『マッドサイエンティストの手帳』495
●マッドサイエンティスト日記(2011年1月後半)
主な事件
・大阪←→播州龍野、いたりきたり
・宍粟市へ行く(25日)
・創サポ講義(29日)
1月16日(日) 穴蔵
寒いのであった……と毎日のように書いているが、とびきりの寒さである。
といっても、午前6時の穴蔵の室温は14℃。
播州龍野に較べれば10℃高い。
穴蔵では原則としてコタツ以外の暖房機器を使用しないから、机に向かっているとジワジワと冷えるのである。
エアコン稼働すればいいのだが、わが貧乏性と、暖気でアタマがボケーーーッとするのが嫌なのとで、ほとんど使用しないのである。
膝が冷えてきたので、コタツに移動して本を読む。
机とコタツの繰り返しなり。
昼は専属料理人がお好み焼きを作った。
こういうものはビールなしでは食べられない。
と、引き続き焼きそば。
これがまたバカうま。
ということで、昼間からビールの飲み過ぎである。
午後は昼寝。
いかんなあ。
夜は粗食にて早寝。
明日は資料を持って播州龍野へ移動する。
1月17日(月) 震災16年/大阪→播州龍野
定刻午前4時に目覚める。
阪神淡路大震災から16年。
午前5時46分に10秒ほど黙祷する。
直ちに梅田へ歩く。
思い出すことが多い。
16年前、おれは倒れた本棚の間から這い出て、グラス類が粉々になって散らばっているらしいリビングに行き、子供に「出てくるな」と伝え、15分ほどで停電が復帰、リビングの片づけは専属料理人にまかせて、自転車で本町の会社に向かった。
本日は6:15梅田発の阪神特急、最後尾の席に座って姫路へ向かう。
9時前に播州龍野に着く。
昨夜降った雪が積もり、道路は凍てついて、クルマは最徐行である。
午前9時の居間は2℃、書斎は4℃である。
↑窓からの眺め。
市役所や某事務所へ行かねばならぬが、恐ろしくてクルマは使えず、ましてチャリンコにおいておや。
5年前に買った防寒ブーツを履いて、雪道を歩いてウロウロ2時間ほど。
いい運動になるぜ。
ということで、昼に帰館、居間は5℃なので、鍋焼きうどんを作って「龍力」の熱燗一杯。
午後はコタツとストーブを全開にして昼寝。
いかんなあ。
少しは仕事……のつもりだったのだが。
夜は大阪から持ってきたおでんを温めて、また「龍力」熱燗。
早寝するのである。
1月18日(火) 播州龍野
寒いのであった。
6時の外気は-2℃、無人の居間は2℃で、大阪の穴蔵とは10℃の差である。
昼間は、書斎にて、ストーブ使用、机下のハロゲンヒーターでキンタマ照射しつつ机に向かうが、15℃が上限。
家屋の構造上、しかたないのである。
動くのが(本棚から辞書を取り出す動作すら)面倒になり、ほとんど動かずに過ごす。
猫背でコタツに座っているのと変わりなしだなあ。
市役所と某事務所に出向く以外、特に用事もなし。
夜は湯豆腐で「龍力」熱燗をチビチビやる。わびしいものである。
ネットのニュースで「宮川大輔パパに」というタイトルを見てびっくり。
まさか花子が出産ではあるまい。隠し子が発覚か……と、読んでみたら、宮川大助とは別の「お笑い芸人」のことであった。
テレビはほとんど見ないから「宮川大輔」なんてまったく知らなかった。同じヨシモトらしい。サッカー選手にもいるらしいが。
ややこしいことである。
おれが世間から取り残されつつあるんだろうけど、宮川大輔ってそんなに有名な芸人なのか?
ましてその嫁さんが出産したなんて、報道価値があるのか?
むろん「宮川大助」が今頃パパになったら大ニュースだけど。
1月19日(水) 播州龍野→大阪
寒いのであった……ってまたかよ。またなのよ。
キンタマの波動関数的収縮が嫌になって、かつ雑事も生じたので、午前中の電車で帰阪する。
いったん穴蔵に戻ったあと、梅田界隈をウロウロ。雑事を片づける。
ジョーシン三番街店が閉店セール中である。
米朝事務所の近くに昔からある「店じまい」という名の靴屋ではない。
正真正銘の閉店。すぐ近くにヨドバシがあるから、苦しかったのであろう。
ウチからは近く、サプライ品などはほとんどここで買ってた。
特に阪神タイガースが勝った翌日は5%引きというのがうれしかった。
もう商品はほとんどなく、棚はガラガラ状態。これで1月末まで「営業」するのだろうか。
さらばジョーシン。
ということで、夜は専属料理人が作った和風パスタその他3品でビール、ワインをダラダラと飲む。
早寝するのである。
1月20日(木) 穴蔵/ウロウロ
それほど寒くないのであった。
あくまでも室温(朝6時に15℃/播州龍野だと暖房してやっとの温度)だけど。
穴蔵に閉じこもって、少しは仕事もするのであった。
午前中で一区切りついたので、自転車で出かけることにした。
まず、青空書房へ。
お見舞いやお礼や年始の挨拶など、色々なことが溜まっていたのである。
坂本さんが体調不良とか聞いていたが、普通に開店してはった。ほっ。
87歳、今年米寿、今も自転車でウロウロしはるという。頭脳も明晰で、最近寄稿された「大阪古書月報」をいただく。
今年もお元気で、ニコニコ迎えていただきたい。
玉一でランチ。
寒いときはキンタマが波動関数の収縮で1個になるから、「玉一」は冬季にこそふさわしいのである。
本日は豆腐チゲ定食、生中一杯も許されよう。
あと、CDショップ、書店などを回って帰館。
大阪ウロウロはやっぱり楽しいねえ。
1月21日(金) 穴蔵
終日穴蔵。
少しは仕事もする……つもりであったが、ちょっと虚脱状態。
「大著」を読んで過ごす。
午後、メール便の発送で外出、近くの公園横の歩道が広げられているのに気づいた。
*
「タコの山」のある豊崎西公園の南側。
公園側が削られて歩道になり、従来の歩道が(たぶん有料の)自転車置き場になるような。
昼間、自転車がぎっしり放置される場所だったのである。
しかし、放置自転車は減るまい。天六一帯を見ればわかる。
まあ、しばらく観察することに。「破れ窓理論」の検証実験となるだろう。
おれ自身は、自転車を廃棄するか迷っている。
昨秋から、梅田へ行くのに自転車使用はやめた。駐輪場所が少なくなったこともあるが、急に自転車が増えて(北区のマンション増加のせいか)危険になったからである。
ただ、天五・天六方面は自転車でないと不便である。
早朝徘徊に限定すべきか。
1月22日(土) 穴蔵/ウロウロ
昨夜、寝る前に小林信彦『天才伝説 横山やすし』を再読していたら、1月21日がやすしの命日であることに気づいた。(1996年/享年51歳)
虫の知らせであろうか。
やすしはおれと同年の生まれである。
なぜ再読する気になったのだろう。
昨日から読んでいる「大著」というのは『近代日本奇想小説史』で、これは重いから、寝転がっては読めない。
そこで文庫になったのだが……たぶん、横山やすしの「実質的な死」といえる1992年8月の殴打事件が気になったからだろう。
頭を殴られるのは恐ろしい。
おれは今でもたびたび加覧伸彦という外道に殴られた記憶が蘇って、よく思考力と記憶力が無事であったと安堵するほどである。
終日穴蔵。
……のつもりであったが、天気がいいので、午後、自転車で淀川堤を毛馬の河川敷まで走る。
自転車について迷っていたが、人混みは避けて、堤防とか明け方とか、人がいない時間と場所を選ぶことにした。
要するに自転車事故の加害者になりたくないのである。
*
↑毛馬閘門からの眺め。
ここは短編とショートショートの舞台として使ったが、できれば長篇の冒頭とラストに使いたいと思っている。
20分ほどボケーーーッと眺める。
そういえば、横山やすしも、モーターボートで摂津から毛馬閘門を経由して大川を走っていたのだなあ……。
やすしのマネはできないし、してはいかん。
ヨコジュンの『近代日本奇想小説史』を読んでいて、おれも(この6年間色々な制約があったけど)仕上げの何かをやらなければ、という気持ちになってきたのである。
明日こそホリは羽ばたく。つもり。
1月23日(日) 穴蔵
終日穴蔵。
少しは本格的な仕事を始める……つもりであるが、考えることも多し。
読んだり、寝転がったり、ちょっとデフランコを聴いたり、書架のどこかにあるはずの資料を探したりしていたら夕刻になった。
これはこれで至福の時間である。
夜は肉じゃがや塩サバなど、ごくありきたりのメニューで晩酌。
インコがチンコを狙って膝まで登ってくるのであった。
ニッカの「from the barrel」というのの水割りをチビチビやってたら、いい気分になる。ラベルを見れば51度である。回るはずだ。
ちと飲み過ぎ。
ニュースで喜味こいし師匠の訃報……嗚呼。
おれは、こいし師匠の声質(低音でよく通る/したがって落ち着きがある)がともかく好きであった。
つっこみの声の良さ(ダウンタウンの浜のカン高い絶叫型の声は生理的に受け付けない)が「いとこい」漫才の品位を維持していたと思うのだが、ちがうだろうか。
追悼の辞を書きたいが、申し訳ない、酔っぱらってしまったので、早寝させていただきます。
1月24日(月) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
だいたい片づいたと思ってたが、やっぱり雑事が色々溜まっている。
3ヶ所ウロウロ。
ついでにクルマで龍野市東端にあるM自動車へ行って定期点検を受ける。
自動車保険の名義も切り替える。
クルマ購入の主目的は老母の通院で、もうその必要はなくなったのだが、自転車に戻れなくなっている。
脚力が衰えたのではなく、クルマに乗り出したら自転車の危険性がわかってしまったからである。
自転車レーンなんて、まったく整備されていないからなあ。
クルマの点検中、裏山散歩。
*
そう寒くはなく、「山笑う」少し前の気配である。
午後は3時間ほどタイムマシン格納庫にて見張り番。
今週は相棒が某国へ出張のためである。
ということで、夜はひとり鍋で独酌。
寂しくもあり楽しくもあり。
書庫から古い本(といっても30年ほど前の)を取り出してきて、読みつつ眠くなったら寝るのである。
1月25日(火) 播州龍野←→宍粟市
午前、ちょっとした用事が生じて、宍粟市に住む叔母を訪ねることにする。
播州龍野から揖保川の上流35キロほどの一宮町である。
宍粟市に入ったとたんに山の斜面に雪が目立ちはじめ、山崎町から北は、道の両側に雪が残っている。
波賀町以北はチェーン装着という表示が出ている。
目的地はその5キロほど手前。50分で着いた。
*
雪国である。叔母の家の前は一面の雪で、先週の豪雪が消えないままという。
叔母の旦那、つまり叔父は製材所を経営していた。
半世紀前(おれが中学3年の時ね)、ジープ(当時これに乗るのは最高にかっこよかった)で雪の戸倉峠を越えて若桜(鳥取)まで連れて行ってもらったことがある。大冒険だったなあ。道は舗装もされてなかったし。
懐かしい記憶である。
製材所、今は従弟が物流センターにしている。
1時間ほどいて辞す。
播州龍野に帰館、午後はタイムマシン格納庫にて見張り番。
夜は宍粟の叔母がみやげにくれた(というか、昼食用に作ってくれてたらしい/しかし昼までに帰らねばならぬから持ち帰ることにした)クリームシチューを温め、フランスパンでワイン(自転車マークのコノスル)の独酌。
デフランコ、トミフラ師匠、アーティ・ショウなど聴きつつ。
寂しくもあり楽しくもあり。
早寝するのである。
1月26日(水) 播州龍野/『月に囚われた男』
タイムマシン格納庫にて見張り番。
合間に、ちょっと龍野市立図書館へ行く。
老母の「図書館カード」を返却する。
おれは龍野市民ではなく、この数年、母の本を借りるのに便乗していたのである。
このまま使用してもたぶんばれないだろうけど、やはり不正はいけない。
借りたい本が数冊あるが、いたしかたなし。
住民票をこちらに移す可能性はなきにしもあらずだが……。
ちょっと気になっていた映画『月に囚われた男』がDVD化されたので、うかいや書店で借りてくる。
悪い雰囲気ではないが、あまりにも普通のオチで、肩すかしの印象。
月面で起きる不条理な現象なら、アルジス・バドリス『無頼の月』のように展開する方がいい。
実は、おれは宇宙空間で「自分の死体」を発見する短編(『時間礁』という35枚ほどの)を書いたことがあり、これは「生きた自分」との遭遇まで書く方が面白く、できれば設定を大がかりにして、もっと長い作品にしたいと思っていた。しかし『月に囚われた男』の後では、もうやれんなあ。アイデアは絶対におれの方が上(何しろ「宇宙の構造」に関わるのだから)と思うがなあ。
1月27日(木) 播州龍野→大阪
寒いのであった。
6時、外は-3℃、無人の居間は4℃である。たぶんこの冬いちばんの冷え込み。
相棒の某くんからメール。某国でのミッションは無事終了したという。夜に関空に帰還の予定である。
老母の要介護のこの6年間、海外業務はすべて某くんに任せっぱなしであった。
次のミッションがあれば、久しぶりにおれがトライするか……などと愚考する。
午前中、タイムマシン格納庫にて見張り番。
午後の電車で大阪へ帰る。
ということで、夜は専属料理人に色々並べて貰って晩酌。
「自宅」リビングから夜景ながめつつワイン。やっぱり播州龍野とはちがうなあ。
気分よく酔っぱらって早寝するのである。
1月28日(金) 穴蔵/ウロウロ
穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
運動不足である。
午後、散歩を兼ねて、スカイビル北側の大阪中央郵便局まで預かりの郵便物を受け取りに行く。
昨日ウチの郵便受けに入りきらなかった書籍である。
帰路は、スカイビル東の地下道を歩いて北ヤードへ。
大阪駅の外観はほぼ完成していて、屋上の庭園なども見えるが、それほど面白味はなし。
北ヤードは全面的に工事中。
まあ、おれとしては、貨物駅は数年間はそのままのはずだから、いいのだけどね。
茶屋町まで歩き、売場面積日本一の「丸善ジュンクドー」館内を1時間ほどうろうろ。
館内の文具店「ナガサワ」でモンブランのインク1瓶購入……ボールペン20本ほどの値段である。嗚呼。
この前「モントブランクの超太軸」用のインクを買ったのは6年前である。6年で50%近い値上がり。
6年で1瓶……最近あらたまったハガキをまとめて手書きで書いたからなあ。
普通ならあと10年はもったはず。
ま、値打ちのある字を書いたということだ。
ということで、夜は「とようけ」の湯豆腐、牡蠣フライ、大根の炊いたんの妖女などでビール、黒糖焼酎の湯割り。
早寝するのである。
1月29日(土) 穴蔵/創サポ講義
終日穴蔵。
少しは仕事もする……つもりであったが、あまりアタマが働かず。
某短歌誌から依頼があり、母に関する短い文章を書く。
夕刻、天満のエルおおさかへ。
大川沿いを歩くのはいつも17時半頃だが、2週間前に較べて明るく、春は近いのである。
創作サポートセンターの講義。
「SFの書き方」……その日の朝刊からひろったネタで短編のプロットまで作る「手打ちうどんの実演」方式でやるのだが、本日の出来映えは60点未満であった。嗚呼。
まあ手順の公開であり、これでいいのだ。
帰館、遅めの晩酌。
おやなんと、専属料理人が参鶏湯を作っていた。
*
前におれが某業務用スーパーで(メーカー名は書かないが)レトルトの参鶏湯を買ってみたら、これが悲惨なものであった。
で、本日はスープから本格的に(でもないか)2時間ほどかけて作ったという。
本格的というより「和風」参鶏湯で、レンコンとかネギが泣かせるぜ。
デフランコを聴きつつ、白ワイン。なかなかのものである。
インコが、マーティン・タイラーのギターの時は静かだが、ソロがデフランコに移ると騒ぎ出す。
不思議なものである。
明日は谷口英治と畑ひろしで再実験してみよう。
1月30日(日) 穴蔵
終日穴蔵。
寒いので、本を読んで過ごす。
そういえば、読んだ本のことを書いてないなあ。
昨年後半が落ち着かない日々だったので、さぼっている。
本はふだん通りに読んでるのだけどね。
午後、とつぜん播州龍野方面から知人が訪ねてきて驚く。
「おれが来たんだから、理由はわかろやろ」
「統一地方選挙かいな」
「そやねん」
たいした政党だと思うよ、まったく。
近所に○○キという手のつけられないワルがいるのだが、選挙となると親に連れられて投票にくるという。これが某党。
「この近所は圧倒的な支持率やから、そんな遠方から来なくても心配ないやろ」
「いや、それがなあ……」と10分ほどレクチャーを受ける。
ま、おれは支持政党なし。
国家民営党でもできれば支持するかもしれんけど。
1月31日(月) 穴蔵/さらば「奴」
寒いのであった。
終日穴蔵……のつもりであったが、月末の処理があり、昼、梅田ウロウロ(主に郵便局と金融機関)。
雲ひとつない快晴だが、ともかく寒い。寒いよりも「痛い」感じ。
新梅田食道街、「奴」に入って熱燗を一杯。
ここは「かやくごはん」で有名な店だったが、昨年から「立ち飲み屋」に変わった。
で、立ち飲み屋になって初めて入ったが……まあ、ともかく、ひどいものである。
この寒さに、暖かいメニューがゼロというのが凄いではないか(湯豆腐は夜だけ?)。
揚げ物とか煮物があるが、電子レンジもないらしい(横の客が暖めてくれといって、断られていた)。
昼間の立ち飲みは「大御所」(地下街)に限るなあ。
ということで、体を温めるために、小鉢で熱燗1杯だけ呑んで退散。もう来ることはあるまい。
あと、「とり平」で鴨そばを食べて、穴蔵に戻る。
あ、もう1月が終わってしまう。
SF HomePage