『マッドサイエンティストの手帳』467

●マッドサイエンティスト日記(2009年12月前半)


主な事件
 ・キャンドルナイト(4日)
 ・発作的上京/堀晃写真展/坂田・井野・小山ライブ(8日)
 ・創サポ講義(12日)
 ・Sunday@JazzClub(13日)
 ・光のルネサンス(13日)


12月1日(火) 播州龍野の日常/紅葉/森川勇作?!
 12月になった。
 本日も小春日和である。
 老母が珍しくも「化粧品を買いに行きたい」といい出す。
 ドラッグストアへ連れて行くが、品番を控えてなかったから、何がなんだかわからない。
 明日以降に延期する。
 天気がいいので、紅葉を見に行きたいという。
 北へ。東嘴崎の神社はどうかと思ったが、紅葉はなし。
 ついでだから磨崖仏を見る。
 ちょうど屏風岩の前を姫新線のキハ122系が通過する。
  *
 これは11月25日の写真と別アングルである。
 天気がよすぎて、センチメンタルな気分にはならないなあ。
 結局、龍野公園へ行って、紅葉谷〜聚遠亭を回る。
 昼を過ぎてしまった。
 帰路、老母と寿司屋「よこた」で穴子寿司を食す。
 と、テレビで「ひるおび」が流れていて、なんと『年収150万円一家』の生活ぶりが紹介される。
 映像は先日放映されたやつの使い回しだけどね。
 モリカワの紹介がメインだけど、ダンナは「SF作家の勇作さん」で「森川勇作」と表記してあるではないか。
 ちゃんと著書も紹介しろよ。SF大賞受賞作家なんだぜ。
 ま、それはともかく、『年収150万円一家』は売れてほしいし、モリカワにはさらに活躍してほしい。
 ということで、たちまち夕刻。
 大根をじっくり煮込んだおでんを作って、ビール、「龍力」。
 そろそろ就眠。明日は出所、しばらく自由になれる予定である。

12月2日(水) 播州龍野→大阪
 播州龍野にて午前4時半に朝刊を取りに庭に出る。
 月皓々。
 荷風が小躍りしそうな月である。
 ……もっとも、荷風のおっさんは、月皓々だから喜ぶのではなく、機嫌のいい時(特にアチラ関係でいい思いをした時)に月皓々と記述するらしいのである。これは半藤説。
 おれもこんな月光の中を朝帰りしたいものだ。
 下男の身分では、それはかなわぬ夢である。
 昼間の電車で大阪へ移動する。
 途中、姫路駅で「御座候の担々麺」を初めて食す。
 
 駅ビルができて半世紀、このへんはウロウロしていたはずだが、御座候の担々麺(地下1階の奥のカウンター)260円……数ヶ月前にネットで知るまで、まったく気づかなかったのである。
 ま、立ち食いレベル、それにしては良心的な価格というべきだなあ。
 この店……つうか駅ビル自体が、来年から解体工事?に入るのかな。
 たぶん担々麺も今回限りであろう。
 そう思うと、うまかったなあという気分になる。
 大阪に帰還。
 しばらくは大阪生活となる。
 夜は専属料理人が作ってくれた「初冬パスタ」などでビール、ボジョーレヌーボ(今頃だけど、おれが帰るまで待っていてくれたのである)。
 酔っぱらって早寝。

12月3日(木) 穴蔵
 朝から小雨。
 終日穴蔵にて雑事の処理。
 ちと気の重い電話などあり、外は秋霖、気分は梅雨空のごとし。
 一杯飲んで早寝…のつもりが、布団に入って溜まっている本をあれこれ読んでいたら寝つけず、午前3時過ぎまで。

12月4日(金) 穴蔵/ウロウロ/キャンドルナイト
 2、3時間うたた寝して午前6時に起床。
 本日も張り切って雑事の処理を行う。
 鬱陶しい電話連絡など多し。
 昼前に近所の医院で定期検診。血圧がちと高め。睡眠3時間というとセンセ「むべなるかな」という反応であった。
 午後、銀行関係その他あって徒歩にて梅田ウロウロ。
 ついでに、ミムラ〜ミュージックマン(※)〜旭屋〜ヨドバシ〜紀伊国屋を回って帰館。
 ※最近出来たCDショップ。太融寺の西南角にある浪速ビル4階(1階に「縄ずし」)……ビルに看板なく、わかりにくい。新規入居は看板が出せないとか。内容充実、珍しいのを3枚ゲット。
 いったん帰館、夕刻またも穴蔵を出て、自転車で久しぶりにハチへ。
 本日はライブをやるとかで賑わっていた。
 おれは閑散期の客を心がけているので、某物々交換のあと退散。
 帰路、茶屋町周辺……ロフトの前〜毎日放送〜茶屋町アプローズ〜阪急本社ビルの前にかけで、「1000000人のキャンドルナイト」が開催中である。
   *
 昨日のはずが順延されたもの。夏至と冬至の頃、年2回の開催らしい。
 半年前のに較べて、より洗練された感じだ。
 20時過ぎに帰館。
 専属料理人は地域のなんとかで不在につき、用意してあった「ひとり鍋」でビール、うどんをぶち込んで熱燗。
 そろそろ就眠である。

12月5日(土) 穴蔵/橋本昌二先生/自然薯
 橋本昌二先生の訃報……。
 おれは碁はやらない。が、「重戦車」橋本9段には長年敬愛の念を抱いてきた。
 お目にかかったのは1度だけ。忘れもしない30年以上前……正確には1976年3月、十三のスナックで初めてお会いした。大学の同級生Oくんが指導を受けていた関係で、である。
 にこやかで話題も豊富、しかも座の雰囲気に合わせて気遣いされる、枝雀師匠に似た印象であった。
 盛大に飲んで、最後は橋本先生と肩を組んで「泳げたいやきくん」の大合唱。
 翌日、会社で囲碁部の男に貰った名刺を見せたら、「こんなえらい人と飲んでたのか!」
 その後、囲碁関係のことを調べて、恐るべき人だと知った。
 ま、済んでしまったことはしかたない。
 本当に偉い人は自分の偉さに自覚がないところがある。
 それに、橋本先生も碁と関係ないから気楽なのではなかったか。
 後日、Oくんから「また飲みましょうよ」というてはったでと聞いて、ほっとした。
 が、結局機会ないまま。そのOくんも2年ちょっと前に事故で亡くなっている。
 寂しいことである。
 午後、歩いて大阪駅へ。
 ヨドバシを抜けて大阪駅の北口へ。
 わ、大量の通行人の真上でクレーンが何かのブロックを吊り上げている。
 
 怖くて真下からの写真は撮れない。
 落下事故を期待してるわけじゃないけど、大阪駅北口を利用する方、気いつけなはれや。
 播州龍野から移動してきた身内から大阪駅中央改札越しに物品を受け取る。
 わざわざ途中下車するほどでなし、昔の闇米を運ぶ闇屋方式。
 佐用町の特産「自然薯」(木刀ほどの長さのある山芋)を届けてくれたのである。
 ということで、夜は専属料理人がこれを擂り、おそろしく高粘度のトロロ(ほとんど餅状)の海苔巻き、ヨコワとの山かけなど色々並べてビール、熱燗。
 レオロジーはこんな時のために学んできたような気がするなあ。
 最後はムカゴ(山芋の芽)を混ぜたごはんにトロロぶっかけ。
 ネバネバ万歳、諸星大二郎マンセー! の気分であるなあ。
 寝る。

12月6日(日) 穴蔵/平均寿命概算法
 終日穴蔵。雑事色々。
 年賀状のリストを整理する。
 今のところ喪中ハガキは15枚届いている。
 ところで、40年以上前に聞いた「星新一語録」のひとつにこんなのがある。
 放射性炭素年代測定法が話題になった時、「恐竜の足跡がふたつ見つかれば、この方法で恐竜の歩行速度がわかる」というもの。
 これほどの大発明ではないが、おれも、喪中ハガキから日本人の平均寿命を推定する平均寿命概算法を思いついた。
 2001年に某紙のコラムに書いたもので、こんな内容。
 2001年の正月の場合、貰った喪中ハガキは15枚、出した(貰った)年賀状は300枚であった。
 喪中ハガキは本人か配偶者の親の場合がほとんどだから、普通一生のうちに4回。
 これから平均寿命を逆算すると、
 平均寿命=[(喪中+賀状)/喪中]×4=[(15+300)/15]×4=84歳
 これはかなり正確なのではないか……というもの。
 ところが10年近く経って状況が変わってきた。
 対象者に配偶者とか兄弟が混じりはじめたのである。
 そういう年齢になったのである。
 同年(小学校同窓)のGOGOおばさんも同じことを書いてはる。
 そうなると上記の算式は成立しなくなるのではないか……と思ったが、今年の喪中ハガキも15枚、賀状もほぼ同数である。
 4回が増える人もあれば4未満の生活スタイルも増えて、係数4は変わらずということか。
 根拠不明だが、案外「ムーアの法則」みたいに長続きするかもしれんぞ。
 ということで、夜は専属料理人に色々並べて貰ってビール、ワイン少し。
 酔っぱらって、寝る。

12月7日(月) 穴蔵/ウロウロ
 わ、目覚めれば午前7時である。
 よく寝たものよ。
 張り切って雑用。
 午後、タイムマシンの部品関係で日本橋へ行く。
 ナニワねじ〜シリコンハウス、その間、五階の西側の通りもウロウロする。
 個人的には、ほしい物が何もない。
 デジカメは高性能のが安くなってるが、今の(3年以上使用の800万画素)で十分だし、大画面の薄型液晶でDVDを楽しみたい気はあるが、稼働率の悪い穴蔵に設置するのも面倒だしなあ。
 安くてもほしくない。デフレ気分とはこういうことか。
 ついでだから歩くことにした。
 新世界……通天閣本通にちょっといい雰囲気の沖縄居酒屋が出来ている。
 寄ってみたいが昼ビールになりそうなのでパス。改めて参ります。
 ※後で調べるにむらの樹さんもまだチェックしてはらんようである。
 天王寺公園の通路を抜けて阿倍野へ。
 
 午後の通天閣……センチメンタルになるぜ。
 阿倍野筋へ出て、ユーゴー書店にて2冊。
 あと、明治屋で一杯飲ろうかと迷ったが、ここに入ると本格的に飲みそうだからなあ。
 ここんとこ、昼酒はつつしんでいるのである。
 立ち食いの「松屋」のきつねで遅めの昼食とする。
 天王寺から地下鉄で帰館。
 5千歩を越えた。
 ということで、夜は専属料理人に和風メニューを並べてもらってビール、熱燗。
 ついでに明日の「お弁当」を作ってもらい、靴も磨いてもらった。
 まったく発作的にだが、夕刻に決めて明日ひとりでブラブラと出かけることにしたのである。

12月8日(火) 上京/堀晃写真展/アケタの店
 発作的に上京することにした。
 ちょちと面白そうなことが重なったため、たまには息抜きもいいであろう。
 朝の東海道昼特急に乗って移動。
 昼の高速バスは久しぶりで、途中、大津を過ぎてからコースが変わっているのに気づいた。
 「新名神」というのか、鈴鹿へ出る本来の東海道コースである。
 ただ、眠くて、半分以上寝て移動。
 15時頃に東京に着く。
 まず、八重洲地下街の展示コーナーで堀晃写真展『アラスカ -最後の辺境-』を見る。
  *
 画家の堀晃さんではない。
 写真家の堀晃さんである。
 アラスカのオーロラを中心に、自然や動物の生態などの写真40点ほどが展示されている。
 冷たく澄んだ空気の中に微妙にして鮮やかな映像が撮られている。
 OA機器メーカー勤務のあと写真家に転じられたらしい。
 画家の堀晃さんは奄美、写真家の堀晃さんはアラスカ、SFの堀晃はボケーーーーッと関西。
 しかし、3人堀晃で何かやってみたいものだなあ。
 日本橋のホテルにチェックインのあと、山野楽器〜石丸3号館〜ディスクユニオン、ついでに周辺の書店などを回る。たいした収穫はなし。
 夕刻、昔の勤務先・東京支社の近くのウナギ屋「亀とみ」へ。
 日本橋室町、そば「砂場」の隣である。
 おれの評価では、ウナギはここが日本でいちばんうまい。
 
 う巻きでビールのあと「松」をいただく。ま、たまにはこの程度の贅沢はよろしかろう。
 神田から西荻窪へ移動。
 「アケタの店」へ。
  *
 本日の出演は、坂田明(as,cl,vo),井野信義(b),小山彰太(ds)。
 坂田さん「フリーですから何も決めてません」と吹き始める。相変わらず過激。
 井野信義さんはCDでは色々聞いているが、ナマは初めて、ましてフリーフォームもやりはるとは知らなかった。小山さんは相変わらずのパワー。
 50分ほど自在に吹きまくり弾きまくり叩きまくり。
 2ステージ目、最初の「ロンリー・ウーマン」がなんともいい。オーネットよりハイテンポだが、意外にも古典的な風格を感じさせる。
 が、むろんそんなものではおさまらず、あとは坂田さんのヴォーカル(といっても、物売りの声とか掛け声とか)も入るギャグと表裏一体のとか。おれとしてはクラリネットが半分くらいというのが嬉しい。
 22時まで。久しぶりにいい気分にさせてもらった。
 たまにはこういう息抜きの1日があっていいよなあ。

12月9日(水) 帰阪/湾岸道
 8時半に東京駅から東海道昼特急に乗る。
 もう1日ウロウロしたかったが、夕刻ヤボ用あり、いたしかたなし。
 本を読みつつ移動。
 午後、刈谷あたりから「東海道コース」に入る。往路で観察できなかった新コースである。
 大府から弥富に至る、名古屋の南というのか伊勢湾のどん詰まりというのか、「湾岸道路」に沿っての景観がすばらしい。
 工場萌え諸君が喜びそうな東レ東海工場を過ぎたあたりから、両側は製鉄所、クルマの積み出し基地、コンテナー埠頭など、殺伐とした眺めがつづく。
   *
 とどめを刺すように長島スーパーランドの廃墟が出現する。
 ……廃墟かと思ったら、まだ営業しているらしい。動いている気配が感じられないから勘違いするよ。
 さらに四日市を過ぎて、鈴鹿山脈を越えて亀山経由、草津でもとの名神に合流する。鈴鹿の眺めも紅葉がなかなかである。
 退屈しないまま帰館。
 夜は集合住宅の修繕委員会なるものがあって、21時前からやっと晩酌。
 そろそろ就眠である。

12月10日(木) 穴蔵
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。いと少なしを。
 ボンクラサラリーマン時代からの知人Kさんからメールをもらう。
 仕事の関係で知り合って、もう30年以上……おれの場合、仕事は終わってもつきあいの続いている人が(海外も含めて)色々あって……たぶん世間一般より多いと思う。
 そのKさん、一昨日から昔の仕事仲間との集まりで上京していて、昨日、午後の東海道昼特急で帰阪だったという。
 おれは夕刻に用事があったから早いので帰ったのだが……行動のパターンも似てくるのかなあ。
 昨日、バスの中で読んだのが、武田一顕『ドキュメント 政権交代 自民党崩壊への400日』(河出書房新社)……この本については別項で書くことにしよう……面白いのだが、小沢については過大評価ではないか。
 意図不明の行動が多くて、それゆえに評価も好き嫌いも分かれる。
 その小沢一郎、子分600人引き連れて胡錦濤「拝謁」へ。
 夕刻のニュース見ても、飛行機がどうだったのかよくわからん。1機で行けたのか?
 で、夜は餃子・麻婆豆腐・野菜炒めの中華メニュー。
 ま、小沢一行が北京で食べてるのよりは質素なメニューだけどね。
 できれば今夜は和かイタリアンにしてほしかった。

12月11日(金) 穴蔵/SF検討会
 終日穴蔵……というわけにもいかず。
 平日に大阪というのは、年内は本日だけになるかもしれず、タイムマシン関係の業務で、雨の中、市内を3時間ほどウロウロ。
 郵便局に寄ったついでに年賀状も買ってきた。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
 例によって定員2名内容非公開のSF検討会を開催、本日は忘年会も兼ねる。
 専属料理人に色々と穴蔵に運ばせて、ビール、あとは、むさしくん持参の甲類乙類混和アルコール30%の焼酎「光年」の湯割り。
 メインテーマは「お笑い」だが、むさしくん妙に元気で、これは久しぶりにドタバタを書いて(異形コレクション)体力の保持が確認されたためのようである。(作品については別項で書くつもり)
 ということで、3時間近く、ちと飲み過ぎか。

12月12日(土) 穴蔵/青空/創サポ
 わ、午前6時まで寝た。
 8時間以上寝ていたようである。
 気分良好。
 昼前に自転車で青空書房へ行く。
 年末恒例、京都のYさんが抜群に旨い「すぐき」を届けてくださるのである。
 ありがたく受け取り、あと、天五界隈(闇市の雰囲気が残る一帯)をウロウロと案内、玉一イサク店でランチ。
 お互い、夕刻にはそれぞれ仕事・用事があるため、ビールはほとんど一滴に抑える。これほんと。
 いったん帰館。
 夕刻、天満へ。
 大川にラパー・ダックが復活している。
  *
 中之島や御堂筋に、年末のライトアップ(光のルネサンス)が始まっているのであった。
 「エルおおさか」へ。
 創作サポートセンター専科の講義である。
 別の部屋に小林泰三さんと田中哲弥さん。あとで一杯やりたいところなれど……野暮用などあり。
 専科にて作品5篇の講評中心に脱線エピソードなどしゃべっていたら20分超過、20時20分になってしまった。
 作品は、童話・ホラー・不思議ホラー・アラサー女性ふたりの微妙な生活・現代版捕物帖と多彩で、こちらもメモを取りながら1.5日かけて読んだのである。それぞれ面白く、ヒントになることもあり。
 帰路、ハチに寄ってマスター・明利くんと15分ほど雑談。
 21時に帰館。
 専属料理人に色々並べてもらって晩酌。
 ビールの後、熱燗とスグキ。たまらんなあ。
 BS2で「日本のポップス&ロック」の特集をやっていて、21:30にアマチュアバンドのインタビュー場面に「どうみても巽孝之さん」が出てきたけど、そっくりさんなのか??? 名前の紹介はなし。あれはいったい何者なのか、専属料理人と激論になったが、わけがわからんままである。
 寝る。

12月13日(日) Sunday@JazzClub/光のルネサンス
 忙中の閑……というか、そんなに忙しいわけではないのだけど、たぶん本日が年内最後の「落ち着いた休日」になりそうである。
 今日は「事始め」である。
 京都の井上流、神戸の××組、それに武庫之荘の米朝邸で儀式が執り行われているはずだが、特に武庫之荘は今年はにぎやかだろうなあ。
 こちらはジャズの事始めとする。
 午後、青空書房近くのバンブークラブへ。
 Sunday at Jazz Clubの例会である。
 本日は年末で盛会、本年度のお気に入り盤の「持ち寄り大会」である。
 おれも数枚持参、そのうち山中千尋のグッドマン・トリビュートとエヴァン・クリストファーのクリオール・スイングは他の方が披露したので、おれは滝川雅弘参加のディノーヴァ『鈴懸の径』と河合良一がニューオリンズ・スタイルで吹く『メモリーズ・オブ・ユー』(ブート盤)の2曲。
 イタリア・ジャズやブギウギや、ジミー荒木(懐かしい!)の多重録音盤とか、プレスとコールマン・ホーキンスの競演ビデオとか、多彩。
 某氏とジャズ喫茶とライブハウスの閉店について話すが、それぞれが持ち寄った新譜についてガヤガヤやっているうち、ジャズ喫茶の「新譜に関する情報交換」……要するに口コミ機能がいかに重要であったかということに気づく。CDや音源が安くなった今、聴くだけなら自宅で聴いてればいい。月に一度集まるのも、ジャズ喫茶激減の今、これが面白いからなのであろう。
 夕刻帰館。
 暗くなってから専属料理人と出かける。
 「光のルネサンス2009」を見に行く。
 地下鉄で本町まで行き、御堂筋を中之島まで歩く。
 御堂筋のイチョウにLEDが巻き付けてあるが、これはいまひとつ。
 中之島図書館の壁に何かを投影する企画は、見せ物小屋みたいに幕が張られて「入替方式」……1時間待ちとかで、長い列ができている。むろんパス。
  * 
 中央公会堂の図柄は「妖怪の館」みたいで、ちと不気味である。普段のライトアップと較べればいかに下品か明かでありましょう。
 バラ園をぶらっと歩いて、天神橋から梅田へ。
 「光のルネサンス」という企画自体にケチをつける気持ちはまったくないが、わが趣味にはあわないなあ。
 正起屋で湯豆腐、串カツ、ヤキトリ、サラダを並べてビール。
 休日は終わる。
 明日からしばらく田舎暮らしである。

12月14日(月) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 新聞休刊日。
 車中、見出しに惹かれて週刊ポストを読む。
 「『長嶋茂雄』を売り払った一茂の背徳錬金術」……これは確かにスクープである。
 福井の大金持ちが作った「スポーツミージアム」に「長嶋の新人王トロフィー」をはじめ亜希子夫人のノートや「コート」まで約1000点が展示されていて、推定金額10億円、これを地下室から持ち出して売り払ったのが一茂だという。
 この「ミュージアム」(入場料1000円)、八代亜紀が描いたミスターの似顔絵(ミスターに贈られたもの)とか、色々面白いのが展示されているらしいから、案外人気が出るかも。
 一茂の回答はなく「以下次号」、これはいかんぜよ、ポストくん。来週は立ち読みにするからね。
 ということで、播州龍野にて下男(おとこし)モードに入る。
 色々たいへん。
 冬至間近の空たちまち暮れ、老母夕食おれ晩酌。
 20時半、老母入浴後に就眠する。
 本日は二次会的晩酌をする元気なく、おれも21時前、そろそろ就眠である。

12月15日(火) 播州龍野の日常
 朝の晴天が昼前から曇る。まるでわが心象風景なり。
 老母を定期検診にI医院へ連れて行く。
 年末ということでもあるまいが、えらい混みよう、20人ほどの待合室に座る場所がないほど。
 朝に診察券を提出していたので、待ち時間10分で老母の診察となる。
 自分ひとりで来る人は、おそらく2時間近い待機であろう。
 血圧その他の某値、まあまあであった。
 終日、下男仕事。
 たちまち日が暮れる。
 湯豆腐その他熱いメニュー並べて晩酌。
 本日、老母やたら饒舌である。
 ・デティールの細かい昔話(30年以上前に閉店した食品店のことなど)とか
 ・午前のI医院での診察について、甘いものはやめるからあられ少しにするとか
 ・午前午後の足踏み体操は300歩を(I先生から「歳の数」でいいといわれたから)「四捨五入して」100にするとか
 ・(寝付きが悪いといったのに対して)睡眠薬は筋肉が弱くなるかもしれないから、今日から眠くなるまで夜更するとか
 ・(テレビ番組表を見て)午後8時から紅白の予告番組があるからこれを見る、とか
 ・地球温暖化でコーヒーの木が枯れているらしいが、コーヒーは値上がりするのか、とか
 91歳の老母、耳が遠いから人の話は聞き流し、新聞は見てるが昨日のことは忘れているだろうと思っていたら、意外にテレビ番組も新聞記事もI先生の問診も、理解・記憶しているのだ。
 いや、それどころか、歌謡番組のあとの報道番組を見たらしく、鳩山家の教育方針は明らかにおかしいと、総理の母批判を始めた。
 あなどれんなあ。
 ということで、老母は22時過ぎに風呂から出て就眠。
 おれ……入浴はよろしい、「すぐき」で熱燗一杯やって寝るのである。
 下男は、雇い主より遅く寝て早く起きなければならないから、たいへんである。嗚呼。

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