『マッドサイエンティストの手帳』315
●マッドサイエンティスト日記(2004年10月後半)
主な事件
・甥・潤之くんの結婚式(16日)
・九十九里浜へ行く(17日)
・滝川雅弘カルテット月例ライブ(19日)
・谷口英治『DONT'T BE THAT WAY』を聴く(21日)
・JAZZ CITY OSAKA 2004(24日)
・播州龍野の日々(27日〜)
2004年
10月16日(土)
久しぶりに専属料理人と上京。
色々と予定が重なる日である。
某講座の開講式と選考を引き受けていてコンテストの授賞式、サンケイホール最後の落語会となる小米朝独演会(これは招待を受けているが)、そこに矢野徹氏の「お別れ会」……。
それぞれ心苦しいところもあるが、本日は半年前から決まっていた慶事優先である。
この春から大阪へ来ている、甥・堀潤之くんの結婚式である。
新幹線・品川には初めて降りる。
ラフォーレ東京で昼前から。受付役でボンクラ息子その1も到着、久々に一族集合である。
式のあと、地下の写真室で記念撮影。……ヒナ段の前を大きな鏡が移動して、服や髪型をチェックできるようになっているのが面白い。これを利用して、デジカメで記念写真鏡面版を撮影。
あとは「コルドン・ブルー」で披露宴……シャブリを遠慮なくいただいた。
新婦・公子さんは美術が専門だが、図書館司書の資格ももっていて、大阪では中之島の国際美術館勤務となる予定である。「学者」のパートナーとしては最適任であろう。
夕刻、ボンクラ息子その1の住居近くにあるビジネスホテルにチェックイン。土日は格安のプランあり、ひとりならボンクラ部屋に転がり込むのだが、今回は「大掃除」が目的なのでいたしかたなし。
専属料理人、さっそくボンクラ息子その1の部屋へ行って、掃除を開始。
1時間ほど遅れて行ってみると、確かに広々としている。
あと、3人でゾロゾロと近くのスーパーへ食材買い出しに行く。
昼間がフランス料理だったので、夜はミニ鍋に和風の総菜を並べてビール。食い詰めて子供の部屋に転がり込んだみたいな雰囲気で、これもまたなかなかオツである。
10月17日(日)
わ、朝4時に目が覚めた。
4時直前に地震……テレビをつけると、茨城や千葉で震度3らしい。東京はたいした揺れではないが、先日の和歌山の地震以来、関西は微震が多く、やはり敏感になっているらしい。
専属料理人、朝からまたもボンクラ息子その1の部屋へ掃除に行くというので、おれは猿江恩賜公園などを散歩。1時間ほどして行ってみると、洗濯と朝食準備が同時進行している。
そこいらへんが片づいてから、親子三人、ボンクラ息子その1のフィアット・ウーノに搭乗、東金経由で九十九里浜へ。
関東で一度行ってみたいのが「九十九里浜」と「天保水滸伝の舞台および水郷」である。ともに関西では見られない広大な風景。小雨なら天保水滸伝ということにしていたが、本日は快晴であるので房総方面へ。
道は空いていて、九十九里浜まで1時間ちょっとである。
「謎の大爆発」があった「いわし博物館」を見物に行く。閉館は当然であろうが、何の掲示もなし。事故の原因がまだ解明されていないからだろうが、閉館事情くらいは説明すべきではないかい。……海辺近くかと思っていたら、町役場のすぐ隣り。このまま廃墟になっていく予感がする。
片貝海岸の海の家で昼飯。
はまぐりやイワシの丸干し、サンガ焼きなどを焼いてビール。運転手のみカニ汁でメシを食うのであった。
砂浜は風が少し強く、薄い砂の層が絶えず流れていく。
……こういう風景にはパノラマ合成機能が役にたつなあ。
帰路もスイスイで、15時頃に戻ってしまった。
靴下の中まで砂が入っているので、わしゃホテルでシャワーを浴びて仮眠。
専属料理人はまたも掃除洗濯の続行である。
大阪へ帰ってもよかったのだが、「新幹線で帰阪」と「格安料金で延泊+昼特急」で料金を比べると、そう変わらないのである。
夕刻、またもボンクラ息子その1の部屋へ。
イカ・トマト・インゲンその他のサラダ、ほうれん草バター炒めから始まって、豚ピカタ、チーズトースト・ピザ風など、色々出てきて、ビール、ワイン。
昨日戴いたケーキで仕上げ。
片づけをするという専属料理人を残して、早々と安ホテルに引き上げるのであった。
10月18日(月)
6時にホテルを出る。
ボンクラ息子その1のところにさらに一泊して東京の友だちと会うという専属料理人を残して、わしゃ本日帰阪。
東京駅へ行って7時の高速バスのチケットを購入したら、結構いい席が残っていた。
乗車率は5割くらいである。
快晴、渋滞なし。
東名江田でなんと兄貴が乗ってきた。住居が近いので、急がなければ新横浜へ出るよりも便利らしい。
前の方の席なので、携帯メールで挨拶。びっくりするわなあ。
ということで、休憩所で雑談しつつ、秋晴れの東海道を兄弟で大阪へ移動。
富士にまだ冠雪はなし。
ただ、やたら「地震雲」が多い。……代表的なのが豊橋から豊田にかけて見えた東西一直線に伸びる数十キロの雲。まるで空中に透明な断層があるかのようである。こんなのが幾つも見られた。
たぶん飛行機雲が「成長」して残っているのだろけど、近日このへんで大地震が起これば、地震雲を見たと自慢することにしよう。
奇跡的に定刻大阪着。兄はそのまま播州龍野に向かう。
夜、ひとり寂しくビールを飲みながら、テレビで松平健版の「忠臣蔵」を見る。これが久々の「昔の東映」調演出! ここまで典型的通俗版に徹すると嬉しくなるなあ。特に脇坂淡路守が昔の錦之助みたな雰囲気で泣かせる。忠臣蔵はこれでなくてはなあ。
10月19日(火)
超大型台風23号が秋雨前線を刺激とかで、未明から雨が降りつづく。
終日穴蔵。
夜、地下鉄で谷町九丁目のSUBへ。
滝川雅弘カルテットの月例ライブ。ここで聴くのは久しぶりである。
本日のメンバーは、滝川雅弘(cl)、木畑晴哉(p)、原満章(b)、佐藤英宜(ds)。
台風接近でガラガラと予想していたら、かなりの入りである。
なぜかミュージシャンが多く、クラシック系のピアノ・藤井さん、フルートの森本優子さんがゲスト参加でA列車など。途中で西やんまでチェロを持って登場。2ステージ目にはドラムの弦巻青年も。
2ステージ目最後は森本優子さんのフルートとのデュオで「枯葉」。
八木隆幸さんが東京に居を移してから、メンバーが固定しないままだが、若手・木畑晴哉さんとの組み合わせもなかなかいい感じだ。
10月20日(水)
雨ぞ降る。
台風接近。専属料理人は実家に寄ったまま帰阪せず。
昨夜コンビニで食料を買い込んでおいたので、終日穴蔵。
雨は降り続くが、風はほとんどなし。……先日行ったばかりの九十九里町・片貝海岸で高波に呑まれて死者2名とか。
超大型というだけのことはある広域性だ。
おれの実家方面、専属料理人の実家方面、タイムマシン格納庫などとメール、電話、FAX錯綜。台風以外にタイムマシンのトラブルまで加わるからややこしい。
もっとも、ボンクラ息子その2は「バイト」と出かけてしまう。
台風、18時に泉大津再上陸……と、19時のニュースではもう彦根あたりらしい。
雨は降り続くが風はほとんど吹かぬまま。ベランダの植木鉢を片づけるまでもなかった。
非常食みたいな粗食を並べて、ひとり寂しくビールを飲む。
雨がやんで、雲間から月が見え隠れしはじめた。
10月21日(木)
未明には雲がかかっていたが、朝から晴れてくる。
一族関係では大きな台風被害はなかったようである。
洗濯その他、専属料理人がやるべき雑用を色々片づける。
午後は市内をウロウロ。
ひさしぶりにかんべむさし氏の仕事場に寄って雑談1時間。
篁でワインを1本買って帰る。
帰路、SJ誌を立ち読みして、谷口英治『DONT'T BE THAT WAY』が本日発売であることを思い出す。
駅前第1ビルの「Walty」へ行ってみると置いてあったので、さっそく購入。……この「Walty」という店(駅前第1ビルB1西端)も「ミムラ」とともに、ワルツ堂関係者の経営らしく、ジャズとクラシックの専門店である。すぐ近くにあるマルビル地下のTのレジスピードがあまりに遅いので(イライラしてCDを棚に戻したこと数回あり、まあ、衝動買いしなくなってよかったのだけど)、これからはここを贔屓にするよ。
増淵正義氏のプロデュースによる3枚目のリーダーアルバム。ARTCD-110
夜、『DONT'T BE THAT WAY』を聴きながら冷えたワインを……と用意しはじめたところで、明日は近所の医院で健康診断を受けることになっていて、今夜はアルコールは抜きであることを思い出した。
殺生であるなあ……。
が、ここは自由業というか自営業というか経営者というか、そういう立場の辛いところ。きちんと自制して、ワインは明日にまわす。
粗食のあと渋茶を飲みながら『DONT'T BE THAT WAY』を聴く。
これは谷口英治さんのいう「モダンスイング」という方向がきわめて明瞭に打ち出された傑作。表題作はじめ「インザ・ムード」「小さな花」「大きな古時計」など、スイングでお馴染みの曲を、コード進行をまったく変えてモダンに演奏してみせる。「小さな花」のアレンジには驚かされる。同時に、モンクやジェリー・マリガンの曲を取り上げるセンスも素晴らしい。……滝川雅弘さんがデフランコの流れを徹底的に追及、パーカーやコルトレーンなど本来クラがやらない曲に挑戦するのとは別の方向、それも曲想のバリエーションが豊かで、やっぱりたいしたクラリネット吹きだなあと感嘆する。
さっそくディスコグラフィーに追加。
明日はワインを飲みながら再聴することにしよう。
10月22日(金)
晩酌抜きで本を読んでいたら、ほとんど眠れぬまま朝になる。
別に頭が冴え渡っているわけでなし。ボケーとしまたたである。
朝食抜き、9時過ぎに近所の医院へ行って採血その他。
昼前に堂山町の某歯科へ行って、こちらは半年ごとの定期検査。
医院のハシゴである。
そのまま扇町公園を抜けて、「田舎家食堂」で朝昼兼用の食事。午前中というのに酒盛りやってるのが2組。まあ刺身が安くて旨い店だからなあ。
帰路、扇町公園の南側に抜けると、お、ルン吉くんが気持ちよさそうに昼寝しているではないか。
前回9月26日に会ったのがここから西へ100メートルの歩道であったから、最近はここが定位置、昼頃に堂山町を抜けて泉の広場方面へ移動というパターンなのであろうか。
台風被害もなかったようで、よかったよかった。
夕刻、専属料理人が帰宅。
静岡の3品目(しらす、黒ハンペン、桜エビ)+わさび漬け、ネギトロ、その他を買ってきた。
桜エビのかき揚げと黒ハンペンを炒めたのでビール、あとはしらすおろしやネギトロで熱燗……回るなあ。
10月23日(土)
終日穴蔵、少しは仕事もする……つもりであったが、朝っぱらから悪徳会社NTT西日本の犯罪的セールス電話に気分を害されて、終日気分悪し。
ジャズや米朝師匠のCDを聴いて過ごすが、気分晴れず。
夕刻、淀川堤を自転車で本日は下流方向へ走る。
夕景をスナップ。
写真家・永野一晃さんのデジカメスナップ毎日更新みたいなのを撮りたいのだが、腕が違うなあ。デジカメのスペックはそう違うとは思えないのだが。
夕刻、新潟で震度6の地震が連続……テレビは全局特番に切り替わる。
これから夜になるので、被害状況の判明は遅れるだろう。阪神大震災は早朝で、それでも昼頃まで被害の規模がわからなかったものなあ。
なお、おれが10月18日に見た「地震雲」というのはまったく関係なし。これに限らず「雲で地震予知はできない」。
10月24日(日)
新潟の地震報道、朝、しばらく(新幹線の脱線状況など)見ただけでテレビは切る。
各社がヘリを飛ばして被災家屋や被災者を過剰取材している気配濃厚である。
わが知人、阪神大震災で伊丹市の自宅が半壊。屋根に登ってシートを張っているところに取材ヘリが接近、風圧でシートがめくれる。「向こうへ行け」と手を振ったら、さらに接近してきて、屋根から転落しかけたという。「バズーカがあったらあのヘリを撃ち落としたかった」といったが、これは本音であろう。
野次馬の代表としてヘリで飛んでいってるわけだから、たまにはヘリ同士の衝突事故や墜落シーンを見たいものだ。野次馬というのは危険であるという教訓になるものなあ。
今回も「温泉キャスター」みたいなバカが現場に行かなければいいが。
午後、専属料理人とミナミへ。
「JAZZ CITY OSAKA 2004」
120年の歴史をもつ精華小学校が閉校になって、その体育館が「精華小劇場」になった。
こけら落としのジャズフェスである。(トラッド・ジャズフェスとしては5回目)
出演は、
・サウスサイド・ジャズバンド
・ロイヤルフラッシュ・ジャズバンド
・滝川雅弘カルテット
・ニューオリンズ・ラスカルズ
・ファンキーバッツ(永田充康率いるニューオリンズR&Bバンド)
・MITCH(tp)スペシャルユニット
それに、ピックアップ・メンバーによるブラスバンドやスモールユニットによる演奏も別会場(講堂)で行われるという構成。
ともかく、ラスカルズ、サウス、滝川雅弘がいっしょに聴けるというのがうれしい。
古い校舎の残された会場に、ODJCの顔なじみとモダン系の知人が混在、いい雰囲気である。
ということで、サウスサイド→河合良一スモールユニット→滝川雅弘4→ファンキーバッツ→ラスカルズ→滝川雅弘4→MITCHスペシャルユニットの順で聴く。
滝川カルテットと畑ひろし(g) ラスカルズに飛び入りしたMITCH
ニューオリンズ・ラスカル、本日はコルネットでピンカラ・高居さんが、トロンボーンはレッドビーンズの山田さんがトラで参加である。
ファンキーバッツは初めて聴くが、「セントジェームス病院」など古い曲を今のニューオリンズ(現地)流のR&Bで聴かせる。永田くんは(たしか親父さんが河内太鼓の名手)大学時代はデキシーバンド(たしかAlgiers Superiors)、木村陽一さんに私淑、MITCHのバーベキュースインガーズなどを経て今のバンドを結成、元気があっていいなあ。ともかくのっている。ドラムを叩きながら歌うというのは木村さん直系である。
永田くんやMITCHの活躍を見ていると、つくづく代替わりの進行を実感するのであった。
最後のミッチのステージが予想以上の面白さ。
今風のR&Bを演るのかと思ったら、ラスカルズ、サウス、その他のピックアップメンバーを率いて堂々と正統派デキシー。
ちなみに、メンバーはピアノ・藤森(サウス)、ドラム・永田(ファンキーバッツ)、ベース・石田(ラスカルズ)、バンジョー・川合(ラスカルズ)、テナー・吉川(サウス)、トロンボーン・谷口(サウス)という、ほとんどが先輩にあたる実力派。この中心で吹きまくる。何よりも「華」があるのがいい。
……で、クラリネットがうまいなあと思ってよく見たら、なんと岩田直樹さんであった。このステージのみの参加だったのかな。本来はクラシック系であまりジャズライブには登場しないが、この人も関西屈指のクラ吹きである。
とつぜん、ぼんちおさむが登場して「この素晴らしき世界」を歌って(うまくない)去ったり、木村陽一さんが「歌手」として登場したり、滝川さんが一曲飛び入りしたり、最後はブラスセクションが会場練り歩きと、ジャズフェスらしいセッションになった。
ともかくおれとしては、本日、河合良一、吉川裕之、滝川雅弘、岩田直樹のクラ4人が聴けたわけで、大満足であった。
10月25日(月)
終日穴蔵……の予定であったが、専属料理人、今日は午前から昼にかけて料理教室、午後はパッチワークを教える日だから、勝手に昼飯を食ってきなという。
昼は自転車でハチへ行ってジャズランチ。
ハチの親っさんの方、急性の心臓病で1週間ほど入院していたのだという。タバコ厳禁となり、つき合うわけではないが、ハチママも40年以上のスモーカーであったのが、タバコはキッパリやめたのだという。結構なことではないか。
相変わらずの地震被害者報道。……食糧が行き渡ってないと、非常食の不足を現場から中継しているが、レポーターやスタッフ諸君は何を食べているのか。
10月26日(火)
雨である。
終日穴蔵。
明日、古紙回収があるので、古雑誌を大量に整理する。
相当処分したつもりが、まるで減った感じがしないなあ。
十数年前に埼玉県の「名栗村」を訪ねた時の写真が出てきた。何のための訪問か。ある「名作」の舞台訪問である。……なぜか同じ作品に思い入れの深い望月「グズラ」英明さんにメールで数枚送る。
「舞台訪問」については近日コーナーを作る予定である。
小松左京マガジン16号が届く。かんべむさしの短篇『幻夢の邂逅』はかんべ流の凄みと切れ味を感じさせる傑作。異色のファンタジーというかパラレルワールドものとでもいうか、こういう分類がまったく意味のない異色作。ありえたかもしれない「邂逅」がすべてであり、ネタバラシになるから内容には一切触れないが、これは「秘材」ともいえるアイデアである。
10月27日(水)
早朝、穴蔵の前に大量の古雑誌類を積み上げる。
そのまま早朝の電車で播州龍野へ移動。
寒くなりそうなので、防寒用の衣類、それに「エベレストに勝った防寒下着」というのも持っていく。ウズベキスタン行きのために買ったもの。あまり着用の機会がなかったが、龍野では役に立ちそうである。
兄と「見張番」交替。
これからしばらくは「播州龍野の日常」である。
さすがに肌寒い。たちまちくしゃみ連発、鼻水ズルズル。
ところで、誘拐犯が「おたくのボンクラ息子を誘拐したぞ」と電話したら「台風と地震で家が倒壊して、てんてこ舞いだ! そんなことにかまってられるか!」と相手にもされない……といった設定のミステリーはなかったかなあ。都筑道夫作品に似たようにのがあったような気がするが。
10月28日(木)
播州龍野の日常。
3時過ぎに寒さで目が覚める。室温13℃。大阪の「穴蔵」とは10℃ほどちがうようだ。
本日、老母の○○歳の誕生日である。
が、特別に食べたいものはないという。
通常の総菜類に鮭のソテー。せっかくなので、おれがシャブリを飲んで祝いとする。
10月29日(金)
播州龍野の日常。
老母をなじみの内科医院へ連れて行く。特に体調が悪いわけではないが、血圧その他について一度診察を受けるようにという外科医の指示によるもの。
付き添って診察室まで入る。とI先生「息子さんですか?」「そうです」「あなたの作品、読んでますよ」
I先生、診察後、奥の部屋へ行ってたと思ったら、単行本『太陽風交点』を持ってきて、「せっかくですからサインしてください」
恐縮してしまうなあ。
母は血圧がやや高いが特に異常はなし。
ついでだから美容院へも行きたいと言い出す。元気で結構なことである。
パーマというのに2時間もかかるとは知らなかった。
誕生日の翌日であるし、きれいになったので、デジカメで記念撮影。
母「葬式用にちょうどええ」と縁起でもないことをいうのであった。
あとは市役所へ老人保険のことで行ったり、珍しく忙しい日である。
夜はちょっと落ち着いて、抜群の焼き加減のサンマでビールを一杯やっていたら、地震報道のあとに松坂大輔の記者会見ニュースが流れた。
「このたびナントカさんと結婚させていただくことになりました」
老母ともども爆笑。
老母「中学校の時から野球しかしてないからあんな言葉遣いになるんやろ」
うーん。
おれは「最初に『させていただいた』感激が忘れられんから、ついあんな言い方になったのやろ」と説明したかったが、ま、こりゃ無理だな。
暗いニュースの中にお笑いがあるのはいいことだ。
10月30日(土)
播州龍野の日常。
曇天で断続的に小雨、外出する気にならない。
今週は、昼間、テレビの田宮二郎版『白い巨塔』の再放送(ダイジェスト)を放映している。本日は3時間。老母も四半世紀前の放映時にも見ていたようで、細部までよく覚えている。
選挙工作の料亭場面、曽我家明蝶、金子信雄、渡辺文雄と芸達者がならぶと、こりゃ「仁義なき戦い」医学界バージョンみたいな迫力である。主役を含めて鬼籍に入った名優が多い……というより、ほとんどであるなあ。
昼間3時間もテレビを見ると、夜の『スターウォーズ』はとても見られない。というよりも、そもそも起きていられる時間ではない。
京都ではラグで森山カルテットが熱演中のはずだが、はやばやと就眠。
10月31日(日)
播州龍野の日常。
朝4時……薄曇りらしく、おぼろ月夜である。木星と金星の接近は見えない。早朝の観望しか楽しみがないとは、まあ健康的な生活なのであろうか。
昼間は競馬中継(天皇賞だったかな?)による中断を挟んで『白い巨塔』総集編、最終回まで3時間半。さすがに疲れるね。
気がつけば10月も終わりである。
『経済物理学の発見』を読んでいて、徳川の埋蔵金探しと結びつけるアイデアを思いついたが、うまく作品にできるかなあ……。
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