『マッドサイエンティストの手帳』55
●聖バレンタイン・ディのホラー大会
新本格派の俊才たちに会う
2月14日夕刻いかなる弾みにやあらむ、東京から井上雅彦さんがやってきたので、関西に生息するSFと新本格関係のメンバーが梅田に集結した。
大きなくくりは「ホラー」ということになるらしい。
梅田のビアホールに十数名。
向かいと隣に座った我孫子武丸氏、芦辺拓氏、小森健太朗氏とは初対面である。が、皆さんSF少年時代があり、ぼくも鮎川哲也はよく読んでいる方だから、初対面という気がしない。論客ぞろいである。……芦辺さんとは、鮎川哲也「死者を笞打て」のSF版構想について話す。ぼくの着想にたいして芦辺氏「それではカタルシスがない」との指摘、直ちにヒントまでいただいた。なるほどなあ。その他、ミステリー・バブルへの危機意識など、教えられることが多い。小森氏は芦辺氏とともに黒岩涙香研究の鬼と化している。「作家が研究までやらにゃいかんという状況が問題なのです」と、ここにもヨコジュンの影がある。そして、我孫子さんはホラー理論を展開しはじめた。このホラーの定義はスリラーと一線を引くかなり狭義のものと思う。が、なるほど面白いし明晰で説得力がある。しかし、怖がる怖がらせるということでどこまで普遍性を持つか。プロックやマティスンを引き合いに議論しはじめたところに、井上雅彦、草上仁、北野勇作が加わって、もう、いつ果てるともない雰囲気になってしまった。こんな風に興奮するのは久しぶりだなあ。
……あとから考えたこと。
怖がる方には年齢が大きく影響する。いちばんはっきりしているのは、子供の時にあになに怖かったものが、成長すると怖くなくなる。が、おっさんになると、別のものが怖くなってくる。 SFの場合、多くの場合、少年のセンスオブワンダーを大人になっても持ち続ける。
「お涙頂戴」はいかん。老人になると涙もろくなるらしい。
「お笑いむはあまり変わらないのかな。落語は特にそうだ。
ホラーというのは、年齢要素が大きく、そのへんに難しさがあるようだ。
我孫子さん、芦辺さん、小森さん、また議論しましょう。
写真は左から、我孫子武丸、井上雅彦、草上仁、牧野修、菅浩江、田中啓文
江坂遊、本間佑、北野勇作、小森健太朗、高井信、芦辺拓の各氏、右端が堀。
わしだけが髪が薄いなあ……。ゲーハではないのだが、髪の質で、文字通り「薄い……厚みがない」のである。嗚呼……。
まだ話したりなくて、菅ちゃんを除く全員が、ストローハットへ移動。またもえんえんとしゃべる。
ぼくは、こんな議論が好きで、20年前なら徹夜も辞さないのだが、さすがに前日までの強行軍もあって疲労してくる。午後10時前に失礼する。
余談。
梅田までひとりで歩く途中、どういうわけか、ポン引きというのか遣り手ババアというのか、客引きのオバハンからやたら声がかかる。カモになりそうな酔っぱらい数名が横にいるにもかかわらず、ぼくの方に「ニイちゃん、ちょつとちょっと」である。ふだんはこんなことない。テキも察して声も掛けてこない。今夜は異常である。……で、7、8人目のオバハンに尋ねた。「やたら声かけてくれるけど、わし、何かおかしいんか?」……と、「ニチちゃん、優しそうに見えるねん」。
本当であろうか。20年前なら、英会話教材セールスマンによく狙われたものだが。
しかし、ともかく尋常ではない。
「新本格」諸氏と議論した後は風俗客引きに声をかけられやすいという何かがあるのか。……我孫子さん、この謎を解いてくれませんか。
ということで、我孫子武丸氏と菅浩江さんのホームページにリンクを張らせてもらうことになった。
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