『マッドサイエンティストの手帳』855

●マッドサイエンティスト日記(2025年6月後半)


主な事件
 ・KLL例会(20日)
 ・長男帰省(21日)

 ・亀和田武『60年代ポップ少年』(中公文庫)


6月16日(月) 穴蔵
 陰のち晴。終日穴蔵。
 ……と断腸亭79歳モードになってきた。
 実態はややこしい雑事色々あり、効率悪く、しかも睡眠時間が断片的で不規則だから、こうとしか書きようがない。
 しばらくこんな日が続きそうな。

6月17日(火) 穴蔵/ウロウロ
 陰のち晴。真夏日となる。
 終日穴蔵……とはいかず、少しは動かねばならぬ。
・午前、近所の医院で定期健診。数値は良好であった。
 ついでに梅田へ。主にATM回り。
・午後、BSで『勝手にしやがれ』をやってるので見てしまう。4年ぶりか。
 こちらのアタマが「チンピラ」レベルに退化したため、やっぱり冗長に感じてしまう。特に中ほどのベッドイン前40分は長すぎる。
・あと午睡。
・夜、眠れぬまま本を読んでいたら、日付が変わって2時である。
 テレビで『シックス・センス』をやってるので見てしまう。こちらは22年ぶりか。やっぱり冗長に感じてしまう。「ミステリーゾーン」程度(30分)にしたら悪い作品ではないと思うが。……もっともシャラマンは、その後の『センス』で、SFが全然わかってないことが露呈してしまう。やはり無理だったのだろう。
 などと愚考しているうちに夜が明けてきた(これを書いているのは18日早朝)。

6月18日(水) 穴蔵
 晴。真夏日らしい。
 朝から直射光が射し込み、朝9時、室温32℃を超える。
 今期はじめてエアコンを始動させてみる。無事冷房に切り替わった。
 某白くま、3年前に故障して以来、シーズンごとにヒヤヒヤしつつリモコンを押すのだが、今季も無事に起動。ほっ。30分ほど稼働させてオフ。
 終日穴蔵。読書、午睡、空しく一日を送る。
 暮色から夜景に変わりゆく北梅田を眺めつつ、麦系飲料を少しばかり。
  *
 こんな日があと何百日つづけられるか。憂慮すること多し。

6月19日(木) 穴蔵
 晴。真夏日。
 終日穴蔵。資料を読んで過ごす。

亀和田武『60年代ポップ少年』(中公文庫)
 亀和田さんの「60年代ポップカルチャー」記録で、10年ぶりの文庫化。むろんSFの記録もあり、パラっとと見た印象で、おっ、これは大著『伊藤典夫評論集成』の「絶好の副読本」ではないかと思い、1週間ほど前にそう書いている。
 ところが、これは60年代の回顧エッセイなんてものではない。あとがきに「教科書的に叙述した文化史や社会史とはまったく異なるアプローチで、十二歳から二十二歳のことを書いた」とある通りで、ポップス(音楽)、SF、全共闘、恋愛、劇画アリスの編集などがデティルにこだわって記述され、60年代の「POPな断腸亭日乗」を読む気分になる。その意味では、私にとっては、もうひとつの大著『荷風の昭和』の絶好の副読本ともいえる。
 いや、副読本というのは失礼だな。じつは私も60年代がらみで現在進行中の企画があり、さらにもう一件、60年代SFについて話を聞きたいという連絡を受けたばかり。シンクロニシティであろうか。60年代SFに限っても、これは貴重な文献である。
  *
 60年代は、亀和田さんの12〜22歳。私よりだいぶ若いが、早熟な分、SF活動のスタートはほぼ同時、いや「活動」は亀和田さんの方が少し早いかな。
 SFマガジンの読みはじめこそ2年遅いが、「一の日会」への参加が65年。海外SFについては伊藤典夫さんの影響が決定的だが、他にもヨコジュン、鏡明、川又千秋、牧村光夫などおなじみの顔ぶれがゾロゾロ。スぺオペや日本SFへの言及も面白いが、もう少し若いファン「SF少年団」の活動も面白い(私はこちらはあまり知らなかった)。
 65年といえば、大阪で64年にファングループが誕生、65年から梅田の「アポロ」で一の日会に似た活動が始まった頃である。そして亀和田さんとは67年末のMEICON(名古屋でのSF大会)合宿で同じホテルのどこにいたはずだ。
 ……こんな調子で感想を書いてたのではキリがなくなるな。
 あっと驚くエピソードもずいぶんあるが(安倍晋三が亀和田さんの「後輩」とは想像もできなかった。このことは前にも書いたな)、ぜひとも本書で読んでいただくことにして、新宿のジャズ喫茶のことを少し。
 新宿のジャズ喫茶については、憧れていたものの、結局行く機会はないまま(『ピットイン』などライブハウスには何度か行ったが)で、文献体験で終わっている。だから亀和田さんの伝説のジャズ喫茶「ビレッジ・バンガード」体験談が面白い。
 新宿にはまぎらわしいジャズ喫茶が3店あった。「ビレッジ・バンガード」「ジャズ・ヴィレッジ」「ヴィレッジ・ゲイト」である。その中で「ビレッジ・バンガード」が伝説のジャズ喫茶といわれるのは、「永山則夫と北野武がアルバイトしていて、中上健次が常連だった」などと書かれた影響らしい。永山則夫がバイトしていたのは事実だが、たけしがバイトし中上が常連だったのは「ジャズ・ヴィレッジ」(「ジャズヴィレ」と略される)で、こちらが本格的なジャズ喫茶だった。「ビレッジ・バンガード」の実態は深夜営業しているショボイ店で、始発待ちの客が多く、ジャズなどあまり聴いていなかったという。リアルだなあ。現場を取材してない文章は亀和田さんにたちどころに見破られている。
 ここで、私は嵐山光三郎『口笛の歌が聴こえる』を思い出した。このラスト近くにビレッジ・バンガードが出てくる。
 ビールが遅いのでまだかと催促したら、ボーイがたたきつけるように小瓶を置いた。カッときて立ち上がろうとしたら、ボーイは「曇ガラスのような視線」で英介を見る。どこかで見たような……そうか以前「リボンと一緒にビレッジ・ゲートに座っていた男……」と思い出す。永山則夫をそう描写している。小説だからどこまでが事実か詮索するのはヤボというものだが、ボーイや店を含めて、そのリアリティが気になる。
 このような事例をあげ出すと、またキリがなくなる。
 SF少年団のその後は? とか、イケビンさんはどうしてるのかとか、そういえば内田樹さんもからんでたはずだなとか。
 自分の60年代検証にあわせて、色々楽しませていただくことにする。

6月20日(金) KLL例会
 晴。真夏日。
 昼前に出て、阪急で県境を越えて三宮へ。
 午後、区民センターで神戸文芸ラボ(KLL)例会に出席。
 提出作品(エッセイ・短篇)についてあれこれ議論。
 KLLの機関誌(同人誌)Anchor KLLが出たばかりだが、合評会は来月である。
 メンバー9名中、出席は7名。欠席のおふたりがともに私より少し年上なのが気になる。
 本日は私が最高齢ということになる。
 KLLは、KCCで行われていた眉村卓さんのエッセイ・小説講座を継続するかたちでスタートした同好会である。
 私も眉村さんの講座をしばらく引き継いだことから、一メンバーとして参加しているのだが、正直なところ、最高齢となると少し戸惑う。
 Anchor の発行は、同人誌だから新作が原則だが、高齢メンバーには過去にもいい作品が結構溜まっている。それらを形にしておきたい気持ちもある。
 もしメンバーがだんだん欠けていったら……などと縁起でもないことが頭をかすめる。
 本日が私にとっては、父の命日、荷風の命日につづいて、「想定していた最後の日」だからであろう。
 夕刻帰阪。
 会場と電車内が意外に寒く、上着なしだったので、体が冷えてしまった。
 久しぶりに入浴。軽く麦系飲料。早寝。

6月21日(土) 穴蔵/夏至
 目覚めれば「特別な想定日」を過ぎていた。
 何を想定していたか。寿命である。
 30年ほど前には一般にこんなことが言われていた。
「定年は60歳である。それから20年生きる。その間の生活費をA千万として、年金はB千万。差額はA−B=C千万。退職金がD千万とすれば、C−D=E千万。定年時にE千万あれば一生大丈夫」……つまりE千万あれば80歳まで安泰だと、コンサルか何とかアドバイザーとかがまことしやかに喋っていた。
 寿命80歳をどう拡大解釈しても80年364日である。その想定日を過ぎてしまった。
 生き延びたはいいが、今日からは一文無しである。どうすりゃいいのよ。嗚呼。
 夜が明けた。5時過ぎに直射光が射し込む。夏至である。
 昼前に長男が帰省
 親父の窮状を救いに来てくれたのかと思ったら、ANAのマイレージがたまったとからしい。
 ということで、夜は色々並んだ。
  *
 久しぶりに家族宴会。麦系飲料を盛大に……でない程度に。もう体をいたわることもあるまい。
 横目でNHK『桂米朝 なにわ落語青春噺』を見つつ。……米朝の青春時代を描くドラマと思ってたら、ドラマ部分はつなぎで、全体はゲストの談話構成らしい。後日個人的にDVDを借りることになっているので、それをゆっくり見ることにする。
 米朝師匠は享年91歳……89年と百数十日……そうか、これからはそれを想定して生きていけばいいか。

6月22日(日) 穴蔵/親子でウロウロ
 晴。真夏日である。
・親子3人で傘さして真昼の散歩に出かける。
 茶屋町一帯は「推しフェス」とかでごった返しているのでパス。東へ。
 中崎で延命地蔵と白龍大神に参拝。想定日を過ぎる「延命」のお礼参り。
 路地裏を抜け、天五中崎商店街へ。旧青空書店の前を通って天五へ。
 一帯をうろうろ。寿司か焼肉か中華かお好み焼きか迷ったあげく、久しぶりに串カツ屋へ。カレーもある店。ここで盛大にビール、串カツ、ミニカレー。長男が奢ってくれた。
 満腹状態で商店街を北上、和菓子店とパン屋(本店?は中津)に寄り、天六から西へ。
 先日高層階から老人が降ってきて自転車男性を直撃したタワマンの前を通過、豊崎の長屋、南濱墓地を通り、豊崎3丁目へ。
 ここでA研究所とアトリエ、大淀の長屋、周辺の冨島氏が関わる一連のA建築群を周回。
 新御堂の交差点を渡り、M助前、炎天下の大行列の横を抜けて帰館。
 3時間近い散歩を終える。6700歩になった。
 シャワー後午睡。
・夕刻、HHK「上方 推しらくご 桂米朝の落語を聴く」。
 『百年目』(1981)を見ていたら、17:16に緊急地震速報で中断してしまう。
 鹿児島・薩南諸島。たいしたことなし。こちらは揺れず。困ったものだ。放送体制が、ではなく、地震が。
 ま、『百年目』は何バージョンか持っているからいいとするか。
・夜、本日も色々並べて家族宴会。
  *
 昼間買ったパンに加えて高級ワインが出てきた。2月の「特別な日」用に買ってたのだが、入院騒動があって出せなかったのだという。
 それならと遠慮なく。最後の晩餐である。

6月23日(月) 穴蔵
 雨の予報だが薄曇り。
 長男、ANA2番機に乗るといい、6時前に出ていく。かっぱ横丁まで歩けば、あとは傘なしで全国どもでも行けるから、送ることもあるまい。玄関で見送り。
 もう羽田から横浜に移動中だろう……と思っていると、とつぜん暗雲が空を覆い、激しい雷雨になる。
 廃墟のノラ、どこかに逃げ込んだようである。
 しばらくして長男から無事帰着のメールあり。玄関で犬が待機していたという。
  *
 西のノラは廃墟で雨やどり、東の犬は炎天下に屋内待機。東西逆転の気がしないでもない。
 夜まで断続的に雨。
 終日穴蔵にあり。

6月24日(火) 穴蔵
 昨夜からの雨、未明に激しく、朝も本降り、しだいに小降り、午後曇天。
 出かける気分にならず、終日穴蔵。
・午後、DVDで『桂米朝 なにわ落語青春噺』を見る。
 ドラマ仕立ての部分は短く、やはり全編本格ドラマにしてほしかったな。鉄瓶やりょうばなどの楽屋落ち的な配役も面白いのだから、正岡容を意外な配役で登場させるとか、もっと膨らませてほしかったところ。
・正岡容といえば、『荷風の昭和』を読んでいて(新発見密度が高すぎて1日2,3章のペース、それでも驚きの連続でやっと戦後まで来た)、米朝と荷風が1年ほどのすれ違いだったことに気づいた。
 正岡容が空襲で市川に移住、近所の荷風を訪ねたのが昭和21年8月。荷風は留守で、翌日なんと荷風が訪ねてきて正岡仰天。断腸亭にはともに1行しか書かれてない(「摘録」では省略されているから気づかなかった)。川本は正岡の著作から詳しく検証している。
 米朝(中川青年)は巣鴨で正岡家の表札を発見して入門したが、昭和20年、徴兵検査で姫路に戻り、戦後は復学していない。
 正岡容を巡って、米朝と荷風は1年ほどのすれ違いだが、米朝師匠の方が先だったことになる。
 この時代、疎開空襲焼け出されで、文化人の移動もずいぶん激しかったのだなあ。

6月25日(水) 穴蔵
 陰のち晴。
 終日穴蔵。読書、午睡、空しく一日を送る。

(つづく)


[最新記事] [次回へ] [前回へ] [目次]

SF HomePage