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『マッドサイエンティストの手帳』407

●マッドサイエンティスト日記(2007年8月後半)


主な事件
 ・炎天つづき
 ・創サポ講座(18日)
 ・ジャズ・スポット取材(30日)
 ・ワールドコン「Nippon2007」へ(31日)



8月16日(木) 播州龍野の日常
 猛暑つづく。
 昼前にタイムマシンをクルマに搭載。運ちゃんふくめて三人がかり。フォークリフトがないから苦労するぜ。
 ま、こちら方面の仕事は一区切り。
 午後、ドーキンス『神は妄想である』を図書館で借りてきてざっと読むが……とくに過激な主張とは思えず、むしろ無神論者宣言をすることがタブーに触れるというアメリカの状況が恐ろしくなってくる。

8月17日(金) 播州龍野の日常
 午前2時に目が覚める。早寝というよりは蒸し暑さのため。室温33℃。扇風機を回しているが、家屋の構造上、2階は窓が小さいからいたしかたなし。
 枕を持って階下に降り、雨戸を開け放って、畳の上で仮眠。中国人が押し入ってこないか心配なので、バットを枕元においておく。
 寝不足で、食欲なく、アタマもあまり働かない。人これを夏ばてと呼ぶ。
 昼間、2階の書斎は36℃である。
 仕事は進まず。
 図書館から借りてきた早坂隆『日本の戦時下ジョーク集』2冊を読む。
 よく文献調査はされていると思うが、ほとんどが公開情報。こちらが期待したのは、活字にはできない、庶民の間で囁かれていたジョーク(軍部や天皇に関するもの)なのだがねえ。
 18時、老母にあわせて晩酌。茶豆を茹で、サンマを焼き、トマトとカイワレのサラダでビール。
 夕映えがきれいなので、食器を片づけたあと、夕涼みをかねて散歩。
 
 センチメンタルになるぜ。
 明日は一時的に出所である。仮釈放か。

8月18日(土) 播州龍野→大阪/創サポ
 晴れた空、そよがぬ風。
 相変わらずの炎天だが、午前中下男仕事の後、晴れて仮出所。
 午後のジーゼル車にて大阪に向かう。
 
 真昼の駅舎、しんと静まりかえって人影もなし。
 出所した親分、出迎えの舎弟が誰もいない時の気分はこんなものであろうか。ちょっと違うか。全然違うな。
 姫新線にてど田舎から去る。
 夕刻帰阪。
 天満へ。
 
創作サポートセンターの講義の日である。
 10期生と専科の合同講義で、30人近い出席。熱気があるなあ。
 提出作品4編。
 ・古墳発掘にまつわるミステリー。
 ・「負け犬」直前のキャリア・ウーマンの選択。
 ・国替えにともなって水軍が山国へ船を運ぶ話。
 ・人間を「栽培」するホラー。
 それぞれ面白く、もう一工夫でブレークしそうなレベルのがある。
 こちらも色々と刺激を受ける。
 あと、いっしょにビールを飲みたいところだが、疲労が蓄積しており、まっすぐ帰館。
 専属料理人に色々並べてもらってビール……だが、料理は一品残した。ビールはいくらでも飲めるが、アブラ系のメニューはしんどい。人これを夏バテという。

8月19日(日) 穴蔵
 なんと朝6時頃まで寝ていた。今夏はじめてクーラーつけたままの睡眠。快眠なり。
 終日穴蔵。食事で「自宅」に行く以外、外出せず。
 溜まっていた雑件の処理。
 相変わらず外は炎天で、日影でも36℃。
 終日エアコンを稼働させたまま。ちょっと休憩で横になると、たちまち2、3時間眠ってしまう。よほど龍野の暑さが堪えていたらしい。
 夜は「夏おでん」……といっても冷たいのではなく、薄味で、練り物など暑苦しいネタがない、サッパリ系である。
 これでビール飲みながら、「24時間テレビ」の「感動のクライマックス」を10分ほど見る。
 ふだんは見ない番組だが、喜多哲士さんのブログで、『日本禁煙学会』とやらが、喫煙家・萩本欽一がマラソンに挑むのは「医学的に見て極めて非常識」という見解を報道機関に各社に送ったというのを知ったからである。
 まったく余計なお世話だよなあ。くわえタバコで走るのではあるまいし。
 おれは生まれてからこれまで自分の意志でタバコの煙を吸い込んだことがない嫌煙家(無煙家)だが、こんな「勧告」を行う団体にシンパシーは覚えない。
 ということで、欽ちゃん、10分ほど遅れて(この遅れにリアリティがあるなあ)ゴールイン。感動はしなかったが快哉を叫びたくなった。
 『日本禁煙学会』、何か声明を出すのかねえ。

8月20日(月) 穴蔵/ハチ
 わ、本日は朝6時半まで寝てしまった。エアコンの威力恐るべし。
 月曜である。盆休が後半だった連中も復帰、大部分が仕事再開であろう。おれも世間に合わせて、少しは仕事もするのであった。
 午前中でだいたい片づく。
 午後、久しぶりに自転車で梅田へ。
 「ジャズの専門店ミムラ」に寄る。前の某建物、本日も午後2時というのに「満室」の表示が点灯しておる。この暑い最中に……というよりも、涼を求めての行動なりや。
 あと、ハチでコーヒー。
 ハチママ、早くも来年8月8日のイベントについて「どないしょう」と相談らしきこと色々しゃべり出す。来年が50周年。無理もないが、こういう話が来年初夏までつづくわけである。疲れるぞ、これは。
 ということで、15時頃に帰館。
 近所の公園、居住者の「飼い猫」扱いの野良(首輪をしてもらっている)、この暑さで寝るしかないようである。
 
 飼い猫にしては痩せている。
 どうも林譲治さんちの近所より餌が少ないように思えてならない。
 飼い主もこの暑さで動かなくなっているせいか。
 おれも見習って、夕刻まで昼寝。
 ワールドコン関係の連絡などか頻繁になってきた。そこにジャズ関係でも面白そうな話が1件。播州龍野の事情もあって、月末あたり、ややこしくなりそうな……。

8月21日(火) 穴蔵/SF検討会
 本日も炎天なり。ちょっと飽きてきたなあ。播州龍野方面は「雷雨・大雨・洪水」注意報が出たりしているのに……といいつつ、明日からそちらへ行かねばならぬので、雑件の処理を急ピッチで進めるのであった。
 おれもやる時はやるのである。
 終日穴蔵、エアコン終日稼働。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
 火曜日とは珍しいが、むさしくん今週は『朝ミラ』夏休みで、さりとて遠方へ旅行する体力もなく、文章の世界に戻っているらしい。
 久しぶりにSF検討会兼暑気払い。
 専属料理人が枝豆、なんとかの煮びたし、かんとかの小鉢、チーズのなんとかグリルなどを運んでくれたので、これで盛大にビール。
 本日のテーマ、例によってラジオで話せぬネタばかり。よって非公開。梅田でばったり会って阪急前のスタンドでビール飲ませてくれる人にはお教えする。
 むさしくんが帰ってから、そういえば谷九で滝川雅弘さん出演日であることを思い出したが、無念、まだ作業が残っていた。
 先日来進めているジョージ・ルイスの伝記翻訳本の編集。専属料理人が校正を担当していて、それが上がったのでチェック。専属料理人がゲラを穴蔵に持ってきて、パソコン前に並んで画面と突き合わせながら調べる。昔取った杵柄で、固有名詞の不統一などやたら細かくチェックしてある。バイトでもしておれを養ってくれんかなあ。と、ジャズメンの名前など調べながら進めていたら、日付が変わってしまった。
 なんだか目が冴えて眠れず。
 ついでだから某ジャズ関係の「取材企画書」を作る。
 わ、3時を回ってしまった。

8月22日(水) 大阪→播州龍野
 どういうわけか、一睡もしないまま朝になった。
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 下男モード入り。
 相変わらずの炎天……と思ってたら、夕刻から激しい雷雨。
 稲妻が頻繁に光る。耳の遠い老母は、雷鳴は平気だが稲光は怖いらしい。
 炊事の途中、気がつけば電話の転換器のLEDが点滅していて、電話の状態がおかしい。
 去年の落雷での被害を思い出して、ADSLへのラインを外す。
 夕食後……相変わらず雷雨が続く。
 本日のパソコン使用は見合わせる。昨夜寝てないので早寝。

8月23日(木) 播州龍野の日常
 午前4時に起床、普通のパターンに戻った。
 パソコンをチェックするが、どうも動作が不安定。パソコン本体は無事だが、モデムの表示が不自然。接続状態確認のために2階と親電話のある1階の往復か辛い。
 ネット接続はできるのだが、不安をかかえたまま。モデムの交換が必要かもしれない。連日の雷雨だから、この種のトラブルは全国的ではないか。モデムだけは電源を切ってなかったからなあ。
 ということで、本日はタイムマシン格納庫にて終日見張り番。
 少し涼しくなり、格納庫内は36℃。事務スペースは30℃。おれには快適温度である。
 タイムマシン格納庫のパソコンは無事。
 雷鳴を聞くとパソコン関係は電源コードを抜かないと危ないようだ。
 午後、マスコミ関係の友人が、富樫雅彦氏の死去をメールで知らせてくれた。
 うーん。演奏が難しくなっていたのは周知のことだったが……。

8月24日(金) 播州龍野の日常/モデム故障
 モデムの調子がおかしかったのが、まったく接続不能になった。
 プロバイダーに連絡。
 モデムはレンタルなので交換してもらうことになったが、1週間ほどかかりそうである。
 タイムマシン格納庫のは無事。ただしこちらのパソコンは共有なので、HP用の設定はしていない。
 HP更新はしばらく休業。

8月25日(土) 播州龍野の日常/新野良
 本日も炎天なり。
 図書館で週刊朝日を読んでいたら、嵐山光三郎「コンセント抜いたか」……今週は「『断食死』の問題」。
 嵐山氏のご母堂は90歳という。年齢差を考えると、おれの2年後と同じである。
 その「老母」に「あなたと話す時間がないわね」といわれてカッとなる。旅行を減らし、仕事場にも泊まらず、「老母」の家の二階で原稿を書いているのは、できるだけ老母を介護しようとしているから。
 どことも似たような事情らしい。
 ……で、「なにを話したいのか」と訊くと「死にかた」についてだという……。
 ここから、延命治療、安楽死……そして西行の行った「断食死」に及ぶ。明るくも凄い母子の対話である。
 で「老母」は、西行の死に方は理想的だが「おなかがぺこぺこに減ったのに食べないってのは、やっぱりつらいわよね」と、冷凍ウナギをレンジで解凍して食べたのでした。
 うーん。死ぬまで食べるのがいいんだろうな。
 ちなみに冬樹蛉さんが触れている特殊清掃では「牛丼」である。
 ウチの老母は、丼ものは好きではないからなあ。
 五目寿司にアサリの吸物なんてのが好みなのである。
 ということで、食材を買って帰館。
 と、ウチの老母が「さっき猫が部屋を通っていった」という。
 先日来、近所で時々みかける野良が入り込んできたらしい。
 ただ、通過していった方向がおかしい。
 夏とはいえ、網戸にしているから、簡単には侵入できないはずなのだが。
 幻視ではあるまいな……と思いつつ二階で原稿を書いていたら、窓の外にとつぜん野良猫が出現した。なな、なんだ?!
 目の前の屋根を悠々と歩いて、塀に飛び移って去った。
 猫の来た方向から察するに、どうやら「煙出し」の穴が侵入路らしい。
 
 古い家だから、最上部にこんな穴がある。銃眼ではない。
 ここから梁を伝って屋根裏に降りる。老母のいった野良の移動方向とも一致する。
 しかし、どうやってこんな通路を発見するのだろう。「煙出し」だけに、調理の匂いを嗅ぎつけてだろうか。今は換気扇で排気しているから、「煙出し」から煙がでるこしはないはずだが……。
 まあ、今のところ被害はないから、観察続行とするか。

8月26日(日) 播州龍野→大阪
 午前中、下男仕事。
 午後の電車で帰阪。
 うへっ、穴蔵にまたも雑件色々。明日から精力的にこなすことに。
 今夕は炊事せず、専属料理人の並べてくれた枝豆、ゴボウの唐揚げ? ミニステーキ野菜添え、夏パスタ、トマトサラダなどでビール、ワイン。
 炊事と後片づけのないことは「下男」にとっては至福である。
 アホの今岡清がたまにお小遣いもらって遊びに出るような気分であろうか。
 こんな下等物件と比べるのはおかしいのだが。
 ……と、ボンクラ息子その1が、とつぜん夜中に帰ってくるという連絡。明日が関西での仕事か?
 なにやらわからんまま、もう寝るのである。
 ということで、帰阪後、久しぶりにHP更新したのがこれ。

8月27日(月) 穴蔵/梅田ウロウロ
 定刻4時に起床。
 朝6時過ぎに「自宅」へ行ったら、昨夜帰ってきた「ボンクラ息子その1」改メ「ボンクラ親父の息子その1」が起床しかけているところであった。
 日曜というのに仕事で和歌山まで来て、本日は朝から帰京という。
 よく動いているのである。
 しばしコーヒーを酌み交わすことなり。
 おれも見習って、穴蔵にて少しは仕事をするのであった。
 昼前にNOグローリーランド・ジャズバンドの名ベーシスト・村橋さんが穴蔵にやってきた。
 ベースも聴きたいところだけど、本日は本業関係の打ち合わせ。伝説のクラリネット奏者の伝記の発行、いよいよ大詰めである。
 午後、雑事色々あって、炎天下を歩いて梅田へ。
 銀行関係やらワールドコン行きの切符の手配など。
 「ジャズの専門店ミムラ」にも寄る。
 
 ミムラの向かい側、真っ昼間というのに、××は〜〜今日も「満」だった〜〜。嗚呼。世界陸上に張り合ってはるのであろふか……。
 ケン・ペプロフスキーの新譜をゲット。
 ハチへ行ってコーヒー。
 旭屋、ヨドバシ、紀伊国屋を回って、16時帰館。
 7925歩。
 夜……新内閣の顔ぶれをしばらく見るが、なんともはや。
 短命であるぞ。
 ケンペプ聴きつつビール。そろそろ寝る。

8月28日(火) 穴蔵
 終日穴蔵。
 少しは……いや、まあまあ仕事もするのであった。
 どうも体がエアコンに慣れてしまった気配だ。
 昼、ちょっと梅田へというつもりで外出するが、相変わらずの暑さに、たちまち挫折。
 豊崎交差点の「讃州」でカレーうどんを食べて、また穴蔵に戻る。
 午後も雑事片づけ。
 専属料理人は知り合いに誘われたとかで甲子園に出かけてしまった。
 夜は冷蔵庫にあった枝豆、冷しゃぶ、キンピラなどでビール。
 仕上げはキムチ・ドバドバの鶴橋冷麺。
 早寝する。

8月29日(水) 穴蔵
 終日穴蔵……のつもりであったが、必要あって朝9時前に出て西長堀の市立中央図書館へ。
 1時間ほどで片づく。
 梅田まで戻り、ヨドバシ、紀伊国屋を経由、穴蔵まで50メートルのところで雨が降り始めた。
 急激な雷雨。エントランスに駆け込んだところで土砂降り。間一髪でずぶ濡れを免れた。「馬の背を分ける」をこの歳になって初めて実感。10時58分のことである。
 夕刻まで、色々と仕事もするのであった。
 ワールドコン関係の準備も。
 ワールドコンでは幾つかの企画に出たり見物に行ったりだけど、それ以外の時間はカフェ・サイファイティーク別名「マッドサイエンティスト・カフェ」で白衣を着て「接客」に当たる予定。メイド・カフェのサイエンス版?らしい。ここでの源氏名は「Ditch Sunshine」、よろしくご指名を。

8月30日(木) 穴蔵/8/5
 久しぶりに曇天であり、ベランダが東側の穴蔵、こういう日は涼しいはずが、やっぱり朝から蒸し暑いのであった。
 午前中、雑事色々片づける。
 午後、インタープレイ・ハチへ。
 某誌のジャズ特集で、大阪のジャズ・スポットの「案内役」を仰せつかって、その取材である。
 
 推薦した数ヶ所のうち、同行できるのは本日のみ。明日からワールドコンだからなあ。
 ハチママ、例の調子で(といっても、どんな調子か説明になってないけど、過去の記述から推察していただくしかない/知ってる人は誰でもわかる)、ともかく疲れる。
 ハチで2時間半ほど。ぐったり。
 あとで取材の編集者・ライター・カメラマンの3氏に「昔、山下トリオが大阪に来るときは、新幹線の中で、今日は誰がハチママ当番かを相談するのが習慣だった」という話をしたら、皆さん納得であった。
 いったん帰館。
 夜、また某誌スタッフと、今度はニューサントリー・ファイブで合流。
 8から5へ。
 本日の出演はニューオリンズ・レッドビーンズで、クラのトラは冨家良平さんである。
 
 冨家さんのクラを本格的に聴くのは久しぶりだが、なかなかいい。
 森マスターの話を色々聞き、レッド・ビーンズを2ステージ聴いて終了。
 8、5、ともに面白い取材であった。
 大阪の夜景などを撮るという3氏と別れて、22時過ぎに帰館。
 「某誌」が何かは発行前にアナウンスすることに。
 ということで、明日からの準備色々。
 明日からワールドコン参加で横浜行きである。

8月31日(金) ワールドコンへ行く
 大阪から横浜へ移動。
 昼頃にパシィフィコ横浜、ワールドコン「Nippon2007」会場へ。
 午後は主に「カフェ・サイファイティーク」で「接客」。
 夜はSF作家クラブ主催のレセプション・パーティ。
 あとは夜中まで小松御大の部屋。
 ワールドコンについてはこちらにアップ。

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