『マッドサイエンティストの手帳』393
●マッドサイエンティスト日記(2007年1月後半)
主な事件
・敦賀へ行く(16日)
・大阪国際女子マラソン(28日)
1月16日(火) 敦賀へ行く
朝のラッシュが終わった頃に、専属料理人と歩いて大阪駅へ。
発作的に……というか、「青春18」切符の消化のため、出かけることにしたのである。
青春18は大阪〜播州龍野往復に便利なので毎シーズン利用するのだが、今回は移動が変則的になって、20日の期限に余りそうになった。
新快速が敦賀まで延長されたので、敦賀へ行ってみることにする。
かんべむさし氏の大学時代思い出の地である。
おれはボンサラ時代、仕事で5、6回来たことがあるが、駅に近いT社の工場だけである。駅前通りは200メートルほどしか歩いたことがない。
昼過ぎに到着。25年ぶり……もっとかな。
駅前通りは広く整備されているが、人気はない。
鮮魚店「魚辻」……これは昔阪神タイガースにいた辻捕手の店で「ヒゲツジの店」という看板が出てなかったっけ。
ちょっと先の「まるさん屋」(土産物屋の2階)で昼飯。煮魚定食に刺身を追加してビールを一杯。
この店までは来たことがあるのだった。
昼食のあと、人気のない商店街(駅前商店街〜本町商店街)を歩く。
「雁木」みたいに歩道に立派なアーケードが作ってあるが、半分以上はシャッターを下ろしていて、ひっそりとしている。
地方都市であるなあ……。
その広く長い商店街の両側に「松本零士のモニュメント」が並んでいる。「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」のモニュメントで、全部で30点近い。
これは知らなかった。松本零士さんは敦賀生まれではないようだけど、どんな縁なのか。
ちょっと気になったのが、宇宙戦艦ヤマトの方に「COSMOSHIP YAMATO」と表記してある。これはオーソライズされているのだろうか。
おれの記憶では、輸出するのに(「アトム」がまずかったのと同様)戦艦「Battle Ship」はまずいから「Space Cruiser」と表記されたはず。1970年代かな。あと、「Star Blazers」もあったとかいうが……?
COSMOSHIPってのはどうかなあ……などと愚考しつつ、20分ほど歩いて敦賀港へ。
なんてことない港であった。ここもひっそりしている。
原発を見に行くにはクルマでないと難しそうである。
港湾や倉庫周辺をウロウロしていると北朝鮮の工作員と間違われかねない。
気比神宮という立派な神社に寄って敦賀駅に戻る。
新快速で、夕刻、大阪に戻る。
敦賀に落としたお金は昼飯代+専属料理人が賽銭箱に入れた5円玉だけ。
大阪は小雨であった。
1月17日(水) 穴蔵/市内ウロウロ
定刻4時起床。
小雨が降りつづくのであった。
「この日」はやはり朝6時前に神妙な気分になる。
テレビは関テレだけが早朝特番を組んでいた。
『朝ミラ』冒頭でかんべ氏が、阪神大震災の朝、知人が火災現場から這いだしてきた赤ちゃんを助けて、自転車の前カゴに乗せて長田区から明石まで逃げた顛末を紹介していたが……おれも間接的に知っている人で、当時聞いて仰天したエピソードのひとつ……あの赤ちゃんももう中学生、元気に成長してほしいものだ。
全国的には、相変わらずの不二家の杜撰きわまりない品質管理騒動の報道……おれは甘いものは苦手だし子供も菓子離れしているから、わが家族が不二家製品を口にすることはなく、何の関係もない事件なのだが、なぜか残念というか無念というか、不思議な憤りを覚える。昔の勤務先の不祥事とはちょっとちがう。
なぜかと思ったら、この微妙な感情を冬樹蛉さんが見事に表現されている。そのとおり、製品を口にしないにもかかわらず、「不二家文化」はノスタルジーとして心の隅に残っていたのだろう。
世代的には、おれの場合「カバヤ・キャラメル」と「カバヤ文庫」だ。カバヤを不二家に置き換えると、この無念、痛切なまでに理解できる。
逢えなくなって初めて知った……なんてフレーズが出てくるねえ。
穴蔵にて雑用。
昼、雨がやんだので、散歩を兼ねて、専属料理人と25分歩いて長柄東の「Sano惣」へ。
おれは上トンカツに1コロ。専属料理人はビフカツ+1コロで、ちとボリューム過剰であったか。
専属料理人の意見……コロッケはおいしいが、カツのソースは「焦げ味」がちょっと強すぎる、コロッケを買ってきて自家製ソースがベストではないか。うーん、そんなものか。
天六まで歩き、おれは地下鉄で日本橋へ。
部品屋を回ったあと、Musicraftに寄ってコーヒー。
林さん、新聞の通販広告を見ていて「これは売れまっせ」という。
「TEAC GF-350」である。
LPをCD化して保存するのに、オートトラックもついていて、機能的には申し分ないが、中国製、3スピード同じピックアップで対応では、音質は期待できそうにないなあ。
3分ほど迷ったが、やめとく。
昼が重かったので、夜は、食は少なく飲は普通。
明朝は田舎へ移動、早寝するのである。
1月18日(木) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
明石〜加古川間、霧ことのほか深し。『十三人の刺客』のチャンバラ・ムードである。
電車は10分遅れ。姫路で姫新線への乗り換え時間が短くなり、朝飯代わりに「駅そば」のつもりだったのが、時間なし。残念。……が、姫新線も「連絡待ち」で出発が10分遅れる。嗚呼……。
ということで「播州龍野の日常」開始。
タイムマシン作業も少しはするのであった。
1月19日(金) 播州龍野の日常
田舎は寒い。テレビでは3月中旬のなんとかいっとるが、キンタマは収縮しているのであった。
下男仕事、タイムマシン仕事、それに加えてSF関係の仕事もするのであった。
ど田舎にしては忙しい日であった。
播州龍野における夕食は18時である。
18〜19時、NHKは「ニュース神戸発」という神戸制作のニュース番組になる。
これは、龍野にいる限り、ここ3年以上見ている、というか見るしかない。老母の愛好番組(井上二郎アナが好きなのである)であるからなあ。
金曜はトアステのジャズ・ライブがあり、本日はピアニストの安藤義則氏登場。
「SEA WINND」という曲を弾く。これは「ニュース神戸発」のオープニング・テーマで、毎日10秒ほど流される。安藤氏の作曲という。……知らなかった。けだし名曲である。
で、食器洗いなど下男仕事をすませて、水割りでも飲むかという気分になったところでNHK、20時から地方制作「関西JAZZ」という特集番組。
金曜午後8時に、よくやったものである。
小曽根実、古谷充などおなじみおっさん連中勢揃い。
よくこんな企画が通ったものと感心するが、演奏中にインタビューをはさむなど、中途半端な演出である。
水割り飲みつつ見るには、まあまあの番組なのであった。
早寝するのである。
1月20日(土) 播州龍野→大阪/納豆/創サポ
スーパーへ買い物に行く。
こんな田舎でも「納豆ダイエット」の影響で、納豆は売り切れである。この現象、全国的らしい。
つくづく日本は愚民国家だと思うねえ。
同時に「ダイエット・マーケット」の大きさを実感する。
おれは毎朝(和食の場合は)食べるのだが、こうなると納豆を買うのが恥ずかしくなる。
おれは好きに飲み食いして、この30年、体重も体型もほとんど変わらない。これは体質であろう。だからダイエットの必要性も感じない。そういう立場からいうのもなんだが、ダイエットの要諦は「食べないこと」である。人間、食わなきゃ痩せる。北朝鮮を見れば、太ってるのは例の親子だけではないか。
食わなければ健康によくない……当たり前である。が、健康的なダイエットなんてあるのだろうか。あ、あると錯覚してしまうわけか。
などと愚考していたら、「納豆ダイエット」のデータは捏造であったという発表。
「あるある大辞典」という番組は見たことがないが、誇張どころか捏造であったとは。
で、これを発表した関テレ、即刻番組の打ち切りを発表しないのが不思議でならない。東大教授のデータ捏造以上に社会的影響は大きいのである。ま、納豆2パック食ったところで健康被害は出てないだろうけど。
番組の打ち切りは必至。この流れが読めない関テレ経営者のアタマも納豆並みに粘っていると断じざるをえない。
午後の電車で大阪へ移動。
夕刻から天満のエル大阪で「創サポ」の専科講義。
時代物長篇があり、これはある水準を超えている作品、ただ作者が山手樹一郎を意識しているところあり、時代に合うかどうか。気になって旭屋の文庫売場を見たら、山手樹一郎は約60刊が今も並んでいる。時代小説の読者層は厚いなあ。
1月21日(日) 穴蔵/毛馬散歩
わ、目覚めれば朝6時半。久々の朝寝である。
昨夜の夜更かし(23時過ぎ)と暖かさのせいらしい。
7時過ぎに「自宅」へ行ったら、専属料理人が朝の散歩というか「ウォーキング」に出るところだった。
ということで、いっしょに散歩することにする。
淀川堤を上流に歩いて、毛馬閘門まで。
閘門の上を渡って、蕪村の句碑で大川側に曲がり、毛馬橋経由で戻る。
毛馬堤周辺にも高層マンションができる気配である。
1時間15分……約5キロか。
特に疲労もなし。健脚の部類なるや。
朝食が午前8時半になる。
あとは終日穴蔵。
「再校」の最終的な直しがあり、午後FAXとメール。
これでなんとか手を離れた。
「次」にかからねばならんなあ……。
夜、ブロッコリやアスパラなど野菜ドバドバのパスタでワイン飲んでいたら、宮崎知事選、「そのまんま東」当確のニュース。へぇ〜〜〜。
他県のことだから、とやかくはいうまい。たぶん他の候補より「まし」だったのだろうな。ともかく全国的に官僚あがりが悪過ぎるのだ。
県議との対決が楽しみであるなあ。
1月22日(月) 穴蔵/近所のうどん
終日穴蔵。
本日は仕事せず、年末にやらなかった大掃除……のつもりであったが、面倒になってきた。読みかけの本が色々「発掘」できたので、雑読。
パソコンが時々フリーズするので、ハードディスクのデータを整理、CD-R10枚ほどに移す。龍野との往復には512KのUSBメモリーを使ってきたが、少し不便になってきた。
ポータブルのハードディスクにすべきか。
昼、徒歩3分のところにある手打ちうどんの店へ行ってみる。
昨年8月に出来た店らしい。いつもの通り道ではないので最近まで気づかなかった。
専属料理人のいうには「あんちゃんみたいなのがやってる」店らしいが……。
「たけうちうどん店」
確かに店主らしき人は若いが30代前半か?
昼のセットメニュー「きつねと錦松梅ごはん」650円を試みる。
むむ、これはなかなかの実力。讃岐系ではない。やわらかく、出汁もいい、大阪系。重量感のある丼にかなりのボリューム。……生醤油やなんとかのぶっかけとか、他にもうまそうなの色々。また来ることにする。
帰館して調べてみると、大阪讃岐うどん情報の「255」で紹介されている。さすが。
このすぐ南の交差点には「讃州」という讃岐系の店が昨年5月に登場?……ここは前の「得々」が改装された店ではないか。
うちの近所、知らぬ間にうどん屋が増えているのだなあ。
散歩してみるものである。
ということで、夕刻まで片づけごとのつづき。
夕刻テレビ(ムーブという関西の番組)を見ていたら、宮崎哲弥が「納豆ダイエット」捏造番組に関して、それを製作した「日本テレワークには野田昌宏さんという方がおられたのに」と発言。そう、過去形なのである。アホばかりが残ったのだろうな。
夜は専属料理人に色々並べてもらって晩酌。
本日は、鯖の梅肉煮、大根と厚揚げの煮物、若布とネギのゴマ油炒め。
軽くビールのあと、父の形見の備前焼徳利で熱燗。たまらんなあ、ダイエットの必要なしというのはよ。
ということで、早寝するのである。
1月23日(火) 穴蔵/扇町周辺ウロウロ
穴蔵にて粛々と雑事を片づけるのであった。
午後、タイムマシンの部品関係のこともあって、自転車で出かける。
スーパーの前を通りかかったので、納豆売場を覗く。ほとんど売り切れ、午後2時にである。どうなっているのか。
青空書房にも寄る。坂本さんと雑談1時間。コーヒーをご馳走になる。
再来月あたりに、店のレイアウトが変わるらしい。
扇町公園を通過する。
青テントを見下ろす関テレのビル。
・大阪高裁が、扇町公園でホームレス氏のホームの住民登録を認めた地裁判決を取り消し、原告側敗訴。判決妥当である。というより一審の判決が異常なのだ。一審判決に原告自身が驚いてたんだから。
・「あるある大事典」の打ち切り決定。それ見たことか。スポンサーが降りるといったからだろうが、判断が遅いよ。
ルン吉くんがいたら、こんな騒ぎに関わりなく超然していただろうな。
ハチに寄る。
ハチママ、1月5日のダウン以来、本日やっと「出勤」という。入院には至らず、まあよかった。大ちゃんが来ていて、ビール一杯。
ミムラ、ヨドバシに寄って帰館。
明日から田舎行きである。
1月24日(水) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
タイムマシン関係と下男仕事色々。
20時に食器洗い終了。
NHK「ためしてガッテン」、カツ丼特集……この番組は(龍野にいると老母はNHKしか見ないこともあって)時々見ているが、なんだか編集が変則的。ふだんの「勢い」がない。「納豆ダイエット」事件を意識してあわてて再編集したのではないか……とはおれの邪推か。
大げさな言辞をカットして、その分、冒頭部分に「予告編」みたいなのをはめこんだとしか思えないのである。あくまでも想像だけど。
本日はスーパーの納豆売り場を見物に行く時間がなかった。
明日は午後買い物に行くことにする。
そろそろ就眠である。
1月25日(木) 播州龍野の日常
田舎の朝は早いのであった。
下男仕事をしていたら夜も早いのであった。
一杯飲んでもう寝るのであった。
1月26日(金) 播州龍野の日常
超暖冬とかいう。確かに昨冬よりも毛布は一枚少なくてすんでいる。
が、午前4時起床、やはり寒い。
炊事・洗濯・ゴミ出しなど必要最小限の作業以外はしないのであった。
書斎は2階、書庫は1階、書庫は寒いので、ちょっと気になることあっても寒い書庫へ降りるのは嫌になる。
書斎にてキンタマをハロゲン・ヒーターで暖めつつ、パソコン置いた机から動かないのであった。
『私説博物誌』再読。「食」に関しては「フウセンウナギ」の章が凄まじい。
午後、バーゲンその他のチラシあり、姫路・飾磨のリバーシティへ行くことにする。
20キロ、35分で到着。
ここはわがボンサラ時代の工場跡地のひとつ。
28ミリでも半分しか写せない。まだ左半分あり、この写真の倍ある。巨大なり。
この地にしばらく寝泊まりしたことがある。すぐ横を飾磨港線が走っていて、機関車の音で起こされた頃が懐かしい。
都心や駅前などの工場跡がショッピングセンターになる例は多い。
おれの勤務していた会社でも3ヶ所。仕事でよく行った他社の工場を含めると10数カ所ある。
時代は変わっていくのである。
日本の製造業の多くは工場をクルマでしか通えない工業団地や山奥に移したが、再利用は難しい。どうなるのやら。わが予想では山間部に廃墟……しかし、産業遺跡としての風情なし。そんなのが全国いたるところに残るのであろう。それはそれで魅力的だが、行方を見届けるのは、おれにはかなわぬこと。作品にできるかなあ。
セーターを1枚買って帰る。
早寝するのである。
1月27日(土) 播州龍野→大阪/なぜ泣くの?
テレビのニュースとかワイドショーとかで、APA HOTELの「名物女社長」が「黒い涙」をドロドロ流しながらゴメンナサイを連発する映像を見る。
不思議な、不気味なまでにわけのわからん会見だ。
女社長がなぜ泣いてお詫びするのか、おれにはさっぱりわからない。
自分の経営するホテルが耐震擬装されていたらしい。
彼女は被害者ではないのか?
詫びるとすればキャンセルしなければならぬ予約客に「ご迷惑おかけします」程度であり、あとは知らずに宿泊していた客に、この間に大地震がなくてなによりでしたと声をかければいいのではないか。
なぜ怒らないのか?
わからんなあ……
などと釈然とせぬまま、午後の電車で帰阪。
夕刻から集合住宅の大規模修繕委員会。
こちらでも耐震診断が話題になるが……ま、やめとこ。
なるようになればいい気分である。
1月28日(日) 穴蔵/大阪国際女子マラソン
冬とはいえど丸裸……というほどの暖冬ではなし。
久々に惰眠をむさぼり、午前中、パジャマのまま溜まっていた新聞雑誌などを読む。
弱い冬の日が差し、天気はまあいいのかな。
昼、専属料理人と大阪国際女子マラソンを見物に行くことにする。
ミーハー的行動だが、おれはいままでマラソンの現場を見たことがないのであった。
テレビ中継では歩道を伴走しているアホが目立つ。実際の現場はどうなのだろうか。競技よりもそちらの興味である。
長居競技場をスタートしたところをテレビで見てから、ぶらぶら歩いて淀屋橋まで35分。
交差点付近はごった返しているが、平野町あたり、歩道にざっと一列に並んでいる程度の混み方である。
13時15分に渋井陽子と原裕美子が先頭通過、あとはずっと遅れている。2分ほど(と思う、ずいぶん長く感じるなあ)して6人ほどの第2集団、さらに遅れてシモンとオラルのルーマニア・コンビが通過していった。
歩道を伴走するアホを見たかったのだが、意外にも、いないなあ。御堂筋、走れないではないと思うが。
マラソンを道ばたで見ていると、要するに「ドラマ性が皆無」。通過するまで、先頭が誰かもわからず、次の集団が来るまでの時間がものすごく長く感じられる。断続的に数人の集団が走り抜けて、それが30分ほどつづく。顔見世か。
長篇ドラマの定点観察とでもいうか、これは小説のヒントを得たような気分だ。
マラソンは、ドラマチックな先頭の中継を見るのでなければ、道ばたで椅子に腰掛けて、バーボンのポケット瓶でも飲みながらボケーッと通過していく「登場人物」を観察するのがいいのではないかなあ。
ま、さほど面白いものではなかった。
ということで、またぶらぶら歩いて梅田。
専属料理人は買い物、おれはヨドバシ、紀伊国屋を覗いて帰館。
夕刻、女子マラソンの結果確認。
復路の大阪城の坂道あたりで変化があるだろうというおれの予想は当たっていた。
見物するなら大阪城かな。
夜は専属料理人に湯豆腐・蕪の煮物・刺身・五目寿司など並べてもらってビール・熱燗。
もう寝るのである。
1月29日(月) 穴蔵清掃
穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
午後、専属料理人がバケツに色々(洗剤とか雑巾など)詰め込んで穴蔵にやってきた。
穴蔵の大掃除である。年末に何もしなかったからなあ。
ともかく「床掃除」をするために、床面占拠している書籍を積み上げ、雑誌類は紐でくくり、CDは棚に詰め込み、雑書類を紙袋に詰め込んで、だいぶすっきりした。
掃除機に吸い込まれた綿ぼこりの多さに愕然。ま、おれはこういう環境に気分よく生息していたわけである。おとなしく、ほこりもたてず。
3時間ほどの清掃作業の後、また少し仕事。
鼻の穴はすっきりだが、かえって気分落ち着かず。
白河よりも濁りの田沼の方がましか。
ま、これから半年はこのままである。
1月30日(火) 穴蔵/戦後日本のジャズ文化
早朝、専属料理人と30分ほど散歩。淀川堤を西へ十三大橋付近くまで。
快晴である。
午前中、少しは仕事もするのであった。
午後、銀行その他の雑件あり、歩いて梅田へ。
大阪東急ホテルが取り壊されて、塀で囲われているが、たまたま一部が開いているので、ちょっと見学。
ロフトの南側、こんなアングルでアプローズが見られるのも今だけであろう。
あとは高層の複合ビルになるらしいが。
大阪東急ホテルが出来たのは1979年で、わが集合住宅より後である。
アプローズもロフトも毎日放送も出来てない時で、わが部屋からもよく見えた。
それが早くも取り壊し。無常を感じるねえ。
紀伊国屋に寄る。
『ユリイカ』2月号の特集が「戦後日本のジャズ文化」。サントリー学芸賞を受賞した、マイク・モラスキーの『戦後日本のジャズ文化』のご祝儀的企画かな。これは2005年に読んだ中ではいちばん面白い本であった。
この特集、モラスキー氏はむろん、山下洋輔、平岡正明、相倉久人、副島輝人氏らは当然として、五木寛之から菊地成孔、チンドン・クラの大熊ワタルその他多彩な顔ぶれが並んでいる。
それぞれ面白いが、そしてまだ全部読んでないのだが、大里俊晴氏の「ジャズ批評の七〇年代」が、当時おれにはよくわからなかった論戦を書誌学的に解き明かしていて、たいへん面白く思った。……サン・ラのディスコグラフィがタイプ(ガリ版?)の同人誌に掲載されていたなんて驚異である。
モラスキー氏は今年から「ジャズ喫茶」(地方含む)の研究にとりかかるらしい。楽しみなことである。
夜は専属料理人がエビや野菜の掻き揚げ中心に色々並べてくれたので、盛大にビール。
明日は田舎行きである。
1月31日(水) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野に移動。
本日もさほど寒くはなく、今冬、まだ「エベレストを制した下着」の出番はないのであった。
ちょっと寂しいね。
タイムマシン格納庫にて英文ドラフト作成。
タイムマシンの「保証期間」の設定は難しいなあ。「体感時間1年間」とすべきか。それとも100年未来で故障したら期限切れで免責されるのであろうか。
午後は実家にて老母の「十首抄」なるものを手伝う。
老母の短歌関係の友人が亡くなられて、こういう場合、追悼として歌友がそれぞれ秀作十首を選んで機関誌に掲載するらしい。ボクサーの十点鐘みたいなものか。力石の葬儀を思い出す。
老母が選び、おれがパソコンで「清書」。
医師だったご主人の介護が長く、そんな生活を詠んだ秀作が多いらしい。
・夫の病照り翳りして看取りする吾に烈しき一夏の深さ
・病む夫と昼餉の麺麭を分かち合う窓に小鳥の諸声とおる
(麺麭は「パン」である。おれ、読めなかった)
短歌の世界はわからんが、こういうのを読むと、なんだかしんみりしてくる。
精進揚げ気分で、夜は水炊きで盛大にビール。
リゾット風の雑炊を作ってワインで仕上げ。明朝は寒いらしいからなあ。
そろそろ寝るのである。
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