『マッドサイエンティストの手帳』264
●マッドサイエンティスト日記(2003年1月後半)
主な事件
・東京ウロウロ(16日)
・40年ぶりに会う同級生(18日)
・滝川カルテットを聴く(21日)
・牧野修さんのSF大賞受賞祝い(25日)
・サウスサイド・ジャズバンドを聴く(28日)
・ルン吉くん、live & well(30日)
・ピンカラ料理最後の日(30日)
2003年
1月16日(木)
昨夜から浅草ビューホテル。
所変われど、やっぱり午前3時に目が覚める。朝まで本を読む。
ちょっとテレビをつけたら、ドキュメント・タッチのケネディ暗殺ものをやっている。番組表がないので確認できない。『ダラスの熱い日』だったかな。前に見た時と印象が違うような……。
6時に浅草寺まで散歩。寒い。まだ暗く、境内の清掃中である。
早朝営業の食堂がないか探すが、牛丼とコンビニばかり。豚カツ屋が1軒開いているが、ここは24時間営業らしく、さすがに朝から豚カツ定食を食べる気にはならない。
どうも旅先では早朝の時間を持て余してしまうなあ。
チェックアウト前まで読書。
午前中、神田の古書店街。古本屋も減った印象である。
ディスクユニオンにエディ・ダイエルズとプッティ・ウィックマンの2クラ・ライブのCDがあったので購入。
昼、新宿西口から某高層ビル前の広場まで歩く。
ボンクラ息子その1と「天一」で昼飯。「奢ってやる」というが、そうもいかんよ。来年から住民税がかかるんだから質素に暮らすように。
あと真っ赤なLOVEというモニュメントの前で記念撮影。
まあ一応ボンクラ・サラリーマンらしい格好にはなっている。
石神井公園の1ルームにいるボンクラ息子その1、おれはコタツで寝てベッドを提供するから泊まっていってもいいというが、聴きたいライブなし、パソコンも持ってきてないので、午後の新幹線で帰阪することにする。
さすがに帰路も「青春18」という元気なし。
小林信彦『コラムの逆襲』を読みながら、ひかりで夕刻帰宅。
1月17日(金)
朝っぱらから、なんで中村扇雀の「不倫密会」が大ニュースなんよ。
チ○ポまる出しの親父(人間国宝)ともども、親子茶屋ならぬ「親子ホテル」で、愉快な話じゃないか。
しかし、この親子に比べると、米朝親子は品があるなあ。
終日穴蔵……のつもりが、またも集合住宅関係のもめ事。引っ越したくなるなあ。ボンクラ息子その1の部屋に居候を決め込むべきであった。
夜、テレビで『シックス・センス』を見るが、これ、短編の引き伸ばしだな。ふた通りの「オチ」を想定したが、つまらない方だった。半村良「夢の底から来た男」を映画化した方がよほど恐ろしいのではないか。おかげで「地球時間」ジャズ篇の最終回を見逃した。
1月18日(土)
早朝のJRで播州龍野の実家に移動。20日まで有効な「青春18」5回目を使用する。日帰りだと、こちらの方が安い。3月もこれを利用するに限るな。
タイムマシン格納庫もチェック。ATMではないが、ショベルカーで破壊されないか心配である。
夕刻、姫路へ。中学・高校時代の突発的同窓会である。
ドイツにいるO室くんが一時帰国しているからというもの。
急な連絡であったが中華料理屋に7人集合。
O室くんともう一人とは、卒業以来、なんと約40年ぶりである。
O室くんは理学部に進学したはずだったが、卒業後、ドイツ留学、医学部に入って、そのまま現地で医者になってしまったという、不思議な経歴の持ち主である。
話を聞くと、御父君は医師で、終戦を今の北朝鮮で迎えた。母と子供は必死の思いで帰国、御父君はシベリア抑留となった。この時に、同じく捕虜であったドイツ人の医師と知り合った。そんな縁で留学した結果、ドイツで大学教授になっていたその医師の下で医学を学ぶ気になったのだという。
大学の教養ではドイツ語を(父親のいいつけを守って)熱心に勉強していたから、留学時にドイツ語に不自由はしなかったという。おれには真似のできない話だ。
その後も、ともかく波瀾万丈に近い話があって、ドイツで結婚、今はドイツ国籍で、日本国籍は抹消したという。日本へも帰国でなく来日なのである。
しかし、ともかく、ドイツへ行ったときに頼れる友人がいるというのはありがたいことである。
紹興酒、ちと飲み過ぎか。
最終に近い新快速で帰阪。
1月19日(日)
久しぶりに「終日穴蔵」
静かなのは日曜日であるかららしい。
1月20日(月)
終日穴蔵……のつもりが、やっぱり集合住宅のもめ事。
要するにおれ(理事長)の不在中に起きた水漏れ事故だが、加害者側が認めず、保険会社から来た鑑定人が被害者に同情して「説得」するような事態まであったらしい。その事後処理で電話錯綜。困ったものだ。
朝からニュースは貴乃花の引退確実の報道。
昼過ぎに貴乃花引退表明あったらしく、夕方から夜にかけてもこればっかり。号外まで出たらしい。ま、ガチンコは本当だったのだろう。千代の富士には与えられなかった一代年寄が与えられたってことは、協会も実情は知ってたんだろうな。
1月21日(火)
朝刊、貴乃花引退ばかり……と思ったら、サンケイの一面トップは異色。
NEC関連会社「シンシア」を通じて「街宣」団体に1千数百万円を渡したというスクープ。関本忠弘の解任を求める街宣活動した団体に、シンシア→原町共栄クリーンのルートで裏金が流れていたと、これはまさにスクープだが、他紙もテレビもまったく報道しないのはどういうわけだ。
しかし、「シンシア」とは気恥ずかしい社名だな。まあ、やることと正反対の名前をつけるのは世の常だが、なんだか五十嵐敬喜が「正義」、今岡清が「羞恥」とか「自立」と名乗るようで、ブラックジョークとしか思えない。
夕方まで穴蔵に籠もりたいが、またももめ事電話がありそうで、午後は市内の用件で出かける。
夜は、谷町9丁目のSUBへ。
滝川雅弘カルテットの月例ライブ。本日のベースは廣田昌世さんである。
新CDが出たばかりで、客席、比較的多い方かな。
どういうわけかオール・リクエストの日である。
『Autumn Leaves』からのリクエストが多かったが、2ステージ目、「マンハッタン」(おれのリクエスト)と「ラウンド・ミッドナイト」が続くという凄い組み合わせだが、ともにとてもよかった。
1月22日(水)
早朝、メールを覗くと、見知らぬ方から「宇宙法廷ノート」のリンクがおかしいという指摘。1年前にアップしたもの、あわてて修正。再開しなきゃなあ。
といいつつ、タイムマシンの部品関係や社会保険事務所など、ウロウロする仕事が重なる。
1月23日(木)
冬の雨である。
早朝の電車で播州龍野のタイムマシン格納庫へ移動。
西へ移動すると天気は少し回復、龍野は霧の中であったなんて抒情的だぜ(と、なぜか殿山泰司調になる)。
実家に寄る。おれをぶち生んだ老婆のいる家へ行く。どなたはん。あんたの次男や、今帰ったで。さよか。なんてことで半日過ごす。あとの半日タイムマシン。よーいよーいデッカンショと、夜帰阪。
1月24日(金)
終日穴蔵。
とはいえ、やっぱり集合住宅のゴタゴタで3時間ばかりの無駄。
困ったものだ。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。1時間半ほど、色々意見交換。
「宮本武蔵アンソロジー」で、直木三十五と武者小路実篤を取り違えたという事件。「なせおれと間違えん」とかんべ武蔵が立腹するのはもっともである。しかし、実篤の宮本武蔵というのは読んでみたいものだ。
1月25日(土)
夕刻、梅田のビアホール「ニュートーキョー」へ。
牧野修氏のSF大賞受賞、内輪の祝賀会である。
昨年の北野勇作さんの時は京都でだったけど、今回は梅田。大阪の、だいたいお馴染みの顔ぶれに、遠路京都から我孫子武丸さん、菅浩江さんご一家、藤原ヨウコウさんらも。
全部で18人であったかな。
2年連続で「大阪SF」が受賞というのはたいしたものだ。
幹事は田中哲弥さんらしかったが、喜多哲士さんがメニューの一角を指さして「ここからここまで2皿ずつ」と注文したため、ポテトフライ・春巻・イカフライ・小エビのフライ・鶏の唐揚げなど揚げ物が20皿ほど並ぶ事態となった。ちと食傷気味。
宇宙作家クラブで集まる場合は「降着円盤型メニュー」と決まっていて、しかし、その降着円盤切断専門家が東京在住だから、まあしかたないか。
……結果として、ビールや焼酎ガフ飲み、ダラダラガヤガヤと3時間以上居座っていたにもかかわらず、ゲスト除く割り勘でひとり3千円を切るという激安パーティとなった。牧野さんにふさわしい会である。
牧野さんには藤原画伯の原画が贈られた。
大賞候補者もいて、こちらには機関銃の模型がプレゼントされた。しかし、撃つののならぜひ「巨根」の方を狙ってほしいものだ。いや、並んでいるところを掃射するのがベストか。
ビール飲みすぎ。
土曜なのでニューオリンズ・ラスカルズを聴きに行きたくなるが、時間的には最終ステージしか聴けないと判明、専属料理人も出ていくには寒いというので、まっすぐ帰館。
1月26日(日)
終日穴蔵……のつもりが、集合住宅の揉め事で「示談書」作成と立ち会い。
日曜くらいは静かに過ごしたいものである。嗚呼……。
1月27日(月)
冬の雨である。
じっとしたいたいのだが、必要あって税務署まで。確定申告の方式を変えるかどうか相談である。
早くボンクラ息子の扶養家族になりたいものだ。
アマゾンに申し込んでいた、新津きよみ『アルペジオ/彼女の拳銃 彼のクラリネット』と(今頃なのだが)小川一水『群青神殿』が届く。
午後には「小松左京マガジン」9号が届く。……澤田氏の「継ぐのは誰か」インタビューが読ませる。
終日「雨読」である。これらについては別項に書く予定。
1月28日(火)
久しぶりに朝からネクタイにスーツで仕事をする。
地下鉄で谷町4丁目の法務局、そこから歩いて、商工会議所。
ついでに2階の商工図書館に寄ったら、2月末で閉館するという掲示。ふーん。書籍はどこへ行くのか。特に社史などの行方が気になるなあ。
産業創造館にもちょっと寄る。
さらに歩いて本町のαランド。何も買わず。
中之島まで歩いて府立図書館。
さらに梅田まで歩いて某銀行。
紀伊国屋書店を覗いて、歩いて夕方に近い時刻に帰宅。
それでも延べ歩行時間は1時間半程度かな。毎日これくらい歩けばいいのだが。
夜、9時過ぎにサントリー5へ。
サウスサイド・ジャズバンドの出番である。2,3セットを聴く。
カウンター一番奥の「指定席」で聴く。が、3セット目に隣に来た「見るからに妖しげな雰囲気の」ふたり、若い女が仕方話で「人物論入り営業一般論」をぶちまくり、上司らしき男が「そうや、そうや、君はわかってるね」とおだてまくり。どんな業種なんだ。たまらんなあ。デキシーに似合わんよ。
席を前の方に移してもらって、リクエストで「メリーランド・マイ・メリーランド」演奏してもらう。
藤森さんのピアノが相変わらずストイックでいい。
帰路、ツタヤに寄って、ビデオ2本借りる。岡本喜八とマルクス兄弟。
1月29日(水)
この冬一番の寒波。風が恐ろしく冷たく強い。朝刊をとりにちょっと歩くだけキンタマがパチンコ玉程度に収縮してしまう(実見検分はしてないけど)。
午後、昨日借りてきたビデオ2本を見る。岡本喜八の『助太刀屋助六』とマルクス兄弟『我が輩はカモである』。
『助太刀屋助六』……宿場町が西部劇の作りなのが嬉しい。ただ、年齢かなあ、「独立愚連隊」や「暗黒街シリーズ」の頃に比べると、やっぱりテンポがのろい。ただし「石つぶてを提灯に命中させるショット」には感嘆した。さすが喜八! この一場面だけでも観た値打ちがあったと思う。
『我が輩はカモである』……3度目かな。ただミラーダンスはひとりで観たのでは大笑いできないなあ。
1月30日(木)
サンケイの朝刊一面に『大阪市のホームレス「路上死」年間200人』の記事。
3年前からルン吉くんについて心配していたのがこれなのだ。
記事によれば、大阪市のホームレスは1万人を超える。平成12年に死亡したホームレスは213人。
キャプションに驚くが、子供のホームレスはいないから、ホームレスの平均年齢が56.2歳ということから考えれば、驚くべき数字ではない。凍死は19人であったという。
ただ、ルン吉くんの場合、ホンモノのホームレスであって、ダンボールハウスすら持たず、この厳寒でも、歩道に新聞紙を敷くだけで寝ていたのである。
今年はまだ見てないが、元気なんだろうか。昨日今日と記録的な寒さだからなあ。
午後、ビデオ返却に自転車で梅田まで。
と……ツタヤの横の路地で、なんとルン吉くん「仕事中」であった。
元気でいてくれたのだ。
昨年10月25日に会って以来だ。
(たぶん)この冬いちばんの寒波を乗り切ったのだから、今年も大丈夫だろう。
3冬を耐え抜いた赤い防寒服、あと1年もつかなあ……。
夜、地下鉄で心斎橋へ。
マホガーホール・ストンパーズの高居(ピンカラ)さんの店「LuLu White's」へ。デキシーの流れる居酒屋であるが、色々な事情があって1月末で閉店するという。
電話で打ち合わせて、滝川雅弘さんと現地で合流。
カエンター奥に生首みたいに見えるのがピンカラである。
閉店となると、不思議なもので、色々な人が顔を出す。
ニューオリンズ・レッドビーンズのコルネット・池本さんも現れた。
涙なくして味わえぬピンカラ料理(確かに旨い。焼きそうめんだけは、ボリューム満点なので食べ損なってしまったが……)、滝川さん、それに隣のお客さんともシェアしながら、5,6品の食べ納めである。
むろん、マホガーホール・ストンパーズの演奏がなくなるわけではない。
ただ、ミナミの方でちょっと寄る店がなくなるのは、やはり寂しいなあ。
1月31日(金)
終日穴蔵。
たいした仕事もしないまま1月は終わる。
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