『マッドサイエンティストの手帳』779

●マッドサイエンティスト日記(2022年5月前半)


主な事件
 ・穴蔵の日々
 ・播州龍野いたりきたり


5月1日(日) 穴蔵
 目覚めれば5月であった。
 雨なのであった。新暦5月になったとたんに五月雨とは、季節外れもいいところだが。
 ニュースでは新幹線の混み具合や行楽地の人出や食のイベントでマスクなし大はしゃぎの様子が映される。
 コロナ感染者は減少傾向だったが(そして連休中は検査数が少ないだろうが)、10日あたりから激増必至だな。
 わたくしは巣ごもりだからいいが、連休明けには播州龍野行の電車に乗らねばならず、今から憂鬱になる。
 終日穴蔵。
 ……のつもりだったが、午後、雨が上がったので散歩に出る。
 梅田貨物線の地下化工事現場に沿って見物。
 連休中の日曜で、工事はなし、ガーやんもいないのがいい。
 ガーやんの視線を気にせずに、爆薬を新駅へ運び込む経路を調べられるからである(←あくまでもフィクション用、念のため)。
 能勢街道架道橋(地下からの出口付近)まで線路工事が進んできた。
  *
 くろしおが下側の線路を走るまであと1年足らず。
 来月あたり、ここと豊崎第6架道橋が通行止め、(地表に出て、旧のままの高架につながる)最後の500メートルほどの線路工事になるのではないか。
 淀川方向への道はますます不便になる。

5月2日(月) 穴蔵/ウロウロ
 快晴である。
 本日は平日なのであった。
 午前中、専属料理人が穴蔵にきて、毛布や冬物衣料を持ち去る。
 花粉が終息したので、大量洗濯である。
 こちらは穴蔵のベランダをデッキブラシで洗わされる。花粉が堆積しているからだとか。ま、気休めでも、たまには洗浄もいいであろう。
 毛布などはこちら(穴蔵)ベランダに干す。
 午後。
 ネットやATMでは処理できぬ事項があり、梅田の某行へ出向く。
 5分くらいで片づくと思ってたら、某行、入場制限。10分待ってカウンターへ。横の専用ATMで可能というので並んだが、前のおっさん、モタモタ操作、しかも通帳数冊を横に並べておる。イラチのわたくしとしては耐えられず、帰る。
 先方に迷惑はかけられぬので、また出直して、別の某行の窓口で処理。手数料がかかるが、致し方なし。
 ということで、梅田2往復した。
 平日だから、仕事の人に加えて、大型連休中のアホが浮かれ出てきて、梅田は普通の連休(?)より混み合っているような。
 人の少ない路地を選んで帰館。
 7,000歩を超えた。

5月3日(火) 穴蔵
 晴天。
 昨日に引き続き冬物洗濯。穴蔵を夏モードに模様替え。コタツの布団を洗い、フロアに掃除機をかける。
 ついでに机の周辺も整理。
 使うことのなくなったWindows7のデスクトップ機(7年前に7千円で買った中古機)を廃棄することに。よくもったものと思う。WZ+ATOKに慣れていたのだが、たまに使うと起動時間の長さに耐えられなくなってきた。色々思い出しつつ初期化する。
 ついでに残っていたXP機(工人舎のB5サイズで12年前に買ったもの)も初期化して廃棄することに。これも使えないではないが、老眼が進んで表示が読み取れないのである。
 部屋がすっきりしたところで一休み。
 引き続き本とCDも整理モードに入るか。色々迷うところだ。
 歩かねばならぬ。
 午後、人のいない貨物線北側を散歩。
 工事現場、ガーやんはいないのはいいが、たいした変化もなし。
 豊崎神社には誰もいない。
  *
 特に願い事はないが、生涯現役(というより、アタマより先にカラダがいかれますように)をごく少ない賽銭分だけお願いする。

5月4日(水) 穴蔵
 本日も晴天なり。
 大型連休の「後半」とアホテレビは報道しておる。このご時世、国民はそう遊んでばかりではなかろう。あと1日のはず。
 本日も穴蔵にこもる。
 ……が、少しは歩かねばならぬ。
 梅田貨物線の北側。
 豊崎中公園の南側の道が「まっすぐ」に戻されている。
 2年近く前から道路をぐねっと曲げて工事していた場所である。
 昔からの貨物線高架下に「歩行者ボックス」が出来上がっているが、まだ通れない。横断歩道など作るのだろう。
 ここが貨物線「地下化工事」の東端である。
 正規の名称は掲示によれば「東海道線支線豊崎地区Bv新設他工事」というらしい。
  *
 工期は6月末までで、7月からは豊崎第6架道橋を閉鎖して、歩行者はこちらへ迂回させることになるのだろう。
 どうやら生きているうちに通り抜けられそうな。

5月5日(木) 穴蔵
 とりあえず連休最後の日。ガキの日である。
 晴れているが、出歩かないことにする。
 思うところあって、先週4月27日の続きで、森山威男を集中して聴く。
 70年代後半から80年代にかけて、やはり『hush-a-bye』が泣かせ、90年の『Live at Lovely』が感動的である。
 昼は専属料理人が「十割蕎麦」を茹でたが、量が少ないからと、出し巻きやしらす、明太子など並べた。
  *
 これで飲むなというのは無理ではないか。「雪の茅舎」というのを一献。
 昼間からこれでいいのだろうか。いいのである。
 ガキどもの日である。もとガキが昼間から飲んで何悪い。

5月6日(金) 大阪←→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 まだ連休中という連中もいるようで、電車は割と空いていた。
 タイムマシン格納庫の周辺にて、連休前に終った工事の確認。
 ガラクタ搬出、ガス・電気・水道関連も無事終了。
 あとは空っぽになった老朽家屋の解体を待つばかり。
  *
 23年前に別荘3軒を手に入れたと自慢げに書いたが、全部まとめて消滅となる。
 ロシアで次々と殺されている「富豪」みたいなものであろうか。ちょっと違うか。ぜんぜん違うな。
 ……などと愚考しつつ、実家に寄ったら、こちらではややこしい野良猫騒動が勃発。
 ややこしくて書きづらいが、要するに、うちの実家の庭が野良猫の住処になっているのではないかという「ご近所」からのご意見である。
 その野良に「誘われて」、幼い飼い猫が行方不明になり、探している最中だとか。
 泥棒は防止できるが、野良の出入りはなあ。
 猫の罠(ネズミ獲りの大型みたいな檻)を使うという人物(なんとかヘルパーというらしい)を連れてくるという話になって(以下省略)。大いに疑問も覚えるが、問題が解決したら、この顛末はできれば作品にしよう。
 田舎はややこしいことが多い。
 問題残したまま、夕刻の電車で帰館。
 一杯飲んで早寝させていただく。

5月7日(土) 穴蔵
 晴。朝6時頃から直射光で室温は27℃となる。いい季節になった。
 昼前、専属料理人のお伴をして食品スーパーへ。
 重量物(主に液体系)の運搬である。本日は徒歩なので5s程度。
 昼、横浜のボンクラ息子その1からの連絡でzoomランチを執り行う。
 連休に帰れなかったことと「母の日」を兼ねて、ということらしい。
 こちら側(2名)はサンドイッチ、向う側(2名+1匹/犬も勘定に入れます)は焼き鳥がメイン。むむ、こちらが格落ちか。
 ビール飲みつつ、1時間ほどラチもない世間話。最後は犬と猫(播州龍野の野良)の話になる。
 終了後、しばらく昼寝。
 たちまち夕刻となる。
 夜はヤッコ、冷しゃぶサラダのあと、しらすのパスタ。
  *
 これでビール、白ワイン。
 早寝させていただく。

5月8日(日) 穴蔵
 晴れて暖。世間の大型連休、最終日である。
 終日穴蔵……のつもりだつたが、少しは歩かねば。
 さすがに今日くらいは出歩くアホもそういないだろう。
 午後、繁華街は避けて、貨物線地下化工事の路線を見物する。
 うめきた2期地区を北端から眺める。
  *
 この単線は来年までこのまま。4月に新駅から伸びている地下線路に切り替えられる(予定)。
 もう地下化工事を見物できるのは、(ウチの近所の)東端300メートルほどだけになった。
 カウスじゃないけど「やるんなら早よやってちょうだい」といいたくもなる。
 中津の路地を歩いて帰館。
 無為に過ごした(世間の)大型連休が終る。
 さあ、感染拡大が楽しみだ。

5月9日(月) 穴蔵
 曇天。肌寒い。
 せっかくの連休明けというのに、鬱陶しい日である。
 終日穴蔵。
 色々ややこしいこと(主に集合住宅関係)あるが、書くのも気が重く、面白くもなかろう。
 たちまち夕刻。
 6皿(鉢)ばかり並べてもらって一献。早寝させていただく。

5月10日(火) 穴蔵
 晴れて暖。また5月の気温に戻った。
 youtubeで『脅迫』(1966/東映)を見る。初期の深作作品で、見てなかった1本。
 営業部長を務める三国連太郎の自宅(春川ますみ演じる女房と小学生の息子がいる)に、西村晃と室谷日出男の脱獄囚コンビが押し入る。やつらは逃走資金を得るために病院長の幼児を誘拐していた。……要するに、平和な家族の住む郊外の一軒家を誘拐犯2人が幼児連れで占拠したという設定。
 今では名優と評価される4人の行き詰る緊迫劇である。ラスト前の三国の行動がまどろっこしいが、ともかく1時間20分、手に汗握らせてくれる。
 あの頃(60年代半ば)の東映・日活・新東宝はよかったなあ。喜八の東宝はいうまでもない。

5月11日(水) 穴蔵/ウロウロ
 雨の予報だったが、曇天、昼前から晴れてきた。
 午後、中崎町あたりウロウロ、ついでに天神橋筋商店街まで歩く。
 今年になってから視力が急速に衰えたというか、小さい活字が読めず、本を読むのが苦痛になってきた。
 この際、老眼鏡のレンズを変えた方がいいと判断したのである。前回から2年も経っていないはずだが。
 視力検査すると、そう衰えてはいないが(当然ながら)交換を勧められる。
 ついでに日常使用のも8年以上経過してコーティングが劣化していると……えらい出費である。
 肝心の老眼鏡の方はレンズ取り寄せで後日となる。
 紫外線の降り注ぐ下、とぼとぼ帰館。
 7,200歩になった。

5月12日(木) 穴蔵/ウロウロ
 雨の予報だったが、珍しく当たって、朝から雨になる。
 こんな日は終日穴蔵に限る……と思っていたが、昼前に播州龍野から気の重い「納付書」が届いた。
 別荘の解体工事にもからむことで、きちんと処理しておかねばならぬ。
 午後、傘さして梅田の某行を往復。5月中にやればいいのだが、嫌なことは先に片づけておきたい気分である。
 雨の中、3,500歩ほど。
・ニュース雑感。
 北朝鮮でついにコロナ感染者が発生という。中央通信の報道だから間違いあるまい。
 金三胖が「すべての市・郡で地域を徹底封鎖」を命じたという。(たぶん)ひとりの感染者で、この対策。さすが将軍様である。
 夕方には弾道ミサイルらしいものを発射。「徹底封鎖」した基地からの発射だから、矛盾はしないか。
 食糧の備蓄も万全であろうし、北朝鮮全体がしばらく引きこもって、静かになるのであろう。(※)
 上海も見習え。

※13日になって、朝鮮中央通信は、国内で「原因不明の発熱」患者が爆発的に増え、18万人以上が隔離されてていると報道。ややこしい国だ。(5/14)

5月13日(金) 穴蔵/ウロウロ
 普通に(午前4時に)目覚める。
 晴。5時30分に東のビルの隙間から直射光が射し込む。惑星軌道による、この季節の現象である。
 が、たちまち曇り、9時過ぎには雨になった。
 こんな日は穴蔵……のつもりだったが、所用発生、昼過ぎ、傘さして梅田駅前ビルの北区役所サービスセンターまで出向く。
 ついでにお初天神へ。東側の横丁の火事場の跡を見物する。
 昨秋にやきとり屋から出火した路地、半年ほど放置状態だったが、塀で囲われて、周囲の店は営業再開のようである。
  *
 東南の一角が建て替えか? いつになることやら。
 法善寺横丁も十三のしょんべん横丁も復活している。なんとか頑張ってほしい。
 そういえば……
 今日は千日デパート火災から半世紀なのであった。
 1972年5月13日の夜、千日前のデパート(雑居ビル)で火災発生、上階のアルサロの客やホステス118人が死亡した。
 この日は土曜日で、わたくしは、午後、阿倍野から新世界、日本橋の古書店を巡り、午後4時頃に千日デパート2階にあった古本屋に立ち寄っている。
 この後、千日劇場で映画を見ようか迷ったが、そのまま都島に戻っている。
 映画を見ていたら、アーケードを突き破って落下する光景を目撃できたかも知れぬのだが……
 火元は3階・ニチイの布団売り場。電気工事やっていて、工事監督の「河○慶○」のタバコが原因とされている。この名は当時の居酒屋で大いに話題になったもので、今でも覚えている。ただ、供述がだんだん曖昧になり、結局不起訴になった。今、○島○二の名前は当時の新聞を調べないと出てこないと思う(生きてれば90歳くらいか)……歳月であるなあ。
 知床遊覧船の桂田精一もこの線を狙っているのであろうか。

5月14日(土) 穴蔵
 4時過ぎに目覚める。夜間、大雨予報であったが、関係なかったような。曇天、午後には晴てきた。
 終日穴蔵、何もせず。
 いかんなあ……と思いつつ、考え事はしている(つもり)。
 某放火殺人犯は聖天通商店街で道を誤ったのではないか、とか。そのうち形になるかも。
 たちまち夕刻。
 夜、専属料理人の並べた数皿(枝豆、トンテキ、サラダなど)でビール、ワイン少しばかり。
  *
 十三夜くらいの月がかかる北梅田の夜景を眺めつつパキート(本日はキューバンではなくカルテットの)を聴く。
 うまいなあ、ワインもパキートも。
 お楽しみはこれだけだ。

5月15日(日) 穴蔵/ウロウロ
 薄曇りの1日。
 午前、眼鏡屋から電話あり、老眼鏡のレンズが届いたという。
 自転車で天神橋筋へ。
 レンズ交換に30分ほどかかるというので、天満駅界隈をうろうろ。
 寿司屋とか天ぷら屋には昼前から行列。串カツ屋でも密着して盛大にやっておるなあ。アホ多し。
 3年前ならカクウチの某店に立ち寄るところだが、もうあきまへん。
 老人らしく、扇町公園を散策。
 宮本浩志がカラオケスナックのママを殺害したビルの前を通り、甥っ子焼殺した松尾留与が座っていた扇町公園のベンチを再確認。
 どちらも決着しないままであるなあ。
  *
 公園の片隅のバラだけが心を和ませてくれるのであった。
 老眼鏡を受け取って帰館。
 午後……なんとか快適に読書できるようになった。


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