HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』296

●マッドサイエンティスト日記(2004年2月前半)


主な事件
 ・「桂歌之助」残り少なくなる(2日)
 ・「米朝一門会」(4日)
 ・手塚さんの命日と父の命日(9-10日)
 ・牛丼最後の日(11日)
 ・福吉久代さんの個展(11日)

2004年

2月1日(日)
 日曜といえども定刻午前4時に目が覚めてしまうのであった。
 朝刊を読んでいたら、なんと5時半に専属料理人が起きてくる。
 本日、大阪府知事選挙で終日「立会人」なのである。13時間、ずっと座って投票箱を眺めているだけの役。本を読むかMDでも聴いてられるならともかく、寒い体育館で、ありゃ拷問に近い。ま、地域社会のしがらみでしかたないのである。
 ということで、わしゃ10時頃に投票に行く。
 が、入れたい候補者ゼロという選挙は嫌なものだ。
 終日穴蔵。
 夜、専属料理人の帰宅時間に合わせてナベの用意。
 で、カモ鍋でビール飲みながらニュースを見ていたら、21時、あっという間に「太田房江の当選確実」という。あほらしい限り。またも4年間「土俵に上がりたがるだけが仕事と心得ている女相撲の取的」を首長と仰がねばならぬのかよ。

2月2日(月)
 朝から冬の雨である。
 早朝の電車で播州龍野のタイムマシン格納庫へ移動。
 朝9時前に着いて、終日タイムマシンの整備。
 途中、専属料理人から電話。「旭屋から「桂歌之助」の本の追加注文」という。専属料理人に配達を命ずる。ありがたいことである。……そろそろ残部僅少のアナウンスが必要か。
 実家泊。
 こちらは寒い。
 老母の確定申告の準備。

2月3日(火)
 やっぱり4時に起床。大阪だと室温が早朝でも15℃を切ることはないのだが、龍野はたぶん6、7℃ではないか。
 居間でストーブをつけてゴソゴソしていたら、裏庭で猫の鳴き声。
 昨年、恐ろしくネクラな野良猫が数匹子猫を産んで、どういう経過をたどったか、その子猫の一匹だけがウチの周辺に住みついている。寒い中、どこで寝ているのか、物音を聞きつけると何かねだりにくるらしい。
 親はもの凄く警戒心が強い猫だったが、こちらは少しずつ慣れてきているらしい。
 ドアの少し内側まで入ってくる。
 off
 春まで生きていれば、だんだんと開いたところから侵入してきそうである。
 どうなるのやら。
 朝から、またタイムマシン格納庫へ。
 午後帰阪。
 『桂歌之助』の発送数件、青空書房からまたもCDの追加連絡。

2月4日(水)
 1月末にやり残しの雑件で朝から市内ウロウロ。
 風が冷たく強く、自転車にはつらい。
 昼前に青空書房へ限定品のCDを届ける。……本はあと2冊しかない。また届けることになる。
 off
 午後、ジュンク堂からの追加注文の電話。
 またも自転車で青空書房へ。扇町公園を抜けて梅田新道経由、ジュンク堂まで。いい運動にはなるなあ。
 15時前に帰宅。
 ホームページの『桂歌之助』案内、「残り少なくなってきました」に変更する。
 15時からラジオ大阪「こごろうのワイワイジャーナル」に田中啓文氏が出演。ジャズの話、「小説すばる」に連載中の「落語ミステリー連作」の話など。……が、会社勤務時代、株主総会担当だったというあたりが興味深い。もっと詳しく聞きたいところだ。
 夕方、阪急で箕面へ。
 メイプルホールで「米朝一門会」……ちょっと遅れて着いたら、舞台では桂こごろうさんが「へっつい盗人」熱演中。「ワイワイジャーナル」が終わってから駆けつけた様子である。
 米朝師匠は中入り前に一席、なんと「七度狐」である。
 「最近はボケてきて、途中から別の噺になって自分でもわからん時がありますが、二十代で覚えたのはきちんと入ってますさかいに」ということだが、米朝師匠は時々こういうのを演られる。十年ほど前「寄合酒」を聴いたけど、やっぱり面白かったものなあ。
 ただ少し風邪気味か、咳が辛そうであった。
 中入り時間に楽屋へ。
 ……正月のサンケイがごった返していて、『桂歌之助』に寄稿していただいたお礼をいう機会がないままだったのである。「完売間近」という報告も兼ねてなのがなによりである。
 楽屋へ行くと「さっきまで小松さんご夫妻が来てはりましたで」……小松さん、東京からの帰路に立ち寄り、体調いまひとつなのでと先に帰られたらしい。
 色々な人たちが錯綜しているなあ。
 米朝師匠にご挨拶。ついでに(実はこれが主目的でもあるのだが)筒井康隆さんとの対談『笑いの世界』(朝日新聞社)にサインをいただく。
 これは青空書房(筒井さんのサイン本が確実に入手できるのはここだけ)経由でしか実現しない企画で、桂米朝・筒井康隆と2大巨人のサインが並ぶお宝誕生である。
 off
 あ、青空書房では筒井さんのサイン本は入手可能ですが、米朝師匠のサイン本が入手できるわけではありません。念のため。だからこそお宝なのである。
 帰路、阪急石橋で、学生時代からのなじみの居酒屋「一力」に寄る。
 おでんや焼き魚でビール、湯割り。
 最近、この店は阪大落研の溜まり場になっているらしい。本日は誰もいないが。落研の顧問が河田聡先生という。ナノテクのリーダー的存在。
 不思議な日である。……本日「上方落語」を媒介に、田中啓文、小松左京、河田聡と名があがり、その誰とも会えなかったのだが、ともかく関西のSF、ホラー、ナノテクノロジーが落語で結びついていることだけは実感できる。
 夜中帰宅。

2月5日(木)
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。

2月6日(金)
 ともかく寒い。晴れたり急に曇ったり。風が強い。
 近所の医院へ行く。血圧正常。この寒さで血管もキン玉も相当縮んでいるはずだから、まあ安心な方か。
 昼前に青空書房へ。米朝師匠のサイン本を届け、『桂歌之助』の残部がかなり少なくなってきたと報告。チラシに常備店と記載している唯一の書店なので、最終的には青空書房と通販が残るかたちになりそう。
 帰路、先日飲み会をやった居酒屋「大甚」の前を通りかかる。昼飯メニューもあり。夜メニューが旨かったので、ここで昼飯。周囲、カツ丼を食べている人が多いのでおれもカツ丼。バカウマ。
 穴蔵に戻ったら、米朝事務所のK森さんから電話。『桂歌之助』残り2冊になったから、また持ってきてくれとの連絡。
 またも自転車で西天満の米朝事務所へ。ありがたいことである。
 ハチでコーヒーを飲む。冠水したアルテック・バレンシアは保険関係の調整がついて修理中、2ヶ月ほどかかるという。まあよかった。
 雪がちらつく中を穴蔵に戻る。
 郵便振替による注文が届き、「大口」1件。荷造りして、今度は郵便局とヤマト運輸へ。
 これで「3月末」あたりと予想していた在庫数を割り込んだ。
 予想以上のペースである。
 「桂歌之助」のご購入案内、「残り少なくなりました」を「残部僅少」に変更する。もう少し経つと「売り切れ間近」、その後「完売御礼」になりそうである。

2月7日(土)
 おっそろしく寒い日である。
 夕方まで穴蔵に籠もる。
 夕刻、重装備で天満のエル大阪。
 シナリオ学校エンターテインメントノベル専科の講座。
 この寒さにもかかわらず出席率高く、ファンタジー系の中編3篇についてゼミ形式でやっていたら、大幅超過、午後9時近くになってしまった。
 エピローグの形式について、一挙に時間的スケールを広げるのが最良の方法かどうか、ぼくも迷うところだ。『楽園の泉』や『太陽の簒奪者』は買いである。理想的エピローグが『果しなき流れの果に』であることはいうまでもないのだが、これを読んでいない人が多いのに、ちょっと時代を感じるなあ。

2月8日(日)
 終日穴蔵……のつもりが、間違って常用メガネ(遠近両用)を踏んづけて、フレームを壊してしまった。
 酔っぱらってにはあらず、寝ぼけてである。
 昼前、寒い中、自転車で駅前ビルのメガネ店まで、修理依頼に行く。預かりになる。
 帰路、旭屋に寄るが、予備のメガネでは細かいタイトルが見にくい。
 午後は穴蔵に籠もる。

2月9日(月)
 早朝の電車で播州龍野のタイムマシン倉庫に移動。
 夕方まで見張り役を務める。敵襲なし。
 寒くてキンタマが波動関数の収縮。
 夕刻、実家に帰り、風呂の湯でキンタマをちゃんと2個に戻す。
 水炊きでビール、熱燗。
 手塚治虫さんの命日であることを思い出して、東の方向に献杯。

2月10日(火)
 寒くて午前4時前に目が覚める。よくこんな部屋で受験勉強をしていたものである。当時は火鉢だけ。軍手の指先を切って辞書を繰ったものだが、とてもあんな真似はできんなあ。
 重装備で庭に出てみると、西の空に月が皓々と輝き、しかも星は多い。
 快晴で、日が昇ると急速に暖かくなる。
 本日は父の命日であるので、殊勝にも墓参に行く。
 手塚治虫さんと一日違い(3年違うけど)なので、父の命日前日に手塚さんを思い出すことになるのである。
 本日もタイムマシン格納庫に籠もる。
 夕刻帰阪。
 帰りの車中、文芸春秋掲載の芥川賞2作を読み比べる。
 文章、技法ともに『蹴りたい背中』が19歳とは信じられぬうまさである。三田誠広がそうであった。が、どちらが「大成」するかというと、『蛇』の方なのかな。あくまでも可能性だけど。選考委員諸君の多くはハッタリに気圧されている感なきにしもあらず。加齢にともなう不可避の傾向であるけどね。歳はとりたくないなあ、と思いつつ、わしも否応なく歳をとってしまったけど。

2月11日(水)
 建国記念日で世間は休日。
 おれも穴蔵で惰眠をむさぼる……つもりであったが、そうもいかず。
 昼前、自転車で修理に出していたメガネを受け取りに梅田へ。
 梅田(場外馬券場近く)→新梅田食堂街→お初天神近く、と3軒の「吉野屋」の前を通るが、どの店も人が多い。「牛丼」最後の日で食べ納めという人が多いらしい。
 うーん。牛丼というのはうまいのであろうか。
 なぜか、おれは牛丼を食べたことがない。なくなりそうだから食べるというのも牛丼ファンに対して失礼だしなあ。
 たぶん牛肉はビールのアテというイメージが強いからだと思う。
 わが好みの三大丼は、カツ丼、鰻丼、天丼であって、たまに海鮮系。それ以外はまず食べることがない。
 ま、販売再開されたら一度は食べてみるかなどと思いつつ、昼は「とり平」で鴨ソバ。
 帰路、茶屋町画廊へ。
 福吉久代さんの個展が開催中であるのを思い出して立ち寄る。
 off
 福吉さんの絵は10年ほど前から見ている。
 たとえば97年5月5日など。
 考えてみると、福吉さんとは桂歌之助さんの独演会で知り合ったのである。
 画風は落語とは関係なし、カオテックで生命の躍動が感じられる画風。幾つかの入選歴も重ねられて、ますます深みを増している印象である。
 穴蔵に戻ると、青空書房の坂本さんから電話。本の追加かと思ったら、
 「センセ、京都のYくんからお酒を預かってまっせ。私が飲んでしまうことはありまへんけど、瓶を倒して割ってしまうのが心配ですさかい、早よ取りにきとくなはれ」
 ありがたくかたじけなく。
 自転車で駆けつける。
 伊勢の酒『御山杉』、マフラーで包み、自転車のカゴに入れて、徐行で持ち帰り。
 夜、湯豆腐、山かけ、山芋の海苔巻きなど並べて一献。
 バカウマ。
 もう寝るのである。

2月12日(木)
 穴蔵で少しは仕事もする。
 午後、市内ウロウロ。
 本町界隈。某社・某行、小牟田氏の事務所で落語関係の情報交換の後、かんべむさし氏の仕事場に寄って雑談1時間。
 帰路、靱公園を抜けて地下鉄本町駅へ向かう。
 靱公園はバラ園をつぶして何やら大がかりな工事中である。市のやることだから、ろくな事ではあるまい。
 と、公園南側に2、30人の人だかり。
 off
 専属料理人に頼まれて時々寄っていたパン屋Tである。テレビで何度か紹介されてから、長い列が途切れることなくなり、買えなくなってしまったとか聞いていたが、なるほど午後3時半というのに、こんな状態であったのか。
 まあ、店の経営方針だからしかたあるまい。
 わしゃパンの味は全然わからないからどうでもいいが、20年前、「呉春」が入手しにくくなった時を思い出す。わが清酒離れはあの時からかな。だんだんと焼酎メインに変わっていったのであった。

2月13日(金)
 終日穴蔵。
 インドネシアの見知らぬ相手とメールのやりとり。20年ほど前のある装置が島根県から流れ流れてバンドンに漂着しているのである。ドラマであるなあ。
 夕刻、専属料理人から「発熱状態」と連絡、近所の医院に連れていく。困ったものだ。
 点滴。インフルエンザではないらしい。
 専属料理人が寝てしまったので、夜は水炊きでひとり酒盛り。

2月14日(土)
 専属料理人が寝込んでいるので、洗濯その他、時々「自宅」の様子を見つつ、穴蔵で過ごす。
 突風が吹く。春一番であったらしい。

2月15日(日)
 専属料理人、起きてゴソゴソ動き始める。
 終日穴蔵。
 「題名のない音楽会」は小林桂の特集で、マーサ三宅と北村英治がゲスト。上山高史特集はやらないのかなあ。
 午後、たまたまテレビをつけたら、見たような建物が写っている。
 すぐ近所、公園横のOビルである。
 番組表を調べると『難波金融王 ミナミの帝王 極道金融』で、「極道」のいるビルが向かいのOビル。
 off
そういえば何年か前、ロケしていたのを思い出す。この映画であったのか。最後の方、オカマが刀持って駆け込む場面で確認。やっぱり間違いないが、あのうるさいオーナーがよくOKしたものだなあ。
 ……と、同じ集合住宅の住人だから余計なことは書かんとこ。


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