『マッドサイエンティストの手帳』411
●マッドサイエンティスト日記(2007年9月後半)
主な事件
・ざこば師匠還暦祝い(21日)
・ランチコンサート(23日)
9月16日(日)) 多治見→大阪
わ、朝8時まで寝てしまった。
本年度の朝寝新記録ではないか。
多治見オースタットにて朝飯。
ちょうど九州組が出立するところであった。
ということで、名古屋に出て、帰路も近鉄。
名古屋をでてしばらく、おお、懐かしき大名古屋温泉は川沿いにたたずんでいるのであった。
午後帰館。
わ、「新刊」(文庫)が届いている。おれは来月発売と勘違いしていた。
これについては近日宣伝。
CD、DVD、色々収穫を持ち帰ったのだが、夜、ビール飲みながら聴いたのは『沖至6重奏団コンサート・ウィズ・ストリングス』……「メモリーズ・オブ・ユー」から始まって、ストリングスをバックにスタンダードの数々を吹いているが、これは沖至さんのひとつの境地ではないか。「アイ・リメンバー・クリフォード」に至っては涙腺が緩みかけた。
ということで、明日からまたしばらく田舎行きである。
9月17日(月) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ。
梅田から姫路まで阪神〜山電の特急で移動する。
姫路駅付近、山電の旧高架の残骸がなかなかの風情である。
モノレール廃線ウォークから1年、山電の旧高架もモノレールの残骸に匹敵する風格を帯びつつある。
ということで、播州龍野にて下男仕事。
庭の一角にケムシ局所的大発生とか連絡受けていたのを実地見聞。
なるほど小ぶりの椿の葉が見事になくなっている。
ホームセンターへ行ってケムシ退治のスプレイなど購入。
蒸し暑い日である。
森山威男クインテットのDVDを見ながらワイン。
そろそろ就眠である。
9月18日(火) 播州龍野の日常
粛々と下男仕事。
相変わらず暑い。相変わらずTシャツ1枚で過ごす。
去年の記録を見ると、9月6日には室温25℃(おれには肌寒い)になり、キムチ鍋を作っている。
今年はありがたいというか……もう少しこの暑さが続いてほしいところだ。
昨年同様「ぶっかけつゆ」を探すが、どこにも見あたらず。
生協の韓国食材コーナーで「ソウル冷麺」(日本製)を見つけた。
ということで、夜は枝豆、肉豆腐で軽くビールの後、キムチどばどばの冷麺で「神の河」の水割り。
山田風太郎エッセイ集成『わが推理小説零年』(筑摩書房)を拾い読み。
さすがに日下三蔵氏の編集は徹底している。「ミステリ関係のエッセイを集めてみた」とあるから、続けて何冊か出るのだろう。
やはり昭和20年代に書かれたものが面白い。予見的な考察が多いのである。
9月19日(水) 播州龍野→大阪
朝から「発動機」の音がうるさい。また道路工事か住宅関係かと思ったら、東側に隣接する稲田で稲刈りが行われていた。
まだ9月半ば、気温は盛夏というのに。
正午にはきれいに刈り取られてしまった。その間、約3時間。
年々早くなるような。
ふだんの老母なら「刈穂のなんとか……」とか一首詠むのだろうけど、季節感が狂ってまるでイマジネーションが湧かないらしい。
午後の電車で帰阪。
夜は居住する集合住宅の大規模修繕委員会……このために本日帰阪したのである。
建物はなんとかなるが居住者の「修繕」は効かないのである。
出席の委員、老化を確認しあうのであった。
ダレヤメ(晩酌)は21時半頃から。
おとなしくビールを飲んで、そろそろ寝るのである。
9月20日(木) 穴蔵/ウロウロ
大阪も相変わらず暑いが、暑さについておれはいっさい愚痴はこぼさない。来るべき冬の、キンタマが収縮する寒さを想像すると、早くも憂鬱になるのであった。
午前中、穴蔵にて雑事の処理。
午後は、久しぶりに梅田をウロウロすることに。
自転車で出かける。
雑事片づけの後、紀伊国屋→ヨドバシ→「ジャズの専門店ミムラ」と回って、扇町公園を抜けて、天六から少し東へ。
「ワイルドバンチ」へ行く。
ここは不思議な店である。公式的には「ブックカフェ」だが、カフェであり古書店でありライブスペースでありギャラリーであり……ともかく店主・庄内さんの趣味が濃厚に立ちこめている空間である。
高井信ちゃんが(←古書関係で前から知っていたらしい。マメな男である)、庄内さんが連絡をとりたいとか、メールしてきたのである。
おれは林栄一・小山彰太のライブなどで何度か来ているのだが、照れくさくて名乗っていなかった。
ということでご挨拶に伺う。
「ワイルドバンチ」はむろんサム・ペキンパーの大傑作にちなむ命名。69年に富山の映画館で観た時、おれもたいへんな衝撃を受けたからなあ。
平日の午後で、他に客はなく、軽くビール飲みつつ、庄内さんと1時間以上雑談、映画や本について恐ろしき博識とわかってくる……ともかく、映画関係で何か調べようと思ったら、図書館よりも先にここへ来るのがいいようだ。自転車で10分ちょっとというのもありがたい。
ということで、夜は専属料理人に色々並べてもらってまたビール。
これから久しぶりにDVDで『ワイルドバンチ』を観るのである。
9月21日(金) ざこば師匠還暦祝い
本日も炎天なり。
世間は明日から3連休らしく、世間並みに、今日中に片づけねばならぬこと色々あり、午後はネクタイして出かける。
中央線・長田の新社屋に移転したばかりの某社へ。
荒本へは府立図書館があるのでよく来るが、長田で降りるのは初めて。文具の工業団地がかるのを初めて知った。
タイムマシンの新型制御部について打ち合わせを行う。
夕刻、梅田へ戻る。
ヒルトン・ホテルへ。
本日は「桂ざこばの還暦を祝う会」である。
大宴会場、満員の盛況。
司会は小米朝さん。
一門入場の後、派手な鏡開き。
つづいて米朝師匠の挨拶……ちゃんと来てはった。ちなみに小松の親っさんは自宅で飲んではるらしい。
米朝師匠「えらい派手な祝いをしてもろて……わしの還暦の時はなにもなかった」
と、周囲から弟子が揃って、
「盛大にやりましたがな!」
「そやったかいな」
乾杯の発生は西川きよし師匠。
会場、あれっと思うような人があちこちにいてはるらしいのだが、挨拶の指名で舞台にあがりはるまで、どこに誰がいるのやら、ほとんどわからない。
途中で、角淳一氏、上岡龍太郎氏、はな寛大師匠、鶴瓶師匠などが並びはったが、いちばんしゃべりまくったのがこのお方だ。
途中で小米朝さんが「漫談の時間やおまへんので」とストップをかけるが、おかまいなし。まあ先代小米朝だから、いうこときくわけないか。
南光師匠による「スライド」による「ざこば師匠半生記」や、その他色々な方が登場した後、ざこば師匠の弟子一同による和太鼓「師子奮迅」(←タイトルは「獅子」ではないところがミソ)……大太鼓をつとめる都丸さん、大熱演である。
ざこば師匠に赤いチャンチャンコの贈呈あり。
最後は吉鹿さんによる恒例「米朝締め」でお開きとなった。
盛大なパーティであったが、いちばんの収穫は、かんべむさし氏といっしょに撮ってもらった記念的1枚。シャッターを押してくれたのは米二師匠である。
9月22日(土) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
下男仕事色々。
早寝するのである。
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「リタリン」うつ病効能取り下げへ……というニュース。
このクスリ(向精神薬)、乱用されているから、製薬メーカーが効能を取り下げるという。
リタリンは30年前に数錠貰って服用したことがある。
気乗りしない時に飲むと俄然原稿を書く気分になるというのだが……全然効き目はなかった。おれが酒飲みだからではないかと思う。
以来、(降圧剤以外)薬物というのにはまったく関わらずに過ごしてきた。
30年前に一部で注目されたリタリンが今も人気ということが、おれには驚きである。
9月23日(日) 播州龍野→大阪/ランチコンサート
朝の役務のあと、大阪へ向かう。
大阪駅周辺でチケットの予約などごちゃごちゃ。上京の日程調整など煩わしいことである。2日間の上京でこれだから、老母が死ぬまでは海外旅行は無理だな……というよりも、行けない可能性の方が高い。おれの方がお先に行きそうだものなあ、大きな声でいえることではないけど。
ということで、ニューオリンズに行く代わりに、昼、専属料理人と心斎橋のマホガニーホールへ行く。
河合良一さんのトリオ&カルテットの「ランチ・コンサート」
近くにあるイタリアンの店で20人ほどのミニ・コンサート。ワンホーンのマイクなし演奏で、贅沢な企画である。
ゲストに早稲田の女性クラとバンジョー、それに木村陽一さんがヴォーカルで参加。
ワイン飲みながら、贅沢な午後を過ごしたのであった。
夜は粗食でいいと思っていたら、専属料理人が枝豆・山かけ・茄子の煮物・小松菜煮浸し・ピーマンの何とか詰めなど並べてくれたので、またビール。
明日からまた田舎行きなので早寝するのである。
9月24日(月) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
下男仕事モード入りである。
相変わらず暑い。
庭に嫌な動物の忌避剤を撒くかどうか思案。50uに約5000円かかる。
迷うところだ。
いちばん苦手なS字型変形動物、初夏に見かけて、あわてて忌避剤を撒いて以来、幸い目撃せず。その後もう一度クスリを散布している。
今年は暑いから「穴惑い」してうろちょろしかねない。
念を入れてもう一回5000円分の忌避剤を撒くか、ビール1ケース買う方が賢明か……悩みは深い。
※ ↑忌避剤については勘違い。庭は50坪で、忌避剤は10坪分約500円、1回2500円である。(9.25)
9月25日(火) 播州龍野の日常
相変わらずの炎天なり。
下男仕事を精力的にこなす。
ホームセンターへ行く。嫌な動物の忌避剤、おれの勘違い(ボケ進行中なり)で、庭は約50坪、忌避剤は10坪分が約500円で、総額2500円である。
これでアレを見なくてすむのならと5袋購入。ま、来年まで見ないですむことを祈りたい。
午後に散布作業。
本日「中秋の名月」。夕方から快晴となる。
夕涼みをかねて老母と名月を見てから、枝豆でビール。室温28℃。不思議な季節感である。
早寝。
9月26日(水) 播州龍野の日常
定刻4時前に、肌寒くて目が覚めた。25℃。放射冷却か。
いよいよキンタマ収縮の季節到来の予感。
張り切って下男仕事。
少しはSF関係のこともやるのであった。
昼間の書斎は29℃で、これは快適である。短い初秋であるなあ……。
週末に講義予定の創サポから送られてきた原稿をメモとりつつ読む。
数編、ちょっとショックを受ける作品あり、ただ作者の狙いとこちらの読み方にズレもありそうで、こういうところが面白いのである。
9月27日(木) 播州龍野の日常
相変わらずの下男仕事。
飽きてきたなあ……。
ニュースは「ミャンマーの軍によるデモ鎮圧」と「時津風部屋のリンチ殺人」がメインである。
軍事国家は嫌だが、相撲取りが支配する「取的国家」が出現すると恐ろしいことになるぞ。
国民をたっぷり「かわいがって」くれそうだものなあ。
9月28日(金) 播州龍野→大阪/「男の隠れ家」
午前中、下男仕事。
午後、出所となる。
午後の電車にて大阪へ移動。
久しぶりのシャバである。シャバダバダシャバダバダ。
穴蔵に戻ると、郵便物や議事録関係、どっさり。
ひとつご報告。
『男の隠れ家』11月号の特集は「ジャズを巡る旅」。昨年の11月号のつづきである。
大阪の「案内人」を仰せつかったのがおれなのである。
大阪のジャズスポット6ヶ所ほどを推薦、全部取材につきあいたかったのだが、ワールドコン前日で、8月30日しか同行できなかった。
ニューサントリー・ファイブとハチしか行けなかったが、その他のところもユニークなところばかり。ぜひとも書店で見てください。できればお買い求めを。
しかし、取材グループ、たいしたもの。土曜の最終新幹線を押さえた上で、ギリギリまでニューオリンズ・ラスカルズの演奏を撮影している。
この号、面白い記事が他にも色々。
ニューヨークのジャズ状況を写真と文章で紹介している常盤武彦さんの記事を読むと、来週にでも飛んでいきたい気分になってくる。
ということで、雑事色々、夜は専属料理人に色々並べてもらってビール。
また雑件処理のつづき。
そろそろ就眠である。
9月29日(土) 穴蔵/創サポ
色々と雑事が溜まっているのであった。
粛々と片づけるのであった。
夕刻、天満へ。
「エル大阪」にて創作サポートセンターの講義の日。
本日は提出作品についてのレクチャーだが、全部で11編、傾向は多彩。
・ホラーか「猟奇譚」か判別が微妙な短編(ちょっとショックを受けた)
・幼児期から仲のよかった2少女の数奇な運命
・「生まれ変わり」で「初恋の人」とつながっている女性の人生
・奇妙な老人が願い事を叶えてくれる「悪魔との契約」の変則版
・狸の親子が都会にまぎれて生活しているハートウォーミングなファンダジー
・「負け犬」年齢の女性が仕掛ける心理サスペンス
・ものをいう「蚊」が憧れの女性と仲介する青春小説
・鬼の木像が法律事務所に駆け込んでくるドタバタ
・「フィクショナル・アバター」で営まれる古式ゆかしい葬儀
・「試験管ベイビー」が見る悪夢(ドグラ・マグラの善意版?)
・人をバカにするウィルスが蔓延した未来での「架空講義」
……おれなりにまとめると、こんな作品である。
ここまで傾向がバラバラだと、全体のまとめが大変。
おれの年齢(+読書歴)になると、どんなのを読んでも、過去にこんな傑作があるということをいいたくなる。
若い生徒相手に半世紀前の作品を引き合いにレクチャーしても無理なところがあり、過去にこんな作品があるという紹介に留めるが、ある方向に興味をもったら、古い作品も探して読んでみるべきということである。きっと得るものがあるはず。
帰路、土曜なので、ニューサントリー5でラスカルズを聴きたかったのだが、実家方面にいる身内からややこしいメールあり、ファイブにちょっと挨拶に寄っただけで、あたふたと帰館。
電話で色々と聞くに、別に憂慮することではなく、「ど田舎の近所付き合い」に関するヤヤコシイことであった。
これだから「ど田舎」の「どん百姓あがり(精神はどん百姓のまま)」どもは嫌なのである。
おれが気むずかしいのはわかっているから、おれの滞在中は近寄らず、代わりの身内がいったとたんに、あれやこれやと干渉しはじめるらしい。
とんだとばっちりで、今夜はライブが聴けなかった。嗚呼。
9月30日(日) 穴蔵/佐高信の超バカ発言
涼しいのであった。
7時頃まで朝寝してしまった。
「自宅」へ行って遅めの朝食。
たまたまテレビを見たら、ワイドショーのコメンテーターとして佐高信が出ていて、ミャンマー情勢について、こうコメントした。(8:30頃の大阪・毎日放送)
「アウン・サン・スー・チーと吉永小百合は同い年です。ぼくも同い年なんですが。ミャマーでは吉永小百合が監禁されているようなものです」
うへーーーっ!
アホちゃうか。
物事を単純な二項対立でしか論じられないのが佐高の限界と思っていたけど、ここまで情緒的な「ええもん」「わるもん」にしてしまうとは。
テレビのコメンテーターに成り下がるのは食うためにはしかたないとしても、スー・チーがベタベタの親「大英帝国」で嫌日本であることくらいは前提にすべきだ。
佐高は「スー・チーはぼくが女性用のカツラをかぶったようなものです」というのが正しいのではないかい。
終日穴蔵。
雑事を色々と処理。
夕刻、宅配便の出荷に行く。
帰路、ウチの近所に救急車がやってきた。
しばらく見物。
救急車の内部を観察するのは初めてである。面白そうな機器が多い。今のところ書く予定はなく、救急車に乗せていただくつもりもないが、一度詳しく取材したいところだ。
「救急車慣れ」してはる感じのご老人が運ばれていきはった。
ということで、夜は豚肉グラタン風なんとか(創作料理)他数皿並べてもらってビール、ワイン。
明日は上京、毎年のことだが、10月1日では遅すぎるのである。そろそろ寝るのである。
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