『マッドサイエンティストの手帳』751

●マッドサイエンティスト日記(2021年3月後半)


主な事件
 ・神戸新聞文化センター(19日)
 ・播州龍野いたりきたり
 ・日生行(22日)
 ・花見(27日)


3月16日(火) 穴蔵/某院
 薄曇りというよりも春霞のような空である。
 PM2.5が濃厚らしい。あの国にも困ったものだ。と思ったら、その国の首都は黄砂で、まるでディックの世界である。うらやましい。
 昼、マスク2枚重ねにして外出。
 コロナウィルスに加えて、花粉、PM2.5、黄砂まで防御しなければならぬから、たいへんである。
 西梅田の某院へ。待合室が込み合っていて、これまたたいへん。
 ホルター検査の結果を聞く。ま、良好であった。ほっ。
 寄り道せず、まっすぐ帰館。
 あとは穴蔵にこもって過ごす。
・村上“ポンタ”秀一氏の訃報。視床出血で。70歳。早死にするタイプとは思えなかったが。
・白鵬が休場。初日に張り手、時間切れで物言いつかず勝ち星拾ったところで、こりゃあかんわと思ったら、案の定。まさか手術後療養して再出場などとはいうまい。ポンコツ鶴竜と揃って引退だな。
 たちまち夕刻。
 本日も休肝日……のつもりだったのに、えらいご馳走が並んだ。山田真貴子が食べた74,203円のとは桁が2つ違うけど。
  *
 しかたなく、献杯と祝杯を兼ねて一杯。うま。
 後は野となれ……である。

3月17日(水) 穴蔵/某医院
 快晴だが、黄砂かPM2.5で少しかすんでいる気配。
 朝、近所の某内科医院へ行く。昨日につづいての某院通いだが、こちらは定期健診。本日は健康診断も行う。
 一通りの検査(レントゲン、心電図、尿検査など)では特に異常なし。血液検査の結果は後日だが、昨夜一杯やったから、だいたい想像はつく。
 30分ほどで帰館。あとは終日穴蔵。
 先日から始まった集合住宅の大規模修繕工事。
 足場の組立で、わが穴蔵のベランダ外に支柱が突き出てきた。近いうちにネットが張られるはず。
  *
 視界にある「野々村竜太郎の生家」ともしばしの別れとなる。足場の撤去は7月半ばの予定。それまでに視界の共同住宅は(すでに7割は空き家だが)無人になるはず。
 昼過ぎには、視界を職人がうろうろしはじめた。工事音も響く。
  *
 テキパキした作業を眺めるのは悪い気分ではないが、落ち着かないことよ。
 こちらはほとんど仕事はできぬまま、夕刻となる。
 専属料理人が並べた数皿で晩酌。
  *
 メインは牡蠣の食べ納めである(山田真貴子の74,203円接待に較べれば、質素なもの)。
 来週、日生へ行く予定で、たぶんまだカキオコもあるのだろうが、クルマだから、たぶん食すことはあるまい。

3月18日(木) 穴蔵
 晴れた好日である。
 終日穴蔵。
 朝から「自宅」の洗面所の修理工事。水漏れ事故があって、やっと今頃。
 信頼できる業者であり、今はどことも混んでいるらしい。
 コロナ禍で生活困窮のホストなんてのをテレビで見たが、こういう業界へ転職しろといいたくなるぜ。無理か。
 穴蔵の外側では、足場が組まれて、本日はネット張りの作業。
  *
 穴蔵は夕刻のような雰囲気になった。4ヶ月ほどこれが継続する。
 内も外も工事中。あまり効率的な仕事はできず。いたしかたなし。
 たちまち夕刻。一杯呑んで早寝させていただく。

3月19日(金) 神戸新聞文化センター
 春である。
 昼前に出て阪急で神戸へ。
 午後、神戸新聞文化センターで眉村さんから引き継いだ「エッセイ・物語」の講座を務める。
 エッセイと短編あわせて9篇。これを合評会形式であれやこれや。
 エッセイには話題が尽きない題材(映画、小説、難解漢字、日本全国踏破、武将ランキングなど)が多く、短編には視点次第で解釈が一変する設定(ボーイズラブものはいつ始まったか、外来植物にどう対応べきか、現代に高等遊民は可能か)が並んでいて、議論は3時間に及んだ。
 お疲れ様でしたという他ない。
 当方も、議論しながら、黒岩重吾作品がいかに金勘定を詳しく記述してあったかとか、萩尾望都さんと対談したことがあるぞとか、思い出すことが色々あった。
 夕刻帰館。
 洋風メニュー(鶏のイタリア風煮込みとかイカのスペイン風炒めとかフランス風のパンとか)で中本酒店推奨格安馬鹿旨ワインを飲む。ケンペプ師匠、バロン師匠など聴きつつ。
 早寝させていただく。

3月20日(土) 穴蔵
 春分の日である。ふつうなら淀川堤で日没を確認するのだが、今は堤に上がれないし、曇天、夕刻には雨となる。
 終日穴蔵。仕事はさほどはかどらず。
 たちまち夕刻。
 専属料理人がでかい豚肉のローストを3時間ほどかけて作ったという。
  *
 ま、ありがたくいただく。
 山田真貴子が食った74,203円に比べればささやかなものだが、おれにはこれでもちと重い。
 2スライスほど。ビールは盛大にいただく。
 明日は雨のようだが、播州龍野行の予定。

3月21日(日) 大阪→播州龍野
 雨が断続的に降る。
 鬱陶しい天気の日曜だが、アホはあまり出歩かないだろうから、電車は空いているだろう。
 昼間、播州龍野へ移動する。
 姫路まで阪神特急を利用したが、正解であった。甲子園が中止でガラガラ。
 電車での移動は昨年の3月19日以来で、1年振りである。
 車窓からの眺めが妙になつかしい。須磨あたりは霧が濃く、明石大橋はまったく見えない。
 姫路城は霧の中にただずむ。
 姫新線からはあちこちに山桜が見える。
 播州龍野の実家は荒れ果てていた。
 雑事山積。
 本格的に片づけるとなると、業者の日程にも合わさねばならず、1週間ほどの泊まり込みになりそうな。
 ま、5月か梅雨明けだな……などといってると秋になり、寒いから来年に、となるのだろう。
 大阪から持ってきた料理を並べて独酌。
 播州龍野泊。

3月22日(月) 播州龍野←→日生→大阪
 晴れた。
 播州龍野からクルマで備前市日生に向かう。
 山陽道で、備前インターから、まず伊里へ。ここは遠い親戚のいる場所で、一度見ておきたい風景がある。
 海岸近くにクルマをとめて、沖の前島という無人島をしばらく眺める。
 ここは主目的ではない。
 ここから県道を東に走り、日生へ。
 63年前に眉村さんが大阪を離れて赴任した町であり、気になる場所を探索したかったのである。
 駅近くにクルマを置いて2時間ほどウロウロ。
 長編「傾いた地平線」の他、幾つかの短編の舞台となった場所で、眉村さんの描写の的確さに改めて驚く。
  *
 最終の目的地は左端(松ヶ鼻)の向こう側にある。
 カキオコは食さず。あんなもの「当時」はなかったからな。
 午後、南西部の海岸沿いにあるヨータイ(旧・大阪窯業耐火煉瓦)日生工場を訪ねる。
 コロナ禍のご時世、外来者の訪問は無理かなと思いつつ取材をお願いしたら、上層部の判断で、大変な便宜を図っていただくことになった。
 古い資料を用意していただき、以前、社宅や寮のあった場所まで案内していただく。
 さらには思いもよらぬ大発見があった。
 このことは遠からぬ時期に発行される某誌に書くので、ここでは触れない。
 お世話いただいたT部長にお礼申し上げ、赤穂市経由、播州龍野へ引き返す。
 夕刻の電車は混みそうなので、少し時間を遅らせて、夜の電車での帰阪となる。

3月23日(火) 穴蔵
 昨夜、遅めの晩酌の後そのまま熟睡したら、定刻午前4時に目覚めて、普通の生活に戻った。
 普通の生活とは、たいして成果の上がらぬ仕事をだらだらやる状態をいう。
 日生行のメモ類を整理しつつ過ごす。
 昨日の「大発見」について眉村さんに詳しい筋に報告したら、これまた意外な展開。
 未解明と思っていた部分が解明。しかしまた新たな謎が出てくる。
 ちと屈折した展開になりそうである。
 たちまち夕刻。
 専属料理人にいろいろ並べてもらって晩酌。
 ポテトと蓮根のフライやらタマゴのなんたらやらサラダやらゲソやら、チマチマしたのが6皿ほど。
  *
 山田真貴子がガースーのバカ息子と飲み食いした「1人前74,203円」に比べるとお粗末なものだが、おれにはこれでもビールが足りなくなる。
 熱燗も少し。
 早寝させていただく。

3月24日(水) 穴蔵
 晴れて暖かそうな日である。
 終日穴蔵。
 大規模修繕工事で廊下側のPS金属扉の塗装。シンナーがにおってくる(気がする)。
 換気しても廊下との循環になるような。ベランダ側のドアを開放すると花粉でひどいことになる。
 仕事にならず。たちまち夕刻。
 専属料理人に数皿並べてもらって、晩酌だけはしっかりやる。
  *
 北梅田の夜景を眺めつつビール、酎ハイ。
 リビング側の足場も下階あたりまでせり上がってきた。明日には視界がネットで覆われるだろう。
 この夜景とも数ヶ月お別れである。

3月25日(木) 穴蔵
 曇天で時々雨であったようだ。ようだ、というのは、部屋がネットで覆われているから、降雨に気づかないのである。
 終日穴蔵。
 マジメに机に向かっているはずが、何も進まんな。
 たちまち夕刻。本日は休肝日。
 専属料理人が粗食を並べる。
「こんな日は一杯飲んで元気出したら」なんて言ってくれるはずもなし。
 嗚呼。

3月26日(金) 穴蔵
 定刻4時に目覚めて普通の生活。
 このところ低調である。
 全部の窓が足場とネットで覆われてしまったのも多少影響しているのかもしれぬ。
 今日が花見日和(日曜に花散らしの雨)というがホンマかいなと、昼、外出してみると快晴である。
 豊崎郵便局へ行き、北側の公園で15分ほど花見。満開寸前である。
  *
 公園の北側でタワマンの工事が始まっている。
 これは大阪市内でも屈指のタワマンとなるだろう。南側に限るけど。
 地下鉄への距離、梅田徒歩圏、前が桜の公園、A建築研究所の北300メートル、JRとも新御堂とも適度に離れている。
 40年の住人として断言する。福島のプラザ跡よりもはるかにいい。
 気の毒なのは右手に見えるマンションの南側住人である。この景色が遮断され、一生日陰で暮らすことになる。
 先見の明がなかったとしかいいようがない。
 3年後の景観が楽しみな。
 また陰気な穴蔵に戻る。
 たちまち夕刻。
 専属料理人の並べた数皿でビール、白ワイン。
 本日、職業野球開幕。家人が見てるから1時間ほどつきあうが、知った選手はもう誰もいない。
 毎年、球春に書いてることだが、わしゃ2004年7月8日のナベツネの暴言(たかが選手が、ね)以来、職業野球に興味をなくして久しい。
 しかし、毎年、春になると、ナベツネがまだ生きてるのにむかむかする。早くなんとかならんらねえ。
 大谷さんはどう思ってはるのか。同級のヨコジュンが先に逝ってもう2年になる。←こんなこと書いても、誰もわからんだろうけど。

3月27日(土) 穴蔵/花見
 早寝したら午前2時に目が覚めてしまった。朝まで読んだり寝たり。
 相変わらずドタマ冴えない日である。
 晴れているが、予報では明日は花散らしの雨という。
 ボケ頭でくすぶっていてもいかんので、昼前、専属料理人と花見に出かけることにする。
 毎年のコース。
 豊崎西公園〜豊崎東公園〜本庄公園〜淀川堤が歩けないので堤下を歩いて毛馬閘門へ。
 満開の木が3割くらいか。全面的に満開とはいえない。
  *
 毛馬から大川東岸を歩くが、大阪拘置所あたりから人が多くなってたので、飛翔橋を西に渡り、天六へ。
 天神橋の串カツ屋を外からちょっと見たけど、盛大にやっとる。
 こちらは阪急オアシスで買い物して帰館。
 ネットで覆われたリビングでちょいと一杯。
 夕方の報道では、大阪の感染者386人。
 わが先月末の予想では3月15日あたりから急増だったが、2週間近く遅れた。関西人、案外マジメなのかも。
 しかし第4波、間違いなしだな。

3月28日(日) 穴蔵
 雨ぞ降る。
 終日穴蔵。
 何もせず。

3月29日(月) 穴蔵
 晴れた空。
 終日穴蔵。
 何もせず。

3月30日(火) 穴蔵
 黄砂来る。
 終日穴蔵。
 何もせず。

3月31日(水) 穴蔵
 晴れた空。
 終日穴蔵……のつもりだったが、そうもいかず。
 月末の処理事項あり、梅田の金融機関まで。
 久しぶりに外出すると、まるで五月晴れ。
 工事用ネットに覆われた薄暗い部屋にいると、空の明るさに驚く。
 公園の桜はまだ満開で、庶民諸君が昼の花見の準備をしている。
  *
 結構なことではないか、天五の串カツ屋に比べれば、
 人混みを避けて梅田往復の後、また薄暗い穴蔵にこもる。
 本日の大阪の感染者599人。
 昨日で500人突破と予想していたのは外れた(週末には1,***人突破と思うが/予想は外れてもこれで終り)。


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