『マッドサイエンティストの手帳』436
●マッドサイエンティスト日記(2008年9月前半)
主な事件
・森山由海・原画展(7日)
・奈良少年刑務所/山下洋輔ソロ・ライブ(13日)
・日本橋(15日)
9月1日(月) 播州龍野→大阪
慌ただしいことである。
昼前に助っ人来たりて、<下男>役交替、しばらく仮出所となる。
大阪へ移動。
三国の某製作所へ行ってタイムマシン部品の点検作業を行う。
本日以降、三国へ来る機会もたぶんなくなりそうで、寂しいことである。
ちょっと遅めの昼飯、とうぶん来られそうにないから三国そばでと思ったが、思い出して地下鉄・東三国の方に出る。
ここの交差点にある立ち食い「かわ」にてきつね。ネットで情報提供を受けていた店だが、これはなかなか。立ち食いリストに追加する。
夕刻帰館。
ビール飲んだ後、疲労がピークみたいで、そのまま仮眠。
深夜近くに起きてニュースを見たら、福田康夫が辞任表明という。
この「な〜〜〜〜〜〜〜んもせん腑抜け宰相」の終わり方について、おれは「予言」したことがある。後出し予言ではなく、ヤバくてとても公表できる内容ではないから、身内(専属料理人)にのみ伝えていた。それは「やっと」「とつぜん」「あっけなく」終わるだろうというものであった。
福田が「自分で決めた」のだから、おれの予言は外れたが「やっと」「とつぜん」「あっけなく」は当たった。どうでもええことだけどね。
9月2日(火) 穴蔵/ウロウロ
だははははは。大阪での休日が始まったぜ。
といいつつ、雑事山積。
午前5時に起床、粛々と片づけていく。おれは福田じゃないぜ。きちんと実行するのである。「重く受けとめる」ほどの用件ではないけど。
昼前に地下鉄で西長堀へ。
和光寺の近くにあるS田さんのデザイン・オフィスへ行く。そんなとこへ誰が行けゆうたんや。はい、阿弥陀が行けといいました。
30分ほど打ち合わせの後、歩いて心斎橋へ。雑事ごちゃごちゃ。
さらに歩いて本町まで。
午後1時少し前。
ボンクラ・サラリーマン時代のなじみの店で、ボンサラ諸君を眺めながらビールでも飲もうかと迷ったが、本日はがまん。まだ雑事があるし、わざわざ反感を買うこともあるまい。旧勤務先の諸君がそばでランチ食っているならともかく。
ということで、まっすぐ帰館。近所の「満留満」で煮魚定食とする。
溜まっていた新聞に目を通していたら、訃報、8月31日に文芸評論家の藤田昌司さんが亡くなられている。
この方には、30年ほど前、時事通信の記者として、何度か取材を受けた。
わが受賞に関して、そしてその後の例の事件に関してである。
そして、おれが読んだ限り、藤田氏の記事は(おれへの批判も含めて)もっとも深く鋭く公正なものであった。
ともかく、妙な予断から悪意的記事を書きまくった読売の宮部修くんとは雲泥の差。
藤田氏のその後の文筆活動についても、おれはできる限り追っかけてきた。
文芸記者としては屈指の人であった。合掌。
9月3日(水) 穴蔵/ウロウロ
定刻午前4時に起床。
4時半にニュースを見る。
尿からマリファナの陽性反応があった露鵬と白露山に関連して、夜中に相撲部屋の「家宅捜索」(北の湖部屋まで!)があったらしい。ブツは出なかったようだが。面白いなあ。取的ふたりは「全否定」しているらしい。さあどう転ぶか。
シンクロニシティ理論から、北の湖の辞任は避けられまい。
と、おれが予想する根拠。
おれは先日のSF大会のある企画で……なんてぼかす必要はないか……『サイエンス・イマジネーション』での科学者からSF作家への色々な問いかけについて、ひとつの明快な答えを出した。即ち、
『重く受けとめ、粛々と対応します』と。
これは受けましたね。
じっさい、この回答を思いついたとき、福田康夫と北の湖理事長ってのはたいした人物だと実感したものである。
難題ぜんぶを「重く受けとめ……」で切り抜けてきたふたりが、立て続けに辞任。シンクロニシティを感じるねえ。後任(誰かしらんけど)に期待できないことでも共通している。
おれ? 作品(SF)で答えようとするなら、粛々と書くしかないではないか。おれは辞任せんぞ。
ということで朝から粛々と雑事遂行。
今週から来週にかけて、毎日(2時間ほどだが)梅田へ通わねばならぬ用件があり、午後、ウロウロ。
ついでに「ジャズの専門店ミムラ」でプティ・ウィックマンのCD1枚、ハチに寄ってヒーコ。
15時頃に穴蔵に戻って、CD聴きつつ雑事のつづき。
夕刻から山之口洋『麦酒アンタッチャブル』(ノン・ノベル)を読む。痛快な娯楽作である。
文芸別冊『赤塚不二夫』を拾い読みしつつ、そろそろ就眠。
9月4日(木) 穴蔵/駄美術ミュージアム
昼、雑事で梅田へ出るついでに、専属料理人とHEPの8階ホールで開催中の『駄美術ミュージアム』(無料/〜9/7まで)を見に行く。
「現代美術二等兵」を自称する籠谷シェーン・ふじわらかつひと両氏による展覧会。
お菓子に「駄菓子」があるように、美術にも「駄美術」があっていいではないかという、ギャグ精神満載の絵画・オブジェ・写真その他色々の展覧会である。写真撮影自由という大らかさがいい。
七福神が救命ボートに乗っていたり、駄洒落から発想されたらしい浴槽「熱湯甲子園」とか……。
他にも、カニがサングラスかけた「タモリCRAB」とか、パンチパーマのダルマ「ぐれダルマ」とか、エヴァゲリ系を思わす巨大戦車の頂点に小さい小林幸子が乗っている「紅白予想」とか、SFファンが面白がりそうな作品が100点。ダジャレ系に秀作多し。
楽しませていただきました。
9月5日(金) 穴蔵
ちょっと前のニュースで、夏休みの宿題用に「自由に使える読書感想文」というのを知って一読。
なるほど「よく書けましたね」の印象。PDFだから一応書き写さねばならないようにしてある。ばれた時の「お詫び文」の書き方指導まであるから良心的だ。
太宰とか芥川とか、偏りすぎているようだが、課題図書として作品を指定されるんだろうか。
『いつデブ』が入っているのには笑ってしまった。こりゃギャグだよねえ。
おれは大学時代、知り合いの読書感想文をウイスキー1瓶で引き受けて、5本ほど書いた。良心的というか、コピー機のない時代だから「使い回し」ができず、全部オリジナル。サマセット・モームやヘルマン・ヘッセなど海外作品が主流だった。当時はなぜかモームは人気?があり、たぶん入試問題によく出るといわれていて、受験英語の影響だったのだろう。SFの感想文なら量産できたのだけど、注文はなかったなあ。
便利な時代になったが、アルバイト(ともいえないか)の口が減っているのかも。
昼間1時間外出する(徒歩約2000歩)以外、終日穴蔵にこもる。
晩酌時、SF大会で広島から来た心優しきファンのHくんがくれた、ふくびしのカキ大将を食す……うまい! これでビールが呼び水となり、焼きナス、水菜煮浸し、レンコン饅頭あんかけ、金目の煮付けなど並べてもらって盛大にビール。
あとは冷酒に切り替え、NHKの「かんさい特集」を見る。
『桂米朝一門 60年の軌跡』……米朝師匠が小米朝さんに「代書」の稽古をつける場面がかなり長く映されたのが珍しい。米朝邸の「稽古場」には残念ながら入る機会はないまま(たぶんもうない)で、内部がかなり詳しく見られるだけでも貴重な映像である。NHKのまれに見る良心的番組……ったって、民放もNHKも早朝と食事時のニュース以外は見ることなく、おれがテレビを「まれに見る」という意味。駄番組ばかりだから同じことだけど、ひょっとしたら他にもいい番組があるかもしれないから念のため。
9月6日(土) 穴蔵
雨後のタケノコってのは陳腐な比喩だが、一夜明ければ自民党総裁候補が乱立。
石破くんも出馬表明。
「損得抜きで国民のために一緒にやろう」という推薦人が20人いると語っている。
「損得抜き」で「国民のため」に動く議員が20人もいるということに驚くべきか。
本人が推薦人になれないのであれば、最大19人まで立候補の可能性があるのかな。
10人は無理としても、候補は7人出そろってほしいところだ。
先日見た駄美術に「救命ボートに乗った七福神」があったけど、難破船に乗った疫病神みたいでいいのではないか?
投票権がないから、おれは演説聴くこともないけど。
終日穴蔵。
扇風機を回して、本を読んで過ごす。
9月7日(日) 穴蔵/森山由海・原画展
定刻午前4時に起きて朝刊を読むために「自宅」へ行ったら、専属料理人がサッカーを見ている。
ワールドカップの前哨戦?が始まっているらしい。
スポーツのとぎれることなしであるなあ。
終日穴蔵。
本日も本を読んで過ごす。
書肆アラビクで森山由海さんの『辛い飴』表紙画を中心とする原画展が始まっているのを思い出して、夕立があがった16時頃に見に行く。
中崎町。自転車で5分ほどのところ。漢方薬屋みたいな店で、ふつうに行ったのではわからないかも。
藤原ヨウコウ 改メ 森山由海さん。
『落下する緑』『辛い飴』の各作品の「CDジャケット」も飾られている。これらはジャケットだけで、まだ曲は作られていない。ぜひとも演奏を加えてほしいものだ。
田中啓文、北野勇作+小春、小林泰三の皆さんも来ていて、あとから田中哲弥さんも来るというから、DAICONの「完全な真空」メンバーがほとんど揃ったことになる。
せっかくなので軽くビールを、ということになり、近くの「大甚」へゾロゾロ移動。
が、シャッターが降りている。
ここであっと気づいた。本日は日曜なのであった!
2日間閉じこもっていたせいで、本日は土曜日と思いこんでいたのである。ボケが進行しているなあ。
「ワイルドバンチ」で天満JAZZ倶楽部の例会の日だったのが、ちょうど終了時刻である。嗚呼。
ということで、JRガード下の居酒屋でビール。
主な話題は「北野勇作 アホ」に関する考察である。
結論としては、「北野勇作」で検索すると「もしかして:アホ」と表示される時代になるだろう、ということであった。
酩酊自転車になる前に帰館。
9月8日(月) 穴蔵
月曜である。
朝刊できちんと確認しないと、曜日の記憶が不確かになる。
穴蔵の「ゴミ出し」と所用で梅田往復1時間以外、穴蔵にて雑事の処理。
平日の昼間、やっぱり世間と少しはやりとりしないとボケが進行するのだなあ。
ということで、たちまち夕刻。
運動不足なので、淀川堤防を西へ30分ほど歩く。
午後6時、落日。もう秋である。
夕暮れに小鳥さえずる声聞けば我れ帰りたや母待つ家に((c)金嬉老)
うーん、おれは別に「母待つ家」には帰りたいとは思わんぞ、正味の話。
そろそろ田舎へ行かねばの息子だけど。
9月9日(火) 穴蔵/ハチ
定刻午前4時に起床。
肌寒く(世間では涼しいという)なって、睡眠が規則的になってきた。
穴蔵にて粛々と雑事を片づける。
昼、梅田へ出たついでにインタープレイ8に寄って、ハチ・ランチ。
と、ふだんは「チーハでヒーコ」などと書くところをわざわざ↑リンクしたのは、このHPを管理しているKボちゃん(などといっては失礼か)が横でランチ食べていたから。
ハチは来年8月で「開店50周年」を迎える。記念イベントがいよいよ進行しはじめるらしい……おれが「らしい」なんていってはいかんか。
プレ企画として、こちらのHPとリンクして何か始めようという話になる。
ま、ジャズ喫茶の50年ということで、先月からマイク・モラスキーさんの「ジャズ喫茶という異空間」の連載も始まったことだから、こちらも歴史をたどる何かを始めようかという話になる。
ま、秋になってから……あ、もう秋か。
穴蔵に戻り、また雑事。
明日から田舎に収監されるので、夜は「最後の晩餐」。
梅田の夜景を眺めつつ晩酌といきたいのだが……
茶屋町アプローズとピアスタワーの上に上弦の月。
おれはこの夜景を眺めながら、バーボン片手に、バド・パウエルとかトミフラ師匠とかケニー・バロンが聴きたい気分なのだが、テレビが阪神の連敗濃厚中継を流しておる。おれは職業野球に何の関心もないというのに。嗚呼。
穴蔵に戻る。こちらの夜景は貧相なもの。えらい違いだ。
結局「自宅」は乗っ取られてしまったなあ。NY風のジャズ・ナイトは夢のまた夢。
CD聴く気分にもならず、林譲治の新作を読みつつ、早寝するのである。
9月10日(水) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
<下男モード>に入る。
天気晴朗にして風涼しく室温30℃にしてキンタマ未だ収縮せず。
下男仕事を色々していたら、たちまち夕刻となる。
老母の夕食にあわせてヤッコ・筑前煮・ローストビーフなどで軽くビール。
18時前に日没、19時には真っ暗。ど田舎、周囲は静かで深夜ムードである。
老母の就眠後、シャワー。
20時過ぎに、キムチ・ハム・カイワレ・トマトどばどばの盛岡冷麺を作り、タイムドメインmini+CDウォークマンのユニットを置いて、デフランコ・トミフラ師匠など聴きつつ「神の河」ロック。
ど田舎とはいえ、まあまあいい気分になった。
早寝……といっても定刻22時……するのである。
9月11日(木) 播州龍野の日常
相も変わらず下男仕事+タイムマシン関係のことも色々。
たちまち夕刻。
揖保川沿いに30分ほど散歩する。
名も知らぬ菊(科だろうな、背が高い雑草)の群生があちこちに。秋である。が、品のない花(※)であるなあ。
※たぶん種が上流から流れてきた雑草で、それだけ生命力は強い。が、品位なし。これは太郎ちゃんと正反対なのである。太郎は育ちがよく、たぶん本当は品位は高いのであろう。それが庶民ぶる、オタクぶる。偽悪ぶりが見え見え。だから、生命力は希薄で、もし総裁になっても、やっぱり「投げだし」になるのではないかい。下品な「菊」を見てそう思ったのであった。まる。
老母につきあって、夕刻にビール飲み、早寝するのである。
田舎で創造的なことをやるのは無理だな。
9月12日(金) 播州龍野→大阪
朝も早よから下男仕事。
午後の電車で大阪へ移動。
雑事色々。
夜は専属料理人に、枝豆、レンコン挟み揚げ、ナスグラタン、トマトサラダなど並べてもらってビール、あとグラスワインを少し、いと少なきを。
穴蔵に戻って、少し遅くなったが、追悼の意味で、ジョニー・グリフィン『HASH-A-BYE』を聴く。
泣けてくるなあ。
早寝。
9月13日(土) 奈良少年刑務所
朝から専属料理人と出かける。
難波から近鉄奈良、バスで般若寺、ここから歩いて奈良少年刑務所へ。10時前に着く。
奈良監獄(を含む五大監獄)を山下啓次郎氏が作って今年で100年。
奈良監獄は、今は奈良少年刑務所である。
「矯正展」にあわせて、100周年記念、山下洋輔氏のソロ・コンサートがある。
10時開場、コンサートは11時からだが、早くも塀に沿って長い列ができている。
これじゃ会場に入りきれないのではと心配したが、多くは安い「刑務所製品」が目当てであったらしい。
10時過ぎに会場の体育館へ入ると、それでもすでに半分くらいの席が押さえられている。
横の方、3列目に席を確保。
11時、立ち見も含めて体育館は超満員。
ヤマハのグランド・ピアノで「ラウンド・ミッドナイト」「トリプル・キャッツ」から「ボレロ」まで、『ドバラタ門』取材の話なども交えて、ともかく滅多に聴けない場所でのソロ・コンサートであった。
あと、「施設見学」を申し込むが、こちらも長い列。30人ずつで5回、30分間隔。14時出発になった。
バザー見物、般若寺付近散策のあと、刑務官氏の案内で「塀の中」に入る。
施設見学……主に「工場」という木工や理髪、左官、印刷などの訓練施設で、メインの煉瓦造りの収容施設は外観のみであった。まあ仕方ないか。
入りやすく出にくい構造はよく理解できた。
昼は模擬店で200円のうどん1杯だったので、空腹。
帰路、鶴橋で下車、出所祝いを兼ねて、焼肉で盛大にビール、冷麺で仕上げ。
早寝するのである。
9月14日(日) 穴蔵
終日穴蔵。
専属料理人が「敬老会」の世話とかで出かけてしまった。
近い将来、おれも、こういう会にご招待されるという。
まっぴら御免である。かかるものは精神年齢で決めてほしい。世話もしたくないしされたくもない。だいたい老化を「敬われ」たくもないのである。
だいたい「敬老会」なんて行事、じゃまな老人が追い出されて来るのではないかい? ま、ご家族に1日の休養を与えてあげることでは意味はあるんだろうけど。
専属料理人不在につき、昼に焼きそばでも作ってビールでも飲むかと自宅リビングに行ってみるが……フライパンは数枚重ねて収納してあるし、調味料とかスパイス類がやたら多くて、どれを使っていいのかさっぱりわからない。
自転車で「天六うどん」往復。
あとはまた穴蔵で本を読んで過ごす。
生産的なことやっとらんなあ。
9月15日(月) 穴蔵/日本橋
世間の3連休、天気予報は外れっぱなしである。かろうじて本日の「曇天」が当たりか。
本日も穴蔵にて粛々と雑事を片づけるのであった。
昼、タイムマシンの部品関係の必要あって日本橋へ行く。
立派! 「ナニワネジ」は本日も営業していた。
ともかく、この店だけは続いてほしい。
オーディオ関係を眺めつつ恵比須町まで。
「シリコンハウス」は休みであった。シャッター降りてたけど、廃業じゃないよね。ま、これはいたしかたなし。
ここから少し西へ行って、「まる榮」で昼飯。
カツカレー丼といきたいとこだけど、さすがに歳で、これはしんどい。
知る人は知っているだろうけど、ここのトンカツはジャイアント馬場の靴サイズである。
2段重ねのザル+いなり2個の健全な昼食とする。
恵比寿町から地下鉄でまっすぐ帰館。
明日からど田舎行きである。
早寝。
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