『マッドサイエンティストの手帳』396
●マッドサイエンティスト日記(2007年3月前半)
主な事件
・SF大賞贈賞式(2日)
・引越手伝い(3日)
3月1日(木) 播州龍野→大阪/『御乱心』以後
弥生になりにけり。
天気晴朗にして花粉多し。鼻水の季節となった。
午後の電車で帰阪。
夜はなんやら説明しにくいパスタ(おれには出来そこないの団子としか思えん)でワイン。
●金原亭伯楽『小説・落語協団騒動記』(本阿弥書店)
落語協会の分裂騒動を馬生の弟子の立場から描いた「小説」である。粋狂さんに教えてもらうまで知らなかった。2004年刊。事件から四半世紀経ってからの小説化。作者は60代半ばである。
表紙がマンガ的似顔絵であるなど、装幀が軽いから、どんなものかと思ったら、これが実に「きちんと書かれた」小説であった。
登場人物の名は変えてあるが、直ちに特定できる。作者が立ち会ってない場面までを描いているから「小説」という形式をとらねばならなかったのだろう。
「馬生の弟子」というよりも、「志ん朝一門」の視点から見た記述であろう。
圓丈『御乱心』と比較すると、「火付け役」に始まり「火事場泥棒」に終わる談志の役割が大きい。そして、これがおそらく真実であろう。真打ち先行された志ん朝に対する談志のコンプレックスに起因して、これがあとあとまで続く。
もうひとつは、「三遊協会」発足の赤プリの記者会見……この前に、志ん朝は寄席に出られないことを知っていた、圓生もそれを聞いていたという記述。これも本当だろう。
あとの連中がどうだったのか……謎は残る。
『御乱心』に較べて筆致は時間をおいただけに冷静。その分、テンションは圓丈の方が高いけど。
共通するのは噺家の「話し言葉」の記述が際だってうまいことだ。
さすがに語りの専門家だと感嘆する。
もうひとつ共通するのは、志ん朝の人望である。また談志の権勢欲の凄まじさ。
ただ、この「事件」、おれには(かんべむさし氏もだけど)「三島事件」と並ぶ、謎の多い昭和の大事件である。
談志一門、圓楽一門からも誰かに書いてほしいところだ。
●『よってたかって古今亭志ん朝』(文藝春秋)
これは志ん朝一門が師匠について語ったもの。
「三遊協会旗揚げできず」でこの騒動について語っている。
ほぼ『小説・落語協団騒動記』を追認している。
驚くべきは、志ん朝の協会復帰のあと、談志の暴言に立腹した志ん朝が楽屋へ乗り込んで談志に「衣紋掛けを掴んで殴りかかろうとした」というエピソード。誰かがとめているうちに談志は逃げたらしい。
「火事場泥棒」説の傍証であるなあ……。
などと、こんなの読んでいると、おれも「宇宙法廷」を完成させなきゃなあ。
おれにはもうひとつ「雅美事件」というのもあって、ファイル10冊、資料も本棚の一角を20年近く占拠しとるのだがねえ。
ということで、明日から上京である。
パソコン事情により、しばらくブランクとなるかも。
3月2日(金) 上京/SF大賞
上京。
東京駅から銀座の山野楽器まで歩くが、ジャズ階は改装中であった。
有楽町経由、東京會舘へ。
16時からSF作家クラブ総会。新入会員14名で、200人を超えた。落語協会に匹敵するわけか。真打ち制度など導入して分裂騒動になると面白いのだがなあ……などと愚考する。
18時から徳間文芸賞贈賞式。
今年の受賞者と受賞作は、
第9回大藪春彦賞は北重人『蒼火』と柴田哲孝『TENGU』
第27回日本SF大賞は萩尾望都『バルバラ異界』
第7回日本SF新人賞は樺山三英『ジャン=ジャックの自意識の場合』、佳作に木立嶺『戦域軍ケージュン部隊』
写真は左から、木立氏、樺山氏、望都さま、柴田氏、北氏。
新人おふたりに挨拶。
写真は左が木立さん右が樺山さん。
樺山さんの作品は、ジャン=ジャック・ルソーの魂が日本青年に「降臨」する、メタフィクション的趣向の作品。 木立さんの作品は数百年続く異星人との戦争の最前線の物語らしい。
樺山さんは筋肉質で強面、喧嘩も強そうな。木立さんは物静かだがなかなかの論客の気配。作品と作者の印象が逆のような気がする。
望都さまとの2ショットは?
これはいいのである。ずっと前に一度対談したことがあり、その時のカラー写真を大事に残してあるからなあ。
パーティは大盛況。
懐かしい方々色々、久しぶりに挨拶。
森下一仁さんとは「時間論」、とり・みきさんとは「オジギビト」についてしゃべったが、これは別項にて。
ということで、江東区の隠れ家に帰館。
3月3日(土) 隠れ家/ゑびす
隠れ家にて目覚める、といってもボンクラ息子その1……じゃなかった、ボンクラ親父の息子その1の住居であるが。
その隠れ家、本日、江東区・西大島から荻窪へ引越の予定であったが、またも土日に仕事があり、5日に変更になったのだという。
それまで滞在するわけにもいかず。
ま、ゴミの日だし、せっかくだからひとりでガラクタ整理。ただ、他人の持ち物はガラクタかお宝か区別しにくくて困る。
自転車が1台あり、天気がまあまあなので、これを運ぶつもりであった。総武線沿いに走れば3時間くらい? が、目的地近くに住んでいる加藤直之さんの話では、都心は坂が多く、青梅街道はかなり危険らしい。
大きめのトラックを予約しているから積めるだろうという。
結局夕刻までダラダラと雑品片づけ。
夜、ボンクラ親父の息子その1が帰館。
居酒屋「ゑびす」へ行く。
大島と西大島の中間あたり。
おれは居酒屋好きだが、なじみの店はほとんど大阪。が、この「ゑびす」は、数十年の居酒屋歴のなかで間違いなくベスト5に入る店である。
壁にずらりと貼られたメニュー、食べたくないものが皆無である。(厳密には、キュウリのなんとかだけはダメだが)
値段異議なし、雰囲気申し分なし。
本日のメニューは(ふたりでシェアしたのだが)、マグロ刺身、鯵タタキ、肉豆腐、串カツ、ワカサギと野菜の天ぷら、トマト、豆もやし、トマト、これでビール、湯割り。
ボンクラ親父の息子その1「引っ越すのが嫌になってきた」
ま、向こうには「鳥正」があるし、西荻窪にも「ゑびす」があることだから。
3月4日(日) 帰阪
石神井公園から江東区への引越を手伝ったのはちょうど3年前、SF大賞の翌日であった。
こちらへ来るのは年に2、3度だが、この界隈、やっぱり離れるとなると寂しい気分だ。
朝、近所を少し散歩。
貨物線の高架も3年間まったく変わっていない。
そのうち、この越中島貨物線に沿って自転車で走ってみたいと思っていたが、もうその機会はないだろう。
名店「與兵衛」は高くて、山本一力さんご贔屓のトンカツ「梅乃」は親父さんの健康がいまひとつで、ともに行くことないままになってしまった。
さらば西大島。
昼前に、本日も仕事ありという息子その1といっしょに出る。
郵便局へ転居届提出の後、おれは亀戸まで歩き、秋葉原へ。
石丸3号館……特に収穫はなし。
森下氏の薦めにしたがって万歩計を購入。「伊能忠敬」というのもあったが、歩数、距離、カロリー数が出る標準的なのを購入。これからは自転車から歩行にシフトするのである。
夕刻帰宅。
車中、NEWSWEEKの「こんなにあるあるニセ科学」を読むが、表紙に大書してあるほどの特集ではなし。ただ、アメリカの場合「低脂肪」「サプリメント」などダイエット関係が多く、日本の「倫理」「躾」がらみとは傾向が異なるようだ。
3月5日(月) 穴蔵
午前6時起床、おれとしてはかなりの朝寝坊である。
疲れておるのだ。
朝から小雨だし、終日穴蔵……といきたいところなれど、タイムマシン製造業者としてはそうもいかず、午前9時過ぎ、諸々の機関の始動を待って梅田ウロウロ。
ついでにハチへもと思っていたのだが、風雨が強くなり、昼前に帰館する。
ユルセ・ママ。
午後は穴蔵にて粛々と雑用を片づけるのであった。
ボンクラ息子その1の引越し、今日に限って雨、どうなっているのかと心配していたら、午後5時頃に「ただ今移動中」とメールが来た。
なんとかなったようである。
ということで、夜は専属料理人による中華3品(エビチリ、マーポ、海鮮ソバ)でビール。
飲み過ぎではないが、ちと食べ過ぎ。
早寝する。
本日の歩行5377歩であった。雨だからな。ちなみに歩幅は80p。
明日は播州龍野行きである。
3月6日(火) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
万歩計のテストも兼ねる。
穴蔵→梅田は約2500歩。姫路駅→本竜野→実家がやはり約2500歩。思ったより少ない印象である。
下男(おとこし)仕事に加えてタイムマシン関係のこともあり、何かと慌ただしい。
16時頃に区切りがついたので、散歩の続行。
万歩計のあるなしで歩行意欲がちがうという森下一仁さんの意見は正しい。区切りがつくまで歩く気になるものなあ。
夕刻、西日が堤防の大楠に射す頃から、揖保川沿いを上流へ。途中、堀家の土塀に沿って路地、用水路沿い、また揖保川とランダムに40分ほど歩く。
本日のトータル10000歩を越えたところで帰館。
17時に門扉を閉じ、炊事開始。
天気晴朗にして風があったものだから、湯豆腐と筑前煮でビールあとイカを炒めてスパゲティに和えワインを飲み始めたあたりで、クシャミ連発。
啓蟄とはいうが、花粉多く、しかも嫌な動物が這いだしてきそうで、憂鬱な春である。
3月7日(水) 播州龍野の日常
某国よりタイムマシン関連で某状が届く亦嬉しからずや。
龍野に唯一ある都市銀行、海外関係はまるでダメ。明日、大阪に戻らねばならぬ。
下男仕事もこなすのであった。
夕刻散歩。
揖保川沿いは飽きたので、本日は東の方向へ。
通称「片山」の麓にある金輪山小宅寺まで。
住職のTくんは小学校の同級である。
ちょうど境内で補修作業中であった。しばらく雑談。
鐘楼の鐘はまだ無事である。
Tくん「あんな重いのが盗めるわけがない」というが、甘い甘い。
田舎寺だから、深夜に某国人が十人ほど来れば、軽々と運び出されてしまうだろう。
今は火の見櫓の半鐘が盗まれているが、そのうち鐘楼の鐘にエスカレート、新潟では角栄の銅像も狙われるにちがいない。
帰路はだいぶ回り道して帰ったつもりだが、本日5711歩。
1万歩突破はしんどいことだ。
ということで晩酌。ビールがうまい。
NHK「クローズアップ現代/狙われた生活保護」は出色のドキュメンタリーであった。
「ホームレスを利用した生活保護費詐欺」と、ホームレスを入院させる病院の過剰検査等による医療費ぼったくりの実態という「二本立て」。どちらも大阪ってところがすごい。
ルン吉くん、できれば後者の方にいてほしいものだ。
が、ともかく「格差社会」どこ吹く風であるなあ……。
早寝するのである。
3月8日(木) 播州龍野→大阪
このところ東京都知事選についての報道が喧しい。
耄碌建築家はともかく、浅野史郎なるのが出馬表明してから報道加熱。
で、色々読んでみたら、浅野を煽ったのは「抜け目のない目つきをしたハゲ頭のチンカス三百代言」五十嵐敬喜らしいではないか。
勝負は見えておる。
こんな論理欠如のさもしい利権屋がからんで、まともな結果が出たことないもの。
大予言 浅野史郎の当選はありえない。
ま、おれの住民票は大阪にあるから関係ないことだけど。
だから、おれはきみにはエールを送るよ。
ただ、共闘はしない。おれはあくまでも個人的にチンカス三百代言を屠りたいからである。
などと愚考しつつ、昼間の電車で大阪に帰る。
専属料理人に色々並べて貰ってビール、ワイン。
メニューを記すにも……「レンコンや青野菜その他入りの揚げを炒めたの」「カツオのタタキをメインにトマトその他の野菜を添えたの」「キノコ・トマト・その他色々の入ったオムレツみたいなたまご料理」とてでもいうべきか、ややこしくて表現できん。
早寝……でもないか、22時には寝るのである。
3月9日(金) 穴蔵/ハチ/むさしくん
慌ただしき日である。
朝からタイムマシン関係で某社へ出かけて打ち合わせ。某社のI社長、80年頃から拙作を読んでくださってる読書家であり、ノースカロライナのオースン・スコット・カード邸にいっしょに訪問(2回目)した間柄でもある。
楽しきかな仕事。
手広く仕事をやってると面白いことが多い。
いったん帰宅。
午後は専属料理人と梅田の高層ビルへ。
おれの生命を賭けた<負のギャンブル>の契約。嗚呼。
あと、専属料理人と歩いてハチへ。
ハチママは今夜の「ライブ」に備えて自宅で休養中であった。
ハチでは毎月第2金曜は「ハチママ・ライブ」なのである。
わしゃ夜遊びはしないので遠慮。
帰路、「ジャズの専門店ミムラ」に寄る。ケニー・タバーンとケン・ペプロフスキーの共演盤が届いていた。
ダバーン追悼盤かな。
ということで、15時過ぎに帰館。
本日の歩行、7411歩であった。……ということは、穴蔵〜ハチ、最短距離の往復では5000歩程度、1万歩/日のためには、だいぶ遠回りのコース(青空書房とか)を設定する必要がありそうだ。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
久しぶりの「SF検討会」を開催。
軽くビール飲みつつアホなことあれこれ……考えて見ると、1975年頃から、昔は週1、今は月1、飽きもせず、もう30年を超えるわけだ。
書籍数冊を交換。これでお互い数時間〜十時間ほどの「至福の時間」が約束されるわけである。
持つべきものは読書家の友人なり。
ということで、そろそろ就眠……というか、寝そべって「至福の時間」を過ごすのである。
3月10日(土) 穴蔵/西回りコースを歩く
定刻起床、塩分控え目の朝食ののち、9時過ぎに近所の医院へ行く。
先月受けた血液検査の結果を聞く。うーん、まあ、相変わらずか。
「歩きなさい」といわれる。いわれるまでもなく歩くことにしたのだが、まだ5日ほどだからなあ。では、次回の検査で劇的な改善をお見せしよう……と一応決意するのであった。
午後、自転車徘徊の西回りコースを歩くことにする。
紀伊国屋を覗いてからヨドバシへ。
大阪駅を抜けてジュンクドーへ。『小説・古今亭志ん朝』は見当たらない。
桜橋に戻って、ワルティでデフランコ「WAILERS」とビッグバンドをバックにデフランコ・キューン・ダニエルズが共演している「The Three Sopranos」を発見。つづいてJ.J.でデフランコの「FREE SAIL」と、本日はデフランコが3枚手に入った。
東へ歩いて旭屋。
ここで金原亭伯楽『小説・古今亭志ん朝』(本阿弥書店)と中野晴行『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(筑摩書房)を入手。後者は8階のコミック階にあった。評伝なんだから3階の評論書の売場ではないかと思ってたのだが。そういえば長谷邦夫さんの『マンガに愛を叫んだ男たち』も立派な小説なのにコミック売場だったものなあ。
ここまでで6000歩近い。
扇町公園から青空書房を回って帰ると1万歩になりそうだが……CD3枚、本2冊を手にすると、もう待ちきれない。
旭屋から北へ最短距離で穴蔵に戻る。
7583歩であった。まあいいだろう。
あとは穴蔵にて読書。
思うところあって本日は禁酒。
昨日までは、ラスカルズを聴きに行くつもりだったのだが、飲めないのではなあ。
夕食後、デフランコを聴き、また読書。
感想アップすべき本がずいぶん溜まってしまったが、ま、そのうちに。
3月11日(日) 穴蔵/ちりめんダコ?
穴蔵にて少しは仕事もする……つもりが、日曜であるから、CDを整理しつつ、デフランコやケン・ペプロフスキーを聴き、枝雀のDVDを見る。
午後、プリンターのインク切れ、ヨドバシへ行く。ついでにまたも本屋をウロウロ、本日は衝動買いはせず、新書2冊にとどめる。
歩行数5248歩。万歩計を使い出してからまだ1万歩を超えたことがない。
明日は所用で本町往復だからたぶん達成できるだろう。
本日もアルコールは口にせず。
夕食時に、何年ぶりかで「ちりめんタコ」?を発見、マクロで撮影する。ルーペでも観察。
足がちぎれたタコかイカか? 食べてみるとタコの味がする……ような気がする。
ちりめんそのものは、たいへんうまい。専属料理人がデパートで試食して、おいしいから買ってきたのだという。
近年、ちりめん中にタコを発見することはめったにない。ちりめんじゃこの「品質管理」に神経質になり過ぎなのではないか。
浜辺に広げた筵で天日干ししたようなのがいいのである。
聞けば宮崎産。新知事、やるじゃないか。
3月12日(月) 穴蔵/本町/ガチンコ
深夜まで本を読んでいたのに、3時過ぎに目が覚めてしまう。
断酒による症状であろうか。
定刻4時に起きる。
ネットのニュースでは大相撲初日が大荒れというので、4時過ぎからNHK「大相撲・幕内の全取組」を見る。
うへーっ、朝青龍の負けっぷりは想像を絶する爆笑ものである。ま、今場所は「勝っても負けても」色々いわれる場所だから緊張もするだろう。ガチンコとなると、あがるんだろうなあ。
今場所に限ればたぶん「注射」はないと思うが、注射なしだとこんなに無様なのかと思われてしまうところが面白い。自分で疑惑の上塗りやってどうすんのよ。
ということで、少しは仕事もするのであった。
本町某所の貸金庫から機密図面を出してくる必要あり、昼前に出て本町まで歩く。
最短の御堂筋を歩いて往路は45分、3600歩程度である。思ったより短い。
帰路は中之島図書館や梅ヶ枝町の画廊、ロフトなど寄り道したが、計7439歩、5.59qである。
地図上の直線距離を確認すると、どう見ても3qある。7qは歩いたつもりだがなあ。
明日は専属料理人の万歩計も借りて比較してみることにしよう。
1万歩突破は至難である。
朝の相撲が面白かったので、夕刻、最後の5番ほどを見る。
どれもこれも立ち合いがぎこちないなあ。「打ち合わせなし」だとこうなるのか。
朝青龍、雅山に見事に負ける。ガチンコ、面白いなあ。
明日も楽しみである。
ということで、本日もアルコールは口にせず。
早寝するのである。
3月13日(火) 穴蔵/路上歩行
穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
高知空港でボンバルディアDHC8機の胴体着陸があったことを昼のニュースで知る。
どうやら午前中「生中継」やっていたような。ライブで見たかったなあ。
ただ、年に1、2度の事件のために午前中ワイドショーを断続的に見るというのも苦痛だし、難しいところだ。
ついでながら、不二家が洋菓子の生産再開。あの桜井康文社長は飯田久彦によく似ていると思う……つまり、テレビ見ている時の思考レベルってこんなものなのよね。
昼、ハチへ行く。
ハチでランチ。隣席の方から、今『バビロニア・ウェーブ』を読んでいるところですとサインを求められる。ちょっと感激するが、すぐ近くにこんな方がおられるとは。ハチではアホな言動は慎まねばならぬなあ。
本日、専属料理人の歩数計(万歩計)を借りておれのと比較してみる。
おれのは「加速度センサー」でポケットやカバンに入れればいい、専属料理人のは3Dセンサーとか(原理はよくわからんのだけど)で腰(ベルトなど)に装着するタイプ。
左がおれの。
おれの(加速センサー)は規則的に13歩以上あるいて計測(はじめの13歩も含む)する方式で、部屋や書店などでウロウロする歩数は加算されない。
止まらず規則的に歩行する限り差はないが、階段や小走り、貧乏ゆすりなどで差が出るようである。
本日の結論。
・加速センサーの方が約3%少ない。
・穴蔵〜ハチ間はおれの脚で最短距離2000〜2080歩である。
1万歩の壁は大きい。
夕刻、大相撲……結びの一番、期待して見るが、朝青龍が勝つ。面白くねえな、おれの見たかったパターンではない、正直なところ。むろん注射が効いたのではあるまい。
3月14日(水) 穴蔵/東の旅
早朝3時に目が覚める。
穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
昼、歩いて、本日は「東の旅」とする。
歩くことが目的ではない。天六に用事が発生。いつもなら自転車で往復、30分あれば片づくことなのだが、せっかくだからウォーキングとする。
中津〜天六〜桶之口町で用事終わり、ついでにさらに東へ歩く。
都島橋を渡って、大川沿いに南へ。
環状線の橋梁下、今年2月7日に大阪環状線の鉄橋下で火災が発生、環状線が2時間ほどストップした事件がある。
その現場見物。
廃品回収業者が「不法占拠」しているらしいのだが、ここには前から中華料理店みたいな名前(なんとか苑だったかな)の看板が出ていた。これが「宗教団体」で、「水辺でしか執り行えぬ宗教儀式のため」と立ち退かなかったらしい。
看板は見当たらない。「聖地」はどこかへ移転したのだろうか。
源八橋を西へ渡って、OAPの北側を通り西天満へ。
本日もハチに寄ってコーヒー。
ここから北へ歩いて帰館。休憩時間含めて3時間。
歩行計の表示は8681歩で約7q。てっきり1万歩は超えたと思ったが。
夕刻まで、ちょっと歩行の意味について調べてみる。
要するに「日常生活での消費カロリー+意識的歩行による消費カロリー」と「食物による摂取カロリー」の比較で、太るのかダイエットするのかを調整するらしい。
消費カロリーの係数は年齢と体重で決まる。
おれの場合、ダイエットのためでなく、足腰が弱るのを防止するためなので、無理して1万歩を歩く意味はないようだ。
机時間の長い穴蔵生活では意識的に歩き、下男仕事とタイムマシン作業がメインの龍野では散歩程度でいいようである。
禁欲的になる必要はない。
ということで、夜は久しぶりにビール一杯。
大相撲「結びの一番」が面白くないというか期待はずれというか、その自棄酒でもある。
3月15日(木) 穴蔵
穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
運動不足が心配で、午後、紀伊国屋書店往復。
お、本日はよく歩いた! 6962歩……と思ったら、逆さまに見ていた。2969歩であった。
ま、こんなところでいいではないか。
テレビでニュースを見る。
学生野球の選手が職業野球から金を貰っていたという告発的報道。
おれはナベツネの「たかが選手」発言以来、職業野球にまったく興味を失って、選手名もあらかた忘れてしまった。
有望な選手に金を渡すくらいかまわんというか、あたりまえのことではないか。
興業なんだから。
そういえばナベツネがからむ大相撲も似たようなもの。ナベツネは興行師の親玉か。
職業野球といえば、『あなた買います』を思い出す。
穴吹がモデルだった。いちばん印象的なのが多々良純演じるスカウトのセリフ。
ギリギリのところで裏切られてスラッガー獲得に失敗する。
「きたねえなあ」とぼやく同業者に、吐き捨てるようにいう。
「アホか、わしらは仕事で負けたんや……わしの仕事は、あいつをデッドボールで殺すピッチャーを探してくることや」
たまらんなあ。これぞプロの本質。
職業野球、かくあってほしいもの。
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