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『マッドサイエンティストの手帳』406

●マッドサイエンティスト日記(2007年8月前半)


主な事件
 ・名古屋往復(3日)
 ・山下洋輔ライブat8(8日)




8月1日(水) 穴蔵
 穴蔵にてダラダラと仕事をするのであった。
 雑事あり、昼前に自転車でウロウロ。キタ図書館経由、郵便局、天五の部品屋、銀行など回って、昼飯の時間になる。
 13時前、外食が面倒になり、近所の「河春」で500円の弁当を買って帰館。
 「河春」はうどんのたけうちの隣で、店としてはこちらの方がずっと古い。弁当もなかなかのものである。夜の割烹としての方が本格的らしいが、近所ではあまり呑まないのでパス。
 帰館すると、赤城農水相辞任?更迭?のニュース。
 こんなボキャ貧政治家は珍しい。何を聞かれても同じセリフの繰り返しで、おれは『雨乞い源兵衛』の「次郎作」を思い出していた……「あんた、自分の考えないんかいな」というセリフが出てきたはずだ。松岡が自殺しなければこんなユニークなのを見物できなかったわけで、それなりに価値はあるが、木戸銭が高くついたなあ。
 つづいて、朝青龍が診断書出して巡業欠場・モンゴルでサッカーやってた事件で、2場所「出場停止」の処分……収入面でのペナルティがどうなのか気になる。懸賞金が受け取れないだけではないはずで、そこんとこ突っ込んでほしいなあ。なんぼ損するのか。朝やんにとっては、品格とんなんとかでなく、すべてはカネのはずだから。
 などと愚考するうちに夕方。
 本日は居住する集合住宅の委員会などあり、晩酌は21時を過ぎてしまった。

8月2日(木) 穴蔵/梅田ウロウロ
 朝刊数紙を確認するに、朝青龍の「金銭的ペナルティ」は懸賞金の予想も含めて5千万と試算されている。こういう情報はテレビではだめだなあ。
 朝はK-1移籍も視野に入れているらしいが、昔の北尾(双羽黒)みたいに、相撲でヒールだったのは、プロレスや格闘技に移っても、キャラで苦労すると思うよ。
 ま、朝やん、4ヶ月5千万の損失より、目の前の契約金を取る可能性は大いにあるけど。
 穴蔵にてネチネチと仕事。
 少し予告。
 ここ数日の作業は、ニューオリンズの伝説的クラリネット奏者の伝記を翻訳した方がいて、その編集である。解説と写真とイラストは名古屋のジャズ研究家I氏が担当。
 大まかな作業は終わったので、出来れば日帰りで名古屋往復と迷っていたが、台風接近、ややこしそうなとのと仕上げが残っているので、週末に延期する。
 運動不足なので、昼、歩いて梅田へ。
 ジュンクドーまで歩き、あと、駅前ビル地下の中古CD店、5、6軒を覗く。
 デフランコ『The Great Encounter』とエディ・ダニエルズ『To Bird with Love』を発見。歩いてみるものだ。特に後者は探していたもの。
 ハチに寄ってコーヒー。
 8月8日の山下洋輔ソロが近づいてきて、ハチママ、気もそぞろである。
 帰館。また作業のつづき。
 夜は、専属料理人が「アメリカの○○○○(人名)サラダ」のアレンジという、アボガド・トマト・タマゴ・エビ・タマネギ・レタス・その他になんとかドレッシングをぶっかけるサラダを作る。パンに挟んでもよし。
 
 講釈を色々聞いたが、右から左に聞き流し。フレンチじゃないんだから。
 これに、ポテトフライや肉を炒めたのなど。
 確かに大ざっぱなアメリカ風。
 これでビール、ワインを飲みつつ、ダニエルズ『To Bird with Love』を聴く。パーカー・ナンバーを吹きまくっているが、デフランコとはまったく違う解釈、酩酊するなあ……。
 文章ではニューオリンズ、CDではパーカーの日であった。

8月3日(金) 穴蔵/あみだ池〜本町〜日本橋
 穴蔵にて黙々と仕事をするのであった。
 昼前に地下鉄で西長堀へ。
 あみだ池へ。誰が行けゆうたんや? むろん、自分の意志である。和光寺は人工的な建物になり、公園に池はない。寂しいものだ。
 あみだ池のネキにある塩田基明さんのデザインスタジオで1時間ほど打ち合わせ。
 あと、本町まで歩く。
 蒸し暑く、汗ドロドロ。
 ボンクラ・サラリーマン時代の馴染みの某店でランチ。この手の店は減ってきた。「おきん」は閉店したし、皆さん高齢化しているのである。
 地下鉄で動物園前へ。ジャンジャン横丁〜通天閣〜日本橋。
 三重電業でタイムマシン用の特殊ケーブルを購入。
 北へ歩いて、Musicraftに寄る。さすがに暑くて、ここででビール2缶。
 リチャード・ストルツマンの中古CDがあり、バッハを演るのにゲイリー・バートンやエディ・ゴメスが参加している。1300円。これはたぶん拾いものなり。
 ということで、難波から地下鉄で帰館。
 本日の歩行は12650歩であった。

8月4日(土) 名古屋往復/淀川花火大会
 9時過ぎに出て、JR新快速で米原へ向かう。乗り換えて名古屋へ。
 青春18切符を利用。
 主目的は名古屋在住のジャズ研究家I氏邸訪問である。
 車中、ゲラをチェックするのにちょうどいい。
 名古屋駅前……久しぶりに降りる(可児市や多治見へ森山威男を聴きに行く場合は素通り)。なるほどたいしたものである。
 
 高層ビルが増えているが、最上階まで行く気力なし。
 昼過ぎにI氏邸訪問。歓待していただく。
 LP・CDとジャズ書で囲まれた書斎で打ち合わせ3時間ほど。
 色々と珍しい資料を見せていただく。
 ジョージ・ルイスとローランド・カークの共演は一部では有名であったらしい。
 凄いのは、ジョージ・ルイス評価の契機となった1950年の「LOOK」誌の記事で、この写真を撮ったのがカメラマン時代のスタンリー・キューブリック。
 ルイスはフリージャズともSF映画ともつながっているのである。
 帰路も新快速の乗り継ぎ。
 夕刻に大阪に着くが、駅構内から大混雑。桜橋口が空いてますなんてアナウンスをしている。
 本日、淀川花火大会であったのだ。
 
 ヨドバシ前から北へ……ふだん歩いて帰る最短距離の道が、競馬開催日どころでない混み方である。
 東の道へ迂回して帰館。
 尋常ならざる蒸し暑さ(大阪・名古屋ともに)で、きちんと上着を着ているおれは、上半身はむろんのこと、キンタマまでがゆで卵状態である。
 帰館、シャワーを浴びて、ビールを飲みだした頃に、花火の音が轟きはじめた。
 むろん花火はパス。徒歩圏で唯一の花火大会だが、あの人混みに入っていく気力なし。
 枝豆、レンコンの挟み揚げ、肉とキムチをレタスで巻いてビール。和風ビーフンで仕上げた頃に、ひときわ盛大な音、21時前に打ち上げ終了である。
 近所の道ではさっそく帰りのラッシュが始まっている模様。
 甲子園の数倍規模、時間は1時間たらず。たいした人気だなあ。
 HANABI is gone in the air.
 You can never capture it again.
 だからいいのであろう。

 本日の産経の夕刊一面に「物語の風景」という記事があり、なんと拙作『梅田地下オデッセイ』が取り上げられている。事前に何も聞いてなかったので、ちょっとびっくり。ありがたいことである。

8月5日(日) 穴蔵
 明日から下男モード入りゆえ、終日穴蔵にて雑用を処理するのであった。
 昼……自転車で出かけようとして、炎天の凄まじさに引き返す。帽子を忘れたためなり。
 穴蔵に戻り、斜陽となった頃に這い出る。
 大阪中央郵便局へ行って、某国へ機密文書をEMSで発送。何日くらいで着くか、届けばメール連絡でチェックできるはず。
 そういえば……関空の第二滑走路がオープンして、西の方の某国との貨物便が短縮されるとかいうのだが、ほんまかいな。2ヶ月前に船便で出したタイムマシン、「通関中」という連絡があったまま、あと、何の音沙汰もなし。港に積んだままなのかなあ。20年前はこういうことザラだったが、相変わらずだなあ、あの国は。
 ま、某信用状はきちんと処理されているから、このままでも当方はなんらかまわんのだけど。
 あの国を「工場」として使う諸君の能力は、ある意味たいしたものだ。

8月6日(月) 大阪→播州龍野
 わ、午前2時半に目が覚めてしまった。
 朝まで雑用。
 午前5時でも薄暗く、秋が近いことを予感させる。
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 猛暑とか炎天とかではなく、異様な湿度の高さ。これでしばらくエアコンなしの生活である。
 午後、扇風機をかけて本を読んでいたら、重戦車の接近するような地響き。
 
 何事かと飛び起きて西の窓から外を窺うに、道路と売り地にパワーショベルやアスファルト車?など工事車両が4、5台。道路を封鎖して、道を掘り返しはじめた。
 2時間ほど轟音が続き、やがて、砲声が鳴りやんだかのごとき静寂。
 外を偵察すると、道にアスファルトの帯を残して、一団はすでに姿を消していた。
 
 早業といえば早業。いったい何の工事だったんだ。
 死体を隠すのに使えそうな……。
 テレビで元朝汐が会見。
 朝青龍が「神経衰弱」で「鬱病寸前」と「主治医」が診断。高砂親方が「久しぶりに」面談して「かなり憔悴している」朝を「頑張れよ」と激励したという。  鬱病寸前?を激励するなんて、主治医は元朝汐に注意すべきではないか。「診断」が本当だとしての話だけど。
 ……朝やんが「自責の念」にかられるなんて想像できない話だ。
 週刊現代の記事の方が鋭い。朝一族はモンゴルで怪しいビジネスを色々と展開している。4ヶ月の謹慎は、相撲収入で推定5千万の損失になるが、その間に帰国できなければ、巨額の事業での損失を生むのではないか。落ち込むはずだ。

8月7日(火) 播州龍野の日常
 朝、墓の掃除に行く。
 盆前にやっとかないと、近所がなにかとうるさいからである。
 先祖を敬うという理由からではない。おれ自身、こんなところに入りたくないもの。

8月8日(水) 播州龍野→大阪/山下洋輔8/8ライブ
 老母を定期検診に連れて行く。
 諸々の数値は正常。おれより健康なのではないか。
 40℃のタイムマシン格納庫で作業の後、午後の電車で帰阪。
 週刊文春と週刊新潮……ともにカフス逮捕が近いことをにおわせているが、むろん新潮の方が迫力あり。楽しみなことである。
 夜、専属料理人と歩いてハチへ。
 8月8日、恒例のハチママ・バースディ・ライブ。山下洋輔さんのソロである。
 店の前、路上になんとフェローン・アクラフさんがいる。京都に来ていて、フラッと来たのだという。
 山下さんのソロ。席はまたもピアノの前、弦の振動が確認できる位置である。
 
 真っ正面に知った顔があると演りにくいのではないかと心配になる。
 「ラウンド・ミッドナイト」に始まって「ミスティック・レイヤー」から数曲など、休憩なしのぶっ通し、なんといっても「ラプソディ・イン・ブルー」全曲が圧倒的であった。
 終演後、洋子夫人やフェローンなどもいっしょにビール一杯。
 ハチ前で記念撮影。
 
 ハチに戻ると、立錐の余地もない大盛況。
 ドラム・セットも用意されていて、さっそくフェローンが叩き始めた。
 ピアノ・トリオ(ベースの日高くん、感激であろう)に大ちゃんがさっそく「サマータイム」をがなり始めた。夏であるなあ……。
 
 23時頃まで。ドンペリを1グラスいただいて帰館。
 秋にはNYトリオのツアーがあるから、フェローンとはその時に再会である。

8月9日(木) 穴蔵/ハチ
 わ、目覚めれば午前6時。夜遊びのし過ぎであろう。
 気分は爽快。
 穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
 
 外は絵に描いたような炎天……と通俗的表現だが、そうとしかいいようがない。
 出かけると熱中症で倒れそうだが、昨夜ハチママから本日昼に「出頭」するようにと厳命あり、昼過ぎに自転車でハチへ行ってハチ・ランチ。
 マスター・明利くん、昨夜は午前4時までという。フェローンは午前2時過ぎまで叩きまくっていたらしい。朝8時までに京都へ戻るというから、たいしたものだ。
 ハチママは当然ながら本日はダウン。
 「出頭命令」の主旨は、昨夜のバースディ・プレゼントのお裾分けであった。
 ご厚意ありがたくお受けいたします。
 炎天下、無事帰館。
 午後もダラダラ仕事をするのであった。
 週刊新潮の記事。
 アイ・ジョージが「世界的な大物ミュージシャンを集める」という詐欺まがいの投資話で訴訟を起こされているという。2年前(6月26日)に姫路の寿司屋で「アイ・ジョージにも困ったもんや」というのを小耳に挟んで以来、なんとなく気になっていたのである。そうか、こんなことをやっていたのか。姫路のおっさん、なかなかの情報通であったということになる。

8月10日(金) 穴蔵
 本日も炎天なり。
 郵便局へ行く途中、信号待ちしているところにセミがポタッと落下してきた。まだ触手を動かしている。
  
 5分後に戻ってきたら、見事な押し絵が完成している。人生の無常を感じるなあ。
 雀さんの小話で、刑務所で芸を仕込んだ蚤が喫茶店で一瞬のうちに叩き潰されるのを思い出した。ちょっと違うか。
 終日穴蔵にて仕事……のつもりだが、能率はあがらず。
 夕刻、散歩に出る。
 タクシーがJR高架下で立ち往生している。
 
 新大阪から福島への旧貨物線の高架。通路はおれでもかがんで抜けないと頭を擦る高さ。1.7メートルほど。タクシー、屋根の表示器が引っかかって動けず、結局ズルズルとバック。表示器ガタガタ。運ちゃん、身体感覚つうか車体感覚、大丈夫かいな。プロでも、左右は敏感でも上下感覚は鈍いのかなあ。
 淀川堤を30分ほど歩く。
  
 淀川堤、河口から8キロ。
 振り向けば、夕べの雲がなかなかの風情である。

8月11日(土) 穴蔵/石橋
 本日も炎天なり。
 穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
 夕方に近い午後、這い出て、阪急石橋へ。
 盆休にて帰省中の某くんその他とちょっと一杯。
 明朝が早いので、二次会は遠慮して帰館。
 早寝である。
 明日から田舎行き。

8月12日(日) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 具体的には、阪神梅田駅・午前6時15分始発の姫路行き特急に乗るつもりでホームに降りたのだが、電車の屋根でとつぜんセミが、それも複数、鳴き始めたのに驚く。地下ホームである。幻聴かと思った。こんなことがあったと、記録しておく。わたしは聞いた。
 ということで、播州龍野にて下男仕事。
 書斎は昼間、33℃である。

8月13日(月) 播州龍野の日常
 本日も炎天なり。
 盆である。
 姫路にいる「身内」が墓参りにくるという。
 午後の炎天下、墓参。
 山裾の墓地、50メートルほどは歩く他なく、老母はこの距離がつらいというので、おれが代参ということに。代参の男である。
 
 真夏にこの「参道」を歩くと、いつも山川方夫『夏の葬列』を思い出す。
 あの舞台は成田あたりかもう少し海沿いの土地と思うが、名作というのは普遍性をもつものだ。
 夕刻、「身内」を送って姫路までクルマで走る。
 姫路城の東にある修道院という浮世離れした場所まで。姫路の市街地にクルマで入るのは初めてで、中学・高校時代に見慣れた風景がまったく楽しめないのは困ったものだ。
 ということで、ふだんより1時間遅く、老母と晩酌。
 田舎でも少しは仕事をしなければいかんなあ。

8月14日(火) 播州龍野の日常
 本日も炎天なり。昨日よりは少しましか。
 下男仕事の合間に、少しは仕事もするのであった。
 昼間の書斎の室温は33℃。少しは風もあり、おれの場合、この程度の暑さは苦ではない。
 
 窓の外には百日紅が咲いていて、気分は文豪並み。
 秋に文庫になる某作品の校正作業を進めるが……前回に引き続き、校正担当者はおそろしく有能な人で、ほとんど校閲である。表記の統一や用字用語の使い方はむろんのこと、設定上の疑問点まで細かく指摘してある。
 (宇宙空間が)「延々とつづく」と書いている部分、「延々」は時間的広がりで、空間の場合は「蜿々」か「蜿蜒」という指摘。確かにそうであった。パソコン使ってると、変換しない漢字はついとばしてしまう。……ただ「蜿々」は語源を考えると、おれのいちばん苦手な動物に行き当たるのでやめる。「○万光年の空間がつづく」といい換えた。
 校正の担当者と顔を合わせることはほとんどない。
 ひょっとしたら新聞社で校閲の経験がある人か、あるいは……今年の文学界新人賞を円城塔氏と同時受賞した谷崎由依氏(「舞い落ちる村」)は、職業が在宅の「翻訳・校正」者であった。こういうタイプの人が校正しているのかなと想像してしまう。
 おれは「書き飛ばし」はしないタイプのつもりだが、やっぱり凡ミスは多いなあ……。
 気分は文豪並みなどと書いたが、やはり気分は駆け出し。

8月15日(水) 播州龍野の日常
 わ、早寝したら午前2時半に目が覚めてしまった。
 朝まで杉浦茂先生の名作集を読む。『八百八だぬき』『0マン』『アップルジャムくん』『少年児雷也』……やっぱりすごいなあ。
 6時に老母が起きる気配あり、下男に戻る。
 午前中、ゲラをチェックして宅配便で発送。
 昼過ぎにタイムマシン格納庫にてしばらく作業。
 汗噴出。なんと46℃である。
 
 去年の8月の記録を超えているではないか。
 夕方まで作業してビールというのは気分がいいのよねえ。
 20年以上前、FA機器をやってた時には、客先工場が盆休の間に工事をやってくれという話が何度かあった。泊まり込みで2、3日。空調も停止した工場で水分控えて終日作業、夜にビールを飲む。あんな快感はなかった。
 これが血液の状態によくないのはわかっちゃいるけど……。
 しかし、年齢を考えて、少しは水分補給しつつ2時間ほどで切り上げる。
 昔のようなことやってると、ある日とつぜん麻痺が襲ってくるのだろうな。
 その程度には体に気を配っているのである。
 夕刻、シャワー後、「茶豆」を茹でてビール。うまいなあ……。

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