『マッドサイエンティストの手帳』498

●マッドサイエンティスト日記(2011年3月前半)


主な事件
 ・大阪←→播州龍野、いたりきたり
 ・日本SF大賞贈賞式(4日)
 ・森村泰昌展(10日)
 ・東北地方太平洋沖地震(11日)
 ・創サポ講義(12日)
 ・米原行き(13日)


3月1日(火) 穴蔵
 寒雨霏々として風寒し。
 終日穴蔵にて書を繙く……つもりだったが、枕元の蛍光灯がとつぜん消えてしまった。
 曇天で照明がないと本が読めない。
 昼前、傘を差してヨドバシまでスタンド用のツイン蛍光ランプを買いに行く。
 コンビニに蛍光灯はなく、中津駅前の家電店は一昨年に閉店、ジョーシン三番街店も1月末で閉店して、うちから一番近い電器屋はヨドバシになってしまったのである。
 徒歩15分、不便であるが……郊外とか片田舎の諸君に較べればそれほどでもないか。
 ちなみにうちから一番近い(徒歩7分の)本屋が「丸善&ジュンク堂」で、日本最大の書店である。
 いちばん近いラーメン屋が「弥七」。
 便利といえば便利である。
 ということで、早寝する。

3月2日(水) 穴蔵/ウロウロ
 天候不安定につき、終日穴蔵……の予定であったが、朝9時に騒音で飛び上がる。
 上階で掃除機10台をいっせいに稼働させたような音と響き。
 そうか、上階廊下の工事の日であったか……。
 先日、リフォーム業者が廊下にペンキ缶を置き忘れ、それを子供が廊下や非常階段にぶちまけるという事件があったのである。
 業者が、廊下のシートを貼り替え、階段を塗装することになったらしい。
 
 シートをめくって機械で「ケレン」中である。
 やれやれ。
 10時前から出かけることにする。
 歩いて梅田へ。ヨドバシ〜書店駅〜駅前ビルのCDショップなど回り、昼は正起屋で「湯豆腐定食」。
 午後帰館。
 騒音は、少しはましになったが、夕刻まで断続的に続く。
 無為な一日であった。
 朝から図書館か播州龍野へ避難すべきであったなあ。

3月3日(木) 穴蔵/ウロウロ
 天気晴朗なれど寒いのであった。
 雑件が重なって、市内をウロウロする。
 梅田の某所、某々所、その後、谷町4丁目の某務局へ。
 坂道を下って某工会議所に寄る。
 内本町から本町のボンクラ・サラリーマン時代の勤務先あたりまで散歩する。
 おおっ、綿業会館がいいではないか!
 綿業会館は村野藤吾が参画した、ルネサンス調の名建築である。
  *
 前の歩道の電柱と電線が目障りでしかたなかったのが、地下埋設になって、すっきりしている。
 これなら、たまに歩いてみたくなあ。
 ランチタイムだが、十数軒あったなじみの店はほぼ全滅。チェーン店が増えている。
 残り少ないうちの1軒(特に店名を秘す)で、13時から軽く昼ビール。
 ボンサラで混み合っている時間にこれをやるほど、おれはひねくれてはいないのである。
 靱公園のタケウチに寄って、パンを適当に購入。専属料理人へのみやげである。
 ランチタイムの終わりで品薄、ちょっと寂しい。
 ……ということで、夜は、豚肉の和風煮込み、温野菜、サラダなどでビール、タケウチのパンでワイン。
 北野(森川)家とちがって、「パンの耳」は両端にしかないから、奪い合いになりかけるが、そこはそれ、穏やかに話し合って分け合う。
 早寝するのである。
 明日は箱根越えなり。

3月4日(金) 上京/日本SF大賞贈賞式
 久しぶりに上京。
 昼前の新幹線で移動、14時過ぎに東京に着く。
 秋葉の石丸、銀座の山野楽器など。特に収穫はなし。
 システムダイアリーの年間スケジュール表を買いに、有楽町・交通会館地下の小さい文具店に行くが、閉店していた。狭いコーナーだったのだなあ。
 心斎橋の東急ハンズでもなかったし、通販か、自作しかないか。
 (調べてみると銀座にはあるようだが……)
 夕刻、東京會舘へ。
 徳間文芸賞贈賞式である。
 SF大賞の選考委員という立場なので、式次第中は隅の方の席でかしこまっている。
 第13回大藪春彦賞
  平山夢明『ダイナー』(ポプラ社)
 第31回日本SF大賞
  森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』(角川書店)
  長山靖生『日本SF精神史』(河出書房新社)
 日本SF大賞特別賞
  故・柴野拓美氏
  故・浅倉久志氏
  *
 ↑左から浅倉久志氏ご令嬢、柴野拓美夫人、長山靖生氏、森見登美彦氏、平山夢明氏。
 あとは会場でガヤガヤ。
 色々な人に、多くは久しぶりに会って、これは楽しく、あまり飲まずほとんど食べず、ちょっと人疲れした。
 長山靖生氏の受賞とあって、久しぶりにヨコジュン出現、まあともかく、ここまで電車と徒歩で来たというのがなによりである。
 20時過ぎに東京會舘を出て、東京駅まで歩く。
 丸の内でボンクラ息子その1と会う予定であったが……うら若い女性から「お父様」と声をかけられて戸惑う。
 ボンクラ息子その1は仕事が片づかず、代わりに来たのだという。まあ、そういう事情なのである。
 おみやげということで長野の吟醸酒をいただく。
 ということで、21時発ののぞみで帰阪する。
 いつもなら一泊、翌日東京ウロウロなのだが、最近は面倒になってきたのである。
 日付の変わる寸前に帰宅。

3月5日(土) 穴蔵
 午前7時半まで寝た。
 上京は疲れるなあ。
 終日穴蔵。
 本を読んで過ごす。
 名著(新書)再読。
 湯川秀樹・梅棹忠夫『人間にとって科学とは何か』(中公新書)
 昼飯。
 木下是雄『理科系の作文技術』(中公新書)
 晩酌。
 梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)……を途中まで。
 6、70年代の「新書」のレベルがいかに高かったのかわかるなあ。
 この後、川喜田二郎『発想法』(中公新書)を読めば、アイデア〜構想〜表現までのプロセスが再確認できるのである。

3月6日(日) 穴蔵/刷り込み?
 終日穴蔵。名著再読して過ごす。
 ところで……
 30年ほど前に、浜松の機料店(繊維会社に資材を販売する会社である)とつきあいがあった。
 この会社を介して、浅倉久志さんが勤務しておられた会社へも行ったことがあるのだが、その頃には、むろん浅倉さんはおられなかった。
 その機料店から、何かの記念で、肩揉み用の道具というのかな、S字型のプラスチック製で両端にボール状の木がはめ込んである……そういうのをいただいた。
 
 野暮な記念品だなと思ったが、これが実によく効く。プラスチック筒の弾力が絶妙なのである。
 同じ物を買った知人がいて、力を入れすぎて折ってしまい、再度購入しようと探したがもう販売していないという。
 ということで、30年ほど、リビングの椅子の背に引っかけておいて、大事に愛用している。
 で、最近、晩酌中に、よくインコがおれのキンタマを狙って膝まで登ってくる。
 登ってくるが、自分では下降はしない。
 が、おれが肩をほぐそうとこの道具を手にすると、バタバタッと羽ばたいて鳥カゴに逃げ込むのである。
 本日で3回目。
 S字型の形状に怯えているとしか思えないのである。
 では、これを鳥カゴに近づけたらどうなのか、反応を見ようかと思ったが、専属料理人が、そんな可哀想なことをするなと止める。
 インコの経歴から考えて「実物」を見たことがあるとは思えない。
 おれと同じDNAを持っているのであろうか。

3月7日(月) 穴蔵/梅田
 朝から、ニュースは前原くんの外相辞任ばかり。
 「焼肉屋のおばちゃん」に政治的な下心はたぶんなかろう。
 長嶋ジャイアンツのスタート時の、青田昇ヘッドコーチ辞任騒動を思い出す。あの時は「ゲタ屋のおっさん」であった。
 菅は「なに屋」で辞めるのか……政治にこんな楽しみしかないとは。
 播州龍野へ行くつもりだったが、雨天なので面倒になり、明日に延期。
 穴蔵にて粛々と雑事を片づける。
 午後、散歩を兼ねて梅田往復。
 阪急百貨店北側の工事現場を初めて見る。
  *
 爆心地のごとき大穴。
 阪急グランドビルの西側、新梅田食道街の南側である。
 ここは阪急百貨店になるスペースではなかったか? 確か2012年オープンのはずだが、ここにビル建設だとしたら間に合うのか心配である。
 おれとしては、新梅田食道街の南側通路の混雑を早く解消してほしいだけなのだが。
 ということで、夜は、和風メニューで、先日いただいた長野の銘酒「白馬錦」を一献。
 
 これはなかなか。「雪嶺」という名がよろしい。谷甲州と一杯やりたくなるなあ。

3月8日(火) 大阪→播州龍野/ゴミ屋敷小景
 午前10時過ぎの新快速で播州龍野へ移動する。
 去年までは早朝の移動だったが、時刻を気にする必要がなくなったので、「昼得」利用の時間帯に移行したのである。
 昼前に播州龍野の実家に着く。
 雑事色々。
 近所のゴミ屋敷を観察。
  
 切り倒した木の根元も(たぶんパワーショベル使用で)掘り出して処分したらしい。
 ただし、相変わらず大量のゴミ袋が表に並べてある。衣類やポーチなど生活用品が詰められている。
 去りにし人の生活感が晒されているのである。
 早く「クリーンセンター」へ運んであげるべきではないか。
 死者への冒涜……田舎者のメンタリティはひどいものだ。
 おれが死んだら、「通俗的SF」が通行人の目に晒されるのだろうか。
 遺品の路上展示はやめてくれと家族にいい残しておかねばなあ。
 ということで、ひとり寂しく「ひとり鍋」でビール。トミフラ師匠・デフランコ師匠・その他の師匠を聴きつつ……
 早寝するのである。

3月9日(水) 播州龍野→大阪
 播州龍野にて雑事……ガス関係の工事があって、朝9時から30分ほどで片づいた。
 昼間の電車で帰阪する。
 JR利用。相変わらずの遅延でイライラすることよ。
 湖西線で「小動物との接触事故」があったからと、繰り返しアナウンスがあるが、タヌキをはねたとかイノシシを轢いたとか、具体的にやってくれんかねえ、JR西日本さんよ。
 午後帰阪。
 夕刻、ちょっとした情報交換あって、自転車で天六のワイルドバンチへ。
 庄内さんとビール飲みつつグダラグダラと1時間ほど。
 色々と面白い情報(主に映画)を教えていただく。
 ということで、夜は軽めでいいなと思ってたら、いいもしないのに、専属料理人が生ハムサラダと春パスタを作ってくれた。
 
 これでイタリアワイン。
 いい気分になったので、枕頭に本を積み上げて、早寝するのである。

3月10日(木) 森村泰昌展/神戸
 専属料理人と阪神・岩屋へ。
 兵庫県立美術館『森村泰昌 なにものかへのレクイエム−−戦場の頂上の芸術』を見る。
 
 入口に「檄」の垂れ幕が飾ってあって、これは「三島由紀夫」演説に使用されたもの。
 展示も最初が「三島由紀夫」で、インパクトが強い。
 バルコニーでの絶叫演説が館内に響いていて、「見張り」のおばちゃん、しんどいだろうなあ。
 何ヶ所かでは思わず笑ってしまった。これ、正しい鑑賞態度と思う。ともかく大阪人らしいギャグが随所に見られる。
 そもそも森村泰昌とは何者か。
 芸術家であり美術家であることは間違いないが、写真家でも画家でも(たぶん)ない。パフォーマーなのか役者なのか。
 南伸坊の『歴史上の本人』とどうちがうのか。(南伸坊は「ものまね芸」の文芸版で、森村の美術や時代への批評性とは別種のものだが、面白さの境界がどのへんにあるのか、よくわからん)
 ともかく異才である。
 摩耶埠頭の対岸を西へぶらぶら歩いて三宮へ。
 三宮センタープラザ地下の「文楽」(米朝師匠贔屓店の神戸店)で皿そばをいただく。
 センタープラザ地下を初めて観察するが、ここは麺好きにとってはたまらない地下街であることを知る。
 ハシゴできないのがつらい。
 専属料理人につきあって、雑貨店「クロワッサン」と「イスズ・ベーカリー」に寄り、阪急で帰館。

3月11日(金) 東北地方太平洋沖地震
 穴蔵にて雑事の処理。
 昼過ぎに、地下鉄で谷町4丁目へ。某務局へ行ってタイムマシン関係の「履歴書」を取り、上町台の坂道を下って、某工会議所へ。
 この途中で「揺れ」があったらしいが、まったく気づかなかった。
 帰館すれば、専属料理人が「長い長い揺れがあって、船酔いみたいな気分になった」という。
 テレビで東北地方での大地震を知る。
 18時過ぎには「東北地方太平洋沖地震」と「命名」され、M8.8(明治からの観測史上最大の規模)という。
 命名なんてどうでもいいことだと思うが。
 凄まじい津波映像を見る。
 東京の身内にメール。配偶者も含めて無事という返信があった。交通機関はストップ。帰れるのかどうかが心配だがそれ以上のメールはせず。
 見守るしかあるまい。
 東北から関東にかけて、気になる友人知人は多いが、修羅場に安否確認のメールなどするべきではあるまい。まして通信は混み合っているに違いない。
 16年前……パソコン通信とBBSの時代だったが……支援可能とわかってから動いた。
 こちらが何かできることが判明するまで、余計な野次馬にはならず、見守るだけである。

3月12日(土) 穴蔵/創サポ講義
 ほとんど徹夜で大地震の中継を見る。
 まだ支援のためにおれができることはなし。
 数件の安否(「安」の方)が確認できたが、不明の方が多い。
 落ち着かぬまま、「仕事」の準備を色々。
 夕刻、地下鉄で天満へ。
 エルおおさかへ向かう。いつも17時半頃に八軒家浜を大川沿いに歩く。
 
 先月は暗かったのが、春分近く、今は日没前である。穏やかなもの。こんなに穏やかでいいのかなとも思う。
 少しばかりセンチメンタルになる。
 18時から創作サポートセンターの講義。
 本日は青木治道氏と課題作品16篇についてコメント。
 例外的だが、最初に5分ほど「震災とエンタメ」についてしゃべらせていただくことにした。
・未曾有の大震災の時にエンターテインメント・ノベル講義でいいのか、という気がしないではない。
 いいのである。現状では具体的な支援の方策はない。支援可能になればそれぞれの判断で行動すべきで、今は日常の仕事なり勉強を継続すべきだ。
・この震災を小説にしたいと思うなら、まず知ること、勉強すること、考えること、それらが血肉になってから表現方法を考えること。
・阪神大震災の時、震災を連想させる作品をすでに執筆していながら掲載を見合わせた作家が複数いたことを後になって知った。また、震災後たった3月ほどで、阪神大震災の「死者の中に殺人死体をまぎれこませる」ミステリーを出した作家がいる(これには筒井康隆氏が名指しで批判した)。
 前者の態度が正しく、後者を絶対に真似てはいけない。
・北野勇作氏の『どろんころんど』は氏の代表作のひとつといえる傑作であり、泥だらけの世界には震災体験が色濃く反映されている(と思う)。15年経過してこのような描写ができるのである。
 ……といったこと。おれとしては妙にマジメだな。
 ちなみに、青木さんの意見。出版社の立場としてはそんなもの(震災便乗小説)は出さないが、出版社は多いから、あって不思議ではないという。
 あと、16篇について青木さんとコメント。
 今回、作風が多彩で、ともかく初歩的ミス作品が皆無であり、たいへん面白かった。

3月13日(日) 穴蔵/米原行き
 穴蔵にて粛々と雑事の処理。
 15時過ぎに出て、大阪駅からJRで米原へ向かう。
 夕刻、琵琶湖畔のリゾートホテルに到着。
 トラッド系のジャズ・イベントである。
 
 東北地方の方には申し訳ない気分だが、早春の年中行事で、3月前から予定していたもの。
 ラスカルズの志賀さん参加がサプライズであった。
 旧知の諸氏と琵琶湖湖畔泊。

3月14日(月) 米原→大阪/穴蔵
 朝の電車で米原から大阪に帰る。
 車中、朝刊。
 東北関東の大震災、M8.8がM9に変更、エネルギーは阪神大震災の1000倍、とある。
 これは実感できる数字だ。
 (以下5行削除)
※1000の立方根は10で、阪神大震災の距離感(大阪〜淡路)と今回(東京〜東北)の距離感が10倍くらいと実感できる……という意味のことを書いたのだが、誤解をまねきかねないので取り消します。
※これは坪井忠二「地震体積説」を極めて単純に当てはめただけのもの。震源が10倍深いわけではなく、地震エネルギーが球体とか立方体とか相似形で蓄積されているわけもないから、現実にはあてはまらない。実際、距離の比もちがうし。直下型からプレート境界型まで、規模の違う地震すべてに同じ単純モデルを当てはめるのも不適切。
※本来ですと(本HPの方針として)もとの文章を残した上で訂正(言い訳、お詫び)するのですが、変な流言になってもいけないので削除しました。(2011.3.16)
 むろん、地震の規模がそのまま「震災被害の規模」になるわけではない。
 地形も人口密度も違うし、倒壊・火災と津波という事情も違う。
 できれば「被害は阪神大震災未満」であってほしいが……
 昼前に梅田で身内と合流、阪急グランドビルの某所ロビーで色々な手続き。
 ロビーから改修工事完了が近い大阪駅を眺める。
  *
 今は内装段階に入っており、完成時の外観もこんなものであろう。
 午後、穴蔵に戻る。
 海外の知人(タイムマシン関係のパートナーなど)から地震被害を心配するメールが数通入っている。
 お礼とともに、おれにも家族にも製造部門にも被害がないことを知らせるが、日本の状況を伝えるのはおれの貧しい英語力では無理である。
 海外でどのように報道されているのか、気になるところだ。
 ネットをチェックして、東北から関東にかけて、安否が気になっていた友人知人の消息がほぼ判明。
 個別にメールすることは控えていたのである。携帯の電池を消耗させるかもしれないし、修羅場に安否確認メールは迷惑でもあろうから。
 ほとんど「安」が確認できたが、ひとりだけ、いわき市の知人だけが気がかりである。住居は海に近いところだし。
 ともかく無事でいてほしいと願っている。
 東京は「計画停電」で交通機関が大混乱、ボンクラ息子その1が気にはなるが、まあヤツのことだから、元気に歩いたり走ったりしているであろう。

3月15日(火) 穴蔵
 終日穴蔵。
 福島の原発が気になって、雑用片づけつつ、断続的にテレビを見る。
 ちょっと怪しいなと思う発表と、どうかなあと思うコメントも散見するが、すべては肉眼で観察できない現象であることに起因しているように思う。
 見えるとすれば青い光(チェレンコフ放射?)だけかもしれないしなあ。
 と、余計な憶測はやめとこ。
 事情があって、本日はアルコール抜き。
 早寝……のつもりが、専属料理人の実家方面で震度6の地震。
 被害はないらしいが、落ち着かぬ日がつづく。


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