『マッドサイエンティストの手帳』297
●マッドサイエンティスト日記(2004年2月後半)
主な事件
・滝川雅弘カルテット(17日)
・Benny Goodman Special(20日)
・ODJCのホームページ開設前夜祭(28日)
2004年
2月16日(月)
早朝の電車で播州龍野へ移動。
実家へ。
老母の確定申告。午後、税務署に提出して、ただちに帰阪。
夕刻、甥の潤之くん来穴蔵。4月から大阪に就職なので、住居探しに来阪。どうやら淡路あたりに決める模様。勤務先とアーバンライフの中間点ということらしい。
まあ賢明な選択。土地カンなし、交通図だけで十三とか南方に決めると、風俗密集地帯でたいへんだからなあ。
ということで就職前祝い兼ねて、専属料理人がイタリア系を色々作り、夜中までワイン。
2月17日(火)
甥の潤之くんが大阪に引越してくることになったが、ボンクラ息子その1も東京で引越しという。西新宿に住めるのに、クルマを手放したくないという理由で江東区へ移るという。保証人の関係もあって、市のサービスカウンターへ印鑑証明を取りに行く。
今度は広くて、上京したら泊まれるらしい。
東京TUCから10分ちょっとらしいから、便利は便利だけどねえ。
夜、地下鉄で谷九のSUBへ。
滝川雅弘カルテット、月例ライブ。
和歌山からシマちゃんが来ている。ハチでも30年来の知人である。
途中、西山満のおっさんも登場、サービス?で1曲。
1ステージ終わるとゾロゾロと帰ってしまう人が多くて、2ステージ目、実質的な客はおれとシマちゃんだけである。
ま、ゆっくり聴けていいけど。
22:30まで。
今日は人出の少ない日なのかな、八正がまだ開いている。客はおらず、川藤似の大将が憮然としているのが暖簾の隙間から見えるのであった。
2月18日(水)
朝刊に世良譲の訃報。
この時代のジャズメンというのはつき合いがいいのかなあ……。昨年夏から立て続け。北村英治さんは元気でいてほしいものだ。
午後、京都府立図書館の某氏から電話。
「桂歌之助」1冊の注文があったので請求書同封で送ったのだが、「代表者印」の他に「社印に相当する印」がないと困る……要するに書式が整っていないということらしい。
法人ではないので「社印に相当する印」は作っておらず、この1件だけのために印鑑作るのも面倒だしで、長々した話が嫌になって、「それでしたら寄贈ということにしてください」と伝える。
そうなると、今度は礼とも言い訳ともお詫びともつかぬ言辞がまたも延々。
「忙しいから」と電話を切る。
おれは楡周平さんが提起した図書館問題(『図書館栄えて物書き滅ぶ』/近い将来、借りて読む人が買って読む人を上回るという予測)について、楡氏にまったく同感なのだが、『桂歌之助』については、残り少なく増刷予定もないから、なるべく多くの人に読んでほしい。京都にも歌之助ファンは多いから、注文が来たときから寄贈でもいいと思っていたのである。(ちなみに、すでに寄贈しているのは、国会図書館、大阪府立図書館、大阪市立図書館) しかし、図書館のお役所的対応には苛立つなあ。
2月19日(木)
ジョージ・ルイスを聞きながら、確定申告の書類作成。簡素なものである。嗚呼。
昼過ぎに提出。
あとは穴蔵に籠もる。
広島のSFファン・Hくんからメール。
先日、早朝に大阪に着く出張があり、わが早朝グルメのページを参考にハシゴしてきましたという報告なのだが、驚くべきはそのハシゴぶり。
早朝の部
1.天五「ひろや」お造り、豚汁、おでん
2.新梅田食堂街「奴」かやくごはん
3.新梅田食堂街「とり平」鴨そば
夜の部
0.天満駅前 肉マン1個
1.天五「玉一」豚カルビの煮込み、春雨炒め、ユッケ、ミノ湯引き、チヂミ、真露
2.天五「上海了亭」焼き餃子、蒸し餃子、小龍包、ピータン、臭豆腐
3.天五「立ち飲み」ドテ焼き、おでん
4.新梅田食堂街「百々」串カツ(豚、鳥、えび、うずら、きす)
5.お初天神「河童(焼き肉)」生ギモ、キャベツ、生ビール
……どんな胃袋しておるんじゃ! 早朝ならつき合ってもいいのだが、わしゃどんなに頑張っても2軒止まりである。
上記のうち、天五の「玉一」と「立ち飲み」は北野勇作さんが好んでいたはず。おれも知らない「名店」がまだまだあるのだなあ。
2月20日(金)
ふだんより少し早く、午前3時に目が覚めてしまった。
暖かいのと、昨日のHくんのメールに刺激されて、久しぶりに自転車で天五へ。
『与太呂』が店名を変えたようなので気になっていたのである。
花粉の飛散が増えると外出するのがいやになるから、いいタイミングである。
3時半に旧「与太呂」へ。看板と暖簾は『ひろや』に変わっている。
聞けば、「与太呂」は昨年末で閉店、この2月から「ひろや」として新規開店したのだ……と、嵐山光三郎みたいな凄みのある兄ちゃんの説明。ちなみにここの「大将」は黙々と調理している桂米左の若いときみたいな青年である。
店内と什器は同じ。新しい暖簾に「贈・与太呂」とあるから、友好的継承である。
メニューは「何でもあり」で、そう変わらないが、「居酒屋」面が強化された印象。地酒が増え、メニューに豚とろ焼き350円、エノキポンズ200円、ウインナー炒め300円などが増えている。反面、(正規の名前が何だったか)「菜っぱ」といえば作ってくれた、吸物と煮びたしの合体みたいなスープはなくなっている。
まあ、これからボチボチだな。
で、朝から白子と湯豆腐でビール。小ごはん。
午前5時に朝帰り。HP「与太呂」を「ひろや」に変更する。
終日穴蔵。
夕刻、専属料理人と歩いて肥後橋の「住友クラブ」へ。
この中のホールで定期的に開催されている御堂筋ジャズギャラリーという会。
本日は滝川雅弘さんを中心に「Benny Goodman Special」という企画である。
滝川雅弘(cl),鍋島直昶(Vib),畑ひろし(g),八木隆幸(p),中村尚美(b),佐藤英宣(ds)
これは、昨年奈良での「ベニー・グッドマン生誕95年記念ライブ」とほぼ同じメンバー。畑ひろしを聴くのもあれ以来である。
このフロント3人はスイングでは日本最強といえるのではないか。
セブン・カム・イレブンからシング・シング・シングまで2ステージ全12曲を堪能。
「食」のハシゴと違ってジャズはいくら聴いていても飽きない。
2月21日(土)
天気がよく、本格的な花粉飛散の前にベランダで布団を干す。
ついでに掃除。
ベランダに大量の犬の毛が吹き溜まっている。排水孔が詰まりかけである。
ペット問題で苦情が絶えないはずだ。
終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
2月22日(日)
終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。日曜だが仕事場に来ていたらしい。ちょうどいいタイミングだったのでメディア別文章作法についてレクチャーを受ける。
晩酌は控えて、夜も「文章」を書くのであった。 と、とつぜん雷雨。かなり激しい雨になる。
これ幸いとベランダの掃除。バケツで大量の水を流して、デッキブラシで清掃、犬の毛その他を洗い流す。
晴れた昼間にこれをやると、ベランダの仕切を越えてお隣まで「浸水」するから気を遣うのである。
木は森に隠す、水洗いは雨の日にする、殺人は戦闘中に行う、ミステリーの基本である。
ちょっと体が冷えたので、シャワーを浴びてから「自宅」へ行ってビール飲みなおし。夜中になる。
2月23日(月)
市内ウロウロ。雑用の多い日である。
穴蔵に戻ると、ジュンク堂のUさんから電話、『桂歌之助』の問い合わせである。東京からの問い合わせが時々くるという。
「残部僅少」状態なので、午後、最終ロットを配達する。
風が強くて、とても自転車に乗れるものではない。
ちと運動不足なので歩いて堂島まで。梅地下の北端から南端まで歩く。
帰路も歩く。
「桂歌之助」の案内を「売り切れ間近」に変更する。
夕刻、カネボウの帆足くん辞任表明のニュース。遅いよなあ。「帆足アホ」という回文はカネボウ社員の中では定番ギャグであろうと想像する。
2月24日(火)
早朝の電車で播州龍野のタイムマシン格納庫に移動。
部品のチェックなど、また1件始動である。
実家にも寄る。相変わらず野良が日当たりのいい縁側で寝そべっておる。だんだんわがもの顔になってくるなあ。
夕刻帰阪。
2月25日(水)
朝刊の広告、白石一文『見えないドアと鶴の空』……書店関係者の推薦文が掲載されているが、そのひとりがジュンク堂のUさんであるのに気づく。芸術書・音楽書担当だが、やっぱり小説好きなんだなあ。短いが達意の文章。もう配達の機会がないのが寂しくなるなあ。
春の陽気である。
阪急三国の近く、某製作所へタイムマシンの部品加工の打ち合わせに行く。ちとややこしい部品なので、サンプル持参。
帰路、ちょうど昼前になったので、三国駅前の三国そばでキザミうどん。やはり旨い。「立ち食いうどんランキング」も新規店を拡大しなきゃなあ。
と、穴蔵に戻ってパソコン起動すると、関東方面の立食い麺ミシュラン氏からメール。HPを投稿形式に変更したという連絡である。がんばっているなあ。
よし、近日、京橋とか鶴橋方面を探索してみよう。どうもここんとこ行動範囲が狭まっているからなあ。
と思いつつ、午後は穴蔵。
変化に乏しい日々である。
2月26日(木)
終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
テレビは若村麻由美がなんとか教の教祖と結婚していたというニュースばかりだが、なんだか許永中に似た男だなあ。
2月27日(金)
終日穴蔵。
10時過ぎにテレビを見たら、麻原の判決、主文の読み上げが後回しになったというから、結論は出たようなもの。夕方までほとんどの局が特番を組んでいるが、間が持つのかねえ……と余計な心配していたら、京都の丹波町の養鶏場で鶏インフルエンザ。1万羽ほど死んでいるのに通報せず、タレコミ電話で発覚したらしい。以前の職場から北摂の山を越えたあたりのはず。ややこしいことであるなあ。
夕方まで雑読。
焼きトリが食べたい気分だが、夜は豆乳鍋であった。
2月28日(土)
昼前にOBPへ出かける用事があって、天満まで自転車、ここから環状線で京橋へ。
ここで久しぶりに「立ち食いうどん」探索。
関東方面の立食い麺ミシュラン氏が「教えてミシュラン」という投稿ページを併設した。ちょうど気になっていた「激戦地」京橋を通ので、朝飯は抜きである。
雑用や買い物を挟んで、1時間のインターバルで3軒。
京橋外回りホーム「にしき」→東口を出た商店街の「えびす」→同じく「京橋浪花」
「京橋浪花」がいちばんの好みであった。ということでランキングを修正する。
帰路、青空書房に寄って『桂歌之助』の売れ行き調査。在庫僅少になったのに合わせて、こちらでもピークは過ぎた様子。増刷数は正解だったようである。
夜、久しぶりにサントリー・ファイブへ。
3月1日にODJCのホームページを開設する日程が決まったので、前夜祭を兼ねてちょっと一杯。というわけで運営委員のうわばみ氏や口羽さんら、お馴染みの顔ぶれ。
ラスカルズ、久しぶりに正規メンバーが揃う。
マホガニーホール・ストンパーズのクラ・小林さんも来ていて、途中で数曲。
23時まで。
昼のうどん食べ過ぎ、夕方に鰆のムニエルなどでワイン、夜は水割り……で、どうも腹具合がよろしくない。
2月29日(日)
あ、もう月末なのであった。
やや二日酔いである。二日酔いというのはこの2年ほとんどない。外で飲む機会が減ったからなあ。
ということで、終日穴蔵のつもりだったが、インク切れで、午後歩いてヨドバシへ。競馬開催日でもあって殺人的人出、不況どこ吹く風である。
夜、『大改造! ビフォーアフター』を見る。
天竜市在住の内山淳平さんが住居改造の「匠」として登場。Junpeiさんは、面識はまだないのだが、古くからの森山ファンで、「ドラマーな建築家」であり「居住空間の印象派」である。
匠の技より先に、凄いハンサムなのにびっくりする。
天竜杉を使ったアイデア続出。完成したリビング、ものすごく音響が良さそうな雰囲気。
ドラムよりもクラリネットを聴いてみたい居住空間であった。
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