『マッドサイエンティストの手帳』466

●マッドサイエンティスト日記(2009年11月後半)


主な事件
 ・オータム・フェスティバル(21日)
 ・「まるじゅう」58年間の回顧展(27日)


11月16日(月) 大阪→播州龍野
 定刻午前4時起床、早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 2週間以上の「お暇」であった。前もってわかっておればニューオリンズへぶらっと行けたのだが、こればかりはいたしかたなし。
 張り切って下男モード入りである。
 播州龍野の書斎、午前9時の室温は13℃。まだパッチ着用には至らず。
 下男仕事色々。多忙である。
 このところ、ネズミの跋扈跳梁がひどいらしい。テーブル上の果実どころか、石鹸が囓られたとか。
 先月、粘着型のを仕掛けたが捕獲できなかった。
 老母の愛猫が死んだのが2001年で、以来、猫は飼ってない。
 その後、ネズミ被害はなかったのだが、8年経って出現した。
 ホームセンターへ行って、ネズミ取り(カゴ型2つ)を買ってくる。
 2ヶ所に仕掛けたが、さあどうなりますやら。
 釣果…ではないな、鼠果?を楽しみに、早寝するのである。

11月17日(火) 播州龍野の日常
 わ、午前6時まで寝てしまった。
 さっそく昨夜の仕掛けを確認。鼠果ゼロである。荒らされた跡もなし。罠を警戒して近寄らないということか。抑止的効果があるなら、それはそれでいいのだが。
 雨ぞ降る。
 朝から氷雨が降り続くのであった。
 下男仕事色々。
 10時過ぎに老母をI医院へ定期検診に連れて行く。血糖値は「抜群の成績」であった。
 I先生「どうですか、また新作は進んでますか?」
 うーん、センセ、老母の数値がわが仕事の成果だと思ってくださいよ。
 とはいえ、これではいかんので、午後は播州龍野の書斎にて机に向かうのであった。
 ボケーーーーーッと庭を眺めているだけだけど。
  *
 2週間ぶりに庭を眺めるに、小雨の中、南天の赤、石蕗の黄、塀の外ではコブシの葉が黄ばんでいて、まあそれなりに色彩の変化が計算して植えてあるのだなあと感心する。
 手入れが面倒だから、老母亡きあとは全部切り倒してやるつもりだ。
 おれが倒される方が早そうだけど。
 などと愚考しつつ、たちまち夜。
 今夜もネズミ捕り仕掛けて寝るのである。

11月18日(水) 播州龍野の日常
 鼠果ゼロである。
 ネズがウロチョロした気配もなし。某くんから「猫を借りてくる」か「生物兵器(S字型のことね)を放つべし」とのアドバイスをいただいたが、どちらも無理だなあ。
 ただ、おれがいる限り、ウロチョロしないのだから、おれ自身が猫かS字型のフェロモンを持ってるのかなあ。
 ま、エサを毎晩取り替えつつ、捕獲を試みることにする。
 下男仕事の合間、ボケーーーーーッと庭を眺めて過ごす。
 日暮れに近い時間、30分ほど散歩。
 昼間は快晴だったが、夕刻には、西空が晴、あとは灰色の雲がかかって、ちょっと不思議な空になる。
 日没5分前の堀邸(ウチではありません)の白壁と川沿いの楠。
  * 
 その下の用水路に沿って北へ。影男。「夕陽に赤い俺の顔」……あれはDVD化されてないのかなあ。
 堰から東へ歩き、姫新線沿いに南下。
  *
 アンテナ群のある夕陽の片山の麓を姫新線が通過する。これに乗れば、わが家で晩酌やれるのだが……
 センチメンタルになるぜ。
 母済む家に戻って炊事。
 具沢山の粕汁、イカ刺身、筑前煮、白菜浅漬けなど並べて盛大にビール、あと軽く「龍力」熱燗。龍力はいけますなあ。
 そろそろ早寝するのである。
 
11月19日(木) 播州龍野の日常
 辻元清美が鈴木宗男に「疑惑の総合商社」発言を陳謝したのだとか。
 今頃なんじゃいな。
 この前科者がまだ議員をやっとるのが不思議でならない。
 辻元についての感想は、7年前の3月11日の証人喚問で「総会屋の手口」を感じ、3月26日に自分の犯罪行為がばれて辞任した。その後、刑務所にぶち込まれはしなかったが有罪確定。
 ともかくおれはこの女に五十嵐敬喜に似た嫌悪感を覚えた。今も変わらんよ。
 消えてほしいものだ。
 などと朝から気分が悪いが、下男仕事に勤しむ。おれは犯罪を犯したわけでもないが、生活は囚人そのものだなあ。
 午前の曇天が午後には快晴となった。
 老母が運動不足なので、紅葉を見に連れ出すことにする。
 新宮町。
 志んぐ荘の裏手にある東山公園がモミジの名所と聞いて行ってみる。
 
 山麓に作られた遊歩道で、紅葉がまだなのか終わったのかよくわからん。
 さほどのものでなし。
 50メートルほど緩い坂を歩いたあたりで引き返す。
 龍野公園の方がまだましかな。

11月20日(金) 播州龍野の日常/ぶんきちくん結願
 相も変わらず下男生活。
 朝は少し寒いが(室温12℃)、まだストーブ使用するほどではなし。
 温暖化万々歳だな。
 雑事の合間には本を読んで過ごす。
 夕刻、老母の夕食につき合って、小鉢(肉じゃがと土佐煮)で軽くビール。
 20時前に老母が風呂から出て就眠。ほっ。
 ということで、おれもシャワーを浴びてから、第二次晩酌。
 
 本格的鍋焼きうどん(たまご/カマボコ/大量のネギ/某スーパーで買ってきた80円のエビ天ぶちこみ)を作って「龍力」の熱燗。なかなかのものである。
 おおっ、10月1日から四国八十八ヶ所を徒歩で遍路を続けていたぶんきちくんが、本日めでたく大窪寺で「結願」である。
 50日で200万歩、1300キロ。たいしたものである。
 この間、おれはたぶん6、7万歩しか歩いてないと思う。5万歩以下かな。本日も1000歩以下だものなあ。
 龍力をたくさん飲んだので本日はこのまま就眠。
 明日、改めて勝手に祝杯をあげることにしよう。

11月21日(土) 播州龍野の日常/オータムフェスティバル
 世間は3連休の初日。秋晴れである。洗濯日和でもある。
 張り切って下男仕事を遂行することあるよ。
 今日から3日間、播州龍野ではオータムフェスティバルin龍野というイベント開催。
 クルマは入りにくいので老母を連れて行くのは難しい。
 午後、おれひとり散策することにする。
 この季節、ウチの近く(揖保川東岸)からカネヰ醤油の煙突の向こうに、龍野公園の黄色い木が見える。
 「郷土記念物」というムクロジの巨木である。
   *
 徒歩15分ほど行ける。
 狭い町だものなあ。
 まず龍野公園のムクロジ(聚遠亭横)の根元まで行き、あとは坂道を下って旧市街地を散策。
 
 武者姿のおっちゃんがあちこちにいて、法螺貝を吹ききつつ闊歩していたり。
 結構な人出だが(町おこしに反するけど)、龍野は平日のしんとした雰囲気の時に散策するのがよろしいでっせ。
 写真展や絵画展など覗き、カネヰ醤油で風味しょうゆ「うまみ」を買って帰る。
 ま、好天でなによりであった。明日は雨になりそうだけど。
 ということで、適度に運動できた。
 夜はキムチ鍋で盛大にビール。
 明日は出所だ、楽しいな。

11月22日(日) 播州龍野→大阪
 朝も早よから下男仕事。
 昼間の電車で大阪へ帰る。
 しばし「下郎の小春日和」である。
 穴蔵に戻る。夕刻から雨になり、ともかく肌寒い。
 専属料理人は所用あって実家へ行っとる(どことも似たような事情だからねえ)ので、夜はひとり寂しく晩酌。
 冷凍(キンレイ)のなべ焼きうどんを買ってきて、たまご・ネギを追加、ビール、料理酒(ではないか「鬼ころし」の紙パックだから)の熱燗。播州龍野と似たようなメニューだなあ。
 あとは冷凍してあるフランスパンを焼いてチーズ、安ワインのハーフボトル。
 溜まっている新聞、郵便物、その他色々読んだり処理したりしつつ、そろそろ早寝。
 大半は明日に送るのである。

11月23日(月) 穴蔵/JAZZお好み焼き?/はなび
 世間は3連休の最後の日である。
 終日穴蔵にて粛々と雑事の処理。
 昼、自転車で青空書房へ。坂本さんとしばらく雑談。
 青空のちょっと先に、いつもモダンジャズが流れているお好み焼き屋があって、前から気になっていたので入ってみる。
 と……内部は普通のお好み焼き店で、テレビでワイドショーやっとる。
 焼きそば食べたが……ま、詳述は控えさせていただく。
 なぜオモテにハードパップを流しているのか、さっぱりわからん。
 不思議といえば不思議な店だ。
 しょんぼり帰館。
 本日も専属料理人は帰ってこないので、夜は徒歩3分のところにある立ち飲み屋「はなび」へ行く。
 いつに変わらぬ陽気なこと。
 昼間の口直しである。
 おでん、トンテキ、トマトで生ビールのあと、キズシで熱燗。
  *
 これが結構いける。昔、歌やんの作ったのに匹敵する。宮崎のライフタイムのマスターのもうまいらしいが、こちらはまだ賞味していない。
 それにしても「はなび」は相変わらず凄まじいね。ケースの中にはトロ、白身、豚肉ブロック、タラコ、うるめなど、うまそうなのがいっぱいあり、手前には缶詰やカップ麺が積み上げてあるアンバランスさ、これがたまらない。
 気分よくいただいて、早寝。

11月24日(火) 大阪→播州龍野/納豆男
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 朝飯の用意が面倒だったので、姫路駅構内の吉野家にて8時少し前に納豆定食370円を食す。
 隣の男も同じメニュー。
 黒っぽいスーツに黒プチ眼鏡、ちょっと市橋達也に似た感じの20代の青年である。
 この男の食べ方が奇妙なのである。
 納豆にいっさい手をつけず、味噌汁とたまごかけごはんを食べる。
 納豆定食なのに納豆をどうするのか、気になってしかたがない。
 と、ごはん、味噌汁などを食べ終えてから、最後に納豆を念入りにかき回して食べ始めた。
 うーん、こりゃどういうことだ。納豆はデザートなのか?
 なぜか不気味で、こちらは食った気がしないぜ。
 ということで播州龍野にて、下男モードに入る。
 寒くなった。

11月25日(水) 播州龍野の日常
 小春日和なり。
 ダラダラと下男仕事。
 運動不足なので、夕刻に近い午後、自転車で揖保川上流、嘴崎まで走る。
 「屏風岩」と呼ばれる天然記念物であるところの鶴嘴山の岩脈……小学生の時に何度か遠足に来た岩山である。
   *
 姫新線のトンネルが麓の岩をくり抜いて作られているところがなかなか。
 姫路に向かうジーゼル車を見ると涙がこぼれかけるぜ。
 ということで、帰路、COOP(たつの市島田店)で食材を買い帰館。
 老母の夕食に合わせておれもビール、引き続き龍力の熱燗。
 酔っぱらい状態で19時過ぎに食器の片づけ。
 結構飲んだから、おれは入浴はしないよ。
 老母の入浴後、風呂掃除、本日の下男仕事は終わる。
 明日は出所なので、そろそろ早寝である。

11月26日(木) 播州龍野→大阪/旧友交歓
 小春日和なり。
 下男仕事を色々と片づけてから、午後の電車で大阪へ移動する。
 夕刻、梅田にて、ボンクラ・サラリーマン時代の同期入社のメンバー4人で一献。
 東京在住のNくんが旅行で立ち寄ったため。
 てっちりなどでビール、ひれ酒。
 たちまち3時間以上経過。
 しゃべるのと飲み食いに夢中で写真を撮るのを忘れていた。
 22時前に千鳥足で帰館。

11月27日(金) 穴蔵/にぎり寿司「まるじゅう」58年間の回顧展
 わ、目が覚めれば午前7時。8時間以上熟睡していたことになる。
 久しぶりに「自宅」へ行って、軽い朝食の後、また2時間ほど朝寝。
 やっと疲労が回復した。
 午後、阪急中津駅のガード下にあるギャラリーアートカクテルへ。
 ミナミの寿司店「まるじゅう」の「58年間の回顧展」を見る。
 
 女将さん(左/的場文子さん)は昭和2年生まれで今も現役である。
 屋台店の開店が昭和26年。御堂筋に出来た店舗は、噺家や芸人さんが贔屓にした(というよりも、安くて旨いから通った)店で、昭和30年代はじめの写真には、若き日の米朝師匠や松鶴師匠が写っている。
 米朝師匠も参加されていた『上方風流(かみがたぶり)』の打ち合わせもこの店の2階で行われたとか。
 当時の写真が色々展示してある。
 おやっと思ったのが「昭和30年頃」と記された店の前での記念写真。
 御堂筋東側、道頓堀通の2つ南側で、隣(南側)に「ジャズミー」というジャズ喫茶の看板が写っている。この店の名は初めて見る。会場の女将さんに聞くと、御堂筋の店を開店して2年ほど後に開店したという。その後「バンビ」のミナミ店がすぐ近くにできたとか。詳細はわからないが、1955年頃に確かに存在していたことになる。ちょっと気になるなあ。

11月28日(土) 大阪→播州龍野/モーニング・グローリー
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 しばらく収監である。
 黙々と下男仕事に勤しむ。
 20時前に老母就眠。ほっ。
 「神の河」湯割りを呑みつつ、NHKの「ワンダー・ワンダー」という番組を見る。
 オーストラリアに発生する巨大渦巻き雲「モーニング・グローリー」のドキュメント。
 これはNHKとしてはまれに見る良心的番組(スタジオにタレントとか色々並べたりクイズを挟んだりの構成はいただけないが)である。
 自然現象を取材した番組としては、四半世紀ほど前の「ポロロッカ」以来(あの時はスタジオにアホタレントなど並べていなかったぞ/それだけNHKもアホになっとる訳だが)ではないかと思う。
 うちは視聴料、大阪も龍野も、ちゃんと払っとるからね。いいたいことはいわせてもらう。民放のバラエティ番組の真似なんかするな。
 上空から撮った雲の映像、秀逸。
 イーガンのいるバースとは対極の位置だけど、オーストラリア独特のセンス・オブ・ワンダーを生む風土が感じられるなあ。
 映画『ザ・ラスト・ウェーブ』にもこれに似た雰囲気があったもの。
 円高だ。ぶらっと行って見るか。そろそろ向こうは初夏だものなあ……と思っても、身動きとれないところが「下男」のつらさである。嗚呼。

11月29日(日) 播州龍野の日常
 相も変わらず下男仕事。
 合間に本を読んで過ごす。
 たちまち午後になる。
 夕刻に近い午後、運動不足なので、龍野公園を1時間ほど散策。
 先週がオータム・フェスティバルだったので、今週はしんとしている。
  *
 紅葉……今年はバラバラだったようで、鮮やかな紅葉も少しはあり、多くは葉を散らしている。
 1時間ほど歩いて帰館、4000歩未満、龍野は狭い町である。
 たちまち夜となる。
 老母の晩飯につき合って軽くビール。
 20時過ぎに老母が風呂から出て就眠する。
 おれも4日ぶりに洗髪。シャワーのみ。
 20時半に風呂から出たら、ちょうど「内藤大助〜亀田興毅」戦、ゴングであった。
 「神の河」湯割りを呑みつつ12ラウンド……最後まで見てしまった。
 おれにはどっちが挑戦者か判別できないままであった。
 アナウンサー、格闘技系であるなあ。凡戦を盛り上げようと必死なのはわかるが。
 ま、大助引退(タレント専業)、カメしばしの話題作りということか。
 茶番。
 早寝すればよかった。

11月30日(月) 播州龍野の日常
 天気予報では曇天のはずが快晴、小春日和である。
 だからといって、どこに出かけるでもなし、相変わりませずの下男仕事。
 昼過ぎ。昼飯の片づけを終わってから、下男のささやかな楽しみとして、CDで米朝師匠の73年(師匠48歳の時ね)の『東の旅』を聴く。そのテンポに驚嘆。一説には今の米團治の方が当時のチャーチャンよりどうこうという話があるが、とんでもない。70年代から余人の及ぶところではなかったのだ。
 播州龍野では、ジャズよりも米朝師匠をメインにしていこうっと。
 15時過ぎ。
 買い物に出かけたら、上空をパラグライダーが飛んでいる。
 
 が、エンジン音がする……ほほう、モーターパラグライダーではないか。ということは揖保川の河原あたりからの離陸であろうか。
 野尻抱介氏ではあるまい。
 播州龍野にもこういうことやる人がいるんだなあ。
 ちょっとやってみたいが……もうおれには無理だな。
 夜は、湯豆腐とイカ刺身などでビールのあと、鍋焼きうどんで「龍力」熱燗2合。
 21時半に就眠予定なり。

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