『マッドサイエンティストの手帳』504

●マッドサイエンティスト日記(2011年6月前半)


主な事件
 ・大阪←→播州龍野、いたりきたり
 ・大阪ビッグリバージャズ2011(4日)
 ・マグナス・ヨルト・トリオ(6日)
 ・SF検討会(10日)
 ・創サポ講義(11日)
 ・Sunday at Jazz Club(12日)


6月1日(水) 穴蔵
 6月である。
 梅雨空。小雨が断続的に降る。
 午前3時頃に目が覚めて、昨夜から読んでいた福留真紀『将軍側近 柳沢吉保』(新潮新書)を読了。
 副題は「いかにして悪名は作られたか」
 へえっと思ったのは2点。
・柳沢吉保は「側用人」ではなかった。本書では「将軍側近」と表記してある。
・忠臣蔵(赤穂事件)に関して柳沢吉保が関わった「一次資料」はない。
 吉保が本書に記述される通りの「慎み深い」人物とは思えないが、フィクションで描写されるワルではないことも理解できる。たいへん面白い本であった。
 雑事のかたわら、断続的に「政局報道」を見る。
 内閣不信案を出すのか出さないのか……
 某紙朝刊の記事……壊し屋は「最後の賭け」だし、「優柔不断」の谷垣は「背水の陣」で「行くも地獄 退くも地獄」だそうな。
 「仁義なき戦い 頂上作戦」を思い出す。
 優柔不断な打本(加藤武)を明石組の岩井(梅宮辰夫)が怒鳴りつける。
「打本はん、あんたそれでも極道かいな、それとも何か、そこらのタクシー屋のおっちゃんかいな!」
「わしはできたら事業一本にしぼりたいんじゃ」
「タクシー屋のおっちゃんに用はないわ。けどな打本はん、前を向いても崖、後ろ向いても崖や。あんじょう気い入れて歩くこっちゃな」
 これはシリーズ中でも屈指の名場面である。(両角長彦さんなら「広島死闘篇」冒頭の懲罰房場面の方がいいというだろうけど)
 谷垣も「あんたいったい政治家かいな、そこらの自転車屋のおっちゃんかいな!」と突き上げられたんだろうなあ。
 夕刻、不信任案提出。
 面白くなってきたなあ。
 今夜は怪電話が飛び交うことであろう。
 晩酌。
 明日に備えて早寝するのである。

6月2日(木) 大阪→播州龍野
 ラッシュが終わった頃に出て、播州龍野へ移動する。
 2週間近く来なかったら、庭の様相が一変している。
  *
 ドクダミがびっしり。
 あじさいはまだ気配もない。
 雑事色々。
 夕刻テレビを見たら、内閣不信任案は否決。造反は2名だけ。なんたる茶番。
 菅が「一定のメドがついた段階で若い世代に責任を引き継ぐ」みたいな発言をして、鳩はこれに賛成、小沢は欠席、民主の不信任賛成票は2。
 離党表明していた横粂はともかく、小沢の忠義な子分・松木兼公は、ほめていいのかアホなのか、よくわからん。
 「一定のメド」なんて漠然とした約束はどうとでもなるから、菅は政権にしがみついたまま離れんよ。
 そもそも震災復興に菅がまったく何もやらんから不信任案が出ているのに、「一定のメド」がつくでやらせるとはどういうことなのか。
 案の定、19時のニュースで早くも「退任時期」について岡田と鳩の異論が報道されている。鳩は「ウソつき」といっとる。
 本当に菅が原発問題を含めて「一定のメド」がつくまで居座るのなら、「工程表」がそのまま実現するとは思えんから、「メドが立たない」と菅は居座りつづけることになる。
 それどころか、何もしなければ(むしろ積極的に復興を遅らせれば)菅は首相でいつづけられる。菅ならやりかねんぞ。
 くされ外道の五十嵐敬喜が入れ知恵したのか。そうとしか思えんなあ。
 鳩はアホ、菅はサギ。悪の権化は五十嵐。早くこの世から退席してほしいものだ。
 小沢が「最後の賭け」を放棄したことで終わったことだけは確かである。「やんぬるかな」気分だろうな。
 面白くも暗澹たる気分で、ひとり寂しく、枝豆を茹で餃子を焼いてビール。
 早寝するのである。

6月3日(金) 播州龍野→大阪/ハチ
 播州龍野にて目覚める。
 朝のテレビで政局を見るに、ひどいものである。アホばっかり。
 菅の額のホクロがゴルゴの標的に見えるのはおれだけであろうか。
 朝、某事務所へ。
 5月末締めの諸々の事務処理を終了。
 年初からつづいていた播州龍野関係の事務処理はこれで完了した。
 ほっ。
 午後の電車で帰阪。
 夕刻、久しぶりにハチへ行く。
 おお、久しぶりにハチママが来ていた。
 
 昔なじみのトレーンはんも。
 ハチママ、回復基調でなによりである。
 夜は専属料理人の作った初夏パスタでワイン。
 早寝するのである。

6月4日(土) 大阪ビッグリバージャズ2011
 専属料理人と大川沿いのOAPへ行く。
 OSAKAビッグリバージャズ2011……一応スタッフ参加だが、無料の特設会場でチケットもないから、特にすることはなし。気楽に聴いていればいいのであった。
 11時、オープニング・パレード。
 ストンパーズの樋口さんがグランドマーシャルを務める。
 ODJC Marching Jazz Bandは全体に若返ってきた印象だ。
 昼過ぎまで「客席スペース」は直射光が強くて閑散。多くの人が日影で聴いている。
  * 
 レッドビーンズ、マホガニーホール・ストンパーズ(今回はバンジョーに白木くんが参加している)、フォーティズ、TonTonなどお馴染みの顔ぶれに、今回から「Osaka Hot Cats」も参加。
 午後には客席がビル影に入り、川風も吹いて、調子が出てきた。
 東京からのゲストバンドは、深澤芳美とキャロライナシャウト。
 ラスカルズ、ホーンは河合さんのクラだけだったが、賛美歌中心だし、後藤雅広さんとの2clも聴けて、なかなかよかった。
 16:30終了、専属料理人と歩いて帰る。
 天五で「裏ひろや」(時々早朝グルメで行くひろやが、夕刻〜夜中は別店主がワイン酒場をやっているのである)へ寄ってみようかと思ったら、開店前に長い列が出来ている。ほとんどが若い客。クチコミの威力か。おれもあまり詳しくは書かんとこ。
 この店、おれは「与太呂」時代の1970年頃から来ているが、客層はすっかり代替わりしてしまったなあ。
 家呑みに方針変更。
 隣のプラ天で枝豆など買い、中崎町商店街を抜けて、交差点ちょっと北にある「ミートショップ ヤマタツ」でビフカツ、コロッケ、ポテサラなどを購入する。
 
 この店は知らなかった。専属料理人がいうには、近辺でいちばんおいしいのだとか。
 コロッケも注文を聞いてから揚げてくれる。
 で、ここから徒歩10分で帰館。慌ただしくシャワー。ただちにビール。
 揚げたてのカツとコロッケが熱いうちにというわけだ。
 よく歩いたし、強い日差しでかなり汗をかいていたらしく、ビールがまわることよ。
 早寝。

6月5日(日) 穴蔵
 ほとんど終日穴蔵。
 昨日の反動でもないけど、出歩く気分にならず、本を読んだり、CDを聴いたり、気になる資料発掘のために書架を整理したりCDの整理をしたり……丸善ジュンクドー往復以外、外出することもなく、たちまち夕刻となった。
 夜は鉄板焼きでビール。
 早寝するのである。

6月6日(月) 穴蔵/マグナス・ヨルト・トリオ
 わ、またも3時前に目が覚めてしまった。
 終日穴蔵にて非SF系雑用の処理。
 夕刻、専属料理人と歩いて梅田へ。
 悪評高きJR大阪駅の3階通路を渡って南側に出て、桜橋経由、Mr.Kelly'sまで徒歩35分。
 マグナス・ヨルト・トリオのライブである。
 昨年5月以来で、大阪では初めてのライブである。
 顔見知りの方々ちらほら。録音は五島昭彦さんが今回もツアー同行らしい。おれとは同じ「タイムマシン」仲間(機種はちがうけど)である。
 プロデュサーの米山葉子さんにも挨拶。稼ぎの少ない亭主のためにがんばってはる姿勢、うちの専属料理人にも見習ってほしいものだ(←ウソウソ)。
 1部はオリジナル中心、2部は最初にガーシュイン・メドレー(ソロ)、あとはスタンダードも。
 マグナス・ヨルト(p)とペーター・エルド(b)はともに83年生まれで、うちのボンクラ息子どもより若いのである。この若さでジャズの最前線で新領域に挑んでいるとは……嗚呼。
 
 終演後、エルドと記念撮影。太陽がまぶしすぎるが、年齢差38歳であるから、いたしかたあるまい。

6月7日(火) 穴蔵
 終日穴蔵。
 相変わらず非SF系雑用の処理で半日が過ぎる。
 午後は、コルトレーンに関して(特に66年の来日ライブ)ちょっと気になることなどあって、マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』、J・C・ト−マス『コルトレーンの生涯(CHASIN' THE TRANE)』、高澤秀次『評伝 中上健次』などを再読していたら、たちまち夕刻になってしまった。
 『コルトレーンの生涯』に66年のトレーン日本公演について詳しい記述があり、ジャズ誌に寄せた筒井康隆氏のコメントも再録されている。読んだはずなのに忘れていた。
 ボケが進行しているのだ。しかしこれは、蔵書を再読しても初めて読むように刺激的であり、それならもう本を買うこともなし、一生の楽しみが保証されたことでもある。喜ぶべきか悲しむべきか。
 嗚呼。
 早寝するのである。
 明日は龍野行き。
 ネットから離れて2、3日生活するのも案外いいかもしれない。

6月8日(水) 大阪→播州龍野
 朝の通勤ラッシュが終わりかけの頃に出て、播州龍野へ移動する。
 タイムマシン関係の仕事を少し。
 午後は、龍野の陋屋に補修の必要な箇所が発生。なじみの工務店に電話したら、10分もしないうちに担当のFさんが来て、現場確認、「すぐやりますわ」……と、バケツにモルタル入れた作業員が来て、5分ほどで片づけてくれた。
 100メートルも離れていない場所で新築の工事中だったのである。
 日頃から親しくしておくものだ。
 クルマでM自動車へ行って、定期点検を受ける。
 点検中、30分ほど近所の竹林など散歩。
  *
 おや、去年会ったおじさんが竹の伐採作業中だった。ちょっと立ち話。
 タケノコは今シーズンはもう終わり。昨年は豊作だったが、今年はさんざんだったそうな。
 そういえば、今年は若竹煮を食べなかったなあ。タケノコごはんはあったけど。
 ということで、夜は枝豆を茹で、大阪から持ってきた総菜類を並べて、ひとり寂しくビール。
 こういう時はコルトレーンよりロリンズのカリプソの方がいい。
 もりおか冷麺と「神の河」ロックで仕上げ。

6月9日(木) 播州龍野→大阪
 播州龍野の居住空間を夏モードに変更する。
 やっとストーブを片づける。4ヶ月ちょっとでまた出してくるんだけどね。
 この夏も冷房は扇風機だけである。
 午後に大型廃棄物の処理。N産業に依頼、トラックが来て、20分ほどで片づいた。
 これにて播州龍野における諸々の肉体労働は一区切りついたのであった。
 夏場、こちらを別荘にして集中的に仕事をするかというと、こりゃ難しい。扇風機だけだし、昨年の酷暑は(さすがに暑さに強いおれでも)こりごりだものなあ。
 避暑地は大阪の「穴蔵」、サウナ代わりに播州龍野ということになりそうな。
 夕刻帰阪。
 夜は、専属料理人に色々並べてもらって晩酌。
 
 枝豆、シラスおろし、レンコンの薩摩揚げ、豚肉炒め何とかソース・温野菜、生ハムサラダでビール。
 仕上げにグリッシーニに生ハム巻いてグラスワイン。
 やっぱ家呑みがよろしいなあ。
 早寝。

6月10日(金) 穴蔵/SF検討会
 曇天、室温は27℃。湿度がやや高いようだが、おれには極めて快適である。
 少しは仕事もするのであった。
 夕刻、かんべむさしくんが芋焼酎をぶらさげて来穴蔵。
 久しぶりに定員2名内容非公開のSF検討会を開催する。
 あっと気がつけば4時間半が経過していた。
 議論の内容はほとんど覚えていない。
 「論文とレポートの違いについて」2時間以上しゃべっていたような気がする。
 早寝。

6月11日(土) 穴蔵/BUNJIN HALL/創サポ講義
 穴蔵にて主に資料の再読。
 夕刻に這い出て、地下鉄で天満橋へ。
 ちょっと気になっていた店……エルおおさかの斜め向かいにあるジャズ喫茶?に寄る。
 BUNJIN HALLという店である。
 ジャズ喫茶というよりも「ジャズサロン」というべきか。
  *
 ちなみにBUNJINというのは「文人」ではなく「聞人」なんだそうな。
 広い地下空間にソファがゆったりと配置してある。20席もない。贅沢なスペースである。
 音響装置については疎いのだが、モノラルLP専門で、渋いところでベン・ウェブスターwithストリングスが流れている。
 ともかくこれは、家庭では絶対に聴けない音である。
 モンクに変わって、その響きに感嘆することあるよ。
 モンクの音ってこんなに鋭い音であったのか。
 もうちょっと聴きたかったが時間切れ。次回はもっと早く来ることにしよう。
 18時からエルおおさかで創作サポートセンター専科の講義。
 提出作品5篇を中心に。
・両親に「捨てられた」娘が母の死の間際にとるある行動。秀作。
・敵対する2国の緩衝地帯に作られたオバサンたちの反戦ネットワーク。着想よし。
・ダメサラリーマン(と思い込んでいる)男が可愛い「妖精」に導かれる悲劇。妖精のイメージがいい。
・奇妙な「呪い」をかけられた王子のファンタジックな旅。雰囲気秀逸。
・「猿の手」ネット版サイコホラー……若い女性を語り手にしたところがいい。秀作。
 同じ作者の「過去の作品」を覚えてないことが多く、データベース化してなかったことを反省する。
 先日の創元SF短編賞の選考委員会で、大森望さんが膨大な応募作を(それどころか、別の賞の下読みした作品まで)細かく覚えているのに感心したものである。
 おれはボケが進行・記憶力退化でとても無理である。
 何度か「前回のコメントと矛盾してませんか」と確認する。幸いそれはなかったが、もし前回と極端に評価が変わっていたら、それは作者が進歩したからだ、ということにしよう。

6月12日(日) 穴蔵/Sunday at Jazz Club
 定刻4時に起床。
 5時過ぎにNHK「演芸図鑑」を見るに、歌奴ちゃんの司会は本日で終わりらしい。来週からは文珍に交替?
 ま、めったに見ない番組だけど。
 午後、歩いて黒崎町のバンブークラブへ。
 Sunday at Jazz Clubの例会である。
 本日の特集は「ジャズとジャケットの蜜月関係」……さすがに今さらブルーノートのLPをという人はいない。
 特製Tシャツを着込んで、同じデザインの『MIDNIGHT BLUE』(ケニー・バレル)持参なんてイキだなあ。
 17時まで。
 外は本格的な雨になっている。
 黒崎公園……あじさいが雨に濡れているのであった。
  *
 なぜか気分が沈んでくる。
 梅雨入りは鬱入りなるや。

6月13日(月) 穴蔵
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのだが、あまり生産的なことでなく、居住する集合住宅関係の書類作り。
 その間、平谷美樹『義経になった男』(ハルキ文庫)全4巻の1を読む。
 これはなかなかすごい。

6月14日(火) 穴蔵
 わ、午前3時に目が覚めた。
 『義経になった男』第2巻を読む。
 朝、近所の内科医院にて定期検診。血圧は正常である。
 気をよくして、あとは終日穴蔵。
 さして生産的でない仕事を夕方まで。
 専属料理人に色々並べてもらって晩酌。
 『義経になった男』第3巻に入るのである。

6月15日(水) 穴蔵/ウロウロ
 わ、またも午前3時に目が覚めてしまう。
 『義経になった男』第3巻を読む。
 終日穴蔵……というわけにもいかず、雑事が溜まったので、昼前から自転車で市内ウロウロ。
 必要あって高麗橋の某JA関係のビルへ行くが、広いロビーに受付嬢2人、ガーやんひとり、客らしきはおれひとりで、半袖ノーネクタイでは不審者扱いされそうな雰囲気である。
 こんなビルがまだあることが驚きであった。
 某工会議所に寄る。
 そういえば、この会議所から、震災後、(風評被害を含めて)海外関係の仕事に影響があったかというアンケートがあったが、回答は出さなかった。
 会員ではないし、そもそもタイムマシン出荷台数は統計的に意味のある数ではないから、震災の影響など判断のしようがないのである。
 天神橋を渡り、天神橋筋商店街を北上。
 昼は玉一イサク店で冷麺。
 午後は穴蔵に戻って、あまり生産的でない仕事を夕刻まで。
 晩酌の後、『義経になった男』第4巻(最終巻)にとりかかる。

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