『マッドサイエンティストの手帳』477

●マッドサイエンティスト日記(2010年4月後半)


主な事件
 ・マホガニーホール(17日)
 ・ニューオリンズ・ジャズ・カーニバル(18日)


4月16日(金) 穴蔵/デジタルフォトフレーム
 本日も寒いのであった。関東よりはましらしいが。
 終日小雨が降り続く。
 穴蔵にこもって、少しは仕事もするのであった、いと少なしを。
 ネットで注文していたデジタルフォトフレームが届いた。
 Transcend DF810、8インチ液晶画面、9千円を切る価格。
 机の右隅にセットする。
 
 マニュアルがひどいものだが、ちゃんと起動した。何よりもUSB接続で外部メモリーとして扱えるから便利である。
 フリーソフト「縮小専用」で、流れ作業みたいに300枚ほどを入れてみる。内部メモリーは2Gあるから3000枚以上入るような。
 なかなかいいではないか。
 ラジオ(FM)と音楽ソフトもついているので、トミフラ師匠をMP3で入れて、BGMとして流してみる。
 この音はいただけんなあ。
 もっとも、このデジタルフォトフレームは老母用だから、音はどうでもいいのである。
 老母は脚が弱くなって花見に連れ出すにも近所の桜だけ。おれが撮ってきた龍野の写真をテレビ画面で見せたら、一応「好評」であった。
 それなら……散歩コースの季節の写真を見せながら「足踏み体操」をさせることにしたのである。
 来週から播州龍野で実施予定。成果はいかに。

4月17日(土) 穴蔵/マホガニーホール
 スカッと晴れたぜ。
 数ヶ月ぶり…半年ぶりかな? よく覚えてない…に穴蔵の布団を干し掃除機をかける。
 綿ぼこりがわんさか収集できた。
 くしゃみ鼻水が花粉のせいではないかもという専属料理人の説に説得力があるなあ。
 すっきりしたところで、午後は心斎橋のマホガニーホールへ。
 明日は梅田で「ニューオリンズ・ジャズ・カーニバル」だが、そのゲストを招いてのプレ・コンサートというか前夜祭というか、30名くらいのコンサートである。
 おおっ、和服の色っぽい女性がいるではないか。
 
 これは野良青年団のピアニスト・大野かおりさんである。
 このスタイルで東京から来たのだという。
 他にゲストは、クリント・ベーカー(マルチ)、飯窪敏彦(co)、早房長隆(tb)、中川勝右(ds)の諸氏。
 これに関西のラスカルズ、マホガニーホール・ストンパーズのメンバー。
 多彩な組み合わせで3時間の演奏を堪能。
 
 早房長隆さん(写真左端のtb)は8年前に聴いて以来である。
 うまいなあ。
 本日の花形はクリント・ベーカーさんで、この人はマルチ・プレイヤー。
 ピアノ以外はなんでもやれるとかで、本日演奏したのは、ベース、トロンホーン、トランペット、クラリネット、バンジョー、ギター。ベース以外は持参だから、運送がたいへんだろうなあ。
 
 べーカーさんのギター、石田さんのベース、河合良一さんのクラ(これは2年前に亡くなったシャープスティンの遺品で、先端が上に曲がった格好が特徴的)のトリオによる「古い十字架」は感涙ものであった。
 この「ご一行」は夜は(土曜日だから)ニューサントリー5でまた演奏……元気だなあ。
 おれは明日があるので、まっすぐ帰館。
 夜はおれのリクエストで、「春パスタ」で白ワイン。
 早寝……でもないか、定刻22時頃に就眠するのである。

4月18日(日) ニューオリンズ・ジャズ・カーニバル
 晴れて温暖な春の日である。
 昼、専属料理人と歩いて梅田新道の巨大ビアホール「スーパードライ」へ。
 春の恒例行事「ニューオリンズ・ジャズ・カーニバル」である。
 専属料理人は受付の手伝い。
 おれは午後1時から盛大にビール飲みつつニューオリンズ・ジャズを堪能。
 昨日に引き続き、東京からのゲスト、それにマホガニーホール・ストンパーズ、ニューオリンズ・レッドビーンズ。
 ビールで腹が膨れてしまったので、ワインに切り替えたあたりで、ニューオリンズ・ラスカルズ登場。
 
 本日はメンバー7人が勢揃いで、これは久しぶりである。
 最高のアンサンブルで、『国境の南』がたまらなくいい。
 ということで、閉会の17時には酩酊に近い。
 千鳥足で帰館。
 すぐに就眠。
 祭は終わった。
 明日から田舎生活である。

4月19日(月) 大阪→播州龍野/行かないべきか??
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 車中、朝刊を読んでいたら、不思議な表現が目にとまった。
 「週刊現代5/1号」の広告に「上海万博 見に行くべきか行かないべきか」とある。
 「行かないべき」はおかしいのではないか?
 ハムレットが「生きるべきか生きないべきか」というか?
 「To be or not to be」を直訳するとそうなるんだろうけど、日本語としてはなんだかおかしい。
 助動詞「べし」が否定形につくのがおかしいのではないか?
 「立小便するべからず」とはいうが「立小便しないべし」とはいわんだろう。
 同じ広告に井上ひさし氏の追悼記事もある。
 井上ひさし氏が健在で「日本語相談」を続けてはったら相談してみたいところだ。
 車中、ちょっと考えてみる。
 「行くべきか」のべきは「強い推薦」「勧奨」だろう。ぜひ行きなさい、と。
 では「行かないべき」が変なのは、「行くこと以外の行為」を勧奨することになるからではないか。
 上海万博に行かない場合、寝てるか、仕事してるか、別の所へ行くか、選択肢はいっぱいある。その全部を勧奨するのは無理であろう。ここは「行くのを中止する」ことを薦めるべきで、「行くべきかやめるべきか」あたりが自然な表現ではなかろうか。
 ……と、文法書を調べたわけではないので自信はない。
 週刊現代を買うべきか買わないべきか。むろん買わない。

 ※こんな疑問については、ブログだとどなたかがすぐに的確なコメントをしてくれたものだった。ただ、以前、唾吐きみたいな嫌なコメントがひとつあるだけで気が重くなり、結局、ホームページに戻した。こんな場合は残念に思うなあ。
 ※※と思ってたら、こちら方面でコメントいただきました。ありがとうございます。(2010.4.20)

4月20日(火) 播州龍野の日常/ああ水了軒
 播州龍野にて下男モードに入ったが、とつぜん忙しくなった。
 トラッド・ジャズ関係の某プロジェクトの手伝いでメールと電話での連絡錯綜、短い原稿も驚くべき早さで仕上げる。まだ火事場のバカ力が出せるのだなあ。
 まったく別件で、実家関係の某プロジェクトが急に動き出して、市役所往復したり某行へ行ったり、老母があまり動けないから「委任状」が必要だったり、手間がかかることである。
 小雨の中、出たり入ったりウロウロしたり、その間、市議選が間近で選挙カーがやたら騒がしい。
 夕方近くになってちょっと落ち着く。
 ボケーーーーーッと庭を眺める。
 しばらく来ないうちに雰囲気が一変。
 牡丹がどっと咲き、塀の外では紫木蓮が開花した。
  *
 去年と同じことしかしてないような。進歩なし退化あるのみ。嗚呼。
 夕方のニュースでは、「水了軒」が破産申請するという。
 ウチの近所、梅田の旧「白壁整形」の横にあった水了軒は6、7年前になくなったし、2年前あたりから新大阪駅に売り場が見当らなくなってたからなあ。おれの知る売り場はJR大阪駅・東口のだけだったもの。
 「八角弁当」「汽車弁当」は懐かしくはあるが……
 おれの場合、新大阪駅で弁当といえば3年前から21世紀出陣弁当に決めているし。
 時代は変わっていくのである。

4月21日(水) 播州龍野の日常
 朝も早よから下男仕事。
 合間に、昨日から引き続き、雑事色々。
 トラッド・ジャズ関係については、近日こそっとアナウンスするかも。
 実家関係の某プロジェクトについては、ほぼ半日、箪笥の底から発掘した古文書みたいな書類を読んで整理する。
 紙のコヨリで綴られたヨレヨレの文書、判読に苦労するぜ。
 戦後間もないのでこれだから、明治の文書などとても無理、時代小説作家なんて神様としか思えない。
 ともかく、巨額の財宝の埋蔵場所を記録しているらしいから、気合いを入れて読み込む他ないのである(←本気にしないように、エシュロンくん)。
 慌ただしく1日が終わる。
 夕刻、某スーパーへ行ったら「盛岡冷麺」が並んでいた。
 初夏なのである。
 夜は(老母には健康食を食べさせて)台湾産の枝豆、冷や奴、ローストビーフでビール。あとはキムチ・ハム・トマト・カイワレをドバッと載せた盛岡冷麺を作って「神の河」水割りを飲む。
・嬉しいニュース。
 「はやぶさ」が6月13日に地球に帰還するという。
 オーストラリア南部の砂漠……初夢が正夢になりそうな。
 「夜」というのが予想外であるが。

4月22日(木) 播州龍野の日常/ああ舛添くん
 雨が降り続くのであった。
 室温14℃で肌寒い。
 昨日の続きで、雨にも負けず、午前中ウロウロ。
 午後は机下のハロゲンヒーター(まだ片づけてないのである)でキンタマ照射しつつ資料作り。
 ニュースによれば、舛添くんが自民を離党、「新党改革」の党首になるらしい。
 20年ほど前に東大を辞めたパターンと同じだなあ。
 目立ちたがり、所属団体批判、それで結果として組織からいびり出されるわけだが、「周囲の嫉妬」と「正統な批判」がごちゃまぜになっているところ……学閥も政党も同質なのである。
 会社だってそうだもの。
 ただ、舛添くんの場合、性格がマゾなのかなあ。わざと殉教者的立場に追い込まれたがる性行がうかがえる。
 舛添くんの健闘を祈……らないべきか。

4月23日(金) 播州龍野の日常
 定刻午前4時に目が覚め、4時半に届いた朝刊を読む。
 と、5時半に老母が起床する気配。昨日が6時、一昨日が8時と、気温同様、不安定である。
 6時に朝食。
 12時に昼食。
 18時に夕食。
 ま、健康なパターンであるが……終日曇天で肌寒く、気分もしかり。
 田舎ストレス、そろそろ臨界に近い。

4月24日(土) 播州龍野の日常
 早寝したら3時前に目が覚めた。寒いからであった。13℃で、大阪なら真冬の室温である。
 困ったものだ。
 下男仕事+雑事色々。
 快晴で安心していたら、とつぜんにわか雨、慌てて洗濯物を取り込んだら、霰が降る。
 ややこしいことである。
 夜は、志んぐ荘(たつの市新宮町)で水田宗親さんのコンサートの日、大阪から池田公信(co)・藤森省二(p)…ともにサウスサイドの名手…カエルさん(bj)が来ているらしい。
 クルマで10分ほどだから行きたいのだがのだが、老母の入浴の時間と重なるので、断念せざるをえない。
 デキシー聴いてる間に老母が風呂で溺死では身内に申し訳がたたんもんね。
 宮脇俊三『終着駅』(河出書房新社)を読みつつ早寝するのである。

4月25日(日) 播州龍野→大阪
 早寝したら4時前に目が覚めた。寒いからである。室温12℃で、昨日より寒い。
 午前5時、窓の外は4℃である。
 居間のストーブをつける。暖房器具は連休明けまでは片づけられない。
 困ったものだが、唯一嬉しいのは、S字型変形生物が出てこないか、もし出てきていても寒さで往生しているであろうことだ。ははは。
 「穴惑い」の対義語はなんというのか。冬眠から早く目覚め過ぎ……「穴早出」なんてのがあるのかな。
 いずれにしても、用心しなければならぬ季節である。
 張り切って下男仕事。
 午後の電車で大阪に帰る。
 ごく短い「下郎の休日」となる。
 夜は専属料理人に色々(ポテトのなんとかケーキ、ホタテとなんとかのサラダ、野菜を薄肉で巻いたハンバーグ風のなんとかなど)並べてもらってビール、ワイン。
 パンにハンバーグ風なんとかのソースをつけて食すシンプルなのがいちばんうまいのであった。

4月26日(月) 穴蔵/ああシリトー
 朝刊にアラン・シリトー氏の訃報。
 大学時代に読んだ『長距離走者の孤独』『土曜の夜と日曜の朝』は忘れがたい。あと『将軍』などSFがかった作品もあったが、おれはあまり嬉しくなかった。10年ほどして『華麗なる門出』で見事にネオ・ピカレスク調が復活、「前科のないうちは一人前とはいえない。これでおれも男になった」なんてフレーズが堪らなかったなあ。
 何かのシンポジウムで来日されたのは80年代前半だったか、朝日でインタビュー記事を読んだが、もう「怒り」はなく、大作家の印象だった。
 怒れる若者も80歳を過ぎていたのか……
 著書は播州龍野の書庫だから、近日再読することにしよう。
 終日穴蔵。
 雑事を片づける。
 夏から初秋あたりまでの予定を身内その他とメール・電話で相談する。
・今年SF大会TOCON10は、会場がボンクラ息子その1の住居から地下鉄数駅なので、参加のつもりでいたのだが、8月8日は大阪で40年来の「恒例行事」があって、世話人でもあるから、大阪を優先せざるをえなくなった。柴野さんの遺志に背くようで申し訳ない気もするが。
・その「柴野さんを偲ぶ会」が、これまた可児市で9月に10年来の「恒例行事」と重なってしまった。
 折を見て、大岡山には墓参に行くつもりである。
・6月に久しぶりに3日ほど出かけることにする。1月ほど前に調整しないとなかなか動けないのである。
・秋にニューオリンズへ……これはこれからの計画である。が、今年あたりが限界のような気がする。
 大きな予定を決めると、その間に、少しは仕事のスケジュールも入れなきゃいかんなあ。
 ま、無精猫原理にしたがって、明日に送れることは明日に。
 そろそろ早寝、明日のことは目が覚めてから考えることにしよう。

4月27日(火) 穴蔵/梅田ウロウロ
 曇天、肌寒い日である。
 昼前に専属料理人と梅田の某所へ行って某手続き。別に離婚手続きなどではなく、昨日決定した行動予定による予約などである。
 対応してくれたネエちゃんの仕事を観察、なかなか手際よく面白いのであった。
 何事も取材なり。
 昼過ぎになったので、駅前第1ビルB2の“仙台牛たん”の店「伊達屋」へ行く。
 
 炭火焼たん定食・麦とろバージョン……麦とろとなると、つい食べ過ぎてしまうなあ。
 あとはひとりで、駅前ビル1〜4のCDショップを一巡して帰館。
 中古で(たぶん)珍しいクラのを数枚見つける。
 たまには歩いてみるものである。
 帰路……取り壊された北野教会の跡に、新ビルが迫り上がりつつある。
 
 ここにあった風格のある桜の古木は、やはり昨年の春が見納めであった。
 穴蔵に戻り、粛々と雑事の処理。
 夜は専属料理人の並べた粗食(浅蜊酒蒸し、イカ刺身、豚肉・いんげん、トマトサラダ、ビール、パン、白ワインなど)を食しつつ、昼間に入手したSammy Rimingtonなど聴く。
 21時頃に早寝するのである。
 下郎の休日は終わった。
 明日はまた田舎行き。

4月28日(水) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 しばらく収監である。
 刑務所とちがうのは、酒が飲める、本が自由に読める、DVDが自由に見られる、花が色々咲いているということくらいか。
 役務に従事しなければならぬこと、監視の目(ご近所ね)が鬱陶しいことはムショと同じである。
 2日間いなかっただけで、またも庭の様相が一変している。
  *
 ピンクの牡丹が散ったあと、赤紫のと白のが咲いている。
 スズランと、名も知れぬ雑草も開花。
 昨年から敷地内の花を観察しているが、(色違いバージョンを含めると)4月の開花は15種類ある。
 5月末まで調べないと総数は出ないが、たぶん60〜65くらいのはず。1/4くらいが4月に開花するようである。
 下男仕事の合間に、「奇想天外」1977年4月号、ロバート・シルヴァーバーグ『見えない男』を再読。消失刑について確認のためである。
 ついでに前後の10冊ほどを拾い読み……この頃の「奇想天外」は面白かったなあ。コラムなど、忘れていたのが多く、やはり雑誌は保管しておくものだ。

4月29日(木) 播州龍野の日常
 粛々と下男仕事。
 風が少し強いが、晴れて、まあまあ暖かく(しかしハロゲンヒーターで断続的にキンタマ照射)、役務の合間に本を読んだり、窓から花や野鳥をながめる自由は保証されているのであった。
 世間は大型連休らしいから、囚人が浮かれ出ることもなし、本日は終日敷地から出ることもなし。
 
 ↑書斎の窓から見た名も知らぬ鳥(たぶんただの雀)。
 ヤキトリで一杯やりたいなあ。
 が、夜は筑前煮と肉豆腐でビール、みりん干しで「神の河」湯割り。
 早寝するのである。

4月30日(金) 播州龍野の日常
 連休の合間の平日で月末である。
 午後、ちょっとややこしい事情で老母を連れて某所へ行く。
 某契約事項は片づいたが、ついでに銀行(播州龍野にある唯一の都市銀行)に寄ると、えげつない混み方である。
 それにクルマが異常に多くて、あちこちで渋滞が起きている。
 緊急のことでもなし、雑事は連休明けに送ることにして、細い裏道を通って帰館。
 夕刻、買い物は自転車で行く。
 帰路、幼少期の秘密の遊び場を通る。
 昔は醤油の醸造蔵の廃墟であった。
 半世紀以上前に取り壊されて、ヒガシマルの鉄筋の社宅が4、5棟作られた。
 その社宅群、住人が減って、やっと好ましき廃墟感?が醸成されてきたところで、またも解体である。
 4月1日に行われていた解体工事の現場を見る。
  *
 ただの駐車場になるらしい。
 つまらない眺めになったなあ。
 いっそわが家を廃屋にしてしまうのがいいのかな。


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