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『マッドサイエンティストの手帳』330

●マッドサイエンティスト日記(2005年4月後半)


主な事件
 ・眉村卓さんと遭遇(16日)
 ・穴蔵の日々(17日〜)
 ・播州龍野の日常(20日〜)
 ・穴蔵の日々(24日〜)
 ・「展覧会の絵」(24日)
 ・福知山線脱線(25日)
 ・ルン吉くん live & well(27日)
 ・滝川雅弘カルテット・ライブ(27日)


4月16日(土) 龍野/眉村卓さん/帰阪
 快晴で暖かく、もうパッチは完全に不要の季節となりにけり。
 午前中、雑件片づけ。
 交代要員の手配も終わったので、午後、帰阪することに。
 で、姫新線・本竜野駅へ。
 折り返し、本竜野始発のジーゼル車(一両である)に乗り、花粉が酷いので目薬をさして、ハンカチで目を拭き、メガネをかけて前を見たら、向かい側のシートに見たことある人物。
 眉村卓さんではないか!
 「眉村さん、なんですねん、こんなところで!?」
 隣に座って、姫路まで、ともかく積もる話を色々。
 要するに、眉村さん、朝がた思い立って、姫路まで来、さらに思いついて龍野散策と決めたのだとか。龍野はまったく初めて。「そういえば、堀さんの出身地はここだったなと思い出していた」とか。
 吟行と「今書いている長めのもの」がちょっと停滞なので、新しいイメージ獲得のために、ふらっと来たと……見習わねばいかんなあ。
 眉村さんらしく、駅前の貸自転車を利用、市内をウロウロしてきたとか。……お互い自転車で龍野市内で出会ったら、よりびっくりだったろうな。
 それにしても奇遇。
 考えてみたら、眉村さんは、長い間「散歩の延長の小さな旅」はできなかったのだものなあ。
 ……などと、姫路まで、色んな話しながら移動。
 
 姫路駅で記念写真を撮って別れる。(若いアンちゃんがシャッターを押してくれた)
 おれはそのまま帰阪、眉村さんは姫路の商店街などブラブラしてから……たぶん昔のデートコース再訪かなと想像した。
 ということで、夕刻帰宅。
 土曜日で、久しぶりにラスカルズを聴きに出掛けたい気分であったが、専属料理人の作ってくれた春野菜ドバドハのパスタでワインを飲むと、出掛けるのが面倒になり、もう早寝するのである。

4月17日(日) 穴蔵/梅田
 快晴である。
 布団を干したいが、まだ花粉飛散は収束しておらず、見送り。
 冬物色々を洗濯に出す。
 午後、自転車で梅田へ。
 紀伊国屋〜ヨドバシへのつもりが、場外馬券場方面、異様な人出である。
 皐月賞?らしい。まだ4月というのになぜこんな名前のレースがあるのか、さっぱりわからん。
 ヨドバシはやめて、東側を迂回、旭屋〜ワルティ〜ジュンクドーと巡回。
 中之島から東の方に向かいかけて、造幣局の通り抜けでこちらも人出が多そうな気配。
 生ビール一杯やりたい気分であるが、地下街の串カツ屋に行く気にならず(新世界のヤマト屋のような店があればいいのだが)、結局まっすぐ帰宅。
 かんべむさし氏からメール。今日は仕事場にこもっていたらしい。
 軽く一杯というには、時間が少し遅く、残念ながら後日とする。
 「笑点」で「ヒロシ」というのを初めて見たが、一発芸人に過ぎず。
 テレビニュース。中国の反日デモばかり。
 お遊びデモはともかく、一部の「日本企業でスト」というのが気になる。
 北京五輪後に起こるとおれは予想していたのだが、「日本企業が愛想尽かして引き上げ・設備丸儲け作戦」が前倒し実行されているのか。
 よそが行くからウチもと中国に進出した企業、昔(といっても20年前くらい)煮え湯飲まされた連中はもうほとんど残っていないということか、あるいは物忘れのいい連中ばかりなのか。あるいは10年くらいのプロジェクトとなれば、オーナー企業でない限り、担当者もどこかに「後は野となれ」気分が巣くうのかなあ。
 ニコニコ顔にホイホイと乗せられて投資してしまったあとではなあ……。
 中国、変わっとらんと思うぞ。

4月18日(月) 穴蔵/本町/フジ〜ライブドア手打ち
 定刻4時起床。
 6:50〜「朝ミラ」を聞きながら雑件処理。
 本日のお題が「アルバイト」で、学生時代の珍しい部類のバイトについてメール投稿していたら、かんべさんが最初の方で読んでくれた。……じつは中西ふみ子さんが読むものと想定して、読んだらオレだとかんべさんにだけにわかるように「ラジオネーム」を工夫したつもりであったが、かんべさんが読んだので、最初からわかってしまったみたい。
 男性からの投稿はかんべさん担当となるのかな。
 ちなみに、わがバイトはデイリースポーツ社のボーヤで、時々カメラマンといっしょに球場へ行ける(途中でフィルムを持ち帰る)、まことに面白いものだった。
 「朝ミラ」終了後、近所の医院へ。血圧は正常である。
 昼は自転車で本町へ。
 ボンクラ・サラリーマン時代の知人が大阪を離れることになるというので、ランチビール。
 例によって、ボンクラ・サラリーマン諸君を眺めながらビールを飲むのは気分がいいものだ。
 ハチでコーヒー飲んで帰館。
 夕刻、フジテレビ、ライブドア、ニッポン放送の「手打ち会見」。
 「業務提携検討委員会」なんて、まあしばらくは世間体もあるから形式的に発足させるだけのことであろう。
 結果は、おれが2月24日に予想した線で手打ちではないか?
 予想したより手打ちが早かったけど。
 「ホリエが損をしない線」と予想したが、かなり儲けて、「ホリエが仕手戦に勝利」というところか。
 それに、これだけ名前を売れば立派。
 日枝退陣という付録はなさそうで、ちょっと残念。
 さらに残念なのは、「この喧嘩、おれにまかせろ」と大見得切った「笑福亭松之助」似の北尾吉孝くんの出番がなかったこと。北尾くん、歯ぎしりしてるんじゃないか。拗ねて、フジに嫌がらせしたり……。期待しとるよ、北尾くん。

4月19日(火) 穴蔵
 快晴……五月晴れを少し通り越している感じ。室温24℃。寒がりのおれが上着なし平気だからよくよくの暖かさ。
 終日穴蔵……のつもりであったが、明日からの龍野行きに備えて買い物もあり、昼、自転車で十三往復。
 桧花粉の飛散まだ多く、くしゃみと鼻水再開である。
 午後も穴蔵。少しは仕事もするのであった。
 かんべむさしさんのHP(フリーメモの4月19日付け)を見たら、何やら怒ってはる。
 ははは、おれみたいに毅然とした態度をとらんからだよ……と苦笑していたら、同じのがおれのところにも来た。冗談じゃないぜ、タクモー、マニモー、トニモー((C)コーシン)
 ということで保管していた資料を公開。こんな資料ばかり増えても困るのだけどねえ。
 同じファイルから「政党大鑑」の返送控えも出てきた。もう4年になるのか。
 ということで、夜は専属料理人が並べてくれた和風メニューでビールを飲み始めたら、体が乾いていたらしく、ちと飲み過ぎ。
 SUBに滝川さんの出演する日であるが、明日が早いこともあり、出掛けるのが面倒になってしまった。
 明日からまた播州龍野行きである。

4月20日(水) 播州龍野へ移動
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 出かける寸前に雨が降り出す。風も強く、典型的な花散らしの風雨。
 モグラ対策工事の打ち合わせ、その他、雑用色々。
 夜は、大阪から持参の専属料理人製料理色々並べるだけであるから、まあ助かる。
 20時過ぎに就眠……と、これはちと早すぎるか。

4月21日(木) 播州龍野の日常
 わ、3時前に目が覚めてしまった。早寝したらかでなく、鼻づまりとノド痛みで眠り断続的になったため。
 そう寒くはないし、しばらく本を読んでいたら朝刊到着。
 ただ、夕刊なしの地域であるから、ニュースがテレビ、ネットで見たものと時系列が混乱。特に大リーグ関係のはいつの話やらわからなくなる。
 ラジオがいちばんかと、「朝ミラ」を聴いていたら、『題名のない番組』のテープがしばらく流れた。米朝師匠の声はやっぱりいいなあ。
 と、老母が「週刊新潮を買ってきてほしい」という。
 どうやら「『雅子妃自殺』の危機」という広告が気になったらしい。
 雅子妃がいかに皇室で苛められているか、気になってしようがないのである。
 読んでみたが、これはガセネタというか、上げ底記事というか、海外のフィルターがかかった報道の逆輸入ネタ。
 ドイツには元ネタの本が書店に並んでいると書きながら、その本の内容は紹介していないから、手抜きもいいところ。ドイツ語のできる記者はいないということか。
 むしろ「キルギス『日本人拉致事件』で消えた『3億円身代金』の行方」という記事が出色。
 ようするに、ノンキャリのウズベキスタン駐在の大使館参事官が解決ルートをつかんでいたが、キャリア組が無視して、アカエフ元大統領ルートに3億の無駄金を払ったというもの。キルギス出張の外務省スタッフはその中からたんまりと出張経費を貰ったらしいとか。
 ま、アカエフの顔は、日本の典型的「破戒僧」「売僧」顔。このハゲ具合、どうしても五十嵐敬喜を連想してしまうのよね。顔が似てればやることも……。
 本屋へ行ったついでにスイング・ジャーナル誌の「日本ジャズメン人気投票」結果をチェック。
 滝川雅弘さんはクラリネットでは、北村英治、谷口英治、藤家虹二につづいて第4位である。
 ……あ、本日、武庫之荘の「アロー」で3クラ・セッションがあるのだが、残念ながら行けない。
 午後はモグラ対策工事現場の「立会」……業界では「りっかい」と発音している。
 要するに、畦道だったところの道幅をいくらに決めるかという話し合いである。
 「里道(りどう)」という言葉も初めて知った。
 ……どう記憶に照らし合わせても、自転車で走れる道幅ではなかったが、すでに犬の散歩などで使われていると、極端に狭くなった印象すらいかんらしい。こういう場合は、片側の敷地を先に工事してしまった方が勝ちのようである。
 まあ、ウチは土地には執着はしないが……。
 ややこしい話いろいろ。モグラ被害が意外なところに広がるものだ。

4月22日(金) 播州龍野の日常
 わ、早寝したら午前1時に目が覚めてしまった。
 昨夜、料理が面倒なので老母の「粗食」に合わせたら、空腹である。
 ゴソゴソと2品作ってワイン。SONY ICF EX-5 でAMをあちこち回して聴きながら深夜の酒盛りである。
 なるほど、この時間帯、半島系が色々聞こえる。
 OBCなんて、ラジオを置く向きでは、そちらからの方が大きく聞こえるほど。
 今更ながら電波の多さに驚く。
 小学時代、鉱石ラジオで聞こえるのはNHKと沖縄放送だけだったものなあ。で、おれのジャズ好きも沖縄放送から始まっている。
 結局、朝刊が届くまで雑聴。
 また仮眠。
 朝から「モグラ対策工事」開始である。
 が、別に立ち会う必要もなし。
 午後、天気がいいので、思い立って「神々の嶺」に挑むことにした。
 2時間ほどで無事帰還。
 体を動かすと、ビールがうまい。
 20時過ぎ、早寝である。

4月23日(土) 龍野/姫路/大阪
 3時に目が覚めた。
 室温は12℃。これはおれには冬の気温だ。
 ハロゲンヒーターで脚を温めつつ、少しは仕事もするのであった。
 朝刊、テレビのニュースもそうだが、ネタ涸れなのか。
 「清原の500号ホームラン」(の未達)というのがなぜトップニュースに近い扱いになるのか、さっぱりわからん。
 おれは昨年半ばから野球に興味がなくなり、スポーツ面もほとんど読まず、野球中継も見ない。普通のニュースとして清原が大きく扱われるのが不思議でしかたがない。
 昨夜は二死満塁フルカウントというドラマチックなお膳立てが出来たところで三振したという。まあ愉快なニュースではあるが、大ニュースではないだろう。
 ネットで見たら、悔し紛れに「2−10の二死満塁、カウント2−3でフォークやで。ちゃうやろ。ケツの穴、小さいわ。チン●●ついとんのか」と発言したという。
 清原のアタマが悪いだけのことだろう。
 本音は「武士の情け」でど真ん中に直球を投げてほしかったということか。「いいタマを恵んで頂戴」というわけで、まるで乞食である。
 ま、どうでもええことだけどね。
 午後、帰阪することに。
 姫路で、せっかくだから駅西側の高架工事現場を見物に行く。
 昔のモノレール高架の残骸が途切れながら残っていて、見事なトマソンを形成している。
  
 多くは「高架下の建物」だったのが、いまや「穴のない煙突」みたいに橋脚だけ残っていたり、シュールなのは、ビルの下層階を廃線が貫いているのとか。
 石見くん、ユニークな記念碑を残したものである。
 梅田まで移動。
 夕刻、新梅田食道街の「○駒」で専属料理人と合流。
 魚が食べたくなったためである。
 龍野は、昔は室津から自転車で直販のおじさんが来たものだが、今は量販店でしか魚は買えない。いや、時々室津直送の市があるのだが、まだおれは魚料理には自信がないのである。
 5時過ぎに行ったのに、すでに活アジは売り切れマーク。
 数皿握ってもらったあと鯛のあら煮をつつきながら酒……ちと飲み過ぎである。
 久しぶりにファイブへラスカルズを聴きにと思ったが、午後6時半にすでに酩酊状態。
 まっすぐ帰って早寝である。

4月24日(日) 穴蔵/グリーン・コンサート/展覧会の絵
 定刻4時起床。
 午前中は穴蔵にこもる。
 午後、専属料理人と上六の「大阪国際交流センター」へ。
 「みどり会」(これは旧三和グループ)によるメセナ「グリーンコンサート」で、ブラスバンド、男声合唱につづいて、グリーン・オーケストラ。
 今回は「もともとはピアノ曲」特集ということで、ラヴェル『古風なメヌエット』、ドビッシー『小組曲』、ムソルグスキー『展覧会の絵』
 グリーン・オーケストラの定期演奏会とちがって、客層はブラス関係など色々だから、ま、おおらかなもの。客席で堂々とカメラのフラッシュを光らせる人も。
 フィナーレは大合唱で『涙そうそう』……知らない曲である。  目玉はむろん『展覧会の絵』。
 専属料理人のいうには「グリーンの今まで聴いた中でいちばんいい」
 司会者は「春の美術館をお楽しみください」とかいったが、おれは不思議な迷宮に迷い込んだ気分になった。
 あっ、そうだったと思い出したのが平田真夫さんのゲームブック『展覧会の絵』である。
 これは、記憶を失った主人公が、10枚の絵をヒントに自分の素性を探って絵画の世界を遍歴する設定。ともかく「地下墓地」や「卵の殻をつけた雛の踊り」などの曲名が不思議な絵画的イメージで現れる傑作で、これを読んだ記憶が影響しているのである。
 再読してから来た方が面白かった気がする。
 
 フィナーレは出演者全部が会場前の方に並び、客も含めて全員で『涙そうそう』大合唱。
 ……「みどり会」のメセナは極めて良心的で、4月27日(水)夕刻17:30〜には、大阪大林ビルロビーで滝川雅弘カルテットのライブ(無料!)が予定されている。

4月25日(月) 穴蔵/JR福知山線脱線
 朝4時の穴蔵室温は24℃で、おれにはやっとしのぎよい季節になった。
 早朝、説明図付きのメールを作成、某工務店担当者に送る。
 昨夜、実家方面から「モグラ対策工事」について、ご近所から、クレームではないが、ややこしい申し入れがあったという。
 面倒なことである。
 昼前に連絡あり、関係者立ち会い、解決というか合意したらしく、あわてて行く必要はなくなった。ほっ。もめ事は苦手である。
 ということで、奥村彪生さんの料理番組を見ようとしたら、JR福知山線の快速が尼崎で脱線、そばのマンションに激突のニュースが中継されている。
 事故の情報、錯綜。クルマに衝突して脱線説が、脱線してクルマに衝突説に変化していく。
 昼過ぎに兄が来穴蔵。
 梅田で配っていた朝日の号外を持ってきた。
 伊丹駅でのオーバーランの距離は間違いだろう。ただ、「4両目に乗っていた朝日の社員」のコメントは正確で、これと、マンションにペシャンコになって貼りついている車両の写真、それにテレビで映されるヘリからの中継画像を較べても、どうもよくわからないところがある。……ま、夕刻に氷解するわけだが。
 兄は播州龍野に向かうために1時間ほどいて去るが、JRの混乱を避けて私鉄で移動。
 途中からメール中継。
 さらに実家方面からもメール。親戚筋のひとりが中継されているマンションに先日入居したばかりなのだという。幸いというか、出勤後であるらしいが。
 と、午後から夜にかけて断続的にニュース見ながら雑用。
 色々な予測や憶測は湧くが、不謹慎だからやめとこ。
 場所と事故の規模を考えると、ボンクラ・サラリーマン時代だと、事故に遭わずとも、ヒヤリ程度の知人が周囲にいたであろうなあ。
 つき合いの幅が狭くなった……というより、あまり出歩かない人達とのつき合いがメインになったということか。

4月26日(火) 穴蔵/脱線事故(続)
 3時に目が覚め、朝まで断続的に脱線事故のニュースを見る。
 朝刊の比較。
 産経が「運転士による過失が主因、背景にJRの育成システムの欠陥」と断定している……と読める。
 運転士は高見隆二郎(23)、車掌は車掌・松下正俊(42)。
 運転士の若さについて、昨日の昼、兄が「私鉄のシステムと較べておかしい」という意見を述べたのだが、なるほどJRの特殊性が指摘してある。
 気になるのが次の記述。
 (高見が車掌時代の)「平成15年8月、帽子を目深にかぶって『目がうつろになった』と乗客から指摘されて厳重注意処分となる」(産経)とある。
 「目がうつろ」と「厳重注意処分」は朝日の記述も同じ。
 要するに「車掌が虚脱状態になっていた」らしいが、客が本人に注意したのか駅でたれ込んだのか、経過がよくわからない。処分を受けたのはまちがいなし。
 ふつう、こんな場合、客が本人に「お前、目がうつろやで」と注意するとは思えない。
 大阪では「目がいんでもとる」という場合があり、「うつろ」とはちがうが、本人に「お前、目がいんでもとるで」などといったら恐ろしいことになる。
 どんな状態だったのか、気になるところだ。
 ほぼ終日穴蔵。
 断続的にニュースを見ながら雑用。
 メールも飛び交う。
 衝突されたマンションの住人、昨夜はホテルが手配されたらしい。
 親戚筋のひとり、転勤でつい先日「賃貸」で入居したばかり、出勤後で無事だったが、部屋は2階であったらしい。
 しかも「病院勤務」だから、本人の住居のことどころではない状態であろう。
 夕刻……どうもJRの過失濃厚。

4月27日(水) ルン吉くんと再会/滝川4ライブ
 昼前に梅田のM歯科へ定期検査に行く。
 ツタヤの前に自転車を止めたところへ、バナナホールの方向の路地から歩き出てきた防寒服の男。
 ルン吉くんではないか!
 なんと去年の12月22日以来、じつに4ヶ月ぶり。今年初めての遭遇である。
 
 昨年末、急に寒くなったとたんに扇町公園の定位置から姿を消してしまった。
 急激な寒波だっただけに、どうなったのか気がかりであった。
 まったく心配かけやがって。
 ルン吉くん、年末に「新調」した黒の防寒服のまま、初夏を思わせる陽光のなかにたたずんでいるのであった。
 M先生にガリゴリバリと歯石を除去してもらったあと、いったん帰館。
 夕刻に近い午後、専属料理人と出かける。
 歩いて梅田を抜け、ハチにちょっと顔出し(ハチママは帰ったばかり)のあと、老松町の「古美術まつり」(こんなものはおれの趣味ではないが)を見て、中之島公園を東進、バラ園はまだつぼみであり、新緑のなかを東へ、東端近くの橋脚下、ホームレス諸君が賑やかに開催中の「麻雀大会」を横目で見て、中之島公園東端までぶらぶら約1時間。いい運動になる。
 17時30分〜大阪大林ビルの1階ロビーで「みどり会メセナコンサート」
 出演は滝川雅弘カルテットである。
 
 仕事の終わったサラリーマン向けにしては、5時半はちょっと時間が早いかな。
 ビールも販売していて、いい雰囲気である。コンクリートとガラスに囲まれたロビーで、音響がやや固いが、クリアに聞こえる。
 ジャスト・フレンズから始まって〜6曲。1時間。
 終わっても外はまだ明るい。
 この界隈に来るのは久しぶりなので、ぶらぶら歩いて昔勤務していた本町方向。
 平野町一丁目の「エル・ポニエンテ・ゴゾ」へ。
 
 ここはスペイン料理の「立ち飲み」で、ボンクラ・サラリーマン時代に時々来た店。といっても5年ぶりかな。
 グラスワイン300円だが、本日は白のボトル。300円〜の小皿(イワシのなんとかとかタコのかんたらとか)を色々並べ、イカスミのリゾットで終了である。

4月28日(木) 穴蔵/第3のビール
 わ、午前3時過ぎに起床。
 早寝したせいもあるが、自分のニンニク臭で目が覚めたのである。
 昨夜の「エル・ポニエンテ・ゴゾ」、小皿とはいえ、結構色々食べたからなあ。
 ということで、本日はおとなしく、終日穴蔵。
 しばらくO.D.J.C(オリジナル・デキシーランド・ジャズ・クラブ)の管理人代行を務めることになったので、諸事項引き継ぎ、諸々の設定を追加する。
 このところ、デフランコ〜モダン・スイング中心に聴いていたが、BGMもニューオリンズ系に戻すことにするか。
 何か企画を考えねばなあ。
 「ジャズメン喧嘩番付」というのを作りたいのだが、協力者がいない。データがほとんどないからなあ。……デキシーで強い順は、トロンボーン、トランペット、クラリネットという説がある。この根拠は、殴り合いで指を怪我しても平気な順である。ホンマかいな。
 夜はヤッコやそら豆を茹でたの、その他和風を専属料理人に作ってもらって、「第3のビール」を飲み較べ。
 「Draft One」(キリン)「Super Blue」(サントリー)「のどごし<生>」(サッポロ)「新生」(アサヒ)のレギュラー缶。
 うーん、安いことは安い。慣れたらこれで十分なんだろうな。全体にクセのない感じで、「新生」が発泡酒にいちばん近い気がする。
 ともかく、涙ぐましい企業努力の成果であるから、酒税の改悪などは絶対やってはいかんぞ→お国。

4月29日(金) 穴蔵/かんべむさし氏
 朝4時の室温26℃で、おれには快適な温度である。
 世間は本日から「大型連休」入り。
 こういう場合は出歩かないことに限る。
 終日穴蔵。
 世間にならって、あまり仕事はしないのであった。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
 久しぶりに軽くビール。
 『朝はミラクル』の放送開始以来はじめてである。
 帯番組だから祭日の今日も放送あり、土日が休み。今のところ、飲むのは金曜の夜だけということらしい。
 朝4時起床はおれと同じ。放送時間は7〜9時。 「朝飯前の一仕事」みたいに思えるが、現場の話を色々聞くに、相当ヘヴィ。
 生放送だから反射神経で勝負しなければならぬ瞬間が結構あるらしい。そういう緊張感に加えて、仕込みは必要だから、おれには毎日コラム2,3本を書いている負担のように思える。
 「題なし」の記録が貴重なように、手間かけたコーナーは録音を残しておくべきだと、録音→編集→ファイルに圧縮→CD-Rに整理という方法を伝授(※)しようとするが、ラジオの場合、空中に消えてしまうからいいのだとか……そこに美学を感じる世界でもあるらしい。
 エリック・ドルフィーを思い出すねえ。
 まあ、ビデオや録音は、これ以上増えても聞き返すことはない年齢にきているからなあ。

※おれがいちばんいいと思う方法は、誰かモニター(たとえば奥さん)がCREATIVE MoVo N200 をつないで聴きながら、ここというところでMP3にダイレクト録音、その日の日付をファイル名にしてパソコンに納めておく。溜まったらCD-Rに整理する。今のところ、これ以上効率的な方法はないと思うが、どうであろうか。

4月30日(土) 穴蔵
 朝4時の室温26℃。
 晴、6時過ぎると東向き故に日当たりよく室温28℃になる。
 パジャマで過ごすには快適である。
 ということで食事のために(さすがに着替えて)本宅往復以外、終日穴蔵。
 ほとんど本を読んで過ごす。
 運動不足になるなあ。

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