『マッドサイエンティストの手帳』550

●マッドサイエンティスト日記(2013年3月前半)


主な事件
 ・SF大賞贈賞式(1日)
 ・大阪←→播州龍野いたりきたり
 ・豊崎バル(9日)
 ・山陽道を西へ(15日〜)


3月1日(金) SF大賞贈賞式
 昼の新幹線で上京する。
 浜松あたりで「お客様のなかにお医者さまはいらっしゃいませんか」というアナウンスあり「救護活動のため」三島に臨時停車。どんな症状であったのか。5分遅れで東京に着く。
 都内ウロウロ。風が強く、春一番らしい。花粉が大阪の比ではない量である。
 DISK UNION 〜山野楽器、CD購入は4枚に抑える。
 夕刻、東京會舘へ。
 徳間文芸賞贈賞式で、一応、選考委員の席に座る。
  *
 大藪春彦賞 柚月裕子『検事の本懐』(宝島社)
 日本SF大賞 月村了衛『機龍警察 自爆条項』(早川書房)
 日本SF大賞 宮内悠介『盤上の夜』(東京創元社)
 日本SF大賞特別賞 伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』(河出書房新社)
 写真は右から、柚月さん、月村さん、宮内さん、伊藤計劃氏のご両親、円城さん。
 このあと、選考委員も並ぶ撮影あり(『読楽』のグラビアに載るという)、宮部みゆきさんと並んでの写真が残るとは嬉しいことでありおりはべりいまそかり。
 久しぶりに会う方々と短い挨拶あれこれ。
 たちまち終宴。
 20時過ぎ、外に出たら雨。本降りである。
 傘なしなので、会館の皇居側から地下に降り、丸の内線に沿って地下道を大手町まで歩き、東京駅の丸の内側まで。
 かなりの遠回りだが、東京駅〜東京會舘が地下道で歩けることがわかった。
 この地下道は東京駅東側を日本橋〜銀座までつながるはずで、(地下街ではないが)地下通路としては梅田よりも遙かに長い。
 日比谷方向も含めて、どこまで地下通路で行けるのか、また改めて調べることにしよう。
 (梅田地下とつながる話……これは半世紀前に小松師匠がショートショートにしている。この拡大版をやりたいのである)
 丸の内の駅舎を見物したいが、雨が激しく、全景撮影はできず。
  *
 最終に近いのぞみで深夜の帰館。
 本日は15000歩以上歩いた。

3月2日(土) 穴蔵/SF検討会
 ほとんど終日穴蔵。
 粛々と雑事をこなす。おれは事務処理能力だけは優れているのである。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
 久しぶりに「定員2名内容非公開のSF検討会」を開催する。
 昨日の上京報告は15分ほど(おれもむさしくんもイラチだから、お互い、1時間ほどのことを3分ほどに要約して報告し合うのが好きなのである。某方面からの1時間の愚痴電話を2分に要約して聞くのが楽しみ…という時期があったものなあ)。
 あとは湯割り飲みつつ雑議論。
 作家の「職歴と作風」の相関について新発見あり。
 1、2年で退職するか、おれみたいに30年以上「二足のわらじ」で行くか、作品にどう反映するかは3パターンありそうな…というような話になる。
 これ以上はマル秘。
 たちまち3時間が経過。むさしくん、自転車なので、気をつけて帰ってくれたまえ。
 酔っぱらったので早寝。

3月3日(日) 穴蔵
 終日穴蔵。
 日曜日であり、本を読んだり、CDを聴いたり、DVDを見たりで1日が終わる。
 東京で買ってきたCDの1枚は森山威男カルテットの『SMILE』で、LPは持っているが、まだCD化されていなかったもの。御大の写真がいい。
 ついでながら、森山さんの80年代の最高傑作といわれる『hush-a-bye』も再発売されている。(オークションで高値がついていた名盤である)
 このジャケット写真が好きで、おれは2008年に同じ構図の写真を撮っている。
 あ、5月には大阪で森山さんのライブがあるのだ。
 4月は晴海で山下洋輔、5月は大阪で森山威男。
 あと3ヶ月は元気に過ごさなければなあ。
 ということで、夜はタラちりで一杯。
 本日は0歩。
 明日は少しは動かねば。

3月4日(月) 穴蔵/ウロウロ
 定刻午前4時に起床。
 9時に近所のY医院へ行って定期検診。
 1番に看て貰う。寒い中、路上で5分ほど待っていたのだが、血圧は正常であった。ほっ。
 Yセンセ「寒いのにこれやったら、優秀でっせ」
 あとは穴蔵にて粛々と雑事を遂行。
 運動不足なので、昼休みを挟んで梅田、駅前ビルのチケットショップ往復。今週、来週のチケット手配する。
 帰路、大阪駅を抜ける。
  *
 来月オープン予定の「うめきた」、通路と広場が完成間近である。
 この一帯をぶっ壊して「機能停止」させるのが楽しみだ(←むろん文章でやるのであって、爆破予告ではないから、勘違いしないように、エシュロンくん)。
 4,800歩ほど歩いた。
 ということで、午後も穴蔵。たちまち夕刻。
 夜は専属料理人が並べた鶏肉のなんたら、揚げを生地にしたピザ風のかんたら、サラダ色々で軽くビール、安ワイン少しばかり。
 枕頭に本を積み上げて、ともかく早寝するのである。
 目標就眠時刻、21:30。決断の時。

3月5日(火) 穴蔵
 天気晴朗なれど少し霞んでいる。
 黄砂はまだのようだが、花粉とPM2.5が多いという情報あり。
 出歩く気分にはならず。
 何件か用件はあるのだが……まあ、今月中に片づければいいのだから、先送りするか。
 ということで、終日穴蔵。
 夜に一杯飲んで早寝。
 明日は早朝から活動するのである。

3月6日(水) 大阪→播州龍野
 定刻午前4時に起床、5時半に出て大阪駅に向かう。
 マスク着用。わがボンサラ時代の勤務先製で、花粉には有効だが、PM2.5には焼け石に水。困ったものだ。
 いちばん早い快速で移動したら、本竜野に8時5分に着いた。
 本日は相棒の某くんが不在のため、9時からタイムマシン格納庫にて見張り番をつとめる。
 昼は久しぶりに丸亀製麺・葛西店へいく。去年秋に来た時には、となりの「めんぼう」に喧嘩を売っている印象だったのが、勝負あった感じだな。
 丸亀製麺のカンウターには行列、めんぼうの駐車場見たら0台!
 可哀想だが、いたしかたあるまい。
 午後もタイムマシン格納庫。
 裏側に本竜野駅の引き込み線があり、その向こうを30分に1度、ジーゼル車が通過していく。
  *
 青春18で津山方向へ行ってみたくなるが……ま、来週以降である。
 たちまち夕刻。
 播州龍野の実家にて、ひとり寂しく、大阪から持ってきた食材でビール、「神の河」湯割り。
 ともかく早寝するのである。
 ゆっくり本が読めるのは喜ばしきことなり。

3月7日(木) 播州龍野→大阪
 播州龍野にて午前6時に目覚める。
 8時間以上眠っていたような。久々の熟睡である。
 朝からゴミの処理など雑事色々。
 本日もタイムマシン格納庫にて見張り番。
 相棒の某くんが来たので、交替する。
 昼の姫新線で姫路へ。ホームにて「えきそば」。新快速で帰阪、14時過ぎに穴蔵に戻る。
 マスクをしていたものの、やたらクシャミが出る。たぶん花粉であろう。
 たちまち夕刻となる。
 夜は専属料理人が並べた、揚げ物系と温野菜系でビール、湯割り2グラス。
 早寝する…つもり。21時30分、決断の時。

3月8日(金) 穴蔵/ウロウロ
 定刻午前4時に起きる。
 室温17℃がだ、体感温度は暖。
 雑事色々。
 花粉とPM2.5に加えて、本日から黄砂が増えるらしい。
 午前9時の大阪のPM2.5濃度は、市内あちこちで50〜60μgを超えている。
 こんな日は終日穴蔵にこもっていたいが、上町台〜内本町方面へ行かねばならぬ用件が発生。
 タイムマシン関係で2年に1度、貿易関係で登録更新しなければならないのである。
 通勤ラッシュが過ぎてから、地下鉄で谷町四丁目の法務局へ。
 某証明書が必要なのである。
 と、ロビーに「証明書発行請求機」なるものが並んでいる。
  *
 印鑑カードを挿入すればタッチパネルで受付ができ、申請書を記入して窓口に並ぶ必要がないのである。
 便利になったものだ。
 まだそれほど使われてないらしく、20人くらい待機している「手書き組」をしり目に、2分ほどで受け取れた。
 あと大阪商工会議所へ向かう。
 途中、上町台を下る坂道で、奇妙な既視感を覚える。何なのであろう。
 そうか、この前このコースを歩いたのが、2年前の3月11日午後だったのだ。
 この時、長い長い揺れがあったはずだが、まったく気づかなかった。
 2年ごとにこの坂道で思い出すことになるのだろうか。
 商工会議所で手続き終了。
 本町のボンクラ・サラリーマン時代の勤務先周辺を散歩、残り少ない「馴染みの店」で早めのランチ、淀屋橋から大阪駅前ビルまで歩いて、チケットショップで来週分の手配、結局穴蔵まで歩いて帰館。12,000歩を超えた。

3月9日(土) 穴蔵/豊崎バル
 今頃だが、月村了衛さんの『機龍警察 暗黒市場』が吉川英治文学新人賞受賞したことを知る。
 『自爆条項』でのSF大賞受賞に続いての受賞。おめでとうございます。
 選評にも書いたことだが、おれはSF大賞の候補作として『自爆条項』を読み、あまりの面白さ(と設定の確認のため)に最初の『機龍警察』も読み、やめられなくなって最新刊の『暗黒市場』も読んだ。2→1→3の順になったが、ともかく作者はたいへんな上昇期にある。
 最新作の方が凄いのだが、ここでは貴志祐介さんの「よりよい作品を発表したのが不利に働いては、小説家はたまったものではない」という意見に全員が賛同したのである。『暗黒市場』では「敵役」がさら魅力を増している。
 晴れて暖かい日である。
 だが「花粉・PM2.5・黄砂」がさらにパワーアップしている。
 こんな日は穴蔵に閉じこもっているに限る。
 が、本日、近くの公園の方が賑やかである。
 午後、中本酒店へビールを買いに行くために公園を抜けようとしたら、バンドがライブやっている。
 昨日今日と豊崎バル(豊崎の飲食店などが参加している地域おこしイベント)で、豊崎西公園もイベント会場のひとつになっているのだった。
 おれは、こういうイベントを冷ややかに見るほどひねくれてはいないのである。
 贔屓の店は数店(「御得屋」「たけうち」「菊華」「讃州」「いせや」「菱や」など)あって、ただしおれは地元住民だから、平日に行くことにするけどね。
  *
 大道芸(ボールアート?)とアコーディオン・ギターなどのバンドがジョイントでパフォーマンスをやっている。
 いい雰囲気だ。
 見れば、バンジョーは白木くん(マーガレット店主、ここではゾンビー白木?)、ベースは脇本くんではないか。
 珍しいグループで演ってるのだなあ。
 帽子が置かれたので、小銭入れの中身を全部ぶち込む……といっても500円硬貨は入ってなかった。ごめん。
 ということで、帰館後、シャワーで支那から飛来した汚染物質を洗い流す。
 たちまち夜。
 専属料理人が並べた、サラダ、鯖とネギのグリルなんたら、イカとブロッコリがやたら多いパスタかんたらで、軽くビール、あとはクセのある白ワイン。
 いい気分になったので、早寝するのである。

3月10日(日) 穴蔵
 曇天にして温。
 大気汚染、相変わらずひどいものである。
 こんな日は穴蔵に閉じこもるに限る。
 北朝鮮の休戦協定の白紙化表明など、相変わらず騒がしいことだが、北朝鮮はPM2.5について中国に抗議しないのだろうか。
 北朝鮮には(他のことはともかく)大気汚染については文句をいう資格はあるだろう。
 有害物質どころか、二酸化炭素の排出量だって少ないのだからなあ。
 中国からは、食べ物は貰えず屁だけ嗅がされているようなものだからなあ。
 カリアゲくん、ミサイル撃つんなら汚染源を狙いたまえ。
 ……などと愚考しつつ、昼はこういうものを焼いてもらう。
 
 日曜なのでビールもいただく。
 おれの場合、野菜の摂取はこれに限る。
 午後、小雨になった。
 大気汚染状況をチェックしたら、PM2.5は、府下全域、午前中60〜70μgだったのが、13時を過ぎると軒並みに1桁〜マイナス(!?)に激減している。
 雨の効果、たいしたものだ。
 夕刻に近い午後、2000歩ほど散歩。マスクなしで、きわめて快適である。
 ということで、夜は粗食にて軽くビール。
 これからDVDで米朝師匠を1席見て、早寝するのである。

3月11日(月) 穴蔵/ウロウロ
 定刻午前4時前に起きる。
 粛々と雑事にいそしむ。
 快晴……黄砂もPM2.5もなく、花粉のみ飛散している模様。
 必要あって、aiwaのカセットレコーダーを取り出してきていじるが、調子が悪い。
 昼、ヨドバシへ行き、オリンパスのICレコーダー・VM-702PCを買ってくる。
 ポイント10%を差し引くと、価格.comの最安値よりも安かった。
 
 これで4000円以下。カセットテープとMDの時代は終わったなあ。
 午後は穴蔵。
 東日本大震災から2年。
 さすがに14:46はしんみりと過ごす。
 (専属料理人に聞いたところでは、この時刻、梅田の某デパ地下では「黙祷いたします」のアナウンスが流れ、店員諸君は黙祷、客のほとんどは無視だったとか)
 夜は粗食にて少しばかりビールをいただく。

3月12日(火) 穴蔵/ウロウロ
 定刻午前4時に起きる。
 朝日新聞に筒井さんが連載している『聖痕』が明日で完結予定。
 物語は2011年3月11日の1週間ほど後で終わることになるのか。
 まるで現実のこの日に合わせて進行してきたような。
 どのように終わるのか。明日は三隣亡である。他にも(偽文士日碌に)気がかりな記述もあり。
 こんな日は静かにしているに限る。
 必要あって『復活の日』を再読する。
 『世界のSF文学・総解説』で小松作品を担当したのはおれであって、その時に再読(三、四読か)したのが78年だから、35年ぶりである。
 やっぱり親っさんの構想力と描写力、デティルの凄さに圧倒される。
 鳥インフルやダニ感染症などのニュースに接するたびに、『復活の日』のリアリティがまったく古びていないことを実感する。
 以上のこと、色々考えるに、健康で長生きしなきゃいかんなあという気分になる。
 本日も快晴。
 支那からの飛来物は少ないので、夕刻に近い午後、散歩に出る。
 本日は西方向。
 小松師匠の事務所があったあたり〜浦江公園など歩いて、日没前に帰館。
 6,500歩ほど歩いた。
 中津の世界長ビルが取り壊されて、タワーマンションの工事が始まっている。
  *
 孤独なるは吾のみならず
 空高きクレーンは逆光となり暮れていく
 ↑
 亡母の作った短歌。センチメンタルになるぜ。
 夜は湯豆腐、肉じゃが、カレイ煮付などで軽くビール、あと湯割り。
 健康のため、早寝するのである。

3月13日(水) 穴蔵
 終日穴蔵。
 週末にウロウロする予定があり、それまでに雑事を片づけておかねばならぬ。
 歩行計0歩。

3月14日(木) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 午前9時に着く。
 天気予報では「真冬並みの気温に逆戻り」だったが、龍野書斎の室温は8℃。ましな方である。
 庭の梅がやっと開花しはじめた。
  
 しばらくすれば雑草も含めて色々なのがいっせいに咲きはじめるだろう。
 花はいいけど、ややこしい動物だけは出てきてほしくないものだ。
 タイムマシン格納庫にて見張り番。
 寒くなり帰館。
 気温あがらず。夜はやはりストーブをつけねばならぬ。
 ひとり寂しく常夜鍋でビール、うどんぶち込み「神の河」湯割り。
 テレビニュース(NHK21時)を見たら、またまた江田島で「中国人留学生」が派手な人殺しをやってくれるなあ。
 明日から西の方向へウロウロしようと思っていて、最終的には博多だけど、途中、尾道・三原・呉・江田島・宇部・秋芳台のどこかに寄ってからのつもり。
 江田島の殺人現場を見るのも面白そうだけど、まだ「残党」がいるかもしれないし、寄り道候補から外すことにする。
 ということで、寝る。

3月15日(金) 山陽道を西へ
 播州龍野からクルマで西の方へ行くことにした。
 特別な用事があってではないけど。しいていうなら、クルマが「もったいない」から。
 老母の通院用に買ったものの、この2年、使用頻度がが激減。この半年の走行距離は300キロ未満、月に50キロも走っていない。
 一応あと1年は置いておくことにしたので、発作的に長距離ドライブすることにした。
 朝、播州龍野を出る。
 山陽道を西へ。
 笠岡で降りて、懐かしい場所を30分ほどウロウロ。また高速に戻る。
 昼は尾道ラーメン(ただし市街地には寄らず)。
 福山、尾道、三原も歩いてみたいが、今回はパス。
 「中国人研修生の殺人現場」江田島は宮島SAからの見物にとどめる。
 岩国、防府、宇部などもパス。
 夕刻、本州最西端の街に着く。
 下関は四半世紀前にクレーム処理のためにのみ立ち寄ったことがあり、一度ウロウロしてみたかったところである。
  *
 港に近い場所にチェックイン。
 下関駅の近くにある居酒屋「三桝」にて、てっさ、ふくちり、ひれ酒などいただく。
 
 最後は雑炊。
 常連がメインの店で、「どちらからですか?」と訊かれる。
 大阪から25年ぶりに来たというと、女将さん喜んでくれた。


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