『マッドサイエンティストの手帳』590
●マッドサイエンティスト日記(2014年10月後半)
主な事件
・播州龍野いたりきたり
・マホガニーホール(18日)
・謎の飲み会@石橋(19日)
・大阪JAZZ同好会(26日)
10月16日(木) 播州龍野→大阪
朝7時半にシルバー人材センターから来た2氏が庭木の剪定を始めた。
主に松の木。
しかし、2階書斎の窓から数メートルのところでこんな作業やられると、やりにくいんだよねえ。
向こうも監視されているみたいで嫌だろうし。
ということで、下男仕事を片づけ、打合せだけして、昼の電車で帰阪することにする。
姫路でちょっと寄り道(石挽蕎麦・御座候)、西宮で身内に会い、夕刻帰館。
夜は紫頭巾でビール、グラタンその他色々で白ワイン少しばかり。
早寝するのである。
10月17日(金) 穴蔵
終日穴蔵。
室温25℃だが、じっとしていると肌寒い。
扇風機を片づけ、衣類と寝具をすべて秋冬ものに変更する。
暖房(コタツ)のみまだ。
たいして生産的な仕事はできぬまま。
夜はイタリアン風色々。
*
前菜の蕪のマリネ?で白ワイン。なかなか。
10月18日(土) ライブ@マホガニーホール/ふてくされ雑感
秋晴れである。
昼過ぎに出て、心斎橋のマホガニーホールへ。
ミラノからピアニストのグイド・カイロ(Guido Cairo)が来日、明日、島之内教会でコンサートがあるのだが、本日は関西のピックアップメンバーとの前夜祭的ライブである。
他におなじみのジェフ・ブル(tp)、東京から久しぶりに早房長隆(tb)さんもゲスト参加。
* *
(記念品の羽織を着たカイロ夫妻)
午後の3時間、ビール飲みつつライブを楽しむ。
ODJCメンバーには熱狂的阪神ファンが多く、今日だけは「タイガー・ラグ」を演らないでくれという声しきり。
ともかく一昨日に危険球を投げた澤村という投手のふてくされた態度に怒り心頭で、なにがなんでも4連勝で読売を粉砕しないと気が済まないらしい。(この澤村の態度については喜多哲士さんが的確な批判を書かれているが、誤解であったらしい。しかし大部分の虎ファンは怒っておるようだ)
おれはナベツネ暴言以来、職業野球に興味を失って久しいが、ナベツネ歯ぎしり(できればそのままあの世逝き)なら嬉しいので、虎の4連勝を願うばかりだ。
ということで、夕刻に帰館。
ニュースによれば小渕優子が辞意を固めたという。これは当然であろうが、どうしようもないのが松島みどり「法務大臣」だ。
この「ふてくされた」表情と態度は度し難い。しかも出っ歯。
うちわにレポートを印刷することは、おれは許容範囲と思う。草上仁さんがそんなショートショート作品をSF大会で作ったことがあり、手に持って読みやすいし残しておきたいと思うし、いい製本だと思った。
松島みどりも堂々と論陣を張ればいいのに、なんだ、あのふてくされた態度は。
澤村、ナベツネ、みどり、揃って地獄へ逝きたまえ。あ、澤村はいいか。おれ、見てないから判断は保留。
10月19日(日) 謎の宴会@石橋
秋晴れである。
昼、専属料理人は心斎橋へ。島之内教会コンサートの手伝いである。
おれも行きたいのだが、別件あり。
夕刻に近い午後、阪急で石橋へ。
海鮮居酒屋にて「謎の宴会」を行う。
この石橋での「謎の宴会」というのは、20年ほど前から、盆、暮れ、5月連休に執り行っているのだが、今まで詳しくは書いていない。
特に、毎年年末(12月29日か30日)には必ず開催してきた。タイムマシン業の総会を兼ねている。
事情があって詳細は明かせなかったが、中心メンバーのひとりが、めでたくも在籍していた地方の某社を離れて大阪に戻ってきたので、その歓迎会である。
某海鮮居酒屋という表記も終わりにする。
阪急石橋の東口から北へ2、3分の「ごん兵衛」という店である。
安くてうまいから、阪大の諸君が宴会やったりしている。
活ふぐをさばいてもらって、てっさ、てっちりのコース。盛大にビール飲み、あとひれ酒。雑炊で仕上げ。
今後は、某くんの帰省に合わせる必要はなくなり、随時(発作的に)開催と方針を改める。
ま、会社はぼちぼちやれればいいのである。
10月20日(月) 穴蔵
曇天、昼前から断続的な小雨となる。
気分も似たようなものか。
仕事らしいことをする気になれず、本を読んだり時々テレビでニュースを見たりして過ごす。
小渕優子はともかく、出っ歯の松島みどりも辞任表明したが、何の感興もわかない。
どうでもええけんね。
季節外れの梅雨空気分。ま、たまにはこんな日もある。
明日こそホリは羽ばたく。
10月21日(火) 穴蔵/理事会
曇天か雨の予報であったが、午前中は薄曇り、午後は秋晴れとなった。
終日穴蔵。
集合住宅関係の雑事色々。
また煩わしい案件が浮上し、来春までかかりそうである。
夜、集合住宅の理事会。
まともな人たちばかりで、議案についてはごくスムースに結論が出るのだが、
「実行するには、ややこしいのが約1名おりますからなあ……」
と発言したら、どっと受けた。
全員、わかっているのである。
認知症進行中の老人を説得するのに精力の過半を費やさねばならぬとは、しんどいことであるなあ。
春まで命が持つかどうか心配になってくる。
できることなら、余命はSFのために使いたいよ。
10月22日(水) 穴蔵
午前2時に激しい雨音で目覚める。
あと朝まで眠り断続的。
曇天、時に小雨で、出歩く気分にならず。
終日穴蔵にて集合住宅関係の資料作成。小説に限らず、誰にもわかるように書くというのは本当に難しい。まして認知症進行中が相手では……嗚呼。
ちょっと前の事件だが、10月17日に田園調布で、75歳の病院長が30歳の妻と猟銃で無理心中というのがあった。
どこかで知っているような……と思ってたところに、院長はジャズ好きと知って、あっと思い当たった。
ドクター松本&ストレンジャーズのバンドリーダーではないか!
このバンドのコンサート(無料)の広告が、10年ほど前と思うが、時々週刊誌に掲載されていたのを覚えている。
おれの好きなギタリストがゲスト参加していたり、どんな演奏するのか興味はあったのだが、横浜まで行くついでもなし、結局聴けないままである。
謎だけが残った。
10月23日(木) 穴蔵/ウロウロ
秋晴れである。
昼過ぎに梅田某ビル25階の某事務所へ出向く。
年に一度の某契約関係の確認である。
お伺いしますといわれるが、来られるとなると前後の時間落ち着かないから、散歩のついでに寄ることにする。
30分ほど。
あと、運動不足なので、貨物駅跡西回りコースを散歩する。
*
ああ貨物駅。
北から整地されて、南端のプラットホーム跡まで来た感じである。
プラザ跡(小松の親っさん事務所跡)にお参りして、スカイビル〜阪急中津〜許永中生家あたりを経由して帰館。
7,884歩。
10月24日(金) 穴蔵/ウロウロ
朝、ニュース番組というか報道バラエティというか、6時前後に幾つか見るが、どれもこれも広島の「SMバー」ばっかり。
宮沢洋一の秘書が行ったとか。
「悔い改めよ秘書と宮沢洋一はいった」ということらしいが、朝っぱらから何じゃこれは。
中村喜四郎の「SMクラブ」通い(こっちの方が本格的)の時に、こんなに派手に報道したかなあ。
テレビ画面の卑猥さ(SMバーの内部映像ね)とは関係なく外は爽やかな秋晴れである。
午前中、調べたいことが生じて西長堀の中央図書館へ行く。
3階の大阪関係の資料、地図などあれやこれや。
昼過ぎ、天気がいいので、西の木津川沿いに南へぶらぶら、大正駅まで。
「よどやん」か「いちゃりば」か迷ったが、いちゃりばで沖縄そば定食とする。
*
オリオンで水分補給も怠りなし。
ちょっと南へ歩き、大正の木津川橋梁を見る。
*
ダブルワーレントラス構造でイワサキとペアである。
河岸からボケーーーーッと眺めていたら、携帯に立て続けに電話とメール。
播州龍野関係、集合住宅関係、その他。
地下鉄で14時過ぎに帰館。
雑事あれこれ処理。
ま、忙しいことは結構なことである。
夜のワイン(秋鮭のなんとか、秋ナスのかんとか、その他で)がうまい。
10月25日(土) 穴蔵
秋晴れである。
終日穴蔵にて静かに過ごす……つもりであったが、そうもいかず。
集合住宅で水漏れ事故発生。共用部分に水たまりができているとの通報がある。
建物の構造から「怪しい部屋」は明かなのだが、インターフォンにもノックも反応しない。窓は開けられていて、在室は明かなのに。
しかも、被害者の可能性がある下階の住人も同様の反応。
あれやこれやのあげく、どうやら洗濯機のトラブルと判明したが、「異様な住人」がまた2戸確認された。
わが住居に隣接していないのが救いである。
仕事する気分にもならず。
午後、斜陽の時間になってから散歩に出る。
東北コース。
梅田貨物線に沿って淀川方向へ。
*
第一襲撃予定地点(あくまでもフィクションです)。
向こうに見えるは東横INN梅田中津U。11月の連休に友人が来阪する予定だがホテルがとれないという。ウチの近所なら空いてるだろうと調べたら、びっしり満室。中国から押し寄せてくるのか。
全部含めて爆破してしまうか(あくまでもフィクションです)。
豊崎神社〜淀川堤〜上淀川橋梁〜本庄公園〜タカセ市場に寄り黒糖焼酎を1本買って帰館。
6,446歩。
10月26日(日) 大阪JAZZ同好会
秋晴れである。が、気温高く、夏の空気。
朝から大阪マラソンをやっとるような。
今年は知人が走っておらず、見物に行くこともなし。
昼前に出て、京橋……鴫野橋界隈をうろうろ。
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汚れた運河の雰囲気がたまらない。
橋を渡れば「昔、櫓のあった場所」、北野勇作氏の落語デビューの地である。
久しぶりに浪花できつねうどん。
午後、片町線で放出のディア・ロードへ。
大阪JAZZ同好会の例会である。
本日の特集が「シスターズ」、持ち寄り企画が「ワンホーンジャズ」。
面白いLPやCDの紹介が続き、久しぶりにJAZZオーディオを堪能する。
夕刻帰館。
専属料理人に色々並べてもらって安ワインを少しばかり。
早寝する。明日は播州龍野行きである。
10月27日(月) 大阪←→播州龍野
わ、午前2時頃に激しい雨音と雷鳴で目覚めた。
そのまま起床、未明に雨はやんだので、早朝の電車で播州龍野へ移動する。
雑事色々。
市役所の某課、某司法書士事務所などうろうろして、懸案の難題はなんとか「先送り」できることになった。
本質的な解決ではないが、無意味な税金を払い続けという事態は避けられそうな。
昼はガレリアでランチ。
ここは龍野アートプロジェクトの事務局でもあるらしく、準備作業で忙しそうである。
「堀家住宅の公開」もこの期間にあわせて11月15〜16日に行われるらしい。
龍野へ行くなら、オータムフェスティバルの前週の方が面白いと思う。
天候不安定。雲の動きが急である。
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秋晴れが、急に暗雲、嵐かと思ったら、また急速に晴れたり。
夕刻の電車で帰阪。
風が強い。木枯らし1号とか。それほど寒くは感じないけどなあ。
10月28日(火) 穴蔵/ウロウロ
冷え込むとの予報だったが、午前5時の室温23℃で快適。
雑事を片づけようと机に向かうが……集合住宅の某説明会の資料作り、どうにも気乗りがしない。
ボンサラ時代なら2時間ほどでできたはずだが。
あ、そうだ、株主総会用の想定問答集を作る時のむなしさがこれであった。
適当に切り貼りした資料でいいか。
わ、穴蔵の玄関の電球が切れた。
コンビニへ行ったら高額(800円くらい)のLED球しか置いてない。
1日に長くて2分ほどしか使わない電球に(単純な割算で)150年以上持つ球を使えるか。おれの場合、10年持てばいいのである。
午後、ヨドバシへ白熱球を買いに行く。
165円。ポイントで支払う。
天気がいいので、ついでに散歩。
北西コース。グラフロを抜け、阪急中津から6丁目近くのご安置ホテルの前を通る。
リレーションという名だが、ローズというラブホであった由来はどこにも標記されていない。
少し北へ歩き、十三大橋南端の西側、浜中津橋。
*
この橋、昔の十三川橋梁のトラス(日本最初の鉄道用トラスである)の一部が転用されているという由来はどこにも標記されていない。
十三大橋と阪急高架をくぐって東へ。
この付近に許永中の生家があるという由来はどこにも標記されていない。
名所の多いところなのだがなあ。
淀川堤防を東へ歩く。
*
葦原からカニが這い上がってきていて、カメラを近づけると、立ち上がって威嚇しておる。
あまり旨そうではないので、堤の斜面に戻してやるが、無事に戻れるかなあ。
ということで、夕刻シャワー。
専属料理人に数皿(がんもどきと蕪のたいたんの妖女とか塩鯖とかひじきとかありきたりメニュー)並べてもらって黒糖焼酎れんとの湯割り。
早寝するのである。
10月29日(水) 穴蔵/ウロウロ
定刻午前4時に起きる。
今季いちばんの冷え込み予想だったが、外は13℃、室温は23℃。
朝の内外温度差10℃は冬モード入りということで(1月には3℃/13℃くらいになる)、このパターンは来春4月まで続くことになる。
穴蔵に冬眠の季節が近い。
秋晴れなので、専属料理人と梅田へ。
荷物の運び役。
昼は駅前第1ビル地下の「伊達屋」でランチ。
牛たん焼き定食+とろろ。
ごくシンプルなランチだが、なかなか。仙台まで行く必要がないといわれている店である。
(うちとはボンクラ息子その1の幼稚園つながり)
デパ地下に寄り、食材の一部を持って、先にひとり帰館。
仕事する気分にならず、夕刻まで本を読んで過ごす。
いかんなあ。
明日からホリは羽ばたく……つもり。
10月30日(木) 穴蔵/ウロウロ
秋晴れである。
穴蔵にて机に向かうものの、相変わらず、集合住宅関係の雑事、気乗りせず。
困ったものだ。
斜陽の時間になって散歩に出る。
西南コース。
中津〜グラフロ〜うめきたの広場へ行ったら、ハローウィンのイベント「Ping pong pumpkin Show」なるものをやっていた。
*
ピンポン球を転がすらしいが(夕刻から2時間置きくらい?)、暗くなってからの方が面白そうである。
10月31日(金) 穴蔵/ウロウロ
曇天である。
気分も同じくどんより、机に向かうも気合い入らず。
昼過ぎ、月末の処理事項があって梅田へ。
と、阪急東側、ヤンマーのビルに時ならぬ人だかり。
ユニクロ大阪が本日オープンで、入場制限、ビルを囲むように行列ができている。
*
しかし、ヨドバシ梅田が2001年11月22日にオープンした時ほどの熱気ではないな。
なぜこの日を覚えているかというと、わがタイムマシン製造会社を登記した日であり、創立記念日なのである。
もう14年経過している。メンバーもすでに還暦を過ぎた。
この事業にリストラを命じたアホ経営者に礼をいうべきかもしれぬ。そのまま会社にいるよりも遙かに充実した(仕事面でも収入面でも)十余年を過ごせたのだからなあ。
○谷くん、○藤め、感謝しとるよ。軽蔑もしとるけど。
などと余計なことを考えているうちに夜となる。
一杯飲んで早寝。
無為に過ごした10月が終わる。嗚呼。
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