『マッドサイエンティストの手帳』694

●マッドサイエンティスト日記(2018年12月後半)


主な事件
 ・神戸新聞文化センター(21日)
 ・同窓会@姫路(21日)
 ・播州龍野いたりきたり
 ・某年会(27日)
 ・株主総会的忘年会(29日)
 ・ラスカルズ@ニューサン(29日)


12月16日(日) 穴蔵
 晴れた空……が午後に薄曇り、15時頃に小雨が降り始め、夜に本降り。
 穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
 タイムマシン業の決算準備など。
 事業縮小により、ほとんど手間はかからない。
 そろそろ(すべての仕事の)店じまいの季節であろうか。

亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社)
 亀和田さんはコラムニストといえばいいのだろうか。週刊誌ではテレビ評や雑誌評(最近ではSFMのハーラン・エリスンを論じたコラムが出色であった)をよく見かける。
 その経歴は中学生SFファンからスタートして、一の日会、劇画アリスの編集、小説(SFもあり)、数々のエッセイ、テレビ司会者の仕事もあり、ともかく多彩である。
  *
 その亀和田さんの、この40年ほどの活動(コラム、エッセイ、小説、対談、おなじみ論争文も)からのベスト集成。380ページにぎっしり。前記の経歴が反映されている。
 就眠前に拾い読みすれば当分楽しめるなと思ったら、初日にほとんど徹夜になってしまい、あと数日楽しんだ。
 コラムの要約は難しい。というより不可能。一字一句ムダがないから。
 そこで、驚いたことふたつを紹介する。
・鏡明とのSFファン時代に関する対談で、亀ちゃん「関西のファンジンとかに『汚れた土地』はすごいぞみたいなものを堀晃が書いていた」とある。おれが編集したファンジン「TP」のあとがきである。いつの対談だと思ったら、2016年。つまり、50年前のファンジンの小さい記事を覚えてはるわけで、その記憶力に驚く。こんなのが随所に出てくる。亀和田さんと初めて会ったのは1967年、名古屋でのSF大会の合宿だと思う。その頃の話である。
・亀和田さんが大学時代(全共闘時代)によく通った洋食店に関するエッセイ。この店に安倍晋三が「よく行きましたよ」と発言しているのに亀ちゃん驚く。とても安倍の来る店ではないからだ。ここから芥川「蜘蛛の糸」に話題が飛び、もと学長が涙を浮かべるエピソードを引き(どんな繋がりかは読んで欲しい)、(カンダタのように一度のチャンスが与えられるならば)「晋三くん、君が救われる道はひとつ、いますぐ辞任して政界から去ること、それだけだよ。」……見事な展開。
 驚いたのは、亀和田さんが安倍晋三の「先輩」だったことである。
 亀和田さんはいつも青年のイメージである。文体も若々しく躍動感がある。ひとつの憧れ?として植草甚一をあげられているが、老成とは無縁だ。いつまでも若く、意気軒昂な喧嘩屋でいてほしいと思う。

12月17日(月) 穴蔵
 陰のち晴。終日穴蔵にあり。
 夜、集合住宅の理事会。
 またも鬱陶しい気分に陥る。
 大きなプロジェクトが控えているのだが、一向に話が進まず。
 一言でいえば、建物の老朽化と住人の老朽化が同時進行しているからである。
 これから20年住む人が中心になって……と、きわめてもっともな意見が出るが、その連中がアホばっかりだからなあ。
 ま、おれの寿命に同期して崩壊すればいいか。
 21時を過ぎての晩酌。
 就眠時間を過ぎてしまった。

小佐田定雄『上方らくごの舞台裏』(ちくま新書)
 小佐田定雄さんの『枝雀らくごの舞台裏』『米朝らくごの舞台裏』につづく上方落語の新書シリーズ3冊目(一応「完結編」とある)。
 演目にからめて、四天王の他、物故した噺家の思い出など、多くのエピソードが収録されている。
  *
 小佐田さんは米朝一門との関係が深いと思ってたが、他の一門、さらに歌舞伎など古典芸能全般に活動範囲が広がっているのに驚く。額の広がりに連動か。
 タモリが発掘、鶴瓶が演じた「山名屋浦里」が歌舞伎にまで続くエピソード(まったく知らなかった)は秀逸。
 どのページもすべて面白く、驚きの連続だか、やはりおれには歌やんと吉朝やんに関するエピソードが、涙なしには読めない。
 もう年末だから、ほぼ間違いなくいえるが、本年度のベスト級の1冊。

12月18日(火) 穴蔵/ウロウロ
 晴れて、比較的暖かい日。
 運動不足。歩くことにする。昼過ぎに出かけ、郵便局、書店、ヨドバシ経由、久しぶりにステーションシティ「風の広場」に上る。
  *
 2期地区、新駅工事は遅々として進まず、バーベキューのあとにサーカス小屋ができて、ゴミゴミしてきたなあ。6、7年、こんな眺めがつづくのか。
 おれが見たいのは廃墟と化した風景なのだが、むろん生きているうちには無理である。嗚呼。

12月19日(水) 穴蔵
 晴れて、比較的暖かい日。
 終日穴蔵にあり。
 電源の設備点検のため午前中1時間停電する。
 むろん予告あり、窓際で本を読んでいればすぐに終了した。
 静かでいい。
 ずっと停電にならないかなと思うほど。

12月20日(木) 穴蔵
 薄曇り、だんだん雲が厚くなり、一時雨。
 終日穴蔵。
 色々と原稿を読みメモをとって夕刻となる。
 牡蠣フライなどで一杯。
 早寝する……つもり。
 毎日こうありたいものである。

12月21日(金) 神戸新聞文化センター/同窓会@姫路
 早朝、霧ことのほか深し。
 昼前に出て阪急で三宮へ。
 神戸新聞文化センターでの講座。
 エッセイ、小説など提出作品の形式は多彩だが、老化・闘病テーマが多いのか特徴か。
 一篇、ソープランドに身を落とした女性(しかも覚醒剤中毒)が恋愛を経て立ち直っていく中篇、設定が不自然ではないかと思ったら、なんと実在のモデルがあるのだという。しかも病院の看護士としてのキャリアもあり、それを踏まえての記述というから驚く。
 さらに(オフレコだが)とんでもないエピソードまで色々聞く。
 知らないことが多いなあ。
 16時前まで。
 あと、新快速で姫路へ。
  *
 ライトアップされた姫路城を初めて見る。
 駅前のホテルで中学高校の同窓会に出席。
 20人ほどで「盛会」らしい。おれも久しぶりの出席。半分ほどは顔を見ても名前がわからない。
 多くは姫路と近郊在住である。
 ジイさんばかりで、意外に元気……と思ったら、元気なのしか来ないから(物故者や術後でまた呑めないのとかもいる)らしい。
 しかも、道に迷って電話はつながるがたどり着けないのとか、家を出たまま行方不明(ホントに最後まで来なかった)とか、何度も同じ話を繰り返すのとか、ま、年相応というべきか。
 同窓会もあと5年くらいが限度だろうな。
 龍野泊にするか迷ったが、明日から3連休でタイムマシン業も役所も銀行も休業だから、新快速で帰阪する。龍野でも大阪でも、時間的にはそう変わらない。
 22時過ぎの帰館となった。

12月22日(土) 穴蔵/ウロウロ
 目覚めれば冬至であった。雨が降っている。
 穴蔵にて某原稿を読んで過ごす。
 午後、雨があがったので少し散歩。
 豊崎神社から淀川堤を東へ。
  *
 曇天の下、荒涼たる淀川河川敷を眺める。
 あと10年前後、心象風景はこんなものか。
 が、
 夜、スペアリブとサラダなどでビール、あとスグキやカマボコで呉春をチビチビ飲んでたら、気分晴れてくる。
 現実の空も晴れ、東の空には冬至の満月。
 呉春恐るべし。
 気が滅入った時は呉春に限る。

12月23日(日) 穴蔵
 定刻午前4時に目覚め、大阪の地下鉄に関するキャンペーンに気づく。とんでもない改装計画が始まっているのだ。心斎橋がとくにひどい。
 地下鉄中津の近くに住み、半世紀以上の利用者として、さっそく「賛同」する。一晩で5,000人を超えているようだ。
 TwitterもFacebookもやらないので、微力ながら本ページからのリンクで「拡散」にも協力させていただくことにする。
 天候は晴から曇、昼過ぎから小雨が断続的。
 終日穴蔵にあり、半分ボケーーーーっ、半分は気を取り直して表計算業務(タイムマシン業の決算)を行う。
 たちまち夕刻。
 専属料理人が、骨付きの豚肉とキャベツを煮込んだのなど、色々並べる。
  *
 呉春は合わないので安白ワイン。
 まあまあの気分になった。
 早く連休が明けないかなあ。
 人間、誕生日は選べない。
 退位の時に「国民のために私の誕生日は祝日にはしないよう願っております」の発言を願うばかりだ。
 この30年、年末はややこしかったからなあ。
 (※今のところ12月23日は平日になる可能性が大きいようである。)

12月24日(月) 穴蔵
 晴。穴蔵の大掃除を行う。床に積んだ本を少し整理して、床をモップで拭き掃除。
 こんなものであろう。
 あとは(弱くなった視力を駆使して)本を読んで過ごす。
 たちまち夕刻。
 専属料理人が残酷な料理を並べる。西洋の習慣を取り入れなくても。
  *
 ま、尊厳をもって少しをいただき、ワインを飲む。
 早寝する……つもり。

12月25日(火) 大阪←→播州龍野
 やっと年末の連休が終わった。
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 タイムマシン業は本日が実質的仕事納め。部品などほとんど動いてないから、棚卸しなんて簡単なもの。
 実家関係の雑務は手抜きで済ます。泊まることがほとんどなくなったからなあ。
 金融機関と市役所をさささっと回って、昼前に片づく。
 長居無用。
 昼過ぎの姫新線キハ122系で姫路に出る。
 おなじみ灘菊で「かっぱ御膳」……本年度の食べ納めである。
 天気がいいので(予報では本日が年内最後の晴天らしい)姫路城まで歩く。
 閑散。外国人もほとんど見かけず。
  *
 イーグレの屋上に上がると、おれひとり。
 夕刻に近い時間に帰阪する。

12月26日(水) 穴蔵/ウロウロ
 年末である。
 年の瀬を集めて早し淀川……字足らず。
 昼前、専属料理人のお供をして梅田へ。買い物のポーター役である。
 三番街のイケアで買い物。少しばかりかさばる荷物を持って、おれだけ先に帰館。やれやれ。
 昼は河春で弁当を買ってくる。
 あとはコタツで本を読んで過ごす。
 バカみたいな1日。

12月27日(木) 某年会
 天気予報は当てにならず。25日が「最後の洗濯日和」だったはずが、本日快晴である。
 洗濯するわけではないけど。
 穴蔵にてボケーーーーーッと過ごす。
 夕刻、特に名を秘す少人数が来穴蔵、秘密の忘年会を行う。
 極めて政治的な動きのため、内容も明かさないのである(←あまり本気にしないように)。
 近所の家庭料理の店でやるはずだったのが、予約はわしらだけという。
 少人数だから、遠慮して、わが穴蔵に変更したのである。「家庭料理」だから、うちの専属料理人の作る方がましかな。
 ということで、色々並べてもらって、ダラダラと飲みつつ、極めて政治的な議論を続ける(←あまり本気にしないように)。
 深夜の就眠。

12月28日(金) 穴蔵
 本日も快晴。
 穴蔵にてボケーーーーーッと過ごす。
 昼間に雪がチラついたらしい。カーテンしてるので気づかなかった。
 夕刻、専属料理人からメール。宅急便待ちで出られないから、豆腐を買ってきてほしい、と。
 公園を斜めに抜けて翁豆腐へ行き、木綿豆腐1丁を購入。
 北風が吹き、恐ろしく寒い。
 ということで、夜は米朝師匠の好みであった、もっともシンプルな湯豆腐。
  *
 この店には色々な豆腐が揃っているが、おれは木綿がいちばん好きだ。
 他に、鰆の西京焼き、ほうれん草、すぐきなど並べて呉春一献。うまっ。
 酒とバラの日々がつづく。
 明日に備えて早寝するのである。

12月29日(土) 株主総会的忘年会/ラスカルズ@ニューサン
 穴蔵にて雑事。
 夕刻に近い午後に這い出て阪急石橋へ。
 17時から、海鮮居酒屋にて、年末恒例、タイムマシン業の取締役会・株主総会を兼ねた忘年会を開催する。
 議事は10分でシャンシャン、あとは活ふぐコースとなる。
 うまっ。
 19時過ぎに散会。梅田へ戻る。
 専属料理人と合流してニューサントリー5へ。
 本日が最終営業日でラスカルズの出演日。
 満員だが正面テーブル席に座れた。
  *
 福田さんのトロンボーンから2メートルという特等席である。
 シーバスの水割り飲みつつ柔らかい音色を堪能。
 最後は「世界は日の出を待っている」で終わる。
 いい年の暮れであった。

12月30日(日) 穴蔵
 晴れた空、寒い北風。
 穴蔵は朝1時間ほど暖房すれば、あとは終日暖かい。
 ということで終日穴蔵にあり。
 いよいよ本年も大詰めである。
 タイムマシン業の来年度の事業計画(日中関係しだいで予測は不能)など作って過ごす。
 ちっとはSF系もやらねばと思うものの……
 夜はビーフシチューにサラダ、パン、中本酒店(正確には中本商店)の格安バカ旨ワイン。
 テレビはバカ番組ばかりなので、トミフラ師匠、デフランコ師匠を聴きつつ。
 早寝するつもり。

12月31日(月) 大晦日
 大晦日である。
 午前、梅田へ。銀行に用事があったのだが、休業日で、ATMは硬貨が扱えない。困ったものだ。
 さっさと帰館。
  *
 昼は蕎麦で呉春を一献。
 午後はコタツで本を読んで過ごす。昭和史の謎に迫る新書だけど。途中まで。
 たちまち夕刻。
 夜は、湯豆腐、刺身、筑前煮など並べて、ビール、れんと湯割り。
 テレビで国民的学芸会が始まり、他も騒がしいのか格闘技か、ろくでもない番組ばかり。
 BSで『OK牧場の決斗』を見る(DVD持ってるんだけど)。カーク・ダグラスは熱演だが、ヴィクター・マチュアに較べるとなあ。いや、そもそも映画史上の最高傑作『荒野の決闘』と較べること自体おかしいのだ。スタージェスもそれはわかっていて、B級活劇映画として作っている。風景が「活劇の舞台」としてよく撮れているのに感心する。
 引き続き『シェーン』も見るか迷うが、これもDVD持ってるし、あとは米朝師匠のDVDで歳の納めとするか。
 無為に過ごした2018年が過ぎていく。嗚呼。


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