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『マッドサイエンティストの手帳』394

●マッドサイエンティスト日記(2007年2月前半)


主な事件
 ・産む機械(5日)
 ・高取峠へ行く(12日)



2月1日(木) 播州龍野の日常
 老母をI医院へ連れて行く。
 血圧もK値もまあまあであった。
 I先生、老母に、インフルエンザの患者が昨日出たから、帰宅したら、必ず手を洗いウガイをするようにと注意。あと、おれに、
 I先生「SFで鳥インフルエンザを書いたのはありますか?」
 おれ「いや……たぶんないでしょう」
 I先生「鳥インフルエンザとインフルエンザのリンケージが危険で、これをSFにしませんか」
 おれ「うーん、『復活の日』がありますからねえ」
 I先生「あの、インフルエンザにウィルスをからめるアイデアは凄いですね。ただ、鳥インフルエンザの場合は……」
 I先生、なかなかのSFファンなんだなあ。
 次の患者が待っているので2分ほどでやめる。
 患者のほとんどは老人(おれから見ての「老人」だから、ほとんど75歳以上)、SFの話をしているとは思わないだろうけどね。
 午後はタイムマシン関係の雑事多し。
 夜、老母が寝たあと、トーストに辛明太子を載せて、ワインちびちび。なかなかのものである。
 21時半頃のNHKニュースで、横浜のジャズ喫茶「ちぐさ」閉店が報じられる。
 これはまったく知らなかった。日野皓正登場、追悼トランペットを吹く。最後のレコード(ビル・エヴァンス「星影のステラ」)までを紹介。いいニュースである。
 NHK、ウチ(大阪も龍野も)はちゃんと払ってるよ。

2月2日(金) 播州龍野→大阪
 午前5時、西の空に赤々と月がかかり、庭には雪がうっすらと積もっているのであった。
 キンタマはビー玉大に収縮しているのであった。
 冬らしいのは「大いに結構」なのであった。
 キタの御仁はアホなのであった。
 わけがわからんうちに、身内来たりて交替、昼前の姫新線で姫路へ移動するのであった。
 本日の昼飯。
 駅そばはやめて、新生軒のラーメン。この塩からさが体に悪いと知りつつたまらんなあ。
 午後帰阪。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
 今年最初の「SF検討会」を開催する。
 むさしくん、ラジオではしゃべれぬネタその他色々、約2時間、また楽しからずや。
 大阪は暖かいなあ。
 寝る。

2月3日(土) 穴蔵
 ぐへっ、肩が凝って動くのが面倒な。
 昨夜、酔っぱらってコタツで寝てしまい、深夜に布団に移行したのだが、変則的な姿勢が悪影響したようである。
 朝食のみ「自宅」へ行き、あとは終日穴蔵で寝ころんで本を読む。
 今頃だが、萩原遼『北朝鮮に消えた友と私の物語』(文春文庫)に戦慄。
 つづけて、とり・みき『街角のオジギビト』(筑摩書房)のネーネングの妙と分析の緻密さに感嘆。
 さらに、エドモンド・ハミルトン『鉄の神経お許しを他全短編―キャプテン・フゥーチャー全集11』(創元SF文庫)を拾い読み、その奔放な想像力を再確認。
 これらについては、改めて……。
 夕食後……テレビで『マトリックス』最終篇をやっとるようだけど、2作目を見てないのでパス。時間的に起きてるのは無理だし。そのうちDVDで見よう……と思いつつ、結局は見ないままになりそうな。
 おれにはハミルトンの文章が想起するイメージの方が刺激的なのである。
 そろそろ、きちんと寝る。

2月4日(日) 穴蔵
 朝食のため「自宅」へパジャマの上に防寒着を羽織って往復。
 早朝だから可能なのである。
 あとは終日穴蔵。
 読書、CD、DVD。
 昨日と同じパターンである。
 終日パジャマのまま。
 夕食のため、またも「自宅」へパジャマの上に防寒着を羽織って往復。
 夜、ボンクラ親父の息子その1から電話、引越を考えているが、おれの上京時に不便だとまずいかという問い合わせである。
 気遣いはありがたいが、そんなことは優先事項ではないはず。
 引越の候補地を聞けば、なんと、新宿にも鳥正にもアケタにも戎にもグズラさんにも小林真人さんにも近い、願ってもない場所ではないか。次の上京は引越の手伝いとなるか。
 もう寝るのである。
 明日は少しは歩くことにしよう。

2月5日(月) 穴蔵/「産む機械」/ウロウロ/1秒の社会
 朝のニュース番組、地方選の勝敗どうたらから始まって、またも延々と柳沢厚労相の「産む機械」発言についてやっとる。
 わが情勢判断をいうなら、民主はあと2、3日で反感を買うぞ。
 インテリ源ちゃんが、この問題についてド・ラ・メトリーの『人間機械論』を引き合いに論じている(週刊現代)。
 へぇー、わしゃメトリーなんてまったく知らなかった。
 源ちゃんの主旨は「国は明治以来、国民を機械としてしか見ていない」というもの。
 まったく、その通りである。
 柳沢の場合、政治家としてつい「本音」が出てしまったということだろう。
 『人間機械論』といえば、おれの場合、ノーバート・ウィーナーである。メトリーはデカルトを敷衍した人間機械説、ウィーナーは人間=有機的情報処理システムで、柳沢くんの発言は、有機・無機、どちらに解釈しても同じではないか。……ただしウィーナーの原題は「人間の人間的な利用」(The Human Use of Human Beings)。これ、別にヒューマニズムの視点から書かれたものではない。
 柳沢くんは「機械」にたとえたが、「有機体」といっても「肉体」といっても「ふつうの女性」といっても、おれには同じとしか思えない。人間をどのようなモデルで理解するかの違いだけである。
 おれは(ここだけの話だけど)ウチにいるの、自立型【掃除機+洗濯機+調理器】としか見てないものね。それが「出産機」も兼ねてしまったのだけど。嗚呼……
 あ、柳沢をかばう気は毛頭なし。
 「がんばって子供を産め」ということがおかしいのである。国に命じられることか。
 そして、これは政権が野党に変わろが、同じことではないか。
 民主がいつまでも「失言」に拘泥していると、ますます支持を失う。本音はお前らも同じだろうが。
 と、朝から、アタマがおかしくなることばかり。
 晴れた空、ほとんどそよがぬ風。
 好天なのであった。
 午前9時から歩く。
 月末の決算関係あり、梅田の銀行・郵便局・その他ウロウロ、約1時間半。
 快晴で気分よく、このまま散歩したいが、バックに通帳○冊……全財産を携行しているようなものであり(荷風のおっさんは毎日そうだったのだが)、いったん帰館。
 午後、久しぶりに自転車でウロウロ。
 近所で数ヶ所、マンションや商業ビルの工事が進行しているが、「オジギビト」が見当たらない。寂しいことである。
 「ジャズの専門店ミムラ」に寄る。
 この前も工事中で、やっぱり「オジギビト」はいない。
  
 この工事中の建物、完成間近……昔「サカサクラゲ」「連れ込み」といわれた娯楽施設になるらしい。楽しそうだなあ。ミムラの斜め向かいもご同業で、昼間から「満」表示が多い。そう広くもない通りを隔てたところで数十人が昼間から組んずほぐれつしていると思うと、不思議な気分になる。一度行ってみたいものである。
 ミムラさんに聞く。
 近所に○ブ専があるらしく、「幅1メートルほどのガラス扉から見ているだけでも、色々あります。朝10時頃からすごい○ブが若いのやら年寄りやら連れて行きますからねえ」
 1メートル幅の視界を通過するのに約1秒。
 そこに社会の縮図が見えるのである。

2月6日(火) 穴蔵/ハチ/ウィーナー
 げ、またも酔っぱらって変則的な寝方をしてしまった。
 午前3時に目が覚めて、正規に寝直し。
 午前6時まで寝るが、肩や首筋がおかしい。
 穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
 昼、所用あり、歩いて梅田へ。
 ハチでランチ。
 4月上旬の陽気とか。
 ハチから南森町まで歩いて日本橋の部品屋へ行くつもりだったが、防寒着にパッチ着用しているものだから、さすがに寒がりのおれでも汗ばんでくる。
 日本橋は後日にして引き返す。
 紀伊国屋でウィーナーの評伝『情報時代の見えないヒーロー』をちょっと立ち読み。
 面白そうで、迷うが、図書館で、とする。金がないからではない。2800円だから買ってもいいのだが、この年になると、その後どうするかに迷ってしまうのである。誰か読みたい人があれば回すのだがなあ。
 本は買わずに図書館で済ますとは、一応作家という立場上、発言しにくいことである。書物に金を惜しむ気はないが、この歳になると、保管や死後の処分に気を遣ってしまうのである。
 図書館で借りて、著者と訳者に280円が渡るシステムができればなあと思う。
 帰路、北野教会の庭のベンチで休憩。わが住まいの近く、都心のオアシスである。
 
 場所がら、神について考えてしまうなあ。
 ウィーナーの『科学と神』の内容が思い出せない。
 『人間機械論』も『科学と神』も『サイバネティックス(第2版)』も龍野の実家にあるはずだが、発掘するのが面倒な。数年前、サイバネティックスを確認しようとして、紀伊国屋にもジュンクドーにもないのに驚いた。デカルトやカントが書店にないような驚きであった。……評伝『情報時代の見えないヒーロー』を買うのをためらったのは、おれがケチだからでなく、気になって原典に当たろうと思っても、それが出てこないのも理由のひとつ。
 ややこしい年代になったなと思う今日この頃である。

2月7日(水) 穴蔵/日本橋/その他
 本日も春の陽気なり。
 穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
 午後、昨日のつづきで日本橋へ。
 昼は「黒門ラーメン」……体によくないのであるが。
 黒門市場から南下して、ナニワネジ〜三重電業〜シリコンハウス、途中、シマ無線などでオーディオ関係なども見る。南端のニノミヤムセンが更地になっているので慌てる。日本橋、急激に変わっていくなあ。
 また北へ引き返す。ニノミヤの本店地下に「パーツランド」ができていた。ほっ。部品関係の売場がなくなると困るのよねえ。
 相棒の某君と合流して某社へ。
 タイムマシン関係のソフトの打ち合わせ。
 不思議な縁で長年のつき合いとなるH氏から色々とレクチャーを受ける。
 98時代というかMS-DOS時代に、アセンブラーでなんたらHEXにかんたら8085にROMライターでどうたらしたプログラムをXPでこうたらとかしようというのである。
 意外に便利なフリーソフトがあるらしい。
 光明が見えてくる。
 わしの場合、もうボケが進行していて、98機は保管してあるものの、config.sysがどうとか、まるで思い出せないものねえ……。
 帰路、旭屋に寄って、やっぱり『情報時代の見えないヒーロー』を購入。
 読みたい本を我慢するのは空腹に耐えるのについでストレスが大きい。兄にメールしたら興味ありという返事で、引取先も決まったのであった。
 柳沢「産む機械」発言があったおかげでこの本の存在を教えてもらったわけで、なんだか柳沢くん、そんなに悪いやつじゃない気がしてくるから不思議だ。
 明日、明後日の楽しみである。
 夜、ビール飲みつつNHK「クローズアップ現代/危ない自転車」を見る。問題点の指摘だけで結論はなし。歩道を走行する自転車を取り締まるのが第一ではないか。
 おれは徒歩をメインとする。

2月8日(木) 穴蔵/異形コレクション
 終日穴蔵。
 のつもりであったが、雑用あり、午後2時間ほど出かける。
 ハチに寄ると、なんと20年ぶりの懐かしきメンバー。
 リタイア後、次の仕事を立ち上げるまでの準備期間中……らしい。
 ハチでは最近このパターンが多いなあ。
 話題は親の介護。これも共通している。
 モラスキー氏の研究が待たれるところだが、日本のジャズ喫茶というのは50年代の「学校」からはじまって「寺」→「スーパー」→「博物館」と変遷して、21世紀は「養老院」になるのではないか。
 夜はおでんでビール、みりん干しで湯割り。
 『異形コレクション讀本』を拾い読み。
 スタートしてもう10年になるのか……。
 井上雅彦さんと染宮さんが来て、関西のホラー・ミステリー・SF関係が集合、刺激的な議論を交わしたのが98年のバレンタインデーであった。……つい先日みたいな気がするが、以来、850篇が書かれたとは。
 井上さんの仕事、たいしたものだと思う。

2月9日(金) 穴蔵/土佐日記
 曇天なり。昼前から小雨となる。
 旧「NULL」時代からの知り合いS田さんから電話あり、昼をいっしょにということになる。
 1965年頃の小松さん関連の資料が残っていればと依頼していたのである。
 グランドビル上層の土佐料理の店で少し遅めに「土佐日記」という昼会席。
 「どろめ」が入ってまっせというので、それももらって(絶品!)ビール、あとは「土佐鶴」。昼酒は久しぶりである。
 
 窓際の座敷、北ヤード方面の眺望はよいが、本日は靄っておる。
 七景は霞の中に三井の鐘。
 ……残念ながら小松さん関連の資料は阪神大震災(S田さんは武庫川東の川沿いマンションで被災/尼崎だから倒壊はしなかったが大きく亀裂が入ったという)後の引越しで不明になってしまったらしい。幻の「アニメ台本」結局不明である。
 あとは2時間ほど雑談。
 S田さんの年齢がわかってしまうが、おれの興味で「集団疎開体験」を根ほり葉ほり聞く。堺市内から徒歩圏(8キロ先くらい山側)という変な疎開で、歩いて帰れる場所だけに、空襲で焼け死んだ同級生が多いという。
 ほろ酔い以上で、フラフラと歩いて帰館。
 夜は軽食でワイン少しだけ……のつもりがハーフボトルを飲んでしまった。嗚呼。

2月10日(土) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 昼前に老母を連れて、スーパーの花卉売場で菊やシキミを買い、墓参に行く。
 亡父の命日。もう20年を過ぎている。
 不思議にこの日は暖かいことが多く、今年もそうであった。

2月11日(日) 播州龍野の日常
 下男(おとこし)仕事を片づけて、あとはほぼ終日書斎にてボケーっと外を眺めて過ごす。
 来週の創作サポートセンター講義のため資料の作成。
 「SFの書き方」を2時間でというのはどうしても無理があり、方式を変えてみることにする。
 もともとおれは「SFしか書かない(書けない)」ので、そのSFのエッセンスを2時間で話すつもりでやってきたのだが、SFはエンターテインメント全般の中の1ジャンルであるし、SF的手法も学んでみようという生徒の方が多い。ファンタジーやホラーとどう違うかを明確にする方が有効と思えてきたのである。
 色々悩む。決定的な方式の開発には至らず。活字SFに目覚めてから半世紀近く経過しても、まだSFがよくわからんということか。ま、まだおれも発展途上なのだと自分を納得させるしかない。
 運動不足なので、夕刻近く、揖保川沿いに上流へ30分ほど歩く。
  
 冬型気圧配置で北風が強いという予報であったが、本日も暖かく、川面は穏やか、もう春である。
 おれほどの寒がりがいうのだから間違いない。
 「エベレストを征した下着」、今年は出番なしである。

2月12日(月) 播州龍野の日常/峠の群像
 本日も春の陽気である。
 下男(おとこし)仕事のあと、天気がいいのでちょっと出かけることにする。
 前からちょっと気になっていた赤穂方面へ。
 相生港行きのバス経路をたどると自然に相生まで行ける。「道の駅・白龍城」まで25分。IHIの向かい側である。学生時代、実習でタンカーの溶接をやったところだ。今は船はたぶん造ってないのであろう。
 ここから高取峠を越える。上り坂で時速50キロというのは、後に強面のクルマにつかれると怖いねえ。
 高取峠からは千種川、赤穂線、そして彼方には赤穂湾が見える。
 
  早春の峠のみちは明るくて
  もろ木の芽ふく匂ただよふ

 これは老母が敬愛していた犬飼篤子さんの詠進歌である。
 高取峠の雰囲気はまさに早春なり。
 忠臣蔵で実際に江戸からの早籠が走ったのは旧街道で、最近復元整備が完了、月末には義士ゆかりの旧街道ウォークがあるらしい。おれにはとても無理だが。
 こんな険しい峠、ぶんきちくん、「西日本編」でよくぞ踏破できたものである。
 高取峠を越えると、懐かしきU社の坂越工場。
 
 四半世紀前、ここはビニロン工場であった。排水を利用して「テラピア」を養殖していたなあ。……淡水魚、刺身で食べたけど、確かに鯛と区別できなかった。以来、寿司屋で白身を食べることはなくなつたけど。
 赤穂市内には行かずに引き返す。
 坂越側から見ると、高取峠の採石場が荒々しい雰囲気である。
 
 周辺を散歩。
 『どぶろくの辰』のロケ地を思い出すなあ……。

2月13日(火) 播州龍野の日常
 下男(おとこし)仕事以外に、書斎とタイムマシン格納庫で少しは仕事もするのであった。
 夕刻に近い午後、揖保川沿いに下流へ30分ほど散歩。
 下流へは河川敷を歩けるようになっている。
 ぎょ。
 
 たぶん一昨年の洪水で流れてきた流木であろう。
 「遊星からの物体X」を思い出すねえ。

2月14日(水) 播州龍野の日常
 久しぶりに雨、強風が吹く。春一番らしい。
 雑事多し。
 半日、老母の確定申告の書類作成。医療費控除なんてどうでもいいことが判明する。
 田舎の夜は早く、老母は19時に風呂から上がってベッドで本を読み始めた。
 20時前に寝てしまうのである。
 おれも晩酌はいっしょの時間だから、もう眠い。
 たぷん21時前に就眠である。

2月15日(木) 播州龍野の日常
 早寝したものだから、またも午前3時前に目が覚める。
 ど田舎でこんな時間に目覚めてもなあ。
 朝まで「文藝春秋」2月号を拾い読み。芥川賞作品は後回し、手嶋龍一の北朝鮮記事を読むが……「インテリジェンス」というのは、その裏を想像すると、この記事自体がまた怪しいってことになる。マユツバと断定はしないけど、結局はヨタ話としか読めなくなるのよね。
 午前7時頃に日が昇ってから下男(おとこし)仕事色々。
 その後、少しは自分の仕事もするのであった。
 昼前に税務署。老母の確定申告。してもしなくてもいいレベルのことなのだが、長年の習慣である。
 午後、母が美容室へ行きたいという。
 たつの市の超優良美容室「アポロ」へ連れて行き、ごちゃごちゃやってもらっている間、おれは運動不足解消のため、揖保川の堤や河川敷を新龍野大橋まで1時間ほど散策。
 南の方から眺める鶏籠山もなかなか。
  
 堤防沿いの道、風が強いが、春風である。名も知らぬ小鳥が小枝にとまって揺れておる。焼き鳥にすれば旨そうな。
 春風や家近うして鳥うまし
 なんのこっちゃ。
 夕刻、われながら絶品の和食を作る。老母も喜んでくれるが……こんなことに喜びを覚えてもなあ。おれは「人間の屑・今岡清」みたいにはなりたくない。ガキのお弁当作ったり女房のでかいパンツを洗濯するのが男の仕事かねえ。あ、過去形か……と、こんな気分になるのも、ど田舎生活が我慢の限界に近づいてきているからであろう。
 健康にはいいのだが、あと1.5日の我慢。

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