『マッドサイエンティストの手帳』781
●マッドサイエンティスト日記(2022年6月前半)
主な事件
・播州龍野いたりきたり
・ボンクラ息子の帰還
・ JAZZ@DEAR LORD(12日)
6月1日(水) 穴蔵
目覚めれば6月であった。
晴、薄い雲あり。過ごしやすい日である。
終日穴蔵。これといったことは出来ぬまま。
午後、30分ほど近所を散歩。
隣接する市営住宅、今月が立ち退き期限だったはずが、秋まで延びたらしい。7丁目の新築が遅れているためらしい。
ま、ゆっくり居座ってくれればいい。
*
いつしか紫陽花の季節。野々村竜太郎の生家前にも花は咲くのであった。
たちまち夕刻。
数皿並べてもらっての晩酌時、専属料理人が「今夜はキャンドルナイトやってる」という。
茶屋町一帯で3年ぶりの開催と思うが、晩酌後に見に行く気にはなれず。
明日が早いので、早寝させていただく。
6月2日(木) 大阪←→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
9時前に到着。
先月24日から始まった解体工事の現場を見る。
遅々として進まず……ではなく、ものすごく丁寧に進められているというべきか。
10年前なら2,3日で片づいたはずが、全体をフェンスで囲って、瓦やら材木など分別しつつ。
費用はかかるし、下手したら更地になって固定資産税が上がったりするらしく、老朽家屋は崩落するまで放置しておくのがいちばん正しいようである。もう手遅れだが。
実家へ。
こちらではシルバーによる雑草処理の立会いなど。
あと金融機関とか某事務所に回ったり、慌ただしいことである。
昼、龍野公園へ行ってしばらく休憩。
*
聚遠亭は新緑の中にたたずむ……緑が濃くなって、もう新緑とはいえないか。
夕刻の電車で帰阪。
6月3日(金) 穴蔵/ボンクラ息子の帰還
松井守男氏の訃報。5月30日、虚血性心疾患のため死去。79歳。
京都や神戸での個展を見たのは30年以上前になるか。オープニング・セレモニーではともに山下洋輔さんが演奏された。
神戸ではなぜか日本刀をぶら下げた「居合い抜きのセンセ」が現れて刀を振り回したのを思い出す。
世界的な画伯の名を聞いて、とっさに思い出すのが居合い抜きのセンセだから困ったもの……迷惑なおっさんだったなあ。
晴れて、過ごしやすい日である。
終日穴蔵。
関東は天気急変で、昼過ぎに横浜から「激しい雷雨のため出発を遅らせる」とメールあり。
ボンクラ息子その1とその配偶者(犬も勘定に入れます)が帰省する予定だが、少し遅れるらしい。
……ということで、20時30分頃に犬を積んでワゴンで帰ってきた。
ボンクラ息子の帰還。ただ、財産を浪費してではなく、高級ワインのおみやげまで持っての帰還だから、立派なもの。
神のあわれみの深さを説くわけにもいかず。
21時頃から盛大な宴会となる。
犬は3年ぶり。落ち着かないらしく、部屋をウロウロ、やがて北梅田の夜景をながめている。
*
6月4日(土) ボンクラ息子の滞在
晴。過ごしやすい日が続く。あちこちの学校で熱中症が発生のようだが、よくわからん話だ。
昼前に自転車で十三往復。丹波で漬物を買ってくる。
昼は堀一族(ウチとボンクラ息子その1ファミリー)で、お好み焼きで一杯。きさらぎ漬もならべる。
*
犬は仲間外れではなく、初めて「削りたてのカツオブシ」の味を覚えて満足なようである。
午後は昼寝。
わたくし以外は犬連れて中崎町から扇町公園の方を散歩したようである。
たちまち夕刻。
夜は専属料理人とボンクラ息子の配偶者が色々並べる。
*
枝豆、ヤッコ、しらす、天ぷら、刺身、きさらぎ漬など。これでビール、越乃寒梅など。
連日こんなことしていていいのだろうか。いいのである。3年に1度のことではないか。
早寝させていただく。
6月5日(日) ボンクラ息子の帰浜
朝直射光、やがで薄雲がかかり、しだいに曇り、夕刻から雨が降りはじめ、夜は本降り。
ボンクラ息子ファミリー、クルマで重量物(主に液体)の買い物に行ってくれたり、専属料理人の手伝い色々してくれる。
わたくしは昼間から蕎麦で冷酒(越乃寒梅)を飲ったりして、久々にぐうたら親父を演じる。
連日こんなことしていていいのだろうか。いいのである。3年に1度のことではないか。
夕刻、ボンクラ息子その1ファミリー、横浜方面へ出発する。
0時5分に江田で降りる(EC関係)のを目標とするらしい。
*
犬は特等席に陣取る。
出発後2時間ほどして、大阪は急に本降りとなった。
雨足との競争になるのであろうか。
無事逃げ切ることを祈る。
6月6日(月) 穴蔵
定刻4時に目覚める。雨は降り続いている。
ボンクラ息子その1ファミリーから、日付が変わってから無事帰還とメールが入っていた。
Nigth Run to the East であったか(※)。
明け方には小降り、昼には霧雨になった。肌寒い1日である。
終日穴蔵。
外出は豊崎郵便局往復のみ。
*
近所のSビル前のユリがきれいである。
野々村竜太郎の生家近くにも花は咲くのであった。
※とつぜんH.E.ベイツの短篇「Nigth Run to the West」を思い出したのであった。
大学時代、教養の英語でテキストに使われたもの。
深夜トラック便の運ちゃんがややこしい女の家でややこしい関係になる話だが、前半で講義が終ってしまい、残りは読んでない。テキストもどこかへ行ってしまった。成績は優だったが。
翻訳はないが、調べてみるとテレビドラマ(1960)になっている。ロバート・ショウが脇役で出ている。ちょっと見たい気がする。
6月7日(火) 穴蔵
晴れて涼……むしろ肌寒い日である。
終日穴蔵。
はやぶさ2の持ち帰った砂からアミノ酸を検出、「生命は宇宙からきた」とテレビは大騒ぎだが、ホイルの「パンスペルミア説」を賞賛する声がまるでないのはどうしたことか。その前に、フレッド・ホイルには生命誕生の基本になる「トリプルアルファ反応」の提唱がある。この反応を確認したファウラーはノーベル賞を受賞(1983)したが、ホイルは受賞せず。定常宇宙論に固執しすぎたためともいわれるが、おかしな話しだ。それならSFの方で顕彰すべきではなかったか。
定常宇宙論といえば、もう一方は「ビッグバン宇宙」のジョージ・ガモフ。ビッグバンは1964年のマイクロ波背景放射の発見で確定的になったが、発見者のペンジアスとウィルソンのノーベル賞受賞は1978年で、ガモフの死後10年経ってからだった(少なくともガモフは背景放射発見は知っていたはず)。
ともに不運なことである。
ビッグバンと定常宇宙の論戦開始から70年以上経過して、今では、宇宙の誕生はガモフ説が正しく、宇宙を構成する物質(生命も含む)についてホイル説が正しい……という評価に落ち着いているようで、ともに偉大な物理学者であったことは間違いない。
そして、ともに偉大なSF作家であった。
ガモフをSF作家と呼ぶと異論がでるかもしれないが『不思議の国のトムキンス』はどう読んでもSFであり(SF的センス・オブ・ワンダーに満ちており)、少なくとも、わたくしは中学時代からガモフ全集を繰り返し読んで、最も大きな影響を受けたと思っている。
ホイルは『暗黒星雲』(1957)で宇宙生命を、『10月1日では遅すぎる』(1966)で定常宇宙論をテーマとしているが、素晴らしいのはこれが科学者の余技ではなく、論文を書くの同じ情熱をもって書かれていることである。特に『10月……』の最後に語られる宇宙論は、小説のバランスを崩しても語りたいという意思が感じられて胸を打つ。わたくしは今もこの作品をSFベスト5に入れている。
……と、はやぶさ2からまたもホイルを思い出してしまった。
6月8日(水) 穴蔵
晴れて涼……朝、直射光が入るが、遮光カーテン引けば、なんてことなし。
過ごしやすい日で、終日穴蔵。
明らかに運動不足で、筋肉の衰えを実感するのだが……明日は動くことにする。
6月9日(木) 穴蔵
晴れて涼。過ごしやすい日である。
終日穴蔵……にこもっていたいが、このところ明らかに運動不足。
午後、徒歩でタカセ市場往復。主に自分用の「液体」を運ぶ。
2,700歩ほどだが、ひどく疲れる。明らかに脚の筋肉が衰えている。
明日からは毎日、距離を延ばさねば。
アタマの働きはさっぱり。
近いうちに某「出番」があるので、その準備ぼちぼち。気になったことを調べ出すと、たちまち2,3時間が経過してしまう。
夜は専属料理人に5皿ばかり並べてもらって一杯。
お楽しみはこれだけだ。
6月10日(金) 穴蔵/ウロウロ
定刻4時に起床。5時過ぎから直射光が入るが、薄い雲がかかり、室温28℃で推移。快適な日である。
細かく書くことではないのだが、先日来、ちと鬱陶しいことがあり、気が滅入っていた。
たいした案件ではないのだが、数件重なると、他のことに手がつかなくなる。
これは典型的な老化現象であろう。
それが……午前中に2件電話があり(ともに播州龍野から)、片づいたという連絡。もう1件、こちらから問い合わせると、来週には片づくという。
急に気分が晴れてきた。こんなものであろう。
気をよくして、午後、歩くことにする。
書店など回り、久しぶりにステーションシティ「風の広場」に上がる。
2期地区の北エリアでは分譲マンションの建築が進み、南エリアでもホテルが組み上がりつつある。
この間が「公園」エリアだが、狭いものだなあ。
* *
「天空の農園」が再開しているので長い階段を徒歩で上がる。花はほとんどなし。階段脇にユウギリソウが咲いているくらいであった。
6,000歩ほど歩いた。
夕刻の報道番組。天五のカラオケパプのオーナー殺人、明日で1年になるということで、被害者の父がインタビューに応じている。あれから1年になるのか。裁判の始まる目途はたたず、宮本浩志は相変わらず否認しつづけているらしい。
そういえば、松尾留与(稲美町の甥っ子放火殺人犯)、森本恭平(尼で別れた女房刺殺)、山口利家(十三のベトナム人留学生殺人)も進展なし。遅いなあ。生きてるうちに「結末」が見られるのか、イライラしてくる。まして遺族におかれては……
夜。よく歩いたのでビールがうまい。
早寝させていただく。
6月11日(土) 穴蔵
曇天。過ごしやすい日である。
午前、恒例「液体運搬」のポーターを務める。細かい雨になった。
あとは終日穴蔵。少しは仕事もするのであった。
夜は、お駄賃代わりに並べてもらった数皿で、運んだ「液体」を少しいただく。
お楽しみはこれだけだ。
6月12日(日) JAZZ@DEAR LORD
晴。大阪は好天がつづく。
昼、北新地まで歩き、片町線で放出へ。
ディア・ロードで大阪JAZZ同好会の例会。
今回は「特集」の担当がわたくしである。
4月に松原隆一郎教授による放送大学講座「日本人にとってジャズとは何か」(山下洋輔トリオが出演)が放映された。
これを受け継ぐかたちで「森山威男の足跡をたどる」というタイトルで、森山さんの半世紀を超える演奏活動を紹介する。
といっても、しゃべる時間を入れて、制限時間は1時間。「UP-TO-DATE」をかけたいが、これ1曲で45分だから、到底無理である。
苦心の選曲は以下のとおり。
・「毛の生えた拳銃」(1968)から1曲。
・「クレイ」……山下洋輔トリオ「LIVE 1973」から。
・「浅間」……宮沢昭カルテット「木曽」(1970)から。
・「hush-a-bye」……自己グループ「hush-a-bye」(1978)から。
・「Mr.P.C.」……本田竹曠・ 井野信義とのトリオ「In A Sentimental Mood」(1985)から。
・「LEFT ALONE」……マル・ウォルドロンとのデュオ「bit」(1995)から。
・「めだかの学校」……板橋文夫とのデュオ「おぼろ月夜」(2015)から。
・最後は「Good bye」……森山威男(ds) 井上淑彦(ts) 板橋文夫(p) 望月英明(b)という最強メンバーによるラブリーでの名演「Live at Lovely」(1990)から。
これで、しゃべりも入れて1時間だから、われながら見事な選曲である。
まあ好評であった……と自画自賛しておくことに。
あと、Fさんによる新譜紹介。
持ち寄り企画は「スイング時代のコンボ演奏」。30年代のビリー・バンクスが出てきたり、こちらは骨董大会。
振幅の大きい例会であった。
6月13日(月) 大阪←→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
雑事色々。
解体工事はほぼ終了。
実家周辺……雑草はシルバーが処理してくれており、戸締り関係も怪しげなところはないものの、野良猫侵入の気配らしきものがあり……ネコババというのは砂で隠すものだが、野良はモロ出しにする習性でもあるのだろうか。よくわからん。
たつの市東端に近いまるさん自動車へ行き、エアコン不調を直してもらう。
ここのKくんはジャズファンで、立派なオーディオルームの持ち主である。
つい先日、龍野のジャズ愛好者がここに集まり、森山LPを披露したのだとか。どことも似たようなことやってるのだなあ。
「SUCCESSION ― KYOTO JAZZ SEXTET feat. 森山威男」の話題など。そのうちオーディオルームで聴かせていただくことにする。
地銀、某事務所、某製麺直販所など回り、夕刻の電車で帰阪。
午後は曇ってきた。
たぶん明日から梅雨入りであろう。
またしばらく穴蔵生活になる……予定。
6月14日(火) 穴蔵
曇天。梅雨寒か、肌寒い日である。
午前、JAZZ関係(ニューオリンズ系)のことをやる。WEB上のことだけど。
近畿は「梅雨入りしたとみられる」……という報道。
気象庁が「宣言」やめて四半世紀くらいになるかな。よほど責任をとりたくないらしい。「みられる」くらいなら、こちらも空見て、昨日からわかってまっせ。
天気予報が外れたと文句いってくるクレーマーが世間にはよほど多いのだろう。
午後は細かい雨。わが予感どおり。気象庁を尊敬する気にはならんなあ。
午後は本を読んだり(視力が衰えてなかなか進まず/すぐ眠くなる)、短い文章書いたり。
たちまち夕刻。
専属料理人が並べた5皿で、ビール、酎ハイ少しばかり。
*
森山・本田竹曠・井野信義「My Funny Valentine」を流しつつ、梅雨の北梅田の夜景を眺める。
20時過ぎ、中本酒店はまだがんばっているのだ。
6月15日(水) 穴蔵
陰鬱な梅雨空だが、涼。
終日穴蔵。
色々資料を読んでいるうちに1日が過ぎる。
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