『マッドサイエンティストの手帳』606

●マッドサイエンティスト日記(2015年6月前半)


主な事件
 ・播州龍野いたりきたり
 ・キャンドルナイト(4日)
 ・大阪JAZZ同好会(14日)


6月1日(月) 大阪←→播州龍野
 慌ただしいのであった。
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 午前8時38分着。
 3月のダイヤ改定で、在来線利用だとこれが一番早い時間になった。以前は7時59分に着けたのだが。困ったものだ。
 新幹線利用だと7時18分。これは母の死去以来利用してない。
 肉体労働少し。タイムマシン格納庫にて雑事少し。自治会関係1件。
 お役所関係と銀行関係うろうろ。
 ついでに横尾製麺の直販所に寄り今年の揖保乃糸手配、揖保川町の竹田農場へ行ってトマト手配、夏メニュー用である。
 大阪にも用事ができて、午後の電車で帰阪。炎天下、梅田ウロウロ。
 夕刻帰館。
 シャワー後、枝豆・山かけ・トマトサラダなどでビール、素麺1束。
 早寝するのである。

6月2日(火) 穴蔵
 いかん、昨日の反動で動く気がしない。「いかん」ことでもないか。
 じっくり原稿に取り組めばいいのだが、そうならないのが「いかん」のである。
 終日穴蔵。
 あれやこれや、雑読雑聴。
 珍しくも手紙を数通したためる。
 I'm Gonna Sit Down And Write Myself A Letter.
 あ、同級生宛であるが。
 たちまち夕刻となる。
 とようけのヤッコ、もずくなどでビール。
 あと……ピザのようでピザでない、チヂミのようでチヂミでない、それは何かとたずねたら、
  *
 イタリアンのオムレツの一種? 名前失念、フリッタータだったかな。
 まあ、そんなもので、中本酒店推奨の高品質安ワインを少しばかり。
 本日はニューサンに加藤平祐(キッチンファイブ)出演の日だが、どうにもしんどい。
 ここ5年ほど顕著な傾向だが、体質的に夜遊びができなくなってきている。
 6月末か7月はじめには行くからね。

6月3日(水) 入梅
 雨ぞ降る。近畿も入梅らしい。
 あじさいの季節である。
  *
 集合住宅の「庭園」にて。
 本日も出歩く気分にならず、終日穴蔵にてボケーーーーッと過ごす。
 報道番組を断続的に見るが、ややこしいニュースが次々。
・長江で客船転覆。
 400人以上が不明のままで、助かったのが14人、うち7人はクルーらしい。ちゃっかり船長も助かってるあたり、さすが中国。
・韓国でMERS。
 隔離措置の対象者が1,300人以上というが、まだまだ増えそうな。ニュースの直後にH.I.Sのソウル格安ツアーのCMとはいやはや。
・FIFA会長ブラッターが辞意表明。
 逃げ切れぬと覚悟を決めたということか。
・日本年金機構から個人情報が流出。
 起こるに決まってたことだから、驚きもせず。
 最大のニュースは(関西限定で)、
・昨夜、阪神が9回二死満塁フルカウントからホームランくらって逆転負け(専属料理人は見ていたらしい)。
 サヨナラでないから「劇的」とまではいかないが。
 昔「宇宙塵」にのった槇敏雄さんの「バカコーン」を思い出すなあ。単にタイトルの語感からの連想だけど。
 たちまち夕刻となる。
 枝豆、肉豆腐、イカ刺、トマトサラダなど並べてもらってビール、焼酎水割り。
 米朝師匠を2席見てから、早寝するのである。
 明日は少しは歩くことにしよう。

6月4日(木) キャンドルナイト
 梅雨入り翌日の快晴。
 空気は乾燥していて、さわやかな日である。
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。いと少なしを。
 毎日こうありたいものである。
 たちまち夕刻。
 枝豆、カレイ煮付、トマトサラダなどでビール。桜エビのかき揚げのミニ丼で仕上げ。
 20時過ぎ、専属料理人と茶屋町までぶらぶら歩いて、1000000人のキャンドルナイトを見る。
  * *
 例年より規模縮小気味のような。
 豊崎小学校の生徒諸君がショッピングバックに描いた絵が内側からキャンドルで照らされる趣向など、いろいろ。
 雨にたたられることが多いが、今年は語源どおりの「五月晴れ」で、何よりであった。
 おれは、こういうイベントに雨を期待するほどひねくれてはいないのである。

6月5日(金) 湾岸区
 曇天なり。
 午前、ちょっと調べたいことが生じ、西長堀の中央図書館へ行く。
 1時間ほど。
 あと、幻の湾岸区を歩くことにする。
 湾岸の某区へ。
 観光施設のある区画の反対側(某大橋側)を散策。
  *
 こちらは昔ながらの煉瓦倉庫などが残っている。
 小雨になった。
 昼は某店でオムライス。ボリュームだけは確かにすごい。よせばよかった。
 通りを隔てた、某近代建築の前も通る。
  *
 その隣にモダンなうどん屋を発見。
 昼飯はこちらにすればよかったかな。今回は見送り。
 雨が本降りになりそうなので帰館。
 この一帯は、またあらためて来ることにしよう。片道50円だし。
 ということてで、おとなしく穴蔵生活に戻る。
 6,457歩。

6月6日(土) 穴蔵/ウロウロ
 朝刊各紙の一面に「来年のサミット開催地は伊勢志摩」とある。
 来年サミットとは知らなかった。
 警備面からの決定らしいが、それならパーティ(含宿泊)はぜひとも渡鹿野島でやるべきだろう。
 あの島は「怪しいやつ」がひとりでも上陸したら、たちまち厳戒態勢らしい(おれは行ったことないのだが)から、警備体制は万全である。首脳陣も喜ぶだろうし。
 午前。
 タイムマシン事業の相棒・某くんが、龍野から椅子を運んできてくれた。
 先日20年使ってきた椅子が壊れた。
 10数万のハーマンミラーを購入するか迷っていたが、播州龍野書斎で20年間使ってきた椅子を持ってくることにしたのである。
  *
 ブランドは「giroflex」、20年前に5万くらいしたのかな。
 20年前の某事業所閉鎖の時に、遠方に転勤する某氏から譲り受けたもの。
 やはり腰になじむ。なんとか生涯の椅子になってほしいもの。ガススプリングの長命を祈るばかりだ。
 ということで、書斎にて落ち着く。
 ずっと座っていたいが、少しは歩かねばならぬ。
 午後、急速に晴れ上がってきたので、14時過ぎから散歩に出る。
 ジュンクドー〜紀伊国屋書店〜ヨドバシ〜地下道を抜けてスカイビルと、西回り、普段と逆方向に歩く。
  *
 スカイビルの里山は盛夏の雰囲気である。
 6,442歩。
 夜のビールがうまい。

6月7日(日) 穴蔵
 定刻午前4時に目覚める。室温25℃だが肌寒い。
 が、日出とともに室温急上昇、遮光カーテンを引く。寒暖の差が大きい。
 こんな日は心臓に注意しなければならぬ。
 午前9時を過ぎる直射は終わり、快適になった。
 終日穴蔵。
 椅子の座り心地がよく、机に向かったまま、動く気がしない。
 さりとて生産的な仕事ができたわけでもなく。嗚呼。
 雰囲気を変えるため、今まで架けていたジャクソンスクエアのスケッチ画を「風呂敷」と入れ替える。
  *
 八木明さん作のろうけつ染めのふろしきである。
 おお、穴蔵が急に華やいだような。

6月8日(月) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 9時前にタイムマシン格納庫に着き、雑事色々。
 昼前に実家へ。
 こちらは夏モードへ変更のため、大掃除を行う。
 ダイアトーンを設置している座敷は、冬は寒く、6月〜9月の4ヶ月間くらいしか使えない。
 風を通し、掃除機をかける。
  *
 午後は小雨になった。
 庭の隅に咲く紫陽花を眺めつつビールを一杯……といきたいところだが、クルマを運転せねばならぬ。
 夕刻、食材を買ってくる。
 夜は久しぶりに播州龍野でひとり酒盛。
 室温23℃で肌寒い。
 枝豆、ヤッコ、味三昧のミニ弁当など並べて、ビール、あとは龍力の熱燗にする。
 座敷にて、ケニー・ダバーン師匠、トミフラ師匠、尾田悟師匠を大音量で聴きつつ。
 播州龍野の夜は更けゆく。

6月9日(火) 播州龍野/赤毛の男
 わ、目覚めれば午前6時半。よく寝たものよ。ど田舎の静寂ゆえか。
 朝から某業者来たりて、家の周辺で作業を開始。
 一応立ち会わねばならず、書斎にてボケーーーーッと過ごす。
 庭の雑草もひどい状態になってきた。
  *
 まあ、塀の内側はよろしかろう。
 塀の外側はご近所から苦情が出るから、放置しておくわけにはいかないのである。
 「別荘を持つ」なんて人種の気が知れない。
 倉庫の整理をしてたら、大学時代の下宿からこちらへ運び込んだダンボールがあった。
 ドンレヴィー『赤毛の男』が出てきた。
  *
 こんなところにあったのか。
 1965年、河出の「人間の文学」というシリーズの1冊(『裸のランチ』や『ファニー・ヒル』もこのシリーズで読んでいる)である。
 昨年、創作サポートセンターの専科で、女性モノローグのとんでもない悪態小説(言ってることとやってることの乖離が面白い)を提出した生徒がいて、笑いのレベルを高めるには『赤毛の男』を参考にすればいいとコメントしたのだが、これが的確かどうか、本が見当たらず、確認できなかったのである。
 半世紀ぶりに再読。これが、まったくつまらない。というよりも、よくわからん。
 こんな退屈なものをよく読み通せたもので、若さであろうか。
 ちなみに「参考にすれば」とコメントしたのは○ンポ丸出しで満員の客車に乗る場面で、今読むとたいしたことなし。
 「青春の読書」というのは、再読して何かを発見することが多いが、逆の例も多いなあ。
 今夜も播州龍野にてひとり酒盛。
 夜、隣接する田に水が張られたせいか、蛙の合唱が急に大きくなった。
 これをエサにするS字型が増えないことを祈るばかりだ。

6月10日(水) 播州龍野→六甲道→大阪
 肌寒い朝である。6時前に起床する。
 播州龍野の実家にて、昨日の作業の残務色々。ちと疲れた。
 昼過ぎの電車で帰阪することにする。
 途中、六甲道で途中下車する。
 半世紀ぶりに、駅の北側一帯を歩く。
 ごく短い期間だが、森後町にいたことがある。
 下宿が決まらず、阪急六甲の上、篠原北町にある遠い親戚の豪邸にひと月ほどやっかいになり、その後、六甲道の、下宿ともドヤともつかぬ3畳の部屋にしばらく住んだ。
 ひどいところであったなあ。篠原北町の豪邸との落差の大きさもあるが、ともかくえげつないところで、懐かしさは微塵もない。
  *
 商店街は六甲本通りというのであったか。
 緩やかな坂道である。
 この路地を入ったところだったが、一帯はほとんどマンションに変わっている。
 阪神大震災後に建てられたのが多いはずだが、この一帯の「再開発」はバブル期から始まっていたはず。
 くだんの「吝嗇親父」の家は、その姓を冠した「○○ハイツ」に変わっている。1フロアに一族が住んでいるらしい。
 篠原北町→森後町→さらに坂を下って新在家、神戸製鋼という散歩コースは「阪神間SF」に絶好の舞台なのだが、おれの場合、いたのは数ヶ月で、生活感が体に染みこむまでにはいたらなかった。
 もう来ることはあるまい。

6月11日(木) 穴蔵
 曇天なり。
 直射光なく、午前中は快適である。
 午後は小雨になった。
 出歩く気分にならず、終日穴蔵。本を読んで過ごす。主に杉浦茂の諸作。
 たちまち夕刻となる。
 夜は、枝豆、トマトサラダなどでビール。
 あと、イサキのアクアパッツア。
  *
 これで、専属料理人が中本酒店で勧められたという900なんぼの、ギンギンに冷えた白ワイン。うまーーーっ。
 アクアのスープで作ったリゾットで仕上げ。
 豊崎西公園の南側にある中本酒店に栄光あれ。

6月12日(金) 穴蔵/さらばぶらり横丁
 午前曇天、午後に晴れてくる。
 東向き穴蔵生活者にはいちばんありがたい天気である。
 午前中は穴蔵にて雑事。
 午後、散歩に出る。
 駅前ビルのチケットショップへ行く必要もあり、地下街うろうろ。
 串カツ「松葉」は6月10日で立ち退き期限が過ぎたが営業中である。
  *
 午後3時だが行列ができかかっている。客の多くは「有名な店で一度食べておこう」の雰囲気。昼酒飲む人種じゃないよ。
 見てたら、オネエちゃんも「こっちに並んで」とやや横柄。こりゃ、もう強制執行していいと思うぞ。松葉は新梅田食道街に大きな店があるしさ。
 ぶらり横丁の3店(七福神含む)も営業中である。
 松葉で飲んだことはないが、ぶらり横丁は好きな一角だ。特に七福神のホルモン煮込みはこちらに書いたとおり、たかはたのきつね、大御所の湯豆腐と並ぶおれの梅地下三大好物のひとつであった。
 ぶらり横丁は残してほしいと前から思っていて、ここを舞台にした短編を書いたほどだ。
 だが、閉店に抵抗している姿勢を支援する気は毛頭ない。大阪市を支持する気もない。野次馬として見物するだけ。
 梅田地下街は絶えず変化するから面白いのである。

6月13日(土) 穴蔵
 いかん。不調である。
 体調はいいのだが、集中力なく、散歩する気分にもならず。
 1時間ほど机に向かい、1時間ほど寝転がって本を読み、30分ほど仮眠の繰り返しで夕刻となる。
 夕刻、ビールを少し飲むと、もうおしまい。
 ニューサンに行きたい事情もあるのだが、夜、出歩かなくなったなあ。
 本日0歩。

6月14日(日) 赤い人/大阪JAZZ同好会
 昨夜から吉村昭『赤い人』を再読。
 他でもない、北海道砂川市で飲酒運転したチンピラどもが国道12号線で一家全滅(ひとりは今も意識不明)させた事故で、この作品を思い出したからである。
 この直線道路は明治期に月形の監獄に収監されていた囚人によって拓かれている。その過酷な労働と闘争を描いたのが『赤い人』。やはり傑作である。吉村昭氏には北海道舞台の作品が多いが、その「酷寒描写」では『破獄』と並ぶ名作だろう。
 ちょうど5年前、この近く(高速だが)を通っている。
 月形樺戸博物館(旧・北海道行刑資料館)に寄りたかったのだが、時間の都合で残念ながらパスした。
 北海道のクルマ事情を色々と聞くに、12号線を走らなかったのは正解だったような。
 午後、片町線・放出へ。
 ディア・ロードで大阪JAZZ同好会の例会。ひさしぶりの出席である。
・Tさんによる「ファッツ・ナヴァロ」特集。
 夭折といっていいか。その演奏をたどると、ガレスピーとは別のバップスタイルを確立した可能性を感じさせる。
・Fさんによる新譜紹介。
 ジャズ喫茶激減の(しかもミムラさんなき)今、新譜紹介はありがたいことである。
・持ち寄り企画は「日本のジャズ」
 奇しくも戦時〜戦後の珍品大会みたいなことになった。Sさん持参の「16歳の水谷良重」「15歳の東郷たまみ」さらに「シティフリッカーズ時代の植木等による『こんなベッピンみたことない』」に至っては驚愕。植木等は本格派クルーナーを目指していたというが、スーダラ節の素質が早くも開花しているのである。
 おれの持ち込みは、その先駆者あきれたぼういずの「ダイナ狂走曲」。日本ジャズは戦前戦後を連続してとらえるべき(SFでも長山靖生『日本SF精神史』以来そうなのだが)というわが意見は大方の賛同を得た。
 野川香文の全著作を国立国会図書館へいってまで調べようとしているHさんも来ていて、心強い限り。
 やっぱりガヤガヤやらんといかんなあ。
 北海道の近代史、ジャズの昭和史、SFの現代史など、色々とテーマ錯綜、刺激的な一日であった。

6月15日(月) 大阪←→播州龍野
 相棒の某くんに急用が生じ、急遽、早朝の電車で播州龍野へ代参することに。
 「始業時間」前にタイムマシン格納庫に到着、終日見張り番をつとめる。
 久しぶりに部品加工も行う。ボール盤を使う程度だけど。
 腕は落ちとらんぞ。
 
 午後、直射光で「工場」はさすがに暑い。気がつけば38℃である(肉体労働なら40℃までは平気)。
 雑件ほぼ片づき、待機の必要はなくなったので、夕刻の電車で帰阪する。
 19時過ぎに帰宅。
 シャワーの後、枝豆でビール(ウマーーーッ)、夏パスタでワイン。
 この程度なら播州龍野へ通勤も可能だな。
 早寝。


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