『マッドサイエンティストの手帳』499
●マッドサイエンティスト日記(2011年3月後半)
主な事件
・大阪←→播州龍野、いたりきたり
・ドメスティック芸術祭(26日)
・ウメサオタダオ展(31日)
3月16日(水) 穴蔵
わ、午前3時頃に目が覚めてしまった。
というよりも、昨夜からほとんど眠れないまま。
朝食抜きで、朝、近所の某医院へ。
本日は健康診断を含む定期検診である。
血液検査の結果は後日だが、その他(レントゲン、心電図、尿など)は異常なし。ほっ。
ということで、あとは終日穴蔵にて雑事の処理。
本来は播州龍野へ行くつもりだったが、地震が連続していて、専属料理人が、別々に生活するのが不安だという。気持ちはわからぬでもないので、1日延期する。
ということで、夜はパスタ、サラダで軽くワイン。
自宅リビングから見る夜景。
茶屋町アプローズとピアスタワーの間に見えるのが、昨日オープンした「ハートンホテル北梅田」。
少しばかり窓に明かりが(20時である)。
まあ中級のホテルかな。うちから徒歩2分。西隣の東横インとどこまで張り合えるか。
6月末まではシングル5000円の「優待券」あり、知り合いでご来阪の方はおれにご連絡を。
被災地の方に限り「安呑屋なにわ」か「立ち呑みハナビ」で一献差し上げます。
3月17日(木) 穴蔵
諸般の事情で播州龍野行きは来週に延期する。
一言でいえば、気分が落ち着かないからである。
手元に未処理の重要書類を預かっている事情があって、おれが出先で事故死すると、極めてややこしいことになる。
区切りがつくまで、旅行はせず、クルマの運転も控えている。
4月にニューオリンズ(マルディ・グラ)へ行こうかと思っていたが、これもやめる。
遠距離の旅行どころか、単独での播州龍野行きも、なんとなく気が重い。
これでは身動きがとれない。
安全な所に預ければいいかと、昼、梅田の(いちばん取引が長い)某銀行へ行って貸金庫について訊くが、全部ふさがっていて受け付けできないという。
まあ、あと数ヶ月のことだから、おとなしく生活するしかないか。
3月18日(金) 穴蔵
終日穴蔵。
なぜか気が滅入って、仕事らしきことは何もせず。
本を読んで過ごす。
夜、久しぶりにハチへ。
閑散。
藤家虹二の「上海リル」をかけてもらう。
この曲、日本では鶴田浩二のが有名だが、クラリネットで聴くのが最高である。
明利マスター、おれよりずっと若いのに、こういう古い曲が好きなんだなあ。
ターキーのロック2杯。
3月19日(土) 穴蔵
終日穴蔵。
気分が乗らず、雑読雑聴の日。
昼過ぎ、久しぶりに掃除機をかける。何ヶ月ぶりであろうか。
普通の掃除機。わが穴蔵は、本やCDがそこいらに積んであるから、ルンバを導入しても限られたエリアでしか役に立たないのである。
綿ぼこりがどっさり。
午後、くしゃみ鼻水がぴたりとおさまった。
花粉と思ってたのが、ハウスダストのせいだったのかも。
3月20日(日) 穴蔵
終日穴蔵。
相変わらず気分が乗らず、ボケーーーーッと過ごす。
これはいけない。アタマはすでに相当ボケているが、足腰まで弱ってしまう。
散歩に出ようとしたら雨になった。
しかたなく、書架の整理……のつもりが、古雑誌の記事(※)を拾い読みしていたら夕刻になる。嗚呼。
テレビはアホ番組が復活。
少しはおとなしい雰囲気になるかと期待していたが、どうしようもないな。
夜は穴蔵にスコッチ半グラスを持ってきて、それをなめつつ、鈴木章治〜北村英治〜藤家虹二を聴く。
計画停電で東京のライブ事情はどうなのだろう。
関東大震災のあと、東京からジャズメンが大阪に移ってきて、道頓堀のカフェが大盛況になった。
ここから服部良一や南里文雄が生まれた。
今の大阪に関東からの音楽家を受け入れる力はないだろうなあ。
※読んだのは20年前の物理誌の「陰極線の実験に用いる羽根車」に関する記事。
この実験装置はおれも中学時代に見ている。日本では電子の衝突で羽根車が回ると教えていたが、欧米では電子の衝突で羽根の片面が熱を帯びて熱作用で回ると教える(後者が正しい)。なぜこんな誤解が生じたのかについての科学史的検証である。
熱作用は「ラジオメーター効果」で、これを視覚的に見せるラジオメーターは明治37年の島津製作所の目録にあるという。
たいした会社だ。
わがタイムマシン(ここでは正確に繊維計測といっておくが)は、70年代前半に島津がこの分野から撤退したあと、以来、約40年、継続しているのである。いわばニッチ分野で細々やってきたわけ。1機種は、島津のオートグラフというのがあるが、それを狭い分野に特化して自動化したもの。まあ、そんな事情で、島津には長年敬意をいだいているのである。さすが田中耕一氏を生む社風だと思う。
ラジオメーターは島津創業記念資料館に展示してあるらしい。
近いうち(現在リニューアル休館中)に見学に行くことにしよう。
3月21日(月) 穴蔵/梅田/震災募金
相変わらず穴蔵にてボケーーーットと過ごす。
雨がほとんどやんだので、昼過ぎに歩いて梅田へ。単にウロウロ、散歩である。
大阪駅東側の歩道近くで、高校生らしき数人が東日本大震災(東北関東大震災?)への募金を声を嗄らして絶叫している。
たぶん善意のグループであろう。
そういえば、先日、募金活動していた高校生を「誰に断って商売やっとるんじゃ」と殴って募金を奪って逃げた男がいたという。これも確か大阪。府警諸君、がっばつて捕まえてくれよ。
ただ、ここで募金はせず。
どんな団体なのか、集めた募金をどこへ送るのか、何も表示ない。これでは協力できない。
阪神大震災の頃に出現した「なんとか寺の托鉢僧」とか、一頃多かった「難病に苦しむ子供たちに」と絶叫するアルバイトとはちがうと思う。
しかし、送り先も不明の募金には応じられない。
誰か教えてあげろよ、といいたくなる。おれは臆病だから、余計なこといって「商売のジャマするな」と殴られる可能性なきにしもあらず、と考えて尻込みしてしまうのである。
これでは善意の空回りになってしまうのではないかい。
(おれが募金などにいっさい応じないということではない/献金したかどうかも含めて公表したくないのである)
ということで、夜はグラタンなどで軽くワイン。
インコはおれのキンタマよりも専属料理人の腕の方がいいようで、フランスパンをつついておる。
3月22日(火) 大阪→播州龍野/ゴミ屋敷小景
午前中の電車で播州龍野へ移動する。
2週間ぶりである。
姫路駅周辺が大きく変わり(地下街閉鎖/商店が駅前のビルに移転)、本竜野駅前の道路拡張工事(駅前の1軒が断固居座り)も本格化していて、変化が大きいなあ。
変わらぬのは、近所のゴミ屋敷。
2月9日に始まって、
2月15日には廃車が処分され、
3月8日にはガラクタが表に並べられ、
本日、まだトラックが来て室内のガラクタ廃棄作業を続けている。
*
いったい、いつまでかかることやら。
おれは別に非難しているわけではない。
この規模の家屋いっぱいのゴミを処分するのに1月以上かかっている。
これを規準に東日本大震災(東北関東大震災?…こちらの表記が少数派になりつつあるような)被災地での復旧作業を想像すると、暗澹たる気分になってしまうのである。
おれは現地へ行っての作業手伝いはできないが、なんとか支援はしたい。
播州龍野にて雑事色々。
夜はひとり寂しく常夜鍋でビール。
ひとり寂しくDVDで快楽亭ブラック「オナニー指南」を見るが、いやはや。
3月23日(水) 播州龍野
播州龍野にて雑事色々。
結構いそがしいのであった。
10時頃から夕刻に近い午後まで、市内の某事務所・某局・某行・某庫などウロウロし、某エーで最小限の食材を買って帰る。
播州龍野のスーパー売り場、特に混乱はない。
おれは「ひとり鍋」パターンが多いので、カセットコンロ用のガスボンベを買っておこうと思ったら、まったくなし。
レジで聞けば、すべて被災地へ送られたのだそうな。
適切な処置である。
ということで、夜は最小限の総菜類を並べてビール、安定性のあるボトルの「神の河」(←余震・停電が続く千葉でぶんきちくんがこれを愛飲というのは賢明な判断だ)湯割りを飲む。
ちょっと興味があって、「マスゴミ」の「東日本大震災」と「東北関東大震災」の使い分けについて調べてみる。
VHSとβ、ブルーレイとHDDVDの対立再現か。
それ以外の表記もあるものの、テレビ・新聞・週刊誌、「東日本大震災」が圧倒的多数派である。
NHKが意地で「東北関東大震災」を使いつづけている印象だ。
まあ、来月には「閣議決定」となるのであろう。
ちなみに16年前の、公式的には「阪神淡路大震災」だけど、おれは「阪神大震災」書いている。40年以上前に淡路(洲本)から神戸に「通学」していた友人がいて、おれは昔から、淡路は阪神地区と思っているのである。
3月24日(木) 播州龍野→大阪
雑事の処理のあと、昼前の電車で帰阪する。
たちまち夕刻になった。
ということで、夜は、メダイのソテーにアサリスープのブイヤベース風、豆腐とアボガドのサラダ、パン、その他小鉢で、ビール、白ワイン。
早寝するのである。
3月25日(金) 穴蔵
終日穴蔵にて仕事をする。
仕事といってもSF系にあらず、新プロジェクトの書類作りである。
タイムマシン業に加えて、「題未定」業を立ち上げようかなという企画である。
われながら仕事を増やすのが好きなんだなあとも思うが。
印鑑証明が必要になり、梅田地下の市サービスカウンターへ行く。
と、地下鉄御堂筋線・梅田駅の改札が閉ざされていて混乱しておる。
事故か何かで御堂筋線がストップしたらしい。
12:20頃のことである。
改札口あたりに人が溢れ、暴動になるかと期待したが、皆さん冷静で、10分ほどで動き出し、たちまち普通に戻った。
関西人は普段はもっとイラチなんだけどなあ。
※本町〜心斎橋間で発煙、40分ほど停車。まあ、堺筋線か四ツ橋線に振り替えできるから、たいした混乱にはならなかったようだ。
3月26日(土) 穴蔵/青空/ドメスティック芸術祭
穴蔵にて少しは仕事もするのであった。
大阪は、少し風があり寒いけど快晴。
青空なので、散歩を兼ねて、昼過ぎに黒崎町の青空書房へ行く。
坂本さんと雑談30分ほど。
坂本さん(88歳!)は賢者である。しかも「老賢者」でなく、意外にジャーナリスティクな感覚が衰えていないところが凄い。
東日本大震災に関して某・某々週刊誌に載った記事についてのコメント。
某宗教学者が「方丈記」を引き合いに書いた文章は(その学者のそれまでの仕事は評価しているが)許し難い。また、伊集院静氏の文章には(小説はさほど評価していなかったが)感銘を受けた、と。
この「是々非々」が坂本さんの怖いところである。
この1年、週刊誌はたまにしか読んでないので、あとでチェックすることにする。
震災直後(まだ救助活動が続いている)に「方丈記」とは、浮世ばなれしてるわなあ。
書店、CDショップを回って帰館。
買ったのはごくわずか。
ニューオリンズのハリケーン被害の時は、CD購入をやめて支援に回したが、今回はジャズ限定ではないからなあ。
午後、わが集合住宅の集会室で開催中(今日と明日)の「芸術祭」を見に行く。
管理組合の主催、居住者の作品を持ち寄っての展覧会である。
写真、水墨画、人形、工芸品から、ストーンアートや篆刻まで30点以上。
うちの専属料理人はパッチワークを出している。
レベルの高い作品が揃っていて、近隣に才人が多いのに驚くなあ。
じつに凝ったティ(ブランデー入り)をいただく。
おれは出展するものなし。「小説」も芸術の一分野だが、展示には適さないからなあ。
そうか、堀晃さんの絵を出したら、間違って絶賛されたかも。
3月27日(日) 穴蔵
終日穴蔵。
ちと気が滅入って、何をする気にもならない。
昨日入手したバディ・デフランコ『LIVE DATE!』を聴く。
1957年の録音で、ハビー・マン(フルート以外にテナー、バスクラを吹いている)、バーニー・ケッセルとの共演だが、なんといってもベースがスコット・ラファロというのが凄い。
ラファロ21歳でこれが「初吹込」というのだが、本当なのか?
確認してみたくなり、徒歩7分の「売り場面積日本一」の書店へ行くが、「翡翠の夢を追って」はまだ並んでいない。
あと2、3日か。
3月28日(月) 大阪→播州龍野
朝のラッシュが終わる頃に阪神梅田から姫路行きの特急に乗ろうとしたら満員である。
そうか、甲子園で選抜高校野球、本日は9時から宮城の東北高校が出場するのだった。
甲子園過ぎればガラガラ。
昼前に播州龍野に着く。
本竜野駅に「今年は武者行列は中止」の掲示が出ている。予算を震災支援に回したのかな。武者が募金箱持って練り歩く方が面白いと思うけどねえ。
家の周辺、ボケとか白木蓮など、春の花が開花寸前である。今年は1週間ほど遅いようだ。
近所のゴミ屋敷、本日もトラックでガラクタを搬出している。いつまで続くのやら。
雑事が色々。
市内ウロウロ。
ついでに2キロほど離れた「土地」を見に行く。はじめて来る場所。
畑地の中にある竹藪であった。
あげるからどうよといわれてもなあ……。
播州龍野泊。
夜はやはり寒い。
3月29日(火) 播州龍野→大阪/「本竜野」珍景
播州龍野にて定刻午前4時に目が覚める。気分よし。
雑事色々。
だいたい片づいたので、昼前の姫新線で帰阪することにする。
本竜野駅前は道路の拡張工事の最中である。
昨年新築なったJR本竜野駅の駅前……300メートルほどが、道幅が倍になり、電柱はなくなり、歩道も広くなる。ローカル線の駅前としてはなかなかのストリートである。
ただ、駅にいちばん近い1軒が頑張ってはるのである。
*
↑青いシートの家の向こうが本竜野駅である。
不思議な景観になりそうな。
本竜野駅に降り立つと、旧態依然の駅前……それが20メートルほど行ったら、広いストリートが西に延びている……ってことになるのだからなあ。
(あくまでも噂ですが)強制執行やるややらずや、しかし(あくまでも噂ですが)県庁役人が「騒ぎを起こすと」出世に響くからと先送り、無難な人事異動の辞令待ちで、(あくまでも噂ですが)次の役人もどうせ先送りして、たぶんこのまま記念物的老朽家屋が残りそうな……まあ、もっぱらそういう話を(あくまでも噂として)聞くのである。
播州龍野に花見においでになる皆さん、今年は武者行列は中止ですが、ひょっとしたら(あくまでも噂ですが)青シートは今年で見納めかもしれず、あるいは(あくまでも噂ですが)「ゴミ屋敷」と並ぶ珍景になるかもしれず、ともかく駅前風景、一見の価値あり。
青シートの健闘を祈る。
3月30日(水) 穴蔵
終日穴蔵。
山田順『出版大崩壊』(文春新書)を読む。
副題は「電子書籍の罠」、帯に「某大手出版社が出版中止した『禁断の書』」とある。
電子書籍については、佐々木俊尚氏の著作や、印刷側から書かれた、中西秀彦『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』(印刷学会出版部)など数冊読んだ。それぞれに教えられるところは多いのだが、売れない作家兼読書家兼ネットユーザーの立場としては、この『出版大崩壊』の予測がいちばん実感を伴う。
電子出版をやろうしとて失敗した体験も踏まえているから説得力がある。
電子書籍に限らず、広く「デジタル化がマスコミなど社会のエリート層(と思われていた職業)にもたらす変革」を予想しているのだが、「大手出版社」としては恐ろしくなるはずだ。
おれは零細タイムマシン「製造業」もやっているから逃げ道はあるのだが、近々「第一次産業」もやろうかと思うほどだ。
それはともかく、山田順氏が津田信のご子息とは知らなかった。読んだのは『幻想の英雄』だけだけど。
じつはおれも(あくまでも遊びで)電子出版をやってみようかと、以前から取得している出版者コードの延長手続きをしたばかりである。ただし、儲かるとは信じていない。あくまでも趣味でジャズ書を作ってみようかというだけのことである。どうなりますやら。
3月31日(木) ウメサオタダオ展
昼前に専属料理人と万博公園へ行く。
国立民族学博物館で開催中の『ウメサオタダオ展』を見るためである。
「知の巨人」の足跡……とくに若いときからの膨大なフィールド・ノートの展示が興味深い。
民博らしく、コピーで複製品を作って、手に取れるようにしてあるのがいい。
1963-64年のアフリカ(タンザニア)学術調査の記録。
これについては、ボンクラサラリーマン時代に上司から聞いたことがある。
合弁事業で工場建設のためにケニアへ向かう時、この調査隊とナイロビまでいっしょになった。
乗り継ぎの都合で、インドで足止めをくらって、3日ほどホテルで待機となった。
この時、梅棹先生とワイン(マテウス・ロゼという銘柄まで聞いた)を酌み交わしたのだという。
あの頃は会社も熱気があったんだなあ。
いや、おれも80年代後半までは面白かった。海外展開は面白かったもの。
ただし、いちばん面白い海外ミッションは、ボンサラをやめて、少数メンバーでタイムマシン業を興してからのウズベキスタン行きであった。
未知の世界へ出ていってミッション遂行するというのは血が騒ぐものなあ。
こんな興奮は、悪代官面の加藤某には想像もできないであろう。
ということで、帰路、千里中央で「マテウス・ロゼ」を探すが見当たらず。
千円ワイン(JACOB'S CREEK)を買って帰る。
夜は専属料理人に春野菜メニュー色々並べてもらってこれを飲む。
3月が終わるのである。
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