『マッドサイエンティストの手帳』704

●マッドサイエンティスト日記(2019年5月前半)


主な事件
 ・淀川河口(4日)
 ・焼けどまり塀@下福島公園(8日)
 ・傳法&伝法@伝法(10日)
 ・播州龍野いたりきたり


5月1日(水) 穴蔵
 戒厳令……じゃなかった、改元令和の初日。小雨が降りつづき、鬱陶しい朝である。
 ボンクラ息子その1とその配偶者と柴犬は、0時30分頃に去ったという。
 専属料理人の朝食後(8時)しばらくして、無事帰着とメールがあったらしい。
 終日穴蔵にあり。
 夕刻に近い午後、雨がやんだので、近所を散歩。
 いつしかハナミズキの季節である。
  *
 野々村竜太郎の生家近くにも花は咲くのであった。
 竜太郎、どうしてるのか。住之江公園近くで相変わらずマスコミに怯えて耳をそばだてての生活を送っているのか。
 近所の住民が記者に「もう追い回すの、堪忍したりいな」という気持ちもわからんではないが。
 ゆめもうひと花などとは思わぬように。

5月2日(木) 穴蔵
 晴。五月晴れ。10連休とやら、やっと半分が過ぎた。
 出歩く気分にならず。梅田は混雑しているであろう。
 午後、近所を1時間ほど散歩。
 淀川堤、水管橋撤去もセブリ小屋も相変わらず10日ほど変化なし。
 貨物線地下化も遅々として進展せず。
 地下鉄の津波・浸水対策工事のみ進展。
  *
 地下鉄御堂筋線の地下進入口、U字隧道の天井が完全にふさがれた(昨年10月はこうであった)。
 地下鉄への浸水は防げるが、その南でこれからJR貨物線の地下化工事が始まるわけで、これから5年間の工事中(それ以降も)に津波が来れば、梅田のJR新駅に浸水し、クルアの地下に流れこみ、地下鉄梅田にも浸水する可能性はあるわけだ。
 まだ5年、生きる楽しみは残されている。

5月3日(金) 穴蔵
 晴。五月晴れ。10連休とやら、あとまだ4日もある。
 出歩く気分にならず。穴蔵にて、本を読んだりCDを聴いて過ごす。
 午後、散歩に出るが、歩くのがひどく面倒になり、近所の公園まで。
 豊崎西公園、いつしかハルジオンの季節である。
  *
 野々村竜太郎の生家近くにも花は咲くのであった。
 現住居・住之江にも花は咲いているだろうが、竜太郎、ゆめもうひと花などとは思わぬように。

5月4日(土) 淀川河口
 晴。五月晴れというより初夏の陽気である。
 運動不足なので、昼、自転車で出かけることにする。
 目的地は淀川下流、伝法である。
 十三から淀川堤を下流へ。が、JR東海道線から海老江あたりまでは左岸線の工事で堤防は走れない。下界の路地を走る。
 海老江過ぎてから堤防に戻る。阪神なんば線の伝法あたりで降りるつもりだったが、天気がいいのと、別に確認したいことを思い出して、そのまま北港ヨットハーバーまで走ることにした。
 確認したかったのは淀川河口である。
 常吉風向風速観測所のそばに「河川管理境界」の標識がある。上流が淀川河川事務所、下流(大阪湾)が大阪市港湾局の管理。
  *  *
 実質的にはここが行政上の淀川河口とみていいのではないかと思う。
 だが、ここから上流へ1キロほど行ったところに「左岸 0.0K」の表示があり、ここが淀川河口の起点である。
  *  *
 路面には「L0.0」(Lは左岸)。堤防の上に「淀川距離標 左岸 0.0K」のプレート。下流400メートル(-0.4K)には阪神高速・湾岸線。さらに下流に風向風速観測所。
 「継足工事」が行われて1キロほど伸びた結果である。左岸だけ伸びて、右岸はそのままだから、起点もそのまま。
 ここから引き返して酉島あたりまで。
 酉島伝法さんが「川で書いて」はると思われるあたりを通過。
 「お〜い」と声をかけたら「なんや〜」と返ってきた……ような気がした。
  *  *
 伝法水門から下界に降りる。
 伝法駅あたりの路地をうろうろしてたら、見覚えのある商店街に出る。
 先日(私娼窟跡の調査で)来た四貫島商店街であった。
 千鳥橋から野田阪神方向へ。
 本来の目的だった「伝法探検」は後日とする(これは大阪の産業衰退史に関する調査で、わがボンサラ時代にからむテーマでもある。キーワードは伝法紡績)。
 正蓮寺川埋立跡の両側がややこしく、明治の古地図を調べてからにした方がよさそうだ。
 野田阪神〜聖天通〜グラフロを抜けて帰館。

5月5日(日) 穴蔵
 晴。五月晴れというより初夏の陽気である。
 昨日運動したので、本日は穴蔵にてボケーーーーッと過ごす。
 本も読むが、最近、目がひどく疲れる。
 朝は早朝に定番メニュー。
 昼は専属料理人がタケノコごはんを炊き、味噌汁、鰆西京焼きなど。
 たちまち夕刻。
 夜は専属料理人がナンを焼いてキーマカレー。
  *
 これでビール、安ワイン少しばかり。
 早寝するのである。
 明日、まだ10連休の最終日が残っている。
 連絡待ちの仕事(海外も日本の事情を知っていて遠慮しているのか)進展なく、まだ待機がつづく。イライラがつづくなあ。

5月6日(月) 穴蔵
 晴。五月晴れというより初夏の陽気である。
 本日も穴蔵にてボケーーーーッと過ごす。
 イライラしつつの10連休、ともかくあと1日のがまんである。
 新元号のイメージは最悪。まだ1日たりとも仕事をしていない。新天皇に責任はなかろうが(政権がいかんのよね)「なーんも仕事しない」元号になりそうな。
 夕刻に近い午後、近所を散歩。
 市営住宅の斜め向かいに「朽ち果てたようなアパート」があり(この写真のアパート)、壁に蔓がはっている。
 いつしかバラの季節である。
  *
 野々村竜太郎の生家近くにも花は咲くのであった。
 竜太郎、ゆめもうひと花などとは思わぬように。

5月7日(火) 穴蔵
 晴。五月晴れである。
 やっと連休明け。始動である。非SF系の仕事だけど。
 播州龍野から相棒の某くんの連絡あり、諸々の作業は来週になる。
 連休中の大地震の予報が外れて何よりであった(ExGoDownまでは予断を許さないけど)。
 結局、終日穴蔵にて雑事。夕刻に近い午後、近所の公園に出ただけ。
 公園の一角にはクローバーがびっしり。
  *
 野々村竜太郎の生家近くにも花は咲くのであった。
 竜太郎、ゆめもうひと花などとは……もういいか。

5月8日(水) 焼けどまり塀@下福島公園
 晴。五月晴れである。
 朝、調べたいことあり、西長堀の中央図書館へ行く。
 午前中、集中して作業、だいたいわかってきた。
 午後、伝法方面へ現地調査に行くつもりだったが、予定変更。目的地は福島区となる。
 あみだ池からバスで堂島大橋へ。工事中の橋を北へ渡れば下福島公園である。
 ここに明治42年7月「北の大火」の「焼けどまり」となった「福島紡績の煉瓦塀」(下の写真は大阪市北消防署100周年記念誌『世紀をこえて』より)が残されている。
 現場確認したくなったのである。
 ところが、一周しても煉瓦塀らしきもの、どこにも見当たらない。
  *  *
 それらしき場所にはスチールの塀があるのみ。
 釈然とせぬまま帰館する。
 ネットで調べると「台風21号で崩壊した」との書き込みが1件見つかる。
 公園事務所に問い合わせると、ちょっと時間をくれといい、1時間ほどして電話あり。
 結論をいえば、昨年の台風21号で「倒壊はしていないが危険な状態」になり、取り壊し撤去となった。ただ、管轄がなぜか水道局だそうである。
 誠実な対応であり、水道局にまで根ほり葉ほり訊く気にはならず。
 昨年までに見に行けばよかっただけのこと。
 史跡(には指定されてなかった)というか火災遺産は消えた。むろん防火対策がしっかりしておれば、別にかまわんのである。
 
※この煉瓦壁はネットで色々と紹介されている。また「北の大火」に関する記述も多い。
 この塀の会社について、日本紡績とか大日本紡績とかの記述も見られるが、福島紡績が正しい。
 当時の社名でいえば、福島紡績と日本紡績が同じエリアに並んでいて、東に福島紡績、西に日本紡績。古地図では、面積は日本紡績の方が広く、西南方向を囲っている感じ。東の煉瓦塀が「焼けどまり」となり、大部分は福島紡績の壁である。
 下福島公園の西側にはユニライフが3棟並んでいて、これは日本紡績(後のユニチカ)の名残りである。

※※煉瓦壁についてはGoogle-mapで見られるとご教示いただいた。なるほど2016年の画像が見られる(いつ更新されるかわからんけど)。予想外の規模で残っていたのだ。これを見ると、やはり惜しいなと思う。(2019.5.9)

5月9日(木) 穴蔵
 曇天。終日穴蔵にこもって過ごす。
 午後、某さん(坊さんでもある)がFIATで来訪、小夏(宮崎では日向夏)をどっさり届けてくださった。
  *
 ありがたや。 朝の果物は柑橘類が好きで、伊予柑が終わったところ。初夏には小夏が何よりである。
 小一時間雑談。
 しんどそうな話が多いが、こちらはだんだん元気が出てきた。
 「迷い」の質はちがうが、構造的には類似性があるとでもいうか。「雑談」は大事である。このところ、穴蔵にこもりがちなのがいかんのかも。
 明日こそホリは羽ばたく……つもり。

5月10日(金) 傳法&伝法@伝法
 かつて傳法紡績という会社があった。まったく知られていない。
 127年前。明治25年8月5日に知事により認可された。ただし翌年5月には福島に新工場を建設して移転、社名も福島紡績に変更し、傳法の工場は売却された。
 傳法(牧村史陽によればデンボと訛って呼んでいたらしい)はでんぼ(腫れ物)で、「大きくなるとつぶれる」から縁起でもないと変更したらしい。
 たった1年しかなかった会社だが、わがボンサラ時代の会社のルーツであり、8月5日が創業記念日になっている。
 この会社は西成郡傳法村にあった。正確な所在地がどこか、前から気になっていた。
 何しろ明治25年……淀川改修工事の前であり、その後、傳法村の大半が新淀川の川底になった。
 明治の地図にはほとんど記載なし。
 明治末期になってぼちぼち会社名が記載されはじめる。ただ、表記はあやしく、縮尺も不正確だ。
  *
 たとえば上記の地図中の記載も、綿操會社(綿繰會社)、廣業會社(鑛業會社)は誤記と思う。
 神社と寺は当時からあるはずで、精度の確認もあり、ともかく現場を歩くしかない。
 ということで、朝から「伝法探検」にでかけることにした。
 大阪駅から酉島車庫前行きのバスで、千鳥橋下車。
 千鳥橋を渡り、正蓮寺川の埋立地に沿って歩き、森巣橋の北にある鴉宮の「伝法川の碑」を確認する。ここが埋立前の南傳法の先端だった場所。
 北へ歩くと鴻池組本店……淀川改修工事でここに創設されたのである。伝法川右岸にあったことがわかる。昔の北傳法。
 すぐ北の「澪標住吉神社」……ここが基準点のひとつ。
  *
 ここから西へ路地(としか思えないが旧街道である)を歩く。
 すぐ西が寶泉寺。しばらく歩いて西光寺。その西の狭い通路奥が伝法小学校で、門のすぐ奥に日本鋳鋼所跡の碑がある。
 西側が阪神なんば線「伝法」駅で、ガード下に改札がある、なんとも狭い駅である。
 阪神高速(伝法4)を越してさらに西へ進むと、安楽寺があり、その先に「備前橋」北詰の西念寺がある。
  *
 ここがもうひとつの基準点。特に備前橋は明治初期の地図から出てくる。
 傳法紡績の位置はほぼ特定できた。
 この周辺には他にも紡績関係の跡地が多く、伝法団地なども回る。
 あと、おなじみの伝法水門へ行き、淀川堤に出て、下流へ少し歩く。
 おお、淀川堤で酉島伝法さんが執筆中であった。
 「お〜い」と声をかけたら「なんや〜」と返ってくる……かと思ったが、返事なし。
 イアホン装着、音楽を聴きつつノートパソコンに向かってはる。
 そばまで行ったら、気配を察して、酉島さん仰天。執筆のジャマをして申し訳ない。
 しばらく雑談。
  *
 記念撮影。内輪にしておこうかと思ってたが、まあいいでしょう。
 ともかく……
 昔ここに傳法紡績があり、120年後に酉島伝法さんが現れた。
 毛馬閘門から伝法水門までの空間、120年の時間、この時空の中に、おれに降りかかった事件、おれが関わった出来事のほとんどが生成消滅したのである。
 何かの形になるかどうか。これからである。
 おれも川で書くか……

5月11日(土) 穴蔵
 晴。午前5時から直射光が射し、7時前には穴蔵の室温は30℃となった。
 部屋を夏仕様に変更する。
 コタツ用の布団や毛布を洗濯してもらい、ベランダに干す。
 温度変化が激しいが、もうコタツも毛布も必要あるまい。
 フロアの拭き掃除も。また床積みの本が増えてきたなあ。
 部屋の片づけなど色々やってたら、たちまち夕刻となる。
 夜は手羽焼き中心メニュー。
  *
 盛大にビール。夏は来ぬ。

5月12日(日) 穴蔵/ウロウロ
 夏の日である。
 穴蔵にてくすぶり状態で過ごす。
 気分晴れず、自転車で走ることにする。
 淀川堤を上流へ。毛馬閘門経由、赤川鉄橋まで。
 城東貨物線がおおさか東線に変わってはじめて来る。
  *
 撮り鉄には(たぶん)魅力のない鉄橋になったなあ。歩道は当然なくなり、堤防部分は塀で仕切られている。
 ネットで見ても、たいした写真はないようだ。
 下界に降り「リバーサイドしろきた」をうろうろ。
 ここは(傳法が拡大して)大正6年(1917)から昭和43年(1968)まで続いたイトヘン工場だ。その後5年ほど、廃墟に近い状態が続いたあと、広大な団地になった。
 どこかに煉瓦がと思ったが、まったく残っていない。
  *
 残っているのは南側の樹木だけである(台風21号の被害は軽微だったようだ)。この間に砂利道が事務所までつづいていた。
 もう来ることはないかもしれぬ。

5月13日(月) 穴蔵
 五月の晴れた日に、穴蔵にて過ごす。
 PCの起動が不安定である。3日に1度くらいややこしい。
 使用しているのはセブン機で4年前に7千円弱で買ってきた中古機。
 3年持てばいいと思っていたから、もう十分なのだが……今頃はWindows13?か、次のバージョンが出てると予想してたんだがなあ。
 PC本体とは関係なさそうだが、USBが不調、バックアップしてない4日ほどのデータ復旧(というか再入力)に3時間ほどかかった。
 そろそろ買い替えか。Windows10は気が進まないのだが。
 たちまち夕刻。
 翁豆腐のヤッコや小鉢、炒め物などでビール。
 あと、専属料理人が、先日頂いた小夏の半分ほどをマーマレードにした。皮や綿などを分離して細かく刻み、水洗いや色々、6時間以上かけて作ったという。
  *
 これをパンに載せて、中本酒店の格安バカ旨ワインを少しばかり。
 うまっ。
 早寝するのである。

5月14日(火) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 タイムマシン格納庫にて最終的な作業。
 10連休中に地震が起きなくて幸いであった。
 合間に実家にて階段の改修工事の立ち会い。
 15年前に老母のために行った工事が、今度はおれの番になった。酔っぱらっての転落は大いにありうるからなあ。
 ついでに気がかりな揖保川の河岸工事現場も見に行く。巨大な構造物を埋め込むような。
  *  *
 すぐ上流、堀家住宅西側の楠の雰囲気さえ壊されなければ結構だが。
 夕刻に作業終了。
 食品スーパーで総菜類を買ってきて、久しぶりに播州龍野にて独酌。
 室温と外気がほぼ同じで、(エアコンのない陋屋では)いちばんいい季節である。
 鴨居のスピーカーから降り注ぐトミフラ師匠、モンク師匠を聴きつつ。

5月15日(水) 播州龍野→大阪
 播州龍野にて目覚める。
 ひさしぶりに熟睡。気分爽快なり。
 昨日、立会検査が終了。いよいよ大詰めである。
 朝から格納庫にて相棒の某くんとタイムマシンの梱包作業にかかる。
 午前中でダンボール・ケースへの詰め込み完了。
 船荷なので、木枠梱包は専門業者に依頼し、そこから指定倉庫に搬入すれば完了となる。
 運送業者への依頼は相棒に任せることにして、一応、わが出番は終了である。
 そして……まだ確定ではないが、1972年から47年間続けてきたこの作業も、今回で終わりになる可能性が高い。
 ちょっと寂しくもあり。
 午後の電車で帰阪する。


[最新記事] [次回へ] [前回へ] [目次]

SF HomePage