地チョルスーまで移動。地下鉄はやや暗いが5分間隔くらいで走っている。
 チョルスーのバザール見物。ここがいちばん大きいらしい。大半が食料品であり、香辛料が圧倒的に多い。巨大ドームの半分くらいが「パウダー屋」みたいである。
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 周辺には「雑貨屋」屋台も多くて、この雰囲気は鶴橋の商店街。闇市を思い出す。……あ、したがって来るときの飛行機で闇屋を連想したのは正しかったのだ。

 さすがに人疲れして、広い通りに出て、近くの古い「神学校クカルダシュ・メドレセ」。その向かいにある新しいスーパーマーケットも見物。特に買うものなし。ウォッカはどこにでも並んでいる。酒売場がいちばん広い印象である。
 20分ほど歩いてトルコ食堂で昼飯。
 ピザやサラダ、ナムやシシカバブなど。ビールのないのが寂しい。ひとり6000スム程度。……これが今回いちばんうまい食事であった。トルコ料理が「中華」「フランス」と並ぶ世界三大料理という説には一応頷ける。

 またぞろぞろと「ミニ秋葉原」みたいな通り(ここは新しい商店街のようである)を歩いて、ナヴォイ文学博物館(15世紀の詩人というが知らない)。さらに戦後に日本人捕虜の強制労働で作られたというナヴォイ・オペラ・バレエ劇場まで。
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 ここを元日本兵が訪ねる番組をテレビで見たことがある。手抜きなしで、大地震でも倒壊せず、日本人の信用を高めた建築である。

 自転車とバイクを全く見かけない。
 自動車は古い旧ソ連製を除けば、圧倒的に韓国車。DAEWOOの現地組立(ただし現地調達はシートのクッション材くらいらしい)3車種ほど。タクシーはアルトそっくりのTICOである。たまにベンツやBMWも見る。
 が、なぜ自転車がないのか……といってたら、交差点を1台通過! これが200万都市首都タシケントに1週間いて目撃した、たった1台の自転車であった。バイクは皆無。東南アジアや中国といちばん印象の違うのはこの点であった。
 「寒いからだろう」「道が悪くて危険」「盗まれるからだろう」と諸説出たが、いずれも説得力希薄。貧しいからとは思えない。絶対数がここまで少ないのが不思議で、謎のままである。……バイクは滞在中1台も見なかった。スズキくん、大きな利権になるよ、がんばりたまえ。

 縁日の夜店みたいなのが並んだ「ブロードウェイ」を抜けて、ティムール広場を歩いていたら、「日本の方ですか?」と声をかけられる。「歩き方でわかりました」というのでびっくり。へんな歩き方をしていたのかと思ったら、ひとりが手に持っていた『地球の歩き方/シルクロード篇』のことであった。
 中央アジアに関するガイドブックがほとんど見あたらない中、ウズベク、カザフスタン、キルギスなどを紹介しているのは、この本だけといっていい。
 渡辺信さんという法政の大学院生で、2度目、半年の短期留学中。『地球の歩き方』の執筆者のひとりだという。
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 右端が渡辺氏。ちょっと谷口英治に似ている。……公園で30分ほど立ち話。ウズベク事情に詳しく、政情や大学内部の制度上のことなど、オフレコにした方がいいような内容を色々聞く。初日に感じた疑問氷解のことも色々。
 日本人も日本語関係(通訳など)も少ないから、お互いよく知っているらしい。通訳のジーナさんとも知り合いというから地球は狭いものである。
 ※渡辺さんは署名記事を幾つか書かれていて、特にかつてアラル海に面した港町であったムイナクを訪問した記事は出色である。タシケントからは千キロ以上離れている。干上がった昔の湖面に残された破船の写真が素晴らしい。(アラル海の「水辺」探訪記事は朝日でも読んだが、実際に話を聞くと生々しい)
 渡辺さんはいずれウズベク関係のことをまとめる予定だそうで、その時には改めて紹介したい。

●貨物
 ミッション参加者のうち、半数が順調、半数がイライラ状態。
 環境が整っていないのと、年末に船積した貨物がまだ届かないというのと。
 貨物の輸送は色々検討されたようだ。
 中央アジアは貨物輸送がいちばん難しい地域らしい。
 聞けば、中央アジアへのコースは基本的に4通りある。
 ・シベリア鉄道。冬(今回がそうだが)零下40℃で一月放置を想定しなければならない。水滴が付着しているとガラス等は破裂する。オイルも微妙なので別送にした。今回も試験管破損はかなりあったようである。
 ・中国(シルクロード)ルート。……貨物列車の操作場が山の上にあり、そこから10本ほどのレールが山裾に広がり、頂上から貨車を切り離して走らせ、ガッシャーーーーンと連結していく。連結時の衝撃が凄く、精密機械は全滅と覚悟した方がいい。実際それを経験した人もいた。「穀物くらいしかあきまへんで」……しかし、山頂から四方にレールが延びる光景は一度見たいものだ。
 ・カラチからの陸路。これは昨年からアフガンで中断している。
 ・ヨーロッパからのルート。コンボイが走るが、チェコ東部で「山賊」が跋扈していて、これがいちばん危険なルートだという。
 こんな理由でシベリア鉄道ルートで運ばれて来たのだが、聞いてみると奇跡だな。
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 別送品の貨物が到着したのが日程後半になってからである。
 鋳物の脚部が完全に破断している機械もあり、これは最終的に保険で解決するというものの、場合によっては何度か日本と往復、時間的ロスを考えてもしんどい仕事であろうなあ。……わしゃ関係ない立場ではあるが、野次馬として見物している気分にはなれない。去年までボンクラサラリーマンだったんだものなあ。
 凄いのは、廊下と入口を改造せねばならぬ機械である。
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 館内、厳重な「警戒」である。夕方、最後に鍵を掛けた人間がサインした紙をドアに貼り付けて「封印」する方式。どの扉も開けると警報がけたたましく鳴り渡る。入室して直ちに解除しなければならぬ。これは徹底していて、朝は棟内のあちこちで警報が鳴る。
 搬入後、ここには、さらに扉が増えるわけで、三重の扉、究極の密室である。

●電源
 大学側の電気担当者と話す。4芯ケーブルから380Vでも220Vでもとれると魔法みたいなことを言い、一同、そんなばかなといったら「俺はプロだ」
 これ本当であった! 信じがたいことだが、3相とあと1本がアースではないのである。
 これはこの目で見てテスターで確認したから間違いない。そんなことが可能なのである。

●喫煙率
 これはすごい。ぼくの知る限り、世界一である。
 男性で煙草を吸わない人を見かけなかった。精密機械の作業中だろうが空調工事の現場だろうが、偉い人も学生も、みんな平気で喫煙している。
 それに劣らず、わがミッション参加メンバーも凄い。15人ほどのうち、吸わないのはぼくを含めてふたりであった。
 嗚呼……。

●クグラー博士
 同じ棟にドイツからDr.GUNTRAM KUGLERさんが来ていた。ぼくより少し早く来ていて、3日間ほどいっしょになる。
 初対面だが、ドイツにおけるタイムマシンの研究家として知られているひとで、日本に共通の知人Y崎さんがいる。パリや大阪では何度かすれ違っている間柄と判明。親しく話してくれた。
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 東ドイツ出身だが、物理学ともうひとつ学位を持っている。
 話を聞けばたいへんな苦労人なのだが、そんな気配はまるでなく、もの凄く陽気な人である。
 一夕、数人でビールを飲みながら話す。
 正確に理解できた自信はないが、ドイツ〜中央アジア〜日本は同じメンタリティでつながっている。はっきりいってアメリカの「カーボーイ・メンタイリィ」は体質に合わない、という主張で、これにはぼくを含めた数人が共感。特に小泉のやっていることは、理想主義の名目を借りた日本人のメンタリティの破壊である。単にカーボーイ・メンタイリィに屈しているだけではないのか、と議論がややこしくなり、あとは共通の話題で「各国のトイレ事情」という話になった。あ、トイレの話からメンタリティという話題になったのであったか。シリアはひどいそうである。が、シリアは次の候補地のひとつだからなあ。

●わがミッション
 研究生というか助手クラスというか、Engineer Reseacher のTokhirくんを中心とする学生諸君と、実質2日半ほど。
 特別のトラブルはないものの、最後の半日は、2日間の「タイムマシン講義」ダイジェスト版を「再演」しての「ビデオ撮り」である。なんでも教授の指示で、内容は全部記録に残しておくという。……困ったね。オレのブロークン英語がタシケントにビデオテープで残ることになってしまう。ま、後世に再評価される内容でもあるまい。
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 左端がTokhirくん。長時間つき合っていると情が移って、もっと詳しい資料などを送ってあげたくなるが、これは微妙な問題でもあるらしい。現に、先に提出していた英文資料は全部教授が保管しいてるらしく、学生諸君には渡っていない。その資料なしでの説明だから、こちらも予定外である。……何しろ、コピーを取るにも何枚と「許可」が必要なのである。自由に学問できる雰囲気ではないなあ。論文審査の「相場」なんて話も聞くし。
 しかし、インターネットはまあ自由に使える機運があるらしい。
 メール交換は可能とわかったので、議論の続きはネットである。

●Mukaddas女史
 最終日近く、国際部のトップらしいムカダスさんが来た。
 Inspectionで、約束の内容が果たされたかどうか、学生諸君の「証言」と合わせての尋問……じゃなかった確認である。
 女性キャリアらしく、厳しくかつ論理的口調でピシリピシリと問いただしていく。
 細身で、正面からの写真ではわかりにくいが、鼻筋の見事にきれいな、おっそろしいほどの美人である。
 おれ、こういう美人の詰問調には弱いのよねえ。思わずうっとり見とれてしまうほどである。
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 昔のヘレン・ヒギンズを思い出してしまった……といってもわからんか。
 ……小学校の時に観た新東宝の『女軍医と偽狂人』という映画で、ロシアの軍服を着、ジープの乗って登場したヘレンの美しさはたまらなかった。(脚だけだけど)入浴シーンもあったりで。なぜこんなのを観たかというと、当時の地方映画館は三本立で、たぶん「スーパー・ジャイアンツ」といっしょではなかったかと思う。
 ま、しどろもどろで何とか終了。
 そのMukaddasさん、最終日の夕方、ティーパーティに誘ってくださった。
 優しい人なのである。
 今でもドキドキするなあ。

●帰路
 2月15日(金)
 夕方6時まで大学。
 ホテルに戻って慌ただしく荷造り。防寒服関係、全部スーツケースに詰め込む。パッチは穿かず、セーターも着ないままの軽装である。これなら機内持ち込みのバッグでも十分であったなあ。
 帰りは7人である。約半数はあと1週間の滞在となる。
 ロビーでレジストラツィーアを貰って、バスで空港まで10分。
 別の知人の見送りがあったらしい、渡辺信さんも空港に来ている。
 某氏からは「経験した空港ではワースト2」(ワースト1は野っ原しかないインドの某空港という)と聞かされていたが、出国カウンターは2階で、改装されたらしく、きれいである。免税店も小さいがあり、ウォッカ1本12ドルで買う。
 これを含めて、使ったのはこの8日間で「62ドル」であった。
 アシアナ航空 OZ574 B767 来たやつの帰り便である。
 やっぱり満席、ただし荷物は来たときほど多くない。
 22時50分離陸。帰路き6時間の飛行で……しかも機内食は棒状サンドイッチとコーラか水で、ビールはなし。珍しくもこの8日間で2度目の休肝日となってしまった。
 朝5時に仁川着陸。徹夜である。ここで時計を4時間進めて9時に合わせる。
 以下日本時間となる。
 トランスファー1時間しかなく、慌ただしく関空行きアシアナ OZ112 B777 に乗り換え、ここで成田組と別れる。
 10時20分離陸。11時30分関空着。ここでそれぞれの交通機関に別れて流れ解散、ミッション終了である。
 現地での生活は、午前6時起床、午後10時就眠であった。
 このまま日本にシフトすれば午前10時起床、午前2時就眠である。もう少し「努力」すれば完全夜型に移行できそうな気がするが、帰路が徹夜であったから、どうなることか……


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