『マッドサイエンティストの手帳』356
●マッドサイエンティスト日記(2005年10月前半)
主な事件
・永井荷風邸に行く(1日)
・播州龍野の日常(3日〜)
・神戸ジャズストリート2005(8、9日)
・穴蔵の日々(10日〜)
10月1日(土) 東京/荷風亭訪問
東京の「隠れ家」にて朝6時まで熟睡。
ボンクラ息子その1は久しぶりに土曜休みというから、どうせ昼まで寝ているのであろうと、自転車を借りて、猿江恩賜公園など散歩。
天気よく、クルマで「水郷」へ行ってみようかと迷ったが、うまい蕎麦屋があるとかで、「本八幡」に変更する。
「水郷」と「本八幡」とではずいぶん違うが、永井荷風によるつながりである。
水郷のイメージは『墨東奇譚』の終章にちらっと登場する。
本八幡には、荷風の最後の住居がある。
本八幡へは地下鉄で20分ほどなので、そちらへ行くことにした。
総武線駅に近い「一茶庵」という蕎麦屋へ。
午後1時を過ぎて、座敷は空いており、小さな庭もある。
板わさでエビスビール。せいろの大盛り。なかなか。
この店、横の路地に「立ち食いコーナー」というのが別にあるのが面白い。
正確にはカウンターのコーナーだが、急ぐ人はこちらで、少し安いのだという。
京成「本八幡」の北側へ歩いていく。
晩年の荷風が日参した「大黒屋」は、ホームからもよく見える。
こちらでカツ丼を食べてもよかったのだが、浅草・尾張屋の「かしわ南蛮」同様、特別うまいとも思えないので一茶庵の蕎麦にしたのである。
荷風が毎日食べた「荷風セット」というのがちゃんと用意してある。1260円。
横の路地を抜けて荷風の旧邸へ。ここもすぐわかる。
と、ちょうどその路地にカメラ機材など持った5、6人。
細かいことは書かないけど、来年出る新潮社の本の「取材班」である。
ふだんは(ふつうの民家で、記念館ではないから)玄関が閉ざされている(はず)だが、ちょうどいいタイミングだったので、「離れ」として残されている建物の外観を見せていただいた。
頼めば取材スタッフみたいな顔で入れたかもしれないが、ボンクラ息子その1もいっしょだったし、おれもそこまで図々しくはない。
本は楽しみにしてますよ。
せっかくだから、京成で浅草に出て、荷風ゆかりの場所数ヶ所ブラブラ。
夕方、浅草にある「安くてうまい」寿司屋に寄ろうかということになったが、時間が中途半端。
いったん帰館し、夜はお馴染み「たつみ屋」で盛大に酒盛り……ふたりで合計3千なんぼであった。
10月2日(日) 東京→大阪
早朝の新幹線で帰阪、午後は奈良のスイング・フェスティバル2005かミナミのジャズシティOSAKA2005を覗くつもり……であったが、どうにもしんどい。
朝、しばらくパソコンを借りて雑用。
昼前に「築地へ行く」というボンクラ息子その1のUNOで東京駅まで送ってもらう。
都心は空いていて15分で到着。
八重洲ブックセンターを覗いてから帰阪。
穴蔵に戻る。
机やテーブルの上、まるで片づかぬまま。
明日からまた播州龍野行きである。
穴蔵をこのまま龍野に移すべきか……。
10月3日(月) 大阪→播州龍野/たつの市?
早朝から雑件処理。
月末の処理事項も持ち越していたので、昼近くまでかかってしまった。
播州龍野へ移動。
夕方の地方ニュースで「龍野市」が市町村合併にともなって「たつの市」になったことを知る。
愕然。
市役所の看板などを掛け替えている映像が映されたから、間違いではあるまい。
老母に確認する。
「そうらしい」
「いつこんなこと決まったんや」
「知らん」
「誰が決めたんや」
「市議会やろ」
「そしたらここは、たつの市龍野町になるんかいな」
「嫌やけど……」
うーん……
おれは市民ではないから、反対する権利はないのだが。
おれは市町村名のひらかな表記には昔から反対してきた。
カタカナは論外。
ひらかな表記には「やさしさ」「親しみ」が感じられるとかいうが、おれは住民のレベルの低さ(漢字が書けないからふりがなだけ書いた印象だ)と同時に、ナショナリズム、むしろミリタリズムを感じる。
大戦中の中国における軍の駐屯地がどう表記されていたか。
2年前には某新聞のコラムに「さぬき市」をからかって「たぬき市」と間違えられるぞと書いたほど。(どちらもうどんで大差ないけどね)
まさか……自分の故郷がこんな恥ずかしい表記になるとは……。
天に唾するとはこのことであった。
ちなみに、おれは略字も嫌いである。が、姫新線の駅名は「本竜野」である。
反対運動は起きなかったのか?
市会議員も程度の低い連中ばかりだしなあ。
ドル箱・東芝を抱えているから「脱退」した「太子町」の判断は賢明だったといわざるを得ない。
おれは本日、「本竜野」で降りて「たつの市」「龍野町」の実家に来たわけか。
仕事場をこちらに移そうかと迷っていたのには結論が出た。
「たつの市」には移らない。
住民票を移すことはあり得ない。
ただ、生まれた時から、本籍地は龍野である。
本籍をどうするか、迷うところだ。
故郷はまさに痴呆都市である。
10月4日(火) 播州龍野の日常
朝、「燃えるゴミ」を出しに行く。
10月から「透明の指定ゴミ袋」に変わって、本日がその初日。
氏名記入欄がある。誰がどんなゴミを出すのか丸わかり方式。
わが「隣保」は以前から氏名記入であった。袋が透明化されたということである。
レジ袋に入れたゴミを透明袋に入れてはまずいのだろうか。
生ゴミ丸見えは嫌だし、他人が見ても気持ち悪いはずである。
「レジ袋はプラスチック・ゴミの日に出してください」などといわれるのが嫌だから、生ゴミなどは新聞紙に包み直して詰める。
で、行ってみると、山積みのゴミ袋、大部分にレジ袋が入っているのが見える。カップ麺の容器も多数。従来通り、レジ袋のままというのも結構ある。
「指定ゴミ袋」の分だけゴミが増えたということではないか。
どうも「たつの市」のやること、ヤキが回ったとしか思えんなあ。
早くも新米が届く。
おれは、夜はビールを飲むから、ごはんを食べることはないのだが、これだけは別。
晩酌後、一膳のみ。バカうま。
慣れぬことはするものではない。
もたれて眠れず、頭には血が巡らず。
あれっ、そういえば去年の10月7日もそうだったのだ。
年に一度のことだからしかたないか。
「穴惑い」の季節なんだなあ……。
10月5日(水) 播州龍野の日常
秋霖であろうか。肌寒くなった。
コンビニで週刊文春を買ってきた。
野中ともよに関する記事が出色である。
「経営危機」三洋電機を「夫婦で喰いもの」にする野中ともよ会長
「2億5000万円疑惑の顧問契約」
うーん、ありそうなことだ。
コンサルティング料は「利益」から支払わねばならない。2億の利益を出すためにいくら売上げねばならぬか。営業部門の歯ぎしりが聞こえてきそうだ。
中堅幹部の「デザイン部門が開発の現場から離れるなど考えられない。デザインは機能と切り離せないから」という発言など悲痛ですらある。
おれも長年、製造業の開発部門に勤務してきて、しかも(スケールは違うが)似たような経験があるから、他人事とは思えない。
夜、久しぶりに野球中継を見る。
老母が阪神ファンで、最終戦を最後まで見ている。
横で水割り飲みながらつき合う。
下柳が延長10回まで投げ抜き、鳥谷のサヨナラ本塁打で終わる。消化試合とは思えぬ 感動的なゲームであった。
これからの興味は村上ファンドの動きか。
タイガースの上場を提案しているというが、これだけは先が読めない。
阪神ファンの「世論形成」がどうなるのか、見当がつかないからだ。
株主になって球団人事や試合の采配に口出しできるとなると、案外人気を呼ぶかもしれないな。
甲子園は毎日が株主総会になったりして。
村上対ナベツネという構図だと盛り上がるのだがなあ。
10月6日(木) 播州龍野の日常
快晴である。
午前4時の空、澄み渡り、中天にオリオン座。
これは典型的な「冬の星座」である。
午前3時〜4時頃にしか星空を見ないから、わが季節感は4ヶ月ほど先行していることになるのかしらん。
雑役で1日が過ぎる。
10月7日(金) 播州龍野の日常
早寝したら午前3時前に目が覚める。
小便したいが1時間がまん。寒いもの。推定室温22℃。おれには真冬。
4時過ぎに朝刊が届く音がする。
寝床を這い出す。
着替えて(さすがに薄いパジャマのまま屋外に出るのは寒い)朝刊を取りに行くが、苦労して持ってきた朝刊、たいした事件報道なし。
さえない一日である。
曇天……午後には小雨。
ま、しかし、明日は神戸ジャズストリートである。
それに合わせて助っ人が来てくれることになっている。
明日の天気はいまひつとのようだが、今回はニューオリンズ復興支援でもある。
少々の雨、ハリケーンに較べればなんてことないのである。
寒いので、今期、はじめて晩酌に熱燗。
明日に備えて、もう寝るのである。
10月8日(土) 神戸ジャズストリート(1日目)
曇天、天気予報の降水確率は60%である。
播州龍野から神戸に移動。
11時前に三宮北側の広場に着く。
神戸ジャズストリート・1日目である。
雨でパレードが中止になるのではないかと心配していたが、10時半頃に小雨もやみ、決行となった。
パレードについて北野坂の本部前まで。
ここに専属料理人がいて、黄色いTシャツに「北村英治さんのサインを貰った」と喜んでおる。
今年はボランティア(Jazz Crewと呼ぶ)として参加しているのである。
バプテスト教会で受付とCD販売らしい。
ということで、夕方まで、数会場を「迷走」。
神戸ジャズストリートに関しては「ジャズ友」数名と協力してODJCホームページにレポートを書くことになっているので、後日そちらをご参照よろしく。
夕刻のバプテスト教会、ニューオリンズ・ラスカルズの「Jazz at Vespers」で終わる。
年に一度集まるジャズ友と、三宮の「千人入れる」という巨大居酒屋で軽くビール。
左から、名古屋・豊中・神戸・大阪・倉敷メンバーである。
トラディショナル・ジャズのことをしゃべっていたら、あっという間に1時間半。
「夜の部」があるらしいというライブハウスに向かう四氏と別れて、「特別セッション」会場から戻ってきた専属料理人と合流。
これは……ちょっと内輪のことだから、詳しく書かないが、終了後、ボランティア(Jazz Crew)のために「特別セッション」があったのだという。
これは知らなかった。
ウチアゲではない。ボランティアの皆さんは当然ジャズ好きである。百数十人いるが、演奏は聴けない。
そこで、初日終了後、某会場で、ボランティアのために、出演者有志による特別セッションがあるのだという。
これがなかなかいい雰囲気らしい。
いい企画である。SF大会でも応用できそうな……。
わかってたらコンパクト・デジカメを渡しておいたのに。
ということで、やや興奮気味の専属料理人と、餃子の抜群にうまい店で仕上げ。
大阪に帰る。
幸い、傘は持っていたが、一度も差さずに済んだのであった。
10月9日(日) 神戸ジャズストリート(2日目)
わ、6時まで寝てしまった。おれとしては珍しい朝寝である。
11時前に三宮へ。
神戸ジャズストリート・2日目である。
秋晴れで、パレードは昨日より遙かに賑やか。これでなければ。
ということで、夕刻まで、東は北野坂から西はトーアロード、上は異人館通りから下は中山手通りのエリア内を迷走。小走りでよく歩いた。
神戸ジャズストリートについてはODJCのホームページに近日レポート掲載予定なので、そちらをよろしく。
……では愛想がないので、わが「走路」のみ記載。
パレードについて阪急三宮北側→北野坂の本部まで→西南端・NHK神戸放送局(ニューオリンズ・グローリーランド・ジャズバンド)→北東に移動する途中、神戸女子大教育センター(花岡詠二、秋満義孝、細川綾子)に寄る→インドクラブ(ニューオリンズ・レッドビーンズ)→近くの「Basin Street」(清水万紀夫!)→ふたたび神戸女子大教育センター(野良青年団、エーセス・オブ・シンコペーション)→ 「ソネ」の前まで行ったのち→最後は北東端・バプテスト教会(ニューオリンズ・ラスカルズ)
お馴染みのメンバーがほとんどだが、おれとしては清水万紀夫さんのクラリネットを1.5メートルの距離で聴けたのが感激であった。
一方、昨日見かけたフェラリオのCD、傘とデジカメで手がふさがっていたから後で買えばいいと思っていたら、当人の出演している会場でしか販売していないという。
最後の「ソネ」まで駆けつけたのだが、ここにはCD売場は設定してなかった。
ちと心残りである。来年まで待つしかないか。
バプチスト教会前、片づけの始まった模擬店で缶ビール1缶。
数人のジャズ友諸氏と「また来年」の挨拶。
秋の夕暮れで、ちょっとセンチメンタルになるぜ。
北野坂路上で北村英治さんがサイン会続行中。相変わらずすごい人気だ。
道の反対側では右近ちゃんがテナーのケースを抱えて佇んでいる。
北村さんも右近茂さんも、今回は聴けなかったなあ……。
1時間ほどして、ボランティア終了の専属料理人と合流。
昨夜は中華だったので、和風の店を探すが、特に馴染みの店はなし。
なんとなく雰囲気で、北野坂の下の方、階段を上がった小さい店に入る。
カウンターとテーブル2つほどの店。
面倒なのでお薦めのコースでビール……と、これが当たりであった。
刺身も天ぷらも申し分ないが、何よりも静かで、クラリネットが流れている雰囲気がいい。
「有線ですか」と訊くと、店主の趣味でCDという。見せてもらったら、ケニー・ダーバンで、おれの持ってないのであった。
クラリネットが趣味というわけではないらしい。
帰り際、「お薦めはこれですよ」と見せてくれたのが、なんと「TUTエキスキャリバーズ」のCD!
今回、聴こうと思いつつ(ODJJCメンバーバンド優先で聴いたこともあって)「走路」に組み込めなかったフォーク・グループである。(2年前にはちゃんと聴いているけど)
どうやらメンバーのTさんが馴染み?
世間は狭いというか、神戸のジャズ密度が高いというか、「ジャズ割烹」を嗅ぎだすおれの嗅覚が衰えていないというか……。
ということで大阪に戻る。
明日からしばらくは穴蔵生活である。
10月10日(月) 穴蔵/現代の角兵衛獅子か?
終日穴蔵。
雑用もあって久しぶりに自転車で出かけようとはしたのだが、堂山町あたりで小雨となり引き返す。
ボケーっとテレビを見ていたら「13歳のオートレーサー」に「密着取材」しているらしい。どうも母親がゴリ押ししている印象を受けたが、見間違いか。
どんな世界にも神童とか天才と呼ばれる少年少女がいる。
おれはこの真贋を見分ける自信がない。
唯一の判断基準は「本人が好きでやってるのかどうか」だが、これも怪しい。子供に好きなことやらせたら、勉強するより「天才的ゲーム少年」を目指す「神童」が大量発生するに決まっている。
「娘の宝塚と息子のオートバイはとめられない」なんて言い方はもう古いのかなあ。
親や周囲がその才能を見抜いて「英才教育」を受けさせる場合も、本人にとってはそう楽しいものではないはず。これはたとえば『母と神童』を読んで感じたことでもある。
天才児を持つと親はたいへんである。
……などと書くのは、先月の「守口・門真ジャズフェスティバル」で見た「天才少年ドラマー」を思い出したからである。
その時には書かなかったが、おれは(1曲だけ)「共演」した北村英治さんが、舞台でちらっと漏らされた一言がずっと気になっていた。
「(楽屋で)あまり笑わないんだよね」
で、(あえてリンクは張らないが)「天才少年ドラマー」のブログで当日の記事を読んで、おれが見た印象とのあまりの違いに暗い気分になった。
その「日記風の文章」、7歳の少年が書いているのではない。誰か「おとな」が書いている。「極めて主観的に」書かれているが、本当にその少年の心象が表現されているのかどうか。その文体には鼻持ちなぬ欺瞞臭を感じるのである。
共演者がどう感じておられるのかは知らない。おれはそのドラミングに「天才的」なものは感じなかった。少なくとも周囲の「手加減」を感じた。
いや、しかし、才能というのはわからないもの。
やめなさいなどというつもりはないし、その資格はまったくない。
ただ、おれは天才の肉声が聞きたい。
10月11日(火) 穴蔵/図書館
終日穴蔵……のつもりであったが、必要あって、午後、西長堀の市立中央図書館へ。
ネットで蔵書検索したらあるはずの資料、本棚を探しても見当たらない。
返却されたばかりの棚にもなし。
誰かが館内で読んでいるか、持っているか、間違って他の棚に戻されたか……らしいのだが、結局無駄足。
他の本を色々読んでいたら夕方になってしまった。
ついでだから、図書館カードにパスワードと暗号カードの発行を受ける。ネットで貸出予約などができる新サービス。
読者には便利、急いで資料として利用したい立場にとっては不便になっていくような気がする。おれとしては貸出制度はない方がありがたいのだが。
楡周平さんの名言、「図書館栄えて物書き滅ぶ」はますます現実味を帯びてくる。
10月12日(水) 穴蔵/梅田
終日穴蔵……のつもりであったが、やっぱり資料確認したいことが生じる。
ネットで蔵書検索するとキタ図書館にあるらしい。
昼過ぎに自転車でキタ図書館へ……と、17日まで休館である。困ったものだ。
「巡回コース」東回りで、天神橋筋を南下、旭屋に向かう。
途中、扇町公園。
お、ルン吉くんは定位置で瞑想中である。
9月14日以来、ひと月ぶり。
下半身は相変わらず菊千代スタイルのままである。これから寒くなるが、ちゃんと着替えを見つけるのだろうか。
2000年11月の遭遇以来、今度で6度目の冬に挑む。
元気でいてくれと祈るばかりである。
旭屋→ジュンクドー→紀伊国屋と回るが、目的の本はない。
西長堀の中央図書館まで行くのは面倒になる。
穴蔵に戻り、播州龍野の実家にいる兄に電話。
書庫のだいたいありそうな場所を連絡する。
と、折り返し、携帯電話から連絡あり、こちらの指示どおり動いてくれて資料発掘、その場で該当箇所を読み上げてくれた。その間、約3分。コメントまでしてくれた。2時間もウロウロすることはなかったのだ。
便利なものである。携帯電話がでなく、ほとんど無駄なく動いてくれる人間が、である。
これは普通に人間では無理で、長年似たような本を読んで議論してきた間柄だからであろう。
やっぱり本は処分できんなあ……。
10月13日(木) 穴蔵
朝4時過ぎに自転車で梅田へ。
早朝グルメにはあらず、東急インにあるKinko'sでレーザープリンターによる出力。
まだ客引き諸君がウロウロしている中で、ここだけは静かである。
近所のコンビニで宅急便依頼。
まっすぐ帰館。
あとは終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
10月14日(金) 穴蔵
終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。ひさしぶりである。
ビール飲みつつ1時間半ほど雑談。
『哲学的落語家!』が主な話題。
10月15日(土) 穴蔵
終日穴蔵。
雨なので気分は落ち着く。
ドクター中松が「イグ・ノーベル賞」を受賞したが、その受賞対象は食生活の寿命や頭脳への影響を調べる研究で(テーマは極めてまとも/結論が妖しげ)「35年間、食事の写真を撮り続けてデータとして残している」という。(1日1食らしいが)
うーん。イグ・ノーベル賞は嗤われているのか誉められているのかわからん賞だが、受けたのは確かで、中松くんにとっては「名誉」であろう。
ノーベル賞受賞と名乗れるわけだし。
じつはおれも似たようなことやってるのよね。
おれは(目的はまったく違うが……というより、おれの場合、特に目的はないのだが)3食のメニューをすべて記録している(写真ではないけど)。1983年1月1日からだから、約22年。中松には及ばんか。
似たようなことやってるということは思考法も似ているということか?
同類かと思うと嫌だねえ。
だいたいおれは枝雀師匠の論考をパクって改竄した中松の「犯罪的行為」をまだ許す気分にはならんのである。
SF HomePage