『マッドサイエンティストの手帳』413
●マッドサイエンティスト日記(2007年10月後半)
主な事件
・「朝ミラ」出演(16日)
・『ジョージ・ルイス』発行、発売!(20日)
・マホガニーホール/ファイブ(20日)
・JAZZ CITY OSAKA 2007(27日)
・創サポ/ショートショート大賞(27日)
・スプリング8(31日)
10月16日(火) 穴蔵
「亀一家」の処分に関するニュースで騒がしい。
亀に関しては、おれの思うところは2点であった。
・ハチの大ちゃん(元バンタム級プロボクサーである)の見解は「素質はあるが親父はど素人」の評価で、おれはこれを信じている。大ちゃんは信頼できる男である。
・亀一家のビッグ・マウスは芸になってないから不愉快。
この2点、ともに「亀」が負ければそれまでのこと。そこで解消されるはずであった。
が、今回、負けは負けでも、リング上の反則(それも末弟以外の一家あげて)にまでエスカレートした。
こうなると責任は「亀一家」を放し飼いにした「上部団体」に及ぶ。
今回の処分の早さ、ま、相撲協会の優柔不断さを他山の石とした結果であろう。
「大相撲」対「ボクシング」、速攻でボクシングの勝ち。
問題は色々残っとるけどね。今まで持ち上げたマスコミも含めて。
昼前にNOグローリーランド・ジャズバンドのベーシスト・村橋さんがやってきた。
専属料理人も巻き込んで、30分ほど肉体労働のジャムセッション。
詳細は週末にご報告予定。
宅配便の出荷など色々。
気がつけば昼前で、専属料理人と近所の「讃州」でカレーうどん。
午後は、また穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
清水万紀夫さんのCDが届く。
夜は、専属料理人に豚肉に何やら色々乗ったなんとか(創作料理?)、なんとかサラダ、キズシなどを並べてもらって、清水万紀夫さんのCDを聴きながら、ビール、湯割り。
あまりにも気分良く、酩酊。
寝る。
……明朝は「朝ミラ」である。
10月17日(水) 朝ミラ/穴蔵/ウロウロ
朝7時前に出て弁天町「ラジオ大阪」へ。
かんべむさし氏がパーソナリティを務める『朝ミラ』にゲスト出演。
本日のテーマが「私の隠れ場所」なので、先日出た『男の隠れ家』がらみで、ジャズ喫茶の昨今などを話題にする。
硬派のジャズ・ネタも用意していたが、雰囲気は気楽な「隠れ家」談義になった。
15分ほどのコーナーだが、今度出る『ジョージ・ルイス』の紹介もしてもらえた。
ラジオなので表紙が見せられないのが残念なり。
出番終了後、まっすぐ帰館。
FAXや電話が多い日である。
肉体労働含めて色々片づけていたら昼になった。
自転車でハチへ行ってランチ。
所用あって堺筋本町まで。
ついでにイケマンで色々雑品を購入……イケマンの売場に「品位」がなくなったなあ。2年ぶりくらいと思うが、商品の並べ方がドンキ風になってきた。
周囲の会社も安いのしか買わなくなったのであろう。
15時帰館。
穴蔵に籠もる。
10月18日(木) 穴蔵/ウロウロ
忙しい日である。
10時過ぎから、梅田・堂島・西天満・中崎町・天六などと穴蔵を自転車でいたりきたり。
来週は田舎行きなので、それまでに諸々の交渉事を済ませておかねばならぬ。
よく動いたものである。
たちまち夕方になった。
晩酌は控え目にして、また穴蔵で諸々の作業。
22時を過ぎてしまった。
発表まであと2日。
寝る。
10月19日(金) 穴蔵/ウロウロ
朝だ。雨が降っている。のど飴だ。ちがうか。
こんな日は終日「雨読」といきたいところだが、昨日に引き続き、色々と動かねばならぬ。
本日は雨天のため、自転車は使えず、5〜8キロの荷物を持ち、傘を差しての移動。むちゃくちゃでござりまするがな。
堂島へ。
ジュンク堂のU田さん(小松左京賞受賞作家と同姓で魅力的な人である)、4年近く前の『桂歌之助』を覚えていてくださって「久しぶりですね」といっていただいた。感激するなあ。
つづいて地下鉄でミナミへ。
雨の千日前を歩く。
「雨のニューオリンズ」なら風情があるが、吉本前ではなあ。
そういえば、朝青龍と亀の騒ぎでかすんでしまったが「中田カウスのXディ」はどうなっとるのだ。
9月3日にこのあたり騒然としたはずだが……。おれは忘れとらんよ。
Musicraftに寄って、色々お願いのあと、帰館。
夕刻、また、荷物抱えて傘差して梅田へ。
雨の梅田。夜の帳が下りるのは早い。
夜はまだ宵の口であり、人生もまた……いや、おれの人生はもうミッドナイトに近い。
ニューサントリー5に寄り、引き続き8へ。
19:30頃に本日の肉体労働は終わる。
20時に帰館。歩数計は12,000歩を超えている。半分は8キロくらいの荷物を持っての記録だから、たいしたものではないか。
ということで、シャワーの後晩酌。ビールがうまい。
早寝するのである。
諸々のことは、いよいよ明日公開である。
10月20日(土) マホガニーホール・NOJ3大祝賀/ニューサントリー5
定刻4時に起床。
本日は『ジョージ・ルイス』発売日なので、販売店の案内などを公開する。
午後、専属料理人と心斎橋へ。
本日、マホガニーホールでニューオリンズ・ジャズ関係というか、ニューオリンズ・ラスカルズ関係の「3大祝賀イベント」である。
「河合良一さんの**歳誕生日」
「志賀奎太郎の復帰祝い」
そして「『ジョージ・ルイス』出版記念」
の3大祝賀である。40人近くでたいへんな熱気。おれも「ジョージ・ルイス」を手伝ったことで参加させていただいたわけである。
シャンパンで乾杯のあと、志賀さんケーキカット。
祝われる3氏(志賀さん、河合さん、「ジョージ・ルイス」の訳者・小中セツ子さん)の似顔絵が描かれたケーキが用意されている。
志賀さん含め、ラスカルズ・メンバーは全員そろって3曲。
ゲストに池本さん、ピンカラさん、佐々木さん、村橋さんらも。
「ジョージ・ルイス」出版関係では、「関係者」それぞれ挨拶ということで、訳者・小中さんはじめ、イラスト・写真・解説の今高英一さん、構成アドバイスの一花俊さん、印刷製本の村橋健さんに並んで編集・発行のおれも。
この本、ほぼ半年前のラスカルズ・コンサートでたまたま小中さんと席が近かったために、急に動き出した話なのである。この時から、10月20日、河合さんの誕生日に発行を目標に進めてきた。だから「三大祝賀」は偶然ではないのである。
わが挨拶の要旨は「原作者はむろん、訳者・解説者・寄稿者から編集、校正、印刷、製本まで、全工程に関わったメンバーがすべてニューオリンズ・ジャズ・ファンであるというのは出版史上でも例を見ない快挙ではないか」というもので、特に「印刷・製本」が珍しいなあ。
「ジョージ・ルイス」の記述から4曲をピックアップ、該当箇所を小中さんが朗読し、河合さんが演奏する趣向……これは絶品であった。特にルイスの葬送の場面の「オールド・ラグド・クロス」は、ルイスの遺品のクラリネットで演奏された。泣けてくるなあ。
マホガニー・ホールの後ろの壁にはレンガづくりで、ここに色々な演奏者のサインが残されている。「ジョージ・ルイス」出版がらみで、特別にここにサインを残してもらうことになった。なんという栄誉。おれにもレンガ1個が与えられた。
署名の上に「I love George & SF」と書いたが、校正を担当した専属料理人が横に名前を書き加えたので……ここは「We」にするべきであったか。
和やかな演奏は17時頃まで。
心斎橋の某店へゾロゾロと移動して食事。
さらに多くのメンバーで梅田・ニューサントリー5へ移動。
土曜日なので、ラスカルズの出演日である。
当然ながらファイブは超満員。
水割り飲みながら、結局最終ステージまで。
なんと、マホガニーでの演奏開始から、なんと9時間である!
ラスカルズ、この元気さであと30年は演奏をつづけてほしいものだ。
この際だから、ファイブでの記念写真公開。
「ジョージ・ルイス」製作に協力したメンバーである。
左から、専属料理人(校正)、おれ(雑用)、小中(翻訳者)、今高(イラスト・写真・解説)、一花(構成・日本語チェック)、河合(巻頭言・資料・全面支援)、村橋(印刷・製本)……以上敬称略……うしろのジョージ・ルイスの写真(ジャケットなどに昔から使用されている)の撮影者も若き日の今高英一さんである。
感無量。
歩いて帰館。
就眠は深夜を過ぎてしまった。
10月21日(日) 大阪→播州龍野
6時前に、珍しくも目覚まし時計で目覚める。
出かける前にビデオ録画の予約。
早朝の電車で播州龍野へ移動。
さすがに眠い。車中、ほとんど眠って移動。
先日から詰めていた兄と「下男」交替。
わが兄、『ジョージ・ルイス』を2冊買ってくれた。1冊は読む、もう1冊はそのまま飾っておくという。チラシで表紙の写真を見て、そう決めていたという。さすがわが実兄である。
粛々と下男(おとこし)仕事。
案の定、龍野は寒い。居間には早くもコタツをセットしている。書斎は15℃で、つま先が冷たくなり、足温マットを断続的に使用する。
キンタマ収縮の季節はもうすぐそこに来ている気配。
早い晩酌のあと、老母は早々と就眠。
おれも本日はさすがに眠い。
22時からの教育テレビ『21世紀を夢見た日々・日本のSF50年』はなんとしても見たいのだが、最後まで起きてられないのは確か。
朝セットしたビデオが無事録画されていることを信じるしかない。
10月22日(月) 播州龍野の日常
寒いのであった。
朝の室温は16℃だが……これから急速に下がって1桁まではすぐだろうな。
来客の多い日なり。
階段の昇降、数えてないけど、20回以上であろう。
ま、元気でなにより。
あまり生産的な仕事はしないまま、早寝することにする。
10月23日(火) 播州龍野の日常
本日も快晴なり。
タイムマシン格納庫にて朝から半日、見張り番をつとめる。
午後、相方来たりて業務交替。
午後、たつの市立図書館へ行く。
よく利用しているのだが、本日は『ジョージ・ルイス』を図書館に購入してもらうための一般的な手続きについて聞くためである。
零細出版社SOLITONの名刺を出して、色々と教えてもらう。公金での購入だから、やはり取次経由がいちばんいいらしい。手続きが煩瑣になるのはしかたあるまい。
一通り話が終わったところで、丁寧に対応してくださったKさんから「SF書いてられる堀さんでしょ。ここにも置いてありますよ」といわれる。参ったなあ。
たつの市立図書館はよく利用しているのだが、きたない格好でウロウロするのはまずいかなあ。
田舎の夜は早い。
20時、そろそろ就眠である。
10月24日(水) 播州龍野→大阪
早寝したら午前2時過ぎに目が覚めてしまった。
両腕を布団から出しても寒くないので、朝まで雑読。
本日も晴天なり。しかも温かい。一昨日は肌寒かったのだが。
三寒四温の秋バージョン? こういう気候なんというのか。ブログ時代だと三村良信氏が教えてくれたものだが……こちらにはゴキブリは出ないものの、不便になったなあ。
張り切って下男仕事。
午後の電車で帰阪。
荷物が重い。老母が食べきれない(しかもおれには調理できそうにない)食材を色々いただいたものだから、1/3ほど持ち帰る。
掘りたてのサツマイモ、枝ごとの丹波黒豆、なんとかの煎餅、ついでに庭で獲った柿など。黒豆以外は、明日のダレヤメ用である。
本日も早寝。
10月25日(木) 穴蔵
定刻午前4時に起床。
終日穴蔵にこもる。
少しは仕事も……しなければならぬのだが、溜まっている雑事を片づけた後、寝そべって溜まっている本を読む。
何もしたくない日もあるのだった。
10月26日(金) 穴蔵/亀/携帯変更
雨である。
朝からテレビ(民放)は亀田興毅の謝罪会見の中継ばかり。他にやることないのかと思いつつ、やっぱり見てしまうなあ。
……なんというか、いかにも日本人のメンタリティに訴えるもの(あえて演出とはいうまい)だが、これが特訓の成果なのか「素」なのか、判定に迷う。途中まで(「世界一の親父」あたり)までしか見ていないが、1時間20分ほど続いたらしいから、付け焼き刃の演技で持ち堪えられるものではあるまい。
近日上演予定・守屋前事務次官の証人喚問でのおそらくは予想されるノラリクラリより、遙かに真摯な姿勢といえる。守屋、亀を見習えよ。
昼、雨は本降りになり、こんな日は雨読としたいところだが、「平日」に処理すべき雑事あり、自転車で笠さして梅田へ。
ついでに寄ったヨドバシで意外に時間を食う。
携帯電話の買い替えである。
料金がいちばん安いという理由(月1500円……それでも月1000円以上余る)で7年間、ツーカーホンのプリケーを使ってきたが、サービス終了が迫ってきたのである。
おれは電話は苦手だから携帯を持つ気はなかったのだが、タイムマシン格納庫を開設して、ここでひとりで作業することが増えた。まだ固定電話を引いていなかったから、家族が心配して、持たざるを得なかったのである。
色々調べたら、今の使用実態ならもっと安いのがあり、変更することにした。番号は変わるが、おれの携帯番号を知ってるのは10人以下だから不便は感じず。
それにしても7年半、よく持ったものである。
供養でもするべきか。
あと2週間ほど、数万円分しゃべれるのだが、そんなにしゃべることもなし……そういえば使用されぬままのテレカは世間にどれほどあるのか。おれは「お宝」として残す趣味はないのでせっせと使用してきたが、まだ数千円分はあるはず。公衆電話が減ったから使うのに苦労する。結局NTTの丸儲けか。
10月27日(土) JAZZ CITY OSAKA/創サポ
朝だ。雨が降っている。千歳飴……もういいか。
昼前にはあがった。
午後、専属料理人と地下鉄で難波・精華小劇場へ。
JAZZ CITY OSAKA 2007である。
300人くらい入れる「小劇場」と、長い廊下を隔てた旧校舎の「第二会場」。
最初は第二会場でニューオリンズ・ラスカルズを聴く。
本日は河合さんのクラ1ホーンの5人編成。「ジョージ・ルイス」刊行にちなんで、金属クラリネットでルイスの特集8曲、木造教室の音響もよく、これだけで来た値打ちがあったというものである。
小劇場に移り、また引き続きラスカルズを聴く。
もっとも、本日の主目的はカートで搬入した『ジョージ・ルイス』の販売であり、会場の後ろの方、CD売場の横にスペースをもらった。販売は主に専属料理人が担当する。
SF大会のディーラーズルームならおれが店番するのだが、本日おれは力仕事のみ。
ニューオリンズ・レッドビーンズのステージが終わったところで、ちょっと中座。
おれだけ会場を抜け出して、地下鉄で天満の「エル・おおさか」へ。
本日は創作サポートセンターの入講式であって、「大阪ショートショート大賞」の授賞式も兼ねている。
今回は惜しいところで受賞はなく、入選1作、佳作1作とした。
佳作の手塚太郎さんが来られたが、こちらがネタをいただきたいような、ある分野の研究者で、ちょっとびっくりする。
佳作となったのは、とつぜんイタコに呼び出された「霊」の戸惑いを一人称で書いたもので、その着想を評価した。異例のことだが、(プレ講義を兼ねて)作者に着想の由来を訊く。多少専門分野に関わるところもあるのだった。
30分ほどウダウダの後、精華小劇場に引き返す。
会場は撤収作業中。専属料理人はすでに荷造りを終えて待っていた。
売上げはほぼ予想どおり。完売ではないが、帰路の荷物は軽い。
昼から何も食べていない。
が、ミナミにはこんな場合馴染みの店がなくて困る。
地下街の無難な焼鳥屋でビール。
ラスカルズは引き続きニューサントリー5で演奏しているのだが、まっすぐ帰館。
明朝からまたしばらく田舎行きである。
10月28日(日) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
本日は老母の誕生日である。年齢は……ハンク・ジョーンズと同年である。
せっかくだからどこかで昼食でもと、老母を連れて出かけるが、食前のクスリを忘れたので、結局途中のスーパーで買い物して引き返す。
ま、田舎のことゆえ、たいした店はない。
唯一、室津の魚がうまい店は3、4年前に閉店してしまったからなあ。
ということで、あとは書斎にこもるが、アタマ働かず。
夕刻、川沿いの道を散歩。
日暮れは早く、午後5時からの20分ほどで急速に暗くなる。
一杯飲んで早寝。
10月29日(月) 播州龍野の日常
朝から必要あってタイムマシン格納庫周辺の境界線確認に立ち会う。
測量機……「トータルステーション」なるものを初めて覗かせてもらった。
個人的に欲しくなるなあ。特に必要に迫られているわけでもなし、これといった用途があるわけでもないけど。市街地では色々面白そうな。球場への持ち込みは禁止か。レーザー使用だからなあ。……野尻さんあたりは持っていそうな。
立ち会いは午前中に片づく。
午後は守屋くんの証人喚問中継を見る。
自民の田中和徳くんが質問の前に延々と「演説」しはじめて、守屋のしゃべる時間の短縮を図っているのかと心配したが、後半はまともであった。少なくとも耐震偽造の時に登場したボンクラ代議士よりはまし。
ポイントは宮崎と同席した政治家の名前を言わなかったところだが、Iか? あ、Qちゃんか。
守屋は退職金は返納しそうにないな。
ということで、たちまち夕刻。
アタマ働かず、早寝するのである。
10月30日(火) 播州龍野の日常
ど田舎にて朝4時に目が覚め、明るくなるまで断続的に本を読む。
眼精疲労がひどくて、15分以上続けて読むのがつらい。
日が昇ってから、張り切って下男仕事色々。
曇天にして寒くはないが、秋の気温。じっとしていると膝が冷える。キンタマはまだ収縮せず。
庭に「S字型変形生物」は春先に見て以来出現していない。
「忌避剤」の効果であろうか。
そろそろ地下に潜ってくれればいいのだが、「穴惑い」するアホもいそうだからなあ。
ということで、庭の掃除は12月までやらないのである。
本日も早寝。
10月31日(水) 播州龍野の日常/スプリング8
朝からひどく気分が重い。明らかに田舎ストレスである。何もする気が起こらず。
天気がいいので、スプリング8を見に行こうと思いつく。
老母の食事の用意をして、昼前に出る。
播磨科学公園都市という一帯には初めて。
20キロほど、30分で着いた。
高原の秋である。
冬の寒さは龍野の比でなさそうだ。
スプリング8で見学できるのは放射光普及棟だけ。
たいした展示物はなかった。
円環の外観だけ見学したかったのだが。
クルマで一周できないではなさそうだが、注意されるのも嫌だから、30分普及棟を見学して引き上げる。
ま、片道30分とわかったから、来年4月の見学会に来ることにしよう。
昼過ぎに帰館。
タイムマシン格納庫にて雑用。
夕刻、炊事中に急に気分が悪くなる。
症状は明記しないが、風邪ではなさそうな。
老母の夕食のみ並べ、おれは食事抜きでそのまま寝る。
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